【フロイト「不気味なもの」を読む(10)】思考の万能性(p33〜P35)
フロイトの「不気味なもの」を読み進めております。テキストは岩波書店の『フロイト全集17』です。
不気味なものの実例として次にフロイトが挙げるのが、「思ったことが実現する」というものです。フロイトは「ポリュクラテスの指輪」を取り上げますが、もちろん無教養のぽん太には初耳です。ありがたいことに訳注がついていて、シラーのバラード作品とのこと。へ〜、しらーんかった。
このバラードの邦訳がどの書籍に収録されているのか、ググってみてもよくわからないのですが、ありがたいことに原文と邦訳をこちらで読むことができます。あらすじは以下の通りです。
サモス島の攻略に成功したポリュクラテス王は、「私が幸せであるということに異存はあるまい」とエジプト王に話しかけた。
エジプト王は「まだ一人、あなたに服従していない敵がいる」と言ったが、言い終わらぬうちに死者がやってきて、その敵を倒したと首を差し出した。
そこでエジプト王が「あなたの艦隊が嵐に遭うことだってある」と言うと、まさに艦隊が到着した。
驚いたエジプト王が「まだクレタ島の軍勢がこちらに向かっている」と言うと、直ちに「クレタ島の軍勢を追い払った」という勝利の勝ちどきが聞こえてきた。
エジプト王は、「幸運に恵まれすぎた者は、神々の嫉妬を恐れなければならない。純粋な歓びを神から与えられた人間はいない。不幸を呼びよせるために、最も大切にしているものを海に投げ込みなさい」と言った。
それを聞いて恐ろしくなったポリュクラテス王は、自分が何よりも大切にしている指輪を海に投げ捨てた。
翌朝、漁師が、めったに見られぬ大物が網にかかったと、王様に魚を献上しにやってきた。料理人が魚をさばくと、中から、海に投げ捨てた指輪が出て来た。
エジプト王は恐怖にとらわれ、災難の道連れにならぬようにと、早々にその場を立ち去った。
ということは、フロイトのテクストのなかで、「友」というのがポリュクラテス王で、「来客」あるいは「彼」というのがエジプト王ですね。すると「友自身が与える『幸運に恵まれすぎた者は、神々の嫉妬を恐れなければならない』という解説は」というのは誤訳で、「友自身」ではなくて「彼自身」ですね。人文書院の『フロイト著作集』の訳は、そうなってます。
「思ったことが実現する」ことの二番目の例としてフロイトが挙げているのは、彼が分析をした強迫神経症患者の体験です。彼がある水浴施設に滞在したとき、希望した部屋(魅力的な女性看護人の小部屋の隣りでした)が高齢男性によって塞がっていたため、彼は「卒中発作にでも見舞われろ」と言ってうっぷんを晴らしました。すると2週間後に、その男性は実際に卒中の発作に襲われたそうです。
脚注に、この患者が有名な「鼠男」であることが書かれています。「強迫神経症の一例についての見解〔鼠男〕」を読み返してみると、確かにそのことが書かれています(岩波書店『フロイト全集10』258ページ)。ははあ、彼はその看護婦さんと性的な関係を持ってたんですね。
「不気味なもの」のテクストに戻ると、フロイトは「私が調べた強迫神経症の患者はみな、これに類することが身の上に起ったと物語ることができた」と下記、さらにいくつかの例を付け加えております。
強迫神経症患者が「みな」このような体験を持ってるかどうかは、ぽん太は全員の強迫神経症患者に確かめたわけではありませんが、「ホントかな?」という気がします。
さて、次にフロイトが挙げている不気味なものは、「邪悪な眼差し」です。これに関してフロイトは、その現象も心理学的な機序もよく知られたものとして扱っているようで、はっきりと書かれていないのですが、自分の眼差しによって相手に悪い影響を与える、といった現象でしょうか。フロイトはS. ゼーリヒマンの『邪悪な眼差しとそれに類似のもの』という本をあげていますが、ちょっとググってみてもわかりませんし、深入りする必要もないでしょう。
フロイトは、「思ったことが実現する」あるいは「邪悪な眼差し」などの根底には、彼が患者(鼠男)が用いた言葉から名づけた「思考の万能」という原理があると言います。この概念に関しては、脚注に書かれているように、フロイトが既に『トーテムとタブー』(1913年)で論じていることであり、ここでもそれが繰り返されています。すなわち、「思考の万能」は原始的な「アニミズム」の思考と類似であり、また人間は発達の過程でアニミズム的な段階を経過する。この段階はわれわれのなかに残渣として残るが、その残渣に触れるような出来事は、「不気味なもの」として感じられる。
ぽん太からすると、「思考の万能」がアニミズムと類似であるということは「そうかな」と思うし、人間の発達段階の途中でアニミズム的な状態を経過するということも、「そういうこともあるかな」と思いますが、不気味なものはすべてアニミズム的な心の残渣に触れるものであると言われても、そこはちょっと納得できない気がします。
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