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2012年1月の10件の記事

2012/01/27

【歌舞伎】七之助大活躍。2012年1月平成中村座夜の部

 1月の平成中村座は、夜の部のみ観劇。公式サイトはこちらです。
 まずは「寿曽我対面」、正月らしい華やかな舞台でした。昨年の「伊賀越道中双六」や「松浦の太鼓」では生き生きとした表情を見せていた勘三郎ですが、今日はちょっと表情が硬い感じがしました。橋之助の曽我五郎が大きくて勢いがありました。
 続いて「於染久松色読販」。昨年2月にル・テアトル銀座で観ているはずですが、ほとんど記憶ににゃい!自分の過去の記事を読んでみても、あんまり感想が書いてありません。さては寝倒していたに違いない。
 「お染めの七役」は前回は亀治郎でしたが、今回は七之助が大活躍。亀治郎が陽なら七之助は陰。亀治郎は芸達者で客を意識した派手な演技でしたが、七之助は美しさと格式がありました。お六は、亀治郎はおきゃんでシャキシャキしてましたが、七之助は侠気があってカミソリのような鋭さがありました。道行きの狂乱の舞いも、鬼気迫るなかに色気がありました。亀治郎のは「猿之助四十八撰」で、今回の七之助のは玉三郎監修という違いがあるのかもしれませんが、ぽん太にはよくわかりません。梅枝と萬太郎の女猿回しと船頭も雰囲気が出ており、特に萬太郎が姿といい表情といいイナセで美しかったです。橋之助の喜兵衛は凄みがあり、また油谷のゆすりの最中に久作がやってきたときの「やっべ〜」という惚けた表情がよかったです。

 ところでこの「於染久松色読販」、大阪が舞台の物語を江戸に移し替えたものですが、出てくる場所を、東京に棲んでいながらぽん太はちっとも知らなかったので、調べてみることにしました。

より大きな地図で 於染久松色読販 を表示
 まずは序幕の舞台の柳島妙見。東京都墨田区にある柳嶋妙見山法性寺ですね。場所は地図の青印です。逆さスカイツリーで有名な十間橋の近くのようですね。日蓮宗のお寺で、御本尊は久遠実成本師釈迦牟尼佛(大曼荼羅)だそうですが、境内の妙見堂には開運北辰妙見大菩薩が祭られており、こちらが人々の信仰を集めていたようです。
 「北辰妙見大菩薩」というのはぽん太は初めて聞いたのですが、Wikipediaの妙見菩薩を見てみると、毘沙門天などと同じく、仏教の天部に属する仏様だそうです。ただしインド由来ではなく、中国から来たもので、北極星を神格化したものだそうです。
 日本で重要文化財に指定されている妙見菩薩像は1体だけだそうですが、なんとそれがある場所はよみうりランドの中にある聖地公園とのこと。こちらが(公式サイト)ですが、こちらのサイトが詳しいです。なんでよみうりランド内に宗教施設があるのか、歴代の読売の重役の中に仏教信仰が厚い人がいたのではないかと推測されますが、少しググってみましたがよくわかりません。
 また千葉氏は妙見菩薩を守り神として信仰していたそうで、そういえば「於染久松色読販」において久松と竹川の父は、千葉家の侍という設定でしたね。千葉家に伝わる剣術「北辰」一刀流も関係があるようです。
 ところで「仮名手本忠臣蔵」の現行の斧定九郎の演出が、江戸時代に初代中村仲蔵が、土砂降りのなか蕎麦屋にやってきた浪人の姿を見て考えついたものだということは、ぽん太も知っております。実はこれが、仲蔵が妙見様にお参りに行った帰りのできごとだったということは、ぽん太は初めて知りました。ただ出典は三遊亭円生の落語なので、どこまで史実かはわかりません。
 さて、「於染久松色読販」の序幕第二場の舞台となっている「橋本屋」は、大変有名な料理屋だったそうで、妙見様の北隣にあったようです(地図の赤印あたり)。こちらのサイトが、浮世絵などもたくさんあってわかりやすいです。
 お六の家がある「小梅」ですが、江戸切絵図を見ると、スカイツリーのちょうど北側の、業平橋駅から押上駅にかけてのあたりが「小梅村」となっております(地図の緑印あたり)。江戸切絵図は、たとえばこちらの古地図(goo地図)で見ることができ、右下の方にこのあたりが乗っております。現在でも向島二丁目、三丁目あたりには「小梅小学校」や「本所消防署小梅出張所」という名前が残っております。
 お六と喜兵衛がゆすりに出かけた油屋は「瓦町」にあるようです。これも江戸切絵図を探してみると、隅田公園(当時の水戸家下屋敷)の北十間川を挟んで南側のあたりに、「瓦町」という地名が見えます(地図の黄色印あたり)。川沿いは「瓦焼場」となっており、このあたりに瓦職人が住んで、瓦を焼いていたようです。


平成中村座 壽初春大歌舞伎
平成24年1月 夜の部

一、寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)
                曽我十郎祐成  勘三郎
                曽我五郎時致  橋之助
                  大磯の虎  七之助
                 近江小藤太  萬太郎
                 化粧坂少将  新 悟
                鬼王新左衛門  亀 蔵
                 小林朝比奈  獅 童
               工藤左衛門祐経  彌十郎

二、於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)

  序 幕 柳島妙見の場
      橋本座敷の場
      小梅莨屋の場
  二幕目 瓦町油屋の場
      同 座敷の場
      裏手土蔵の場
  大 詰 向島道行の場

  油屋娘お染/丁稚久松/許嫁お光/後家貞昌
      奥女中竹川/芸者小糸/土手のお六  七之助
                女猿廻しお作  梅 枝
                  船頭長吉  萬太郎
                鬼門の喜兵衛  橋之助

2012/01/25

【バレエ】ちと期待はずれだったマラーホフのニジンスキー・ガラ

 ううう。雑用が多くて、ブログが書けません。だいぶ日数がたってしまいましたが……。

 ぽん太の大好きなマラーホフのニジンスキー・ガラを、「牧神」を踊る日を選んで観てきました。こちらが公式サイトです。
 ぽん太にとってマラーホフの魅力は、哲学的な精神性と、ゆっくりとした動きでの彫像のような身体の美しさです。「牧神の午後」では、耽美性やエロティシズムは影を潜め、造形的な美しさが際立っていました。ただマラーホフ以外のダンサーたちは、それなりのポーズは取っているけども、見とれるような美しさがないのが残念でした。
 「ペトルーシュカ」は、マラーホフがどのように踊るのか楽しみにしていたのですが、ちょっと期待はずれでした。きっちりと踊っていたのですが、無機質な感じで、ペトルーシュカの切なさ、悲しさ、哀愁が伝わってきませんでした。「人形」を強調しようとするあまり感情表現を抑制しすぎたのか、そもそもマラーホフがそういった具体的感情よりも一段高いレベルのものを表そうとしていたのか、ぽん太にはわかりません。
 この「ペトルーシュカ」でもうひとつわからないのは、最後に屋根の上に現れたペトルーシュカが、ぐったりと崩れ落ちるところ。ペトルーシュカはすでに殺されていて、屋根の上に現れたのは亡霊なのだから、何もまた死ななくてもいいような気がします。
 バレリーナの小出領子は愛らしく、ムーア人の後藤晴雄も悪くありませんでした。
 「薔薇の精」。ディヌ・タマズラカルは、「マラーホフの贈り物」やベルリン国立バレエ来日公演で観ているはずですが、記憶に残ってませんでした。ジャンプ力もあり、大きくてのびやかな踊りで、なかなか良かったです。申し訳ないけど、やはり相手役が見劣りしました。
 「レ・シルフィード」は初めて見ましたが、ちと退屈でした。フォーキンの振付けばかり続けて観ていると、少し物足りない気がしてきます。「ペトルーシュカ」の雑踏なんかも、ごった煮みたいでひどい感じがします。もう少しテクニックの見せ場や、現代的な動きがあればおもしろいのに、と思いました。そうすればマラーホフの良さをもった楽しめたような気がします。
 音楽はワレリー・オブジャニコフ指揮の東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団。ガラ公演は録音テープが多いけど、やはり生のオケはいいです。


東京バレエ団
<ニジンスキー・ガラ>
2012年1月12日 東京文化会館

「薔薇の精」
薔薇:ディヌ・タマズラカル
少女:吉川留衣

「牧神の午後」
牧神:ウラジーミル・マラーホフ
ニンフ:上野水香

「レ・シルフィード」
プレリュード:吉岡美佳
詩人:木村和夫
ワルツ:高木綾
マズルカ:田中結子
コリフェ:乾友子-渡辺理恵

「ペトルーシュカ」
ペトルーシュカ:ウラジーミル・マラーホフ
バレリーナ:小出領子
ムーア人:後藤晴雄
シャルラタン:柄本弾

指揮:ワレリー・オブジャニコフ
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
ピアノ:尾崎有飛(「ペトルーシュカ」)

2012/01/17

【拾い読み】歴史上の真実の義経とは?五味文彦『源義経』

 歌舞伎や旅行を通じて、源義経に関してはかなり詳しくなってきたつもりのぽん太ですが、先日ふと、伝説ではなくて歴史上の義経というのはいったいどうなのかしらという疑問がわいてきて、五味文彦の書いた岩波新書の『源義経』(2004年、岩波書店)を読んでみました。
 源義経に関する歴史的資料としては、同時代の公家九条兼実の日記である『玉葉』(ぎょくよう)や、鎌倉末期に作られたとはいえ、当時の記録や文書に依拠している『吾妻鏡』などがあり、『平家物語』や『義経記』(ぎけいき)は歴史的資料としては信頼性が劣るそうです。もちろん『玉葉』や『吾妻鏡』も、筆者の立場や意図などを考慮しないといけないそうです。
 鞍馬山で童としての教育を受けたことや、その後みずからの手で元服し、秀衡を頼って奥州へ行ったことなどは事実と推測されるそうです。奥州下りの手引きをした金商人の吉次に関しては、元になる人物として院や摂関家の馬を管理する厩舎人(うまやとねり)などの存在が推測されますが、のちの創作と考えられるそうです。
 奥州から再び京に舞い戻り、鬼一法眼から兵法の極意を伝授されたり、弁慶と出会って従者としたというあたりも、創作のようです。
 頼朝の蜂起の知らせを聞いて奥州から駆けつけ、獅子奮迅の働きによって壇ノ浦で平家を滅ぼしたものの、次第に頼朝から遠ざけられ、やがて都を追われるあたりは、細かい部分を除けば大筋では史実と考えられます。
 義経らが吉野山に一時潜伏し、そこで静が捉えられ、鎌倉に送られて頼朝の前で舞いを舞ったことなどは『吾妻鏡』に書かれていることで、伝説の影響を受けているという指摘もありますが、史実に基づいている可能性が高いそうです。
 京を脱出した義経が、奥州の平泉に逃れたことも確かですが、『義経記』に書かれているその間のコースや出来事に関しては、科学的な裏付けはありません。
 泰衡が頼朝の脅しに屈して、義経を討ったことも史実のようです。大陸に渡ってジンギスカンになったというのは、もちろん伝説ですね。

 あとは恒例の、ぽん太が興味深かった所のご紹介。
 まず『義経記』で、義経と伴に東北に逃げた女性は、ぽん太は静御前だと思い込んでいましたが、正妻である大納言平時忠の娘とのこと。静御前はあくまでも「妾」扱いなんですね。『吾妻鏡』でも、義経が奥州で藤原泰衡に襲われて自害したとき22歳の妻と4歳の女の子がいたとされ、妻は河越重頼の娘と推測されるそうです。ということで、結局誰かはよくわかりませんが、妻を伴って奥州に逃れたという可能性は高いようです。それにしては歌舞伎の『勧進帳』では、一行のなかに義経の妻がおらんな〜。
 お次ぎは、吉野山を逃れた義経一行が次に赴いた先が、『吾妻鏡』によれば、多武峰(とうのみね)の妙楽寺で、現在の談山神社とのこと。う〜ん、談山神社は行ったことがあるのに、知りませんでした。
 『吾妻鏡』によれば、静御前が頼朝の前で舞いを披露し、有名な「しづやしづしづのをたまきくり返し 昔を今になすよしもかな」の歌を吟じたときに、伴奏で鼓を叩いていたのは、曽我物語の敵役で有名な工藤祐経だったとのこと。ただ、それだけですが……。
 以前の記事に書いたように、ぽん太は、義経が死なずに北海道に渡ったという伝説を、幕府が蝦夷支配のために利用したのではないかという仮設というか妄想を持っているのですが、本書によれば、寛文10年(1670年)に成った林春斎の『続本朝通鑑』(ぞくほんちょうつがん)に、義経が死なずに蝦夷に渡ったという「俗伝」があると書かれているそうです。この時期に蝦夷地への関心が高まったことや、寛文8年〜9年のアイヌのシャクシャインの蜂起(Wikipedia)との関連を指摘しておりますが、幕府の蝦夷支配との関連については書かれておりませんでした。

2012/01/14

【美術】つげ義春「ねじ式」の原画が見れる「石子順造的世界」府中市美術館

 つげ義春の「ねじ式」の原画が展示されているということで、府中市立美術館に行ってみたら、「石子順造的世界」という展覧会でした。こちらが公式サイトです。
 無学のぽん太は石子順造と聞いても名前を知っている程度。高度成長にマンガ、学生運動にアングラといった1960年代・70年代に、美術評論家として様々なジャンルの芸術に関与し続け、その射程は現代芸術からマンガ、果ては銭湯の背景画にまで及んだとか。赤瀬川原平や横尾忠則らの名も見られるこの展覧会からは、こうした時代のパワーが伝わってきます。政治性や社会的メッセージが感じられるところが、なんだか懐かしいです。
 「ねじ式」の原画は、なんと全ページが展示されておりました。ううう、感動。印刷ではつぶれてしまうペン画の美しさが、よくわかりました。とても細かく緻密に描き込まれておりました。
 同時に小山田二郎の特別展示が行われておりました。府中に住んでたことがある人なんだそうですが、ぽん太はまったく初めて耳にした名前でした。グロテスクで見ていて痛みを感じるような絵ですが、ちょっとユーモラスなところもあり、けっこう引き込まれました。小山田二郎はスタージ・ウェーバー症候群(yomiDr.)を抱えて生まれたため、痣や下唇の腫れと生涯つきあわねばなりませんでした。また突然失踪をしたこともあるなど、画家自身も闇を抱えた人だったようです。

2012/01/13

【歌舞伎】吉右衛門と鷹之資の「連獅子」にうるうる。2012年1月新橋演舞場夜の部

 今年の歌舞伎初めは新橋演舞場から。1月は歌舞伎公演が多いので、夜の部だけの観劇です。東京だけでも新橋演舞場、浅草歌舞伎、平成中村座、ルテアトルの玉三郎、国立劇場と5つ。実際ちょっと空席も目立ちました。
 「矢の根」は歌舞伎十八番のひとつ。ぽん太は初めての観劇で、これで歌舞伎十八番は9/18見たことになりました。いわゆる曽我物で、祝祭的な色合いのつよい様式的な演目でした。三津五郎の曽我五郎は、まことに達者でそつがないですが、荒事のバカっぽさには欠けます。曽我十郎で田之助が出演。
 「連獅子」は夜の部の目玉か?昨年の1月に逝去した富十郎の息子の鷹之資が、後ろ盾を託された吉右衛門と踊りました。鷹之資はまだ12歳ながら、実に素直で大らかな踊りで、お父さんを彷彿とさせます。明るい芸風の吉右衛門に教わっていけば、将来がますます楽しみです。「連獅子」は、親子や、祖父と孫で演じられることが多いですが、それだと何かそのまんまというか、家族の写真が貼られた年賀状をもらったときみたいに、親ばかを見せつけられたような気になります。こんかいの吉右衛門と鷹之資の共演は、幼くして養子に出され、その養父も10歳のときに他界した吉右衛門の思い、11歳で父を亡くして吉右衛門に託された鷹之資の思いが頭に浮かび、目がウルウルしてしまいました。
 「め組の喧嘩」は、文化2年(1805年)に実際におきた事件が題材で、め組の鳶職と相撲取りが、江戸の花とよばれる喧嘩を繰り広げるという、粋でいなせで、正月らしくおめでたい(?)演目です。初演は明治23年(1890年)桐座で、明治中期に失われた江戸を懐かしんで作られたものなので、描写がちょっと薄っぺらな感じもします。しかし河竹黙阿弥が補作したという「浜松町辰五郎内」の、腹を見せずに酔った振りをする辰五郎と、意気地のない夫に愛想をつかす女房お仲の、息子又八を交えてのやりとりなどは、さすがに引き込まれます。菊五郎と時蔵のコンビは、安心して見てられます。藤間大河くんの息子又八が父辰五郎の真似をして、尻をはしょってちょこんと座る仕草が可愛らしく、お父さんが大好きな気持ちが伝わってきました。


新橋演舞場、
壽 初春大歌舞伎
平成24年1月 夜の部

一、歌舞伎十八番の内 矢の根(やのね)
                  曽我五郎  三津五郎
               大薩摩主膳太夫  歌 六
                馬士畑右衛門  秀 調
                  曽我十郎  田之助

  五世中村富十郎一周忌追善狂言
二、連獅子(れんじし)
          狂言師右近後に親獅子の精  吉右衛門
          狂言師左近後に仔獅子の精  鷹之資
                   僧蓮念  錦之助
                   僧遍念  又五郎

三、神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)
  め組の喧嘩

  品川島崎楼より
  神明末社裏まで
                 め組辰五郎  菊五郎
                    お仲  時 蔵
              尾花屋女房おくら  芝 雀
               九竜山浪右衛門  又五郎
                 柴井町藤松  菊之助
                伊皿子の安三  松 江
                  背高の竹  亀三郎
                 三ツ星半次  亀 寿
               おもちゃの文次  松 也
                御成門の鶴吉  光
                 山門の仙太  男 寅
                   倅又八  藤間大河
                 芝浦の銀蔵  桂 三
                神路山花五郎  由次郎
               宇田川町長次郎  権十郎
              島崎楼女将おなみ  萬次郎
               露月町亀右衛門  團 蔵
                江戸座喜太郎  彦三郎
                 四ツ車大八  左團次
                焚出し喜三郎  梅 玉

2012/01/12

【ニュージーランド旅行(5)】オークランドへ

Img_1087 飛行機でクイーンズタウンからオークランドに移動。写真はマウント・イーデンと呼ばれる標高200メートル足らずの小高い丘。すり鉢状の地形からわかるように、かつては火山だったそうです。オークランド市内には、このような小さな死火山がいくつもあります。
Img_1115 東京スカイツリーではありません。スカイ・タワーです。高さは328メートル、南半球最高のタワーだそうです。
Img_1126 自由時間を利用して、オークランド動物園に行ってきました。ニュージーランドの国鳥であるキウイを見たかったからです。この写真はご存知フラミンゴです。キウイは夜行性のため、暗い部屋で展示されていますので、写真は撮れませんでした。
Img_1152 こちらがキウイ君です……とはいっても剥製(模型?)です。オークランド戦争記念博物館で撮影したもの。ちなみに日本では大阪の天王寺動物園で見ることができるそうです。ちなみに「キウイフルーツ」は、見た目が鳥のキウイに似ているので、そういう名前が付けられたそうです。またニュージーランドやニュージーランド人のことをキウイと呼んだりするそうです。こんな鳥にアイデンティティを感じるなんて、変な国民ですね。そこいくと日本の国鳥は優雅なタンチョウヅル……あれ?トキでしたっけ。調べてみたらなんと「キジ」でした。し、知らんかった。あんまりキウイと変わりませんね。
Img_1146 この博物館で、マオリのパフォーマンスを見ることができました。ぽん太は、ニュージーランドと聞くと、ラグビーのオールブラックスが試合前に行うハカというダンスを思い出します(ご存じない方はYoutubeでご覧下さい)。目玉をひんむき、舌を出して敵を威嚇する、マオリ族の伝統的な踊りです。このパフォーマンスでは、もちろんハカを見ることができました。
 両手のひらを羽ばたき振戦のようにヒラヒラと動かす動作が印象に残ります。アジア系のつぶしたような声ではなく、クラシック的な発声で、ところどころ美しくハモらせておりました。旋律的にもアジアとは異なり、ハワイアンやフォルクローレの色合いも感じられて、これが南洋の音楽なのかな、と思いました。伴奏はなぜかギターだったので、今回のパフォーマンスがどこまで伝統を保存しているのかは、ぽん太にはわかりません。
 そういえば、ニュージーランドの歴史も、ぽん太はまったく知りません。困ったときのWikipediaを見ると、マオリ人は9世紀から12世紀頃にニュージーランドに移住してきて、狩猟生活を行っていたようです。マオリ人は文字を使わなかったため、よくわからない部分が多いそうです。それ以前に住んでた人はいないのか、オーストラリアのアボリジニとの交流はなかったのかなどの疑問もありますが、ぽん太にはわかりません。
 1642年にオランダ人のアベル・タスマンが、ヨーロッパ人として初めてニュージーランドを「発見」したことは先日述べました。1769年のジェームズ・クックによる調査を機に、ヨーロッパ人がニュージーランドを訪れて交易が行われるようになりました。1840年にイギリスとマオリのあいだで結ばれたワイタンギ条約で、ニュージーランドはイギリスの植民地となりました。植民地化を防ごうとするマオリは武力で鎮圧され(マオリ戦争、1859年〜1972年)、ヨーロッパ人の入植が進んでいきました。
Img_1155 二つの世界大戦ではイギリスとともに戦いました。この博物館には、零戦が展示されております。
 1947年にイギリスから独立。イギリスへの農産物輸出国として発展しましたが、1970年代以降、イギリスのEC加盟やオイルショックによって財政が悪化。1984年から大胆な構造改革を行いました。この改革によって「医療崩壊」が引き起こされましたが、これに関してはそのうちみちくさすることにいたしましょう。また東ティモール紛争に1999年から投入された東ティモール国際軍においても、大きな役割を果たしたそうです。
Img_1173 写真はポフツカワの木。赤いブラシのような花が美しく、クリスマスの時期に咲くのでクリスマス・ツリーと呼ばれるそうです。
 現在の白人とマオリの間で差別や経済格差があるかどうかなどは、ぽん太の知る所ではありませんが、今回の旅で感じた範囲では、両者の関係はそこそこうまくいっているように思えます。英語とともにマオリ語もニュージーランドの公用語となっておりますし、マオリのデザインが様々なかたちで現代に生かされていました。入れ墨をしている人が目立ったのも、マオリを関係があるのでしょうか。
Img_1167 写真はパーネル地区にあるホーリー・トリニティ教会。木が多用され、明るく広々とした空間が、いかにもニュージーランドらしいです。そういえば今回の旅行で、スラム地区やストリート・チルドレンは目にしませんでしたが、そういったものが存在しないのか、ぽん太がたまたま出会わなかっただけなのか、これもぽん太にはわかりません。
Img_1176 全体としてニュージーランド人は温厚でフレンドリーで、不慣れな外国でもたついていても、バカにするような態度を取られたことがありませんでした。これもニュージーランド人の国民性なのか、観光客に慣れているだけなのか、ぽん太にはわかりません。
P1040561 最後に空港でいただいたホーキーポーキー(Hokey Pokey)。蜂蜜のつぶつぶが入ったアイスです。変な名前ですが、ぐぐってみると、マザーグースから来ているようです。アメリカでは、これに曲をつけた、子供用のお遊戯もあるようです。今回の旅、ニュージーランドの味もいろいろ楽しみましたが、フィッシュ・アンド・チップスを食べる機会がなかったのが残念です。
 ぽん太とにゃん子、オセアニアとの初めての触れ合いでした。次はオーストラリにも行きたいです。

2012/01/11

【ニュージーランド旅行(4)】ミルフォードサウンド・クルーズ

Img_0959 本日はミルフォード・サウンドの日帰り観光です。サウンドsoundというのは「音」ではなくて「入り江」とのこと。氷河によって作られた雄大なフィヨルド地形が楽しめます。
 写真の羊は、ニュージーランドで多く飼われているロムニー種。いわゆる羊のイメージで、可愛らしい顔をしております。でも、食べるとおいしいそうです。
Img_0974 途中にあるミラーレイクは、湖面にまるで鏡のように山々が写るので有名です。
Img_0982 ミレーレイク周辺のブナの木。日本のものと違って常緑樹だそうで、葉っぱも小さいです。
Img_1006 さらに進んで行くと、山々が近くに迫ってきます。登山好きのぽん太とにゃん子は、そそり立つ岩山の迫力に圧倒されました。
P1010336 車の屋根の上に乗っている鳥は、ケアKeaという名のオウムです。緑色で、羽を広げるとオレンジ色が見えるというキレイな鳥ですが、いたずら好きで有名で、観光客の荷物を持っていったりするそうです。
Img_1014 峠を越えるホーマー・トンネル。昔の釜トンネルを思い出させる、岩盤を素掘りしたトンネルで、狭いので交互通行です。
Img_1018 峠を少し下った所にあるキャズム(The Chasm)には滝を見る遊歩道があります。大きなシダ類が見事でした。ニュージーランドにはシダ類が多く、とくにシルバー・ファーンと呼ばれるものはマオリ人の信仰の対象となっており、ラグビーのニュージーランド代表チームであるオールブラックスのマークとしても使われています。
Img_1029 キャスムの駐車場の前は、数百メートルの高さの断崖絶壁になっております。
Img_1027 ふと気がつくと、バスの後部の放熱用の窓が、ニュージーランドの国鳥のキウイの形になってました。かわいいですね。
P1010359 入り江の一番奥に位置する乗船場に到着です。ここから船に乗り込みます。
Img_1035 日本人観光客には、幕の内弁当がついておりました。
Img_1038 大型船も外洋からサウンド内に入ってきます。
Img_1051 岩棚の上ではアザラシのミルちゃん(?)たちが日光浴してました。
Img_1064 船のデッキの上では観光客がひなたぼっこです。

P1010417_2 クイーンタウンに戻って、夕食はラム料理の名店ローリング・メグス・レストランでいたできました。こちらが公式サイトです。落ち着いた雰囲気のレストランで、日本人スタッフはいませんが、日本語メニューがあります。写真はラムラックの香草焼きです。盛りつけも美しいですが、肉は羊の臭みがまったくなくて柔らかく、香草のこうばしさとよく合ってました。
 ローリング・メグ(Roaring Megs)という店名の由来ですが、ゴールドラッシュの頃、金山労働者を相手にした居酒屋があったのですが、そこの女主人のメグさんがガミガミとうるさいので、Roaring Megsと呼ばれていたのだそうです。この店の内装も、当時のコテージを移築したものだそうです。

2012/01/10

【ニュージーランド旅行(3)】マウントクック見えたよ

Img_0902 さて翌朝、マウントクック(3754m)が見えた!!
Img_0908 どうだ、どアップ!!!
Img_0911 左にはマウントセフトン(3157m)の懸垂氷河の荒々しい姿が見えます。
Img_0917 「マウントクック」という名前は、とうぜんキャプテン・クックにちなんで付けられたのですが、彼自身が命名したわけではなく、1851年にイギリス人J.L.ストークが名付けました。マオリ人には「アオラキ」と呼ばれていました。初登頂は1894年だそうです。
 ところでよく考えてみると、ぽん太はキャプテン・クックのことをほとんど知りません。ということで、安直にWikipediでお勉強。本名ジェームズ・クック(James Cook, 1728年〜1779年)というイギリス人で、3回の太平洋航海を通して、ニュージーランドやオーストラリアの調査を行ったようです。ちなみにニュージーランドを最初に発見したヨーロッパ人はクックではなく、オランダ人のエイベル・タスマン(1642年)だそうです。いわゆる大航海時代などと呼ばれるヨーロッパ人の海外進出よりも、だいぶ年代が遅いのですね。
 またキャプテン・クックは、壊血病による死者を出さずに世界周航を行った初めての人なのだそうです。これは医者としてはメモしておかなくちゃ。ちなみに壊血病はビタミンCの不足によって生じる病気で、クックはザワークラウト(キャベツの酢漬け)や果物をとることで、これを防いだそうです。
 また、スペースシャトルの「エンデバー号」という名前は、キャプテン・クックが最初の航海の時に用いた船の名前にちなんだものだそうです。
Img_0932_2 帰り道、プカキ湖畔で撮影した、まるでカレンダーのような写真。プカキ湖には氷河が運んで来た微粒子が流れ込み、微妙に希釈されているため、光が当たると水色に輝きます。
Img_0936 水色の湖水に雲が写って、なんとも美しい風景です。
Img_0938 タラス(taras)の牧場ですが、超毛深い羊で有名なシュレック君が見つかったのが、このあたりなんだそうです。みなさんも写真に見覚えがあると思います。
 シュレック君は1998年に行方不明となりました。6年後の2004年に山中で発見されましたが、毛が伸び放題で普通の羊の3倍に膨れ上がっておりました。アニメの主人公にちなんでシュレックと名付けられたこの羊は一躍人気者となり、数々のイベントにもかり出されましたが、今年の6月11日にお亡くなりになりました(NZで一番有名なヒツジのシュレックが死ぬ、放浪生活送った人気者、APPBB News)。シュレック君はメリノ種と呼ばれる羊毛をとるための羊で、1日に10キロも歩くなど頑強な性質を持っているそうです。
Pc310267 クイーンズタウンに戻って、夕食はブリタニア(H.M.S.Britannia)でいただきました。こちらがホームページですが、このサイトの地図は場所が少しずれているようなので、ガイドブックなどで確認して下さい。日本人スタッフもいるので安心です。今日は大晦日、用心してマウントクックに行く前に予約をしておきました。写真は「マッスル」と呼ばれるムール貝。大きくてぷりぷりしていてとても美味しかったです。

2012/01/09

【ニュージーランド旅行(2)】マウントクックで氷河湖クルーズ

Img_0809_2 旅行3日目と4日目は、一泊二日でマウントクックまで往復です。天気はあいにくの曇り空ですが、だんだんと良くなっていくという予報です。
 写真は車窓から見えた巨大スプリンクラーです。牧草地に水をやるためのものですが、向こう側は霞んで見えません。スケールが大きいですね。

大きな地図で見る
 上の航空写真を見ると、円形あるいは扇形がいくつも見えると思いますが、これがこの巨大スプリンクラーによって描かれたものです。大きいものでは、半径が1km以上ありますね。
Img_0860 マウントクック国立公園のハーミテージ・ホテルに到着です。写真には写っておりませんが、エベレストに初登頂したことで有名なヒラリー卿(Wikipedia)の銅像が建っております。また、彼の小さな博物館もあります。って、ヒラリー卿がニュージーランド人だったなんて、ぽん太はまったく知りませんでした。イギリス人だとばっかり思ってました。エベレスト初登頂の登山隊はイギリス隊でしたが、ヒラリー卿はニュージーランド人だったんですね。なんでも、イギリスには高い山がないので、氷河の上を歩き慣れているのはこの人しかいないということで、ニュージーランド人のヒラリー卿が抜擢されたんだそうです。ヒラリー卿が亡くなったのは2008年とのこと。つい最近だったんですね。
Img_0815 正面には雄大なマウントクックが……見えません。
Img_0818 ビュッフェ形式の昼食をとったのち、氷河湖クルーズに出発です。まずは、バスのようなトラックのようなバスに15分ほど乗って、タスマン湖に向かいます。
Img_0819 駐車場から湖畔まで20分ほど歩きます。
Img_0820 見えてきました。これがタスマン湖ですね。氷山が浮いてます。
 セメントが溶けているかのように灰白色に濁っておりますが、氷河が削り取った「岩粉」の微粒子が浮遊しているため、このような色合いになるのだそうです。また、まるでブルドーザーで削ったかのように、両側が土手状になっておりますが、削ったのはブルドーザーではなく氷河です。いまでこそ湖になってますが、昔はこの高さまで氷河があって、ガリガリと岩を削っていたことを示しています。
Pc300094 救命胴衣をつけ、このような小さなボートに分乗して氷河観光開始です。
Img_0853 一番奥に見えるのがタスマン氷河の末端部です。空から振ってきた雪が、氷河となって少しずつ流れ、タスマン湖にたどり着くまで、300年かかるそうです。
Img_0851 氷河の断端の高さは20〜30メートルくらいですが、氷河はU字状に底を深く削る性質があり、実は水面下に氷が200メートル以上隠れているそうです。水面下の氷が剥離すると、巨大な建造物ほどの氷が突然浮かび上がって来る可能性もあり、近づくのは危険です。
 じっさい今年の2月22日、ニュージーランドの大地震の影響か、幅75メートル、長さ1200メートルにわたって崩落し、東京ドーム20杯分の氷がタスマン湖に流れ込み、高さ3.5メートルの波が起きたそうです(ニュージーランドのタスマン氷河(Tasman Glacier)地震で崩壊 - 壺齋閑話)。
 ですからツアーに先立ち、万が一ガイドさんが湖に放り出された時などに備えて、ボートの運転の仕方などの説明があります。
Img_0835 長い年月をかけて圧縮された氷は、このような深いブルーをしております。また氷のなかに、削り取ってきた岩くずが含まれているのがわかると思います。氷山が溶けるて、こうした岩くずが堆積してできるのがモレーンで、国内の山のカール地形でも見られますね。
Img_0825 次第に日光や風雨の影響で、氷の結晶が分離し始め、色が白くなってきます。
 水平に何本かの筋が見れますが、サーマル・ノッチと呼ばれるものです。水面近くの水は氷よりも暖かいため、氷山が溶けて切り込みができます。氷山の融解がすすむと、バランスが崩れて浮かび上がったり回転したりするため、少しずれたところにまた切り込みができ、幾筋ものノッチになるのだそうです。
Img_0839 最終的に氷山の表面は、溶け残った岩くずなどの粒子で覆われて、黒っぽくなります。この層が断熱効果を生むため、氷の融解が遅くなるのだそうです。

Img_0862_2 氷河湖クルーズののち、夕食までの時間は、ホテルの近くを散策してすごしました。具体的には、ケア・ポイント・ウォークを途中まで往復しました。ホテル周辺には、いくつかの散策路があります(たとえばこちらのページをどうぞ)。写真は一番よく見かけた花で、大きくて毒々しいです。なかには白いのもありました。ぽん太は初めて見た花ですが、帰宅後調べてみるとなんとジギタリス!医者なら誰でも知ってる名前です。ジギタリスは猛毒がある植物ですが、それから抽出されたジゴキシンなどの化学物質は、心不全の治療薬として用いられます(Yahoo!ヘルスケア)。
Img_0875_2 ゴージャスなオダマキ。外来種だそうです。あちこちに咲いていて「ニュージーランドの花」みたいな印象があるストックも、外来種なんだそうですね。
Img_0882 夕食はホテルのパノラマレストランでいただきました。美味しゅうございました。

2012/01/05

【ニュージーランド旅行(1)】日程のご案内・ニュージーランド航空のユニークな機内安全ビデオ

Img_0900
 2012年を迎える年末年始は、ニュージーランドに行ってきました。実はぽん太は、ニュージーランドがどういう国なのかあまり知らないまま、なんとなく行くことに決めたのですが、どうしてどうして素晴らしいところでした。雄大な自然が見事で、食事も新鮮で美味しく、街も清潔できれいでした。上の写真は、マウントクックです。
 こんかいお世話になったのは近畿日本ツーリストの「世界遺産マウントクックに泊まる!さわやか!ニュージーランド 8日間」です。まずは日程のご案内から。

【1日目】成田空港(18:30分発:直行便)…
【2日目】…オークランド乗り継ぎ……クイーンズタウン空港、クイーンズタウン泊
【3日目】クイーンズタウン……クロムウェル……マウントクック
氷河湖クルーズ(オプション)、マウントクック泊
【4日目】マウントクック……クロムウェル……クイーンズタウン、クイーンズタウン泊
【5日目】ミルフォードサウンド一日観光(オプション)、クイーンズタウン泊
【6日目】クイーンズタウン……オークランド空港
オークランド市内観光、オークランド泊
【7日目】オークランド自由行動(オークランド動物園、オークランド博物館(マオリパフォーマンス見学))、オークランド泊
【8日目】オークランド空港……成田空港(お疲れさまでした)

 飛行機が夕方出発なので、ゆっくりと成田に行けるがうれしいです。また直行便(片道約10時間ちょっと)なので体が楽です。
 添乗員は付かず、毎日異なる現地在住の日本人ガイドさんが対応して下さるというパターンでした。英語が苦手のぽん太はちょっと不安だったのですが、まったく心配ありませんでした。しかしこのシステム、よく取りこぼしなく旅行者の受け渡しができますね。さすがプロです。
 またこのツアーは、食事があんまり付いてなくて、自力で食べないといけないことが多いのも心配だったのですが、滞在したそれぞれの街にはレストランが多く、まったく問題はありませんでした。ただ観光地クイーンズタウンですごす大晦日・元日の夜は、安心のため、早めにレストランを予約しておきました。自力でレストランを捜すのが面倒な場合は、レストランのクーポンを現地でガイドさんから購入し、予約してもらうこともできます。
 ホテルの朝食も付けるかどうか選択できるようになっていて、ぽん太は付けてもらったのですが、あちこちにあるパン屋さんやコンビニで買って食べる方が面白かったかもしれません。
 ニュージーランド航空では、ユニークな機内安全ビデオが必見です。フィットネス・エクセサイス風に解説してくれます。これまで機内安全ビデオはまともに見たことはありませんでしたが、こんかいは真剣に見てしまいました。ひよっとしたら……やっぱりYoutubeにありました!どうぞご覧下さい。

 また機内サービスでワインを頼むと、CAさんが「シャルドネがいいですか、ソーヴィニヨン・ブランがいいですか」などとブドウの品種を聞いてくるのには驚きました。しかもどれも美味しかったです。ニュージーランドではブドウの品種をけっこう重視するようで、酒屋さんでもブドウの品種別に棚に並んでいたりします。
Pc290046 トランジットのオークランドの空港で、昼ご飯がわりに購入したお寿司です。サーモンが分厚くて柔らかくて脂がのっていてジューシーでおいしかったです。
Img_0797 オークランド空港にあったトレーラー式の屋台です。
Img_0803 などと言ってる間にクイーンズタウンに到着。クイーンズタウンは、ワカティブ湖という名の氷河湖のほとりにあるこぢんまりした街です。19世紀後半には近くの金山の採掘のために賑わったそうですが、現在は風光明媚な観光地となっております。
 年末年始、南半球にあるニュージーランドは夏ということで、かなり暑いのかと思ってましたが、日本でいうと早春というか、桜の時期ぐらいの印象でした。にゃん子などは寒い寒いとダウンを着て歩いてましたが、そんななかでも白人さんたちは、Tシャツに短パンで歩いてるのにはびっくり。体の構造が違うのでしょうか。さらに、町のなかを裸足で(靴もサンダルも履かずに素足で)歩いている人がいるのも珍しかったです。
Pc290060 夕食はピア19(Pier 19)でいただきました。湖沿いの眺めのいいレストランです。
Pc290061 生ガキですね〜。旬の時期ではありませんが、とってもミルキーでした。
Pc290062 ホワイト・ベイト(White Bait)です。日本でいえば白魚かき揚げといった感じ。
Pc290063 メインはサーモンです。一皿を二人でシェア。肉厚でジューシーでとても美味しかったです。

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