【バレエの原作を読む(5)】ドリーブ「コッペリア」←ホフマン『砂男』
久々の「バレエの原作を読む」シリーズです。
今回はかわいらしくオシャレなバレエ「コッペリア」。初演は1870年パリ・オペラ座で、音楽はレオ・ドリーブ(1836年-1891年)、台本はシャルル・ニュイッテルとアルチュール・サン=レオン、そしてアルチュール・サン=レオンの振付けでした。その後さまざまなヴァージョンの振付けが作られましたが、なかでも有名なのは、ぽん太も先日見たローラン・プティ版(1975年)でしょうか。
さて、「コッペリア」の原作はホフマンの『砂男』です。E.T.A.ホフマン(1776年-1822年)はドイツの作家ですが、音楽や絵画でも才能を発揮し、法律家でもあったという多芸多才の人です。怪奇的な幻想文学で知られており、バレエの「くるみ割り人形」の原作となった『くるみ割り人形とねずみの王様』を書いたことは、以前の記事で書きました。例に漏れず『砂男』も、あの楽しいバレエの原作とは思えない、おどろおどろしい怪奇小説です。
ぽん太の読んだ邦訳は、日本の幻想文学の第一人者である種村季弘(たねむらすえひろ)の河出文庫版(『砂男 無気味なもの―種村季弘コレクション、河出書房新社、1995年)です。『砂男』を論じたフロイトの『不気味なもの』も収録されていますが、現在は絶版で、古書でも高価なようです。岩波文庫の『ホフマン短篇集』(池内紀訳、岩波書店、1984年)の方が、同じ絶版でも古書の価格が安いようです。
『砂男』のあらすじは例えばこちらで読めますが、幻想怪奇小説のあらすじを読んでもよくわからないでしょうし、もともと文庫本で100ページ足らずの短編ですから、ぜひ直接お読みになることをお勧めします。ようやく暑くなって来た夏の夜が、少しは涼しくなりますヨ。
バレエと原作を比べてみると、自動人形を恋するというモティーフは共通ですが、その他はまったく異なっています。原作のナタナエルとクララは、バレエではフランツとスワルニダという名前になり、二人が結ばれるというのが結末であって、フランツはナタナエルのように発狂したりはしません。バレエの「ドン・キホーテ」が、ドン・キホーテは登場するものの、バジルとキトリが結ばれる話になっているのと同じ手法でしょうか?またバレエの自動人形の名前は、題名にもなっているコッペリアですが、小説ではオリンピアです。
ぽん太が疑問に思うのは、なんで楽しく可愛らしくあるべきバレエの原作に、おどろおどろしいホフマンを持って来たのでしょうか?当時ホフマンがそんなに人気だったのでしょうか?ぽん太にはちっともわかりません。
ということで、鈴木晶先生の『バレエ誕生』(新書館、2002年)をひも解いてみました。鈴木先生は、公式ブログによれば、サバティカルでニューヨークに滞在し、バレエを見まくっているようで、うらやましい限りであす。医者にもサバティカルの制度を作っておくれ。
さて、鈴木先生の本を読んでいくつかわかったこと。まず、フランスでいわゆる「ロマンティック・バレエ」が最も盛んだったのは、1830年の七月革命で成立した七月王政の時代だったそうです。この時代に「ラ・シルフィード」や「ジゼル」といった名作が生まれたのですが、それを支えたのは上層ブルジョワジーや金融資本家による上り坂の社会でした。しかしその時代は、一方では労働者階級が生まれて来た時代でもありました。労働者階級は、1848年の二月革命で七月王政を倒し、革命はヨーロッパ各地に飛び火してウィーン体制を倒しましたが、再び反動政府が成立しました。フランスでは1852年にルイ・ナポレオンによる第二帝政が成立しました。この時代のバレエの代表作が「コッペリア」です。ロマン主義バレエの代表である「白鳥の湖」が悲劇であるのに対し、「コッペリア」は喜劇であり、ホフマンのロマン主義をふまえながら、それをパロディとして対象化して扱っています。この時代は例えば、快楽主義的なオッフェンバックのオペレッタがもてはやされた時代でした。ちなみにオッフェンバックにも「ホフマン物語」というオペレッタがありますね。
18世紀は啓蒙主義の時代で、近代理性が形作られていった世紀で、それは1789年のフランス革命として結実したのでした。しかしその後19世紀前半にかけて、当然のことながらこうした理性主義に対する反動が生じた訳で、それがロマン主義だということができるでしょう。精神医学の世界では、「ピネルが精神障害者を鎖から解放した」という、真実ではないけれども象徴的な出来事が1793年。19世紀前半は、フランスにおけるリヴィエールの裁判と精神医学者エスキロール、ドイツのヴォイツェク裁判などを通して、理性が人間の本質であって、理性のない精神障害者は責任能力がない、という考え方が形成され、それは近代精神医学へと受け継がれていきました。一方で19世紀前半のドイツでは、ハインロートやイーデラーなど、現代では「ロマン主義精神医学」と呼ばれる思弁的精神医学が生まれましたが、時代のあだ花として、彼らの死後急速に力を失って行きました。
すると「コッペリア」は、19世紀後半に近代的な精神と社会が成立していくなかで、19世紀前半のロマン主義を、ノスタルジックに再現したものだったのかもしれません。日本の歌舞伎でいえば、明治時代になって、失われて行く「江戸」を舞台で再現しようとした河竹黙阿弥みたいなもんでしょうか?
鈴木晶先生の公式サイトの「「コッペリア」とはどういうバレエか」という文章がありますが、とても面白いので一読をお勧めいたします。パリ・オペラ座では第二次世界大戦後まで女性がフランツを踊っていたということは、初めて知りました。
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