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2012年9月の10件の記事

2012/09/30

【拾い読み】江戸を見る新たな視点/中野三敏『江戸文化再考』

 ぽん太が江戸時代に興味を持つようになったのは、歌舞伎を通してなのですが、これまでどうしても納得できないことがありました。当時歌舞伎を観て楽しんでいたのは、町人や職人といった庶民たちだったわけですが、歌舞伎では武士たちの英雄的な行為が賞賛の対象として描かれています。でも、江戸時代は身分制度が厳しく、庶民は武士に虐げられていたはず。庶民は武士の生き方に憧れていたように思われます。長い間わからなかった疑問が、この本を読んで解決しました。
 本書の著者も、昔は「封建制はけしからん」と思い込んでいたそうです。ところが外国旅行をして、ロシアやオーストリアやフランスの封建領主が金銀財宝を溜め込んでいるのをみて、「まてよ、日本の将軍や大名にはそんな人はいないぞ」と気がついたそうです。著者によれば、封建主義という西洋史の概念を、日本の江戸時代に当てはめるのが間違っているのだといいます。江戸時代は、治める側に「自己犠牲の精神」を強い、治められる側の人間も、武士に対して絶対の信頼を持っていたそうです。著者の主張が正しいかどうかはぽん太はわかりませんが、ぽん太がこれまで歌舞伎に対して感じていた疑問が、ようやく解決したのは確かです。
 これは一つの例ですが、著者はこれまでの江戸時代理解が、近代的な価値観からの評価に偏りすぎていたと批判し、江戸に即した見地から江戸を評価する必要性を強調します。著者は、近代の視点から江戸時代を切って捨てるのでもなく、また古き良きに日本として江戸時代を賛美するのでもなく、中庸の立場から素直に江戸時代を見ているように思えます。
 例によって、興味ある方は本書を読んでいただくとして、あとはぽん太の興味深かったところの抜き書きです。
 江戸時代には、元禄時代と文化文政期という二つのピークがあったというのが一般的な見方ですが、著者はその間の18世紀にこそ江戸時代の文化のピークがあったといいます。著者は雅(が)と俗という対立概念を重視し、江戸時代前期には雅が優位だったが、後記には俗が優位となった。雅と俗がバランスをとっていた江戸中期こそが、江戸文化の最盛期だったのだと言います。
 江戸時代の庶民は、「虐げられた非支配階級」ではなく、かなりの自由を楽しんでおり、男女も平等に近かったそうです。それに反して武士階級では、自己犠牲の倫理が強いられ、女性の地位が低かったそうです。
 新渡戸稲造の描いた武士道が、ホントの実体なのか、それとも明治時代の懐古趣味の理想化なのか、という話しがありますが、著者は新渡戸は江戸時代の侍の倫理観を正確に述べていると考えているようです。ただ、あくまでもこれは倫理ですから、実際の武士がそれを実現できたいたかどうかという問題はありますが、それでもこれが当時の理想であったことは間違いないと言います。
 平田篤胤の『霊の真柱』(文化10年、1813年刊)という本があり、西洋から伝わった地動説は既に『古事記』に書かれていることであり、日本こそが世界で最も優れた国であるということを主張して、幕末から明治のイデオロギーとしてもてはやされたそうです。しかし、身分の低い御家人の片山松斎(しょうさい)という人が19世紀初頭に書いた『国学正義編』という本があり、地球などというのは土と水でできた丸い玉にすぎず、その上に様々な国があってそれぞれに支配者がいるのであり、日本の天皇が優れているなどとは言えない、西洋から地動説が入ってきて、それから皆がいろいろ考えるようになったのに、地動説が『古事記』に書かれているなどと主張するのは馬鹿げている、などの、今から見ても極めてまっとうな意見が述べられているのだそうです。たしかに現代でも、ベストセラーとなっている本は、一般的な見方からするとエキセントリックな主張をしているものが多いですが、江戸時代もそうだったのかもしれません。
 江戸時代には「狂者」や「畸人」という考え方があったそうです。孔子や孟子は、人間を「中行」(ちゅうこう)、「狂」(今日)、「狷」(けん)に分けたそうで、「中行」はいわゆる中庸の人で、人間としては最上級だけど、なかなかそういう人はいない。次は「狂」で、志は高いけどバランスがとれず、度外れなところがあるんだそうです。平賀源内や上田秋成、石田梅巌や安藤昌益、若冲や蕭白がこれにあたるといいます。「畸」といのは老荘思想の概念だそうで、天に最も近いんだけど、人間世界では変な人と思われてしまうんだそうです。いい概念ですね。
 江戸時代には非常に多くの本が作られました、そのうち現在に活字化されているのはごくわずかだそうです。著者は、変体仮名を読めるようになって、ぜひ和本を古本屋で買って読んで欲しいと言います。ぽん太も時間の余裕ができたら、ぜひそうしてみたいと思います。
(中野三敏『江戸文化再考 これからの近代を創るために』笠間書院、2012年、1700円。)

2012/09/29

【信仰】必見!立山博物館・芦峅寺(あしくらじ)・岩峅寺(いわくらじ)

Img_3343 立山の大日三山縦走のあと、ちょっと立ち寄った立山博物館ですが、とっても興味深かったです。この博物館のある芦峅寺(あしくらじ:寺の名前ではなく地名です)は、立山信仰と大変関係が深い場所だそうで、ぽん太がまったく知らなかった立山信仰について、たくさん勉強することができました。
Img_3326 こちらが立山博物館です。公式サイトはこちらです。建物は、なかなか頑張ってるけど、ちょっと洗練さがないな〜などと思って後で調べてみたら、磯崎新とのこと(http://www.icc-toyama.jp/map/maps/i008/)。たいへん失礼申し上げました。
 3階が立山の自然に関する展示になっており、2階は立山信仰が扱われていますが、これが非常に面白かったです。まず、映画『剣岳 点の記』(goo映画)にも出ていましたが、柴崎芳太郎率いる測量隊が明治40年(1907年)に剱岳に登頂した時、頂上には奈良時代後記から平安時代初期のものと推定される鉄剣と銅製の錫杖が見つかったのですが、その鉄剣と錫杖の実物を見ることができます。ぽん太はこれらがこの博物館にあることを知らず、まったくの偶然だったのですが、とても感激いたしました。
 立山信仰のおおよそは、立山博物館のページにも書かれています。平安中期に地獄・浄土思想が立山に入り込み、立山が現実世界にある地獄として信仰を集めたのだそうです。
Img_3252 写真は室堂のその名も地獄谷ですが、熱湯が涌き、有毒ガスがあちこちから吹き出し、植物が枯れ果てた姿は、まさに地獄です。でも関東に住むぽん太からすると、箱根の大湧谷や那須の殺生石付近、木曽の御嶽山など、こうした景観はあちこちにあるような気がします。しかし、京都に住むひとたちにとっては、立山が一番近かったのかもしれません。
Img_3251 こちらた室堂の池塘のひとつですが、鉄分のため水が赤い色をしているので、血の池地獄になぞらえられたそうです。「血の池地獄」というのは元々の地獄思想にはなく、後代になってから付け加えられたもので、経血の穢れのある女性が落ちる地獄とされ、救われるためのお札などが売られたのだそうです。
 立山の地獄に関しては、平安後期の『今昔物語』や室町時代の謡曲『善知鳥』(うとう)に描かれているそうです。そのうちみちくさしてみたいと思います。
 地獄の山とされた立山ですが、南北朝時代から新しく極楽浄土を表す阿弥陀の山という性格が与えられたそうです。
 江戸時代には、立山信仰は全国に広まり、多くの人が立山を訪れるようになりました。「立山曼荼羅」が作られるようになり、それを絵解きしながら民衆に説話をするということが、盛んに行われたようです。このなかで、ゴツゴツした剱岳は針の山に見立てられたそうですが、うなづけるような気がします。
 ぽん太には、二つの疑問がわいてきます。一つは、確かに立山には地獄谷がありますが、美しい景観は、ぽん太には極楽浄土のように思えます。なぜ昔のひとは、地獄だと思ったのでしょうか。ぽん太なりに考えてみると、高山植物が咲き乱れる美しい山はいくつもあったでしょうが、地獄谷のような景観はここにしかなかったため、恐ろしい地獄の側面が強調されたのかもしれません。
 もう一つの疑問は、地獄が高い山の上にあること。地獄というのは地面の下にあるものだとぽん太は思っていました。ぽん太は山岳信仰や宗教に関しては素人なのですが、東北の月山などでは、死者の魂が山の上に上がって行くという考えがあるので、地獄も山の上にあっていいのかもしれません。『古事記』ではイザナギが、死んだ妻イザナミを追って死者の国である黄泉國(よみのくに)に行きます。この黄泉國が、地下にあるのかどうかという議論があります(例えばWikipediaをご覧下さい)。ひょっとしたら日本の信仰では、死者の国は山の上なのかもしれません。ここいらはもう少しみちくさしてみたいところです。
Img_3327 さて、立山博物館のある芦峅寺(あしくらじ)は、立山信仰とたいへん関係の深い土地なんだそうです。写真は芦峅寺にある雄山神社です。立山の雄山山頂に雄山神社がありますが、その中宮祈願殿がこちらです。明治時代の廃仏毀釈によって神社となりましたが、江戸時代以前は芦峅寺という名前のお寺で、中宮寺とも呼ばれていたそうです。一般の神社では、麓にあるのが本社で、山奥や山頂にあるのは奥社とされていますが、雄山神社では、山頂にある立山頂上峰本社があくまで「本社」とされています。
Img_3325 こちらは教算坊と呼ばれる建物ですが、江戸時代には宿坊として栄えました。いくつもの宿坊を利用して、幕末には毎年6000人のが立山に登ったそうです(「教算坊」のしおり」富山県[立山博物館]による)。
Img_3354 こちらは善道坊と呼ばれる宿坊です。古い建築様式がよく保たれています。
Img_3337 芦峅寺では、「布橋灌頂会」(ぬのはしかんじょうえ)という行事が行われておりました。立山は女人禁制だったのですが、ここ岩峅寺までは入ることが許されました。女性達は死装束を着て閻魔堂に入ります。写真がその閻魔堂ですが、明治時代の廃仏毀釈で破戒されたものを、後に縮小して再建したものだそうです。
Img_3346 次に女性達は目隠しをされ、白い布の上を歩いて写真の布橋をわたります。この橋はあの世とこの世を結ぶものとされ、女性達は死の世界に足を踏み入れると考えられました。この布橋も再建されたものです。また冒頭の写真は、閻魔堂から布橋に向かう途中にある石仏群です。
Img_3350 橋を渡った女性達は、姥堂(おんばどう、一字目は女偏に田が三つ)に入り、極楽往生を願って読経念仏を勤めました。やがて正面の扉が開かれると、目映い光のなかに立山や大日岳の峰々が望まれ、女性たちは宗教的な恍惚を体験したそうです。姥堂には姥尊(おんばさま)と呼ばれる、醜悪な老婆の形をした像が祀られていたそうです。姥堂は現在残っておりません。
Img_3359 芦峅寺とともに立山信仰で重要な役割を担った村に、岩峅寺(いわくらじ)があります。ここにあった岩峅寺というお寺は、現在は雄山神社前立社壇(おやまじんじゃまえだてしゃだん)となっております。写真の本殿は北陸最大で、国の重要文化財に指定されているそうです。しかし神社全体はすっかり俗世間の雰囲気で、七五三パックの宣伝をしていたりして、芦峅寺のような山岳宗教的な雰囲気はありませんでした。
 それよりも、富山地方電鉄の岩峅寺駅には破風のあるレトロな駅舎があり、映画「剱岳 点の記」で富山駅のロケに使われたそうで(例えばこちら))、そちらを見ておけばよかったです。

2012/09/28

【温泉】金沢市からほど近いのにのんびりできます/曲水苑(★★★★)

Img_3368 ぽん太とにゃん子は、剱・立山登山ののち、疲れた体を癒すべく、温泉でもう一泊することにしました。お世話になったのは曲水苑さん。ホームページはこちらです。
 金沢市の中心部にある観光名所兼六園から、南へ車を10分ほど走らせると、大学のキャンパスが散在する新興住宅地となります。さらにそこから10分ほどで曲水苑に到着しますが、市内からわずか20分とは思えないほどののんびりした田園風景が広がっています。
Img_3379 夢のお告げに従って自宅の庭から温泉を掘り当てたのは平成元年とのこと。もっと普通の民家風の建物を想像していたのですが、隠れ家料亭風でいい感じでした。
Img_3360 客室も広々として落ち着いた和室で、とてもくつろいだ気分になれます。窓を開けて涼しい風を入れると、故郷に帰省しているみたいです。
Img_3363 こちらが露天風呂です。無色透明ですが、なめるととても塩っぱくて、さらに苦みがあります。マグネシウムがけっこう含まれているようです。泉質はナトリウム・カルシウム・塩化物泉。ラドンも多く含まれているようです。泉温は38度とややぬるめで、ゆっくりとお湯につかることができます。もちろん源泉掛け流しです(ただし冬季は循環加温するそうです)。
Img_3374 露天風呂からの風景は、金沢市内とは思えないのどかな田園風景です。
Img_3372 内湯は壁や浴槽に木が使われていて、こじんまりとしております。こちらは加温しているので、体を十分暖めることができます。
Img_3380 こちらが源泉で、宿の駐車場の真ん中にあります。
Img_3369 冒頭の写真が夕食です。加賀料理というと、ちょっと格式張って窮屈な感じがしますが、きゃらぶきやヤマメの塩焼き、椎茸の軸の甘露煮など、山の幸が豊富で、気取らずにいただけます。蓮根団子や、フグの粕漬けなどもおいしかったです。
 左の写真は、揚げたてで出て来る野菜の天ぷら。キンジソウは初めていただきました。
Img_3370 ご飯もとっても美味しかったです。デザートは「甘瓜」とのことでしたが、後で調べたらいわゆる「マクワウリ」なんですね。
Img_3378 こちらが朝食。温泉水をにがりにしたお豆腐が美味でした。また千石豆も初めていただきました。
 観光客で賑わう兼六園からほど近くに、こんなにのんびりできる天然温泉があるなんて……。料理もおいしく、温泉力もあるので、ぽん太の評価は4点です。登山の疲れがすっかり取れました。

2012/09/27

【演劇】ちとおじさんの説教くさい/NODA・MAP「エッグ」(ネタバレ注意!)

20120926_134153 リニューアルオープンした東京芸術劇場に、NODA・MAPの『エッグ』を観に行ってきました。
 上がった所に客が立ち止まると大変危険で、「池田屋の階段落ちかよ」とツッコミたくなる巨大なエレベーターはとりはずされ、既に半分使用されていなかった「滝」も撤去されました。だいぶ品よくなりましたが、逆にエントランス空間がだだっぴろくなりすぎた気がします。会場のプレイハウス(中劇場)は、舞台装置のほか、客席の傾斜などを修復したそうです。ぽん太は前がどうだったかよく覚えていないのですが、今回は1階後方の座席だったにもかかわらず、前の人の頭がまったく邪魔にならず、とても見やすかったです。
 で、舞台の方ですが、中年女性姿の野田秀樹が、女子学生たちの劇場案内をするのですが、リニューアルが間に合わず工事中、という楽屋落ちから始まります。そのとき工事中の梁から落ちてきた寺山修司の未完の直筆脚本をもとに、芝居が作られるというところから舞台が展開していきます。そして、話しは東京オリンピック、第二次世界大戦の満州、731部隊、ヒトラーとゲッペルスなどに、時空を超え、虚と実を交えて広がって行きますが、このあたりは野田にはお手のもの。
 ん〜なんで寺山修司なのか。「マッチ擦るつかの間海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」という彼の短歌が最後の方で出てきますが。同じ東北出身ながら、戦いに身を投じる主人公と、あくまでも世の中を斜めから見るスタンスを保った寺山を対比したかったのか。芸術監督と登場人物が同時に舞台に現れ、中断された演劇があらたなシチュエーションで再開されるあたりは、寺山の映画の「田園に死す」へのオマージュか。
 脚本に従って芝居を進めて行くと、これまでの設定と矛盾する文言が出てきて、登場人物一同「をひをひ、そうだったのかよ〜」と違う設定で舞台を再開することになるのですが、ぽん太はルリヤの本に出てきた驚異的な記憶力を持つ男を思い出します(その時の記事はこちら)。この男性は、文章を読むと、その情景が細部にいたるまで克明に再現されるのだそうです。だから、例えば小説で「男が木の下に立っていた」という文章を読んで、森のなかに男が立っている様子を思い浮かべたのに、次の文章が「彼はショーウィンドーを覗き込んだ」だと、「をひをひ街のなかだったのかよ〜」と、一から頭の中の風景を作り直さないといけないんだそうです。
 で、話しを元に戻しますが、「エッグ」というのは何とスポーツの名前。その新人プレイヤーが妻夫木聡演じる阿部比羅夫。阿部比羅夫といえば、飛鳥時代に白村江のたたかいで唐と戦った武将ですが、エッグの阿部比羅夫は中国チームと戦います。この時期、中国と戦うという設定はかなり微妙ですが、野田はわざと仕組んだんでしょうか、それとも中国と戦うという設定で芝居を作っていたら、たまたまこういう政治情勢になったんでしょうか?
 テーマはナショナリズムや熱狂に対する批判ということになるのかもしれませんが、あまりにタイムリーすぎるせいか、逆に説教臭く感じます。じじいに「戦争の頃はな〜」「最近の若いもんは〜」と飲み屋で絡まれている気がしてしまいました。満州とか人体実験とかナチスを見せつけられて、ぽん太はすっかり気が重くなりました。
 最後に「寺山修司に『エッグ』などという作品はありません」っていうのも、なんだか余分なような気もします。大きめのホールで公演期間も長いので、大勢の観客を動員するため、全般にわかりやすくなってしまっているのかもしれません。
 深津絵里、生では初めてみましたが、とても上手だったです。歌もうまい。『キル』では夢を見つめて一心に生きる若者を演じた妻夫木聡、CMののびた役などで鍛えたのか、軽薄で心のない立派な役者に成長しておりました。
 音楽はなんと椎名林檎。林檎姐さんの新曲をまとめて聞けるだけでも、多摩の奥地からはるばる池袋まででかけたかいがあります。林檎を歌う苺(深津絵里)もよかったです。
 美術も、全体が古い病院みたいなかんじで、ロッカーの見立て、カーテンを使った素早い場面転換など、悪くありませんでした。
 ちょっと今回は若者向け、大衆向けだったかにゃ〜。でも、椎名林檎の歌を生深津絵里で聞けたし、ぽん太の評価は70点。「エッグ」という得体の知れない気持ち悪そうな競技、サワリだけでもちょっと見たかったです。


NODA・MAP 第17回公演
『エッグ』
2012年9月5日(水)~10月28日(日)
東京芸術劇場 プレイハウス

【キャスト】
阿倍比羅夫(あべひらふ):妻夫木聡
苺イチエ:深津絵里
粒来幸吉(つぶらいこうきち):仲村トオル
オーナー:秋山奈津子
平川:大倉孝二
お床山(とこやま):藤井隆
劇場案内係・芸術監督:野田秀樹
消田(きえた)監督:橋爪功

【スタッフ】
作・演出:野田秀樹
音楽:椎名林檎
美術:堀尾幸男
照明:小川幾雄
衣装:ひびの こづえ
音響・効果:高都幸男
振付:黒田育世
映像:奧秀太郎
美粧:柘植伊佐夫
舞台監督:瀬崎将孝
プロデューサー:鈴木弘之

2012/09/26

【歩かないと行けない温泉(6)】みくりが池温泉(歩行時間10分)(★★★★)

Img_3210 温泉案内なのに、いきなり山の写真!?でも、それがこの温泉の特徴なんです。立山黒部アルペンルートの室堂にあるみくりが池温泉は、標高2410メートルに位置しており、日本一高所にある温泉です。ホームページはこちらです。
Img_3231_2 「歩かないと行けない温泉」とタイトルをつけましたが、室堂駅からの歩行時間はわずか10分ですから、気軽に行くことができます。ただ、平地より気温が15度くらい低いので、十分な防寒対策をお忘れなく。
 建物はきれいでけっこう大きいです。「旅館」と「山小屋」の中間くらいの宿で、部屋は個室と、二段ベッドの相部屋を選択できます。のんびりくつろぎたかったぽん太とにゃん子は個室を選びましたが、やや狭めながら清潔な和室でした。ただ、テレビはなく、浴衣やタオルは別料金、布団の上げ下げもセルフサービスです。
Img_3226 お風呂は男女別の内湯のみ。やや小さめです。壁は木でできていて雰囲気があり、浴槽は石が張られて清潔です。これぞ温泉!という感じの白く濁ったお湯で、硫黄の臭いがし、なめると酸っぱいです。泉質は単純硫黄泉で、ph3.1と強酸性。もちろん無加水・無加温の源泉掛け流しです。
Img_3232 源泉があるのは、宿の裏手にのその名も「地獄谷」。あちこちに温泉が湧き出し、ガスが噴出しております。見学用の遊歩道があるのですが、現在は有毒ガスが活発なため閉鎖されています。
Img_3211 夕食は、広い食堂で一斉にいただきます。海の幸・山の幸が盛り込まれた美味しい夕食です。
Img_3213 こちらの煮物は「つぼ煮」というそうです。立山の富山側の麓に芦峅寺 (あしくらじ)という集落があり、立山信仰と深い関わりがあるのですが、そこの郷土料理なんだそうです。使う器が壷に似ていたことから名付けられたそうです。
Img_3212 こちらは追加オーダーした白えび唐揚げです。パリパリふっくらでおいしゅうございました。他にもいろいろと追加オーダーのメニューがありますので、食事がちょっと物足りないという方はご利用ください。
Img_3223 朝食はバイキング形式です。登山のために早出する人のために、朝6時からいただけます。
Img_3225 こちらがぽん太が選んだメニュー。今日は登山に出かけるので、しっかり食べてエネルギーを蓄えます。メニューは和洋とりまぜて種類が多く、全種類を食べるのが無理なほどです。
 白濁した硫黄泉の温泉力は十分、食事も普通に美味しいです。しかしなによりも、高度2410メートルの室堂にあるという立地がものをいい、日本一高い所にある天然温泉という希少価値が加わり、ぽん太の評価は4点です。

2012/09/25

【剣岳早月尾根敗退&大日三山縦走(3)】山は逃げない、しかし体力は逃げる

Img_3238 みくりが池温泉で迎えた朝。青空をバックに立山が姿を見せてくれました。
Img_3242 しかし一瞬ののちにはガスがたちこめます。
Img_3230 煙が上がる地獄谷の向こうに、これから行く奥大日岳への稜線が見えます。
Img_3253 雷鳥平から見た別山方面の雄大な風景。室堂はすでに草紅葉が始まっておりました。
Img_3272 新室堂乗越まで登ると、剱御前の肩に、剣岳の稜線が見えてきます。きのう登るはずだった早月尾根です。奥大日岳までゆけば、頂上を含めて全貌をあらわにしてくれるはずです。あゝ、楽しみ。
 しかし、奥大日岳への稜線を進むに連れて、だんだんとガスがかかってきて、剣岳は姿を隠してしまいました。
Img_3286 でも、途中で三回もライチョウに会うことができました。最初は一羽、次は三羽、最後は五羽の親子連れでした。
Img_3296 大日岳の山頂には石の祠があり、なかに大日如来が祀られておりました。
Img_3294 今宵の宿は大日小屋です。客室が二つだけのこじんまりとした小屋です。平日のうえ天気が悪いせいか、泊まっていたのは8人だけでした。
Img_3302 ランプのもとで夕食を頂くのが、この宿の売りです。もちろん電灯もつきますので、ご安心を。
Img_3305 こちらが夕食ですが、なかなかおかずが充実しておりました。カツは揚げたてです。
Img_3306 朝食も美味しそうですネ。
 大日岳から眺める日の出や剣岳を楽しみにしていたのですが、起きるとザンザン雨が降ってました。今回は剣岳に徹底的に嫌われたみたいです。滝に打たれる修行だと思って、雨具を着込んで下山して行きました。なかなかの急坂で、脚がすっかり棒になりました。
P9210196 遠足の小学生で賑わう称名の滝です。称名滝からバスで立川駅に戻りました。立川駅にある「立川カルデラ砂防博物館」(公式サイトはこちら)の無料コーナーを見学。今年の4月、立山の小窓雪渓、三ノ窓雪渓、御前沢雪渓のみっつの雪渓が、国内初の現存の氷河に認定されたというニュースが流れましたのを覚えてますか(たとえばこちら)。それに関連した展示が興味深かったです。
 早月尾根から剣岳を制覇できなかったのが残念ですが、山は逃げない。しかし体力は逃げる。来年は登れるかしら……。

2012/09/24

【剣岳早月尾根敗退&大日三山縦走(2)】早月小屋まで登るも風雨で敗退

Img_3183
 早朝に富山市内のビジネスホテルを車で出発し、早月尾根の登山口の馬場島(ばんばじま)を目指します。
Img_3176 馬場島にゆく途中に見えた剣岳。関東に住んでいるぽん太の感覚では、剣岳は奥の奥にある山というイメージなので、市内から普通に剣岳(や雄山や薬師岳…)が見えるのが、とっても不思議な感じがします。
P9180044 猛暑が続いているとはいえ、山はすっかり秋の装いでした。写真は、やけに大きくて派手なウツボグサ。そう、タテヤマウツボグサですね。
 早月尾根はなかなかの急登ですが、今日の行程は約5時間で、時間もたっぷりあるので、意識してゆっくりと登りました。
Img_3179 などと言っていたら、見たこともない花が…。あとで調べたところ、アケボノシュスランでした。
 冒頭の写真にあるように、いくつもの杉の巨木が、登山道の両側に生えています。杉というとぽん太は、まっすぐ天に向かって伸びている姿を思い浮かべますが、いくつにも枝分かれし、うねるように屈曲しています。タテヤマスギと呼ばれ、富山県の県木に指定されているそうです。
P9180067 ようやく早月小屋に到着。素っ気ない木の外壁、窓の作り出すリズム。機能主義建築のような美しさがあります。中に入ると、とてもアットホームです。早月小屋のホームページはこちらです。
Img_3197 庭からは小窓尾根の荒々しい稜線を望むことができますが、残念ながら頂上は見えません。
Img_3201 夕食は牛丼でした。山小屋でこんなにタンパク質を補給できるとは思ってませんでした。連休明けのため、泊まっている客は8人で、ゆったりと寝ることができました。
Img_3203 富山湾に面する富山市の灯りが美しいです。明日も晴れかな…。後で知ったことですが、剱・立山では、「富山市の灯りが見えたら翌日は雨」という言い伝えがあるんだそうです。
 夜中に目が覚めた時、雨の音が聞こえました。風もかなり強いようです。
Img_3205_2 こちらが朝食。なかなか豪華です。冷や奴がうれしいです。
 さて、元富山県警山岳警備隊のご主人の話しでは、雨だけでも滑りやすいのに、ここらでこれだけ風が吹いていたら、山頂では立てないくらいの強風だろうとのこと。7時まで天候の回復を待ったのですが、いっこうに良くなる気配がありません。一日停滞しても明日は晴れるという保証はないし、剣山は以前に登っているし、危険を冒す意味はまったくないので、勇気ある撤退をすることに決めました。
P9190083 早月小屋のお弁当は、お稲荷さんとのり巻きでした。雨のなかの撤退で意気消沈してましたが、おかげで元気が出ました。登った時はあまり感じませんでしたが、下ってみると相当な急登で、よく昨日はこんなところを登ったな、と思いました。
 このあとどうしようかと迷ったのですが、だんだんと天気が回復するという予報だったので、人力で剱を越えられないなら文明の利器を使ってと、立山駅まで車で走り、アルペンルートのケーブルカーとバスを乗り継いで室堂に行き、みくりが池温泉に泊まりました。みくりが池温泉については、稿を改めて書きたいと思います。
Img_3217 夕方になって霧が晴れてきて、立山連峰が顔を出しました。写真は真砂岳から別山にかけての稜線です。明日はいい天気かな?

2012/09/23

【剣岳早月尾根敗退&大日三山縦走(1)】日程のご案内と富山市内前夜泊(海の神山の神・おさかな家)

Img_3264 今年は北アルプス、特に富山県に何度も出かけているぽん太とにゃん子、この際ということで、富山県側から剣岳を目指すことにしました。
 剣岳は南側からは既に登ったことがあるので、今回は、北アルプス3大急登の一つの早月尾根からアプローチすることにしました。ちなみに3大急登の残る2つは、燕岳の合戦尾根と、烏帽子岳のブナ立尾根で、ぽん太とにゃん子はすでに制覇済みです。早月小屋で一泊して剣岳の山頂を極めたら、南側に降りて剱沢小屋に泊まり、大日三山を縦走してランプの宿として有名な大日小屋でもう一泊し、称名滝に降ります。鉄道を使って上市駅に行き、タクシーで馬場島まで車を回収に向かうという計画でした。
 ところが早月小屋まで行きながら、天候の悪化により剣岳登頂を断念。交通手段を使って室堂に移動し、後半の大日三山縦走をすることにしました。
 まずは日程の紹介と、富山市内での前夜泊のご報告。

【山名】奥大日岳(2605.9m)、中大日岳(2500m)、大日岳(2501m)
【山域】北アルプス
【日程】2012年9月18日〜21日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】(9/18)晴れ、(9/19)雨、(9/20)ガス、(9/21)晴れのちガス、(9/22)雨
【ルート】(9/18)馬場島8:39…(早月尾根)…早月小屋14:12(泊)
(9/19)早月小屋7:25…馬場島11:26====室堂…みくりが池温泉(泊)
(9/20)みくりが池温泉7:29…奥大日岳10:39…中大日岳12:51…大日岳13:23…大日小屋13:40(泊)
(9/21)大日小屋6:15…称名滝10:27…称名滝駐車場11:00

(※大きい地図や3Dグラフはこちら
【見た花】アケボノシュスラン(初)、タテヤマウツボグサ、タテヤマアザミ……などなど。
【マイカー登山情報】早月尾根の登り口の馬場島には、キャンプ場の広い無料駐車場があります。
 立山黒部アルペンルートの富山側は、立山駅にこれまた広い無料駐車場あり。称名滝駐車場から立山駅までは約1時間に1本のバスで20分で500円。時刻表はこちらから。

 敬老の日の9月17日月曜日、ぽん太とにゃん子は多摩の巣穴を車で出発し、中央道から長野道、北陸道を経て富山市に辿り着きました。平日が休みのぽん太はあまり意識してなかったんですが、土日祝日高速半額って、まだやってたんですね。東京から富山までだと、すごく得した気分です。確か麻生さんがやったんでしたっけ。麻生さん、ありがとう!それに比べて、「高速全線無料化」とか行ってた某政党め(-゛-メ) 。次の選挙ではひどい目にあわせてやる。
 暗くなったら腹鼓を打ちながら街に繰り出します。富山の魚と地酒を満喫せねばなりませんが、祭日なので閉まってる店が多かったです。
P9170026 そんななかでまず選んだのがこちら!「越中膳所 海の神山の神」さんです。ホームページはこちらです。ちょっと格式がありそうで、落ち着いた感じのお店です。写真はお刺身5種盛り。キトキトでおいしいです。
P9170028 こちらは「富山の野菜畑」。新鮮さは言うまでもなく、見た目もきれいですね。
P9170032 地酒もいろいろ味わいたいので、利き酒セットを注文。それぞれに美味しいです。特に「魚津蔵 純米吟醸」は、フルーティーですっきりしていて、富山のお酒のイメージを良い意味で裏切られました。
P9170029 富山と言えば白えび。昆布じめは初めていただきました。
P9170031 さらに白えびかき揚げも注文。まわりはパリッと中はふっくらと揚がっていて、美味しゅうございました。
P9170033 はるばる富山まで来て一軒ではもったいないので、通りかかった「旨肴旨酒 おさかな家」にはしご。ホームページはこちらです。地元のひとたちで賑わう活気のあるお店。写真はお通しの白ばい貝。大きさも驚きですが、東京で食べるのはなんか身が固くなってるのが多いですけど、とてもジューシーでした。その他の肴や地酒も美味しかったですが、すっかり気持ちよく出来上がってしまって、写真が撮れませんでした。
 さて、明日はいよいよ早月尾根です。

2012/09/16

【絵画】上野でフェルメールの競演!《真珠の首飾りの少女》&《真珠の耳飾りの少女》

20120913_1750 上野にフェルメールの絵が二枚来ておりますが、どちらも9月17日までなので、先日観に行ってきました。平日だというのに上野はすごい人出。東京美術館の方は入館50分待ちということなので、まず国立西洋美術館の「ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年」から始めました。公式サイトはこちらです。
 西洋美術館に来ていたのは《真珠の首飾りの少女》。日本初公開だそうです。画像ファイルはこちらです。1662年から65年のあいだに描かれたと推定されているそうです。ちなみにフェルメールは1632年に生まれ、1675年に43歳で亡くなっておりますから、30歳そこそこで描いたことになります。左側に例の窓があり、そこから入る光で人物が照らされるという、いつもの構図です。少女は、首にかけられた真珠のネックレスを手に取り、うっとりと憧れるような表情をしております。なんでも、左の壁にかかっている額のようなものが実は鏡で、鏡をみながらネックレスのリボンを結んでいるんだそうです。少女が着ている黄色い上着は、《手紙を書く女》、《婦人と召使》、《恋文》、《ギターを弾く女》などにも描かれているものですね。背景の壁は、フェルメールなら絵のひとつでも掛けてありそうなものですが、この絵では真っ白です。当初はネーデルランドの地図が描かれていたのを、あとで塗りつぶしたんだそうです。黒い布は暗い部分の濃淡がつぶれてしまってますが、描かれた当初はもっとグラデーションがはっきりしてたんでしょうか?イアリングや椅子の鋲がキラリと輝いているのはいつものとおり。テーブルの下の白い絵の具は、手前にテーブルの脚のシルエットがあるようですが、床に日があたっているのでしょうか?よくわかりません。画面全体が黄金色に輝く、とても幸福そうな絵でした。
 そのほか、ルーカス・クラーナハ(父)の《マルティン・ルターの肖像》や《ルクレティア》、ベラスケスの《3人の音楽家》、ボッティチェッリの素描などがありました。
20120913_1659 続いてリニューアルされた東京都美術館の「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」。すごい人です。熱中症対策か、列の途中には給水所もあります。旗を持ったガイドさんに導かれた観光ツアーのような人たちもいます。フェルメールを観るツアーとかがあるんでしょうか。朝日新聞やフジテレビが主催なので宣伝がうまいのか、それとも魅惑的な少女の表情に魅了される人が多いのか。50分並んで入場し、さらに絵を最前列で(立ち止まらずに歩きながら)見る列に30分ならんで、ようやく《真珠の耳飾りの少女》にご対面です。
 《真珠の耳飾りの少女》は、1665年から1666年に描かれた作品。フェルメールが33歳から34歳頃の作品ですね。画像ファイルはこちら。ウルトラマリンブルーのターバンの大きなマッスがまず目を引きます。《真珠の首飾りの少女》などのような空間の広がりはありませんが、一見無造作に置かれたホワイトで見事に表現された真珠の耳飾り、本来なら影になっているはずなのに光が当たっているターバンの垂れ下がった部分、眼球や唇に置かれたハイライトなど、光の魔術師と呼ばれたフェルメールならではの表現が見られます。そしてなんといっても、何かを訴えかけているような少女の表情。たくさんの人がこの絵を目当てに列を作る理由もわかるというものです。
 でも、待てよ。この少女の表情、他のフェルメールの絵に比べ、やけに現代的で生き生きとしすぎている気がします。こちらのWikipediaにも書いてあるように、この絵が1881年に競売で落札された時の価格は約1万円で、非常に傷んでいて、真贋も明らかでなかったそうです。1882年に一回目の修復が行われたのち、さらに1994年から1996年に入念な修復が行われて、現在の姿になったようです。素人のぽん太の素直な疑問を口にするなら、ひょっとして修復の過程で現代っぽく書き換えられたんじゃないでしょうね。ネットで検索すると修復前の画像がいろいろ出て来るようですが(例えばこちら)、おそらくこれは1994年から行われた修復の前で、1882年の修復後、ということでしょうね。1882年の修復前はどのような絵だったんでしょうか?ググってみてもちと見つかりません。
 修復と言えば、先日テレビのニュース番組でやってましたが、スペインの教会の120年前のフレスコ画を、善意の素人が修復しようとして、めちゃくちゃな絵になってしまった事件が記憶に残っております(例えばそのCNNの記事はこちら)。その衝撃的な画像はこちら!この画期的な修復技法を使って、さまざまな名画の修復が行われているようです(あまりに酷い修復が行われたフレスコ画のコラ画像が大人気!世界中で修復される名画たち)。試しにぽん太も『真珠の耳飾りの少女』を修復してみました
 本日の記事の冒頭で、フェルメールが二つ来ていると書きましたが、実はもうひとつ≪ディアナとニンフたち≫も来ていました。この絵はぽん太は、2012年の東京都美術館の「フェルメール展」で既に見てますが、フェルメールの作品ではないという説もある絵です。
 その他、フランス・ハルスの《笑う少年》やレンブラントの晩年の≪自画像≫などもありました。

 夜は、ゴールデンレトリバー君一家と、赤坂の天茂(食べログ)で天麩羅をいただきました。先日の蝶ヶ岳登山のおりにゃん子が、グルメのレトリバー君においしい天麩羅屋を尋ねたことから実現した企画です。お寿司にも「新鮮な魚を握りました!」というのと、一手間かけて素材を美味しくしている店がありますが、天麩羅も素材を美味しく変化させる技であることをぽん太は初めて知りました。絶品です。

2012/09/13

【登山】槍穂高の二つの表情を愛でる(三股から蝶ヶ岳往復テント泊)

Img_3156
 今回は、以前にプロレスに連れて行ってもらったお礼もかねて、ゴールデンレトリバー君を伴っての山行となりました。ゴールデンレトリバー君は、以前はプロレスラーと見まごうような巨体の持ち主で、八ヶ岳の麓に別荘を持ちながら、決して山に登ろうとしませんでした。しかし、ここ数年で体をしぼり、いまでは毎週のようにあちこちの山に出かけているようです。写真もプロ級の腕前のレトリバー君は、稜線に泊まって写真を撮りたいとのことだったので、ぽん太も行ったことがない槍穂高の展望台、蝶ヶ岳に行くことにしました。ただ、三股からの往復では味気ないので、数年ぶりにテントに泊まることにしました。

【山名】蝶ヶ岳(2677m)、蝶槍(?)
【山域】北アルプス
【日程】2012年9月5日〜6日
【メンバー】ぽん太、にゃん子、ゴールデンレトリバー君
【天候】(9/5)晴れ、(9/6)雨のち曇り
【ルート】(9/5)三股駐車場9:37…蝶ヶ岳ヒュッテ15:09…蝶槍16:24…蝶ヶ岳山頂17:08…蝶ヶ岳ヒュッテ(テント泊)
(9/6)蝶ヶ岳ヒュッテ7:11…三股駐車場10:57

(※大きい地図や3Dグラフはこちら
【見た花】ダイモンジソウ、ツルリンドウ、サラシナショウマ、ミヤマトリカブト、ソバナ、アザミの一種、クロトウヒレン、ハクサンフウロ、ミヤマアキノキリンソウ、ウサギギク
【マイカー登山情報】三股までの道は、次第に狭くなるものの、しっかり舗装されています。数十台停められる広い駐車場あり。

 9月に入ったとはいえ、まだまだ残暑が厳しい今年の夏。加えてこの数日、日本の各地でゲリラ豪雨の被害が出るという不安定な天候。雷の心配があるので早出早着きに越したことはありません。ゴールデンレトリバー君の車に同乗させていただき、多摩の巣穴を朝7時前には出発し、9時半に登山スタート。数年振りのテント装備が肩に重くのしかかります。体を痛めぬようにゆっくりと登り始めました。途中、力水でおいしい水を補充。
Img_3114 もうすっかり秋の風情で、目立った花も咲いておりません。樹林帯のなかの単調な登りが続きますが、ときおり常念から前常念に続く稜線が姿をみせ、疲れを癒してくれます。
 近頃元気なレトリバー君は、われわれのペースがじれったいのか、先行してどんどん登っていきます。ただ、無風状態の暑さには参ったらしく、途中から風の話ししかしなくなりました。
Img_3124 ようやく稜線に到着。蝶ヶ岳ヒュッテの向こうには常念岳、そして大天井へと続く稜線が目に入ります。
Img_3131 そして眼前に屏風のように立ちはだかる槍・穂高。後光が射してまことに神々しい景観です。
Img_3134 テントを設営してから、せっかくなので蝶槍までピストン。
Img_3135 雲間からときおり姿をみせる槍ヶ岳の迫力にはかないませんネ。ン?こっちから見ると、槍は少し右に傾いて見えますね。
Img_3162 蝶槍から蝶ヶ岳に続く二重稜線。サルの群れがこんなところまで登ってきて、食事をしてました。
Img_3166 夕暮れの常念です。残念ながら雲のせいで夕焼けは見られませんでした。ゴールデンレトリバー君が持参した高級スコッチなどを頂きながら、山小屋とはひと味違った楽しい夕食を済ませて就寝。明日の天気はどうかしら?

早朝から雨がテントを打つ音が……。これでは朝焼けは望めません。朝食をすませて、水を吸って重いテントを撤収し、あとは下るのみ。しかし、わずかな晴れ間には、槍穂高に虹がかかっているのが見えました。昨日の雄々しい姿とは異なる、優雅で神秘的な美しさです。Img_3172_2
 帰りは、途中にあるほりでーゆで汗を流し、ゴールデンレトリバー君の案内で豊科のおいしい鰻を頂きました。生ビールまで飲ませていただき、帰りの車は寝倒すというぜいたく。あゝ、ありがたや。このご恩は決して忘れません。
 天候が崩れたのは残念でしたが、そのおかげで槍・穂高の二つの表情を見ることができました。久々のテント泊も楽しかったです。

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