江戸時代からあった相撲と暴力団の関係?
琴光喜の野球賭博や、暴力団の大相撲観戦などの問題で、相撲と暴力団の関係がいろいろ取りざたされています。朝日新聞の記事「 角界と暴力団、根深い関係 用心棒・祝儀・後援会…」(2010年6月16日7時12分)によれば、暴力団と相撲界は縁が深く、そもそも大相撲は暴力団の有力な資金源のひとつだったそうです。山口組は昭和初期から、大相撲の興行に力を入れていたそうです。
しかし、先日読んだ『清水次郎長――幕末維新と博徒の世界』(高橋敏著、岩波書店、2010年)によれば、相撲と暴力団のつながりは、実は江戸時代まで遡れるようです。清水次郎長が博徒の世界の中心に躍り出るきっかけとなったのは、安政年(1859年)の保下田久六(ほげたきゅうろく)惨殺事件です。保下田久六は、尾張から三河・伊勢に勢力を持つ博徒の親分でしたが、以前は力士でした。
久六はかつて次郎長の盟友であった。もとはとえいば、尾張名古屋の相撲興行で八尾嶽惣七(やおがたけそうしち)の四股名で活躍した力士であった。事実、天保七年(1836)から嘉永元年(1848)の相撲番付に八尾嶽の四股名が認められる。相撲取りが博徒になるケースはよくあり、下総の飯岡助五郎、笹川繁蔵、勢力富五郎はじめ、寺津の治助(今天狗)、平井の亀吉(雲風)らはみな力士くずれである。(58ページ)
江戸時代から相撲と博徒のあいだに関連があったことは確かなようです。しかしながらこれは、力士が直接博徒になるという話しなので、昨今の暴力団と相撲との関係とはちょっと違うかもしれません。
それに、清水次郎長らの博徒と、現在の暴力団は、直接的なつながりがあるのでしょうか?Wikipediaによれば、博徒のみならず、町火消、的屋などが暴力団の起源になっているようです。
また、ついでに、現在のような興行としての相撲が行われるようになったのは、いつ頃からなのかという疑問もわいてきます。これも困った時の Wikipediaによれば、江戸時代の初期(17世紀)だそうで、18世紀末あたりから江戸相撲の興行は人気を博したようです。有名な雷電爲右エ門(明和4年(1767年)〜文政8年(1825年))が活躍したものこの頃ですね。
歌舞伎では、「双蝶々曲輪日記」(ふたつちょうちょうくるわのにっき)の主人公が濡髪長五郎という相撲取りですが、この狂言の初演は寛延2年(1749年)です。1890年(明治23年)に初演された『め組の喧嘩』は、文化2年(1805年)に実際にあった町火消「め組」の鳶職と江戸相撲の力士たちの乱闘事件を題材にしております。長谷川伸の「一本刀土俵入り」は、出世できなかった相撲取り駒形茂兵衛が博徒になるという話しで、時代は江戸時代に設定されておりますが、書かれたのは1931年(昭和6年)です。
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