« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2010年10月の15件の記事

2010/10/31

【バレエ】至福の時間 ボリショイ&マリインスキー・バレエ合同ガラ2010

 18:30に開演で、終わったのが22:30近く。それでもちっとも眠くならず、最初から最後まで大興奮でした。公式サイトはこちらです。このブログはぽん太の備忘録も兼ねているので、一つひとつ短い感想をかかせていただきます。
 下の写真は昨年のGWのロシア旅行のときのもの。左が首都モスクワのボリショイ劇場(工事中)、そして右が古都サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場です。
P5040209P4300066_2
 まずは《フローラの目覚め》よりパ・ド・カトルで幕開き。ボリショイとマリインスキーのダンサーが、それぞれ二人ずつで踊ります。マリインスキーからは、何回か観たことがあるオブラスツォーワ。可愛らしく、テクニックが安定しております。アリーナ・ソーモワは、たぶんぽん太は初めて観たんだろうと思いますが、とても柔らかくて女性らしい踊りでした。ボリショイからはあいかわらず巨大なオーシポワちゃん。なんか可愛らしげに踊ってます。ルンキナは、一昨年のエトワール・ガラでエイマンと踊った「ジゼル」が強く印象に残ってますが、本日もまるで体重がないみたいに軽く、表現力もあり、端正な顔立ちで、改めて見直しました。
 次いでボリショイ・ペアによる《ライモンダ》のパ・ド・ドゥ。ニクリーナは初めてでしたが、笑顔が素敵でなかなかよかったです。ロブーヒンは、以前に「イワンと仔馬」のイワンを観ましたが、やはり力強く男らしくダイナミックな踊りでした。
 マリインスキー組の『タンゴ』が面白かったです。ピアソラの曲がそもそもすばらしいですが、昨年の来日公演で「白鳥」と「イワンと仔馬」で観たテリョーシキナが実に魅力的。細身で長身のスタイル、ちょっとアジア系が入ってる感じの面立ちがタンゴにあっていて、キレがよくて迫力があり、セクシーでした。セルゲーエフもぽん太は初めてですが、テリョーシキナに目を奪われ、あんまり覚えてない。
 次のステパネンコとメルクーリエフによるボリショイ組もアルゼンチンの作曲家による音楽で、タンゴや、フォークロアっぽい音楽もありましたが、前のとちょっとかぶってる感じがしました。それともわざとぶつけたのかな?二人ともぽん太は初めて観たダンサーです。ベテランのようですが、振り付けがイマイチで、なんか歌謡ショーみたいでした。
 第一部の最後は、冒頭に踊ったソーモワが、シクリャローフと「ロミジュリ」のバルコニーシーンを踊りました。二人とも初々しく、特にシクリャローフは少年のような顔をしているので、まさにロミオとジュリエットそのもの。得意のレパートリーなのか、二人とも大きくのびのびと踊ってました。しかし、テクニックや細かい動きはまだまだなようで、ソーモワがこけたのは仕方ないにしても、同じペアによる第二部の《パピヨン》は、シクリャローフもふらついたりして、動きの荒さが目立ってちょっと見劣りしました。

 第二部に入りまして、オブラスツォーワとサラファーノフの《ゼンツァーノの花祭り》のパ・ド・ドゥ。これはサラファーノフの足技が光りました。細かな足さばきも見事なら、下半身のバネを使ったジャンプもすばらしかったです。
 次はオーシポワ、ワシーリエフ組の《パ・ド・ドゥ》。コミカルな演技を交え、小技が中心の踊り。ん〜、こんなのを見たいんじゃな〜い。
 先ほど触れたソーモワ、シクリャローフの《パピオン》に次いで、ルンキナとヴォルチコフの《グラン・パ・クラシック》。ヴォルチコフは初めてだと思いますが、なんといってもルンキナがすばらしかった。バランスがよくて安定感があり、ポーズも美しく、品格が感じられました。全幕物を見てみたいです。
 さて、お待ちかね、ロパートキナの《ロシアの踊り》。頭に冠のような飾りをつけ、きらびやかなロシアの民族衣裳で踊っている姿は貫禄満点。バレエ界の美空ひばり状態で、ただただかしこまるのみ。
 第二部の最後はニクーリナ、ロブーヒンによる《海賊》のパ・ド・ドゥ。これもなかなかよかったです。柔らかく笑顔がかわいいニクーリナのメドゥーラ、筋肉質でがっしりしたロブーヒンのアリともに雰囲気がありました。ニクーリナはグラン・フェッテで両腕を上げての2回転を入れてましたし、ロブーヒンのジャンプや回転もなかなかでした。

 だんだん盛り上がって来たところで第三部、まずオーシポワ、ワシーリエフの《パリの炎》です。でぇたぁ〜。やっぱり第二部の《パ・ド・ドゥ》はジラし作戦だったのか……。高〜いジャンプやすご〜い回転の連続です。ワシーリエフなんか斜めになって回ってました。客席からは、最初はどよめきがあがり、途中からは技を出すごとに歓声と拍手がわき起こり、バレエというより体操やアイススケート状態です。でもこの二人は、これでなくちゃね。
 客席が大興奮のるつぼとなったところで次はっ……《ジゼル》のパ・ド・ドゥです。オブラスツォーワ、やりにくかったでしょうね。でも見事な集中力で、とっても可憐なジゼルでした。
 《プルースト・失われた時を求めて》より囚われの女。これもよかったです。ルンキナ、すっかりファンになりました。ローラン・プティの振付けもいいですね。最後に白い幕が下ろされる演出もよかったです。
 《ファニー・パ・ド・ドゥ(ザ・グラン・パ・ド・ドゥ)》は、今年の5月の「マラーホフの贈り物」でカブレラとカニスキンが踊るのを見て、大笑い(心の中で)した演目。女王ロパートキナが「私だってこんなお茶目なところがあるのよ」とばかりに羽目を外しまくり、これはもう笑うしかありません。今月の新橋演舞場の「加賀鳶」の、市川團十郎演ずる竹垣道玄を思い出しました。
 次はステパネンコとメルクーリエフの《ドン・キホーテ》。第一部の《Fragments of a Biography》は振付けがイマイチで楽しめませんでしたが、《ドンキ》はスペインっぽい貫禄があってフツーによかったです。メルクーリエフって、足が細いですね。
 トリはテリョーシキナとサラファーノフの「黒鳥のパ・ド・ドゥ」です。約1年前のマリインスキー・バレエ団来日公演で観た黒鳥の再現となりました。今回もテリョーシキナは、髪の毛の先をピンと上に立てたヘアスタイル。彼女の雰囲気によくあってます。ねっとりと色気があって、サラファーノフ君は簡単に籠絡されそうな感じでした。

 ということで、あっというまの4時間。すばらしい公演でしたが、ひとつだけジャパン・アーツさんに苦情を。オーケストラがひどすぎます。ホルンが不安定なのは許すにしても、トランペットまで音を外すとは。「黒鳥」のヴァイオリンのソロもなさけなや。全体的に音も薄く、ロミジュリのプロコフィエフの名曲も迫力がありませんでした。配役表を見るとロイヤルメトロポリタン管弦楽団とのこと。ロイヤルって王立?イギリスかな〜デンマークかな〜などと思いながら、第三部の前に楽団員が立って挨拶するのを見たら、日本人やん!家に帰ってググってみたらこれか〜。皇太子にちなんでいるんだったら、「ロイヤル」じゃなくて「インペリアル」じゃないの?こんなことを言うと団員のみなさんには大変申し訳ありませんが、世界一流のバレエを見ているのに、このオケではバランスが悪すぎます。ジャパン・アーツさん、チケット代もう千円出してもいいですから、次からもう少しいいオケに換えてください。お願いします。


ボリショイ&マリインスキー・バレエ合同ガラ公演
ロシア・バレエのスターたち2010
<Bプログラム> 
10月27日 東京文化会館

≪第1部≫
《フローラの目覚め》よりパ・ド・カトル
(振付:プティパ / レガート / ブルラーカ、音楽:ドリゴ)
エフゲーニヤ・オブラスツォーワ(ディアナ) /
アリーナ・ソーモワ(オーロラ) /
ナターリヤ・オーシポワ(ヘーベ) /
スヴェトラーナ・ルンキナ(フローラ)

《ライモンダ》よりパ・ド・ドゥ 
(振付:プティパ / グリゴローヴィチ、音楽:グラズノーフ)
アンナ・ニクーリナ / ミハイル・ロブーヒン

《タンゴ》 (振付:ミロシニチェンコ、音楽:ピアソラ)
ヴィクトリア・テリョーシキナ / アレクサンドル・セルゲーエフ

《Fragments of a Biography》より
(振付:V・ワシーリエフ、音楽:アルゼンチンの作曲家による)
ガリーナ・ステパネンコ / アンドレイ・メルクーリエフ

《ロミオとジュリエット》よりパ・ド・ドゥ
(振付:ラヴロフスキー、音楽:プロコフィエフ)
アリーナ・ソーモワ / ウラジーミル・シクリャローフ


≪第2部≫
《ゼンツァーノの花祭り》よりパ・ド・ドゥ 
(振付:ブルノンヴィル、音楽:ヘルステッド)
エフゲーニヤ・オブラスツォーワ / レオニード・サラファーノフ

《パ・ド・ドゥ》( 振付:ヤコブソン、音楽:ロッシーニ)
ナターリヤ・オーシポワ / イワン・ワシーリエフ

《パピヨン》よりパ・ド・ドゥ
(振付:M・タリオーニ / ラコット、音楽:オッフェンバック)
アリーナ・ソーモワ / ウラジーミル・シクリャローフ

《グラン・パ・クラシック》(振付:グゾフスキー、音楽:オーベール)
スヴェトラーナ・ルンキナ / アレクサンドル・ヴォルチコフ

《ロシアの踊り》
(振付:ゴールスキー / ゴレイゾフスキー、音楽:チャイコフスキー)
ウリヤーナ・ロパートキナ

《海賊》よりパ・ド・ドゥ 
(振付:チェクルィギン / チャブキアーニ、音楽:ドリゴ)
アンナ・ニクーリナ / ミハイル・ロブーヒン


≪第3部≫
《パリの炎》よりパ・ド・ドゥ
(振付:ワイノーネン / ラトマンスキー、音楽:アサーフィエフ)
ナターリヤ・オーシポワ / イワン・ワシーリエフ

《ジゼル》よりパ・ド・ドゥ (振付:プティパ、音楽:アダン)
エフゲーニヤ・オブラスツォーワ / アレクサンドル・セルゲーエフ

《プルースト~失われた時を求めて》より 囚われの女
(振付:プティ、音楽:サン=サーンス)
スヴェトラーナ・ルンキナ / アレクサンドル・ヴォルチコフ

《ファニー・パ・ド・ドゥ(ザ・グラン・パ・ド・ドゥ)》
(振付:シュプック、音楽:ロッシーニ)
ウリヤーナ・ロパートキナ / イーゴリ・コールプ

《ドン・キホーテ》よりパ・ド・ドゥ
(振付:プティパ / ゴールスキー、音楽:ミンクス)
ガリーナ・ステパネンコ / アンドレイ・メルクーリエフ

《白鳥の湖》より黒鳥のパ・ド・ドゥ 
(振付:プティパ、音楽:チャイコフスキー)
ヴィクトリア・テリョーシキナ / レオニード・サラファーノフ

指揮:パーヴェル・クリニチェフ
演奏:ロイヤルメトロポリタン管弦楽団

2010/10/30

【オペラ】空席が多くてもったいにゃい 新国立劇場「アラベッラ」

Img_0600 にゃん子「今夜のオペラはなんだっけ?」
 ぽん太「う〜ん、『アラベッラ』て書いてあるよ」
 にゃん子「なにそれ?」
 ぽん太「なんか、イタリア語っぽいな〜。イタリアオペラかな?」

 といった程度の予備知識で行ったのですが、実際に観てみたらとてもすばらしく、ラストシーンでは思わずウルウルしてしまいました。思わぬ拾い物をして得した気分です。リヒャルト・シュトラウスとホフマンスタールのコンビによる最後の作品なのだそうですが、いまひとつ世間には名が知れていないせいか客席も空きが目立ちましたが、実にもったいなく、また熱演した出演者にも申し訳なく思いました。写真は、ぽん太が今年のGWに訪れた、『アラベッラ』が1933年に初演されたドレスデン国立歌劇場です。新国立の公式サイトはこちらです。
 あらすじは上のサイトにも出てるので省略。一見たわいないラブコメ風ですが、実によくできてます。
 享楽的なウィーン社会で暮らすヴァルトナー伯爵一家と、正直だが無骨で荒々しいハンガリー(?)の大地主マンドリカの対比が面白いです。ヴァアルタトナー伯爵は破産寸前というのに賭けトランプに熱中し、伯爵夫人は占いにはまってます。娘二人を社交界にデビューさせるだけのお金がないので、妹は男装させられて男として育てられています。一家の命運は、長女が玉の輿に乗れるかどうかにかかておりますが、彼女は若者たちとの恋の遊戯にご満悦です。一方マンドリカは、広大な土地を持つ田舎者。アラベッラの写真に魅せられて、血塗られた手紙を携えて、はるばるやって来たという怪しい男。正直・実直だけどウィーン人のエレガントさはなく、無骨で激高しやすい男です。
 彼らのもろもろの思惑が交錯し、誤解が誤解を生んで話しが展開して行くのですが、そこは省略。ついに第三幕で、最悪の状況に至ります。この場面の救いのなさ、恥辱、絶望は、計り知れないものがあります。歌舞伎だったら何人か死なないと収まりのつかない状況です。マンドリカがマッテオを殺し、次いでズデンカが自害しながらすべてを告白、それを聞いてマンドリカも自害、といったところでしょうか?
 そして有名な、アラベッラが一杯の水を手に階段を下りてくるシーン。こんなシンプルな場面が深い感動を与えるなんて、本当にリヒャルト・シュトラウスとホフマンスタールの才能はすごいです。
 一般にこの場面、アラベッラばかりに目が向けられているようですが、一度はドアノブに手をかけながら、立ち去らずに戻って来たマンドリカにも、ぽん太は拍手を送りたいと思います。実際アラベッラは、水で喉を潤したら、なにもかも忘れて深い眠りにつくつもりでした。明日になれば、噂の飛び交うウィーンの街で、何事もなかったかのような振りをして、代わり映えのない生活を続けていくことにったはずです。ところがアラベッラは、ロビーにまだマンドリカがいることに気がつきます。彼女は、まだ望みが残っていることを理解し、水の入ったグラスを片手に階段を降りていきます。
 マンドリカがもし男の面子を大事にしたなら、こんな屈辱的な場所からは一刻も早く立ち去って、二度とウィーンには足を踏み入れないことでしょう。事実マンドリカは、アラベッラの「不実」に対して、当てつけがましい乱行で応えたのでした。しかし今回は「このまま立ち去ってはいけない」という微かな声が、彼の心のなかで聞こえたのでしょう。それが「愛」なのか「希望」なのか明確な形をとってはいなかったけれど、とにかくマンドリカはその声に従ったのです。ぽん太はここにマンドリカの正直さ、純粋さを感じます。ぽん太だったらメンツにとらわれ、意地をはって、ウィーンを直ちに立ち去ったと思います。
 登場人物一人ひとりの善意が行き違って、一度はすべてが破綻してしまいました。しかし最後には、微かな希望がつながり合って、幸福な結末を迎えたのです。

 マンドリカを歌ったトーマス・ヨハネス・マイヤーがよかったです。素朴で実直だけど無骨で荒々しく、まるで熊みたいでした。嫉妬の爆発シーンもすごい迫力で、以前のヴォイツエク役の記憶が生々しいので、見ていてなんだか怖かったです。アラベッラを歌ったミヒャエラ・カウネは、美人ですけど意外と額のしわが目立ち地味な印象。でも、前半でのうぶな小娘のかわいらしさから、ラストシーンの神々しいまでの存在感まで見事な表現力で、芸の力を感じました。ズデンカのアグネーテ・ムンク・ラスムッセンはちょっと地味。ヴェルトナー伯爵の妻屋秀和は声量もあり、コミカルな演技もよかったです。フィアッカミッリの天羽明惠の超絶コロラトゥーラも最高。ぽん太は昨年末に「第九」で聴いたことがあるようですが、よく覚えたないのが情けない。舞台美術もブルーが基調のすっきりしたもので、ホテルにクリムト(1862-1918年)の絵が架かっていたので、原作の1960年代という時代設定よりも、少し現代にシフトしているようです。演出・美術・照明のフィリップ・アルローは、「光の魔術師」と呼ばれているそうですが、それほどでもなかった気がしますが、事業仕分けのせいでしょうか。経歴を見ると、精神医学を目指してストラスブール大学医学部に入学し、演出を手がける一方、十年かけて外科医の資格をとったのだそうです。すごいですね。森英恵(会場に観に来てました)の衣裳も悪くなかったです。指揮とオケに関しては、ぽん太はよくわかりません。


「アラベッラ」
[New Production]
Richard Strauss:Arabella
リヒャルト・シュトラウス/全3幕
2010年10月17日 新国立劇場オペラ劇場

【指 揮】ウルフ・シルマー
【演出・美術・照明】フィリップ・アルロー
【衣 裳】森 英恵

【ヴァルトナー伯爵】妻屋秀和
【アデライデ】竹本節子
【アラベッラ】ミヒャエラ・カウネ
【ズデンカ】アグネーテ・ムンク・ラスムッセン
【マンドリカ】トーマス・ヨハネス・マイヤー
【マッテオ】オリヴァー・リンゲルハーン
【エレメル伯爵】望月哲也
【ドミニク伯爵】萩原 潤
【ラモラル伯爵】初鹿野 剛
【フィアッカミッリ】天羽明惠
【カルタ占い】与田朝子

【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

2010/10/28

【歌舞伎】仁左衛門の盛綱 2010年10月新橋演舞場夜の部

 本日は夜の部を観劇。松竹の公式サイトはこちらです。
 今回のお目当ては何といっても仁左衛門の盛綱による「盛綱陣屋」でしょう。確かにすばらしいできだったと思うのですが、なぜだかわかりませんがぽん太はこの演目は、感情移入しにくいところがあります。孫でもできるとまた違うのでしょうか。
 で、その孫に切腹を迫る微妙の役は秀太郎。ホントに品がいい優しいおばあちゃんで、小四郎可愛いやという気持ちを押し殺して厳しく切腹を迫るというより、言ってるそばから泣いちゃう感じでした。心理描写が得意な仁左衛門、盛綱役に疎漏があるはずがありません。首実検の場も見事でした。我當の時政が、まるで「スターウォーズ」にでも出てきそうな人間離れした迫力でした。三津五郎が注進というごちそう。
 
 「どんつく」は常磐津にのせた滑稽で楽しい舞踊ですが、豪華な配役でした。親方鶴太夫の團十郎が、バチとバチがくっついて見える仕草をしたり、ジャグリングをしたり、太神楽花籠鞠を披露したり(最後の1個は2回失敗して、手で直接入れて笑いを取ってました)と大活躍。何でもできるんですね。ぽん太は踊りはよくわかりませんが、三津五郎の踊りはなんかよかったです。座って見ている巳之助が、微かに首を振ったりして、懸命に父の踊りを目に焼き付けている風だったのが印象的でした。

 ラストは『艶容女舞衣』より「酒屋」。ぽん太は初めてみる演目でした。お園の福助が、変なところがちっともなくてよかったです(失礼な褒め言葉でごめんなさい)。あんまり顔で演技しないで無表情でやった方がいいのかも。一本気っぽい竹三郎の茜屋半兵衛と、物腰やわらかな我當の宗岸がともによく、特に竹三郎は吉弥とともに、上方の雰囲気を醸し出していました。最後の福助の半七と孝太郎の三勝も情緒がありました。
 帰り際ににゃん子がひとこと。「なんで浮気して子供作って勝手に出てった男が、みんなからあんなに同情されるの?」そ、そりゃそうだ……。


新橋演舞場
錦秋十月大歌舞伎
平成22年10月 夜の部

一、近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)
  盛綱陣屋
           佐々木盛綱  仁左衛門
           高綱妻篝火  魁 春
            信楽太郎  三津五郎
            伊吹藤太  錦之助
           盛綱妻早瀬  孝太郎
             四天王  男女蔵
             四天王  宗之助
             四天王  薪 車
             四天王  亀 鶴
            竹下孫八  進之介
          古郡新左衛門  友右衛門
           盛綱母微妙  秀太郎
            北條時政  我 當
          和田兵衛秀盛  團十郎


  七世坂東三津五郎 五 十 回忌
  八世坂東三津五郎 三十七回忌追善狂言
  九世坂東三津五郎 十 三 回忌
二、神楽諷雲井曲毬(かぐらうたくもいのきょくまり)
  どんつく
           親方鶴太夫  團十郎
          荷持どんつく  三津五郎
             門礼者  梅 玉
             白酒売  魁 春
              芸者  福 助
             太鼓打  巳之助
              子守  小 吉
             太鼓持  錦之助
             太鼓持  秀 調
             田舎侍  左團次
              大工  仁左衛門

三、艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)
  酒屋
           お園/半七  福 助
              三勝  孝太郎
           半兵衛女房  吉 弥
             半兵衛  竹三郎
              宗岸  我 當

2010/10/27

【歌舞伎】荒事の團十郎の滑稽な道玄 2010年10月新橋演舞場昼の部

 松竹公式サイトの今月の歌舞伎の情報はこちらです。
 最初はぽん太の苦手とする真山青果ですが、やっぱりダメでした。ちまたでは「台詞劇」などといわれて評価されているようですが、身体を使った「演技」で表現するのでなければ、わざわざ舞台で役者が演じる必要がないのでは。ラジオドラマならいいと思いますが。
 例えば小周防が、秘密を言えば愛する畠山重保が救われると聞き、それなら打ち明けようかと迷い出すシーン。それに気付いた畠山重保は、最初はが口を割らないよう小周防に伝えようとし、ある時点で小周防を斬り捨てる決意をするのでしょうが、立ち上がって頼家やそのほかの人たちの面前で心情を述べ、そのあとでおもむろに小周防を斬るのでは、アクションになりません。心情の変化を演技で表現するとか、あるいはいきなりばっさり斬って観客があっけにとられたところで理由を述べるとかではないでしょうか。
 ということで、皆さんそれぞれ熱演でしたが、細かい感想はなし。

 次いで三津五郎と巳之助の「連獅子」。素人目にも三津五郎の踊りのうまさに目が行ってしまいます。毛振りも息があっていましたが、最後にターボがかかったところで、巳之助がただぐるぐる回すだけになってました。

 ということで、「加賀鳶」が一番楽しめました。
 以前のブログで書いた加賀鳶の服装、今回はじっくりと見てみました。まず以前のブログを引用すると、

 さて、鳶の頭の服装は、大きく染め出された雲に稲妻が交差するという派手な長半纏(ながばんてん)に、背中に斧を交差させた紋を白抜きで染めたネズミ色の革羽織を着て、ネズミ色の股引に白紐の脚絆を、青縞の足袋を履いていたそうです。手には手鍵という小型の鳶口を持っていたそうですが、これは実践用というよりは指揮用だったようです。
 また、平鳶は、そろいの半纏に青縞股引、白紐の脚絆、青縞の足袋、茶色の革羽織を着ていたといいますから、鳶頭とほぼ同じ服装でしょうか?股引がネズミ色じゃなくて青縞なのは、ホントか誤植か?髪型は半締という海老の腰のような形で刷毛先を散らしていたといいますが、これもよくわかりません。鳶口の長さは五尺(1.5m)と鳶頭よりも長いようでした。
 まず鳶頭ですが、雲に稲妻の長半纏はその通り。また斧を交差させた門を白抜きで染めた羽織を着てましたが、色は黒だったような。また革ではなくて布製でした。舞台衣装として布で作ってあるけど、革を表しているのかもしれませんが。ネズミ色の股引に白い脚絆はその通りでしたが、足袋は黒だったように思うのですが、ひょっとしたら青縞(濃い藍色)だったのかも。鳶口の長さは短かったです。平鳶は、同じく雲に稲妻の長半纏ですが、股引はネズミ色。白い脚絆に白い足袋。羽織は茶色の布製ですが、先ほどと同じように革を表しているのかも。鳶口は長かったです。マゲはマサカリのように先端が縦に細長くなっておりました。引用の「海老の腰のような形」というのは、よくわかりませんね。別に先端は散らしてなかったようです。次に見たとき、さらに目を凝らして見てみます。
 木戸前は、團十郎の梅吉、仁左衛門の松蔵で、ともに威勢が良くてイナセでかっこ良かったです〜。
 道玄に変わってからの團十郎は、しゃべり方が『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造みたいでおかしかったです。團十郎は荒事の迫力はすごいけど、ちょっと不器用なところもあると思うのですが、「真面目に」こっけいな演技をしているのが、好感が持てました。福助のお兼と互角に立ち向かうというか、こい〜演技の福助といいコンビだったのには驚きました。以前に観た菊五郎の道玄は、世話物っぽく自然に演じながら面白いという感じでしたが、團十郎のはデフォルメされたおかしさでした。右之助の女房おせつがきっちりした演技で芝居をしめていました。
 ところで道玄が伊勢屋与兵衛を強請るところで引き合いに出すお半長右衛門の心中話、ぽん太は知りませんでしたが、ぐぐってみるとはは〜ん、妻も仕事も持ついいおじさんが、いたいけな少女とのっぴきならない関係になるという意味で、引き合いに出されるようですね。例えばこちらの京都新聞のページをどうぞ。
 「加賀鳶」の道玄、海老蔵で見てみたいです。きっとおもしろいぞ。
 

新橋演舞場
錦秋十月大歌舞伎
平成22年10月 昼の部

一、頼朝の死(よりとものし)
             源頼家  梅 玉
          尼御台所政子  魁 春
            畠山重保  錦之助
             小周防  孝太郎
            別当定海  男女蔵
         別当慈円坊祐玄  亀 鶴
              音羽  歌 江
            藤沢清親  市 蔵
            榛谷重朝  門之助
            中野五郎  右之助
          小笠原弥太郎  秀 調
            大江広元  左團次


  七世坂東三津五郎 五 十 回忌
  八世坂東三津五郎 三十七回忌追善狂言
  九世坂東三津五郎 十 三 回忌
二、連獅子(れんじし)
    狂言師右近後に親獅子の精  三津五郎
    狂言師左近後に仔獅子の精  巳之助
             僧遍念  門之助
             僧蓮念  秀 調

三、盲長屋梅加賀鳶
  加賀鳶(かがとび)

  本郷木戸前勢揃いより
  赤門捕物まで
      天神町梅吉/竹垣道玄  團十郎
           女按摩お兼  福 助
          春木町巳之助  三津五郎
             魁勇次  錦之助
           虎屋竹五郎  進之介
            磐石石松  男女蔵
          昼ッ子尾之吉  巳之助
              お朝  宗之助
           御守殿門次  薪 車
           数珠玉房吉  亀 鶴
          金助町兼五郎  市 蔵
            妻恋音吉  門之助
         道玄女房おせつ  右之助
            天狗杉松  秀 調
          伊勢屋与兵衛  家 橘
          御神輿弥太郎  友右衛門
            雷五郎次  左團次
           日蔭町松蔵  仁左衛門

2010/10/25

【歌舞伎・文楽】「仮名手本忠臣蔵」六段目の勘平は成仏したのか?

 「仮名手本忠臣蔵」の五段目・六段目は、いわゆるお軽・勘平の物語で、切腹した勘平がこと切れるところでラストとなります。先日のブログで書いたように、歌舞伎を見慣れたぽん太は、腹を切った勘平が、「ヤア仏果とは穢らわしや。死なぬ死なぬ、魂魄この土に止まって、敵討ちの御供なさで措くべきか」と、成仏を拒否して怨霊となることを宣言したため、勘平を義士の一人に加え、連判状に血判を押させることで、勘平を成仏させる、という話しだと理解しておりました。ところが文楽で五段目・六段目を観たところ、連判状に血判を押した後に、勘平が「魂魄この土に……」という台詞を言っており、これでは勘平は成仏せずに怨霊となってしまうことになるので、ぽん太はわけがわからなくなってきたのです。

 では、いったいオリジナルの台本はどうだったんだろう、ということになるのですが、現在歌舞伎で演じてる脚本にほぼ近いものがを『仮名手本忠臣蔵 (歌舞伎オン・ステージ (8))』[1]で読むことができ、その底本は「早稲田大学演劇博物館所蔵本」で、そこには「明治廿四年六月大吉日」という年記があるそうです。この脚本では現行の歌舞伎どおり、「怨霊この土に……」の台詞のあとに血判という順序になっております。

 次に岩波文庫の『仮名手本忠臣蔵』[2]を見てみると、定本は「七行九十八丁本」の再版本と書いてあります。「七行九十八丁本」が書かれたのは、ぐぐってみると寛延元年(1748年)のようで、「仮名手本忠臣蔵」が大阪の竹本座で人形浄瑠璃として初演されたのが寛延元年8月14日からですから、オリジナルの脚本とみていいのでしょう。ちなみに歌舞伎での初演は同じ寛永元年の12月1日だそうで、人形浄瑠璃の初演からわずか4ヶ月で、歌舞伎に移し替えられたことになります。

 で、岩波文庫版によれば、勘平は先に義士の連判状に血判を押します。そしてその後、「アヽ佛果とは穢はし死ぬ死ぬ。魂魄此土にとゞまつて。敵討の御供すると」の台詞という順序になっておりました。

 そうか、やっぱり勘平は、成仏せずに怨霊になるのが正しいようです。ぽん太は完全に間違っておりました。ああ、恥ずかしや。

 

 よく指摘されているように、この勘平の台詞は、塩冶判官が切腹の前に言った「生き変わり死に変わり、鬱憤晴らさで措くべきか」という台詞と関連しております。塩冶判官は切腹に当たって、成仏せずに怨霊となって恨みを晴らすことを宣言したわけで、勘平もまた怨霊となってそれに加わったわけです。塩冶判官の怨霊は、義士たちが仇討ちを成し遂げることで成仏したと考えられます。では勘平の怨霊はどうなったのでしょうか。

 現行の歌舞伎の十一段目は、討ち入りで小林平八郎が池の上で派手はでしく立ち回ったのち、両国橋の場面で終わりとなります。これまでの重厚な舞台から一変して、活劇調のチャンバラになるこの討ち入りシーンは、ぽん太は好きではありません。前に書いた『仮名手本忠臣蔵 (歌舞伎オン・ステージ (8))』では、この台本は「付録③」として掲載されており、明治十年五月に東京春木座で上演した『忠臣蔵年中行事』(三代目河竹新七作)が元になっているという注釈があります。しかし底本の台本は全く別の結末となっており、高師直を討ち取ったあと、その場で由良之助が懐から塩冶判官の位牌を取り出し、順に焼香を始めます。岩波文庫版も同じような結末となっているので、この結末がオリジナルだったと考えられます。

 この台本によれば、義士たちは、どういう順番で焼香をするか、お互いに譲り合いを始めます。結局、高師直を最初に見つけた矢間重太郎が最初に焼香をします。次は由良之助ということになるのですが、由良之助は自分より先に焼香すべき者がいると言い出します。ここは『仮名手本忠臣蔵 (歌舞伎オン・ステージ (8))』から引用しましょう。

皆々 誰れ人。

 〽と問えば、大星懐中より、碁盤縞の財布取り出し、

 (ト由良之助、六段目に用いし財布を出して)

由良 これぞ忠臣二番目の焼香、早野勘平がなれの果て。その身は不義の誤りから、一味同心も叶わず、せめては石碑の連中にと女房売って金調え、その金ゆえに舅は討たれ、金は戻され、詮方なく腹切って相果てし、その時の勘平が心、唯無念にあろう、口惜しかろう。金戻したは、由良之助が一生の誤り。不便な最後を遂げさせたと片時忘れず、肌放さず、今宵夜討ちも財布と同道。平右衛門、そちがためには妹聟、焼香させよ。

 〽とさし出せば、ハヽヽ、はっと押し戴き戴き、

平右 草葉の陰より、唯有難う存じましょ。冥加にあまる仕合わせにござりまする。(ト思い入れ)

 〽財布を香炉の上に載せ、

> 二番の焼香早野勘平重氏。

 〽高らかに呼ばわりし、声も涙に震わすれば、列座の人も残念の、胸も張り裂くばかりなり。

 (ト皆々、じっと思い入れ)

 由良之助は懐に、勘平ゆかりの縞の財布を入れたまま討ち入ったのであり、また師直を発見した功労者矢間重太郎の次、由良之助よりも先に、勘平に焼香をさせたのです。これによって勘平の怨霊も鎮められ、成仏したことでしょう。

 ところが現行の十一段目の台本ではこの部分がないので、勘平は怨霊のまま迷い続けることになります。また近年では、五段目・六段目が独立して上演されることも多く、この場合も勘平は成仏しないことになって、芝居の後味が悪くなります。そこで場合によって、ぽん太が仁左衛門の不破数右衛門で見たように、義士に加わることを許され、連判状に血判をしたことで、勘平は成仏したという演出が行われるのかもしれません。

 

【参考文献】
[1] 『仮名手本忠臣蔵 (歌舞伎オン・ステージ (8))』服部幸雄編著、白水社、1994年
[2] 『仮名手本忠臣蔵』守随憲治校訂、岩波書店、1937年。

2010/10/24

【温泉】両隣の客に悩まされたけど旅館はいいよ 小谷温泉山田旅館(★★★★)

 火打山・焼山・妙高山で紅葉を楽しんだぽん太とにゃん子は、笹ヶ峰から杉野沢林道を西に向かい、乙見山峠を越え、妙高小谷林道を経て、小谷温泉へと抜けました。未舗装ですがフラットな林道で、乙見山峠付近は紅葉がきれいでした。この道は通行止めになることがあるので、通ってみたい方は事前確認を忘れずに。
 で、今宵の宿は小谷温泉山田旅館(おたりおんせんやまだりょかん)です。公式サイトがなさそうなので、@nifty温泉のページにリンクしておきます。実はぽん太とにゃん子は、以前に雨飾山に登った時に、この旅館に泊まったことがあるので、今回は再訪となります。
Img_2191 山田旅館は、古い木造の建物が美しいです。写真は大正時代に建てられた「新館」です。
Img_2190 何やらいい感じの看板が。「獨逸萬國霊泉博覧會出泉」とあります。なんでもドイツで開催された温泉博覧会に、別府・登別・草津とともに、日本代表として出泉されたのだそうです。
Img_2233 そしてこちらが、もともと江戸時代に造られたという本館です。3階部分は大正時代に増築されたとのこと。これらの建物を含む7棟が国の登録有形文化財に指定されています。いわゆる歓楽温泉街の華やかさはありませんが、山中の湯治場の雰囲気が漂います。
Img_2197 本館1階です。障子の白が落ち着いた木の色によく映えます。
Img_2229 帳場の横には、囲炉裏のある古めかしい部屋もあります。
Img_2207 アメニティーの整った別館もありますが、ぽん太とにゃん子は、迷わず古い本館の部屋を選択。廊下との境は障子だけ。となりの部屋との境も、一部は襖だったりします。
Img_2227 廊下にはめ込まれていた漆喰の看板。もともとは外壁に設置されていたものでしょう。
Img_2225 新館の柱に施された象眼の装飾。見事です。
Img_2223 さて、温泉に参りましょう。こちらが新館にある元湯の入り口です。
Img_2210 こちらが浴室です。正面奥の小部屋のようなところの天井からお湯がどぼどぼと注がれております。打たせ湯として使うこともできるようです。なかなかの湯量です。もちろん源泉掛け流し。無色透明ですが、浴槽にためていると少し濁ってきます。泉質はナトリウム炭酸水素塩泉、泉温45度、少し鉄っぽい味がします。写真右側には、寝湯が見えます。床には滑り止めが敷き詰めてあり、本来の美しいタイルの模様が見えないのが残念です。
Img_2216 廊下に貼ってあった昭和29年の温泉分析表。効能の筆頭に「ヒステリー及び神経衰弱殊に頭部充血の傾向あるもの」と書かれているのが、精神科医のぽん太にはうれしいです。「頭部充血の傾向」というのがどんな病状を指しているのか、よくわかりませんが……。
Img_2202 こちらは別館から行くもうひとつの風呂です。ガラスの右側が……
Img_2201 露天風呂になっております。普通に気持ち良い浴室ですが、やはり元湯のレトロな雰囲気にはかないません。
Pa130257 こちらが夕食です。山小屋2泊のあとですから、ありがたや、ありがたや。地元の食材を用いたおいしいお料理でした。日本海にも近いので、お刺身もいけます。この時期、キノコが何種類も使われていておいしかったですが、混んでて仲居さんが忙しそうで、ゆっくり料理の説明を聞けなかったのが残念です。またこれも混んでいたせいかもしれませんが、魚の塩焼きや天ぷらなどが冷えきっていたのも残念でした。
Img_2218 小谷温泉の夜も更けて、静かに眠りに……つけるとよかったのですが、両隣の客のあまりのうるささに、なかなか眠れませんでした。先ほども書いたように、隣との境は薄い壁一枚、襖一枚なのです。片側は、小学生ぐらいの二人の子供と夫婦の四人連れ。テレビゲームでもやっているのか、昼のうちから「やったー」とか「すげー」とかの歓声が数分おきにあがってましたが、夕食後になっても止まりません。ご両親もたしなめるどころか一緒になって奇声を発しています。反対側は若い夫婦ですが、テレビのお笑い番組を大きな音でかけながら、大声で笑ったり話したりしていました。テレビを見るなとはいいませんけど、夜も更けたら音量を絞るとか、小声で会話するとかして欲しいです。「もう寝るので少し静かにしてください」と言いたかったですが、下手なことを言うと殺されかねない昨今。そこまでいかなくても、入り口に鍵もない部屋ですから、意地悪されると嫌なので、泣き寝入りしました。この夫婦は雨飾山にでも登るのか、翌朝も早朝から大声で話しながら準備をして、騒がしく出かけていきました。
 この日の山田旅館は平日にもかかわらずけっこうな賑わいだったようです。ぽん太とにゃん子はもちろん静かで落ち着いた宿が好みですが、あまり客が少なくて宿がつぶれてしまっても困ります。しかし大勢の客のなかにマナーをわきまえない人たちが混ざっているのも困ります。しかも、注意をしてマナーを伝承していくというシステムが機能していないわけですから、空いている落ち着いた旅館はつぶれ、賑わう旅館は客層が低下するという「温泉崩壊」は、今後ますます進んでいくのかもしれません。
Img_2221 朝食です。いわゆるシンプルな旅館の朝食ですが、素材がいいのでおいしゅうございました。
 湯治の雰囲気を残す美しい木造の建物、源泉掛け流しの温泉、地元の素材のおいしい料理などが高く評価され、ぽん太の評価は4点です。お客さんの問題は、今回の評価の対象にはしておりません。

2010/10/23

【登山】黒沢ヒュッテ再訪 火打山・焼山・妙高山(2)

Img_2123 2日目は黒沢池ヒュッテに泊まりました。ドーム型の面白い形をしています。
 ここはぽん太とにゃん子にとって、思い出深い山小屋です。だいぶ以前の体育の日の連休に、この黒沢池ヒュッテに泊まったことがあるのですが、風雨に苦しめられたあげく、山小屋は大混雑でした。二階を男部屋、三階を女部屋として、登山客がぎっしりと詰め込まれました。布団4枚で15人が寝ることになりましたが、これがぽん太の山小屋混雑最高記録です。どうやって寝るか、夕食が終わってから話し合うことになったのですが、「皆同じ方向を向いて体育座りをしたらどうか」などと言う人もいました。俺たちゃペンギンかい。結局互い違いに寝ることになったのですが、仰向けに寝るスペースはなく、一晩中横向きでした。なかには通路で寝ている人もいたのですが、人いきれが結露して天井からぽたぽた水が垂れて来るらしく、「いかん、雨具を着ろ!」とか言って、水滴を受けながら寝てました。まさに地獄絵図でした。翌日はうってかわって快晴で、妙高山の山頂でどこかのおじさんが「わ〜すごい、365度の大展望だ!」などと叫んでいるのを聞き(360度ですよね)、「ああ、かわいそうに、錯乱しているな」と思ったものです。
 さて、今回は空いていたので、前回の混雑がまるで嘘のようで、広々と快適に寝ることができました。それに横に新しい建物が造られているようで、ピーク時も昔のようには混まないのかもしれません。
Pa120169 夕食です。おかわり自由のポタージュスープがついて、おいしかったです。この山小屋、サービスは全然悪くないのですが、従業員がおじさんばかりで、応対がざっくりしております。なんか漁船のような雰囲気でした。
Pa130172 名物の朝食クレープ食べ放題は、以前に泊まった時と同じでした。
 なお黒沢池ヒュッテの水は、そのままでは飲用不可です。自分で煮沸して飲むか、あるいはペットボトルの水(500mlで400円!)を購入する必要があります。翌日妙高山に登る人は、宿から1時間弱のところに水場がありますが、宿の人は水が出ているかどうか把握していないようでした。今回は水量は豊富でしたが、ひょっとしたら昨日の朝まで雨が降っていたせいかもしれません。妙高山から下山して来たひとに、確認しておくといいでしょう。
Img_2133 朝日の射し始めた長助池です。
Img_2141 雲がかかってきて365度(笑)の展望はありませんでしたが、北アルプス方面がよく見えました。写真は白馬から鹿島槍にかけての稜線。正面奥に剱岳が顔を出しています。
Img_2156 来た道を、黒沢池ヒュッテまで戻ります。
Img_2172 振り返ると妙高山山頂は、雲に覆われていました。まるで入道のように、ぬっと立っております。
Pa130229 黒沢池を眺めながら、お弁当にしました。レトルトご飯2種です。
Img_2176 黒沢岳の斜面。ダケカンバの白い幹が、図案のようで美しかったです。

2010/10/22

【登山】美しい紅葉と、登山規制が解除された焼山登頂 火打山・焼山・妙高山(1)

Img_2059
 この時期は紅葉の美しい山に行きたいところですが、ここぞという山が思い浮かびません。あれこれ調べているうちに、上越の焼山の登山規制が解除されていることを知り、行ってみることにしました。焼山は、妙高・火打に連なる山で、ドーム型のいかにも火山という姿が立派ですが、1974年に噴火して以来、長く入山禁止となっていました。2006年12月4日にようやく規制が解除されたそうです。当初は杉野沢橋から入って富士見峠を経て登るコースも考えましたが、日程の関係で、高谷池から往復することにしました。9時間以上の行程になりそうですが、今年は山に行く機会が多く、風前の灯火と言えそうな近年にない体力がついているので、きっと大丈夫でしょう。

【山域】上越
【山名】焼山(2400.3m)、火打山(2461.8m)、妙高山(2454m)
【日程】2010年10月11日〜13日(2泊3日)
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】(10/11)曇り時々晴れ、(10/12)晴れ時々ガス、(10/13)晴れ
【ルート】(10/11)笹ヶ峰11:45…高谷池ヒュッテ14:55(泊)
(10/12)高谷池ヒュッテ6:05…火打山7:30…焼山9:50…火打山13:20…黒沢池ヒュッテ15:25(泊)
(10/13)黒沢池ヒュッテ5:50…妙高山8:00…笹ヶ峰14:00

(※大きい地図や標高グラフは、「山行記録のページへ」をクリック)
【マイカー登山情報】笹ヶ峰 に広い駐車場がある。妙高I.C.から車で笹ヶ峰 に向かうと、笹ヶ峰 グリーンハウスのあたりに「火打山登山口」という表示があるが、これは笹ヶ峰一周歩道の入り口なので、惑わされないように。
 また、笹ヶ峰から小谷温泉に抜ける杉野沢林道・妙高小谷林道は、通行止めになりやすいので、事前確認が必要。

Img_1997 紅葉は標高1500メートルあたりまで降りて来ていました。今年の夏は猛暑でしたが、そのあと急に冷え込んだせいか、色づきはなかなかよかったです。
Img_1999 ブナの林も黄色と緑色の配色がきれいでした。
Img_2008 三角屋根の高谷池ヒュッテは、あいかわらず完全予約制。連休明けの平日でしたが、けっこう多くの登山者が泊まってました。新しくバイオトイレができたようですが、使用したちり紙は各自持ち帰りです。
Img_2016 夕暮れの高谷池。火打・影火打・焼山と連なる山並みです。
Img_2024 雲海の向こうに北アルプスが見えます。写真は白馬山付近です。

Pa110061 夕食も昔と同じくレトルトのカレーとハヤシライスです。ご飯を真ん中に盛り、両側にルーを入れるのがコツです。2泊する場合は、1日目をカレー、2日目をハヤシにするなど工夫しましょう。食べ放題だし、味もおいしいです。なお、山小屋で買ったビールの缶も持ち帰りです。厳しいですけど、その分宿泊料金が安いので仕方ないか……。
Pa120068 朝食の中華丼も定番ですね。さて、本日は行程が長いので、朝食を食べたらすぐ出発です。
Img_2033 天狗ノ庭の草紅葉も美しかったです。
Img_2043 ナナカマドの赤い実が目にしみるようでした。
Img_2050 雲の浪に飲み込まれそうになっている黒姫山です。
 今日の行程は長いので、以前に登ったことのある火打山山頂は通過。火打山と焼山は標高はほぼ同じで、水平距離も近いのですが、間にある胴抜切戸まで400メートル下り、焼山までまた400メートル登り返さなければなりません。帰り道もまた400メートル下ってから、火打山まで400メートルの登りかえしです。火打山山頂から焼山まで往復約6時間かかります。ぽん太とにゃん子は、行きはいいペースで歩いていたのですが、だんだん疲れが出て減速し、最終的にはやはり6時間かかりました。
Img_2090 胴抜切戸あたりから見た紅葉です。火打山から先、道ははっきりしていて迷うことはありません。薮もきちんと刈ってあって、問題ありませんでした。ただ、火打からの下りは途中から急になってきます。また焼山の登りも、あのドーム型の山をほぼ直登するので、相当な急坂でした。
Img_2085 遠くから見るとドーム型ですが、山頂付近はけっこうゴツゴツしてます。こちらは噴火口の跡でしょうか。
Img_2082 山頂付近から、いまでも噴煙が上がっています。遠くの雲とかぶってますが、四角い岩の向こうから上に向かって蒸気が上がっているのがわかるでしょうか?
Img_2076 山頂から西を望む。右奥にあるのが雨飾山です。
Img_2086 西から見た火打山です。またあそこまで戻らなければなりません。
Pa120127 山頂で昼食です。高谷池ヒュッテのお弁当は、レトルトのお赤飯にごま塩と漬け物。みそ汁は自前です。
Img_2112 火打山山頂まで戻って来たところで、ライチョウ君とご対面。胸に発信器をつけております。
 ところで皆さんは、ライチョウが飛ぶかどうか知ってますか。正解は飛びます。写真のライチョウは、このあと飛んで逃げて行きました。
 ちょうどこの日、どこかの学校のライチョウの生態調査隊が入っていて、ライチョウを見つけて足輪の確認をしたりしていました。いつもならこの時期、ライチョウが20匹ぐらいの群れになるのだそうですが、今年はまだ群れを形成していないそうです。
 高谷池ヒュッテを通り過ぎ、この日は黒沢池ヒュッテに宿泊。ここから先は稿を改めます。

2010/10/21

【バレエ】オデットの哀しみが現代に甦る オーストラリア・バレエ団「白鳥の湖」

 オーストラリア・バレエ団の「白鳥の湖」、み・て・き・ま・し・たっ。とってもよかったです。なんか、「故ダイアナ妃をモデルにした」みたいなあおりで前宣伝してたので、女子供向きのメロドラマかとたかをくくっていたのですが、いや〜実にすばらしかったです。ホントにお見それいたしました。ちなみにこちらが公式サイトです。
 この「白鳥の湖」は3年前の来日公演でも大好評だったそうで、その時に散々語られているのでしょうから、いまさら驚いてあれこれ書くのも気恥ずかしいですけど、まあ勘弁してつか〜さい。

 グレアム・マーフィーの演出は、たんなる新振付けではなく、かなり自由な翻案です。それでいて、プティパ版(と、それを元にした他の振り付け)を踏襲すべきところは踏襲しており、まったくの新作ではありません。この、見慣れた「白鳥の湖」との近すぎず遠すぎずの絶妙な距離感が、大変心地よいです。歌舞伎なら「書き換え狂言」といったとこでしょうか。短歌の「本歌取り」、ポストモダン的な「引用」とも言えるでしょう。「男が、裏切って発狂した女性に救われる」という点では「ジゼル」を思い浮かべますし、「振った幼い娘が気高い貴婦人となって再び現れる」という点では「オネーギン」も入ってます。
 ジークフリート王子、オデット、ロットバルト男爵夫人(=ロットバルト+オディール)の三角関係という構造は、変わりありません。しかしジークフリート王子は最初からロットバルト男爵夫人と不倫の関係にあり、オデットとの結婚には愛がありません。
 第1幕のパ・ド・トロワは、この三角関係と、それによって傷つくオデットの心情を、実に見事に表現しておりました。このパ・ド・トロワは、プティパ版でもなんだか女性が余る印象を受けていましたが、それをうまく利用してます。この他にも、第2幕で王子の愛を失ったロットバルト男爵夫人の嫉妬と絶望を表現するロシアの踊りなど、原作とは違う振り付けなのに、原作以上に音楽と合っています。まるで複雑なジグソーパズルのピースがすべてぴたりとはまったかのような、見事な手際です。
 またマーフィー版では、プティパ版で第3幕の黒鳥に使われる曲が、第1幕でジークフリートとオデットによって踊られます。32回転の部分は、あまりの苦しみに心がはじけとんでしまったオデットの踊りとなります。心配して覗き込む人々の間から、いきなりオデットが回転しながら飛び出して来るシーンは印象的でした。また、回転しながら位置を変えて行くテクニックも見事でした。
 黒鳥の音楽を第1幕で使うというのは目新しいように見えますが、実はチャイコフスキーの初演版では、黒鳥の音楽は第1幕にありました。その他も今回の音楽は、第一幕のワルツも省略なしのフルヴァージョンだったし、第2幕のパ・ダクシオンの最後に早いパッセージが入っているし、第3幕の入場の音楽など、音楽に関してはむしろ初演版に回帰していた気がします。2,3知らない曲が入っていた気がしたのですが、ぽん太が覚えてなかっただけか?
 第3幕で、プティパ版だと黒鳥がパーティーに乱入して来るところで、純白のドレスを着て白いベールをかぶったオデットが登場するのも衝撃的でした。しかも入り口からではなく、舞台の奥から忽然と現れました。
 第2幕や第4幕の白鳥たちは、オデットの感情の象徴的な表現として使われておりました。第2幕を見ていた時は、いっそのこと精神病院の患者たちの踊りにしたらどうかと思ったりもしたのですが、よく考えたらそれでは「白鳥」の湖ではなくなってしまうし、リアルすぎて詩情がありません。白鳥たちが集まる湖が女性の深い悲しみを表しているという本質的な点を、マーフィー版はしっかりと押さえています。

 マーフィーにはユーモアのセンスもあります。冒頭でいきなり王子がオデットに誓いをたてます。誓うの早っ!しかも妙に背筋を伸ばして。また第1幕の最後は、オデットは精神病院に送られ、王子と男爵夫人が結ばれて終わります。をひをひ、不倫カップルが結ばれて終わっちゃったよ、という感じです。第2幕の四羽の白鳥の踊りも、パロディっぽくておもしろかったです。
 振付けも、古典的なテクニックを踏まえながらも、ダイナミックなリフトの連発や、床の上を滑ると言った目新しい動きがちりばめられておりました。また心理表現にも優れておりました。
 第3幕で、見違えるように自身に満ちた姿で現れるオデットに王子はたちまち魅了され、今度は男爵夫人が孤独と嫉妬に苦しみます。役割を変えてはいますが、第1幕とちょっとかぶっているようにぽん太には思えました。王子がオデットの堂々たる姿に驚き、だんだんと魅了されていくプロセスを描く部分が欲しかったです。
 マーフィーの紡ぎ出した物語は、なぜかわれわれの心を打ちます。オデットは愛のない結婚に傷つき、常軌を逸した行動に走り、精神病院に収容されます。夫の愛を取り戻したものの、彼女の傷ついた心が癒されることはなく、最後は永遠の愛を誓いながらも自ら命を絶ちます。精神病院におけるオデットとジークフリートのパダクシオンは、それが現実ではなく幻想なのに、いや幻想であるからこそ、哀しくも美しく思われます。

 心の奥底から離れない虚無感、あまりに純粋すぎる心、アクティングアウト、解離性の幻覚、自殺未遂。これらはボーダーライン(境界性人格障害)によく見られるものですが、なぜ彼女の悲劇がわれわれを感動させるのか、精神科医でありながらぽん太にはちっともわかりません。実は現代に生きるわれわれすべてが、ボーダーライン的な心性を持ち合わせているのだろうと推測するぐらいです。
 それにしても精神科医と精神病院の扱いってひどいですね。ぽん太が毎日頑張っているのは、こんな仕事なのか……。気持ちが暗くなってきます。それからなんでsanatoriumを「サナトリウム」と訳したいのか。「精神科病院」じゃ生々しすぎるからですかね。
 ダンサーもみな美男美女。オデットのアンバー・スコットの表現力はすばらしかったです。長身のアダム・ブルは、いかにも女性に振り回されそうな男性を好演。男爵夫人のダニエル・ロウは、ねっとりした雰囲気をよく出してました。
 指揮者は女性でした。オケの東京シティフィルも慣れないヴァージョンを見事に演奏。ご苦労様でした。


オーストラリア・バレエ団
「白鳥の湖」(全4幕)
2010年10月10日 東京文化会館

振付:グレアム・マーフィー
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
台本:グレアム・マーフィー、ジャネット・ヴァーノン、クリスティアン・フレドリクソン
装置・衣裳:クリスティアン・フレドリクソン
照明:ダミアン・クーパー

オデット:アンバー・スコット
ジークフリート王子:アダム・ブル
ロットバルト男爵夫人:ダニエル・ロウ

女王:シェーン・キャロル
女王の夫:ロバート・オルプ
第一王女:久保田美和子
第一王女の夫:マシュー・ドネリー
公爵:アンドリュー・キリアン
公爵の若い婚約者:本坊怜子
伯爵:ダニエル・ゴーディエロ
伯爵の侍従:ツ・チャオ・チョウ
提督:コリン・ピーズリー
侯爵:マーク・ケイ
男爵夫人の夫:フランク・レオ
ハンガリー人の踊り:ローラ・トン、ジェイコブ・ソーファー
宮廷医:ルーク・インガム
大きい白鳥:ラナ・ジョーンズ、ダナ・スティーヴンソン
小さい白鳥:リアーン・ストイメノフ、ハイディ・マーティン、
エロイーズ・フライヤー、ジーナ・ブレッシャニーニ
招待客、ハンガリー人、召使い、尼僧、従者、白鳥たち:オーストラリア・バレエ団

指揮:ニコレット・フレイヨン
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
協力:東京バレエ学校

2010/10/17

【歌舞伎】金鯱のごとくきらびやか・御園座の吉例顔見世

 ぽん太とにゃん子は、名古屋の御園座で、歌舞伎を観て来ました。こちらが松竹の公演案内、そしてこちらが御園座の公式サイトです。
 名古屋の御園座は初めてですが、客席も広すぎず、椅子もゆったりしていました。舞台は新橋演舞場などより広いんだそうです。ただ、弁当売場が見当たらず。聞いてみたら、客席内での飲食は禁止で、食事は地下のレストラン外や、近くのお店で済ますのだそうです。ぽん太とにゃん子は、近くできしめんをいただきました。
 もひとつ珍しかったのは、休憩時間ごとに係のお嬢さんが客席にやってきて、勝手に席を移動しているひとを取り締まり、もとの席に誘導していたこと。確かにぽん太とにゃん子も、ちゃっかりいい席に移動して観劇しているっぽいお客さんをしばしば見かけ、二人では「ちゃっかりおじさん」などと呼んでいるのですが、取り締まりを見たのは初めてで、いい悪いは別として、名古屋文化圏の異質性に触れた思いでした。

 さて、演目の感想に移りますが、昼の部は「旭輝黄金鯱」(あさひにかがやくきんのしゃちほこ)の通しがメインで、藤十郎・翫雀の「汐汲」がつきます。
 「旭輝黄金鯱」は、菊五郎の監修により今年の1月に国立劇場で初演されたたものですが、大凧に乗って黄金の鯱の鱗を盗んだという江戸時代の盗賊、柿木金助を主人公としているため、今回名古開府四百年記念として、地元御園座で上演されることになったのだそうです。ぽん太とにゃん子は、国立劇場の時は見なかったので、今回が初見です。
 内容は、御家騒動、出生の秘密、意外な因縁話など、歌舞伎の定番のフル出場で、大凧に乗っての宙乗り、本水を使っての「鯱つかみ」などのけれんもあり、金鯱観世音の滑稽な踊りも楽しめます。楽屋落ちもあり〼。
 菊五郎が、主人公柿木金助で宙乗りもこなし、金鯱観音の一糸乱れぬ千手観音ダンスも披露して大活躍。千手観音は、一階席で見たかったです。菊之助が「鯱つかみ」を演じました。
 歌舞伎フルコースといった演目でしたが、大詰めになってちょっとだれてきた感じもありました。もうちょっとしごころや、ぐっと泣かせる場面なども欲しかったです。

 「汐汲」の藤十郎、遠目に見るととてもかわいらしかったです。

 夜の部最初の「舞妓の花宴」は、時蔵が白拍子姿で踊ります。時蔵はホントに品があって美しいですね。

 次の「伽羅先代萩」は、時間の関係からか「御殿」と「床下」のみで、飯炊きもなし。政岡の藤十郎はさすがの集中力で、登場した瞬間から十二分に気が入っております。しかし見てる方のぽん太は、そんなにすぐに舞台に没入することが出来ず、十分に感情移入する前にクドキになってしまいました。やっぱし「竹の間」があった方がいいな〜。鶴千代の「それ程獄屋へやりたくば政岡が代りにそち行け」や、八汐の「てもマア、よう仕込んだものじゃなあ」も聞きたかったです。
 松緑の初役の仁木弾正が、妖しさ満点でスケールも大きく、好演。

 「身替座禅」は、菊五郎の右京、翫雀の玉の井。菊五郎の右京は何度か見ましたが、何度見てもいいです。あざとく笑いを取ろうとはしないのに、なんともいえぬおかしさがあります。屋敷内の行を勧める千枝と小枝の踊りの最中の憮然とした表情や、花子のもとから戻って来た時の花道の惚けた表情など、絶品です。玉の井にどこに行っていたのか問いつめられて、言いつくろうシーンでは、大須(名古屋にあるお寺)などと言ってサービスしてました。
 翫雀の玉の井も、男っぽく演じて笑わすようなことはせず、ぽっちゃりとして大福餅みたいな可愛らしい奥方でした。
 人間国宝の常磐津一巴太夫の名調子もごちそうでした。

 最後は「弁天娘女男白浪」。これまた何回か観た菊之助の弁天小僧。菊之助は(残念ながら)貫禄が出て来て、男に返ってからの迫力が出てきました。南郷力丸の松緑との掛け合いもよかったです。


御園座
第四十六回吉例顔見世
平成22年10月

昼の部

一、名古屋開府四百年記念
  通し狂言 旭輝黄金鯱(あさひにかがやくきんのしゃちほこ)
  尾上菊五郎大凧宙乗りにて黄金の鯱盗り相勤め申し候

  序 幕(京) 宇治茶園茶摘みの場
         宇治街道の場
  二幕目(尾張)那古野城内大書院の場
         同 天守閣屋根上の場
  三幕目(美濃)笠縫里柿木金助隠家の場
  大 詰(伊勢)御師大黒戎太夫内の場
     (尾張)木曽川の場
         鳴海潟の場

            柿木金助  菊五郎
      乳人園生/金助母村路  時 蔵
            向坂甚内  松 緑
            鳴海春吉  菊之助
           ねりの定八  亀三郎
       太郎作/ころの三蔵  亀 寿
            小田春勝  松 也
              国姫  梅 枝
            娘おみつ  右 近
            山形道閑  亀 蔵
             奴瀬平  権十郎
            腰元関屋  萬次郎
           大黒戎太夫  團 蔵
          石谷歩左衛門  彦三郎
           後室操の前  田之助

二、汐汲(しおくみ)
            蜑女苅藻  藤十郎
             此兵衛  翫 雀

夜の部

一、舞妓の花宴(しらびょうしはなのえん)
          白拍子和歌妙  時 蔵

二、伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)
  御殿
  床下
            乳人政岡  藤十郎
             沖の井  時 蔵
          荒獅子男之助  翫 雀
            仁木弾正  松 緑
              松島  萬次郎
              八汐  段四郎
             栄御前  田之助

三、新古演劇十種の内 身替座禅(みがわりざぜん)
            山蔭右京  菊五郎
            太郎冠者  亀 蔵
            侍女千枝  松 也
            同 小枝  右 近
           奥方玉の井  翫 雀

四、弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)
  浜松屋見世先の場
  稲瀬川勢揃いの場
         弁天小僧菊之助  菊之助
            南郷力丸  松 緑
            忠信利平  亀三郎
           赤星十三郎  梅 枝
            伜宗之助  右 近
          浜松屋幸兵衛  亀 蔵
            鳶頭清次  権十郎
          日本駄右衛門  團 蔵

2010/10/16

【文楽】「仮名手本忠臣蔵」「釣女」平成22年10月地方公演

 文楽というのは、あまり見たことがなく(生まれてこのかた3回目くらい)、はっきり言ってよくわからないのですが、たまにはということで観て来ました。
 演目は「仮名手本忠臣蔵」のおかる勘平と「釣女」で、どちらも歌舞伎では頭に入っているので、理解しやすそうです。
 数年前に文楽を観たときは、前から3列目くらいのすごくいい席だったのですが、人形をじっと見ていて、なんだか文楽ってすごく地味だな〜と思っていて、ふと右を見ると、義太夫さんが汗をかきかき鼻水たらしそうになりながら熱く語っておりました。そうか、文楽ってこっちにも着目しないといけないのか、とようやくわかった次第。今回は席も後ろ目なので、人形と義太夫をバランス良く観る気構えです。
 最初は短い解説がつき、吉田幸助が「汗っかきなので暑いと汗びっしょりになって大変」みたいな話しをし、続いて「仮名手本忠臣蔵」。歌舞伎とどう違うんだろうという観点から見ました、というか、ぽん太にはそれ以外に観点がない。まず気がつくことは、花道がない(あたりまえか)。斧定九郎は、歌舞伎では干してある藁の陰から出てきて一撃で与一兵衛を殺しますが、文楽では「金を出せ」「これは娘を売った大事な金だから勘弁して」みたいなやりとりがあって、格闘シーンとなります。歌舞伎の斧定九郎の現在の演技は、明和3年(1766年)に初代中村仲蔵が初めて演じたものとされていますから、文楽の演出の方が原型なのでしょうか。また、おかるを迎えに一文字屋から来るのは、歌舞伎ではお才と源六の二人ですが、文楽では「一文字屋才兵衛」という男性一人です。その後の話しは歌舞伎と同様に進んで行きますが、勘平が自分の持っている財布と、お才が持って来た財布とを見比べるといった歌舞伎のしどころが文楽ではなく、その他も全体にテキパキと話しが進んで行く印象を受けます。勘平が腹を切るタイミングも、歌舞伎では申し開きを初めて少したち、「打ち留めたるは舅殿」というところでいきなり腹を刺しますが、文楽では申し開きの冒頭で腹を刺します。確かに歌舞伎の演出の方が劇的効果が強く、工夫されているようです。
 もひとつ興味深かったのはラストシーン。今回の文楽では、舅殺しの疑いが晴れた勘平は、仇討ちの連判状に血判を押すことを許されます。その後勘平の「魂魄この土に止まって、敵討ちの御供なさで措くべきか」という台詞があって、息絶えます。千崎弥五郎と原郷右衛門は、母親にお金の一部を与え、懇ろに弔うよう伝えます。
 歌舞伎の場合は順序がちょっと違っていて、勘平の「魂魄……」という台詞が先にあって、その後に連判状への血判となります。
 ぽん太の理解では、「魂魄……」という台詞は、成仏を拒否し、怨霊となってこの世に留まることを宣言する恐ろしい言葉です。それを聞いた不破数右衛門(歌舞伎では原郷右衛門でなく不破数右衛門です)は、「これはいかん、なんとかして成仏させてやらねば」とばかりに連判状に血判を押させます。こうして勘平は仇討ちに加わることが許され、極楽浄土への成仏を遂げるのだと考えておりました。こう理解すると、現世ではいろいろ失敗もし辛い目にあった勘平が、最後は救われるという話しになります。
 しかし文楽の順序でいうと、勘平は怨霊となることを誓ったまま死んでゆき、あとは母親がひたすら供養をするという、救いがなく、恐ろしい話しとなります。
 これも文楽が原型で、歌舞伎が手を加えたものなのでしょうか?そういえば歌舞伎でも、仁左衛門の不破数右衛門は「これはいかん……」といった部分をきっちり演じていますが、それを表現しない役者もいます。歌舞伎でも勘平が怨霊になるという解釈もるのでしょうか?だんだんわからなくなってきたぞ。初演当時の台本はどうだったのでしょう。文楽の方も、明治維新や軍国主義の影響などでオリジナルと変わっているかも。そのうちみちくさしてみたいと思います。

 歌舞伎の「釣女」は踊りの演目で、まさか文楽人形は踊りは踊らないだろうと思っていたら、上手に踊っていたのでびっくりしました。重い忠臣蔵の後で、とても楽しい出し物でした。


人形浄瑠璃「文楽」地方公演
~わかりやすい解説付き~昼夜二回公演
2010年10月3日(日) 昼の部
府中の森芸術劇場ふるさとホール       
 
解説
 吉田幸助

仮名手本忠臣蔵        
 二つ玉の段、身売りの段、早野勘平腹切の段

      二つ玉の段
       <義大夫>竹本津國大夫
       <三味線>鶴澤清丈`
       <胡弓>鶴澤清公
      身売りの段
       <義大夫>竹本千歳大夫
       <三味線>鶴澤清志郎
      早勘平腹切の段
       <義大夫>豊竹呂勢大夫
       <三味線>鶴澤清治
      [人形役割]
       <百姓与市兵衛>桐竹亀次
       <斧定九郎>吉田勘緑
       <早野勘平>吉田玉女
       <女房おかる>吉田蓑二郎
       <与市兵衛女房>桐竹勘壽
       <一文字屋才兵衛>吉田玉佳
       <めっぽう弥八>吉田一輔
       <種ヶ島の六>吉田蓑紫郎
       <狸の角兵衛>桐竹紋吉
       <原郷右衛門>吉田玉輝
       <千崎弥五郎>吉田幸助
       <駕籠屋>大ぜい

釣女
       <義大夫(太郎冠者)>豊竹英大夫
       <義大夫(大名)>豊竹芳穂大夫
       <義大夫(美女)>豊竹靖大夫
       <義太夫(醜女)>竹本三輪大夫
       <三味線>鶴澤清二郎
       <三味線>鶴澤清馗
       <三味線>鶴澤清丈`
      [人形役割]
       <太郎冠者>豊松清十郎
       <大名>吉田幸助
       <美女>吉田一輔
       <醜女>桐竹勘十郎

2010/10/15

【温泉・蕎麦】どれも満点!中房温泉・安曇野ちひろ美術館・安曇野翁

Img_1990 9月16日、雨の中ぼろぼろになって餓鬼岳から下山したぽん太とにゃん子は、中房温泉に宿を取りました。こちらが公式サイトです。
 中房温泉は、以前に常念・燕に登ったときに日帰り入浴をしたことはあるのですが、泊まるのは今回が初めてです。以前は日帰り入浴は登山者のみに限定され、一般の観光客は利用できませんでしたが、その後立ち寄り湯専用の施設が作られ、現在は誰でも利用できるようです。
Img_1978 ぽん太は、中房温泉はこじんまりした山のいで湯だと思い込んでいたのですが、広い敷地に複数の建物を持つ立派な旅館で、とても一泊二日では入りきれないいくつものお湯があります。写真は不老泉。中房温泉は源泉も複数持つようですが、不老泉のお湯はヌルヌル感があって、特に濃いように感じました。
Img_1985 こちらは大浴場。丸太をくり抜いて造られた大きな樋から、これでもかとばかりにお湯が流れてきます。実に湯量が豊富です。もちろんすべて源泉掛け流し。加水しなくてすむように、高温の源泉をうまく工夫して温度調整しているそうです。
Img_1946 建物の裏手です。鄙びていい感じの雰囲気です。建物の周囲にもお湯が点在しております。
Img_1944 こちらがそのひとつの滝の湯。貸し切り露天風呂として利用できます。
Img_1948 こちらは蒸し風呂です。
Img_1953 なんと温水プールまであります。
Img_1965 宿の建物を裏手から見たところです。山小屋風で趣きがあります。
Img_1963 この古い建物には、有名な登山家のウェンストン夫妻も泊まったことがあるそうです。老朽化したためか、現在は使われておりません。
Img_1962 冷たい湧き水に、取れ立ての自家製きゅうりが冷やしてあり、無料でいただくことができます。
 また、裏山を登ると地熱で上記が噴出しているところがあり、卵や芋を埋めて蒸して食べることができるそうなのですが、ぽん太とにゃん子は登山によるひどい筋肉痛のため、残念ながら断念いたしました。
Img_1967 こちらが夕食のスタート時の写真。さらにいくつもの料理が運ばれてきます。新鮮な地元の食材を使ったおいしい郷土料理です。
Img_1972 こちらは朝食。漬け物と卵を焼いて半熟状にしたものを御飯でいただくと、とてもおいしゅうございました。
 建物よし、お湯もよし、食事もおいしかったです。いくつもあるお風呂全部にはとても入りきれなかったので、また泊まって、入り損ねたお湯に入りたいです。これは5点満点でしょう。

Img_1991 安曇野の観光地もだいたい行き尽くしてしまったので、安曇野ちひろ美術館に寄ってみました。こちらが公式サイトです。
 いわさきちひろは、いかにも女子供が喜びそうな絵だと思って、これまで敬遠していたのですが、実際に原画を見てみたら、とてもすばらしかったです。でも、置いてあった絵本を見るとやっぱりだめで、印刷物になってしまうと、鉛筆の微妙な線や、絵の具の細かいグラデュエーションなどが、つぶれてしまうようです。とてもデッサン力がある人だと思いました。また、いわさきちひろが戦後に共産党に入党したことも、初めて知りました。

Img_1994 昼食は安曇野翁でお蕎麦をいただきました。長坂の翁は何度か行ったことがあるのですが、安曇野翁は初めてでした。こちらが公式サイトです。いなかそばは残念ながら品切れで、ざるそばをいただきました。蕎麦の香りが豊かで、まことにおいしゅうございました。
Img_1996 翁の裏手から見た、美しい安曇野の風景です。

2010/10/03

【登山】対照的な二つの山小屋に泊まる 燕岳〜餓鬼岳縦走

 山もいいけど、最後は温泉に泊まりたい。ぽん太とにゃん子は、これまで泊まったことがない中房温泉に目を付けました。とはいえ、燕〜常念の縦走はしたことがあるので、今回は燕から餓鬼岳へ北上することにしました。当初の予定では、最終日は中房温泉まで歩いて下るつもりだったのですが、天気がすぐれずコース変更を余儀なくされ、別のコースを下ることになり、中房温泉まで思わぬタクシー代の出費を強いられました。
 ぽん太とにゃん子は、餓鬼岳に登るのは初めてです。
 また、燕岳の燕山荘(えんざんそう)は、ヤマケイのアンケートで好きな山小屋ベストワンに輝いたことがあり、生ビールやケーキもあれば、夕食後にはオーナーがアルペンホルンを吹いてくれるという、至れり尽くせりの山小屋。一方餓鬼岳の餓鬼岳小屋は、北アルプスには珍しい、昔ながらの小さい山小屋です。この二つの対照的な山小屋に泊まるのも、今回のルートの楽しみです。
 なお今回の報告は、全体に天気が良くなかったこともあって、写真が少なめです。

【山域】北アルプス
【山名】燕山(2762.9m)、餓鬼岳(2647.2m)
【日程】2010年9月14日〜16日(2泊3日)
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】(9/14)曇りで夕立、(9/15)晴のち雨、(9/16)雨
【ルート】(9/14)中房温泉10:00…燕山荘14:20(泊)
(9/15)燕山荘6:05…燕岳6:45…餓鬼岳13:40…餓鬼岳小屋13:50(泊)
(9/16)餓鬼岳小屋9:00…白沢登山口14:00

(※大きい地図や標高グラフは、「山行記録のページへ」をクリック)
【見た花】コマクサ
【マイカー登山情報】中房温泉付近に登山者用の広い駐車場がいくつかあり。白沢登山口の迎えのタクシーは、餓鬼岳小屋でお願いして無線で呼んでもらえます。白沢登山口から中房温泉まで、タクシー代10,000円弱。
【参考リンク】
北アルプス表銀座の山小屋/燕山荘:燕山荘グループの公式サイト
長野県大町市観光協会/:餓鬼岳小屋の公式サイトはなさそうなので、連絡先などは例えばこちらで。

Img_1857 東京を早朝に出発し、10時に登山開始。北アルプス三大急登に数えられる合戦尾根を、ただひたすら登るべし、登るべし。道は、地元の子供たちが登山に使うこともあって、よく整備されております。すでに秋、特に珍しい花などもなく、燕山荘に到着。登るに連れてだんだんと湿度が上がってきましたが、山小屋に着いたとたんに本格的に降り出しました。
 時間もまだ午後2時過ぎ。外も雨だし、早起きで眠いこともあって、燕山荘自慢の喫茶サンルームで、生ビールとワインを飲んで、一眠りすることにしました。
 夕食前、目覚まし時計の音に起こされました。「あ〜よく寝た」。ところがこれが大失敗。宿泊客がどやどやと小屋に戻って来て、口々に「すばらしい夕焼けだったわね」「写真をいっぱい撮っちゃった」などと言ってます。あわてて外に飛び出すと、すっかり雨はあがっていい天気。雲海のなかに夕日が沈んだばかりでした。槍ヶ岳様も見えておりましたが、写真を撮ろうとしているうちにたちまちガスのなかへ消えていきました。ああ、なんという馬鹿なことをしたんだろう。昼寝なんてどこでもできるのに。寝不足解消よりも景色の方が大切でした。
Img_1867 痛んだ心は食事で癒しましょう。こちらが夕食です。メインはハンバーグ、肉じゃがもついて、なかなか豪華です。
Img_1875 翌朝、昨日の二の舞だけは避けようと、早々と起き出して日の出を待ちます。残念ながら雲がかかっていて、御来光や、オレンジ色に染まる槍を見ることはできませんでしたが、朝日に輝く雲海は美しかったです。
Img_1881 朝食です。普通においしゅうございました。
 今日の行程は長いので、朝食を終えたら早々に出発です。天気は下り坂の予報ですが、とりあえずは青空です。
P1010032 燕岳山頂からは360度の大展望。一番左の写真に槍・穂高、2枚目には笠ケ岳、4枚目には双六・三俣蓮華、5枚目との境が鷲羽で、すぐ右の三角形が水晶、6枚目が野口五郎岳です。
P1010031 左から2枚目、手前の稜線に烏帽子、3枚目は北燕岳の向こうに立山、4枚目に剣岳、5枚目は後立山の山々です。
 さて、ぽん太とにゃん子は、燕岳山頂から餓鬼岳を目指してさらに稜線を北上していきます。この日、ぽん太たちと同じルートを辿った登山客は一人もおらず、途中ですれ違ったのも一組二人だけでした。
 この縦走路は、地図上では大した距離ではないのですが、実際に歩いてみると思いのほか大変で、時間もかかります。まず東沢乗越への下りと、登り返しがけっこうしんどいです。また稜線上には、燕岳山頂と同じような花崗岩の岩峰が次々と立ちはだかり、それらを一つひとつ乗り越えたり巻いたりしないといけません。
P9150128 燕山荘のお弁当です。海老フライも入っていておいしかったです。
Img_1927 餓鬼岳方面の稜線です。目の前に立ちはだかるナイフリッジはその名も「剣ズリ」と呼ばれていますが、ここは左から巻いていきます。その向こうにかすかに見えるピークが頂上かと思ったのですが、考えが甘かった。頂上はさらに右です。
 巻き道から稜線に出る登りが一苦労。そこから岩場が続き、高度感あふれるハシゴや桟道の連続となるのですが、この頃から雨も降り出して、滑りそうで怖かったです。
Img_1940 ようやくたどり着いた餓鬼岳小屋に荷物を置き、餓鬼岳山頂を往復。餓鬼岳小屋に落ち着いたのは午後2時前。時刻的には早いですが、本日の行動時間は8時間弱。しかも岩やハシゴの上り下りで、普段使わない筋肉を酷使したので、ホントに疲れました。
 餓鬼岳小屋は、北アルプスには珍しい、山小屋らしい山小屋。内部は、食堂兼寝室の畳部屋一室です。今宵の宿泊客はぽん太とにゃん子だけでした。
Img_1942 夕食はなんとちらしです。ご飯もちゃんと酢飯で、色鮮やかでおいしかったです。デザートにグレープフルーツ付き。このメニューは、餓鬼岳小屋の名物だそうです。
 それよりも興味深かったのは、小屋のバイトのお兄さん。なんと、これまで登山をしたことがないんだそうな。いや、正確に言えば、「登山」はしたことはあるけれど、「下山」はしたことがないんだそうです。つまり、餓鬼岳小屋まで登って来たのが生まれて初めての登山で、今シーズン初めに登って以来、泊まり込みで働いているので、一度も「下山」をしたことがないのです。いろいろと来歴があるそうで、薪ストーブを囲んでいろいろな話しをお聞きして、とても楽しかったです(内容については個人情報なので省略)。話しを聞きたい方は、行って直接お聞きください。でも、キノコは危ないから食べない方がいいと思うぞ。
Img_1943 朝食は肉じゃがにきんぴらが美味でした。海苔の袋がオリジナルなのが立派。
 昨夜は一晩中雨が降り続き、今日も雨が続くという予報です。当初の予定では、東沢乗越まで戻って、中房温泉に下る予定だったのですが、このコースは沢沿いの道で、何カ所か徒渉もあるとのこと。この雨では増水して徒渉できない可能性もあるので、予定を変更して白沢登山口に下ることにしました。白沢登山口から中房温泉まで、タクシーで1万円弱かかるそうですが、安全には代えられません。
 本日は中房温泉に宿泊する予定で、あんまり早く着いても部屋に入れないので、小屋番さんとよもやま話しをしながら時間をつぶし、9時に出発しました。あとは黙々と雨の中を下るだけです。木道やハシゴが滑りやすく、慎重に歩きました。
P9160156 餓鬼岳小屋のお弁当です。コンビニのおにぎりに使われているようなシートを使っているので、海苔がパリパリで、おいしゅうございました。
 予約していたタクシーで中房温泉まで戻りました。タクシーの運転手さんも登山客に慣れているようで、シートの上にはビニールが敷いてありました。
 餓鬼岳は初めてでしたが、なかなか立派な山でした。設備が整っている燕山荘と、昔ながらのこじんまりした餓鬼岳小屋という、対照的な二つの山小屋に泊まれ、とても楽しかったです。

2010/10/02

【登山】夏と秋の狭間の尾瀬(2) 第二長蔵小屋〜至仏山〜鳩待峠

Img_1785 前回の続きです。
 翌日の朝食前、夜明けの景色を見るために外に出てみました。燧ヶ岳の山ぎわ少し明かりて、日の出が近づいて来ます。
Img_1798 湿原には朝靄がかかり、その微妙な色合いは、えも言われぬ幻想的な風景です。
Img_1797 やがて燧ヶ岳の肩から、円錐形の曙光が立ち上りました。あゝ、荘厳です。
 山の肩からなので、太陽が見えて来る前に周囲はすっかり明るくなりました。
P9020108 第二長蔵小屋の朝食です。山小屋としてはまったく悪くありませんが、「尾瀬」ならもう少し頑張っても……というのがぽん太の感想です。
 さあ、お腹がいっぱいになったところで出発です。今日は尾瀬ケ原を山ノ鼻まで引き返し、そこから東面登山道を通って至仏山に直登し、鳩待峠に下山します。
Img_1801 朝霧に濡れるオゼミズギクです。「オゼ」と名のつく有名な植物ですが、ぽん太は初めて見ることができました。
Img_1818 この時期、このような穂をつけた植物が、湿原のあちこちにはえておりました。アブラガヤという植物だそうです。ぽん太は初めて見ました。
Img_1827 アケボノソウも初めてです。星形の花びらの一つひとつに、2個の薄い点と、多数の濃い点があり、なかなか見事な造形です。
Img_1832 ヒツジグサは、この時間、まだ咲いてませんでした。
Img_1843  山ノ鼻から至仏山めがけて、東面登山道を直登です。前回の記事にも書きましたが、今年の東面登山道は登り専用で、下山には使えません。規制の状況は変化するようなので、例えばこちらの尾瀬保護財団のサイトなどでご確認ください。
 登るにつれて、「ゴルフ場のように美しい」尾瀬ケ原と、燧ヶ岳が見張らせます。あいにく雲が少しかかっていて、遠くの山々を望むことはできませんでした。
P9020137 ようやくたどり着いた山頂でお弁当です。おにぎり二つでボリューム満点ですが、おかずが(天下の尾瀬にしては)ちょっと寂しいかも……。
 至仏山は3回目なので、頂上の風景などは省略。
 さて、あとは鳩待峠へと下っていきます。
Img_1854 ん?キバナノコマノツメにしては葉っぱが肉厚。タカネスミレは東北に咲く花だし、葉っぱに光沢があるはずです。帰宅後調べてみると、「ジョウエツキバナノコマノツメ」という長い名前の花だそうで、谷川岳と至仏山の特産なのだそうです。
P9020145 今年の夏は猛暑でしたが、この日も例外ではなく、とても暑かったです。水もだんだん残り少なくなって来て、節約しながら飲んでいたので、水場の冷たい水はうれしかったです。感謝、感謝。高齢のふくろう先生と、登山初心者のひつじちゃんを連れていたので、予定が大幅に遅れ、鳩待峠に付いたのは夕方5時でした。
 行く前は、「また尾瀬か」などと思っていたのですが、初めて見る花もいっぱいあり、尾瀬の奥の深さを知りました。それにしても登山者が少ない。夏休み明けの平日だからかもしれないですが。山ガール・ブームとか言ってるけど、やはり全体としては登山者は減っているのかな〜。

2010/10/01

【登山】夏と秋の狭間の尾瀬(1) 鳩待峠〜第二長蔵小屋

Img_1805 にゃん子の父のふくろう先生と、妹のひつじさんからのリクエストで、4人連れ立って尾瀬に行ってまいりました。ぽん太は尾瀬は3回目ですが、この時期に訪れるのは初めてで、花が咲き乱れる夏とも紅葉に染まる秋とも異なる、夏から秋に移りゆく精妙な風景を楽しむことができました。

【山域】尾瀬
【山名】至仏山(2228.1m)
【日程】2010年9月1日〜2日(1泊2日)
【メンバー】ぽん太、にゃん子、ふくろう先生、ひつじさん
【天候】(9/1)高曇り、(9/2)晴れ
【ルート】(9/1)鳩待峠13:00…山ノ鼻…第二長蔵小屋16:05(泊)
(9/2)第二長蔵小屋7:05…山ノ鼻9:10…至仏山13:25…鳩待峠17:00

(※大きい地図や標高グラフは、「山行記録のページへ」をクリック)
【見た花】(尾瀬ケ原)ヤマトリカブト、ゴマナ、アブラガヤ(初)、ハンゴンソウ、ゲンノショウコ(初)、サワギキョウ(初)、ヒツジグサ(初)、イワショウブ、オゼミズギク(初)、ワレモコウ、エゾリンドウ、ミヤマアキノキリンソウ、サラシナショウマ、イワイチョウ、オオニガナ(初)、アケボノソウ(初)……
(至仏山)ウメバチソウ、ハクサンフウロ、ミネウスユキソウ、ツリガネニンジン、タカネトウウチソウ、ホソバコゴメグサ(初)、ソバナ、ジョウエツキバナノコマノツメ(初)、オオバギボウシ
【マイカー登山情報】ハイシーズンや週末はマイカー規制が行われます。こちらの尾瀬保護財団のページからリンクを辿って、交通規制を確認してください。ぽん太が訪れた日は、鳩待峠まで車で入れました。広い駐車場がありますが、駐車場代1日2,500円、2日目以降1,000ですので、一泊二日で3,500円かかります。
【★注意★】(1)上記のマイカー規制の件
(2)至仏山の東面登山道は、今年は自然保護と事故防止のため登り専用となっており、下山に使うことはできません。規制の状況は変化するようなので、例えばこちらの尾瀬保護財団のサイトなどでご確認ください。
【参考リンク】
http://www3.ocn.ne.jp/~chozo/
 長蔵小屋のサイト
http://www.welcome-to-oze.com/flower.html
 尾瀬林業株式会社のサイト。尾瀬の花の図鑑が充実。同社経営の山小屋案内もあり。

 9月に入ったばかりですが、アキノキリンソウ、ゴマナ、ハンゴンソウなどが咲き、尾瀬はすっかり秋です。ぽん太たちは、今日は長蔵小屋まで行くだけなので、ゆっくり午後に鳩待峠を出発したのですが、山ノ鼻を過ぎるとハイカーはほとんどいなくなり、竜宮十字路を過ぎた頃には、見渡す限り尾瀬ケ原にはぽん太一行だけという状況でした。先日の白馬岳でも登山客の現象を実感しましたが、ここ尾瀬でも再確認いたしました。
Img_1748 ん?湿原に生っ白いハクサンフウロが。調べてみるとゲンノショウコだそうです。初めて見ました。ゲンノショウコは日本を代表的な生薬のひとつですね。下痢などに対する胃腸薬として使われるそうです(こちらのイー薬草・ドット・コムをどうぞ)。
Img_1749 キンミズヒキです。これまた初めて。きれいな黄色い花ですが、ちょっと時期が遅いせいか、少し元気がありません。
Img_1750 これも初めて。サワギキョウですね。色といい、形といい、得点が高いです。
Img_1755 正面には燧ヶ岳が。今回は登りません。
Img_1761 をゝ、ヒツジグサです。きれいですね〜。これまた初めて見ました。う〜ん、尾瀬は奥が深いですね〜。
Img_1754 なんで「ヒツジグサ」という名前なんだろう。丸っこい葉っぱが密集している状態が、羊の群れみたいだからでしょうか?また、切れ込みの入った葉っぱの形が蹄(ひづめ)っぽいからでしょうか?帰宅後ググってみたら、羊の刻(午後二時頃)に咲くことから名付けられたそうですが、実際はもっと早く咲くそうです。
Img_1770 日も傾いて来ました。雲間から差し込む光線が扇状に広がり、えも言われぬ美しさです。
Img_1772 ようやく今宵の宿、第二長蔵小屋に到着。大きな山小屋で、黒光りする木造の壁が美しいです。追加料金3,000円で個室も予約できますが、この日は空いていたので必要ありませんでした。石けんは使えませんが、お風呂もあり。汗を洗い流し、身体を暖め、ビールがうまいです。
P9010053 こちらが夕食です。おいしいですし、悪くはないのですが、北アルプスの山小屋などが食事に工夫をこらしている現在、もうちっと頑張ってもいいかな〜などと思いました。
Img_1775 夕食後、ピンク色夕焼けのなかに、至仏山のシルエットが浮かび上がりました。
Img_1782 木道の上で夕焼けを眺めながら宴会です。だはははは。続きはまた……。

« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

無料ブログはココログ
フォト
2024年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31