【芭蕉】「月さびよ明智が妻の咄しせん」補遺
前回のブログで、芭蕉の「月さびよ 明智が妻の咄しせん」という句に触れましたが、みちくさついでに『日本の古典―完訳 (54)芭蕉句集』(井本農一他校注・訳、小学館、1984年)をひもといてみました。
その脚注によれば、芭蕉を泊めた「又玄」(「ゆうげん」と読むそうです。「またげん」かと思ってた……)さんは、伊勢神宮の御師(おし:参詣者の案内や宿泊などを担当する下級の神職)をしていた島崎味右衛門(御巫権太夫清集:みかなぎごんだゆうきよため)の俳号で、芭蕉門下の俳人なんだそうです。なんと当時15歳で、妻はおそらくさらに年下。又玄が11歳の時に父が死去し、家業が傾いていたにもかかわらず、芭蕉を泊めて世話をしたんだそうです。
当時46歳であった芭蕉が、若いというよりまだ幼い又玄の妻に、明智光秀の妻の逸話を話し聞かせ、褒めそやし励ましている様子が目に浮かんできます。
ということは当時、「明智が妻の咄し」は、芭蕉の句を読むような人たちは皆知ってるけど、十代前半の女性は知らないような話しだったのでしょうか。
さらに脚注によれば、生計のために明智光秀の妻が髪を売った話しは、『太閤記』(小瀬甫庵(おぜほあん)著、寛永3年(1626年)頃)に書かれているそうです。また大田南畝(寛延2年(1749年)〜文政6年(1823年))は『一話一言』の巻15で、元禄頃の人の随筆から抄出した話しとして「○光秀の事」を記したそうです。光秀は朝倉義景に使えていましたが、感ずるところがあって辞任し、越前と美濃の境の柳が瀬の名主の元に滞在して、昔の侍仲間などを相手に連歌などをして暮らしていたそうです。あるとき自宅で会を開こうとして、そのもてなしを妻に言いつけましたが、自分たちの食べ物さえない状態だったので、髪を切ってお金に換えて支度をした、という話しだそうです。
話しは変わりますが、東京の江東区には「深川芭蕉庵跡」という史跡があります。例えばこちらのサイトが詳しいですが、深川の芭蕉庵があったところは、その後、紀伊殿の武家屋敷となり、現在では正確な位置がわかりません。しかし、大正6年(1917年)に「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝)が出土したため、大正10年(1921年)に東京府はこの地を「芭蕉翁古池の跡」に指定したそうです。現在は芭蕉稲荷神社として祀られており、また近くには平成7年(1995年)、芭蕉記念館が作られております。
調べてみると、芭蕉庵というのは3回作られたようです。まず最初は延宝8年(1680年)の冬で、新進気鋭の宗匠として頭角を現していた芭蕉は、突然その地位を捨てて深川の草庵に移り、風狂の世界を目指します。しかしこの庵は1682年(天和2年)の大火で類焼し、芭蕉は甲斐国都留郡谷村(やむら)に赴き滞留します。焼失した草庵は、天和3年(1683年)に、もとあったところの近くに再建されたそうです。元禄2年(1689年)、芭蕉は有名な奥の細道の旅に出ますが、この折に草庵を他人に譲渡したようです。元禄5年(1692年)、杉風、枳風によって三代目の芭蕉庵が完成しました。元禄7年(1694年)にこの庵から旅に出た芭蕉は、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句を残してこの世を去りました。
話しは変わりますが、ぽん太が大月周辺で登山をしたあとよく利用する日帰り温泉に、芭蕉月待ちの湯があります。これまで漠然と、「へ〜、このあたりに芭蕉が住んでたのか」と思ってましたが、初代芭蕉庵が焼失したあとに芭蕉が移り住んだ甲斐国谷村が、ここだったんですね。このサイトによれば、滞在先は門人であった秋元家の家老高山伝衛門宅で、芭蕉は「名月の夜やさぞかしの宝池山」という句を残したと伝えられているそうです。
しかし、この句はなんかできがよくないし、芭蕉のすべての発句を、疑わしいものまで含めて納めているという『芭蕉俳句集』(中村俊定校注、岩波書店、1970年)にも収録されていないのが、ちと残念なところ。
芭蕉は時期によって作風や心境が変わったそうですが、不案内なぽん太にはちっともわかりません。このあたりも理解したいものですが、それはまたの機会にみちくさを。
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