« 2013年5月 | トップページ | 2013年7月 »

2013年6月の11件の記事

2013/06/27

【フロイト「不気味なもの」を読む(10)】思考の万能性(p33〜P35)

 フロイトの「不気味なもの」を読み進めております。テキストは岩波書店の『フロイト全集17』です。
 不気味なものの実例として次にフロイトが挙げるのが、「思ったことが実現する」というものです。フロイトは「ポリュクラテスの指輪」を取り上げますが、もちろん無教養のぽん太には初耳です。ありがたいことに訳注がついていて、シラーのバラード作品とのこと。へ〜、しらーんかった。
 このバラードの邦訳がどの書籍に収録されているのか、ググってみてもよくわからないのですが、ありがたいことに原文と邦訳をこちらで読むことができます。あらすじは以下の通りです。

 サモス島の攻略に成功したポリュクラテス王は、「私が幸せであるということに異存はあるまい」とエジプト王に話しかけた。
 エジプト王は「まだ一人、あなたに服従していない敵がいる」と言ったが、言い終わらぬうちに死者がやってきて、その敵を倒したと首を差し出した。
 そこでエジプト王が「あなたの艦隊が嵐に遭うことだってある」と言うと、まさに艦隊が到着した。
 驚いたエジプト王が「まだクレタ島の軍勢がこちらに向かっている」と言うと、直ちに「クレタ島の軍勢を追い払った」という勝利の勝ちどきが聞こえてきた。
 エジプト王は、「幸運に恵まれすぎた者は、神々の嫉妬を恐れなければならない。純粋な歓びを神から与えられた人間はいない。不幸を呼びよせるために、最も大切にしているものを海に投げ込みなさい」と言った。
 それを聞いて恐ろしくなったポリュクラテス王は、自分が何よりも大切にしている指輪を海に投げ捨てた。
 翌朝、漁師が、めったに見られぬ大物が網にかかったと、王様に魚を献上しにやってきた。料理人が魚をさばくと、中から、海に投げ捨てた指輪が出て来た。
 エジプト王は恐怖にとらわれ、災難の道連れにならぬようにと、早々にその場を立ち去った。

 ということは、フロイトのテクストのなかで、「友」というのがポリュクラテス王で、「来客」あるいは「彼」というのがエジプト王ですね。すると「友自身が与える『幸運に恵まれすぎた者は、神々の嫉妬を恐れなければならない』という解説は」というのは誤訳で、「友自身」ではなくて「彼自身」ですね。人文書院の『フロイト著作集』の訳は、そうなってます。
 「思ったことが実現する」ことの二番目の例としてフロイトが挙げているのは、彼が分析をした強迫神経症患者の体験です。彼がある水浴施設に滞在したとき、希望した部屋(魅力的な女性看護人の小部屋の隣りでした)が高齢男性によって塞がっていたため、彼は「卒中発作にでも見舞われろ」と言ってうっぷんを晴らしました。すると2週間後に、その男性は実際に卒中の発作に襲われたそうです。
 脚注に、この患者が有名な「鼠男」であることが書かれています。「強迫神経症の一例についての見解〔鼠男〕」を読み返してみると、確かにそのことが書かれています(岩波書店『フロイト全集10』258ページ)。ははあ、彼はその看護婦さんと性的な関係を持ってたんですね。
 「不気味なもの」のテクストに戻ると、フロイトは「私が調べた強迫神経症の患者はみな、これに類することが身の上に起ったと物語ることができた」と下記、さらにいくつかの例を付け加えております。
 強迫神経症患者が「みな」このような体験を持ってるかどうかは、ぽん太は全員の強迫神経症患者に確かめたわけではありませんが、「ホントかな?」という気がします。
 さて、次にフロイトが挙げている不気味なものは、「邪悪な眼差し」です。これに関してフロイトは、その現象も心理学的な機序もよく知られたものとして扱っているようで、はっきりと書かれていないのですが、自分の眼差しによって相手に悪い影響を与える、といった現象でしょうか。フロイトはS. ゼーリヒマンの『邪悪な眼差しとそれに類似のもの』という本をあげていますが、ちょっとググってみてもわかりませんし、深入りする必要もないでしょう。
 フロイトは、「思ったことが実現する」あるいは「邪悪な眼差し」などの根底には、彼が患者(鼠男)が用いた言葉から名づけた「思考の万能」という原理があると言います。この概念に関しては、脚注に書かれているように、フロイトが既に『トーテムとタブー』(1913年)で論じていることであり、ここでもそれが繰り返されています。すなわち、「思考の万能」は原始的な「アニミズム」の思考と類似であり、また人間は発達の過程でアニミズム的な段階を経過する。この段階はわれわれのなかに残渣として残るが、その残渣に触れるような出来事は、「不気味なもの」として感じられる。
 ぽん太からすると、「思考の万能」がアニミズムと類似であるということは「そうかな」と思うし、人間の発達段階の途中でアニミズム的な状態を経過するということも、「そういうこともあるかな」と思いますが、不気味なものはすべてアニミズム的な心の残渣に触れるものであると言われても、そこはちょっと納得できない気がします。

2013/06/25

【温泉・山菜】目の前で揚げる山菜天ぷら・「雪あかり」再訪(★★★★)

Img_5249_2
 秋山郷の切明温泉にある「雪あかり」に、日本秘湯を守る会のスタンプ帳のご招待で泊まってきました。食堂の片隅に天ぷら鍋をしつらえ、目の前であげてくれる山菜の天ぷらを、もう一度食べたくなったからです。雪あかりの公式サイトはこちらで、ぽん太が前回泊まったときの記事はこちらです。
 営業部長のトラ吉くんがお出迎え。相変わらず微妙な距離感で、身体にさわらせてくれません。ちょっとメタボになったようです。
Img_5278 なんと新しい仲間が加わってました。チワワだそうですが、名前は忘れてしまいました。クールビズで毛を刈り込まれたそうで、寒そうにプルプル震えてました。
Img_5277 建物の外観は、風雪に洗われて、だいぶ風格が出てきました。学校を移築したかのような外観ですが、オリジナルだそうで、内部はロッジ風で、食堂とロビィが吹き抜けの大きな空間になっています。
Img_5252 部屋は小ぎれいな和室です。
Img_5243 まずは露天風呂から。川沿いにあり、広々としていてとっても開放感があります。循環加温はしてますが、加水なしの源泉掛け流し。無色透明のお湯ですが、なめるとちょっと塩っぱくて、カルシウムっぽい味がします。泉質は、カルシウム・ナトリウム-塩化物・硫酸塩泉です。基本は混浴ですが、女性タイムも設定されています。
Img_5247 内湯も趣きがあります。窓から見える緑がさわやかです。
Img_5258 さあ、お待ちかねの夕食です。さまざまな山菜料理が並んでます。岩魚は定番の塩焼きに、お刺身でもいただけます。
Img_5261 山菜のお寿司に、お肉の行者ニンニク巻き。
Img_5262 いよいよ山菜天ぷら開始です。
Img_5263 揚げたてのあったかいうちにいただいたので、全体写真はありません。この写真はヤマブドウ。葉っぱは食べたことがありますが、つるも甘酸っぱくて美味しいです。他に桑の葉、マタタビの葉、ヤマウド、ネマガリダケ、タラノメなどがありました。桑の葉とマタタビの葉は初めていただきました。山菜好きのぽん太とにゃん子は満足まんぞく。
Img_5267 朝食も山菜がいっぱい。
Img_5270 豆腐とキノコのステーキは、ソースがジュウジュウいってます。薄味でヘルシーです。
 とにかく目の前で揚げてくれる山菜天ぷらを初めとし、山菜を贅沢に使った料理が美味しいです。一部館内が雑然としているところが気になりますが、営業部長のトラ吉くんの接待も加点となり、ぽん太の評価は4点。山菜好きには特にお勧めです。

2013/06/23

【鉄道模型】木曽の酒井製モーターカー(H0762, 1/87, G=9mm, モデルワーゲン)

Img_5241
 これまた10年以上前に購入していハンダ付けまでしてあった木曽の酒井製モーターカー。塗装をしてパーツを取り付けてようやく完成いたしました。発売元はモデルワーゲン。公式サイトはこちらです。木曽の酒井製モーターカーの製品情報はこちら。またこちらにはキット組立講座があり、参考にさせていただきました。
Img_5226 とにかくちっちゃくて、未熟なぽん太の手に余りました。細かい所がすっきり仕上がりません。上回りの塗装は一回塗り分けに失敗し、シンナーのプールに投げ込んで、一から塗装し直しました。デカールを貼るのもうまくいかず、マークソフターなども生まれて初めて使ってみたのですが、背面のドアまわりがくっきりいきませんでした。また、上半分の塗装とデカールの色味が少し違ってしまいました。
Img_5236 下回りも、動力部分の調整に手間取りました。モーターの位置をどう調整しても、両輪がうまく回る位置が見つけられず、仕方なしに前後の車軸の間隔を近づける改造を行いました。フレームの溝の内側を少し削り、外側に真鍮線をハンダ付けして、ヤスリで整形しました。おかげで快調に走るようになりました。
 歯を食いしばった子供のような表情がかわいいヤツです。

Photo ところでこのモーターカー、保存車両を見たことがあります。木曽の赤沢森林鉄道記念館にありました。左はそのときの写真です(2004年9月撮影)。
P9010016 こちらが側面です。
P9010017 こちらが後ろです。

2013/06/21

【温泉】旅館を超えた民宿・清流の宿たむら(★★★★)(付:奥利根水源の森、水上の鉄道遺産(EF16, D51, ターンテーブル)

Img_5200
 山菜じゃ〜山菜を食べるのじゃ〜。「温泉 山菜」でググったら一番上に出て来た、群馬県は湯の小屋温泉にある「清流の宿たむら」に行ってきました。湯の小屋温泉は、水上温泉のさらに奥に位置し、ぽん太は以前に洞元荘に泊まったことがあります。公式サイトはこちらです。

★楽天トラベルからの予約は右のリンクをクリック★

Img_5192 たむらさんは民宿です。外側は普通の家みたいですが、内部は民芸調にリフォームされています。浴衣やタオル、さらにバスタオルまで用意されており、布団の上げ下げを自分ですることとを除けば、「旅館」に遜色ありません。
Img_5194 2階の廊下の左右にある5つの部屋が全てのこじんまりした宿です。
Img_5179 客室は、落ち着いた雰囲気の和室で、テレビや冷蔵庫も完備。
Img_5183 冒頭の写真にある、民宿とは思えない大きな露天風呂を、無料で貸し切りできるのが、この宿の売りのひとつです。お湯は無色透明で、お肌がすべすべします。それもそのはず、pH8.3と弱アルカリ性です。循環加温はしているようですが、加水なしの源泉掛け流しです。左の写真は脱衣所。こちらも趣きがあります。
Img_5189 こちらの内湯も、貸し切りで入れます。
Img_5196 さて、こちらがお食事どころでいただく夕食です。山菜や地元の食材満載のうえ、それぞれ手が込んでおります。山菜の天ぷらは、一つひとつ揚げたてで運んでくるので、写真には撮れませんでした。うど、わかさぎ、こしあぶら、山椒、アカシアの花などがありました。鮎も単なる塩焼きではなく、味噌ホイル焼き。若女将の出身地の薩摩鶏のたたきもついて、ボリュームがありながらヘルシーです。なめこ汁もとろりとして美味しかったです。
Img_5198 デザートは、枝豆のこんにゃく玉と杏仁に黒蜜をかけたもの。こんにゃくをここに持ってきましたか。コリコリした食感が美味しいです。
Img_5203 こちらが朝食です。ヘルシーで美味しゅうございました。
 民芸調で食事も美味しく、細かい所に気が行き届いていて、女性にもオススメできます。貸し切り露天風呂の得点も高く、なんといっても山菜が美味しかったです。民宿でありながら旅館に負けない、というより、旅館には真似できない民宿です。ぽん太の採点は4点!

Img_5208 翌日は雨の予報でしたが、なんとか天気が持ったので、奥利根水源の森に行きました。車で林道に入り、駐車場に車を停めてブナの森を眺め、また武尊山へ続く稜線上にある田代湿原まで往復しました(約50分)。ここいらのブナはすばらしいですね。
Img_5212 水上駅周辺にある鉄道遺産をご紹介。まずは水上駅にあるターンテーブルです。列車の折り返し地点で、蒸気機関車の向きを変える装置ですね。
Img_5217 その横には、D51745が保存されていました。
Img_5178 また駅の近くにある道の駅水紀行館の駐車場の一角には、ED1628が保存されています。スノープロウが上越線らしいです。

2013/06/19

【温泉・山菜】山菜三昧でくつろげます・関温泉中村屋旅館(★★★★)(付:笹ヶ峰夢見平歩道)

Img_5134
 斑尾山を下山したぽん太とにゃん子が泊まったのは、関温泉の中村屋旅館さんです。ってゆ〜か、この宿に泊まることに決めてから、斑尾山を選んだんですが……。
 この宿を選んだ理由は、ホームページに引かれたから。「天然食材紹介」のページの、嬉しそうに山菜やキノコを採っているお父さんの笑顔。おりしも「山菜フェア」を行っているとのこと。山菜好きのぽん太とにゃん子は行くしかありません。
 上の写真が中村屋旅館の外観です。木造の古い本館に、新しい客室を建て増ししたスタイルで、「鄙び度」の得点が一挙に上がって行きます。
Img_5135 客室はご覧の通り快適です。
Img_5136 温泉は、内湯と露天風呂があります。露天風呂は、宿の建物を出て裏手に進むと、よしずで囲われた一角があります。その名も「薬師の湯」です。
Img_5155 それほど広くはないですが、目の前には樹々の緑が広がり、ホントに森の中にいるような気分になります。そして何よりもお湯が素晴らしいです。透明なお湯ですが、湯船に入ると沈殿物が浮遊して、茶褐色の濁り湯と変貌します。ちょっと油臭がして、なめると鉄味と炭酸のシュワシュワ感があります。温泉力が強いです。もちろん加水・加温・循環なしの正真正銘の源泉掛け流しです。
Img_5157 こちらが内湯です。とっても簡素な造りですが、微妙なプロポーション感覚があり、鉄サビ色の結晶が沈着した浴槽の色と質感があいまって、独特の美しさが感じられます。
Img_5151 さて、お目当ての夕食です。ネマガリタケ、フキ、ワラビ、ウド、フキミソなど、様々な山菜が味わえます。ネマガリタケの肉巻は、初めていただきました。定番のイワナの塩焼きに、日本海も近いので、ホタルイカやお刺身もおいしいです。
Img_5153 地酒の当てには、ヤマウドです。
Img_5154 そして山菜天ぷら盛り合わせ。うっかりひとつ食べてしまってから撮った写真です。あ〜あ満足、満足。
Img_5161 朝食もまた山菜づくし。みずみずしいネマガリタケたっぷりのお味噌汁が美味しかったです。もちろん米どころ新潟。ご飯もまずいはずがありません。
 素朴でくつろげる宿で、鄙び度が高いです。山菜料理がおいしく、源泉掛け流しの濁り湯の温泉力も高い。コスパを考え合わせると、余裕の4点です。

Img_5174 翌日は、笹ヶ峰の夢見平遊歩道を一周しました(約1時間半)。笹ヶ峰ダムが作る乙見湖の向こうには、まだ雪を頂いた焼山周辺の山並みが見えます。
Img_5165 すごく大きなニリンソウが至る所に群落を作ってました。
Img_5170 シラネアオイが咲いてました。水芭蕉は、ほぼ終わってました。

2013/06/18

【歌舞伎】海老蔵の「助六」に團十郎を想う・2013 年6月歌舞伎座第3部

 6月の歌舞伎座は第3部だけ観劇しました。公式サイトはこちらです。
 「助六由縁江戸桜」は、当然團十郎が新歌舞伎座杮葺落として演ずるはずだった演目ですが、皆さんご存知の成り行きとなりました。
 いまさらというか、今頃になってというか、ぽん太の記憶に残る團十郎の名舞台を思い出してみると、最初はもちろん「助六」や「勧進帳」が頭に浮かんで来るのですが、実はぽん太が一番感動したのは、「一谷嫩軍記」の「陣門・組打」でした。自分のブログを検索してみると、2008年の3月に歌舞伎座で観たようです。「一谷嫩軍記」というと「熊谷陣屋」が有名ですが、「陣門・組打」はその前段で、熊谷直実が戦場で自分の息子小次郎の首を斬る場面です。それまでぽん太は、團十郎の持ち味は、ベチャベチャした情とは無縁のカラリとした外面性だと思っていました。ところが「陣門・組打」では、我が子を手にかける父親の内面的な心情が、痛いほど伝わってきました。息子の首を切ったあと、後片付けをする場面が長々と続くのですが、そこには非常に濃密で緊迫した時間が流れており、後に「熊谷陣屋」のラストで慟哭の瞬間に爆発する情動が、潜在的な形で表現されていました。
 ぽん太が小耳に挟んだことなので真偽は不明ですが、團十郎は複雑な家庭環境に育ち、ストレートに父親の愛情を受けることができませんでした。そのため息子海老蔵に対しても、父親としてどう接していいのか分からなかったといいます。「陣門・組打」は、そのような複雑な父子関係を生きた人だからこそできた演技なのかもしれません。

 ということで、今回の海老蔵の「助六」も父團十郎と比べてみたくなるのですが、團十郎の助六が、真面目で鷹揚、人柄のよさが目立ったのに比べ、海老蔵は持ち前の男前による色気に、若さならではのパワーがあります。また侠気や凄みがあるのですが、ともすればそれが怖く、やくざっぽく感じられてしまいます。
 例えば、「鼻の穴へ屋形船蹴こむぞ、コリャまた、なんのこったい」と、喧嘩をふっかける稽古を兄につける場面では、團十郎ではとぼけた滑稽さが感じられましたが、海老蔵だとちと怖いというか、ホントにむかっと来るところがあります。そしてついつい例の事件を思い出してしまうあたりは、海老蔵の人徳のなさのなせるわざか。
 怖さが頼もしさになり、やくざっぽさが色気に変わって欲しいと願うぽん太です。ついでに発声も直してね。
 福助の揚巻、華やかさ、気っ風の良さ、押し出し、どれも素晴らしかったです。七之助の白玉も美しく、次世代(次々世代?)の立女形の風格十分。次々々世代の五人の傾城も華やかでしたが、ぽん太ご贔屓の壱太郎はちょっと声を張り上げすぎてきつく聞こえました。新悟のはんなりした色気がよかったです。くわんぺら門兵衛、吉右衛門のとぼけた味わいと、リズム感のあるセリフ回しが最高でした。白酒売新兵衛の菊五郎の間も、いつもながらの絶品。三津五郎の通人がさすがの器用さ。さよなら公演の勘三郎の通人も面白かったな。左團次の意休も手慣れた芸。
 
 「鈴ヶ森」は梅玉の白井権八。例によって美しく高貴な若武者ぶりでしたが、既に人を殺めてお尋ね者になっているという「影」の部分、追いつめられた感じにはちと欠けました。これも他界する直前の勘三郎の凄みはすばらしかったな〜。そして吉右衛門が、重苦しい空気をパッと明るくしたのが思い出されます。

歌舞伎座新開場
杮葺落六月大歌舞伎
平成25年6月16日 歌舞伎座

第三部

一、御存 鈴ヶ森(ごぞんじすずがもり)  
    幡随院長兵衛 幸四郎
    東海の勘蔵 團 蔵
    飛脚早助 錦 吾
    北海の熊六 家 橘
    白井権八 梅 玉

  十二世市川團十郎に捧ぐ
二、歌舞伎十八番の内 助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)
  河東節十寸見会御連中
 
    花川戸助六 海老蔵
    三浦屋揚巻 福 助
    通人里暁 三津五郎
    朝顔仙平 又五郎
    福山かつぎ 菊之助
    三浦屋白玉 七之助
    男伊達山谷弥吉 亀 鶴
    同  田甫富松 松 也
    同  竹門虎蔵 歌 昇
    同 砂利場石造 萬太郎
    同  石浜浪七 巳之助
    傾城八重衣 壱太郎
    同  浮橋 新 悟
    同  胡蝶 尾上右近
    同  愛染 米 吉
    同 誰ヶ袖 児太郎
    茶屋廻り 竹 松
    同 廣太郎
    同 種之助
    同 廣 松
    文使い番新白菊 歌 江
    奴奈良平 亀 蔵
    国侍利金太 市 蔵
    遣手お辰 右之助
    三浦屋女房お京 友右衛門
    曽我満江 東 蔵
    髭の意休 左團次
    くわんぺら門兵衛 吉右衛門
    白酒売新兵衛 菊五郎
   
    口上 幸四郎

2013/06/16

【オペラ】ミア・パーションの清楚な歌声「コジ・ファン・トゥッテ」新国立劇場

 新国立劇場の「コジ・ファン・トゥッテ」を観に行ってきました。最高!とまではいきませんが、モーツァルトの上質のオペラを楽しむことができました。次々と繰り出されるすばらしいアリア、二重唱、三重唱、そして四重唱。モーツァルトってほんとにいいですね。特設サイトはこちら、公式サイトはこちらです。
 ダミアーノ・ミキエレットの演出は、ぽん太は2年前にも観ました。キャンプ場を舞台にすることで、女性が見ず知らずの男性に簡単によろめいてしまうあたりが、とても理解しやすいです。幕切れは、二組のカップルのよりが戻ってめでたし、めでたしとはならず、全員が気まずい思いを持ちつつ、てんでんばらばらに立ち去ってしまいます。前回観た時は、ラストの歌との辻褄が合わない気がしたのですが、今回注意深く聞いたところ、「理性を持つ者は末永く仲良く暮らすことができる」(が、われわれは理性的ではいられない)という感じでした。たしかに現在の地球上も、理性的でいることができない人間による争いや戦いに満ちています。最後にアルフォンソ役のムラーロが大きく口をあけてガハハと笑うのですが、森のクマさんみたいな表情によって、やるせない結末がちょっと救われた気がしました。
 今回の歌手はイケメンをそろえたのか、歌舞伎でいえば「花形歌舞伎」という感じで、出だしはみな声が出ず、ムラーロの低音ばかり響いてどうなるかとハラハラしましたが、だんだんと調子が出てきたようでした。フェルランドのパオロ・ファナーレは、甘く柔らかい歌声が心地よいですが、声の表情にはまだ欠けるようです。フィオルディリージのミア・パーションは、清楚で透き通るような歌声で、テクニックもあり、池で歌うアリアは心を打ちました。天羽明惠は、Winkを思わせる純真で可愛らしいイメージをぽん太は持っていたのですが、今回はデスピーナを怪演。役者やの〜。先日「セビリアの理髪師」で聴いたマウリツィオ・ムラーロが、さすがの貫禄で舞台を締めていました。

「コジ・ファン・トゥッテ」
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
Wolfgang Amadeus Mozart : Così fan tutte
2013年6月9日 新国立劇場

【指揮】イヴ・アベル
【演出】ダミアーノ・ミキエレット
【美術・衣裳】パオロ・ファンティン
【照明】アレッサンドロ・カルレッティ

【フィオルディリージ】ミア・パーション
【ドラベッラ】ジェニファー・ホロウェイ
【デスピーナ】天羽明惠
【フェルランド】パオロ・ファナーレ
【グリエルモ】ドミニク・ケーニンガー
【ドン・アルフォンソ】マウリツィオ・ムラーロ

【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

2013/06/15

【登山】6月に新緑を愛でる・斑尾山

Img_5119
 今年の冬から春に、それぞれ身体を壊したぽん太とにゃん子。ごくごく軽い足慣らしから、再び身体を作って行かなくてはなりません。その口開けはスキー場で有名な斑尾山から。東京はもう梅雨入りですが、季節を戻して美しい新緑を楽しめました。

【山名】斑尾山(1381.8m)
【山域】甲信越
【日程】2013年6月5日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】晴れ
【ルート】斑尾林道南側登山口13:23…大明神岳14:33…斑尾山14:41…登山口15:38

(※大きい地図や3D地図、当日の天気図などはヤマレコの記録へ)
【見た花】ギンラン、イワカガミ、チゴユリ、レンゲツツジ、青いスミレの一種
【マイカー登山情報】上信越道の豊田飯山インターチェンジから、県道96号を野尻湖方面に進みます。斑尾高原豊田スキー場・キャンプ場へ行く道を右へ分け、涌井の集落を過ぎたところで、田んぼの間のあぜ道のような道に入って行きます。舗装されておらず、すれ違いも困難な道ですが、普通車でも入って行けると思います。登山道と交差する当たりに、車を2台ほど停められるスペースがあります。「××林道との合流以降は通行できません」みたいな掲示があったので、古海の方までは抜けられないのかもしれません。ぽん太は来た道を戻りました。

Img_5118 登山口からはひと登りで稜線へ。ギンランがお出迎えです。
Img_5125 稜線に出てからも、さしたる勾配はありません。新緑を楽しみながら歩きます。大明神岳からは、野尻湖方面の景色を眺めることができます。黒姫山はけぶってますね。
Img_5131 山頂直下にある十三薬師です。一体しかないじゃん、と思ったら……。
Img_5130 祠のなかにみっちり入ってました。薬師様は本来十二体と決まってますが、斑尾山だけ十三体なんだそうで、傍らの案内板にいわれが書いてあるのですが、虫食い状に汚れていて読めません。ぐぐってみたら、こちらのサイトに案内板の全文が書いてありました。

2013/06/06

【フロイト「不気味なもの」を読む(9)】同じ事態の反復(続き)、フロイト自身の死に対する思い込み(p31〜P32)

 フロイトは、不気味なものの例として「同じ事態の反復」を挙げ、その説明を続けています。
 同じ事態が反復することによって、宿命的なもの、逃れがたいものといった印象が生じる場合があるといいます。例えば62という数字に何度も遭遇したばあい、単なる偶然とは思えずに、不気味に感じられて来ます。そして、その背後にある隠れた意味を認めたい、例えば自分の寿命の示唆を認めたいという気になるだろうといいます。
 編注によれば、フロイト自身が、この論文が書かれた前年の1918年2月に死ぬという考えに取り憑かれていたそうです。もっともフロイトは1856年5月6日生まれですから、1918年2月は62歳ではなく、まだ61歳です。わざと1歳ずらして書いたんでしょうか。
 編者は出典として、アーネスト・ジョーンズのフロイト伝をあげています。邦訳を参照してみると、1917年(?)にフロイトがアブラハムに書いた手紙には、「激しい仕事をして、疲れきってしまい、世界をうんざりするほどいやなものに感じはじめています。私の一生が1918年2月に終わる予定になっているという迷信じみた考えは、私には、しばしば、全く思いやりのあるものに思われます。」(アーネスト・ジョーンズ『フロイトの生涯』竹友安彦他訳、紀伊国屋書店、1969年、349ページ)と書かれているそうです。また、同書の362ページによれば、フロイトは当初はフリースの「周期説」に基づく計算に従って51歳で死ぬと考えていました。この年齢を無事に過ぎると、今度は1918年2月に死ぬと考えるようになりました。この月も無事に過ぎたところでフロイトは、「これをもって超自然的なるものがいかに頼みにならないかがわかる」と述べたそうです。
 ピーター・ゲイのフロイト伝にも、似たような記述があります。1910年にフロイトは友人のフェレンツィ宛の手紙に、「しばらく前から、自分は1916年か17年に死ぬだろうと確信している」と書いたそうです(ピーター・ゲイ『フロイト2』鈴木晶訳、みすず書房、1997年、182ページ)。
 フロイトの「不気味なもの」に戻ってもう一つ二つ。32ページ4行目の「偉大な生理学者H・ヘーリング」についてですが、編注には、おそらくはエーヴァルト・ヘーリングのことであろう、と書かれています。ぽん太は初めて聞いた名前ですが、Wikipediaに出てますね(こちら)。ああ、ヘリング錯視は知ってます。ん?でも、エヴァルト・ヘリング(Karl Ewald Konstantin Hering)じゃ、「H・ヘーリング」のHがないじゃん。やっぱりフロイトって、細かいところがいいかげんですね。
 それから、原註のP・カメラー『連続発生の法則』というのは、まったくわかりませんでした。
 同じ事態の反復が、なぜ不気味に感じられるのかについては、「反復強迫を思い起こさせうるものはすべて不気味なものと感じ取られる」と述べ、詳細は別の論述に譲るとしています。この「別の論述」は、翌年の1920年に出版された「快感原則の彼岸」ですね。
 しかし、この時点でフロイトは、その「根拠」はまったく述べておりません。続く段落でフロイト自身も、「何のかのと言っても判断の難しいこの事情からは目を転じ」と書いており、現時点では根拠が乏しいことを自覚しているようです。

2013/06/04

【雑学】小栗判官と神泉苑

 以前の記事で、ぽん太が京都の神泉苑に行ったことをご報告いたしました。神泉苑は、貞観5年(863年)に初めて天皇主催の御霊会が行われたところということで、興味があったからです。
 ところが先日、廣末保の『悪場所の発想』を読んでいたところ、『小栗判官』のなかにこの神泉苑が出てくるということが書いてありました。
 小栗判官は伝説上の人物で、説教節や歌舞伎でとりあげられています。最近では猿之助のスーパー歌舞伎『當世流小栗判官』も有名ですね。ぽん太は以前に熊野の湯の峰温泉に小栗判官の史跡を訪ねたことがあります(こちら)。
 で、廣末によると、小栗判官はみぞろが池の大蛇と契りましたが、大蛇は小栗の子を宿したため、もとのみぞろが池に帰ることができなくなり、神泉苑の池に飛び込もうとし、そこに元々棲んでいた八大竜王と戦ったんだそうです。
 ん〜、そんな話し、ぽん太はちっとも知りませんでした。ちなみに手元にある「新潮日本古典集成 説教節」を読み返してみましたが、そんな話しは出てこないです。『小栗判官』にはいろいろな版があるようで、版によって内容が異なるようです。

2013/06/02

【バレエ】パリから産地直送です「天井桟敷の人々」パリ・オペラ座バレエ団

 パリ・オペラ座バレエ団の2013年日本公演は「天井桟敷の人々」。同名の映画を下敷きに、当時パリオペのエトワールだったジョゼ・マルティネスの振り付けで2008年に初演された演目。今回が日本初演です。あの有名な映画(ほとんど忘れてるけど。今度見てみようっと)がどのようにバレエ化されるのか?期待で胸をふくらませて観に行きましたが、思った以上のすばらしさでした。公式サイトはこちらです。
 このバレエは19世紀前半の古き良きパリの芝居小屋が舞台なのですが、多くの劇中劇が組み込まれています。開幕前にはホールの入り口で、楽団員が太鼓を鳴らしてます。前半が終わって休憩時間になると、天井から案内のビラがまき散らされ、ロビーの一角で「オテロ」の寸劇が演じられます(ぽん太は出遅れてしまって、人の頭の間からちょっとだけ見えただけでした。残念!)。また幕切れでは、ガランスが客席に降りて来て、オーケストラボックスを挟んで舞台上のバチストと見つめ合い、そして客席の通路を立ち去っていきました。こうした演出によって、東京文化会館の観客がバレエのなかに入り込み、一緒になって芝居を見ているような気分にさせてくれました。
 マルティネスの振り付けは、コンテンポラリー風な動きを取り入れながらもクラシカルで、気負わずに楽しめました。群衆シーンでは、ダンサー一人ひとりが別々の動きをしているのがすごい。しかも皆すばらしいテクニックで、あっちを見たりこっちを見たり大変です。「劇」の部分と「劇中劇」の部分が交錯しながらストーリーが展開していく手法も見事。全体として物語性が強い演出ですが、第2幕最初の劇中劇『ロベール・マケール』が、例えば「海賊」のなかのパシャの夢のシーンのように、抽象的なバレエを見せる場になっているのもうまいです。その他タンゴもあれば貴族の舞踏会もあり、踊りとしても見飽きません。休憩時間中に早めに幕があき、舞台上で劇中劇の稽古が始まるのですが、その振り付けをしていたのがマルティネスのようでした(後ろ向きなのではっきりわかりませんでしたが)。彼は最後のカテコにも登場し、盛大な拍手をもらってました。
 ガニオがバチスト役とのことで、かっこ良すぎるのではないかと心配してましたが、ピエロ姿での哀愁漂う演技や、コミカルな表現もばっちりこなしておりました。さすがパリ・オペラ座の団員、単なるダンス・ノーブルじゃないぞ、という感じでした。
 バチストに魅かれながらも純粋な愛を受け止められず、「大人の事情」に流されているガランスを、シアラヴォラが見事に踊りました。
 ルメートル役のカール・パケットは、大きな役を見るのはぽん太はたぶん初めてだと思うのですが、金髪でハンサムなうえに、キレのある踊りで目を引きました。幕間の寸劇もやり、劇中劇『ロベール・マケール』でもソロを踊り、大活躍でした。
 ナタリーのレティシア・ピュジョルは愛らしかったです。バンジャマン・ペッシュがオカマっぽい悪役ラスネール。
 ルテステュの衣装もよかったです。マルク・オリヴィエ・デュパンの音楽も堅苦しくなく聞きやすかったです。オケはKバレエでおなじみのシアター オーケストラ トーキョーでしたが、初めて演奏する曲とは思えない、こなれた演奏でした。
 パリの雰囲気をそっくりそのまま上野に持って来てくて、ぽん太はとっても幸せな気分になりました。


パリ・オペラ座バレエ団
「天井桟敷の人々」
振付:ジョゼ・マルティネス
2013年5月30日 東京文化会館

バチスト:マチュー・ガニオ
ガランス:イザベル・シアラヴォラ
フレデリック・ルメートル:カール・パケット
ラスネール:バンジャマン・ペッシュ
ナタリー:レティシア・ピュジョル
モントレー伯爵:クリストファー・デュケーヌ

音楽:マルク・オリヴィエ・デュパン
翻案:ジョゼ・マルティネス、フランソワ・ルシヨン
美術:エツィオ・トフォルッティ
衣装:アニエス・ルテステュ
照明:アンドレ・ディオ
指揮:ジャン・フランソワ・ヴェルディエ
管弦楽:シアター オーケストラ トーキョー

« 2013年5月 | トップページ | 2013年7月 »

無料ブログはココログ
フォト
2024年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31