【歴史散歩】佐藤忠信ゆかりの医王寺・大鳥城址と桜にはちと早い花見山
高湯温泉玉子湯に泊まったぽん太とにゃん子ですが、翌日の4月4日は快晴の暖かい日となりました。近くの飯坂温泉周辺が、佐藤忠信のゆかりの地だと知り、訪ねてみることにしました。
佐藤忠信は、歌舞伎ファンなら「義経千本桜」で誰でも知ってます。奥州藤原氏に使えておりましたが、義経の挙兵のおり、藤原秀衡の命によって、兄の継信とともに義経に従いました。二人は義経の郎党として平氏追悼の戦に加わりました。継信は、屋島の戦いで、義経の身代わりとなって矢に射たれて討ち死にしました。忠信は、壇ノ浦の戦いで平家を滅亡させたのち一転して頼朝に追われる立場になった義経に、同行しました。史実に近いとされる『吾妻鏡』によれば、忠信は宇治のあたりで義経と別れ、京都に潜伏しているところを襲われて自害したそうです。
一方、室町時代初期に書かれた『義経記』では、忠信は、吉野で義経一行と別れ、義経の身代わりとなって壮絶な戦いを繰り広げ、やがて京都で自害することになっております。ぽん太が吉野を訪れた時の記事はこちらです。
歌舞伎の「義経千本桜」では、「伏見稲荷の段」で、義経一行は、京都の伏見稲荷の前で静御前と別れますが、残された静が敵に襲われそうになったところを佐藤忠信が救出します。戻ってきた義経は、忠信に「源九郎義経」の名と自分の鎧を与え、静かに同道して護衛するように命じます。「道行初音旅」では、桜が満開の吉野山を行く静と忠信の優雅な踊りが繰り広げられます。「河連法眼館の段」では、これまで忠信だと思っていたのは実はキツネだということが明らかになります。本物の忠信は、壇ノ浦の戦いののち、故郷の母が病気だと聞いて里帰りをしていたが、母の病が治ったので戻ってきたのです。
さて、以上をふまえてまずは医王寺。公式サイトはなさそうなので、飯坂温泉オフィシャルサイトのページにリンクしておきます(こちら)。医王寺は佐藤一族の菩提寺です。佐藤継信・忠信の父親である佐藤基治は特に信仰が厚く、医王寺の整備に努めました。
杉並木の参道を歩いて行くと、奥に薬師堂があります。
お堂の手すりには、平べったい石がいっぱい吊り下げられていました。願い事が書かれているものもあるので、一種の「絵馬」でしょうか。このような風習は、ぽん太は初めて見ました。
薬師堂の裏手には大小の板碑が並んでいますが、こちらが忠信・継信のお墓と言われております。墓石を削って飲むと熱病に効くという言い伝えのために、墓石が削り取られているのだそうです。
板碑群の一角にある椿は、「乙和の椿」と呼ばれています。乙和御前は、継信・忠信の母。歌舞伎で病気になってた人ですね。息子二人を失った乙和御前の悲しみがこの椿に乗り移り、花が咲かずにつぼみのまま全部落ちてしまうのだそうです。
本堂には、佐藤一族の位牌を祀った内殿と、継信・忠信のそれぞれの妻の人形があります。妻たちは、息子たちの死を悲しむ乙和御前を慰めるために、それぞれ夫の甲冑をまとってみせたそうです。
本堂の傍らにある芭蕉の句碑です。「笈も太刀も五月にかざれ紙幟」という句が刻まれています。奥の細道の旅で、芭蕉もここを訪れました。『奥の細道』の該当部分とその現代語訳、解説などを、こちらの「俳聖松尾芭蕉・みちのくの足跡」というサイトで見ることができます。上に書いた妻たちの逸話にも言及してますね。芭蕉は、この寺の宝物とされていた弁慶の笈と義経の太刀を句に詠んだのですが、今回宝物館を見たところでは、弁慶の笈はありましたが、義経の太刀はありませんでした。
上のサイトによれば、曾良の「随行日記」には、「寺ニハ判官殿笈・弁慶書シ経ナド有由。系図モ有由」と書いてあり、義経の太刀には触れていません。確かに弁慶の直筆だというお経はぽん太も見ましたから、曾良の書いたのが正しくて、「義経の太刀」というのは芭蕉の文学的な創造なのかもしれません。
医王寺のすぐ北にある小高い丘は、現在は舘ノ山公園と呼ばれていますが、かつては佐藤一族の居城である大鳥城があったところです。頼朝軍に敗れ、文治5年(1189年)に落城したそうです。
頂上の本丸跡に、なにやらソーラーエネルギーを使った装置が。線量計でした。ここが福島であることを思い出させます。ちなみに0.836μSv/hですから、年間約7ミリシーベルト。確かICRPの安全基準は、年間1ミリシーベルト。ん?多いがな。ずっと外にいるわけじゃないからいいってこと?今朝、高湯温泉からの帰り道で、天ぷらにして食べようと思ってフキノトウを摘んできたけど、大丈夫かしら。まあ、ぽん太もにゃん子も年寄りだから、少しぐらいの放射線は関係ないか。
なんか基準が高すぎるとか低すぎるとかいろいろ議論があったけど、結局どうなったんでしょう。ちょっとググってみましたが、結局国の基準がどうなったのか、よくわかりません。ん〜ん、ぽん太にわからないんじゃ、他にも分からない人がいっぱいいるんじゃないでしょうか。困ったもんです。
次に、花見の名所として有名な「花見山」に行ってきました。ソメイヨシノの開花はまだでしたが、それでも様々な花が咲き乱れて美しく、観光客も少なくて静かな雰囲気を楽しむことができました。
開花情報や交通情報などは、こちらのサイトがわかりやすいでしょうか。花見山公園園主の阿部一郎の公式サイトはこちらです。
花見山は、花木生産農家の阿部一郎さんの私有地です。父の後をついで、阿部さんは雑木林に少しずつ花を植え、手入れを続けてきたそうです。やがてすばらしい花を見たいという人が増えてきたため、1959年に公園として無料で開放しました。さらに周辺の農家や市の協力も加わって、現在に至っているそうです。
とはいえ阿部さんは、伊達や酔狂で花を植え続けていたわけではありません。何かのパンフレットで読んだのですが(たぶん「シティ情報ふくしま」別冊のフリーペーパー「春らんまんブック」(平成25年)だと思いますが、見つかりません)、戦争に行った阿部さんはそこで地獄を見、なんとか生き残って帰ってきたものの、そのことに深い罪悪感を感じ、結局は亡くなった人の分まで一生懸命働くしかないという結論に達し、山の整備を続けてきたのだそうです。花見山に俗悪さが感じられず、桃源郷あるいは極楽浄土のように見えるのは、そのためなのかもしれません。
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