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2011年12月の29件の記事

2011/12/29

【ダイビング】ダイビング中に震度4の地震に遭遇・慶良間

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 11月上旬、ぽん太とにゃん子は沖縄にダイビングに行ってきました。沖縄の夜も満喫したいぽん太とにゃん子、那覇ステイで慶良間に潜りにいくパターンを選択。こんかいお世話になったのは、シーサー那覇店です。阿嘉島ではいつもお世話なっとります。上の写真は、當間No2のクロオビアトヒキテンジクダイです。透明な体、黒い帯、オレンジの線がきれいですね。
 こんかいのダイビングの目玉はレアなお魚ではありません。なんといってもダイビング中に地震にあったこと。大曽根をダイビング中のことでした。なんか全身がブルブルと震えるような異様な感覚が。あらら、なんか体調がおかしいのかと思ったら、だんだんと強まって、やがて巨大なスクリュー音のような音に。スクリュー音にしては大きすぎ、ババババババ〜と、まるで巨大なタンカーでも近くを通っているような感じ。しかもそれが延々と続きます。自分の体全体が低周波で震動している感じなので、ひょっとしたらタンクからエアでも噴いているのかと思って他のダイバーを見てみたら、みな顔を見合わせております。ダイビングを早々に切り上げてエグジット。地震だったと聞きました。岩にさわっていた人の話しでは、岩が揺れていたとのこと。
 あとで調べてみると、震源地は慶良間の近くで、震度4だったとのこと。津波が来てたら、海底ではどうなっていたのでしょう。あとから考えると、3.11が思い出され、恐ろしい体験でした。

発生時刻 11月8日 11時59分
震源地 沖縄本島北西沖
位置 緯度 北緯27.2度  経度 東経125.8度
震源 マグニチュード M6.8
深さ 約220km

Img_0686 その大曽根にいたハダカハオコゼ君です。
Img_0702 寸崎の真っ赤なオオモンカエルアンコウ。どこが魚でどこがサンゴだかわかりますか?
Img_0747 唐馬ドラゴンレディでみかけたテンスの幼魚。珍しい魚ではありませんが、ピントが合ったのが珍しいので、アップしておきます。
Img_0780 當間No2のハナビラクマノミ。慶良間らしい風景ですね。

2011/12/28

【温泉】レトロな木造建築と天然鮎の料理が魅力・瀬見温泉「喜至楼」(★★★★★)(山形県)

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 10月中旬、栃木県の奥鬼怒を旅したぽん太とにゃん子は、そのまま一気に山形県は瀬見温泉の旅館・喜至楼に足を伸ばしました。「栃木県から山形県に足を伸ばすなんて、伸ばし過ぎやろ!」とツッコミたくなるかと思いますが、その陰には聞くも憐れな物語があるのです。まあ、聞いてくらはい。
Img_0616 テレビを見ていると、東北の被災地への旅行に対して、東京都が一泊3000円の補助金を出すというニュースが。でも旅行社で扱っている旅館じゃないとだめとのこと。ぽん太やにゃん子の好みの温泉旅館で、旅行社で扱っているようなところを捜したのですが、なかなか見つかりません。あそこはどうだ、ここはダメだと、すったもんだの末、やっとのことで喜至楼を見つけました。「にゃん子、さっそく旅行社へ行ってこい!」「ガッテンだ!」ということ旅行社に駆けつけると、窓口のお姉さんは、「あの〜、山形県なので助成範囲外なんですけど……」。いまさら「じゃ、いいです」というわけにもいかず、予約をお願いしたという次第です。まあ、東北の支援になるからいいか!こちらが宿の公式サイトです。
Img_0615 明治元年に造られたという本館は、レトロなムード満点の木造建築が魅力の宿です。実はこの旅館、今年の3月末に泊まる予定で予約していたのです。しかし結局キャンセルせざるを得なかった理由は、みなさんご存知の通り。仲居さんの話しでは、この旅館では建物や調度品の被害はありませんでしたが、停電してしまい、テレビが見れないので詳しい情報もわからず、電気を使う暖房器具が使えないので古い石油ストーブをかき集めて暖を取ったそうです。
Img_0609 こちらは今回宿泊した「別館」で、昭和後期の建物だそうです。本当は本館に泊まりたかったのですが、旅行社が扱っている宿泊プランには、別館しかありませんでした
Img_0544 それでも客室はこのような古めかしさ。ふふふ、いい感じです。
Img_0545 別館の客室から見た本館の建物。いくつかの棟からなっていて立派です。別館とは廊下でつながっております。右手前の小さい建物は、湯前神社です。
Img_0549 別館の廊下です。
Img_0548 別館の洗面所です。畳の上に座って洗面をするようになっているのでしょうか。ぽん太は生まれて初めてこのような洗面所を見ました。
Img_0550 廊下の看板です。文章といい、字体といい、レトロで味があります。
Img_0552 しかし、これしきで驚いていてはいけません。いよいよ本館に足を進めましょう。本館の廊下です。磨き込まれた床が黒光りしております。
Img_0559Img_0555Img_0556 廊下のあちこちに作り込まれた意匠の数々。
Img_0554 これは湯治用の自炊場でしょうか。
Img_0569 本館の玄関です。大きな時計がいい味を出しています。補強のため、屋根に鉄骨が入ってしまっているのは残念です。でも、このおかげで今回の地震に堪えられたのかもしれません。
Img_0571 両側の建具には、美しい彫刻が作られています。
Img_0564 さて、次はお風呂です。こちらは本館1階のの男女別の「あたたまり湯」。あまり広くありません。タイル張りでレトロな雰囲気です。お湯は無色透明・無味無臭。白い湯の花が微かに舞います。泉質はナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩温泉で、泉温は67.3度です。
Img_0565 脱衣場の棚の上にしつらえられた装飾の彫刻です。
Img_0560 廊下の洗面台もレトロです。
Img_0590 こちらは本館の「ローマ式千人風呂」です。「千人風呂」というのはちょっと大げさな感じがします。
Img_0589 タイルによる壁画です。水浴びする美女と誘惑する牧神か?ああ、ローマンチックです。
Img_0595 隅っこに小さな岩風呂が。「滝湯」と書かれてますが、一筋のお湯がしたたるのみ。
Img_0596 本館の岩風呂です。
Img_0566 こちらは本館の「ふかし湯」です。フロントに申し出て利用するようです。
Img_0607 別館の貸し切り風呂です。別館にはさらに「オランダ風呂」というタイルの風呂があります。人がいたので写真はありません。どこがオランダ風なのかはよくわかりませんでした。
Img_0579 地元の素材を使った郷土料理ですが、実は手が込んでいます。左上はカニ鍋。真ん中のお皿は生まれて初めていただいた「柿の白和え」です。
Img_0581 お造りはコイの昆布締めとコイの皮で、ぜんぜん泥臭さがありません。コイをこのように頂くのはこれまた初めて。焼き魚は「天然の」アユです。宿の前を流れる小国川に直営のヤナ場があり、そこで採れたものだそうです。小国川で採れるアユは「松原鮎」と呼ばれ、泥臭さがなくて香りがよく、昔は殿様に献上されたそうです。
Img_0583 天ぷらと芋煮もついて大満足。
Img_0578 皆さんは、この箸袋のマークを解読できましたか?解答は朝食後に……。
Img_0599 朝食は、鮎の一夜干しが美味しかったです。
Img_0608 こちらが別館の朝食会場。窓の部分が円形に張り出した洒落た造りですが、会議用の机にビニールクロス、パイプ椅子というのが悲しいところ。
 箸袋のマークの解答ですが、「セ」が3つで「セミ」温泉、「キ」が4つに真ん中が「ロ」で「キシロー」ですね。
Img_0610 宿に続く建物です。昔はどのような色に塗られていたのでしょうか。
Img_0618 写真は「薬源湯」(やげんのゆ)という川の中に湧く温泉です。ここ瀬見温泉は、義経ゆかりの地としても知られております。藤原秀衡を頼って逃げ延びてきた義経一行は、近道のため亀割山を越えたところ、にわかに静御前が産気づき、山の中で出産しました。産湯を捜して谷へ下ってきた弁慶が、長刀で岩を砕いたところ湧き出したのがこのお湯だそうです。ほかにも、静御前が出産した場所や、赤ちゃんの枕にした石、静御前が産後の養生をしたところ、弁慶が投げた松が根付いたものなど、義経いわれの史跡が多数あります。それらは瀬見温泉のホームページに出ております(散策マップ義経・弁慶伝説ガイド)。
 『義経記』の巻第七に、文治3(1187年)に義経一行が瀬見温泉を通ったことが書かれております。こちらのテキストの「八 亀割山にて御産の事」のあたりです。
 義経一行は、最上川を舟で遡り、「會津〔相川〕の津」に上陸します。ここは、現在の新庄市の本合海あたりだそうです(地図)。先を急いだ一行は、近道のため亀割山(地図)を越えます。すると山中でにわかに静御前が産気づきます(『義経記』では、静御前は義経とともに東北に逃げたことになってます)〔2012年1月12日訂正。『義経記』で義経とともに東北に逃げたのは、正妻だった大納言平時忠の娘であり、静御前ではありませんでした。大変失礼いたしました〕。大木の下に敷き皮をひいて、そこでお産することにします。難産のため静御前は何度も気を失いそうになりますが、弁慶が谷川から水を汲んで来たり、祈祷をしたりすることにより、無事に出産します。その子は、亀割山にちなんで「亀鶴御前」と名付けられます。山を下った一行は、「其日はせびの湯〔せみのから〕と云ふ所にて一両日御身労り、明くれば馬〔を〕尋ねて乗せ奉り、其日は栗原寺に著き給ふ」と書かれておりますが、これが瀬見温泉のことだと思われます。
 『義経記』の記述は、瀬見温泉に伝わる伝説と比べると、かなり簡略です。『義経記』の成立は南北朝時代から室町時代初期といわれておりますので、『義経記』の記述を膨らませて瀬見温泉の伝説を作ったというよりは、すでに流布していた瀬見温泉の伝説を取り込んで『義経記』が書かれたという可能性が高い気がしますが、ぽん太には判断できません。
Img_0623 帰りに、「新庄藩主戸沢家墓所」に寄りました。解説は例えばこちらの新庄市のホームページをご覧下さい。近世大名の墓の中で、藩主と正室や子ども、側室などが一緒に葬られているのは極めて珍しいそうです。
 さて、瀬見温泉喜至楼の採点です。とにかく明治初期の木造の建物がすばらしく、その他もレトロな雰囲気に満ち満ちています。また天然鮎などを使った食事も高得点です。温泉力がやや弱い点や、朝食会場のチープさなどが減点になりますが、温泉街の義経伝説が加点となり、さらに東北支援の意味も込めて、ぽん太の採点は5点満点!

2011/12/27

【温泉】温泉三昧の秘湯・加仁湯(★★★★)

Img_0537 秋の鬼怒沼を堪能したぽん太とにゃん子は、加仁湯に宿泊いたしました。こちらが公式サイトです。鉄筋ですが、楼閣風な雰囲気のある建物で、大きな提灯も魅力です。
Img_0529 毛皮や剥製が所狭しと並べられた部屋。秘湯の雰囲気を盛り上げます。
Img_0511 客室は新しくてきれいな和室です。
Img_0519 この宿はとにかく温泉がすごい。5種類の泉質が異なる源泉を持ち、男女別の内湯、3つの混浴露天風呂、女性専用露天風呂、3つの貸し切り露天風呂があります。もちろんすべて源泉掛け流し。写真は混浴の第三露天風呂です。温泉らしい白濁したお湯、趣きのある天然木の柱が魅力です。
Img_0522 こちらは第二露天風呂。開放感はありますが、ちと女性は入りにくいかも。
Img_0516Img_0515 こちらがロマンの湯(混浴)。塀で区切られた小さな浴槽が並んでいて、5種類の源泉の、利き酒ならぬ利き湯ができるという趣向です。それぞれの温泉分析書は、こちら宿のホームページから見ることができます。
Img_0528 名前は忘れましたが一人しか入れない小さな露天風呂。景色もいいです。ただ無色透明の柔らかいお湯なので(源泉が「たけの湯」になるのかな?)上がり湯には最適です。
Img_0526 小さな露天風呂が三つあり、貸し切り風呂として無料で使うことができます。
Img_0513 こちらが内湯ですね。
Img_0530Img_0531Img_0532 夕食は、地元の山の素材を使ったお料理ですが、旅館の夕食らしい華やかさがあります。
Img_0536 朝食も品数が多いのがうれしいです。
Img_0525 余談ですが、ちょっと気になったのはこの紋所(エレベーターの中のカーペットなのでぶれてます)。どっかで見たぞ。
Img1334 今年の9月に新橋演舞場で行われた中村又五郎襲名披露のときの祝い幕で見たんでした。まさか又五郎と加仁湯さんには血縁関係が?
 宿の人に聞いてみると、「揚羽蝶」という名前で、平家に由来する紋だそうです。このあたりには平家の落人伝説があり、この紋を使用している家が少なくないそうです。揚羽蝶紋と平家に関しては、例えばこちらのサイトに詳しく書かれています。
Img_0539 さて、本題に戻って〆を。宿からの帰りはバスの送迎があるのですが、とてもいい天気だったので歩いて帰ることにしました。
 車で入ることができない秘湯で、異なる泉質の様々な風呂を楽しめ、料理もおいしいです。秘湯とはいえバスの送迎もあり、館内はいわゆるホテルでアメニティも充実しておりますが、ぽん太の好みからするとそこが逆に減点となり、ぽん太の評価は4点です。

2011/12/26

【登山・蕎麦】玄蕎麦河童・静寂の鬼怒沼

 鬼怒沼湿原のハイキングのご報告です。
 Img_0415 まずは今市の玄蕎麦河童で腹ごしらえ。ホームページはなさそうなので、ぐるなびにリンクしておきます。モダンな感じの店構えです。
Img_0413 十割蕎麦せいろを選択。香りが強くてとても美味しいお蕎麦でした。

ここらで登山データをご案内。
【山域】奥鬼怒(日光)
【山名】物見山(2113m)、鬼怒沼山(2140.8m)
【日程】2011年10月10日〜12日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】(10/10)曇り、(10/11)曇り、(10/12)晴れ
【ルート】(10/10)女夫淵温泉駐車場14:26…日光澤温泉16:02(泊)
(10/11)日光澤温泉7:03…鬼怒沼9:38…鬼怒沼山10:44…物見山12:24…加仁湯15:17(泊)
(10/12)加仁湯8:58…女夫淵温泉駐車場10:17

(※大きい地図や3Dグラフはこちら
【マイカー登山情報】女夫渕温泉のところに、広い市営の無料駐車場あり。そこから先は一般車両もタクシーも進入禁止です。八丁の湯や加仁湯温泉に宿泊の方は無料送迎バスを利用できますが(それぞれの宿にお問い合わせを)、日光沢温泉や手白澤温泉に宿泊の方は、駐車場から徒歩となりますのでご注意を。

Img_0419 1日目の駐車場から日光澤温泉に泊まるまでは、前回の記事をご覧下さい。紅葉にはまだ少し早かったですが、日光周辺特有の明るくい樹林がとても美しかったです。
Img_0505 2日目、鬼怒沼に向かいます。
 丸沼温泉方面への道の分岐点の吊り橋から見た紅葉です。全山紅葉というわけにはいきませんでしたが、所々美しく紅葉しておりました。
Img_0465 ヒナタオソロシノ滝です……。さあ、誰か、気がついた人……。そう、鬼怒沼に行く登山道からヒナタオソロシノ滝は見えません。道を間違えたんだヨ。紅葉に釣られて、つい吊り橋を渡ってしまいました。また谷まで降りて、反対側に登り返さないといけません。やれやれ。
Img_0469 ということで、こちらが正しいルートから見えたオロオソロシノ滝です。なんだ、ヒナタオソロシノ滝の方が立派ですね(負け惜しみ)。
Img_0471 などという間にジャジャーン、湿原に到着。
Img_0477 草紅葉というほどの赤さはありませんが、一面に黄葉した湿原は見事でした。
Img_0487 どんより曇った空、身を切るような冷たい風とあいまって、人気のない秋の鬼怒沼に、寂寥感が感じられます。
Img_0488 運動不足解消も目的なので、まずは鬼怒沼山まで往復。頂上は樹木に覆われて狭く、登りがいのない山でした。
Img_0494 お弁当を食べてから、今度は物見山往復です。途中、燧ヶ岳が見えました。
Img_0492 「物見山」というくらいなので、尾瀬方面がど〜んと見えるのかと思ったら、こちらも展望はありませんでした。少し西に行くと、展望がいいとろこがあるそうです。熊野の那智の滝で有名な青渡岸寺と書かれたお札がありました。物見山は別名毘沙門山と呼ばれるようですが、由来はわかりません。
Img_0501 帰り道、だんだんと雲が上がってきました。遠景の右が男体山、左が女峰山です。

2011/12/25

【歩かないと行けない温泉(5)】奥鬼怒温泉郷にただ一軒残る古い木造建築・日光澤温泉(歩行時間1時間40分)(★★★★★)

Img_0417 日光のやや北側、鬼怒川の源流を遡っていくと奥鬼怒温泉郷があり、女夫渕温泉、八丁ノ湯、加仁湯、日光澤温泉、手白澤温泉という5軒の温泉宿が点在しています。一番手前の女夫渕温泉までは車が入りますが、そこから先はタクシーも進入禁止。比較的大きな八丁ノ湯と加仁湯は、女夫渕温泉まで車で送迎をしてくれますが、日光澤温泉、手白澤温泉に泊まるには、自分の足で歩いて行くしかありません。
 ぽん太とにゃん子は、以前に八丁ノ湯には泊まったことがあるので、今回は日光澤温泉と加仁湯に泊まって、奥鬼怒沼までハイキングに行く計画を立てました。本日ご紹介するのは日光澤温泉。宿のホームページはこちらです。
 女夫渕温泉の前にある無料の市営駐車場に車を停めて出発。奥鬼怒遊歩道を登って行きます。地図はこちらのページから見ることができます。一部を除いて広くてなだらかな気持ちのよい道が続いており、宿までなら履き慣れたウォーキングシューズで十分で、登山の装備は必要ありません。
Img_0420 八丁ノ湯や加仁湯を通り越してさらに登って行くと、日光澤温泉が見えてきます。をゝ、いい感じです。歩行時間は1時間半から2時間です。
Img_0425 山小屋風の木造建築ですが、建付けがよく歪みが出ておらず、端正な印象があります。羽目板や壁に並ぶ煙突、積み上げられた薪などが、繊細なリズムを奏でます。看板犬のチャンわら君たちには、残念ながら裏につながれていて、会えませんでした。
Img_0424 看板の字体もいい味だしてます。
 奥鬼怒温泉郷は、この宿を除いて、どれも新しく建て直されてしまいました。ぜひとも建て替えないで、この建物を守っていって欲しいと思います。
Img_0461 裏山の登山道から眺めた宿の全景です。けっこう広いですね。
Img_0429 体育の日の連休の昨夜は大混雑だったそうですが、本日は数組のみの宿泊で、ゆったり泊まれます。
Img_0428 客室は素朴な和室。もちろん音は筒抜けです。登山客が多く利用するので、遅くまで騒ぐのは控えたいものです。
Img_0432 さてお風呂は、男女別の内湯と、露天風呂上、露天風呂下の三カ所あります。露天風呂は混浴ですが、女性タイムが設定されていて、その間は内湯も男女入れ替えとなります。
 まずは内湯です。乳白色のお湯で、浴槽や床に白い結晶が析出しております。泉質は含硫黄-ナトリウム-塩化物温泉(硫化水素型)とのこと。壁は明るい色の木で、二面が引き戸になっているので、明るい雰囲気です。
Img_0446 こちらは露天風呂下です。こちらも乳白色のお湯です。板の手前はやや熱く、向こう側がぬるめになっております。
Img_0436 こちらが露天風呂上。眺めがよくて気持ちいいです。透明なお湯ですが、底のタイルが美しいです。泉質はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉。
Img_0442 さて夕食です。ご覧の通り豪華とはいえませんが、新鮮な食材を使ったおいしくヘルシーな料理です。
Img_0443 イワナの骨酒を追加してみました。ほかにもオプション料理がいろいろあるので、夕食が物足りないと思う方は、追加するといいでしょう。
Img_0444 薪ストーブで身体も気持ちも暖かくなります。
Img_0454 朝食も質素です。ここは山小屋でもあるので、朝食は朝6時からです。
Img_0456 食後は囲炉裏のまわりでコーヒーをいただきました。この後、鬼怒沼湿原に出発ですが、そのご報告は日を改めて……。
Img_0490 ちなみに、こちらが日光澤温泉で作ってくれたお昼のお弁当です。美味しゅうございました。
 木造の建物が、古びたり鄙びたりした感じがなく、きっちりと手入れされているのがすばらしいです。温泉も二種類の泉質が楽しめ、白濁したお湯がいかにも温泉という感じ。食事も素朴でおいしく、従業員(長期アルバイト?のお姉さん)の応対も、真心がこもっているけど客慣れしてなくてよかったです。ぽん太の評価は5点満点!

2011/12/24

【浅草】東京スカイツリー・駒形どぜう・神谷バー

20111009_1641 10月初め、錦糸町に行く用事があったのですが、天気もよく、時間も余っていたので、東京スカイツリー目指して歩いていくことにしました。目標は常に見えているので、簡単です。
20111009_1607 途中、おしなりくんの家がありました。
20111009_1610 真下から見上げるとさすがに高くて、崇高な感じさえ受けました。まだ工事中だというのに観光客がいっぱい。みな写メを撮りまくってました。
 その後、まだ時間があったので、こんどは浅草まで歩きました。冒頭の写真は、駒形橋あたりから撮ったもの。なんか……不思議な光景です。
20111009_1750 そのまま駒形どぜうに行きました。ぽん太は生まれて初めてでした。
20111009_1655 内部はまるで歌舞伎の舞台セットのような世界!江戸時代にタイムスリップしたようです。畳の上に座って、低い板をテーブルにしてお料理をいただきます。
20111009_1701 どぜうなべと柳川をいただきました。特にどぜうなべは、ちっとも泥臭さがなくて、とても美味しかったです。
20111009_1824 そのあと神谷バーにハシゴしました。店の前は何十回と通ったことがありますが、入るのは初めて、もちろんデンキブランを飲むのも初めて。なんか……養命酒のような味でした。
20111009_1851 ついでに度数40度の電氣ブラン<オールド>を注文。とてもいい気持ちになりました。

2011/12/23

【バレエ】クリスマスの贈り物・Kバレエカンパニー「くるみ割り人形」

 年末といえば「第九」と「くるみ割り」。ぽん太とにゃん子は赤坂ACTシアターまでKバレエカンパニーの「くるみ割り人形」を観に行ってきました。明日から三連休ということもあって、赤坂の街はサラリーマンでいっぱい、公演会場は着飾ったお嬢さんたちでいっぱいでした。
 Kバレエの「くるみ割り」は2年ぶりですが、なんと今回も最前列。オーケストラピットがないので、目の前でダンサーたちが踊るの見ることができます。群舞のフォーメーションなどは見にくいですが、滅多にない貴重な機会で、なによりのクリスマス・プレゼントでした。
 Kバレエの演出はいつもながらストーリーがわかりやすいのが特徴。年末の「くるみ割り人形」は子供達も多く見に来てますから、良いことです。ちなみに原作のホフマンの『くるみ割り人形とネズミの王様』は、「ブラック・スワン」顔負けに幻想と現実が入り混じった、非常に複雑な物語ですが、あらすじを以前の記事で紹介したことがあります。
 前半と後半の間で、クララたちはなぜ雪の国を通り、雪の女王たちの踊りが踊られるのかについては、鈴木晶先生のブログに書いてありました(「くるみ割り人形」に雪の場面がある理由)。なんでも、1875年にパリで『月世界旅行』というバレエが初演されましたが、そのなかの「雪のバレエ」という場面が大人気をはくしていたため、パクって「くるみ割り人形」のなかに組み込んだんだそうです。日本の歌舞伎でも、評判のいい場面やストーリーはどんどんパクりましたが、バレエも同じようなものだったんでしょうか。
 さて、松岡さんのマリー姫は、まさに完成された踊りでした。近くで見ると、さまざまに顔の表情をつけていることや、なめらかに見える体の動きの要所要所にキメがあることがよくわかりました。王子(くるみ割り人形)は松尾俊太郎。スタイルがよく、日本人離れしたすらりと伸びた足を持っており、手も大きくて表現力があります。日本人としては得難いダンス・ノーブルに成長してきました。ただ、もうひといき観客をうならせるパフォーマンスが欲しいです。神戸里奈のクララちゃんははまり役。とてもキュートでした。アラビア人形の浅野真由香の柔らかい動きや、ロシア人形の池本祥真と北爪弘史のジャンプも素晴らしく、大きな拍手をもらってました。個人的には、東野泰子さんの粉雪や花のワルツの、軽く柔らかい踊りに目が行きました。

 せっかくなので帰りに赤坂で飲んでいこうということになり、偶然通りかかった「炬屋」(かがりや)さんに入りました(公式サイト)。獺祭(山口)、龍力(兵庫)、亀泉(高知)を中心に、様々な種類の日本酒がそろっていて、お料理も美味しかったです。


「くるみ割り人形」赤坂Sacasバージョン
2011年12月22日 赤坂ACTシアター

ドロッセルマイヤー Herr Drosselmeyer:スチュアート・キャシディ Stuart Cassidy
マリー姫 Princess Marie:松岡梨絵 Rie Matsuoka
くるみ割り人形 The Nutcracker / 王子 The Prince:宮尾俊太郎 Shuntaro Miyao
クララ Clara:神戸里奈 Kambe Rina
人形王国の王様 The Doll King / Dr.シュタールバウム Dr.Shtahlbaum:ブレンデン・ブラトーリック Brenden Bratulic'
人形王国の王妃 The Doll Queen / シュタールバウム夫人 Mrs.Shtahlbaum:柄本まりな Marina Tsukamoto
ねずみの王様 The Mouse King:ビャンバ・バットボルト Byambaa Batbold
フリッツ Fritz:酒匂麗 Rei Sakoh

【第1幕4場 (雪の国) ActI Scene4 (The Land of Snow)】
雪の女王 The Queen of Snow:浅川紫織 Shiori Asakawa
雪の王 The King of Snow:西野隼人 Hayato Nishino
粉雪 Snowflakes:東野泰子 Yasuko Higashino / 日向智子 Satoko Hinata / 中村春奈 Haruna Nakamura / 白石あゆ美 Ayumi Shiraishi

【第2幕 (人形王国) ActII(The Land of Dolls)】
花のワルツ Valse des Fleurs:東野泰子 Yasuko Higashino /中村春奈 Haruna Nakamura
西野隼人 Hayato Nishino / 秋元康臣 Yasuomi Akimoto
アラビア人形 Arabic Dolls:浅野真由香 Mayuka Asano
ニコライ・ヴィユウジャーニン Nikolay Vyuzhanin / 浜崎恵二朗 Keijiro Hamasaki
スペイン人形 Spanish Dolls:井上とも美 Tomomi Inoue / 岩渕もも Momo Iwabuchi
合屋辰美 Tatsumi Goya / 福田昴平 Kohei Fukuda
中国人形 Chinese Dolls:湊まり恵 Marie Minato / 小林由明 Yoshiaki Kobayashi
ロシア人形 Russian Dolls:池本祥真 Shoma Ikemoto / 北爪弘史 Hirofumi Kitazume
フランス人形 French Dolls:日向智子 Satoko Hinata / 梶川莉絵 Rie Kajikawa / 中谷友香 Yuka Nakatani
客人/子供たち/ねずみたち/兵隊/粉雪たち/花のワルツ コール・ド・バレエ 他Ladies/Gentlemen/Children/Mice/Soldiers/Snowflakes/Valse des Fleurs: Artists of K-BALLET COMPANY
人形劇 / 天使 Puppet Play / Angel :K-BALLET SCHOOL

●芸術監督 Artistic Director 熊川哲也 Tetsuya Kumakawa
●演出・振付 Production / Choreography 熊川哲也 Tetsuya Kumakawa
●原振付 Original Choreography レフ・イワーノフ Lev Ivanov
●オリジナル台本 Original Scenario マリウス・プティパ Marius Petipa
●音楽 Music ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー Peter Ilyich Tchaikovsky
●舞台美術・衣裳 Set and Costume Design ヨランダ・ソナベンド Yolanda Sonnabend / レズリー・トラヴァース Leslie Travers
●照明 Lighting Design 足立恒 Hisashi Adachi
●音楽:THEATER ORCHESTRA TOKYO(指揮:井田勝大)による演奏の特別録音

2011/12/22

【ヒーリングスポット御岳山(3)】奥宮〜大岳山〜ロックガーデン〜御岳山駅

Img_0368 御岳山登山の二日目、大岳山をめざします。登山道が杉の葉で埋め尽くされていますが、わざとやったのではなく、先日の台風のせいです。
Img_0367 登山道脇にあった石碑には、「橘姫命」とありました。日本武尊の妻の「弟橘媛」(おとたちばなひめ)のことですね。
Img_0369 奥宮です。こちらは日本武尊をが御祭神です。意外とそっけなく地味でした。
Img_0374 旧大岳山荘。残念ながら2008年3月に閉鎖され、いまは廃墟となっております。
Img_0377 大岳神社です。御由緒はちと不明です。
Img_0375Img_0376 狛犬がなかなかいい味を出しております。
Img_0383 大岳山頂でUターンして、アクバ峠から上高岩山に行きました。ここには東屋があり、眺めがとてもよいです。写真は御岳山の神域です。
Img_0385 地図には出てませんでしたが、上高岩山からアクバ峠に戻る途中から、ロックガーデンへと下る道の案内があったので、その道をとりました。写真は天狗岩です。
Img_0389 七代の滝まで下りました。たかが御岳山、されど御岳山。滝から御嶽神社までの登り返しの階段道が辛かったです。
Img_0404 山楽茶屋・古狸山です。この日は休みでしたが、大正時代の建物を使っているそうで、いい味を出してます。
Img_0406 自動販売機の片隅のディスプレーがラブリーです。
Img_0408 馬場家御師住宅です。幕末の慶応2年(1866年)に造られたものだそうです。
P9290154 下山はケーブルカーを使いました。車を停めていた駐車場で、猫のお出迎え。ただいま〜。
 帰りに日の出町のつるつる温泉で汗を流しました。pH9.9のアルカリ性単純温泉で、名前通りお肌がつるつるになります。都内にこんな温泉があるとは知りませんでした。

2011/12/21

【ヒーリングスポット御岳山(2)】御岳苑地駐車場〜大塚山〜御嶽神社

Img_0304
 今年は天候不順でなかなか山に行けず、運動不足で体重も増加。ということで、一泊二日で近場の山に行くことにしました。

【山域】奥多摩
【山名】大塚山(920.3m)、御岳山(929m)、鍋割山(1084m)、大岳山(1266.5m)
【日程】2011年9月28日〜29日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】(9/28)曇り、(9/29)晴れ
【ルート】(9/28)御岳苑地駐車場13:00…大塚山15:18…御岳山16:16…宿
(9/29)宿9:31…奥社…鍋割山…大岳山11:51…上高岩山…ロックガーデン…七代の滝14:12…ロープウェイ御岳山駅15:32

(※大きい地図や3Dグラフはこちら
【マイカー登山情報】御嶽駅から橋を渡り、少しロープウェイ方面に行った所から右下に降りていくと、50台ほど停められる無料の御岳苑地駐車場があります。ここから上は、すべて有料駐車場です。御岳山エリアの駐車場情報はこちら
P9280029 駐車場の猫に見送られて出発です。いってきま〜す。運動のためと、バス代節約のため、ロープウェイ駅まで舗装道路を登ります。
Img_0306 当然ロープウェイには乗らず、登山道をゆきます。昔の参道だそうで、両側は立派な杉並木です。冒頭の写真は「滝本の大杉」と呼ばれる樹木で、参道の杉並木のうち最大のものだそうです。道は舗装されていて、許可を受けた軽自動車が通行しておりますが、舗装されたのは最近のことだそうで、それ以前は「バタバタ」と呼ばれる八輪の不整地走行車で荷揚げしていたそうです。
 参道を上まで登りましたが、時間も早いし、まだ歩き足りないので、大塚山まで往復しました。
Img_0311 戻ってきて、産安社に参拝。写真は子授檜(こさずけひのき)。ちょっとエッチです。
Img_0317 立派なケヤキの樹です。「御岳の神代ケヤキ」と呼ばれ、国指定の天然記念物で、日本武尊の東征の頃から生えているという言い伝えがあるそうです。
Img_0322 御岳神社の入り口に「疱瘡社」がありました。疱瘡(ほうそう)とは天然痘のことで、幕末以降に種痘が広まるにつれて勢力が弱まる以前は、数年おきに大流行を繰り返し、多くの人の命が奪われました。昭和21年(1946年)の流行では全国で約18,000人が感染し、約3,000人が死亡しました。有効な予防法がなかった時代には、このように信仰の力で感染を防ごうとしました。疱瘡社はあちこちにあるようですが、ぽん太が気に留めたのは初めてでした。
Img_0321 案内板には次のように書かれています。

「疱瘡社(ほうそうしゃ)(疫神社(えやみのかみしゃ))
 御祭神 山末大主神(やますえのおおぬしのかみ)
 山末が山裾、つまり山麓を表していることから、神域である御嶽山内に疫病や穢れが入らないように祀られ、江戸時代に製本された御岳菅笠(神社にて複製を販売)にも「疱瘡痘診勝男木(いもはしかぬるで)の棚に、赤き幣、薯を備えて、祭りなば、軽くしとりて、成長(ひととなり)を松尾山にあとたれし、大山咋(おおやまくい)の神とかや」と病気よけとしての信仰が詠われています」
 
 「疱瘡社(疫神社)」ということから、「疱瘡社」といっても、疱瘡に代表される疫病(感染症)全体が祀られていることがわかります。
 御祭神の「山末大主神」は、「大山咋神」(おおやまくいのかみ)の別名です。Wikipediaによれば、大年神とアメノチカルミヅヒメの子で、『古事記』では、「この神は近つ淡海国の日枝の山に坐し、また葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ」と書かれ、山や水、大地を支配する神様です。滋賀県大津市の日吉大社を総本社とする全国の日枝神社、京都市西京区の松尾大社を総大社とする全国の松尾神社で祀られているそうです。全国の痘瘡社の御祭神がなになのか、ちょっとググってみたけどよくわかりませんでした。
 「痘瘡痘診(いもはしか)」の「痘診」は「痘疹」(痘瘡による発疹のこと)のことか。痘瘡は古くは「いも」「いもがさ」「もがさ」などと呼ばれました。「はしか」は正確には麻疹のことですが、厳密に区別されずに使われているようですね。
 「勝男木」は、一般には神社の屋根にある「鰹木」(かつおぎ)のことですが、ここでは「ぬるで」とルビがふってあります。ヌルデ(ヌルデ)はウルシ科の植物で、聖徳太子がヌルデの木で仏像を作って戦勝を祈願したことから、「勝の木」(カチノキ)とも呼ばれるとのこと。どうやら「ヌルデの木で作った棚」という意味でしょうか。
 「赤き幣」。幣(ぬさ)は、神棚にある、ギザギザの紙を竹で挟んで立ててあるやつですね。もちろん普通は白い紙を使いますが、ここでは赤を指定しているのは、痘瘡の原因である痘瘡神が赤い色を嫌うという信仰です。
 「薯」はお供え物でしょうが、上で書いたように痘瘡を「いも」ということと関係があるのでしょうか?
Img_0324_2 途中には、様々な「講」の碑があります。
Img_0325 甚大な被害をもたらした先日の台風15号の強風で倒れた樹で、参道が塞がれておりました。大型の重機が入れないので、撤去作業が大変とのことでした。
Img_0333 御嶽山神社の拝殿です。
Img_0334 畠山重忠の像です。御嶽神社には国宝の「赤糸威大鎧」(あかいとおどしのおおよろい)がありますが、畠山重忠が建久2年(1191年)に奉納したと伝えられています。
Img_0392 御嶽神社旧本殿です。明治10年(1877年)まで本殿として使われていたそうで、室町時代の様式だそうです。なかなかシックで壮麗ですね。
Img_0394 「神山霊土歌碑」(しんざんれいどかひ)です。案内板によりますと、御嶽神社の土を持ち帰って田畑に撒くと、虫害を防ぐことが出来るという信仰があるそうで、山岡鉄舟の書だそうです。
Img_0396Img_0397 皇御孫命社(すめみまのみことしゃ)には、なぜか狛犬ならぬ狛豚が……!御由緒は不明です。
Img_0400 大口真神社(おおぐちまがみしゃ)。おいぬさま(大口真神)が御祭神です。案内板によると、日本武尊の東征のおり、難を救った狼が、神となって祀られているそうです。そのためか、ワンちゃんを連れた参拝客が多かったです。御岳山ロープウェイも、ワンちゃんが乗車できるようになってます。
Img_0403 太占祭場(ふとまにさいじょう)です。立ち入り禁止になっております。案内板によると、太占祭というのは、1月3日の早朝に、鹿の肩甲骨を斎火で焙り、その割れ具合から農作物の豊凶を占う神事で、非公開で行われるそうです。古事記にも書かれている神事ですが、現在は御嶽神社と、群馬県の貫前神社(ぬきさきじんじゃ)の、二カ所しか残っていないそうです。
 確かに『古事記』を見てみると、イザナギとイザナミが子供を作ろうとしてうまく行かなかったため、高天原に登って天つ神のお言葉を請われたところ、「ここに天つ神の命をもちて、太占みト相ひて、詔りたまひしく」、と書かれています。また、天岩戸にこもってしまったアマテラスを誘い出そうとして、「天兒屋命、布刀玉命を召して、天の香山の眞男鹿の肩を内抜きに抜きて、天の香山の天の朱櫻を取りて、占合ひまかなはしめて」とあります。また下って垂仁天皇の御代に、御子のホムチワケが生まれつき言葉を話さないことに悩んでいたとき、夢に現れた神がいずれの神か知るために、「太占に占相ひて、何れの神の心ぞと求めしに」と書かれています。
 その夜は、宿坊「山楽荘」に宿泊。前回の記事でご報告いたしました。

2011/12/20

【ヒーリングスポット御岳山(1)】癒しの宿坊・山楽荘(★★★★)

Img_0337 9月末、ぽん太とにゃん子は奥多摩の御岳山に行ってきました。登山の報告は後回しにして、宿泊した宿を先にご紹介したいと思います。こんかいお世話になったのは山楽荘さんです。公式サイトはこちら。屋号「神乃家」と呼ばれ、川合玉堂や吉川英治などの文化墨客に愛された宿坊で、建物は風情ある木造建築、お食事は体に優しい医食同源の山菜薬膳、お風呂は温泉ではありませんが漢方薬草風呂、そしてなんといっても御嶽神社の神主を務めるご主人が魅力です。
Img_0340 客室は、旅館らしい柔らかさが感じられる和室です。
Img_0346 浴室は明るいタイル造り。温泉ではありませんが、手前側の風呂が薬草風呂になっております。
Img_0347 脱衣場に本日の薬草の内容が掲示されております。
Img_0349 さて夕食です。別室の民芸調の和室でいただきます。
Img_0350 「医食同源」をうたった夕食です。漢方薬や、自家菜園で作った有機野菜、天然の野草や山菜を使ったお料理です。見た目もきれいです。
Img_0351 お鍋の黒い麺は蕎麦のように見えますが、実はうどん。紫色の葉っぱはキンジソウだそうです。
Img_0352 こちらはマ○タケの土瓶蒸し……マイタケですね。美味しゅうございました。
Img_0354 鱒を竹の皮につつんで蒸し焼きにしたものですが、身の中におこわが入っています。
Img_0356 天ぷらもおいしいです。
Img_0357 こちらはトマトの蜂蜜煮です。見た目も可愛らしいですね。
Img_0358 こちらがお食事です。
Img_0359 デザートは梨のワイン漬け、ウコン茶がつきます。
Img_0360 こちらが朝食です。お粥がおいしかったです。
Img_0362 こちらが神殿の間です。朝拝に参加しようと思ったのですが、この日はありませんでした。前の日にお願いしておいた方がよいようです。宿のご主人は御嶽神社の神主で、有機野菜の栽培や、書画・彫刻などもでき、かなりヒーリング能力もあるそうです。
Img_0363 こちらがギャラリー山楽。打ち掛けや鎧、川合玉堂や吉川英治の書画などが展示されています。
Img_0366  ちょっとおもしろいのは、こちらの御岳山周辺散策イラストMAPに、この宿の周辺が「御師集落」(おんししゅうらく)と書かれているところ。歌舞伎の「伊勢音頭恋寝刃」の主人公の福岡貢は伊勢神宮の「御師」であるということは、以前の記事で書きました。その時は「御師」というものに実感が湧きませんでした、こんかい理解を深めることができました。
 さて、この宿は、温泉ではありませんが、宿の建物、医食同源のお食事、ヒーリング力、そして神主のお父さんの魅力が加わり、ぽん太の評価は4点です。

2011/12/19

【歌舞伎】染五郎が復活&主演の「碁盤忠信」が出色/2011年12月日生劇場昼の部

20111215_1439
 12月の歌舞伎公演は日生劇場。霞ヶ関駅からの途中、日比谷公園の紅葉がきれいでした。日生劇場は、ぽん太は初めて入りました。螺旋状のうねるような階段、奥様風ガウディという感じのホール天井や壁など、なかなか面白い建築でした。日生劇場の公式サイトに建物の解説がありますが、設計は村野藤吾(1891年〜1984年)とのこと。読売会館(現ビックカメラ有楽町店本館)などを設計した人だそうですが、これまであんまり意識していませんでした。
 さて今回は七世松本幸四郎襲名百年を記念した公演で、ひ孫にあたる染五郎、海老蔵、松緑が出演するとのこと。三人がそういう血縁だったとは、ぽん太は知りませんでした。夜の部は「また海老蔵の『勧進帳』」なので割愛し、昼の部を観ることにしました。『勧進帳』は7月の新橋、9月の大阪松竹に続いて、この半年で3回目。いくらお家の芸にしてもやりすぎでは?
 「碁盤忠信」は、明治44年(1911年)に七世松本幸四郎の襲名披露で上演されて以来、100年ぶりの公演とのこと。もちろんぽん太は初めてみたのですが、意外に面白かったです。散らばった碁石から敵が襲ってくることを読み取ったり、節分に見立てて碁石をまいて悪役を退治するなど、碁盤をライトモチーフにした様々な演出のアイディアが見事です。佐藤忠信が碁盤を持って戦ったという伝説に基づいているそうですが、『義経記』には書かれていないということで、ちとググってみましたが、いつ頃作られた伝説なのか、ぽん太ごときにはちとわかりませんでした。
 第一幕第一場の舞台は吉野の勝手神社。むむむ、ぽん太は以前に吉野に行って義経ゆかりの地を訪ねたはずなのに(その時の記事はこちら)、勝手神社の記憶がニャイ!調べてみると(吉水神社の公式サイト)、勝手神社は吉水神社の向かいあたりにありましたが、平成13年9月27日に不審火によって焼失し、現在は吉水神社の境内に仮遷座しているそうです。
 『義経記』は、岩波文庫版をこちらのサイトで読むことができます。義経と静が別れたのは勝手神社の前とは書かれておりませんが、伝説では義経は吉水神社に逗留していたとされておりますから、別れ話の場所が勝手神社の前あたりというのはあり得るような気がします。横川覚範は、「碁盤忠信」では堀川御所で忠信に闘いを挑みますが、『義経記』では、吉野にただ一人残った佐藤忠信に一騎打ちを仕掛けますが、ついにやられて首を掻かれてしまいます。これに驚いた敵方はいったん引き上げてしまい、忠信は町中に降りて来てある家に入ります。そこに追っ手が来たため、家に火をかけた上で、天井を破って逃げ延びます。先のブログに書いたように、吉野の金峯神社には、隠れていた義経が屋根を蹴破って追っ手から逃れたという言い伝えがありますが、ひょっとしたらこの忠信の行為と混ざっているのかもしれません。
 さて『義経記』に戻ると、吉野で逃げ延びた忠信は京に入り、思いを寄せていた女性を訪ね、その父親の小柴入道の家(堀川御所ではありません)にかくまわれます。この女性の名は、小車ではなく「かや」と書かれています。そして忠信を裏切ったのは、父親ではなくこの女で、内通したのは梶原景高ではなく「梶原三郎景久」となっていますが、どういうひとなのかぽん太にはわかりません。「梶原景久」という戦国時代の武将はいるようですが……。
 で、梶原景久は、恋人を裏切った「かや」をあさましく思って帰ってしまいますが、かやは次ぎに六波羅に密告し、忠信は敵に囲まれます。またもや天井を破って(!)脱出し、堀川御所に入ります。しかしここで二百騎余の敵に囲まれ、ついに自害します。
 さて、今回の公演に戻りますが、その忠信役の染五郎、勝手宮社前では若武者らしい凛々しさがなく、線の細さが目立って、なんだか世話物の町民みたいでした。しかし筋隈に変わってからは、荒事らしい大きさと迫力があって、すばらしかったです。歌舞伎美人の染五郎のインタビューによれば、染五郎が「碁盤忠信」の百年振りの復活に携わったとのこと。ぽん太は染五郎をちょっと見直しました。
 亀三郎は、ぽん太は今年の4月の新橋演舞場で観た『権三と助十』の助八の、バカっぽくて人のよさそうな印象が強く残っていて、『え〜、亀三郎が義経?」と思ったのですが、古風なひな人形のように凛々しく若々しい表情で、義経の高貴さはまだまだですが、意外にカッコよかったです。春猿の静御前は美しく、笑三郎はいつもながらによく言い立ても見事、猿弥おもしろく、錦吾は明るい味がありました。高麗蔵も武将の妻らしく、海老蔵も荒事はさすがに迫力がありました。
 「茨木」も初めて見た演目。梅丸君かわいかったです。松緑は、こういった古典的な演目はうまい。海老蔵は、あいかわらず声がくぐもって変な発声で、音程も変。揚幕の内からの声も、ターザンかと思いました。最後に鬼を追って片膝立てて舌を出しての見得は、七世幸四郎の型だそうですが、その前のぴょんこびょんこ跳ぶのと合わせて激しすぎ、「をひをひいったいどっちが化け物なんだよ」とつっこみたくなりました。


七世松本幸四郎襲名百年
日生劇場
十二月歌舞伎公演
平成23年12月15日・昼の部

一、碁盤忠信(ごばんただのぶ)
               佐藤忠信  染五郎
               横川覚範  海老蔵
                源義経  亀三郎
                静御前  春 猿
     塩梅よしのお勘実は呉羽の内侍  笑三郎
              番場の忠太  猿 弥
             小柴入道浄雲  錦 吾
           忠信女房小車の霊  高麗蔵

二、新古演劇十種の内 茨木(いばらき)
         伯母真柴実は茨木童子  松 緑
              渡辺源次綱  海老蔵
              家臣宇源太  亀 寿
              太刀持音若  梅 丸
               士卒仙藤  亀三郎
               士卒軍藤  市 蔵
               士卒運藤  高麗蔵

2011/12/18

【クラシック】大河の流れのごとし/佐渡裕・東京フィル「第九」

 今年の第九は、昨年に引き続き東京フィルハーモニー交響楽団を、八王子まで聞きに行ってきました。昨年はエッティンガーの指揮でキビキビした演奏でしたが、今年は佐渡裕。今年ベルリン・フィルの定期演奏会を振ったことで有名です。ぽん太はたぶん今回が初佐渡裕だと思います。
 定刻になると、まずは佐渡裕のオープニングトークで、ダイエットして痩せたことなどを披露。今回の演奏会の曲目は第九オンリーで、ぽん太としては、トークの替わりに何か一曲演奏して欲しかったですが、佐渡裕テレビの「題名のない音楽会」の司会者を務めているそうで、トークを期待している聴衆も多いのでしょう。
 肝心の指揮ですが、「今日も指揮でカロリーを消費します!」と言ってたわりには、細かく拍子を刻むのをけっこうサボっていて、エコ指揮でした。しかし身長187センチという長身が生み出す音楽は、大きく、暖かく、包みこむような音楽でした。細かいニュアンスを取り出して得意がったりすることなく、おおきな流れを重視しているように思えました。第一・第二楽章はわりと普通でしたが、第三楽章では、あまりテンポは揺らさないものの、ときに息を飲むようなディナーミクの変化を付けて、泣きたくなるほど美しい演奏でした。第四楽章の声楽が入ってからはゆったりしたテンポをとり、最近の原典重視の演奏とは異なって雄大で崇高で、ときにエネルギッシュで、まさに大河のごとき演奏でした。
 ソロでは、昨年も聴いたソプラノの横山恵子や、新国立で『蝶々夫人』のシャープレスを歌ったバリトンの甲斐栄次郎がよかったです。
 ひとつ残念だったのは、ホールの音響が悪いこと。二階の後ろの端のほうの席だったのですが、弦楽器が聞こえず金管ばっかり響いて、音のバランスが悪かったです。席によって違うのでしょうか。だとしたら、この席はS席として売らないで欲しいです。このホール、内装は凝ってますが、音響が悪いうえに、二・三階席への階段も、細い階段が一カ所あるだけで、使い勝手が悪いです。災害のときは迅速に避難できるんでしょうか。「新建築住宅特集」のページによれば、設計は「NTTファシリティーズ<平山文則、小川大志、西村当巨、野尻真伸、永石亜紗子、小島修、菊池祥央、小野辰正>八王子市南口開発推進室、シアターワークショップ<伊東正示、戸田直人、松木優、小林徹也、山下貴子、林恵子>永田音響設計<小野朗、内田匡哉>」とのこと。う〜ん、永田音響設計が関わってる。ぽん太の耳が悪いのかしら。見かけは立派だけど中身が問題……。まさか「オリンパス」ホールだから……じゃないですよね。


創立100周年 東京フィルハーモニー交響楽団
佐渡裕指揮 ベートーヴェン『第九』特別演奏会
2011年12月14日・オリンパスホール八王子

佐渡裕のプレトーク付き
ベートーヴェン / 交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付」

指揮 : 佐渡 裕
ソプラノ : 横山 恵子
アルト : 谷口 睦美
テノール : 西村 悟
バリトン : 甲斐 栄次郎
合唱 : 東京オペラシンガーズ
管弦楽 : 東京フィルハーモニー交響楽団

2011/12/17

【中国地方の温泉と世界遺産(9)】姫路城・男山千姫天満宮・姫路文学館・居酒屋若旦那・ごん太

Img_0275 ぽん太とにゃん子の中国地方の旅も、そろそろ終わりが近づいています。本日は東京の方に戻りながら神戸あたりで一泊、と思ったのですが、連休で宿が取れず。そこで姫路市に泊まることにしました。姫路と言えば、白鷺城とも呼ばれ、わずか12の現存天守のひとつ、国宝にして世界遺産にも指定された名城、姫路城です。わくわく。あれれ、なんだこのテントは。も、もしや……。な、なんと、保存修理中とのこと。うううううう。今回の旅は、世界遺産の石見銀山→豪雨と時間切れで敗退、国宝の出雲大社→御修造中、姫路城→保存修理中、とのこと。下調べというものをしないぽん太が悪いのか……。温泉とお酒は堪能できましたが、観光は不完全燃焼でした。姫路城の公式サイト(?)はこちら
Img_0287_2 天空の白鷺という企画があって、天守閣を覆っている修理用の施設を使ってエレベーターで登り、修復作用を間近で見られるそうですが、小一時間は並ばなくてはいけないということで、残念ながら省略いたしました。なんでもインターネットで予約もできるそうで、携帯を使って明日の予約を試みましたが、いったん個人登録をして、メールが返信されて、それから登録のどうのと複雑なので、めんどくさいからやめました。修理が終わるのは、2015年3月末の予定とのこと。ぜひ美しい全貌を見てみたいです。
Img_0281 お菊井戸です。以前に歌舞伎で見た『播州皿屋敷』の舞台ですね(その時の記事はこちら)。『番町皿屋敷』とは違いますのでご注意を。
 また、歌舞伎つながりで言えば、泉鏡花の『天守物語』の舞台も姫路城ですね。
Img_0300 こちらは男山千姫天満宮です。千姫は大河ドラマの「江」にも出てきましたね。江と徳川秀忠の娘で、豊臣秀頼の妻となりますが、大阪夏の陣のさいに徳川方によって助け出されます。このあたりは歌舞伎の「沓手鳥孤城落月」(ほととぎすこじょうのらくげつ)でも描かれております。元和2年(1616年)にこんどは桑名藩主本多忠政の息子の本多忠刻と結婚(ここまで「江」に出てました)。翌年本多家の移封にともなって姫路城に移りました。その千姫が、本多家の繁栄を願って建立したのがこの天満宮で、場内から遥拝できるように東向きに造られているそうです。
Img_0293 姫路文学館です(公式サイト)。もう夕方で閉まっていたので、安藤忠雄設計の建物の外観だけを見学しました。竣工は1991年3月。
Img_0289 スクリーンのような窓ガラスに、夕日に照らされた姫路城(の覆い)が映ります。
Img_0296 コンクリート打ちっぱなしの柱が、堂々たる印象を与えます。
Img_0295 こちらは微妙なプロポーションと、階段のリズムが心地よいです。無機質な壁面にスクリーンのように設けられた窓に、柔らかな自然が映し出されます。
Img_0297 カーブを描いた壁の重量感。
Img_0292 あまりに複雑な動線のため、案内板が必要なようです。
Img_0288 こちらは直線的に構成された南館です。
P9230516 今回の中国地方の旅の最後の夜、まずは居酒屋若旦那(サントリーグルメガイド)。瀬戸内海の新鮮な魚が食べられるお店です。どうですか、この刺盛り!。
P9230518 姫路名物の穴子です。
P9230523 次に行ったのが居酒屋ごん太。公式サイトはこちら。和気あいあいとした気さくな居酒屋です。写真は姫路おでん。生姜醤油でいただくのが特徴だそうです。美味しゅうございました。

2011/12/16

【中国地方の温泉と世界遺産(8)】松江城・小泉八雲旧居・八重垣神社・神魂神社・有希・じう

Img_0214 お届けしている9月下旬の中国地方の旅、本日のご報告は松江市です。
 まずは松江城。全国に12しかない現存天守(古い天守閣がそのまま残っているもの)のひとつで、慶長16年(1611年)に築城されました。国の重要文化財に指定されています。松江城のホームページはこちら。がっしりとしたプロポーション、白壁が少なく黒い板で覆われており、古風な印象があります。
Img_0226 入母屋破風と呼ばれる三角の屋根や、鐘のような形をした華頭窓など、桃山時代の様式を受け継いでいるのだそうです。
Img_0225 石垣も、自然石をあまり加工を加えずにそのまま積み上げる野面積(のづらづみ)と呼ばれる古い形式です。
Img_0217 地階は兵糧の貯蔵庫になっており、ろう城に備えて井戸も掘られております。
Img_0218 最上階が望楼になっているのも古風な様式だそうです。宍道湖が望めます。

Img_0230 何やら白い洋館が。案内板によれば、「興雲閣」という建物で、明治36年(1903年)、明治天皇の御宿所にするために建設されましたが、日論戦争の勃発により行幸はかなわなかったそうです。
Img_0233 城の北側に「小泉八雲旧居」があります。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)に関しては、ぽん太は「耳なし芳一」などの『怪談』の作者であるということぐらいしか知りませんでしたが、松江に住んでいたんですね。隣りが小泉八雲記念館になっており、いろいろと勉強になりました。

Img_0265 縁結びのパワースポットとして有名な八重垣神社です。主祭神は素盞嗚尊と櫛稲田姫で、素戔嗚尊が八岐大蛇の生け贄にされようとしていた櫛稲田姫を助け、結婚したのですね。
Img_0261Img_0262 門のなかにある狛犬。なかなかいい味を出してます。
Img_0263Img_0264 こちらの狛犬も、歴史を感じさせます。
Img_0270 神社の奥にある「鏡池」では縁を占うことができて、占いの紙にコインをのせて池に浮かべるとお告げが現れ、紙が早く沈むと早く良縁に恵まれるのだそうです。Wikipediaによれば、櫛稲田姫が八岐大蛇から身を隠しているときに、この池に鏡のかわりに姿を映したという言い伝えがあるそうですが、『古事記』や『日本書紀』には書かれておらず、出典は不明です。

Img_0241 近くにある神魂神社(かもすじんじゃ)は、国宝の本殿を持ちながら、来る人もまばらで静かな雰囲気です。
Img_0243 天然石を使った苔むした手水鉢が気持ちを落ち着かせてくれます。
Img_0256 これが国宝の本殿です。案内板によれば、正平元年(1346年)に建立されたものだそうです。「床が高く、木太く、とくに宇豆(うず)柱が壁から著しく張り出していることは大社造りの古式に則っているとされ、最古の大社造として」国宝に指定されたのだそうです。う〜ん、確かに素朴で力強く迫ってきます。出雲大社の本殿はもっとすごいんだろうな。見たかったな〜。大社造に関しては、Wikipediaをどうぞ。
Img_0250 境内にある稲荷神社の床下には、なぜか小さなキツネがいっぱいたむろしていました。かわいいです。

Img_0274出雲国分寺跡です。地図などはこちらをどうぞ。

P9220446 その夜は松江市内のビジネスホテルに泊まり、いつものように夜の街に繰り出しました。ぽん太とにゃん子が飲んべえの本能と感を頼りに入った店はここ!有希(ゆき)さんです。あまり情報はありませんが、食べログにリンクしておきます。地元のひとから観光客まで、なかなか賑わっている活気のあるお店で、島根の海の幸や名物がいただけます。宍道湖七珍ももちろんあるよ。
P9220448 ぽん太は知らなかったのですが、松江はおでんが有名だそうで、ここ有希さんでもおいしいおでんが頂けます。満足、満足。
Img_0236Img_0238 せっかく松江まで来て一軒ではもったいない、ということで、次の店に流れていきます。ぽん太とにゃん子が見つけたお店はこれ!「日本酒バーじう」さんです。食べログはこちら。その名も「ハイカラビル」というハイカラなビルの上にあるこじんまりしたお店で、日本酒がずらりと並んでいます。「東京で飲めない地元のお酒」ということで、これまで飲んだことのないお酒を飲ませていただきました。冷やさず常温で飲むのがマスターのおすすめですが、確かにふくよかな味がよくわかりました。
P9220450 おつまみは「海士のばちこ」。海士(あま)は隠岐の島の地名で、「ばちこ」(くちこ)はナマコの卵巣に塩をふって干した高級珍味で、かたちが三味線のバチににていることから「ばちこ」というそうです。例えばこちらが詳しいです。いやあ、松江の夜を満喫、満喫。ぽっくんぽっくんと腹鼓を打ちながら、ホテルに戻りました。

2011/12/15

【中国地方の温泉と世界遺産(7)】出雲の阿国ゆかりの地を訪ねる/連歌庵・阿国の墓・安養寺・出雲阿国終焉之地碑・於國塔・稲佐の浜

Img_0796 出雲大社から西に向かって海岸に至る道は、歌舞伎の創始者の出雲阿国にゆかりの史跡が並んでいます。ちょっとググってみたけどいい地図がないので、出雲観光協会のパンフレットにあった地図をアップしておきます。
Img_0190 まずは阿国寺の連歌庵。案内板によれば、「歌舞伎の始祖として一世を風靡した出雲阿国は、晩年は大社に帰り、尼僧「智月」となり、読経と連歌に興じて静かに余生を過ごしたと言われています。そのため、この草庵は阿国寺”連歌庵”と呼ばれるようになりました。連歌庵はもともと中村町にありましたが、中村の大火で焼失して、二代目は明治4年、廃仏毀釈によって取り壊され、昭和11年、「劇祖阿国会」によって再建されました。」
Img_0191 阿国の像です。Wikipediaによれば、阿国は出雲国松江の鍛冶中村三右衛門の娘として1572年に生まれ、出雲大社の巫女となり、文禄年間に出雲大社勧進のため諸国を巡回して評判になったそうです。晩年がどのようなものであったかは、はっきりしていないようです。
Img_0192 こちらは出雲阿国の墓の入り口です。階段を登っていくと……
Img_0194 これが阿国のお墓だそうです。
Img_0196 安養寺(あんようじ)です。案内板によると、先の連歌庵が廃寺になったと、阿国の持仏であった三十三体の観音像や遺品が、この寺に移されて祀られたそうです。現在は、三十三体のうち二体の観音像と、阿国愛用の数珠が残っているそうです。残念ながら、それらを見ることはできませんでした。
Img_0197 「出雲阿国終焉地之碑」です。このあたりの中村の里が、阿国が生まれ、また亡くなった地とされているようです。この日は昭和55年(1980年)に建てられたもので、題字は二代目中村鴈治郎(現坂田藤十郎(四代目)や中村玉緒の父)によるものです。
Img_0198 その横の石段を上っていくと、於國塔(おくにとう)があります。昭和11年に当時の名優たちの寄付によって建てられたものだそうですが、現在の塔は昭和43年(1968年)に再建されたものだそうです。
Img_0203 再び石段を降りたところにあった「公衆有線」です。若いひと、知ってますか?知らない人はWikipediaをどうぞ。
Img_0206 さらにその横には「乳房イチョウ」という樹があります。写真のように、乳房のような枝が垂れ下がっております。
Img_0207 海に出た所が弁天島を望む稲佐の浜。大国主命の国譲り神話の舞台で、大国主命が建御雷神に国譲りを決意した場所だそうです。岩波文庫の『古事記』をみると、「出雲國の伊那佐の小濱に降り到りて」(61ページ)となっておりますが、別の『口語訳古事記 完全版』(三浦佑之訳注、文藝春秋)では「伊耶佐」(いざさ)とされ(90ページ)、訳注で、出雲国風土記では「伊奈佐」(いなさ)となっていると書かれています。また『日本書紀』では「五十田狭」(いたさ)となっておりますが(『日本書紀(上)』講談社学術文庫、57ページ)、何がなんだかぽん太にはわかりません。

2011/12/14

【中国地方の温泉と世界遺産(6)】御修造中で見えない出雲大社・出雲そば「かねや」・竹野屋・大社駅

Img_0137 9月末の旅行の報告を続けております。台風15号の影響は続いておりますが、不安定ながらも時々晴れ間が見える天気となりました。本日は出雲大社の見学です。写真は大鳥居です。
Img_0141 駐車場に車を停め、入り口の鳥居をくぐると、参道はゆるやかに下っていきます。そして小さな川を渡ると、松並木のあいだの玉砂利の敷き詰められた道となります。
Img_0142 参道の右側にある「ムスビの御神像」です。案内板には、

    幸魂 奇魂(さきみたま くしみたま)
  時に海を照して依り来る神あり。
  吾在るに由りての故に汝その國造りの大業を建つるを得たり。
  吾は汝が幸魂奇魂なり。
  大國主神これ吾が幸魂奇魂なりけりと知りぬ。
 古事記また日本書紀に述べるところであります。出雲大社の御祭神大國主大神はこの幸魂奇魂の"おかげ"をいただいて神性を養われ「ムスビの大神」となられました。生きとし生けるものすべてが幸福になる「縁」を結ぶ"えんむすびの神"と慕われるゆえんであります。……

と、書かれておりました。
 一緒に国造りをしてきたスクナビコナが常世の国に行ってしまい、いったいこれからどうやって国を作ったらいいかと憂えているときに、海を照らしながら神がやってきたのです。
 『古事記』をみてみると、「是時有光海依來之神。其神言、能治我前者、吾能共與相作成。若不然者、國難成。爾大國主神曰、然者治奉之狀奈何。答言吾者、伊都岐奉于倭之青垣東山上。此者坐御諸山上神也。」(古事記 上巻-4/大国主命)となっており、「幸魂・奇魂」という言葉は出てきません。『日本書紀』には「于時神光照海。忽然有浮来者。曰、如吾不在者。汝何能平此国乎。由吾在故。汝得建其大造之績矣。是時大己貴神問曰。然則汝是誰耶。対曰。吾是汝之幸魂・奇魂也。」(j-texts)とあり、「幸魂・奇魂」は書かれていますが、「ムスビの大神」という言葉はぽん太には見つけられませんでした。
 「幸魂・奇魂」という言葉はぽん太は初めてききましたが、Wikipediaにも出ています。『古事記』にはなくて『日本書紀』にはあることを考えれば、当時の天皇制と関係した概念だったと思われますが、それがどのような歴史を経て現在の神道の概念に至ったのかは、ぽん太の知識の及ぶところではございません。
Img_0146 こちらが拝殿ですね。出雲大社では、「二拝四拍手一拝」の作法で拝礼するそうです。一般の神社では「二拝二拍手一拝」が普通ですが、ぽん太の記憶では、この作法は明治になってから作られたもののはず。ということは、出雲大社の作法も、明治以降のものなのでしょうか。
Img_0151 そしてその向こうには、いよいよ国宝の御本殿が……あれれ?なんと60年に一度の御修造中で、覆いで囲われていて、まったく見えません。むむむ、石見銀山に続く不完全燃焼です。
Img_0154 「十九社」です。旧暦十月を神無月といいますが、全国津々浦々の神様がこのお社に集まってしまって居なくなることが語源だという説があります。従って出雲では旧暦十月は、「神有月」と呼ばれるそうです。
Img_0157 日本一の大注連縄(しめなわ)で有名な神楽殿です。
Img_0160 神楽殿のやや南に掲揚されている日の丸は、NHKの放送終了寺に出て来る日の丸だそうです。

Img_0163 昼食は「かねや」さんで出雲そばを頂きました。公式サイトはなさそうなので、食べログにリンクしておきます。
Img_0161三段重ねの割子になっていて、ツユをかけていただきます。麺つゆはカラカラに入ってます。あんまり蕎麦の香りはしませんでした。
Img_0162 そば湯は超濃厚。

Img_0165 出雲大社のすぐ南に位置する竹野屋です。木造の美しい旅館ですね。そのうち泊まってみたいです。公式サイトが見当たらないので、るるぶトラベルにリンクしておきます。竹内まりやの実家としても有名ですね。

Img_0167 こちらは旧JR大社駅です。現在は廃線となって使われておりませんが、なかなか立派な駅舎で、重要文化財に指定されております。
Img_0169 観光案内所(?)が、なかなか繊細で美しいです。
Img_0180 線路にはD51774が停まっておりました。
Img_0176 運転席にも登れます。
Img_0174 大社駅に潜むウサギとカメ。まずはウサギから。ホーム上の鉄板の上に浮き上がっています。
Img_0188 こちらは屋根の上の鬼瓦ならぬ亀瓦です。

2011/12/13

【中国地方の温泉と世界遺産(5)】素朴で温かいおもてなし、お湯も食事もすばらしい郷緑温泉郷緑館(ごうろくかん)@岡山県(★★★★★)

Img_0133 またまた5点満点の宿です。う〜む、中国地方は秘湯の宝庫ですね〜。東京からはなかなか来れないけど。宿の情報は、ホームページがなさそうなので、じゃらん観光ガイドにリンクしておきます。
 場所は、岡山県と鳥取県の境界近く、蒜山高原の南側で、山あいの小さな山村のなかにあります。でも、高速道路の米子道の湯原インターチェンジからすぐ近くなので、交通の便はいいです。
Img_0136 まるでお城のような立派な石垣の上に、楼のようにそびえております。明治時代に造られたという木造二階建ての建物は、白い壁に黒い棟木が美しく、立派な入母屋の瓦屋根を持ち、まるでお寺のようにも見えます。
Img_0123 ロビーは民芸調で、アットホームな雰囲気です。ちなみに宿のお父さん・お母さんも、とても素朴で気さくでアットホームです。
Img_0098 日帰り温泉として利用しているお客さんがお多いらしく、本日の宿泊はぽん太とにゃん子だけ。2階の一続きの和室を貸し切りです。窓がサッシュに変えられているのが残念ですが、いい雰囲気です。
Img_0099 窓からの眺め。いや、絶景かな、絶景かな。
Img_0131 宿の向い側にあずまやがありますが、これって神社では?
Img_0130 やっぱり。くちはてた狛犬があります。それにしても、この狛犬……得点が高いです。
Img_0126 宿の裏にはワンちゃんが。こう見えてもウサギの猟犬で、宿のお父さんの言うことしかきかないそうです。
Img_0127 隣りの池に、なにやらワサワサと生き物が。スッポンです。移動速度が速いのにはびっくりしました。実はこの宿は、スッポン料理を頂けることでも有名です。
Img_0101 いよいよ温泉です。浴室は一つしかないので、混浴というか、譲り合って入るようです。脱衣室は鄙びた感じがいいです。
Img_0103 こちらが浴室です。改装されたようであたら行くきれいで、御影石で浴槽が立派です。写真左奥が源泉、右手前は沸かし湯です。泉温が34.2度と低いため、しばらく源泉に浸かったあと、沸かし湯で体を温めます。
Img_0108 源泉の浴槽の底は、天然の岩盤になっており、岩の裂け目からお湯が湧き出しています。湧出量30.5l/minと湯量豊富で、もちろん源泉掛け流し。無色透明・無味無臭のお湯ですが、泉質はアルカリ性単純温泉で、お肌がすべすべになります。Ph9.1は、ぽん太が記録した範囲では、もっとも強アルカリ性です。
Img_0115 さて夕食です。さきほど書いたように、名物のスッポン料理とイノシシのすき焼きを断っての会席料理。お父さん・お母さんが気を悪くしたのではないかと心配でしたが、まったくそんなことはなく、真心のこもったお料理でした。なすにししとう、ミョウガなど新鮮な夏野菜がうまい、うまい。お父さんが打ったという猪の肉も、ちっとも生臭身がなくて美味しかったです。
Img_0124 こちらが朝食。素朴な献立ですが、やはり素材が新鮮で、一つひとつ手がかかっており、何よりも真心がこもっております。
 立派な石垣を持つ不思議な木造二階建て、岩から湧き出る強アルカリの湯、おいしいお料理と鄙びた雰囲気。素朴で温かく真心がこもっていて、田舎に帰ったみたいでくつろげます。ぽん太の評価は5点満点。

2011/12/12

【演劇】〈ネタバレ注意!〉あの、笑えないんですけど・『90ミニッツ』三谷幸喜

 本日の記事はネタバレがありますのでご注意下さい。
 三谷幸喜生誕50周年スペシャル「三谷幸喜大感謝祭」のラストを飾る舞台とのこと。公式サイトはこちらです。
 忙しい12月、ちょっとの間でも現実を忘れて心から笑おうと、仕事の合間を縫い、冷たい雨の中わざわざ見に行ったのに、テーマが医療で、しかもどっぷり重たい話しで、ちっとも笑えまへんがな!あたしゃすっかり気が重くなったよ。
 登場人物は二人だけ。交通事故で救急病院に担ぎ込まれた若者を、なんとか手術して助けたいと願う整形外科副部長の医師(西村雅彦)と、信仰上の理由から輸血を伴う手術を拒否する若者の父親(近藤芳正)です。舞台の冒頭で90分以内に手術をしないと若者は死んでしまうということが告げられ、リアルタイムで二人の激しいやり取りが繰り広げられます。
 医者からすると、これは「ありえる話し」であって、演劇的な架空の状況ではありません。実際そのような事件が過去に起きているのは皆さんもご存知の通り。ぽん太は外科医ではないので輸血が問題になったことはありませんが、ぽん太の医学的な考え方と、患者さん(と家族)の思いの食い違いに悩むことは多々あります。なんだか身につまされる話しです。
 しかもその問題に関して、この劇で呈示されている論点は、ほとんど周知のものばかりです。ぽん太は医療問題のシンポジウムに行ったわけではありませんから、新たな論点が呈示されていなくてもかまわないんですけど、だとしたらそれが演劇として面白く作られていなかったら、わざわざ舞台を見に行った価値がありません。三谷幸喜の作ということで、ぽん太を初めとする観客は、笑う気満々だったと思うのですが、時おりくすくすと笑うぐらいしかできませんでした。医者からみても「あるよな〜」と笑えるようだと良かったんですけど。
 唯一面白かったのが、それまで輸血を拒否していた父親が、輸血はしていいけど手術承諾書にはサインしないので、医者が勝手にやったということにして手術をしてくれと言い出すところ。そうか〜こういうパターンもあったか!これまで「息子の命が大切じゃないのか!」と父親を怒鳴っていた医師が、逆に父親から、「裁判を起こされて生活や医師としてのキャリアを失うことのほうが、患者の命よりも重要なのか」と詰め寄られます。これを機に父親と医師の立場がすっかり逆転して……などとなっていれば笑えた気がするのですが……。整形外科副部長が今度は救命救急室にいる医師や看護師に、電話で「自分の許可なしに、現場が勝手に手術したことにはできないか」などと言い出すあたりも笑いを取れそうですが、あっさりと流してました。
 三谷幸喜はこの芝居では、あえて笑いを捨てていたのでしょうか。それとも小林聡美との離婚という私生活の問題が影を落としているのか、あるいは「三谷幸喜大感謝祭」で書きすぎて筆が荒れているのか、初日から間もないので二人の間が悪いのか。むむむ、わかりません。
 セットはシンプルで照明や美術もさしたる工夫がなく単調。正面に流れ続ける水が、砂時計のようでもあり、また少年の命をも表しているようですが、ちょっとありきたり。せっかく90分という、現実と舞台上の時間が一致しているという設定なのに、だんだんと緊迫していく感じが出てませんでした。
 二人の登場人物がずっと怒鳴り合っているのも聞いてて不快。また対話が理屈っぽすぎて疲れました。
 もっと笑って笑って最後にほろりとするのがよかったんですけど。


「90ミニッツ」
2011年12月8日 PARCO劇場
作・演出/三谷幸喜

出演/西村雅彦、近藤芳正

美術/掘尾幸男
照明/服部基
音響/井上正弘
衣裳/黒須はな子
ヘアメイク/河村陽子

2011/12/11

【中国地方の温泉と世界遺産(4)】土砂降りと時間切れで敗退・世界遺産石見銀山

Img_0090 世界遺産に指定された石見銀山を土砂降りのなか観に行ってきました。石見銀山世界遺産センターの公式サイトはこちら
 のんきなぽん太はまったく下調べをせずに行ったのですが、銀山地区はパークアンドライドが行われており、自家用車はもちろんタクシーも入れないとのこと。坑道までは、片道40分の道のりを歩かなくてはなりません。天気がよければ貸し自転車もあるそうですが、あいにく今日は、傘をさしていてもあっという間にずぶぬれになるほどの土砂降り。泣く泣く見学を断念し、世界遺産センターの室内展示と、街並地区をちらっと見て帰ることにしました。
Img_0091 シブいタバコ屋さん。昔はよくありましたネ。
Img_0092 こちらは病院です。現役で使われている雰囲気でした。

2011/12/10

【中国地方の温泉と世界遺産(3)】媚びのない最上のおもてなし・湯村温泉湯乃上館@島根県(★★★★★)

Img_0084 今回は久々に5点満点のお宿をご紹介。出雲空港から南へ山中に入っていき、斐伊川に沿う山あいの村落に湯村温泉湯乃上館があります。公式サイトはこちらです。
 ヤマタノオロチ伝説で、スサノオノミコトが川上から箸が流れてくるのを見て人が住んでいることを知ったのが、この斐伊川だと言われているそうです(→Wikipedia)。
Img_0086 鄙びた山村というよりも、ちょっと格式のある村落です。宿の建物も木造二階建てですが、石垣が廻らしてあって、歓楽街や湯治場の雰囲気ではありません。
Img_0053 庭も立派で、しっかりと手入れされてあります。
Img_0061 玄関も広々としており、媚を売る感じがありません。
Img_0057 こちらがぽん太とにゃん子が泊まった客室。心が落ち着きます。
Img_0085 いわゆる内湯はなく、道を挟んで向い側の共同浴場を使用します。とはいえこの共同浴場は、湯乃上館が所有しているようで、早朝なども鍵を借りて勝手に入ることができます。
Img_0083 こちらが浴室です。内部のデザイン感覚がなかなかいいです。お湯は無色透明・無味無臭ですが、肌に優しいお湯です。泉質はアルカリ単純泉とのこと。
Img_0078 もちろん源泉掛け流しで、加温・循環はしてません。お湯はいったん溜め桶に注がれ、そこから湯船に流れ込むようになっております。カランはなく、この溜め桶のお湯を汲んで使います。泉温は43度なので、お湯は若干ぬるめに感じられます。
Img_0079 こちらが付属の露天風呂。風呂の前が川になっております。台風の影響で増水しており、ひょっとしたら浴場が閉鎖になるかもしれないとのことでしたが、大丈夫でした。
Img_0072 こちらは貸し切り風呂です。窓の外の濁流もご覧下さい。ヤマタノオロチが怒っているのでしょうか。
Img_0054 お食事は、茅葺きの小さな庵で頂きます。1日1組限定です。
P9200282 内部には囲炉裏がしつらえてあります。
Img_0068 鮎の炭火焼です。
Img_0069 煮物にお刺身。真ん中の小鉢は「ワニ」です。ワニといっても、もちろん爬虫類のワニではなく、サメのことですね。因幡の白兎が騙して背中を渡ったのもサメです。
Img_0070 ご飯はおにぎりを焼いていただきます。
Img_0088 朝食です。量は多くありませんが、豆腐、おひたし、玉子、お味噌汁、一つひとつが手作りで美味しいです。真ん中のちくわみたいなのは、島根の名物「あご野焼」です。あごというのはトビウオのことですね。
 静かで落ち着いた雰囲気、歴史を感じさせる格式ある木造建築、木のぬくもりを感じる浴室、柔らかいお湯、豪華ではないけど素材が美味しいお料理、ぽん太の評価は5点満点です。

2011/12/09

【中国地方の温泉と世界遺産(2)】目玉親父も泣く土砂降りの水木しげるロード@境港市

P9200264
 台風15号(あの、沖縄付近でぐるりと輪をかいたあと、日本列島を縦断したヤツです)による土砂降りのなか、今夜の目的地島根県を目指してひた走るぽん太とにゃん子。途中、鳥取県は境港市の有名な水木しげるロードをみちくさし、雨でずぶぬれになりながら観光いたしました。目玉の親父が涙を流してました。茶碗の水は、銅像の一部なのか、たまった雨水なのか……。
 境港市観光協会のサイトはこちら、水木しげるロードMAPはこちらです。
Img_0041 雨に打たれて黒光りする鬼太郎です。
Img_0043 「お〜い鬼太郎、こりゃひどい雨だな〜」とネズミ男です。
Img_0044 おたべちゃん(?)もこのような姿に……。
Img_0047 タクシーの提灯もこの通り。
 鬼太郎といえば、ぽん太が棲息する東京の多摩地区にある、NHKの連続ドラマ「ゲゲゲの女房」でも有名になり、水木しげる先生が住んでおられる調布市の方が本家ではないのか?調布市の天神通りにも鬼太郎のモニュメントがあります(→調布市観光協会)。なんで境港市が鬼太郎なんだ?
 ググってみると、境港市は水木しげるが生まれた所とのこと。しかも境港市の水木しげるロードのオープンは平成5年(1993年)で、調布の天神通りにモニュメントが設置されたのは平成7年(1996年)。むむむ、境港が本家やんけ。参りました、降参です。

2011/12/08

【中国地方の温泉と世界遺産(1)】金泉の源泉掛け流しでこのお値段・有馬温泉上大坊(★★★★)

Img_0010 9月下旬、ぽん太とにゃん子は長めの休みを取って、北アルプスの読売新道を歩く計画を立てていたのですが、またしても台風が近づいてきたため計画中断。急遽、まとまった休みじゃないと行けない中国地方を旅することにいたしました。まずは、にゃん子が行ったことがないという有馬温泉で一泊。「西の有馬、東の草津」と呼ばれる名湯です。しかし、有馬温泉は全体的にお値段がお高い……。かといって、巨大なホテルには、ぽん太とにゃん子は泊まる気はいたしません。
Img_0005 ということで、こんかいお世話になったのは、上大坊(かみおおぼう)さんです。こじんまりとした和風旅館でお値段もリーゾナブルですが、金泉の源泉掛け流しに入れるのがごちそうです。ホームページはこちらです。
Img_0004 なかなか味のある看板ですね。実はぽん太はこの旅館には、今を去ること25年前くらいに泊まったことがあります。ちょっとした人生の節目の一人旅でした。ここは思い出の旅館なのです。
Img_0037 こちらが客室です。宿の建物時代は少し古い感じなのですが、部屋はリフォームされていて、新しく綺麗です。
Img_0002 さて、早めに宿に着いたので、温泉街を散策してみることにしました。まずは天神泉源。金泉の源泉で、宿の近くの天神社という神社の境内にあります。
Img_0008 赤い欄干が可愛らしいこの橋は「ねね橋」と呼ばれ、傍らにはねねの銅像が立っています。ねねは有馬に別邸まで設けていたそうです。
Img_0014 なんじゃこりゃ?バーバーパパか?温泉寺付近では、あちこりに現代アートが展示されておりました。
Img_0015 温泉寺(おんせんじ)です。『日本書紀』にも記されているという歴史ある有馬温泉ですが、奈良時代に行基が基礎を築いたとされています。そのとき行基が建てたのが温泉寺で、火災による移転や再建を経て、現在にいたっているそうです。
  建久2年(1191年)、仁西(にんさい)という僧が、洪水によって荒れ果てていた有馬温泉を再興しました。そのときに12の宿坊を作ったことから、現在でも有馬温泉には「○○坊」という名前の宿が多いのだそうです。上大坊もそうですね。
Img_0019 念仏寺です。ここに「ねね」の別邸があったと言われています。
Img_0017 極楽寺です。阪神・淡路大震災で壊れた庫裏の再建工事の際、豊臣秀吉の湯山御殿跡の遺構が発見されたそうです。
Img_0026
 小雨もぱらついてきたので、宿に戻っていよいよ温泉です。じゃ〜ん。階段を下りていくと、まっ茶っ茶の古びた小さな浴槽があります。金泉の源泉掛け流しです。をゝ、これじゃこれじゃ、20年前の記憶が甦ってきました。隣りの透明な浴槽は、銀泉ではなく、普通の沸かし湯です。
 有馬温泉のお湯は、このような茶色のお湯と、透明なお湯と二種類あり、それぞれ金泉、銀泉と呼ばれております。銀泉には、さらに炭酸水素塩泉と放射能泉の二種類があるそうです。

Img_0025 金泉のどアップ。何ともいえない味わいがあります。ぜひとも改築しないで欲しいです。
 成分はとにかく濃い、というかほとんど泥水です。まず比重が1.029g/cm3。海水の比重が、水温にもよりますが1.024g/cm3ですので、それよりも大きい。ということで、プカプカ体が浮きます。誰もいないときに試してみましょう。確かになめるととても塩っぱいです。その他の成分も他の温泉とは比べ物にならないくらい多いです。こんかい着目したいのはラドン。1.0Bq/kgです。現在の食品の放射性物質の基準値がどうなっているのか、ちょっとググってみたのですがわかりませんでした。飲料水が200Bq/kgだそうで、これ自体が高すぎるという議論もあるようですが、1.0Bq/kgならなんら問題はなさそうですね。
Img_0030 こ、これは……!?源泉を冷ましながら湯量を調節する装置です。竹の樋を源泉が流れてきますが、途中に等間隔に穴があいていて、そこに同じく竹の箸状のものが刺してあります。この箸を抜き差しして、湯船に落ちるお湯を調節するようです。ぽん太は生まれて初めて見た仕組みです。

Img_0031 夕食はお部屋でいただきます。神戸牛のしゃぶしゃぶに松茸もついて、温泉街らしい華やかでウキウキするようなお料理です。

P9200249Img_0034 頃合いを見はからって出て来る寄せ豆腐やホイル焼きもおいしゅうございました。
Img_0036 朝食はご覧の通り。美味しゅうございました。朝食後に外湯に行って銀線に入ろうかと思ったのですが、台風15号の影響で土砂降りになり、断念いたしました。
 天下の名湯有馬温泉のこじんまりした和風旅館にリーゾナブルなお値段で泊まれます。そして金泉の源泉掛け流しは最高の贅沢。ぽん太の評価は4点です。

2011/12/07

【歌舞伎】わがままだけど愛すべき勘三郎の「松浦の太鼓」2011年12月平成中村座夜の部

 12月は何かと忙しいので、平成中村座は夜の部だけの観劇です。
 まずは扇雀の「葛の葉」です。ぽん太が疲れで眠かったせいかもしれませんが、意外と面白くありませんでした。狐の葛の葉の世話女房は手慣れていて上手でしたが、赤姫の葛の葉は、心を痛めているのはわかりますが、可愛らしさがありません。狐になってからも、動きぎこちなくて狐らしいしなやかさがないし、狐言葉もリズムが感じられませんでした。早替わりや曲書きはお見事でしたが、全体として、子を思う母の心情が伝わってきませんでした。松也の安倍保名の方が、しなやかで色気があって美しく、ちょっと見直しました。
 「関扉」は、常磐津の大曲にのせた舞踊劇。踊りはよくわからないぽん太ですが、七之助の目の覚めるような美しさ、菊之助の傾城らしいふっくらした色気、勘太郎のしっかりした踊り、どれも良かったです。こうした名作を一つひとつこなしていく勘太郎と七之助に、エールを送りたいです。菊之助、また少し太ったか。
 勘三郎の「松浦の太鼓」が今回のメインディッシュ。以前に仁左衛門で観たことがありますが、仁左衛門だと可愛らしかった松浦鎮信が、勘三郎だと滑稽で面白かったです。人が良くて、お銚子者で、正義感があって、わがままだけど愛すべきお殿様。いっこうに討入ろうとしない源吾の妹に対して不機嫌になるあたり、気難しい先代を思わせます。「(討ち入りを)楽しみにしてたのじゃ」までの持ってき方とかもうまかったです。ちょっと声が小さい気もしましたが、最高でした。大高源吾の菊之助、イナセな味わいが出てきました。
 客席に、世界の旅人が来てました。本当の自分は見つかったでしょうか?


平成中村座 十二月大歌舞伎
平成23年12月4日・夜の部

一、芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)
  葛の葉(くずのは)
      女房葛の葉/葛の葉姫  扇 雀
            安倍保名  松 也
            信田庄司  亀 蔵

二、積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)
     関守関兵衛実は大伴黒主  勘太郎
     傾城墨染実は小町桜の精  菊之助
           小野小町姫  七之助
          良峯少将宗貞  扇 雀

三、秀山十種の内 松浦の太鼓(まつうらのたいこ)
  両国橋の場
  松浦邸の場
  同 玄関先の場
            松浦鎮信  勘三郎
            大高源吾  菊之助
              お縫  七之助
            宝井其角  彌十郎

2011/12/06

【温泉】すごい温泉力(泡の湯温泉三好荘@山形県★★★★)・一つひとつ仕事してます(寿司安@新潟市))

P9010142 アルパカの真実を知ったぽん太とにゃん子は、一路東北へ。山形県は小国町にある泡の湯温泉三好荘に向かいました。公式サイトはこちらです。場所は飯豊連峰の北側の山ふところ。周囲は広々としており、美しい広葉樹の森が広がっています。とても静かで、清らかな感じです。このあたりは日本有数のマタギの里だそうです。宿の建物は、普通の和風旅館です。
P9010144 こちらが源泉の内湯です。浴槽は広くないですが、源泉掛け流しで湯量は十分です。泉温が38度とやや低めですが、この季節(8月)だと大丈夫。ゆっくりと入ることができます。緑灰色のうすにごり。鉄っぽくて塩っぱくて薄甘い味がします。多量の炭酸ガスを含んでいるのが特徴で、入っていると体に泡がついてきます。「泡の湯」という名前の由来です。泉質は含鉄・二酸化炭素ーナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩温泉とのこと。こちらに温泉分析書がありますが、遊離二酸化炭素がなんと1495mg/kgで、ぽん太が記録をしているもののなかでは、釜沼温泉大喜泉の1774mg/kgに次いで2位にランクされます。稲子湯(1094mg/kg)や唐沢鉱泉(1012mg/kg)を上回っております。それ以外にも、各成分がすごく濃いです。リチウムイオンも9.3mg/kgと多く、このお湯を飲んでいるとうつ病になりにくいのではないかと思いますが、その前に塩分とり過ぎで高血圧になるかもしれません。
P9010147 こちらは、天然水を湧かした内湯です。窓の外は川が流れており、向こう側に水車小屋があります。まわりは600本のシャクナゲが植えられていて、春には美しい花を咲かせるそうです。
P9010152 夕食です。イワナの塩焼きにお刺身、さまざまな山菜にキノコと、山の幸をふんだんに使ったお料理で、とても美味しかったです。春や秋にも来てみたい!
P9020163 朝食も山菜類がおいしかったです。
 様々な温泉成分をたくさん含む炭酸温泉が最高。山の幸を使った料理もおいしく、飯豊連峰をいただく周囲の景観も美しいです。建物は普通なので、ぽん太の採点は4点。

P9020168 帰りは日本海側に抜けることにしました。国道113号線で、荒川に沿って下っていきます。ぽん太は初めて通った道です。途中に関川村の下関というところがあるのですが、ここに古い街並が残っておりました。例えばこちらの関川村観光協会のページをご覧下さい。下関は江戸時代、新発田あるいは村上と米沢を結ぶ米沢街道の宿場町、荒川による水運の拠点として栄えたそうです。18世紀に建てられた豪邸が残っており、いくつかは国の重要文化財に指定されているそうです。今回は時間がなかったので下車観光は割愛し、車窓より観光いたしました。写真は国指定重要文化財の佐藤邸。明和2年(1765年)の建築で、庄屋を務めた大地主だったそうです。

P9020190 なぜ先を急いだかというと、新潟市でおいしい鮨を食べたかったから。どこに行こうか迷ったあげく、以前に行ったことがある寿司安さんに行くことにしました。公式サイトはなさそうなので、にいがた鮨三昧のサイトにリンクしておきます。
P9020181 前回は「おまかせ旬のにぎり」をいただいたのですが、一つひとつ江戸前の仕事がしてあって、とても美味しかったです。今回は「極み」をいただきました。何でも2007年4月に新潟が政令指定都市になったのを祝って新潟のすし職人が開発した新メニューだそうです。「極み」の公式サイトはこちら。各店共通のメニューでは職人さんの腕を活かせないのではないかと思ったのですが、心配ご無用、基本は決まっているようですが、それぞれの鮨職人さんが工夫を加えて仕上げているようです。写真は本マグロの大トロ。お塩で頂きます。ワサビが多すぎるように思えますが、口の中で大トロの脂と合わさると、ちょうどいい辛さです。
P9020186 こちらは追加で頼んだ「カステラ」。このお店の名物の玉子焼きです。お寿司とつまみで頂きました。
 おいしいお寿司をいただいて満足満足、満腹満腹、さてあとは一路帰宅するだけと思ったのですが、台風12号による豪雨で関越道が通行止めとのこと。泣く泣く長野自動車道経由で巣穴のある多摩まで帰りました。あゝ遠かった……。なんで東北旅行に行って中央道で帰って来るのかしらん、よくわかりません。

2011/12/05

【温泉・動物】露天風呂三昧(塩の湯柏屋旅館@栃木県★★★)・アルパカの真実(アルパカ牧場)

 8月末、栃木県は塩原温泉の、塩の湯柏屋旅館に泊まってきました。貸し切りで楽しめる6つの露天風呂(一つは地震の影響で閉鎖中)が売りです。温泉街から離れた鹿股川に面した静かな山間にあります。公式サイトはこちら
P8310053 建物はコンクリート製で、残念ながら風情はありません。近くに昭和10年に建てられたという木造瓦屋根の雰囲気ある建物もあり、「柏屋別荘」として使われているようです。手前には以前に紹介した明賀屋本館があり、さらに手前には廃業した「玉屋旅館」の廃墟があります。これも風情がある建物なのですが、残念です。現在は場所をかえてホテル塩原ガーデンとして営業しているようです。
 塩の湯温泉は、明治・大正期には大いに賑わったそうで、高村光太郎・智恵子夫妻も柏屋旅館に泊まったそうです。
P8310057 客室は広く、ベッドになっているのが有り難いです。
P8310065 さて、いよいよお風呂です。男女別の内湯以外に、6つの露天風呂(一つは震災の影響で閉鎖中)があり、無料の貸し切りで何度でも入れます。お湯は褐色で濁っていて、なめると「塩の湯」というように塩っぱくて、鉄味がします。もちろんすべて源泉掛け流し。写真はらいていの湯です。
P8310069 眼前を鹿股川の清流が流れており、とても涼やかで気持ちがいいです。
P9010102 こちらは桐の湯。屋根があって、奥に座敷の休憩室があり、風雅な雰囲気です。昔は露天風呂付きの離れの客室として使っていたものを、改造したんだそうです。
P8310085 こちらがにゃん子撮影の内風呂(女湯)です。
P8310097 夕食は豪華ではありませんが、地元の新鮮な食材が使われていて美味しゅうございました。
P9010100 こちらが朝食です。美味しゅうございました。
 宿の売りの露天風呂がすばらしく、泉質も温泉力十分です。ただ、食事は素材は新鮮だけどまあ普通で、建物の風情がありません。ぽん太の採点は4点に近い3点です。でもお値段を考えればリーゾナブルで、いろいろな露天風呂を満喫したいという人にはオススメです。

P9010111 翌日は、ミラバケッソで有名な那須のアルパカ牧場に、癒されに行きました。お〜っ、いるいる。公式サイトはこちらです。
P9010114 あれれ、なんか可愛くないです。ちょうど毛が刈り取られた後だそうです。なんかヤギというかラクダというか。
P9010121 顔のアップ。思っていたよりも面長です。写真では見にくいですが、下の前歯が2本ななめ前に向かって生えています。また動きも可愛くありません。しかも土で汚れてる。
P9010132 奥の方に、毛を刈り取られていない子供のアルパカがいました。これはモコモコしていて可愛いですね。アルパカはやっぱりこうでなくちゃ。でもやっぱりきったな〜い。
P9010140 アルパカは、意外と癒されないということがわかりました。

2011/12/04

【動物】チーター(&キングチーター)・ユキヒョウの赤ちゃん・多摩動物公園

P8310050
 8月末のことですが、多摩動物公園でチーターの赤ちゃんが公開されているということで、会いに行って参りました。
P8310042 全部で4匹。じゃれたり走ったり木に登ったり、元気一杯に飛び回っておりました。目頭から下に伸びる黒い線がチーターのチャームポイントですね。
P8310034 4匹のうち1匹は、「キングチーター」の赤ちゃんとのこと。この子ですね。普通のチーターの模様は点々ですが、キングチーターは模様が濃くて大きく、一部は縞状につながってます。
P8310044 大きさは、お母さんのお尻と比べてこれくらい。
P8310049 実はユキヒョウにも赤ちゃんが生まれていました。ただこちらは、木の台の上でママとお昼ね。あんまり見えませんでした。

2011/12/03

【オペラ】円高も震災も原発事故もユーロ危機も忘れる『こうもり』新国立劇場

 新国立の『こうもり』は、2009年1月に観たプロダクション。そのときのぽん太の記事のタイトルは「しばし不況を忘れる新国立の『こうもり』でしたが、その頃より世のなか数段悪くなっているような……。『こうもり』の初演は1874年ですが、その前年の1873年は株が大暴落して世界的な大不況が始まった年でした。円高も震災も原発事故もユーロ危機もみんなみんな忘れちゃえ!公式サイトはこちら
 ぽん太が見に行ったのは初日でしたが、息が合わないところもなく、とても楽しかったです。みなさん演技が巧みで、あいかわらずギャグも満載。特に今回はアデーレとイーダが二人とも日本人だったので、掛け合いが日本語でわかりやすかったです。それにしてもヨハン・シュトラウスの音楽はい〜ですね〜。堅苦しい「芸術作品」ではないけれど、音楽的な才能はすごいんでしょうね。
 アドリアン・エレートは、アイゼンシュタインは初役とのこと。今年の『コジ・ファン・トゥッテ』でグリエルモを聴きましたが、『コジ』とはまた違ったユーモラスな演技でした。とっても身軽で、机の上から飛び降りたり、東京シティ・バレエ団の踊りを真似したりしてました。ロザリンデのアンナ・ガブラーは注目の若手だそうですが、ゆとりを持って歌っている感じで声に豊かな表情がありました。どことなくあだっぽい雰囲気が、このウィーンのオペレッタに合ってました。チャールダーシュもなかなかの迫力。フランクとフロッシュの刑務所コンビは前回と同じキャスティング。フランクのルッペルト・ベルクマンはいかにも刑務所長らしい体格と歌声で、軽妙な演技もうまいです。フロッシュのフランツ・スラーダは日本語を交えてのユーモラスな台詞が絶品。歌は歌わないので俳優さんかしら。ググってみたらドイツのWikipediaに出てました(→こちら、そのGoogle翻訳はこちら)。
 オルロフスキー公爵はエドナ・プロホニク。前回のエリザベート・クールマンが虚無的でメランコリックな青年ならば、プロホニクは迫力があって、ヒステリックな暴君か。アルフレードは前回同様に大槻孝志が甘いテノールを聴かせてくれました。
 橋本明希のアデーレが、初めて聴いた歌手ですが大金星。声量には欠けるけど、非常に丁寧に上手に歌ってました。小柄で可愛らしく、演技力もあって、いかにも小間使いという雰囲気が出てました。も少し聴かせどころで観客を引きつける魅力があるといいのですが。
 エッティンガー指揮の東京フィルは、テンポも大きく変えて歯切れよくダイナミックな演奏でしたが、流麗さに欠け、タメがないというかスイングしないというか、ウィーン独特のリズム感が表現しきれてないのは仕方ないか。ツェドニクの演出は洒落てて悪くないですが、どうも新国立劇場の奥行きを生かせてなくて、手前の平板的なセットで窮屈に演じられてるのが気になりました。


『こうもり』
ヨハン・シュトラウスⅡ世
Johann Strauss II : Die Fledermaus
2011年12月1日・新国立劇場オペラ劇場

【指揮】ダン・エッティンガー
【演出】ハインツ・ツェドニク
【美術・衣裳】オラフ・ツォンベック
【振付】マリア・ルイーズ・ヤスカ
【照明】立田雄士

【ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン】アドリアン・エレート
【ロザリンデ】アンナ・ガブラー
【フランク】ルッペルト・ベルクマン
【オルロフスキー公爵】エドナ・プロホニク
【アルフレード】大槻孝志
【ファルケ博士】ペーター・エーデルマン
【アデーレ】橋本明希
【ブリント博士】大久保光哉
【フロッシュ】フランツ・スラーダ
【イーダ】平井香織

【合 唱】新国立劇場合唱団
【バレエ】東京シティ・バレエ団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

2011/12/02

【温泉】濁河温泉朝日荘(★★★★)付:奈良井鎮神社例大祭・本山そばの里(塩尻市)

Img_4565 8月上旬、北アルプスの登山を終えたぽん太とにゃん子は、濁河温泉(にごりごおんせん)に泊まりました。濁河温泉は、木曽御岳山の北西の山麓に位置します。標高1800メートルにあり、日本一の高所に湧く「通年営業の温泉」だそうです。ちなみに、日本一の高所にある「天然温泉」は立山室堂にある標高2410メートルのみくりが池温泉、日本一の高所にある「露天風呂」は八ヶ岳の本沢温泉の標高2150メートルです。ところが本沢温泉も通年営業なので、濁河温泉が「日本一の高所に湧く通年営業の温泉」と名乗るのは看板に偽りありということになるのですが、日本一の高所に湧く通年営業の「温泉街」という意味では正しいのかもしれません。

Img_4551 泊まったのは、朝日荘です。公式サイトはなさそうなので、日本の秘湯を守る会の案内ページにリンクしておきます(→こちら)。建物は鉄筋で古めかしさはありませんが、全館床暖房で冬も快適だそうです。
Img_4552 こちらが男女別の内湯です。濁河温泉という名前の通り、濁ったお湯です。ちょっと鉄っぽい味がし、微かに硫化水素臭がします。自家源泉で、泉質はナトリウム−炭酸水素塩・硫酸塩温泉だそうです。もちろん源泉掛け流し。
Img_4556 内湯に続く露天風呂です。かなり広いです。
Img_4560 もう一つのお風呂がこちら。木で作られた雰囲気ある浴槽です。その外側にあるのが冒頭の写真の露天風呂です。この広い風呂がなんと「無料」の貸し切り風呂です。しかも「何度でも」入れます。こんな豪華な貸し切り風呂は、ぽん太は生まれて初めてです。湯量が豊富だからこそできる贅沢でしょう。こちらのお湯は共同源泉から引いていて、泉質はナトリウム・カルシウム・マグネシウムー炭酸水素塩・硫酸塩温泉だそうです。
Img_4571Img_4572 さて夕食です。岩魚の塩焼きや鴨鍋をはじめ、山の食材がいっぱいで、とっても美味しゅうございました。
Img_4575 こちらが朝食です。朴葉味噌が美味しゅうございました。
 ようやく訪れることができた濁河温泉。温泉力はかなりあります。建物が新しいのが残念ですが、広くて何度も入れる無料貸し切り風呂が加点となり、ぽん太の評価は4点です。

Img_4578 帰りは木曽路に抜けて、奈良井によりました。鎮神社(しずめじんじゃ)例大祭の初日でした。奈良井の一番南に位置する鎮神社には幟が立ち、各家にはスダレとそろいの提灯が下げられておりました。多くの店が閉まっていたのは残念でしたが、祭りの華やいだ風景を見ることができて良かったです。
Img_4583 獅子山車です。
Img_4588 若者達が一人ひとり、名乗りを上げてはビールの一気飲みをしておりました。

Img_4594 昼食は、本山そばの里でお蕎麦をいただきました。本山宿は中山道32番目の宿場です。国道19号線から旧道に入ると、古い建物が点在しております。観光化されていないので、とても静かな雰囲気です。芭蕉の門人の森川許六が宝永3年(1706年)に記した『本朝文選』(風俗文選)に「蕎麦切りといっぱ、もと信濃の国本山宿より出て、あまねく国々にもてはやされける」と書かれており、本山宿は「そば切り発祥の地」として知られているのだそうです。ただWikipediaを見ると、そば切りの誕生に関しては異論もあるようです。
 建物はご覧の通り無味乾燥なプレハブです。地元のお母さんたちが中心になって運営しているお店だそうです。
Img_4589 お茶請けに小鉢が二つもついてきます。赤い小鉢は「パセリのごま和え」。初めて食べましたが美味しゅうございました。パセリのこんな食べ方があったのか……。
Img_4591 次に出てきたのがトウモロコシ。これもサービスです。
Img_4593 お待ちかねの蕎麦は、細切りで柔らかな食感。香りが強くてとても美味しかったです。ただツユがちょっと薄い気がしました。

2011/12/01

【登山】古き道を辿る/島々宿から徳本峠・霞沢岳を経て上高地へ(2)

 島々宿から徳本峠を抜けて上高地に入るという今回の企画、2日目は霞沢岳まで往復です。Img_4440 小屋の前から西を見ると、昨夕はガスっていて見えなかった、明神岳、奥穂、西穂に連なる稜線が見えます。う〜ん、素晴らしいです。今日も頑張って歩くぞ!
Img_4451 徳本峠小屋から霞沢岳までの道は、けっこうアップダウンがあって疲れます。また前半はけっこうぬかるんでいて歩きにくいです。それから、右手に広がるはずの北アルプスの展望が、なかなか見えません。ガスがかからないうちに見たいものです。写真は乗鞍岳、そして左に御岳山が浮かんでいます。
Img_4486 稜線に出ると花*花*花!高山植物のお花畑です。写真はハクサンイチゲですね。
Img_4462 ジャジャーン、出た!K1ピークから見た穂高です。北穂から吊尾根を経て奥穂、そして西穂に続く稜線です。霞沢岳山頂まで行ってしまうと、穂高から遠ざかってしまうので、ここからの展望が一番いいようです。
Img_4468 K2ピークから見た奥穂と岳沢です。
Img_4475 霞沢岳山頂からは、目下に焼岳が見えました。山頂の向かって右の峠が、昨日の記事で書いた、秀綱夫人が越えてきたという中尾峠ですね。
P8090579 徳本峠小屋のお弁当です。炊き込みご飯が美味しゅうございました。
Img_4500 徳本峠小屋に戻って、もう一泊です。小屋に付いたのが午後2時過ぎだったので、結果としてはそのまま上高地まで下山することもできました。でも、この日の行動時間は既に8時間以上。体力に自信のないぽん太とにゃん子は、徳本峠小屋連泊の予定を立てていたのです。
 写真は2泊目の夕食。なんと魚です!夕食後は、夕闇にとけ込んでいく穂高を眺めて過ごしました。
Img_4522 2泊目の朝食です。
Img_4528 朝日に輝く前穂です。
Img_4544 ゆっくりと出発して上高地に下山。上高地の沢がまるでモネの印象派の絵のような美しさでした。

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