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2013年2月の15件の記事

2013/02/26

【フロイト「不気味なもの」を読む(2)】イェンチュ「不気味なものの心理学のために」の要約(p4)

 今回は、エルンスト・イェンチュ「不気味なものの心理学のために」Ernst Jentsch, On the Psychology of the Uncanny(1906), Translated by Roy Sellarsの要約です。
 原文はこちらです(pdfファイル)。
http://theuncannything.files.wordpress.com/2012/09/jentsch_uncanny.pdf


 「不気味なもの」とは、unheimlichというドイツ語からわかるように、くつろいでいない、安心していないということを意味する。「定位の欠如」が不気味さと関係している。
 ある物や事柄を不気味と感じるかどうかは人によって違うし、また同じ人でもいつも同一の不気味さを感じるわけではない。従って不気味なものという概念を規定しようとしても意味がない。むしろ、不気味な感覚が起きるにはどのような心理学的条件が必要か考えてみるべきである。
 伝統的でありふれたものは、多くの人にとってなじみ深く、また新しくて異常なものは疑惑や厄介さを生み出す。これは、概念の連合によって新しいものごとを個人のこれまでの観念作用の領域の中に同化し、知的に習熟するのが難しいからである。若い人や知性の高い人は、こうした知的な習熟が素早く起きるので、不気味な感覚がおきにくい。昔からなじみのあるものは、たとえそれが不可解なものであっても、自明なものに思われる。日の出という注目すべき光景も、子供の頃から見ているので誰も驚かない。
 こうして、「新しい/なじみのない/敵対的な」という心理的結合と、「古い/なじみのある/友好的な」という結合が対応しており、前者が不気味な感じを引き起こしやすいと考えることができる。
 無知であればあるほど、不確かさの感覚が起きやすい。従って子供は大人に比べて怖がりである。また強い感情、麻薬、疲弊などによって、自分の知的能力の状態を評価する機能が低下した場合も、不確かさが生じてくる。こうした条件が明確でなくても不確かさが生じることはあり、たとえば普通の人でも、仮面舞踏会に参加するのは嫌な気分がする。こうした異常な感受性は、神経質に見られるものである。浅い睡眠、抑うつ、恐怖、重度の疲弊なども、不確かさの感覚を引き起こす。これらの不確かさの大きなグループは、精神疾患に類似し、移行していくことがわかるだろう。
 謎めいた出来事も、文化的な価値がはっきりあれば、楽しく愉快な賞賛の感覚を引き起こす。名音楽や外科医の優れた技術は、不気味な感覚を引き起こすことはない。


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 一般的に強い不気味な感覚を引き起こす特別なものがある。それは、生きているように見えるものが本当に生きているのかという疑い、あるいは反対に、生命のない物体が実は生きているのではないかという疑いである。
 森のなかで木の幹に腰を下ろしていたら、突然その幹が動き出し、巨大な蛇が出現する話しなどは、その例である。未開人が蒸気機関車を見たら、それが生き物だと思うかもしれない。動物の場合も同様で、それが動物の臆病さの原因かもしれない。蝋人形館で不愉快な印象を受けるのは、薄暗がりのなかで蝋人形と生きた人間を区別することが難しいからである。真の芸術が、生き物の徹底的な模倣を避けるの、こうした理由である。
 
 人間の形態だけでなく、身体的・心的な機能にも関わる場合は、さらに不気味である。自動人形がそれであり、仕掛けが精巧で複製が真に迫っていればいるほど、不気味な効果が強まる。特定の登場人物が、人間なのか自動人形なのかわからないままにしておくという手法は、文学においてよく用いられる。ホフマンはこのトリックを何度も上手に使っている。
 反対に、無生物を擬人的に、生き物のように扱う時も、同様の効果が現れる。ひっそりとした湖を怪物の巨大な目になぞらえるのがそのひとつの例である。
 絵に描かれた人物など、有機体の模造品そのものが与えられた場合、この効果は大きくなる。酔っぱらいや迷信的な人がそれらに話しかけたりするのは、詩や物語でよく利用される。最も身の毛のよだつものを提示しておき、最後にすべては全部夢だったというのも、しばしば使われる凡庸な技巧である。
 不気味なものを生み出すもうひとつの重要な要因は、自分の生命ある状態から類推をして、外界にあるものも生きていると推論することである。子供は自分のまわりに悪魔が棲んでいると考えたり、椅子や古布に話しかけたりする。その自分で作り出したものによって、反対に自分が脅かされると感じることもある。しかし心理的過程においてその十分な定位が行われ、確実性が優勢になれば、こうした状態はおこらなくなる。
 生きものが、通常思っているのとは異なった状態を示した時に不気味さを引き起こす別の証拠は、精神疾患や神経疾患の一部が一般の人に生じさせる反応である。われわれは人間の心理的調和が当然であると考えているが、その調和が著しく乱されている場合、人間のなかに機械的な過程が生じたように思えてしまう。てんかんが聖なる病と考えられたことも、不合理とは言い切れない。一方ヒステリーのけいれん発作は、転がり落ちても怪我をしないなど隠れた心理的過程が想定されるので、疎外効果は限定的である。ただし医学の専門家の場合は、不気味さの情動はまれにしかおこらない。
 病人を見た人には、そこに見いだされた機械的なものをなんとか連合しようとするが、それが心理的な自由という通常の考えに反するため、生きものであるという確信が崩れ始める。しかし、ひとたび明晰さが確立すれば、奇妙さは消え去る。
 死体に関しても、潜在的に生きている状態が思い浮かぶため、同じような心理的葛藤が生じて、不気味な感じがすると考えられる。こうした感情を連合的に徹底操作することは、情動の消去に重要な役割を演じる。この際その知的理解が正しいかどうかは問題ではない。
 状況を知的に習熟しようという願望は、人間と有機的世界との生存競争における防御要塞であり、そのためにわれわれは科学という難攻不落の要塞を作り上げたのだ。(以上)


 イェンチュの論文を読んで気がつくことをあげておきましょう。
 フロイトが執拗に議論しているドイツ語のunheimlichの語源論は、わが家の(heimlich)でない(un)
ということであっさり済ませております。
 「不気味なもの」に心理学的にアプローチする必要性は、すでにイェンチュが指摘しています。
 新しくなじみのないものが、「不確かさ」をもたらすことで、不気味な効果を生じやすいというのがイェンチュの基本的な主張。その背後には、次のような考え方があると思えます。つまり、人間がなんらかの状況に直面したとき、それを、これまで経験から作られた自分のなかにある思考領域との連合(association)を作り上げることで、状況に習熟(master)しようとします。これが人間の知性の働きであり、それがうまくいかないときに不気味な感覚が生み出されることがある、という考え方です。こうした考え方が、当時の心理学のなかでどういう位置にあったのかは、ぽん太にはわかりません。しかし少なくともイェンチュは、理性の下に広大な無意識の領域を見いだしたフロイトと違って、理性主義、合理主義の陣営に位置しているようです。
 このように考えると、連合を行う知性の働きが衰えると不気味さが生じやすくなるわけで、イェンチュは健康なひとの不気味な感覚と、精神疾患における混乱との連続性を想定しているようです。
 後半では不気味なものの重要なケースとして「生物か無生物かはっきりしないもの」を取り上げて、議論をしております。ここでホフマンの名前を挙げていますが、具体的な作品名には触れていません。
 てんかん発作が普通の人に何か神聖なものと感じられるのも、人間のなかにとつぜん無生物的なメカニズムが現れるからだと言っております。
 イェンチュも、真正のてんかんと、ヒステリー性のけいれん発作をしっかり区別しているようです。この区別は19世紀末の重要な問題でしたから、イェンチュもそれを踏まえているのでしょう。

2013/02/25

【フロイト「不気味なもの」を読む(1)】はじめに/イェンチュについて(p1〜4)

 以前にぽん太がバレエの原作を調べていたとき、バレエ「コッペリア」の原作がホフマンの『砂男』であることを知り、読んだことがありました。その時「まてよ、そういえばフロイトが『砂男』を論じていたな〜」と思ったのですが、精神分析にはあまり興味がないぽん太はしばらくそのままにしておりました。しかしこんかいちょっと時間ができたので、思い立ってフロイトの「不気味なもの」を読んでみることにしました。テキストは岩波書店から刊行中の『フロイト全集〈17〉』(2006年刊)で、以下引用する場合もこの本のページを挙げます。邦訳者は藤野寛先生。京大の哲学出身で、現在は一橋大学大学院の教授をされているそうです。 こちらのサイトにプロフィールが出ております。
 ドイツ語のテキストは、以下のサイトにアップされています
http://www.gutenberg.org/ebooks/34222
 また英語のテキストは、以下のサイトです。
http://web.mit.edu/allanmc/www/freud1.pdf
http://people.emich.edu/acoykenda/uncanny1.htm
 ただ、基本的には日本語のテキストを読んでいきたいと思います。何回かに分けて読んでいくつもりですが、そこは熱しやすく冷めやすいぽん太のこと、途中で飽きたらやめてしまう可能性も高いです。そのときはご容赦を。

 でわ、始めましょう。

 この論文でフロイトは、「不気味なもの」とは何なのかを論じようとします。「不気味なもの」のドイツ語の言語はunheimlichですが、このドイツ語と「不気味なもの」という日本語が、はたして同じニュアンスの言葉といえるかどうか、という問題があります。しかし、ドイツ語が読めないぽん太には、この点については何とも言うことができません。
 フロイトは、「不気味なもの」に関する医学的・心理学的観点からの唯一の先行論文として、E.イェンチュの「不気味なものの心理学のために」を挙げます。
 ということで、まずこのイェンチュの論文を読んでみようということになるのですが、日本語の翻訳が見つかりません。しかし、あちこち探してみたところ、英訳のテクストがアップされているようです。
http://theuncannything.files.wordpress.com/2012/09/jentsch_uncanny.pdf
 ところが、これがとっても読みにくいです。ぽん太の英語力が落ちたのか、英訳が名文すぎるのか、それとも原文そのものが晦渋なのか。訳者はロイ・セラーズRoy Sellarsという人のようです。こちらのpdfファイル(www.sdu.dk/ansat/roy?pdf=true)に経歴が出ております。1964年イギリス生まれで、現在は南デンマーク大学の先生のようです。
 イェンチュそのひとに対しても、あんまり情報がないです。日本語でググってもほとんどひっかかってきません。英語のWikipedia(http://en.wikipedia.org/wiki/Ernst_Jentsch)には簡単な記載がありますが、なんとドイツ語のWikipediaには項目すらありません。
 英語のWikipediaによれば、1867年生まれのドイツの精神科医。著書として、『オットー・ルートヴィッヒの精神病理学』(1913)があげられています。有名なルートヴィッヒ2世の弟ですね。それから訳書として、有名なハヴロック・エリスの『性の心理』や、「生来的犯罪人説」で有名なチェーザレ・ロンブローゾの『天才と変質』などがあるようです。
 「不気味なものの心理学のために」の英訳につけられた訳者セラーズの序文には、さらに『気分:医学心理学的研究』(1902)、『音楽と神経』(1904,1911)などの著書が挙げられています。
 さらにこの序文によると、この英訳の初出は雑誌「Angelaki 2.1」(1995)ですが、それがこの論文の初の英訳だったそうです。イェンチュの論文はフロイトの引用でとっても有名になりましたが、実際に原文を読んだ人はあまりいない、幻の論文なのかもしれません。
 「不気味なものの心理学のために」の全訳をアップするのは著作権の問題もありますし、またぽん太の英語力の手に余るので、要約をご紹介するにとどめましょう。当然間違いがあると思いますが、文句のある方はご自分でお読み下さいまし。

2013/02/22

【温泉】教えたくないプライベートな雰囲気の宿。下諏訪温泉みなとや旅館(★★★★)

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 2月8日に笹子トンネルが全面開通したとの知らせを聞き、中央道方面の温泉に行くことにしました。こんかいお世話になったのは、下諏訪温泉みなとや旅館さんです。公式サイトはこちらです。
 下諏訪は諏訪湖の北側に位置しています。諏訪大社の下社(春宮と秋宮)があり、勇壮な木落としが行われる御柱祭で有名です。その秋宮のすぐ西にあるのが下諏訪温泉です。大きなホテルが建ち並ぶ上諏訪とは違ってこじんまりとしており、静かな佇まいが楽しめます。
Img_4768 下諏訪は、古くから宿場として栄えてきました。甲州街道の終点であると同時に、中山道唯一の温泉に入れる宿場でした。写真は歴史民俗資料館です。明治時代に造られたものだそうですが、宿場の雰囲気を色濃く残しております。下諏訪にはこのような古い建物がところどころ残っているようです。中山道と甲州街道が下諏訪のどこを通っていたかについては、こちらのサイトが地図もあって詳しいです。
Img_4767 こちらがみなとや旅館です。旧中山道沿いにある小さな旅館です。もともとは木造三階建てだったんだそうですが、消防上の問題から建て替えざるを得なかったそうです。
Img_4754 ただし設計は、最近は古民家再生で有名な降旗廣信だそうです。初期の作品だそうで、梁を見せながらも、細身の柱を使って重々しくならないようにしており、いわゆる「古民家風」とは違なる瀟洒で気品ある建物に仕上がってます。
Img_4766 ロビーの正面にある「龍」の書は、岡本太郎の手によるものだそうです。さすがに踊り出しそうですね。この宿は、岡本太郎をはじめ白州次郎・正子夫妻など、多くの著名人に愛されてきたそうです。
Img_4757 2階の廊下です。この両側に5つの部屋が並んでいますが、これが客室の全てです。
Img_4765 こちらが客室の内部です。落ち着いた雰囲気の和室です。部屋に着くと、ご高齢の女将が自らお茶を入れて、歓迎してくれます。
Img_4745 さてお風呂ですが、いったん玄関を出て、庭の方に向かいます。
Img_4752 こじんまりとした露天風呂があります。浴槽は木製で、底には白い玉砂利が敷き詰めてあります。周りは日本庭園になっていて、古めかしい蔵などが並んでいます。道路側からは建物が窮屈に立ち並んでいるように見えますが、それからは想像できない広々とした空間です。とくに今回は前日に降った雪が積もっていて、えも言われぬすばらしい景色でした。お湯は無色透明で、もちろん源泉掛け流しです。泉質は単純硫黄泉だそうですが、硫黄の匂いや味は感じられません。
 ただ、身体を洗うカランはないので、湯船のお湯をすくって洗うことになり、ガシガシ汚れを落とすのには不向きです。気温が低かったのでちと寒かったです。
 それからお風呂はこれしかないので、宿泊客は順番に風呂に案内されるシステムになっています。この日はぽん太とにゃん子しか泊まっていなかったので、夕食前、夕食後、朝食前とお風呂を使わせていただきましたが、混んでいたらそんなには入れないかもしれません。
Img_4753 みなとやの源泉は「綿湯」(わたのゆ)です。こちらのサイトによれば、下諏訪には22もの源泉があるそうです。そのうち3名湯といわれているのが「児湯」(こゆ)「旦過の湯」(たんかのゆ)「綿湯」(わたのゆ)です。伝説によれば、上社の女神が、湯を含ませた化粧用の「綿」を持って下社に渡られたとき、したたり落ちた湯が温泉となったのですが、最後にその綿をを置いたところが現在の「綿湯」なんだそうです。「綿湯」は神聖な湯で、不浄の者が入るとたちまち湯が濁るという伝説があり、「湯玉の清濁」として下社の七不思議のひとつに挙げられてるそうです。
Img_4738 夕食は別室でいただきます。地元の食材がたくさんのお皿に少しずつ盛りつけてあり、ぽん太とにゃん子は大喜び。二人でつまむ形式ですから、皿の数だけ食材があるのです。ざざむし・蜂の子・イナゴは言うまでもありません。山菜も、たらの芽やふきのとうといったよくある食材は使わず、山の奥深くまではいらないと採れない珍しいものを使っているそうです。横に女将が座り、配膳しつつ会話を楽しみながら夕食といただくというシステムです。料理の素材の話し、下諏訪や宿の昔話し、岡本太郎や白洲夫妻のエピソードなどを聞きながら、食事を楽しみます。
Img_4739 こちらが馬刺。量も十分ですが、とっても新鮮で、生臭さがまったくありません。
Img_4744 こちらは最後に出てくる桜鍋。ネギを敷き詰めた上に馬肉がのり、タレがかかっています。ネギを通してゆっくりと熱が回ったところでいただきますが、とってもジューシーです。
Img_4763 こちらが朝食です。
Img_4760 最初にいただくのは凍った柿。甘くて柔らかくて口の中でとろけるようで、空腹の胃袋をほどよく刺激します。
Img_4762 ご飯は焼きおにぎり。夕食のご飯もそうでしたが、魚沼コシヒカリだそうです。日によって米の種類が変わることもあるそうです。
Img_4764 朝食の最後は蕎麦ぞうすい。蕎麦の香りがし、フワフワと柔らかくて、これまたとっても美味しゅうございました。
 歴史ある下諏訪温泉にあるこじんまりとした落ち着いた宿。食事もとってもおいしかったです。これで建物が昔の木造三階建てだったら……というところがあり、ぽん太の評価は4点です。
 全体に女将を中心として回っていく宿で、お風呂も順番に案内されるというところもあり、自分のペースで勝手気ままにくつろぎたいという人にはお勧めできません。女将との会話を楽しみながらお風呂やお食事を品よく楽しみたいという方にだけ、ぜひおすすめしたいプライベートな雰囲気の宿です。

2013/02/18

【拾い読み】アウンサンスーチーに入門/根本敬・田辺寿夫『アウンサンスーチー 変化するビルマの現状と課題』

 正月に観光したミャンマーの理解を深めるため、根本敬/田辺寿夫の『アウンサンスーチー 変化するビルマの現状と課題』(角川書店、2012年)を読んでみました。新書「角川oneテーマ21」の一冊なので手頃で読みやすいです。前半はビルマ近代史を専門にする上智大学教授の根本敬がアウンサンスーチーについて論じ、後半は、NHK国際放送ビルマ語班に所属していた経歴のあるフリージャーナリスト田辺寿夫が、日本に住むビルマ人についてエッセー風に書いております。知ってるようで知らないアウンサンスーチーさんについて、基本的な知識を得ることができました。以下いつもの拾い読み。

 アウンサンスーチーさんの自宅軟禁は全部で3回、15年2ヶ月に及ぶそうです。最初の軟禁が1989年7月から1885年7月までの6年間、二回目が2000年9月から2002年5月までの1年8ヶ月、最後が2010年11月から2003年5月までの7年半とのこと。以前のブログに書いたように、「自宅」軟禁といっても広大な敷地をもつ邸宅ですが、それでも15年間は凄いですね。
 2011年にミャンマーは民政移管されましたが、連邦議会の上院・下院それぞれの議席の25%が、あらかじめ軍人に割り当てられ、選挙で選ばれたのは75%にしか過ぎないそうです。また2008年に制定された憲法によれば、大統領は軍事に通じていることが「資格」とされており、内務大臣・国防大臣・国境担当大臣に関しては、任命権は大統領ではなく国軍最高司令官にあるそうです。また国家が非常事態に直面したときには、大統領は全権を国軍最高司令官に以上できるという規定があるそうで、軍が合法的にクーデターを起こせる抜け穴が作られているそうです。しかもこの憲法を改憲するためには、両院で75%以上の議員の賛成が必要だそうです。先ほど書いたように両院の25%が軍人ですから、民主的な方向への改憲は非常にハードルが高い仕組みになっているそうです。
 著者(根本敬)は、民政への移行の三つの理由を推測しています。最初の理由は、「独裁的・非民主的・人権抑圧・難民流出国」といった軍政時代の負のイメージを改善したいと考えたから。第二の理由は、安定的な経済発展の重要性に気付き、アメリカやEUの経済制裁を解除してもらうために、民主化するしかないと考えたから。最後の理由は、中国の衛星国家にされてしまう危険から逃れるため、西側との関係を強化したいと考えたから。
 アウンサンスーチーの思想には、国民の一人ひとりが「心の中の恐怖を克服する闘い」や「心理の追求」を行う強い意思が必要であるという、「自力救済」的な色合いがあります。この思想の背景には、ミャンマーの上座部仏教の影響があると考えられます。上座部仏教は、「仏の慈悲によって救済される」といった日本に伝わった大乗仏教とはことなり、一人ひとりが厳しい修行を通して悟りを開くことが求められます。しかしながら、一般の民衆が、彼女のいうような強い意思を持ちえるかどうか、という問題があります。また、アウンサンスーチーの自力救済の考え方は、他の宗教の人から見ると「傲慢」に見える可能性があるそうです。

2013/02/17

【拾い読み】軍政が平和的に民政移行した理由が少しわかった・春日孝之『未知なるミャンマー』

 ミャンマー旅行に行って来たぽん太は、ミャンマーの理解を深めるため、春日孝之の『未知なるミャンマー』(毎日新聞社、2012年)を読んでみました。著者の春日孝之は毎日新聞の記者で、2011年の夏にミャンマーに3週間滞在し、その体験をまとめたのが本書だそうです。
 悪名高い軍事政権だったミャンマーは、2007年から改革を開始。2010年11月にアウンサンスーチーの軟禁が解かれ、2011年3月にはテインセインがミャンマー大統領に就任し、民政に移管しました。著者がミャンマーを訪問した20011年夏はその直後ですが、いまだ軍政時代の名残が見受けられ、ジャーナリストであることを隠して「紙幣研究家」という名目で入国したそうです。なんかぽん太には、紙幣研究家の方が新聞記者よりよっぽど怪しい気がしますが……。
 ぽん太がミャンマーを訪問して一番疑問に思ったのは、なぜ軍事政権が、武力闘争もなく民政に移行できたのかということです。本書を読んで、その疑問は解決したわけではありませんが、西欧社会とは一風違った仏教的な考え方など、おおいに参考になりました。
 いつものように、興味ある方は自分で読んでいただくことにして、ぽん太が面白いと思った点を抜き書きいたします。

 ミャンマーでは1987年に、45チャット札と90チャット札という何とも中途半端な金額の紙幣が発行されたんだそうです。なんでこんな金額の紙幣が発行されたのかよくわからないそうですが、占星術が関係していたという見方が定説なんだそうです。45も90も9の倍数であり、ミャンマーでは9が縁起のいい数字とされているんだそうです。
 民政移管を控えた2011年2月、政府の公式夕食会に集まった軍政の最高幹部たちは、女性用のロンジー(民族衣装の巻きスカート)を着用して女装していたそうです。これはヤダヤ(厄払い)の可能性が高いそうで、おそらくは占星術師が「近く女性が政権を取る」とでも占ったため(アウンサンスーチーさんのことか?)、女装することによって、「われわれがその女性だ」とアピールしたと考えられるそうです。
 ミャンマーの電力事情が悪いことは、以前のブログに書きました。しかしかつての軍事政権は、ミャンマー北部のカチン州に、中国と協同で水力発電用のダムをいくつも建設してきました。しかしその電力の大半は中国に送られていたそうです。テインセイン大統領は2011年にこうしたダムの建設を中止するという英断を下したそうです。
 ミャンマーでは地方の小都市にいたるまで各地に大学が設置されていますが、これは「地方のすみずみまで教育を普及させる」などという崇高な理念に基づくものではなく、軍政時代に学生たちが集まって民主化運動を起こさないように、大学を解体して分散したんだそうです。
 かつてシャン州北部の山岳地帯が麻薬の一大供給源となっており、「黄金の三角地帯」と呼ばれていたことは以前のブログに書きました。第二次大戦後に中華人民共和国が誕生したとき、共産党と戦ってきた国民党の一部が国境を越えてシャン州に逃げ込みました。アメリカは反共産主義の立場から国民党を後押しし、資金源としてアヘンの栽培を奨励した過去があるそうです。
 ミャンマーといえば、旧日本兵の遺骨収集団がトピックスのひとつですが、ミャンマー人は、遺骨を粉々の灰になるまで焼いて、処分してしまうそうで、いわゆる「お墓」もないそうです。また、死んでしまった人のことをいつまでも悲しんだりせず、一定の期間が過ぎたら忘れてしまうのがいいと考えられているそうです。
 「ラングーン事件」というのは、ぽん太は知りませんでした。1983年に韓国の全斗煥大統領がラングーン(今のヤンゴンですね)を訪問したとき、北朝鮮が全斗煥殺害を狙って爆弾テロを起こしたんだそうです。ところがその場所がアウンサン将軍の霊廟であったためミャンマーは激怒し、北朝鮮との国交を断絶し、国家承認まで取り消したんだそうです。
 ミャンマーの政治指導者は、北朝鮮のように自分をカリスマとして演出したりはしませんでした。また、親族を主要ポストにつけたり、ましてや権力の世襲もありませんでした。著者は、軍事政権が平和的に権力を委譲した背景に、仏教に基づくミャンマー人の精神性が関係しているのではないかと書いています。
 少数民族問題は、ミャンマーの重要な問題のひとつですが、かつてのイギリスの植民地政策が少なからぬ影響を与えているそうです。イギリスがミャンマーを植民地支配したとき、連れて来たインド人を重用しましたが、現地人としては少数民族を優遇し、多数派のビルマ族を最下層に押し込めて抑圧したそうです。民族どうしを互いに反目させ、支配者のイギリスに反目しないようにする、いわゆる「分断統治」政策だったそうです。そこで日本はビルマ族と結託してイギリスと戦おうとする、という流れだそうです。

2013/02/13

【文楽】文楽の面白さが少しわかってきたよ。2013年2月国立劇場第二部・第三部

 文楽はあまり観たことがないぽん太ですが、久々に観に行って来ました。公式サイトはたぶんこちら
 ぽん太は歌舞伎はけっこう好きなのですが、文楽の良さは実はこれまでいまいちわかりませんでした。しかし今回、ようやく文楽の良さがわかりかけてきました。歌舞伎は俳優さんたちの身体パフォーマンスが主で義太夫は従ですが、文楽では義太夫が主なんですね。それがわかったのは、国立劇場で文楽を観たおかげ。これまでぽん太は、ホールを会場にした地方公演でした文楽を観たことがありませんでした。国立劇場小劇場では、義太夫さんの声が細かいところまでよく聞こえ、その魅力がわかりました。また地方公演では予算の関係からか、義太夫さんと三味線が各一名という編成だったのですが、今回の国立劇場の公演では、複数の義太夫さんや三味線の共演があり、新たな面白さがありました。それから字幕があって、意味がよくわかっただけでなく、義太夫の詞章の「日本語の美しさ」を味わうことができました。ぽん太は双眼鏡で一生懸命人形を観ていたのですが、他の常連さんたちが双眼鏡を使っていないのもヒントとなりました。それにプログラムもよく見ると、義太夫と三味線が先に書いてあって、人形遣はあとですよね。それから気がついたのですが、人形の左手や脚を遣っている人たちって、顔も出ないしプログラムに名前も書いてないんですね……って、初心者の驚きを延々と綴ってごめんなさい。
 第二部、「小鍛冶」は、音楽に合わせてリズミカルに刀を鎚で打つ、人形遣さんのテクに感動しました。「曲輪ぶんしょう」の「吉田屋」は、歌舞伎でもおなじみの演目。嶋太夫の義太夫が、なんか背中も曲がってて、声も若い人に比べると張りがないのに、とっても味があってすばらしかったです。
 「関取千両幟」は歌舞伎では観たことない演目。贔屓筋の若旦那の身請けのために、相撲をわざと負けるという話しで、「双蝶々曲輪日記」の「角力場」とちょと似ております。しかし、妻が身を売ったお金のおかげで勝ちをおさめるという結末です。けっこう感動的ですが、よく考えると女性差別のひどい話しです。歌舞伎で演じられないのは、その悲しい結末のせいか。それとも有名な「角力場」とちとかぶっているからかしら。女房おとわの人形を遣った蓑助が流石でした。文楽初心者のぽん太には、どこがいいのか具体的にはわからないのですが……。胸(胴体)の動きの美しさや、普通に座っている時に、手がちょっと動いたりしているのは気がつきました。人間国宝の義太夫の源太夫が病気休演だったのは残念ですが、代役の若手の呂勢大夫も、若々しいうえに上手でした。それから、三味線の曲弾きが面白かったです。相撲の櫓太鼓の音を三味線で真似ることから始まり、様々な三味線の超絶技巧が披露されていきます。ところが途中から、変な持ち方で弾いたり、バチを放り投げたりと、曲芸的な演奏になっていきます。超絶技巧の演奏と曲芸と、現代ではまったく別のものと考えられるものが、一連のものとしてつながっているところが面白かったです。この演奏も、江戸時代から伝わっているものなのでしょうか?
 第三部は「妹背山婦女庭訓」の通しです。むかし歌舞伎で、苧環を持って踊るのを観た気がしますが、よく覚えてません。文楽の楽しみ方が分かってきた今、物語のなかに入り込んで観ることができ、とっても感動しました。でもこれも、身分が違うから仕方がないとはいえ、命を失いながらも恋する人のために自分が役に立ったことを喜ぶという、とってもやるせない話しでした。文楽は人形が演じる分、歌舞伎でやるよりも不条理さが和らぐのかもしれません。
 文楽のプログラム、床本がついているのがありがたいです。ぜひ歌舞伎でもお願いします。
 しかし某市長は、文楽をみてこの素晴らしさが分からなかったのでしょうか。彼には吉本新喜劇しか理解できないのかもしれません。理解できなかったにしても、「自分には理解できないけれども、価値があるものが存在する」とか、「歴史的なものは保存する義務がある」といった考えはないのでしょうか?困ったものです。


人形浄瑠璃文楽2月公演
平成25年2月10日 国立劇場小劇場

<第二部>

 小鍛冶(こかじ)
      稲荷明神 竹本千歳太夫
      宗近   豊竹始太夫
      道成   豊竹靖太夫
      ツレ   豊竹咲寿太夫
         豊竹亘太夫
      <人形役割>
      三条小鍛冶宗近  吉田文昇
      老翁実は稲荷明神 豊松清十郎
      勅使橘美道成   吉田清五郎

 曲輪ぶんしょう(くるわぶんしょう)
    吉田屋の段
       口 豊竹睦太夫
         鶴澤清馗
      ツレ 鶴澤清公

       切 豊竹嶋太夫
         豊澤富助
      ツレ 豊澤龍爾

 関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)
    猪名川内より相撲場の段
      おとわ 竹本呂勢大夫
      猪名川 豊竹松香太夫
      鉄ヶ嶽 竹本相子太夫
          鶴澤藤蔵
       ツレ 鶴澤清志郎
      <人形役割>
      猪名川 吉田玉也
      鉄ヶ嶽 吉田文司
      おとわ 吉田蓑助

<第三部>

 妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)
    道行恋苧環
    鱶七上使の段
    姫戻りの段
    金殿の段

2013/02/12

【歌舞伎】殺された妹を思うがゆえの滑稽さ、幸四郎の「魚屋宗五郎」2013年2月日生劇場

 2月の日生劇場は、染五郎の怪我からの復帰舞台。公式サイトはこちらです。
 まずは幸四郎の口上。染五郎の事故に関するお詫び、お礼、決意といった生真面目な挨拶で、團十郎の他界に関しては触れませんでした。
 続いて「吉野山」。染五郎がスッポンから上がってくると、観客は暖かく盛大な拍手でお出迎え。染五郎の忠信はとても清々しい若者。怪我の影響は全く感じさせませんでした。福助はだいぶアクが取れてきた感じで、持ち前の華々しさはもとより、静御前の美しさや可愛らしさに加えて、はかなさ、哀れみまでも伝わってきました。さぞかし素晴らしい踊りだったろうと思うのですが、風邪気味だったぽん太は、ひとり桜ならぬ桃源郷へ……。
 続いて「新皿屋舗月雨暈」。「魚屋宗五郎」だけが独立して上演されることが多い演目ですが、今回は「弁天堂」からの通しで、怪談「播州皿屋敷」を下敷きにしていることがよくわかりました。
 前半は、こっけいな「魚屋宗五郎」とは正反対の、重くてシリアスなドラマ。磯部主計之助が愛妾お蔦を斬り殺すのが見せ場です。主計之助を演じた染五郎は、だいぶ風格や迫力が出てきて、身体も大きく見えました。ただぽん太には、歌舞伎らしい様式性に欠けるように思えてなりません。お蔦殺しのシーンでは「激情」が直接的に表現されていて、生々しく感じられてしまいます。なんだか昼メロを観ているみたいで、日生劇場に詰めかけた奥樣方にはいいのかもしれませんが、中年男のぽん太はちと辟易します。生来の直情的な性格の主計之助が、アルコールの作用に臣下の讒言が加わって嫉妬の炎がかき立てられ、理性的な判断を失っていく様子を、歌舞伎らしい「芝居」で表現して欲しかったです。
 小姓梅次は福助の長男の中村児太郎でしたが、セリフはまだまだ。
 「魚屋宗五郎」は幸四郎の宗五郎。幸四郎は喜劇を演じてもどうしても暗さが残るのですが、この芝居ではかえってそれが殺された妹を思う気持ちとして感じられました。ぽん太の気持ちのなかでは、さらに勘九郎や團十郎の死と重なって、ちと感動してしまいました。妹の死をだれよりも悲しむが故に、その一途な行動が、自然と滑稽に見えてしまう。こういう宗五郎はぽん太は初めて観ました。
 女房おはまの福助が、水を得た魚のような大活躍。酒屋丁稚与吉、金太郎くんは夜の部だけだそうで、観れなかったのが残念です。浦戸十左衛門の市川左團次が流石の風格でした。
 今回も空席が目立ちました。松竹さん、お値段と演目、よろしくお願いします。


日生劇場
二月大歌舞伎
平成25年2月7日昼の部

  口上(こうじょう)
                      松本幸四郎

一、義経千本桜 吉野山(よしのやま)
          佐藤忠信実は源九郎狐  市川染五郎
                逸見藤太  中村亀 鶴
                 静御前  中村福 助

 河竹黙阿弥歿後百二十年
  河竹黙阿弥作
二、通し狂言「新皿屋舗月雨暈」(しんさらやしきつきのあまがさ)
  弁天堂
  お蔦部屋
  お蔦殺し
  魚屋宗五郎
      〈弁天堂・お蔦部屋・お蔦殺し〉
                愛妾お蔦  中村福 助
              磯部主計之助  市川染五郎
               召使おなぎ  市川高麗蔵
                小姓梅次  中村児太郎
                岩上典蔵  大谷桂 三
               浦戸紋三郎  大谷友右衛門
              浦戸十左衛門  市川左團次
      〈魚屋宗五郎〉
               魚屋宗五郎  松本幸四郎
            宗五郎女房おはま  中村福 助
               召使おなぎ  市川高麗蔵
                小奴三吉  中村亀 鶴
                 鳶芳松  大谷廣太郎
              酒屋丁稚与吉  松本金太郎(夜の部)
               父親太兵衛  松本錦 吾
                岩上典蔵  大谷桂 三
              磯部主計之助  市川染五郎
              浦戸十左衛門  市川左團次

2013/02/11

【オペラ】シラグーザの美声に酔いしれる「愛の妙薬」新国立オペラ

 重々しい「タンホイザー」のあとは、明るく軽妙なイタリアオペラ、ドニゼッティの「愛の妙薬」です。特設サイトはこちら、公式サイトはこちらです。ぽん太が2010年4月に観たプロダクションの再演ですが、今回は、2009年6月の「チェネントラ」のドン・ラミーロ役ですばらしい歌声を聞かせてくれたアントニーノ・シラグーザに期待が高まります。
 シラグーザは期待通り、いや期待以上でした。軽く明るい声で、声量も豊か、声の色調の変化というか、表現力も素晴らしかったです。今回は会場に拍手リーダーがいなかったのか、どこで拍手をしていいか観客が戸惑っている感じでした。それでも「人知れぬ涙」のあとは盛大な拍手が長く続きました。久々にイタリアオペラを堪能できましたが、空席が目立ったのがちと残念でした。
 アディーナ役のニコル・キャベルは、2012年に「ドン・ジョバンニ」のドンナ・エルヴィーラで聴いたことがあります。可愛らしくあだっぽい感じのキャラで、恋多く移り気でおしゃまだけど最後にはネモリーノへの恋に落ちるという役柄に、雰囲気がとっても合ってました。歌も高音でもしっとりした声色を失わず、悪くないというより水準以上だったと思いますが、シラグーザに比べてしまうと、声量やアジリタの技巧が見劣りしました。
 ドゥルカマーラはレナート・ジローラミ。前回のブルーノ・デ・シモーネは、小柄でなんだかマッド・サイエンティストという感じでしたが、今回のジローラミはちょっと太めで、見るからにペテン師そのもの。ベルコーレは日本人の成田博之。ぽん太は2010年の新国立の「アンドレア・シェニエ」のルーシェ役で観ているはずですが、申し訳ありませんが印象に残っていません。今回はシラグーザに対して、互角とは言えませんが聴き劣りすることなく、大健闘だったと思います。
 ジュリアン・サレムクール指揮の東京交響楽団は、艶やかな音色と軽快なリズムでイタリア・オペラを盛り上げてくれました。ミラノ風なカラフルな色彩の舞台も綺麗でした。
 とにかくシラグーザの歌声が聴けてよかった。全体としても高水準で、とても楽しく満足度の高い舞台だったと思います。


「愛の妙薬」
ガエターノ・ドニゼッティ
Gaetano Donizetti:L´elisir d´amore
2013年2月6日 新国立劇場オペラ劇場

【指揮】ジュリアン・サレムクール
【演出】チェーザレ・リエヴィ
【美術】ルイジ・ペーレゴ
【衣裳】マリーナ・ルクサルド
【照明】立田雄士

【アディーナ】ニコル・キャベル
【ネモリーノ】アントニーノ・シラグーザ
【ベルコーレ】成田博之
【ドゥルカマーラ】レナート・ジローラミ
【ジャンネッタ】九嶋香奈枝

【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京交響楽団

2013/02/07

【温泉】法師温泉再訪(★★★★★)

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Img_4735 1月下旬、ぽん太とにゃん子は初スキーをかねて、法師温泉長寿館に泊まって来ました。昭和56年(1981年)に始まった高峰三枝子と上原謙のフルムーンのコマーシャルで一躍有名になった温泉です。公式サイトはこちら。ぽん太とにゃん子がこの宿に泊まるのは2回目。前回は20年近く前だったでしょうか。
Img_4734 玄関を入ったところにあるホール(?)は天井が高く、黒びかりする太い梁が立派です。
Img_4732 傍らには囲炉裏のある部屋があり、炭火が焚かれています。
Img_4729 法師温泉には、年代別にいくつかの建物があります。ぽん太とにゃん子が選んだのは最も古い本館です。玄関のある建物ですね。明治時代初期に造られたものだそうです。部屋にトイレはありませんが、太い梁が歴史を感じさせます。客室の写真はうっかり撮り忘れましたが、床の間の上に屋根があったりと、温泉宿らしい趣向もこらせれておりました。
Img_4726 こちらは昭和15年に建てられた別館。本館と別館は、法師乃湯とともに、平成18年(2006年)国の登録有形文化財に指定されています。
 法師乃湯は撮影禁止なので写真はありません。木造の美しい建物で、窓の上部が半円形になっているあたりがちょっと西洋風で、かえってレトロな雰囲気を漂わせます。四つ並んだ浴槽は、中央に枕がわりの丸太が渡してあるので、一見八つの浴槽があるように見えます。浴槽の底には小石が敷き詰めており、所々からぽこぽことお湯が湧き出しています。カランはなく、両側に脱衣用の棚がしつらえてあります(別に脱衣場もあります)。平日だったせいか、それとも温泉ブームも去ったからなのか、入浴しているひとは数人しかおらず、ぬるめのお湯にゆっくりつかってのんびりできました。基本は混浴ですが、夕食後に2時間ほど、女性専用タイムが設定されています。このほか、女性専用の長寿乃湯、男女入れ替わりの玉城乃湯(露天付き)もあります。
Img_4714 夕食はお食事処でいただきました。パーティションで別れているので、個室のような雰囲気でいただけます。
Img_4716 お楽しみの岩魚も、塩焼きではなくて、唐揚げにあんかけで出て来ました。一手間加わってます。
Img_4717 こちらは「河ふぐ味噌漬りんご焼」。河ふぐはナマズですかね。味噌の味と林檎の酸味・甘みの組み合わせが美味しかったです。ご飯はもちろん魚沼産のコシヒカリです。
Img_4723 こちらが朝食です。美味しゅうございました。
 秘湯といえば法師温泉。建物も歴史を感じさせ、料理も美味しく、5点満点以外ございません。

2013/02/06

【ミャンマー旅行(13)】ヤンゴン(ナーガ洞窟パゴダ、カバエー・パゴダ、アウンサンスーチーさんの家、インヤー・レイク・ホテル)

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Img_4644 続いてナーガ洞窟パゴダです。べつに洞窟があるわけではありません。なんで「洞窟」という名前なのか、聞いたけど忘れました。
P1040059 ナーガとは、この水盤の縁飾りにあるヘビや竜のことだそうです。なーがいからナーガか……。
Img_4651 「僧」とはいえ子供たち。今日は独立記念日ということで、裏庭で楽しそうに遊んでいました。訪ねたのがちょうど昼食前だったので、托鉢を終えたお坊さんたちが三々五々戻って来ました。中身をちょっと見せてもらいました(冒頭の写真です)。
Img_4660 パゴダの回廊に置いてある丸い石。決心をするときに占いのように使うんだそうです。まず、過去のある出来事を思い出しながら、石を持ち上げます。次に、これからやろうと思っていることを考えながら再び石を持ち上げます。前より軽くなっていたら、それをやるとうまくいくそうです。
Img_4664 中庭に落ちていた「スター・フラワー」。たぶん木に咲く花のガクだと思うんですが。綺麗ですね。これをポケットに入れてプロポーズすると、うまくいくという言い伝えがあるそうです。
Img_4668 近くには尼僧院もありました。尼さんの服装はピンクでかわいらしいですね。
Img_4669 カバエー・パゴダです。1952年に造られた新しいパゴダです。修復中でカバーがかけられ、まるで瓶みたいになってます。
Img_4673 仏様にお供えする花を売ってました。綺麗な花ですね。何て花か知ってますか?『平家物語』の冒頭、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、娑羅双樹の花の色……」、そう、娑羅双樹です。
Img_4693 こちらがアウンサンスーチーさんの自宅です。何年間も自宅軟禁されていてさぞかし大変だろうと思ってましたが、「自宅」が広いんですね。1991年にノーベル平和賞を受賞し、世界的には有名なアウンサンスーチーさんですが、ミャンマーの人たちの評価はどうなんでしょう。現地ガイドさんに尋ねてみたところ、ミャンマー人の99パーセントは彼女を好きだろうとのことでした。
 その後、スーパーマーケットOceanで買い物をしました。店内の撮影は禁止。入り口で警備員に荷物の中身をチェックされます。撮影も禁止なので、写真はありません。
Img_4709 時間が余ったので、インヤー・レイク・ホテルのラウンジで飲み物をいただきました。1970年代に建てられたそうですが、リニューアルされてとてもきれいな高級ホテルになってました。ロシア人の建築家が設計したそうで、いっけん無機質で無味乾燥に見えますが、よく見ると、機能的ながら独特のリズム感があり、バランス感覚もよく、威風堂々とした出で立ちです。ミャンマーの太陽の角度をよく計算した見事な建物だと思います。
Img_4700 ロビーからインレー湖に臨む庭を見る。
Img_4702 ホテル内の床屋さん。回る看板に注目。床屋さんの看板といえば、動脈と静脈を表す赤と青のネジネジ模様と決まってますが、ミャンマーの看板は派手はでしいです。黄色はリンパ管か?
Img_4713 楽しかったミャンマーの旅もいよいよ終わり。ヤンゴン空港から出国です。ところが空港内が突然停電して真っ暗に。写真は一部の電灯が点いたところです。ミャンマーは電力事情がよくないようで、旅行中も何回か停電にあいましたが、まさか国際空港が停電するなんて。飛行機の発着には影響ないのでしょうか。

2013/02/05

【ミャンマー旅行(12)】タヌキでもわかるミャンマーの歴史、ヤンゴン(シュエダゴォン・パゴダ、アウンサンスーチーさん事務所、チャウッターヂー・パゴダ)

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Img_4609 ミャンマー観光も今日が最終日。本日はヤンゴン市内の観光です。写真はホテルの窓から見たヤンゴンの朝です。
 ヤンゴンよりも、昔のラングーンという名前の方がなじみがある人が多いのではないですか。ここでミャンマーの歴史を、タヌキのぽん太にもわかる範囲で簡単に振り返っておきましょう。
 18世紀までは、様々な民族が戦いを繰り広げ、あっちが勝ったりこっちが勝ったりしていたようです。このうち9世紀から13世紀がバガン王朝で、これはモンゴル軍によって滅ぼされました。日本の元寇のころですね。
Img_4688 19世紀になると、イギリスミャンマーにちょっかいを出しはじめます。ヤンゴン(当時はヤンゴンと呼ばれてました)をラングーンと改名し、イギリス流の都市開発をしていきます。ヤンゴンの地図(googleマップ)を見るとわかるように、市の南部の川沿いは、道路が整然としています。1885年にミャンマーはイギリスの植民地となり、ラングーンはイギリス領ビルマの首都となります。写真は、イギリス支配時代に建てられた、イギリス風の建物です。
Img_4679 アイスクリーム屋さんの写真です。とってもカラフルですね。
 1920年代から独立運動が開始されます。第二次世界大戦が始まると、日本軍がミャンマーに進軍します。ミャンマーから見れば敵の敵は味方ということで、ミャンマー独立運動と日本は利害が一致。1942年に結成されたビルマ国民軍(これを率いたのがアウンサンスーチーさんのお父さんのアウンサン将軍)は日本軍と協力してイギリスを追い出します。しかし第二次大戦の戦局が次第に日本劣勢に傾くにるて、今度は抗日運動がおこり(アウンサン将軍も加わりました)、第二次世界大戦の終結とともにミャンマーは再びイギリス領となります。1947年にアウンサン将軍が暗殺されます。ミャンマーがビルマ連邦としてイギリスから独立したのが1948年。1962年にはネウィン将軍が軍事クーデターを起こして社会主義政権を樹立し、中国の影響下に置かれます。
Img_4684 ここら辺は、イギリスの思惑、日本の軍国主義、ビルマ独立運動、ビルマ軍事勢力、社会主義運動、資本主義勢力、民族独立運動などが複雑に絡み合っており、誰々が、あるいはどの政権が、どのような立場に立っていたかは非常に複雑で、タヌキのぽん太にはとても整理できません。
 さて、ネウィンの社会主義政権は経済運営に失敗し、ビルマは世界の最貧国に成り下がるなどしたため、1988年に民主化運動が起こりました。アウンサンスーチーも国民民主連盟 (NLD) を結成して立ち上がりました。しかし1989年、再び軍事クーデターによって軍事政権が敷かれ、アウンサンスーチーは自宅に軟禁されます。
 ます。軍事政権は国名をビルマ連邦からミャンマー連邦に改め、ラングーンをヤンゴンとするなど古い地名を復活しました。また2006年、新たに作られた都市ネピドーを首都に定めました。なぜこの首都移転が行われたのかも、よくわかりません。
 軍政時代のミャンマーは、「ランボー/最後の戦い」で描かれていますが、いつ頃の時代に設定されているのか、ぽん太は見たことがないのでわかりません。そのうち見てみたいです。
Img_4686 独立記念日の休日のため、通りで遊んでいる若者たちです。
 2007年、ジャーナリストの長井健司が反政府デモの取材中に射殺された事件は話題になりました。同じ年、テインセインが首相の座につくと民主化が開始され、新憲法に基づいて総選挙が行われ、2010年にはアウンサンスーチーの自宅軟禁が解かれ、2011年にはテインセインは大統領に就任しました。
 ぽん太が理解できないのは、武力闘争もなく、軍事政権が民主化されたことです。普通なら、権力にしがみつく軍と、民主勢力との内戦が起きそうなもの。ガイドさんにチラッと聞いてみたりしたのですが(残念ながら詳しく聞くほど親しくなれなかったので)、納得できる答えは聞けませんでした。ぽん太には、仏教信仰が関係しているように思えてなりません。
Img_4619 まずは、ヤンゴンだけでなく、ミャンマーのシンボルであるシュエダゴォン・パゴダです。2500年以上もの歴史があり、高さは99.8メートル、塔の頂上には76カラットのダイヤを始め、さまざなま宝石が飾られているそうです。観光客だけでなく、多くのミャンマー人でも賑わっておりました。
Img_4618 並んでお経を読む女学生さん。
Img_4623 こちらの建物は、翡翠で装飾されているそうです。ミャンマーは、様々な宝石が採れることでも有名です。
Img_4624 こちらに祀られている賢者は、もともと錬金術師でしたが、実験がうまくいかずに落ち込み、自分で自分の両目をつぶしてしまいました。しかしその後、金を作ることに成功したため、ヤギの目と牛の目を入れて、視力を取り戻したんだそうです。
Img_4633 こちらはアウンサンスーチーさんの事務所。本日(1月4日)がミャンマーの独立記念日であることもあり、多くの支持者たちが集まっていました。ちなみにアウンサンスーチーさんの名前を、「アウンサン・スーチー」と表記したり、「スーチーさん」と略したりすることがありますが、厳密にいうと間違いです。お父さんがアウンサン将軍であることも手伝って、アウンサンが名字だと思っている人が多いようですが、ミャンマー人の名前には姓と名がないので、アウンサンスーチーという一続きの名前なのです。
Img_4641 次はチャウッターヂー・パゴダの寝仏です。比較的新しいものだそうですが、化粧をしていてちょっとオカマっぽいと言われているそうです。

2013/02/04

【ミャンマー旅行(11)】ポッパ山麓のタウン・カラッを観光

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Img_4536 昨夜ライトアップを見学したダマヤズィカ・パゴダで日の出を鑑賞。夜明けとともに観光用の気球が次々と上がりました。本日は、バガンから車で約1時間のところにあるポッパ山の麓にあるタウン・カラッの観光です。
Img_4547 途中で砂糖屋さんを見学。シュロの樹に登って幹に傷を付け、樹液を壷に溜めます。これを煮詰めると砂糖ができます。
Img_4544 また、樹液を発酵させたものを蒸留をすると、度数の高いお酒のできあがり。
Img_4549 傍らでは、おじさんが牛を使って石臼でピーナツを挽いておりました。油を取るんだそうです。
Img_4551 お店の前の樹にぶら下がっているのは鳥の巣です。ぶら下がることで枝を伝わっての侵入者を阻み、またストッキングのような入り口が、下からの侵入者を防ぎます。
Img_4555 写真がタウン・カラッと呼ばれる岩峰です。標高は737メートル。頂上にお寺が造られております。
P1030710 777段の急な階段を登って行きます。200段目以降は裸足です。
Img_4583 途中に猿がいっぱいいて、糞を落としたり、物を盗ったりと悪さをします。
Img_4561 タウン・カラッは、土着信仰のナッ神を祀っています。ナッ神は全部で37人もいます。
Img_4569 階段の途中からポッパ山が見えました。標高1518メートルの死火山。ポッパとは「花が咲き乱れた」という意味だそうで、この山は動植物の宝庫なんだそうです。
Img_4586 お土産屋さんで売っているランの花の瓶詰め。これを買って帰り、自宅に備えるんだそうです。
Img_4585 この長いチマキみたいなのも、ポッパ山の植物を売ってるんだそうです。
Img_4573 頂上には様々な神様が祭られております。この写真を見てわかると思いますが、光背が電飾になっております。日本人の感覚だと電飾は現代的だし安っぽくて、仏像には合わない気がしますが、ミャンマーでは電飾の光背をよく見かけます。
Img_4575 この片膝組んだ足をさすりながら、渋い顔をしているオッサンは、どこから見てもヤ○ザですが、ミャンマーの有名な聖人でボーミンガウンというんだそうです。煙草が好きだったそうで、信者が煙草を備えたりしてます。一時タウン・カラッで瞑想修行をしていたんだそうです。
P1030731 バガンに戻ってバガン考古学博物館を見学(内部は撮影禁止)。その後、空路ヤンゴンに飛びました。楽しかった旅行も、明日のヤンゴン観光で最終日。

2013/02/03

【ミャンマー旅行(10)】バガン(マヌーハ寺院、ダマヤンヂー寺院、シュエサンドー・パゴダ、モヒンガーと民族舞踊、ダマヤッズィカ・パゴダ)

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Img_4419 次はマヌーハ寺院です。小さくて地味な建物ですが、捕われの身になっていたマヌーハ王によって造られました。
Img_4407 内側の狭い空間に、みっちりと仏像が納められており、マヌーハ王自身の心情を表しているそうです。マヌーハは許可を得てこの建物を建てましたが、気がつかれないようにして、このような内部を造ったんだそうです。
Img_4411 そのマヌーハ王が閉じ込められていたのがこの建物です。
Img_4418 暗く狭苦しい内部には、ヒンズー教的なレリーフがいくつも刻まれています。
Img_4438 次はダマヤンヂー寺院です。バガン王朝最後の寺院だそうで、12世紀にナラトゥ王によって造られましたが、未完成のまま放置されています。奇妙な形をしており、細かく造り込まれていながら、どことなくグロテスクな印象を受けます。
 それもそのはず。ナラトゥ王は自分が王位につくために、父と兄弟を皆殺しにしました。罪の意識に苛まれてこの寺院を建てようとしましたが、完成前にナラトゥ王は何者かによって暗殺されてしまったのです。
Img_4431 内部には、ロの字型の暗い回廊があります。高い天井にはコウモリが住み着き、床にはコウモリの糞が積もっています。この回廊の内側に何があるのかは誰も知らないそうで、殺した親族の遺体が埋められているのではないかという説もあるそうです。地元の人たちからも不吉な建物とされており、夜になると幽霊が出るという噂もあるそうです。
Img_4457 ここからば馬車に分乗して移動。途中の景色を楽しみながら、ミャンマーのゆっくりした時間の流れを味わいます。
Img_4482 到着したのがシュエサンドー・パゴダ。1057年に作られたもので、さっきのダマヤンヂー寺院に比べると、シンプルながらのびのびしていて明るく美しいですよね。
Img_4469 このパゴダは夕日スポットとして有名で、夕暮れが近づくに連れて、各国から来た観光客で埋め尽くされます。
Img_4470 パゴダのなかに沈んでいく夕日です。
Img_4498 夕食はQueen's Houseにて。民族舞踊のショーを見ながら食事ができるレストランです。ただ、踊りはあんまい面白くないし、特色もありません。
Img_4495 写真はミャンマーを代表する麺類、モヒンガーです。魚ダシのスープに、そうめんのような麺が入っています。
Img_4497 向かって右側のおじさんが弾いているのが、「ビルマの竪琴」です。
Img_4510 ライトアップされたダマヤッズィカ・パゴダです。

2013/02/02

【ミャンマー旅行(9)】バガン観光(タビィニュ寺院、ブー・パゴダ、食べるお茶ラペトゥ)

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Img_4355 続いてタビィニュ寺院です。バガンで最も高い寺院で高さ65メートルあります。1144年にアラウンスィード王によって建てられました。インレー湖のインディン遺跡を造った王様だそうです。上の写真のような、細かい装飾が施されていますが、内部は大したことありません。2階が図書館になっていたりしたそうです。
Img_4363 タビィニュ寺院の横には、日本人戦没者慰霊碑があります。皆でお線香をあげ、ご冥福をお祈りしました。
Img_4368 午前中の最後はブー・パゴダ。ブーとは瓜のことだそうで、そのまんまですね。
Img_4375 ブー・パゴダはエーヤワイディー川沿いに位置しております。この名前に聞き覚えがなくても、イラワジ川という旧名を聞けば、学生時代に習った記憶があるのでは?とっても広い川です。船でやってきた旅人は、このパゴダを見てバガンに着いたと喜んだんだそうです。
Img_4379 こ、これは……なんでしょう?
Img_4380 お土産屋さんのコドモ。さすがにガイドさんも、この化粧は怖いと言ってました。
Img_4383 昼食はSARABA.IIレストランで。
Img_4384 前菜はピーナッツ。バガン付近でたくさん取れるんだそうです。ちょっと小粒ですが、とっても美味しかったです。
Img_4387 こちらが食べるお茶、ラペトゥです。お皿の2時と5時の方向にある緑色の草がお茶の葉で、ちょっと漬け物風になってます。これを豆類やニンニク、辛味と混ぜ合わせて頂きます。
Img_4388 こちらは、ミャンマーでお正月にいただくお団子だそうです。
Img_4389 バスで移動中に、パトカーに先導された車列とすれ違いました。どこかの国の要人だろうとのことでしたが、どこの国かはあとでわかりました。ヤンゴンでも要人の車列に出合ったのですが、車に日の丸が付けてありました。帰国してから新聞を見たら、麻生さんだったんですね。
Img_4396 うるし工房を見学。写真は絵付けをしている女工さんたちです。横糸を馬のしっぽの毛で編んだ籠のようなものに漆を塗った器が珍しく、うるし塗りでありながら弾力があります。

2013/02/01

【オペラ】ワーグナーを満喫「タンホイザー」新国立劇場オペラ

 ワーグナーの生誕200年の開幕を飾る、新国立の「タンホイザー」を観てきました。公式サイトはこちらです。
 「タンホイザー」は、以前に小澤征爾の「オペラの森」で観たことがありますが、その時はタンホイザーが「画家」という設定のキワモノだったので、正統的な演出で観るのが楽しみでした。全体としては、重厚さには少し欠けましたが、壮大で質の高い舞台だったように思います。「もの凄く感動した」とまではいきませんでしたが、「ワーグナーを観た」という満足感を得ることができました。
 タイトル・ロールのスティー・アナセンは、もう少し力強さがあるといいですが、長い舞台を堂々と歌いきりました。エリーザベトのミーガン・ミラーはちょっとヴィヴラートがかかりすぎて清楚さが薄まりましたが、3幕の自分の命をかけてタンホイザーの赦しを願う歌(名称不明)が心を打ちました。十字架の前に横からのライトを受けながら歌う姿は、まさに聖母マリアそのものでした(わざとそういう服装にしたのかしら?)。ヴェーヌスは「ニーべルングの指輪」でフリッカを歌ったエレナ・ツィトコーワ。普通ヴェーヌスは、グレイト・マザー的な迫力あるオバサンが多いですが、ツィトコーワのそれは細身で綺麗で可愛らしく、まるでディズニー映画に出てくるお姫様のようですが、それでいて偉そうで恐ろしいという不思議なキャラ。「愛欲」や「官能」という感じではなく、わがままお嬢さんという感じ。今回のタンホイザーはアキバ系のようです。ヴォルフラムのヨッヘン・クプファーは、体は細身だけど声量があり、のびのある美しい声で、なによりも深みがあって、「夕星の歌」は聞き惚れました。領主ヘルマンのクリスティン・ジグムンドソンは、元生物学者らしく知的で貫禄がありました。牧童の國光ともこは、明るく透き通るような声で、ヴェーヌスベルクから突然現実世界に戻ってきた場面転換を、印象づけていました。落とした帽子をタンホイザーが拾ってかぶせてあげたのはアドリブか?新国立劇場合唱団も、「行進曲」では迫力ある歌を聴かせ、また「巡礼の合唱」も感動的で、ラストもたいへん盛り上がりました。新国立劇場バレエ団の踊りもよかったですが、メークがきつくて誰だかわかりませんでした。でも振付けはちょっと地味。
 コンスタンティン・トリンクスが指揮した東京交響楽団は、重厚さとパンチ力には欠けましたが(4階で聞いてたせいか?)、壮大で緊張感のある引き締まった演奏でした。美術もクリスタルっぽくて美しく、とくに冒頭の霧のなかにセットが次々とせりあがってくるところは、神秘的な美しさがありました。


「タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦」
リヒャルト・ワーグナー
Richard Wagner : Tannhäuser und der Sängerkrieg auf Wartburg
2013年1月30日、新国立劇場オペラ劇場

【指揮】コンスタンティン・トリンクス
【演出】ハンス=ペーター・レーマン
【美術・衣裳】オラフ・ツォンベック
【照明】立田雄士

【領主ヘルマン】クリスティン・ジグムンドソン
【タンホイザー】スティー・アナセン
【ヴォルフラム】ヨッヘン・クプファー
【ヴァルター】望月哲也
【ビーテロルフ】小森輝彦
【ハインリヒ】鈴木 准
【ラインマル】斉木健詞
【エリーザベト】ミーガン・ミラー
【ヴェーヌス】エレナ・ツィトコーワ

【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京交響楽団

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