【温泉・精神医学史】斎藤紀一ゆかりの宿・福島屋旅館@熱海(★★★★★)&伊豆の走り湯
丹沢で、山ガールに化けた山の精に騙されて道に迷ったぽん太とにゃん子は、19時近くにようやくその日の宿、熱海温泉の福島屋旅館に到着しました。一泊朝食つきにしたので、到着が遅れても問題はありませんでした。「あの」熱海にありながら、昭和レトロの雰囲気が漂う宿として有名で、前から一度泊まりたいと思っておりました。宿のホームページはこちらです。
こちらが外観です。モルタル造りで、鄙びているというよりボロい感じ。普通なら泊まろうという気になりません。
こちらが玄関。内装はなかなかいい味を出してます。
玄関ホールです。木の柱と白い壁。建具の軽妙な衣装や、竹の斜め格子なども悪くないです。
玄関右手の階段方向。黒光りする廊下、松を象った壁の穴(建築用語不明)。左上の縦に桟が入った窓はガラスが入ってなくて、向こう側は階段の踊り場になっています。
その階段の右手の小スペースは、レトロなグッズが置かれています。
室内の手すりと欄干、細かく桟が入った窓や欄間から漏れて来る灯り。
流しと給湯コーナー。
こちらが客室です。昭和レトロっぽい和室です。
こちらは脱衣所。銭湯代わりに使っている人が多く、夕方までけっこう混み合っています。宿泊客はぽん太とにゃん子だけでした。
こちらが男湯の浴室です。浴槽とその周りはタイル張りで、白いペンキが塗られた板張りの壁も悪くありません。お湯は完全な源泉掛け流し。流れ込むお湯の量を蛇口で調節して温度を一定に保つという原始的な方式です。
もうひとつ小さな浴槽がありますが、こちらはお湯が張られてませんでした。その奥が洗い場になりますが……。
シャワーはなく、桶と「タライ」が置かれています。使い方がわかりますか?ぽん太も常連さんを観察してわかりました。お湯の蛇口を開けっ放しにしてタライにお湯を溜めます。それを桶ですくって使うという寸法です。確かにいちいち蛇口から桶にお湯を溜めるよりもスピーディーです。温泉ファンのぽん太ですが、こういう方式は生まれて初めて見ました。あゝ、感動!
こちらが朝食。普通のメニューですが、さすがに干物がふっくら柔らかくてとても美味しかったです。高度成長で賑わい、バブル崩壊で衰退した熱海にあって、昭和レトロな雰囲気が歴史を超えて保たれている点がすばらしく、ぽん太の評価は5点満点です。
さて、ぽん太が以前の記事で書いたように、斎藤茂吉の父親であり、精神科医であった斎藤紀一氏は、熱海の「福島屋」という温泉を気に入って繰り返し訪れており、昭和3年(1928年)11月17日にそこで心臓麻痺を起こして息を引き取ったのでした。それって、この福島屋かな、と思って宿のご主人に尋ねたところ、確かにこの福島屋さんなんだそうです。あゝ、これもまた感激です。
とはいえ当時はこの建物ではなかったようです。宿のホームページを見てみると、明治期は木造2階建てで、大正期に木造3階建てに建て替えられましたが、昭和19年の大火で消失したそうです。紀一氏がいつ頃から福島屋に泊まっていたのかわかりませんが、息を引き取った時は木造3階建ての時代ですね。この頃の写真をホームページで見ることができます。現在の建物は、大火後に再建されたものと推定されます。
一方、こちらの記事に書いた森田館については、あまり手がかりがありませんでした。以前の記事では「森田旅館」と書きましたが、「森田館」が正しいようです。森田療法で有名な森田正馬先生が、昭和6年(1931年)6月1日に旅館伊勢屋を買い取って経営した宿です。熱海市立図書館にも行ってみたのですがめぼしい資料は見つかりませんでした。ただ、福島屋の廊下にかかっていた明治30年代の熱海の地図(福島屋のホームページにもあります)を見てみると、「イセヤ」という宿が福島屋からまっすぐ海の方向にいったあたりの海沿いに描かれております。その「イセヤ」が森田館になったんだとすると、場所は現在のこのあたり(Yahoo!地図)ではないかと推定されます。またこちらのpdfファイルには伊勢屋は「現在の富士屋の駐車場あたり」にあったと書いてありますが、ぽん太にはどこだかわかりあせん。伊勢屋は関東大震災の津波で損壊して、閉館になったと書いてあります。
さて、旅に話しを戻しますと、福島屋さんには一泊朝食付きで泊まったので、宿は熱海の街に繰り出しました。とは言え、夕食つきの旅館が普通の温泉街で、美味しそうな居酒屋があるかどうか。宿の近くを歩いてみたら、なんとかなりシブい歓楽街があり、地元のひとたちで賑わっているようです。初めに入ったのは居酒屋魚庵(ととあん)。ぐるなびにリンクしておきます。マンボウの刺身があるということで、(たぶん)生まれて初めて頂きました。海にプカプカと浮いている姿から想像できるように、筋力のかけらもない肉で、水っぽくて決して美味しいものではありませんでした。その後、鮨割烹廉(れん)(ホームページはこちら)に流れ、由比の生シラスや地魚のお鮨をいただきました。満足まんぞく。
さてもうひとつ。以前の記事でご紹介した、『梁塵秘抄』に書かれているという伊豆の「走り湯」。見てきました。
トンネルの中は木製のふたがある樋があり、突き当たりに小さな池があってお湯が沸々と湧き出てました。
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