【歌舞伎】初めて南座に行ったよ。2012年12月京都南座昼の部(追悼企画:ぽん太の思い出の勘三郎ベスト5)
外からは何度も見ている京都南座の内部に一度入ってみたかったので、切符を取ってみました。その後思いがけなく12月5日に勘九郎が死去。追悼と、残された息子たちを見届けるという意味が付け加わりました。公式サイトはこちら。
初めて入った南座は、ロビーというか、劇場周りの空間が狭いのにびっくり。しかし天井などをみると、装飾が細かく造り込まれています。劇場内に入ると、客席は平面図的には広くなく、天井が高くて縦長の印象です。舞台の上に造られた桃山風の屋根や、天井の装飾など、古都らしさをかもし出します。また3階席からも花道の七三が見えるのがうれしいです。
南座の歴史に関しては、こちらの松竹の公式サイトに書かれています。慶長8年(1603年)に出雲の阿国が四条河原でかぶき踊りをしたのが始まり(ちょっと遡りすぎか?)。元和年間(1615~1623年)に四条河原に7つの櫓が公に認められました。そのうち唯一現在まで残っているのが南座です。
明治39年(1906年)に経営権が松竹に移りました。現在の建物の元になる建物が造られたのが昭和4年(1929年)。設計は、こちらのサイトによれば、白波瀬直次郎(しらなみせなおじろう)とのこと。南座以外にどんな作品があるのか、ぐぐってみたけどよくわかりません。大正2年(1913年)の改築を経て、平成3年(1991年)に大改修が行われ、外観は竣工当時に近い姿に戻す一方、内部は近代的な劇場として生まれ変わったそうです(今里隆/杉山隆建築設計事務所)。
さて、感想に入りますが、「佐々木高綱」は初めて観る演目。佐々木高綱は、宇治川の戦いにおける梶原景季との先陣争いで有名ですが、そのときにやむを得ず馬子を殺害したことを悔い、償いとしてその息子を召し抱えています。息子は高綱の心根に感謝しておりますが、その姉は高綱を仇として憎んでいます。一方で高綱は、自分が身代わりとなって命を助けた頼朝が、戦に勝ったいますっかり心変わりしていることを怒っています。浮世に愛想をつかした高綱は、出家を決意します。
最後に出家というと、「熊谷陣屋」を思い浮かべますが、主君のために我が子を手にかけた熊谷直実の苦悩に比べると、高綱の悩みは小さいというか、現代的な感じがします。あとてぐぐってみると原作は岡本綺堂で、大正3年(1914年)に新富座(現在の京橋税務署と東京都中央都税事務所の場所ですネ)で初演されました。脚本は青空文庫にアップされています。
高綱を演じた我當の、手だれの武士らしい風格と、高貴さがすばらしかったです。馬飼子之介の愛之助が、真面目で誠実な若者を好演。佐々木小太郎定重の進之介は滑舌が悪く、芝居にもあらが目立ちました。
続いて團十郎の「梶原平三誉石切」。團十郎はその後体調を崩して休演したとのことで、見れてよかったです。七之助が娘梢を熱演しておりました。
「寿曽我対面」は、勘九郎は曽我五郎。声が大きく、セリフに迫力がありましたが、体からみなぎって来る勢いにはちと欠けました。工藤祐経は、先月休演した仁左衛門でしたが、まだ声が少し小さいようでした。
最後は藤十郎の伊左衛門で「吉田屋」。たぶんぽん太が観るのは3回目ですが、完成された芸です。仁左衛門と比べると、ずいぶんこってりした印象がありますが、どこがどう違うのか、ぽん太にはよくわかりません。
勘三郎追悼ということで、ぽん太の選んだ勘三郎の思い出の舞台ベスト5を書いておきたいと思います。あくまでもぽん太の個人的な選択ですのでご容赦を。
まずは第5位。「沼津」の雲助平作!(平成23年11月平成中村座夜の部)。中村座の上手の桜席(幕の内側の席)を取ることができました。荷物を持って日銭を稼ごうとしますが、ちょっと重すぎて困っているのを、笑ってごまかそうとしている表情を、間近で正面から見ることができましたが、舌の動きまでコントロールしたその表情が、ぽん太の記憶に焼き付いています。病気からの順調な回復を感じました。
第4位、「助六由縁江戸桜」の通人!(平成22年4月歌舞伎座第三部)。歌舞伎座さよなら公演の一つで、團十郎の助六、菊五郎の白酒売新兵衛。白塗りの顔で、パタパタと扇子を扇ぎながらで来てきた瞬間から劇場の雰囲気がパッと変わります。セリフはアドリブの連続。團十郎を見て、「なんだ〜この人は。どっかで見たぞ。なんか1月に押し戻された気がするな〜(勘三郎は1月に團十郎の押戻しで「娘道成寺」を踊りました)。おめでと〜ございます。たかとし(海老蔵の本名)が身を固めてよかったね〜……」。菊五郎を見て「おめでと〜ございます。しのぶれど、世界に出にけりしのぶちゃん(寺島しのぶが『キャタピラー』でベルリン国際映画祭の最優秀女優賞を取りましたね)、それに引き換えこの俺は、唐紅に股くぐるとは〜」。菊五郎が笑いっぱなし。花道の七三まで行って、「長かったね〜歌舞伎座さよらなら公演。さよなら、さよなら、さよなら、さよなら……」などとまたひとくさり。ようやく揚幕に消えたあとの團十郎の「へんなやつだ」とかいうセリフで、客席が大爆笑でした。
第3位、法界坊!(平成24年4月平成中村座第1部)。ハイテンションでスピーディー。爆笑の連続。この演出で法界坊を演じられる役者は、当分(数十年間)出ないでしょう。真面目な勘九郎にも無理だし。
第2位、俊寛!(平成22年2月歌舞伎座昼の部)。かっこつけて島に残ったはいいが、未練たらたらの俊寛が多いなか、穏やかに死を受け入れ、この世に別れを告げる俊寛。勘三郎自身の死と、ぽん太の頭のなかで結びつきます。勘三郎の父の十七代目の最後の舞台が「俊寛」。先が長くないことが分かっている父が「互いに未来でー」と叫ぶ声を聞いて、舞台の上で十八代目が泣いていたというエピソードも有名です。
そして堂々の第1位、雪達磨!(「舞鶴雪月花」平成24年3月平成中村座昼の部)。雪だるまが楽しそうに生き生きと踊ってる。やがて日が昇って来ると、次第に体が融け始める。必死に雪をかき集めて融けるのを防ごうとする雪だるま。しかしやがては消え去ってしまいます。近づく死を知らずに元気一杯に踊る姿。青空のもと日の光を浴びながらの死。死を描きながら、どこまでも楽しく滑稽。こうして思い出していても涙が出てきます。この素晴らしい踊りを見て、ぽん太は勘三郎の完全復活を確信したのに……。心からご冥福をお祈りいたします。
吉例顔見世興行
東西合同大歌舞伎
六代目中村勘九郎襲名披露
京都四條南座
平成24年12月13日 昼の部
第一 佐々木高綱(ささきたかつな)
佐々木高綱 我 當
子之介姉おみの 孝太郎
馬飼子之介 愛之助
高綱娘薄衣 新 悟
佐々木小太郎定重 進之介
高野の僧智山 彌十郎
第二 梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)
鶴ヶ岡八幡社頭の場
梶原平三景時 團十郎
娘梢 七之助
奴菊平 家 橘
囚人剣菱呑助 市 蔵
俣野五郎景久 男女蔵
青貝師六郎太夫 彌十郎
大庭三郎景親 左團次
第三 寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)
曽我五郎時致 勘太郎改め勘九郎
曽我十郎祐成 時 蔵
小林朝比奈 橋之助
化粧坂少将 七之助
喜瀬川亀鶴 壱太郎
梶原平三景時 市 蔵
梶原平次景高 薪 車
近江小藤太 男女蔵
八幡三郎 愛之助
鬼王新左衛門 翫 雀
大磯の虎 秀太郎
工藤左衛門祐経 仁左衛門
第四 玩辞楼十二曲の内 廓文章(くるわぶんしょう)
吉田屋
藤屋伊左衛門 藤十郎
吉田屋喜左衛門 彌十郎
女房おきさ 吉 弥
扇屋夕霧 扇 雀
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