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2011/02/17

【歌舞伎】「こりゃこうのうては叶うまい」の台詞がない!?仁左衛門の「盟三五大切」・松竹座2011年2月夜の部

 昼夜ともに仁左衛門の通しということで、先月に続いて大阪遠征してきました
 午前中の新幹線で大阪に向い、まず夜の部から観劇。「盟三五大切」(かみかけてさんごたいせつ)は、2008年11月の歌舞伎座で同じ仁左衛門で観ていたく感動した演目で、これをもう一度観たいというのが今回の大阪遠征の大きな理由となっております。前回はただただ感動して見とれるばかりでしたが、今回は2回目ということで、少し冷静に鑑賞することができました。
 仁左衛門の薩摩源五兵衛は今回も絶品でした。すでに「深川大和町の場」で、単なる小万にぞっこんの色男ではなく、どことなく欲望の制御の弱さ、衝動性、人格の浅薄さがあり、キレたら怖い感じが漂っています。「五人切の場」は正に殺しの美学。障子に源五兵衛の影が映るシーンから、ゾクゾクします。「四谷鬼横町の場」は、何度見ても恐ろしい。どうやって知ったのか、三五郎の引っ越し先に訪ねてくる源五兵衛。「身は武士じゃわ。いつまでそのように、小万が事を恨んでいようぞ」と言いながら、持参の酒にはしっかり毒が入れてある。また八右衛門が身替わりとなって捕り手に引き立てられていったことで、源五兵衛は心を入れ替え恨みを捨てたはず。ところが再び戻って来たときには、この間にあったことがすべて消し飛んでいて、最初の二人への恨みに立ち戻ってしまっております。そして小万の手を添えて赤子を殺すシーン。刃が赤ん坊の肉や骨を断つ感触が、手に伝わってくるようで嫌です。切り落とした小万の生首を、いとおしそうに懐に抱いて帰って行く姿は猟奇的です。
 ところで、大詰めの「愛染門院の場」で、腹に出刃包丁を突き立てた三五郎が樽の中から現れるシーン。あれれ、「こりゃこうのうてはかのうまい」というセリフがない!前回はあったような気がしましたが。ぽん太は芝居を観た後で台本を読み直したので、この台詞があったと思い込んでいただけかもしれません。
 「こりゃこうのうてはかなうまい」という言葉は、文字通りには「こうでなくちゃ」、「こうあるべきだ」といった意味ですが、なんでここで源五兵衛がそう言うのかよくわからない、謎の台詞です。「自分を騙した三五郎が自害するのが当然だ」という意味なのでしょうか。それとも、芝居に対する注釈としての「メタ台詞」であって、「仮名手本忠臣蔵」の「お軽勘平」の引用として、ここで勘平と同じように腹を切らねば芝居にならない、という意味なのか。今回の仁左衛門の演出は、ストーリーのわかりやすさを重視しているらしいので、このセリフを省いたのかもしれません。しかし芸術作品には、どうもよく理解できない異質な部分があった方がいい、というのがぽん太の考えて、ぜひこのインパクトあるセリフは残して欲しかったです。
 ちなみに、「盟三五大切」と関連している「仮名手本忠臣蔵」の「大序」で、顔世を口説いていた師直が、若狭之助に見とがめられて言い訳する台詞に「この度の御役目、首尾よう勤めさせてくれよと塩冶が頼み、そう無うては叶わぬはず」というのがありますが、特に関係はないですよね。
 それから愛染院で源五兵衛が、小万の生首を相手に食事をする場面。前回は、食事をしているうちに憎しみがこみ上げて来て、小万の首に茶をぶっかけたような気がするのですが、今回は、生首が口を開けたのに驚いて茶をかける感じでした。これも前の方がよかったのに。段取りの間違いでしょうか。
 そして最後に義士たちが現れるシーン。仁左衛門は「なんだなんだ」という感じでキョロキョロとあたりを見回してました。実はぽん太は、最後の仁左衛門の表情を見落としてしまったのですが、どうだったのでしょうか。これまで自分がしでかしたことを棚に上げて、義士としてがんばるぞ〜みたいな、猟奇的な悦びに満ちた表情を期待しておりました。
 芝雀の芸者小万、深川芸者らしい意気と色気がありましたが、どことなく子供っぽくなってしまうのが残念。愛之助の笹野屋三五郎は、イナセさを強調しようとするあまりか声を張りすぎた感じで、もう少し地声を使ってよかった気がします。今回の小万と三五郎は、悪人さが強調されず、主のためにお金を手に入れようと思うあまり源五兵衛を騙してしまった風に描かれておりました。これも芝居全体のストーリーの一貫性を重視することの現れかもしれません。松也の芸者菊野はきれい。六七八右衛門の薪車は、まっすぐななところがよく出ていて、源五兵衛のなんとも複雑に込み入った心理を引き立てていました。彌十郎の弥助はそつがありませんでした。芸達者な猿弥の船頭お先の伊之、段四郎が富森助右衛門をきっちりと。
 あと、今回の芝居で意味のよくわからない台詞がありました。四谷鬼横町に越してきた三五郎と小万が食事にしようとするが、引っ越しの途中で茶碗をひとつ割ってしまって、茶碗がひとつしかないという場面での三五郎の冗談。「そうか。そんなら茶をかけて食い回しにしよう。茶漬け茶碗は回しを取ったな。」なな?相撲の話しか?
 帰ってgoo辞書をみると、「回しを取る」は「女がかけもちで二人以上の客の相手をする」という意味だとのこと。すると茶碗を遊女にたとえたという冗談かしら……。

片岡仁左衛門 昼夜の仇討
二月大歌舞伎
大阪松竹座 平成23年2月

夜の部

通し狂言
  盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)

  序 幕 第一場 佃沖新地鼻の場
      第二場 深川大和町の場
  二幕目 第一場 二軒茶屋の場
      第二場 五人切の場
  大 詰 第一場 四谷鬼横町の場
      第二場 愛染院門前の場

                薩摩源五兵衛  仁左衛門
                  芸者小万  芝 雀
                笹野屋三五郎  愛之助
                  芸者菊野  松 也
              若党六七八右衛門  薪 車
              船頭お先の伊之助  猿 弥
             家主くり廻しの弥助  彌十郎
                富森助右衛門  段四郎

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コメント

 通りすがりさん、ぽん太の「感想文」にいろいろとコメントをいただきありがとうございます。すべてにはお返事を書けないので、代表してここに……。
 そうでしたか、仁左衛門自身が改変の理由を述べていたのですか。でも、あまり現代人に即して改変してしまうと、心理的に理屈が通り過ぎて、かえってつまらなくなる気もします。
 今後の仁左衛門の上演もフォローしていきたいと思います。

P.S.仁左衛門が語ると言う記事によると、こりゃこうのうてはかなうまいを省いたのではなく、早まったことをしたな…でないと救われないから改変しているそうです。自分のために働いて腹を切った人に当然だとは、私は言えないので、お客様もそりゃないだろうと思われるでしょうと。舞台上で、早まったことをしたな…と思わせる三五郎でなければ、色に耽った勘違い勘平とは違い、三五郎は人を殺めただけでなく、美人局とか、勘当を解いてもらう為に何でもありですよ。早まったことだとは思えませんでした。客以下なのかも。

はい。以前も通りすがりました。楽日の数日前に観た時は、怖さが熟成されておりましたが、その分、小万の首を抱きしめる花道上の唐突な情全開に、客がついて行けなくなって、シーンとしておりました。南北の盟三五大切と言うのなら、人間性に欠ける殺人犯ではなく、人間性に欠ける武士でなければならないのに、その様にかけてくれる方が少なく、困ってしまいます。元ネタである忠臣蔵も五大力も四谷怪談も知らない客ばかりでは、時代と寝る舞台になる。武士だと言っている以上、本人にとっては、大量殺人ではなく、あくまで手討ちです。小万の首は、討ち取って欲しかったです。南北作品で、クレイジー武士や、忠義バカを楽しめない舞台は、由美かおるの入浴シーンが無い事よりも残念です。

通りすがりさん、コメントありがとうございます。
通りすがりさんは、以前にも通りすがってくださった、通りすがりさんですかね
そうですか。怖さがなくなってしまったとは残念です。
現代のストーカーや、人間性に欠ける殺人犯を思わせる恐ろしさが
魅力だと思ってたのですが。
ちと残念です。

この時の最後は、皆有り難う!頑張って来るわ!って感じだったと思います。そして、今現在、情全開で怖さ無し。茶漬けも驚かないし、義士の御迎えも冷静な印象。泣けると客の声がする、モテキャラの完成度半端無い、何だか別物になっておりますよ。

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