【拾い読み】製薬会社による抗うつ剤プロモーション 冨高辰一郎『なぜうつ病の人が増えたのか』
精神科医なら誰でも、最近うつ病の患者さんが急激に増えたという実感を持っているはずです。その原因については、不況によるストレスの増大だとか、性格や考え方の変化など、諸説入り乱れておりますが、本書は、SSRIと呼ばれる新しいタイプの抗うつ剤の登場がその原因であると主張します。また例によってぽん太が興味深かったところを拾い読みいたしますので、興味がある方は原著をお読みください。冨高辰一郎『なぜうつ病の人が増えたのか』(幻冬舎ルネッサンス、2009年)です。
筆者はまず、厚生労働省の調査データに基づき、気分障害の患者数が1999年以降に急速に増大し、2005年までの6年間で2倍以上になった事実を指摘します。おなじデータによるグラフを左にあげておきます。引用元はこちら(社会実情データ図録)です。ただし「気分障害」には、うつ病だけではなく、躁病や躁うつ病の患者さんも含まれております。
うつ病急増の原因を、バブル崩壊などの社会環境の悪化によるストレスだとする考え方がありますが、著者はこの説明を否定します。その理由の第一として、うつ病が急増する1999年よりも前の1998年に、すでにリストラなどによる失業率の上昇とともに、自殺率の上昇が見られています。第二に自殺率の推移は、うつ病の患者数のように増加し続けてはおりません。左のグラフの出典はこちら(社会実情データ図録)。
ぽん太が思うに、この主張に関しては、ストレスの増大からある程度時間がたってからうつ病が発症する場合が多いことや、自殺者が必ずしもうつ病になって病院を受診していたとは限らないこと、うつ病医療の発展によって自殺率が低下した可能性も否定できないことなどから、十分説得力があるとは思えません。
実はうつ病患者が急増する1999年という年は、日本で初めてSSRIと呼ばれる抗うつ剤が発売された年であり、その後の抗うつ剤市場の伸びは、まさにうつ病患者数の増大と同じカーブを描いていることがわかります(グラフは「医療用医薬品データブック」(富士経済、2004年No.2)。
また著者は日本以外の外国でも、SSRI導入後に、同様のうつ病患者数の増大が見られていることを指摘します。こうしてうつ病患者の増加が、社会環境の変化によるものではなく、SSRIの登場とリンクしていることを論証します。
すると次は、なぜSSRIの登場によってうつ病患者が増えたのかということになるのですが、それは製薬会社による販売促進活動の結果であると著者は言います。
SSRIは、製薬会社にとって、多額の売り上げが期待できる薬剤です。その理由は第一に、SSRIはこれまでの抗うつ剤に比べて価格が数倍します。第二に、うつ病は10人に1人が一生涯のうちにかかると言われているように多くの人がかかる病気で、また一度うつ病になると服薬が長くなる可能性が高いため、大きな需要が見込まれます。
ただ、ひとつ問題があります。うつ病になっても、病院を受診しない人が多いのです。日本の疫学的調査の結果によれば、過去1年間にうつ病にかかった人の、わずか15%しか病院を受診しなかったそうです。そこでSSRIの売り上げを増やすため、これまで病院を受診しなかった人が病院に行くようにすることが大切であり、多大な費用と時間を要する新薬開発などに比べて、手っ取り早い売上増進の手段となるのです。
これまでのように、医者に対して宣伝活動をしていてもだめなのであり、一般社会に向けて、「あなたはうつ病かもしれない。うつ病だったら病院に行き、薬を飲むべきである」というメッセージを発する必要があるのです。これがDTC(Direct to Customer Campaign)です。まず、テレビや雑誌、新聞広告、インターネットなどを使い、うつ病の露出を増やします。内容は、有名人のうつ病体験だったり、精神科医による解説だったりします。それを見た人を電話のコールセンターやインターネットサイトに誘導します。
確かに「あなたは●●かもしれません。それは治療可能な病気です。病院を受診しましょう」というテレビコマーシャルも、抗うつ剤に限らず、ED(勃起不全)、AGA(男性型脱毛症)、記憶に新しい禁煙など、いつの頃から目につくようになりました。こうしたコマーシャルは、決して具体的な薬の名前をあげません。製薬会社名も昔は出なかったけど、最近はファイザーの「お医者さんと禁煙しよう」のように露出する例も出てきているようです。このあたりは広告規制と絡んでいると思われますが、ぽん太はよくわかりません。
こうした手法は、製薬会社がすでにアメリカ、ヨーロパで行って確立したプロモーションの方法を、日本で繰り返しただけだそうです。
しかしこうした病気の啓発活動(Awareness campaign)は、ひとつ間違うと病気の押し売り(disease mongering)になりかねません。著者は、アメリカで小児躁うつ病キャンペーンの結果、患者数が40倍に増えたことを指摘し、また日本の「脳循環代謝改善剤」の教訓を思い出させます。
また、スポンサー名を隠しての啓発活動もあります。一例として著者があげるのがUTU-NETという啓発サイトです。このサイトは、「うつ・不安啓発委員会」が運営し、製薬会社のイベント業務を専門とする広告代理店が事務局になっておりますが、ある製薬会社が支援しているのだそうです。
また製薬会社は、学会や研究会の支援、あるいは研究費の援助を行います。また、「オピニオンリーダー」と呼ばれる、自社の薬剤をサポートしてくれる有力医師に対しては、国際学会への招待や、コンサルタント料などの名目による報酬も支払われるそうです。
著者は、製薬会社の支援する啓発活動の内容にある程度のバイアスがかかるのは仕方ないが、少なくとも製薬会社が支援していることを明示すべきだと主張します。
いわゆる非定型うつ病の増大に関しても、SSRIプロモーション以後の受診患者層の変化が影響していると考えられます。「自分は病気であり、薬で治療すべきである」という思いが強すぎると、回復を妨げることもあります。薬物療法だけではなく、認知療法の併用なども、患者さんによっては必要です。アイスランドにおける研究では、抗うつ剤の普及が、かならずしも社会全体におけるうつ病の現象につながらないことを示しています(Helgason T et al. Antidepressants and public health in Iceland. Time series analysis of national data. Br J Psychiatry. 2004 184:157-62)。
また2008年には抗うつ剤の有効性に疑問をなげかける論文が発表され、世界中に衝撃を与えたそうですが、なぜか日本のマスコミはまったく騒がなかったそうです(Kirsch I et al. Initial Severity and Drug Antidepressant Benefits: A Meta-Analysis of Data Submitted to the Food and Drug Administration PLoS Medicine)。キルシュ教授は、アメリカのFDAにSSRIの臨床データを、これまで公表されていなかったものも含めて開示請求し、メタアナリシスを行いました。その結果、抗うつ剤の効果はプラセボと比較してあまり強くないということが明らかになったそうです。この研究は二つの意味で衝撃を与えたそうです。第一に、抗うつ剤の効果が実は強くないということ、第二に製薬会社が自社の薬に不利なデータを公表してなかったという事実がわかったということです。
実際欧米のうつ病治療ガイドラインでは、軽症のうつ病には薬物療法を積極的には勧めていません。イギリスのNICEのうつ病の治療ガイドラインでは、「リスクと利益の比率が乏しいので、抗うつ薬は軽症うつ病の最初の治療としては勧められない」とされていますし、またアメリカでも「もし患者が希望するなら、軽症うつ病の最初の治療として抗うつ薬を投与していもよい」と書かれています。日本ではこうした論調はなく、軽症でも最初から抗うつ剤による治療が行われています。
抗うつ剤と自殺の関係に関しては、論争に決着はついておらず、著者自身も判断できないとしています。またSSRIが従来の抗うつ剤に比べて優れているかどうかに関しては、副作用も含め、優れているとは言い切れず、それぞれに長所・短所があると考えるべきであるとしている。メンタル休職を減らすには、復職支援やリハビリが大切であって、さしあたって取り組むべき課題として残業対策をあげています。
以上がこの本の内容で、製薬会社によるプロモーションに関しては、ぽん太も薄々感じていた点が、とても明確になりました。できれば製薬会社や広告業界に詳しい人にも、同じテーマで書いて欲しいです。また本書ではオピニオンリーダーと呼ばれ、仲間内では「御用学者」と呼ばれている、特定の製薬会社と密接に関連した医師に関しては、誰かにもっと細かく内輪話を暴露して欲しいですが、精神科医が名前を出してそういうことをすると、我が身を滅ぼすことになる危険性が高いです。
いろいろと感想もあるのですが、長くなってしまったので、またの機会に述べたいと思います。
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