【鉄道模型】飛び出したパンタやSGの煙突が魅力の古豪EF57(珊瑚模型店製キット、HO・16番)
15年ほど前に買って組み立てたまま放置してあった珊瑚模型店のEF57を、時間があったので塗装してみました。数十年振りに鉄道模型に復帰して作った第一作なので、いろいろとアラが目立ちますが、いまさら修正するのは面倒なので、そのまま塗装しました。大昔に買ったと思われる天賞堂製のEF56用の運転台パーツがあったので、ヤスって整形して取り付け、KATOの機関士を座らせました。窓を開けた状態にしてあるのがご愛嬌です。EF56の車体前面はカーブが大きいので、EF57だとちょっと隙間ができてしまいますが、窓ガラス越しにはそんなに目立たないと考えて良しとしました。
昭和12年(1937年)、電気機関車として初めて列車暖房用のボイラー(SG)を搭載したEF56が登場。昭和15年(1940年)に、東海道本線の輸送力増強のため、MT38型主電動機を搭載して誕生したのがEF57です。最初の1輛はEF56と同じ外観でしたが、翌年から昭和18年(1943年)まで量産された14量は全面的に設計が変更され、パンタグラフが車体の両端に設置されました。当初はボイラーの調子が良くなく、わざわざ折り返し地点で向きを変えてボイラーが常に前に出るようにして機関助士がボイラーの面倒を見れるようにしたり、暖房車を連結して運転されることもあったそうです。
昭和24年(1949年)に東海道本線の電化区間が浜松まで延長されたことで、静岡市内の架線の低い跨線橋を通過するため、パンタグラフを低くする必要が生じました。そのため取り付け位置がさらに前に出され、EF57独特の風貌が生まれました。特急「つばめ」や「はと」を牽引し、EF57の全盛期でした。
しかし昭和31年(1956年)に東海道本線が全線電化されると、EF57ではボイラーの容量が不足するようになったため、EF58とコンバートされて、EF57は上越線に移りました。雪対策として可動式スノープロウが新設され、正面窓につらら切り(日よけ)、汽笛に雪よけカバーがつけられました。この頃は客車に乗り切れなかったスキー客がデッキにも乗車し、スキーがパンタグラフに当たって感電する事故もあったと聞いております。
昭和35年(1960年)、長岡−新潟間の電化にともなって再びボイラー容量不足が懸念され、全機宇都宮に移動。スノープロウや汽笛カバーが撤去されました。
昭和40年(1965年)、列車暖房装置が電気式(EG)に改造され、助手席窓側に表示灯、デッキ両端にジャンパ栓が新設され、屋根上の煙突と水タンクハッチが撤去されました(以上「とれいん」平成4年11月号参照)。
この珊瑚模型店のキットを見てみると、暖房用蒸気発生装置(SG)を搭載し、つらら切りとスノープロウ取り付け座がありますが、スノープロウや汽笛の雪よけカバーはありません。ということは、宇都宮(東北線)に移った数年後と考えられます。塗装に関しては、ブドウ色2号が正式に採用されたのは昭和34年(1959年)ですが、EF57が直ちに塗り替えられたわけではなく、修理や改造のおりに徐々に塗り替えられたと考えられます。電気機関車でありながらボイラーの煙突を備え、屋根上にベンチレーターを並べた古風な出で立ちの車両なので、ぽん太はブドウ色1号で塗ってみました。
ディティールは特に付け加えませんでした。屋根上の高圧引き込み線は目立つアイテムですが、こちらのムサシノモデルのページにあるように時期によっていろいろ変わっているようで、細かい構造もよくわからないので、今回は省略しました。台車の第1エンドにある手動ブレーキぐらいは付ければよかったです。
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