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2013年10月の19件の記事

2013/10/26

【登山】五色沼を見逃しました(泣)・一切経山(吾妻山)

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 ぽん太とにゃん子は、9月17日に再度東北旅行を計画しました。まずは体重キープのための運動から。福島県は吾妻山の一切経山を選びました。登山開始が3時前。運動が目的ですから、超スピードで往復してきました。

【山名】一切経山(1948.8m)
【山域】磐梯・吾妻・安達太良
【日程】2013年9月17日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】快晴
【ルート】14:38浄土平レストハウス…浄土平…酸ヶ平…15:37一切経山…16:43浄土平レストハウス

(※大きい地図や3D地図、当日の天気図などはヤマレコの記録へ)
【マイカー登山情報】磐梯吾妻スカイラインはかつては有料(1570円)でしたが、徴収期間が満了したため、2013年(平成25年)7月25日をもって無料になりました。また浄土平の駐車場も、平成25年は無料でした。磐梯吾妻スカイライン沿いに広い駐車場がありますが、一切経山方面に向かう場合は、正面にある浄土平ビジターセンターの右側を奥に車で入って行くと、さらに広い駐車場があり、登山口に近いです。

Img_6454 浄土平からの景色。噴煙が上がってます。空は快晴。
Img_6456 酸ヶ平の鎌池です。
Img_6457 酸ヶ平避難小屋を過ぎると樹木がなくなり、火山礫に覆われたなだらかな道となります。
Img_6458 吾妻小富士の噴火口を見下ろします。
Img_6460 山頂付近にあるケルンには、空気大感謝塔と書かれております。な、なんだこりゃ。
Img_6466 雲ひとつない快晴で気持ちがいいです。山頂から北を見ると「吾妻の瞳」と呼ばれる五色沼が見えるそうなのですが、なんの予備知識もなかったぽん太は見逃してしまいました
Img_6461 磐梯山には気がつきました。
Img_6473 浄土平周辺には、リンドウと、シラタマノキの実が目立ちました。

2013/10/25

【軽井沢観光(2)】軽井沢会テニスコート、ショーハウス記念館、室生犀星記念館、旧油屋、堀辰雄が愛した石仏

 9月初めの軽井沢観光の二日目です。
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Img_6385 まずはつるや旅館の近くの軽井沢会テニスコート。天皇皇后両陛下の思い出のテニスコートとして有名ですが、ぽん太が訪れたつい一週間ほど前の8月27日、両陛下が久々にテニスを楽しまれたというニュースをやってました(例えばこちら)。クラブハウスの設計はヴォーリスだそうです。
Img_6415 次いで、軽井沢ショー記念礼拝堂。カナダ生まれの英国国教会宣教師のA.C.ショーは、「別荘地」としての軽井沢の誕生のきっかけとなった人物です。この礼拝堂の原型は、明治28年(1895年)に建てられたそうです。
Img_6418 礼拝堂の裏手には、ショーが住んでいた別荘が復元されています(ショーハウス記念館)。原型は、明治21年に建てられてもので、軽井沢最初の別荘ということになります。
Img_6419 外観は普通の和風建築のようですが、内部は和洋折衷の印象です。意外と質素で、学校みたいな感じもします。
Img_6421 軽井沢宿の入り口あたりにある芭蕉の句碑です。「馬をさへ ながむる雪の あした哉」という句が刻まれています。
Img_6422 たかが句碑と侮るなかれ。この句碑自体が造られたのが、江戸時代の天保14年(1843年)です。
Img_6430 次いで、室生犀星記念館です。昭和6年(1931年)に建てられた室生犀星の別荘で、改修を加えながら昭和36年(1961年)まで使われていたそうで、堀辰雄、津村信夫、立原道造、川端康成、志賀直哉など多くの作家が訪れたそうです(http://www.town.karuizawa.nagano.jp/)。苔むした美しい庭に囲まれた、落ち着く感じの家です。
Img_6433 さて、信濃追分に車で移動して、「油屋」を訪ねました。油屋は、江戸時代の1688年に開業し、中山道の追分宿で脇本陣をつとめた歴史ある宿で、堀辰雄を初めとする多くの文人の定宿として有名です。歴史ある建物は昭和12年(1937年)に焼失し、現在の建物は昭和14年(1939年)に再建されたものだそうです。
Img_6434 しかし2004年(?)以降休業となり、ついには売りに出される事態となりました。なんと!油屋のホームページだけは生き残っているようです(→こちら)。
Img_6441 その油屋は、隣りで古書店追分コロニーを営んでいる斎藤尚宏さんが中心となって結成した「油やプロジェクト」が買い取り、2012年7月21日にアートの拠点として生まれ変わりました。公式サイトはこちらです。
Img_6436 帳場はオシャレで可愛いカフェに生まれ変わってます。
Img_6438 内部は、中古レコード屋やいくつかのアートギャラリーが入居しております。二階は素泊まりの宿として宿泊もできるようです。しまった、堀辰雄が泊まった部屋も残ってるみたいだけど、見るの忘れたな〜。こんど行ったときに見せてもらお〜っと。
Img_6444 追分宿の西端にある茶屋「つがるや」の建物です。
Img_6445 その西が「別去れ」。和田峠を経て諏訪に到る中山道と、上田・長野を経て直江津に抜ける北国街道の分かれ道です。「追分」という地名は街道の分かれ道を意味します。青梅街道と甲州街道の分かれ道の「新宿追分」(現在の新宿三丁目交差点)が身近ですね。
Img_6432 軽井沢の発展から取り残されていた追分宿。渋い建物がまだ残っております。
Img_6440 しかし、たしか数年前までは普通のアスファルトだった道も石畳が敷かれ、オシャレな店も少しずつ出来てきているようです。
Img_6449 さて、ぽん太とにゃん子のお目当てはこの石仏です。堀辰雄の愛した石仏として知られ、小説「大和路・信濃路」の「樹下」で取り上げられています。ご覧になりたい方は、こちらの青空文庫で読むことができます。冒頭ですから探す手間はありません。
 その筋では有名な石仏なので、すぐ見つかるかと思って適当に歩いてみたのですが見当たらず、堀辰雄文学記念館の受付のお姉さんに場所を聞きました。泉洞寺というお寺にあるとのことでしたが、それでもなかなか見つからず、ようやくたどり着きました。皆さんのために場所をご案内すると、地図はこちらで(ほぼ正確です)、旧道から泉洞寺の方に入って行き、山門をくぐらずに左に行くと駐車場があります。そこを右方向に行き、お寺の庫裏のような建物を右手にみながらお寺の裏手に進んで行くとお墓があり、道の右手に石仏がいらっしゃいます。
Img_6450 素朴で可愛らしい仏様で、弥勒菩薩などによくみられる半跏思惟の姿勢をしているのですが、痛む歯を押さえているように見えることから、地元では歯痛地蔵と呼ばれているそうです。

2013/10/24

【オペラ】オシャレな演出で日本人歌手が健闘「フィガロの結婚」新国立劇場

 新国立の「フィガロ」は2003年初演のプロダクションだそうですが、ぽん太はこんかい初めて観ました。モノトーンのシンプルな舞台装置、美男美女を取り揃えたキャストと、オシャレなオペラを楽しめました。公式サイトはこちらです。
 舞台上にあるのは、間口よりはるかに狭い白い立方体状の空間。なんか、昔見たコンヴィチュニーの「アイーダ」が思い出され、ちょっと嫌な予感がします。序曲の最中に奥の壁が扉状に開いて、そこから次々と白い段ボール箱が運び込まれて、舞台が始まります。後半になると、白いタンスが運び込まれますが、これがセットの全てです。立方体状の壁は、劇の進行につれ、タガが緩むような感じに、二段階で開きます。
 ですから、ケルビーノが隠れるのも段ボールの中だし、第四幕の庭の場面も同じ空間です。小さなタンスの中から隠れていた人たちがゾロゾロ出てくるのは面白かったです。
 でも、けっきょく登場人物たちは、狭い空間に置かれた段ボール箱とタンスのあいだをグルグル動き回っているだけなので、アンドレアス・ホモキの演出はちょっと単調で退屈したのも事実です。
 フィガロ役は、アリス・アルギリスの代役でマルコ・ヴィンコでした。細身でイケメンのイタリア人で、以前の「セビリアの理髪師」でダリボール・イェニスが歌ったフィガロのように、ちょっとならず者っぽい印象。をゝとうならせるような歌唱はありませんでしたが、演技力が抜群でした。スザンナは九嶋香奈枝。最初は「えっ、日本人かいな」と思いましたが、歌も上手で、とってもキュートで可愛らしいスザンナでした。アルマヴィーヴァ伯爵のレヴェンテ・モルナールも男前で立派すぎるため、女好きでどうしょもない伯爵のコミカルさにはちと欠けました。歌声に聞き惚れたのは伯爵夫人のマンディ・フレドリヒ。特にアリア「楽しい思い出はどこへ」(Dove sono)では、恋する女の初々しさを保ちながらも、深い悲しみが感じられ、胸がキュンとなりました。ケルビーノのレナ・ベルキナもとっても美人でしたが、女っぽすぎるし声もビブラートが強めで「少年」らしさには欠けました。マルチェッリーナの竹本節子、バルトロの松位浩、バジリオの大野光彦もそれぞれ良かったです。
 ウルフ・シルマー指揮の東京フィルハーモニー交響楽団は、歯切れが良くてよかった気がしますが、ぽん太にはよくわかりません。
 めまぐるしく変化するストーリー展開、次々と繰り出されるアリアや重唱、「フィガロの結婚」は聞いていると嬉しくなってくるオペラで、モーツァルトの才能に今さらながら感動しました。今回のシンプルな演出によって、なおさら音楽に集中することができました。


「フィガロの結婚」
Wolfgang Amadeus Mozart : Le Nozze di Figaro
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト/全4幕

指揮:ウルフ・シルマー
演出:アンドレアス・ホモキ
美術:フランク・フィリップ・シュレスマン
衣裳:メヒトヒルト・ザイペル
照明:フランク・エヴァン

アルマヴィーヴァ伯爵:レヴェンテ・モルナール
伯爵夫人:マンディ・フレドリヒ
フィガロ:マルコ・ヴィンコ
スザンナ:九嶋香奈枝
ケルビーノ:レナ・ベルキナ
マルチェッリーナ:竹本節子
バルトロ:松位 浩
バジリオ:大野光彦
ドン・クルツィオ:糸賀修平
アントーニオ:志村文彦
バルバリーナ:吉原圭子
合 唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

2013/10/23

【宿】堀辰雄の『美しい村』の舞台となった旧軽銀座の宿・つるや旅館

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 9月上旬の今回の軽井沢旅行、お世話になった宿は「つるや旅館」さんです。公式サイトはこちらです。
Img_6384 新しい建物ですが、外観は旅籠風の面影を残しています。
 げんざい旧軽銀座と呼ばれているところは、昔の中山道の軽井沢宿でした。「つるや」はそこで休泊茶屋を営む旅籠だったそうです。
Img_6381 ロビーの様子です。
 明治19年、つるやは旅館業に転じました。その後軽井沢別荘地として賑わうようになり、島崎藤村、芥川龍之介、永井荷風、室生犀星、堀辰雄、谷崎潤一郎、志賀直哉、正宗白鳥などの文士が宿泊するようになりました。堀辰雄が『美しい村』を執筆したのもここで、つるやが作品の舞台と鳴っております(以上、つるやのサイトより)。
Img_6413 ロビーの窓から見える雨に濡れた緑が美しいです。
Img_6391 ぽん太とにゃん子はお安い本館の部屋を選択。本館の廊下はけっこうシンプルです。
Img_6382 こちらが客室です。ぽん太とにゃん子はベッドルームを選択。レトロモダンな感じがいいでしょ。
Img_6414 こちらは奥館。大正時代に建てられた建物です。許すものが許せば、こちらに泊まってみたいものです。
Img_6392 お風呂です。温泉でないのが残念ですが、広々として清潔です。
Img_6400 夕食はレストランでいただきます。先付けはとらふぐ薄造りから。
Img_6407 こちらがメニューです。タラバ蟹のサラダや、生ウニ、信州和牛の陶板焼きなど盛りだくさん。
Img_6405 リンゴの天ぷらが、信州らしくておいしかったです。花豆の天ぷらも初めてでした。
 全体として非常にうまいというほどではありませんが、十分満足の行くお料理でした。
Img_6410 朝食はバイキング形式で、メニューは豊富です。
Img_6409 ぽん太が選んだメニュー。もりつけが美しくないのはご容赦下さい。
 中山道の軽井沢宿の時代から今にいたり、多くの文士たちが宿泊したという歴史がF難度に判定されます。従業員の応対も申し分なく、食事も悪くありません。なんとといってもあの旧軽銀座に泊まれるというのが素晴らしく、ぽん太の評価は4点です。

2013/10/22

【軽井沢観光(1)】有島武郎終焉地碑、堀辰雄別荘(1412番山荘)、軽井沢鉄道記念館(EC401、EF632、草軽電鉄デキ12)など

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 ようやく9月のご報告に入ります。宮崎駿の「風立ちぬ」に感動して堀辰雄の良さがわかり、軽井沢へのひがみ根性がすっかり純化されたぽん太は、にゃん子とともに軽井沢に行ってきました。
Img_6306 まずは喫茶店「一房の葡萄」。facebookはこちらです。以前の記事に書いたように、この建物は有島武郎の別荘だった浄月庵を移築したものです。軽井沢タリアセンの一角にあります。この別荘が元々あったところは、のちほどご紹介いたします。「一房の葡萄」というのは、有島武郎の作品の題名ですね。こちらの青空文庫で読むことができます。
Img_6303 前回は外から見ただけでしたが、今回はなかに入らせていただきました。赤いモダンなテーブルと、古めかしい内装が、とてもマッチしています。
Img_6305 二階の部屋です。屋根の傾斜が心地よいです。
Img_6301 テラスの席です。心地よい空間ですが、木立の向こうに駐車場が見えるのが、ちと残念。
Img_6302 珈琲とケーキをいただきました。美味しゅうございました。

Img_6320 一房の葡萄の道を挟んで反対側には、軽井沢文学館があります。「狐狸庵こと遠藤周作の九十歳を祝う展覧会」をやってました。
Img_6311 文学館の敷地には、二つの建物が移築されております。まずは堀辰雄の別荘(1412番山荘)です。丸太の柱や、木の皮の壁など、軽い感じの山荘です。
Img_6309 案内板によると、昭和16年(1941年)の春から4年間を過ごしたところのようです。
Img_6314 内部は質素ですが、木が多用されていて暖かみがあります。
Img_6317 ちらは野上弥生子の書斎だそうです。
Img_6321 こちらは、軽井沢タリアセンの敷地内の別のところにある、旧・軽井沢郵便局舎です。現在の旧軽井沢の軽井沢郵便局の建物だったものです。
Img_6323 さて、軽井沢駅に移動して、(旧)軽井沢駅舎記念館を見学。昔の軽井沢駅舎を利用した博物館です。
 どこかで見たことがあるでしょう?そう、映画「風立ちぬ」で出てきましたね。EC401です。
Img_6322 こちらはEF632。EF63は、急勾配の碓井峠区間を列車が通過する時、それをサポートするためにだけに造られた電気機関車です。ある程度以上の年齢の人なら覚えていると思いますが、列車が横川駅に着くと、2両のEF63が連結され、その力を借りて軽井沢駅まで登っていったのです。正面の貫通扉が印象的で、いつかぽん太の鉄道模型コレクションに加えたい車両です。
Img_6345 こちらのちょっと不気味な車両は、草軽電鉄の電気機関車デキ12です。草軽電鉄は名前の通り草津と軽井沢を結んでいた鉄道です。その概要はこちらの草軽電鉄Web博物館で見ることができます。これはキットをすでに入手しているので、折りをみて組み立てたいと思います。
Img_6359 さて、軽井沢駅前の道を北に向かい、旧三笠ホテルへ。重要文化財に指定されているホテルです。
Img_6361 こちらが案内板です。実業家山本直良(なおよし)によって明治37年(1904年)に営業が開始されました。山本直良の妻・愛が有島武郎の妹であり、また「大きいことはいいことだ」で有名な作曲家・直純は孫になりますね。
Img_6364 明るいサンルーム。
Img_6363 風呂です。
Img_6367 共同トイレです。
Img_6377 旧三笠ホテルのやや南に、有島武郎終焉地碑があります。最初にご紹介した「一房の葡萄」の建物があったところです。だいたいこのへん(Google map)だと思いますが、ちょっとずれてるかも。旧三笠ホテルから南下し、最初の角を左に曲がり、更に道なり左に曲がってまっすぐ行きます。道がだんだん細くなってこれ以上車が入れなくなるあたりに、右後ろのに向かって坂を登って行く細いみちがあり、小さな標識があります。その道を他の別荘の裏手を右に見ながら登っていくと、やがて左側に有島武郎終焉地碑の立て札が見えます。
Img_6378 これが有島武郎終焉地碑です。
Img_6379 案内板です。大正12年6月9日に、ここにあった別荘「浄月庵」で、有島武郎は愛人波多野秋子とともに縊死を遂げたのでした。石碑は昭和28年に作られたものだそうです。碑文を書いたのは有島武郎の弟の画家・有島生馬のようです。
Img_6380 こちらは傍らにある「チルダへの友情の碑」。有島武郎がスイス旅行のおりに知り合った少女チルダに送った手紙の一節だそうですが、なぜその碑がここにあるのか、ぽん太にはよくわかりません。

2013/10/21

【温泉】湯治場の雰囲気、さまざまな泉質の露天風呂・夏油温泉元湯夏油(★★★★★)

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 超有名な温泉でありながら、これまで来たことがなかった夏油温泉に、念願かなって泊まることができました。最初に宣言しておきますが、ぽん太の評価は5点満点です。公式サイトはこちら
 岩手県は北上市。焼石岳の北東の山麓。夏油温泉スキー場を過ぎると、さらに細くなって行く山道を登って行くと、夏油温泉があります。豪雪地帯のため半年間だけ営業する温泉です。
Img_6299 昔のスキーロッジのような素っ気ない建物がいくつも立ち並び、小さな街をなしています。
Img_6264 こちらがお部屋です。意外とこざっぱりした和室です。布団は初めから敷いてあります。
Img_6269 館内には7つの湯がありますが、いずれもその場から自然湧出しているもので、それぞれ泉質が異なり、どれも源泉掛け流しです。二つの内湯は男女別。露天の一つは女性専用。他の4つの露天は基本は混浴で、女性専用タイムが設定されています。建物の間を歩いて、露天風呂に向かいます。写真左奥の「昭和館」は別の旅館です。
Img_6272 階段を下って、川沿いの手前にあるのが真湯。川の向こう側は目にいいと言われる「女(目)の湯」です。「女(目)の湯」はぬるめで浴槽が鉄錆色に染まっており、ホウ酸が多くて目にいいそうです。内部の写真は撮影禁止なのでありません。
Img_6288 こちらがもっとも薬効が強いと言われる大湯。底が天然の岩になっており、岩の割れ目からお湯が湧き出しているのですが、これが熱い。じっと入っている人もいますが、ぽん太はかけ湯をするのが精一杯で、最後に1秒だけお湯につかりました。
Img_6276 夕食は食堂でいただきます。三種類のプランがあるようですが、ぽん太とにゃん子は一番安いプランを選択。豪華ではありませんが、地元の山菜がたっぷりで、湯治場の雰囲気が高まります。焼いたタケノコや、山菜の天ぷらがおいしいです。
Img_6283 夜の温泉街。
Img_6284 昭和館さんの建物の夜景もいい感じです。
Img_6293 朝食はバイキング形式です。ぽん太が選んだメニューはこちら。
 近くにある特別天然記念物の天狗岩(石灰華)も見たかったのですが、雨が降っているのと、とっとと帰らないと遅くなりそうだったので、省略いたしました。
 一年のうち半年しかやってない山中の秘湯。湯治場そのものの雰囲気。様々な泉質の野趣あふれる露天風呂。地元の食材を使った美味しい食事。どれも最高得点で、総合評価も5点!

2013/10/20

【登山】曇りで何も見えず。姫神山@岩手県

 つなぎ温泉湖山荘で湯ったりした翌朝、空には重い雲がたれ込め、時おり雨がぱらつきます。雨のなかの登山は止めたいところですが、少しは運動しないと、連日の温泉泊で蓄えたカロリーを消費することができません。とりあえず登山口まで行ってみたところ、雲もやや高くなってきたので、運動のために登ることにしました。
 姫神山は、盛岡のやや北にあるなだらかな円錐形の山で、麓の渋民に幼い頃住んでいた石川啄木が、岩手山とともに愛した山としても有名です。また信仰の山でもあり、岩手山、早池峰山とともに北奥羽の三霊山と呼ばれているそうです。

【山名】姫神山(ひめかみさん)(1124m)
【山域】八幡平・岩手山・秋田駒
【日程】2013年8月30日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】曇り
【ルート】一本杉登山口12:34…姫神山山頂13:58…一本杉登山口15:10

(※大きい地図や3D地図、当日の天気図などはヤマレコの記録へ)
【マイカー登山情報】国道4号線の曲がり角のところから案内板が整備されており、道はわかりやすいです。一本杉登山口に広い駐車場があります。最初に道路の右側に登山道の案内があり、駐車場がありますが、そこをやり過ごして一番奥まで入ると、トイレもある駐車場があります。

Img_6244 登山口から少し登った所に、一本杉があります。樹齢200年以上と言われているそうです。
Img_6258 一本杉のかたわらには「一本杉清水」と呼ばれる湧水があります。
 登山道はだんだんと急になりますが、あちこちに階段が整備されています。やがて尾根に出て、そこから尾根づたいの道となります。山頂直下で道が二手に分かれます。ぽん太とにゃん子は、右手の岩場のコースを登ることにしました。大らかなかたちの山容とは異なり、巨岩の重なりの登山道です。
Img_6246 一時間半足らずで山頂に到着。ガスが架かっていて展望はまったくありません。山頂には祠がありました。
Img_6248 案内板はすっかりさびておりますが、本宮神社、姫神代権現、などの文字が読み取れます。
Img_6247 祠のなかには、石川啄木の短歌も奉納されておりました。
Img_6251 展望もないので早々に下山。登りと違う道を降りました。薬師神社と書かれた石の祠がありました。
Img_6253 こちらは若宮神社です。
Img_6255 一瞬ガスが晴れて、岩手山が見えました。
 改めて天気の良い日に、修験道の歴史がある城内からの道を登ってみたいと思いました。

2013/10/19

【温泉】広々とした山荘風のリーズナブルな宿・つなぎ温泉ひぃなの丘 湖山荘(★★★★)

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 盛岡からわずかに西に行った所に、御所湖というダム湖があります。その湖畔に位置するのがつなぎ温泉です。今回お世話になったのは湖山荘さん。雑誌「自遊人」のサイトで見て、泊まってみたいと思っていた宿です。
Photo 湖山荘は、温泉街から少し離れた高台にあり、広い敷地を持っています。木立に囲まれた立派な門がお出迎え。
Img_6235 門の横には、源泉が沸々と湧き出す池があります。
Img_6203 建物は、木造二階建ての本館と、露天風呂付きの離れからなります。ぽん太とにゃん子が泊まったのは本館の方です。芝生が植えられ、手入れの行き届いた庭の向こうに、御所湖を見下ろすことができ、とても広大な風景です。
Img_6189 さらに湖の向こうには、岩手山から秋田駒ヶ岳までの山々が見えるのですが、あいにく天気が悪かったので、ときどきうっすらと姿を見せてくれただけでした。
Img_6186 お部屋は、やはり広々とした和室です。
Img_6207 本館は各部屋には洗面所・トイレがついておりませんが、共同の洗面所には、写真のような洒落た洗面所が三つ設けられています。
Img_6208 洗面所の灯りです。
Img_6188 二階の廊下からも、超ワイドスクリーンで絶景を楽しめます。
Img_6190 凄いのはそれだけではありません。露天風呂が信じられないほどの広さです。これは泳ぎがいがあります。無色透明ですが、硫黄臭があり、なめると少し苦みがあります。もちろん源泉掛け流し。
Img_6195 反対から見てもこの広さ。高温のお湯が豊富に湧いているからこその大きさです。
Img_6193 しかもお湯の一部は、突き当たりの石垣の上から滴り落ちています。いったいどうなってるんでしょう?
Img_6231 こちらはもう一つの露天風呂です。時間で男女入れ換えになります。
Img_6233 内風呂はちょっと小さめですが、その代わり景色は雄大です。
Img_6204 こちらはもう一つの内風呂。タイル張りでレトロな雰囲気ですが、宿の古い建物の部分だそうです。源泉がことなり、すべすべ感が強いです。
Img_6212 庭の端の方には、使われていないプールのようなものがあります。昔はどのような宿だったんでしょう。
Img_6215 さて夕食です。お料理が一つひとつ運ばれてきます。右上の小鉢は岩魚の潤香(うるか)だそうです。
Img_6218 岩手県は酒どころ、一種類では物足りないので、3種飲み比べをいただきました。
Img_6222 短角牛と夏野菜は、焼き物でいただいます。トマトも新鮮で美味しかったです。写真以外にも、お造り、天ぷら、そうめん、岩魚の塩焼きなど、盛りだくさんです。
Img_6223 お食事は枝豆ご飯でした。
Img_6225 夕食後、無料でお箸の絵付けができると聞き、ぽん太もトライしてみました。
Img_6229 こちらは朝食。一つひとつの素材が美味しかったです。
 広大な敷地を持ち、広々とした風景にこれまた大きな露天風呂。高級な山荘に泊まっているようにゆったりした気分になれます。料理もおいしいです。それなのに値段はリーズナブルです。素晴らしい旅館だと思いますが、ぽん太の好みからすると「ひなび度」が少ないので、ぽん太の評価は4点です。

Img_6236 つなぎ温泉の一角に「猫石」というのがあると聞き、見に行きました。
Img_6237 前九年の役のとき、食料に困った八幡太郎義家が山の獣を食べたところ、捨て去った獣の骨が一夜にして猫の形をした大石となり、義家の殺生を責めたんだそうです。
Img_6238 こちらは道の反対側の子猫石(?)。

2013/10/18

【歌舞伎】松竹はブラック企業か?2013年10月歌舞伎座夜の部

 右肩を痛めているという仁左衛門が転倒したとき、ぽん太は「あっ」と声をあげそうになりました。「木の実」で小金吾からお金を語り取ろうとするやり取りのなか、下手に走って行ったときに足を滑らせたのです。客席に背を向けるかたちで転び、痛めていた右肩を床に打ち付けました。一瞬の間をおいて仁左衛門は、宙に浮いた両足を美しく見える形に整えました。そして左手でゆっくりと、具合を確かめるかのように右肩を握りしめました。そのときぽん太は「やっちゃったかな〜」と思ったのですが、やがて身を起こした仁左衛門は、その後も芝居を続けました。「すし屋」の段で代役が出て来たらどうしようかと心配してましたが、花道から仁左衛門が出て来たときはほっとしました。
 10月の歌舞伎座は「義経千本桜」の通し。公式サイトはこちらです。
 仁左衛門が11月の歌舞伎座と12月の南座を休んで、右肩腱板断裂の手術を行うと発表されたのが今月(10月)の4日。いがみの権太役の仁左衛門は、肩関節を支点にして右腕を持ち上げることができないらしく、ほとんど右腕を懐手にしたまま演技をしておりました。肩を痛めていることを感じさせない仁左衛門の芸は大したものでしたが、見ていてヒヤヒヤして、痛々しく感じたのは確かです。無理せず一刻も早く休演して、手術を受けて欲しいと思ったのはぽん太だけでしょうか。
 怪我や病気でも舞台に穴をを開けないのが役者魂、怪我をそれと感じさせないのが役者の芸なのかもしれませんが、こういった考え方は現代にはそぐわないようにぽん太は思います。治療を受け、休養をとって、ベストの状態で舞台に立って欲しいとぽん太は思います。オペラ歌手の場合は、一流であればあるほど、調子の悪い時には舞台をキャンセルして代役を立てます。
 ここのとろこ、歌舞伎役者の他界や怪我・病気があいついでいるように思います。それをなんとかの呪いのせいなどにせず、役者の健康管理に努めて欲しいとぽん太は思うのです。昼夜通して1ヶ月間休みなしという公演の仕方も、役者にとって酷ではないでしょうか。昔からのやり方かもしれませんが、少し変えてみてもいいような気がします。
 
 ウォッホン、思わず力が入ってしまいましたが、感想に移りますと、仁左衛門のいがみの権太は今回もしばらしかったです。お金を語り取るところでのセリフの勢い、母お米に甘えるしぐさの可愛らしさ、妻子を身代わりに差し出すときの悲しみ、すべてに見とれてしまいました。
 梅枝は女形はお手の物ですが、若侍の小金吾もよかったです。秀太郎の小せん、遊女上がりの色気が漂う可愛らしい奥さんに見えるのが不思議。親子三人がホントにほのぼのとした家族に思えて来ます。孝太郎はぽん太が好きな役者のひとりですが、こんかいのお里はなんだかちょっとやり過ぎのような気がしました。お客を笑わそうとするような間の取り方をしすぎていたように思います。お米の竹三郎も子供が可愛くてしかたないお母さんを名演。時蔵、歌六、東蔵、我當はいつもながらの安心して見れました。
 何度も見てるつもりの演目でも、見るたびに「こんなだったかな」と思ったりします。権太が維盛の手配書を見る下りがなかった気がしました。身代わりとなった妻子を花道に見送る時、仁左衛門が陣羽織で頭を覆うのも、初めて気がつきました。それから、仁左衛門が鮨桶を持って行くとき、右から2番目ではなく、一番右を持ってってしまった気がしたのですが、ぽん太の勘違いでしょうか?
 
 「川連法眼館」は、菊五郎の狐忠信と、梅玉の義経という豪華な配役。菊五郎の演技は素晴らしく、佐藤忠信の品格や重々しさは立派でしたが、源九郎狐になってからは、体力の衰えがちと気になったというか、時の流れを感じさせました。時蔵の静御前も普通によかったです。


歌舞伎座新開場柿葺落
芸術祭十月大歌舞伎
平成25年度(第68回)文化庁芸術祭参加公演
歌舞伎座 平成25年10月11日夜の部

通し狂言 義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)

四幕目 木の実
    小金吾討死
   
  いがみの権太 仁左衛門
  若葉の内侍 東 蔵
  主馬小金吾 梅 枝
  猪熊大之進 市 蔵
  鮓屋弥左衛門 歌 六
  小せん 秀太郎

五幕目 すし屋
   
  いがみの権太 仁左衛門
  小せん 秀太郎
  弥助実は三位中将維盛 時 蔵
  お里 孝太郎
  お米 竹三郎
  鮓屋弥左衛門 歌 六
  若葉の内侍 東 蔵
  梶原平三景時 我 當

大 詰 川連法眼館
   
  佐藤忠信/忠信実は源九郎狐 菊五郎
  静御前 時 蔵
  駿河次郎 團 蔵
  亀井六郎 権十郎
  飛鳥 秀 調
  川連法眼 彦三郎
  源義経 梅 玉

2013/10/17

【演劇】美輪パワーで野田若返る!?「MIWA」野田地図

 コロッケ→仏頭ときて、夜は野田秀樹の新作「MIWA」を池袋でみました。ぜいぜい。公式サイトはこちらです。脚本は、雑誌「新潮」2013年11月号に掲載されているようです。
 こんかい取れた席は、なんと一階の前の方。ありがたや、ありがたや。細かい表情までよく見えて、とっても迫力がありました。いつもながら、時空を縦横無尽に超えて疾走して行く野田ワールド。特に宮沢りえが演じる美輪明宏の子供時代は、中性的な魅力がある、透明でハツラツとした少年。昔のりえちゃんと違って、それが地ではなくて、演技であるというところがすごかったです。また野田独特の美文(?)の早口のセリフも、さながらフルートの音色を聴いているかのようでした。オスカワアイドルの野田秀樹のセリフ回しも、声のトーンの変化やリズムがすばらしかったです。今回の舞台を見ていて、なんだかぽん太は下北沢時代の野田を思い出し、うれしくなって思わずニコニコしてしまいました。
 ここのところ気になっていたオジさんの説教臭さも、今回はあまり感じませんでした。原爆の描写がちょっと…という気もしましたが、ポスト3.11である現在、こうした場面は描かざるを得ないのかもしれません。
 ただちょっと気になったのは、今回のモチーフの多くが、美輪明宏自身が提供しているものであること。美輪明宏と天草四郎の物語をダブらせて〜というのは、野田の得意な作劇術のパターンにみえますが、美輪自身が自分は天草四郎の生まれ変わりだと言っていること。その他でも、美輪自身の語っていることが、多く劇の題材になっていたと思います。もちろんぽん太は美輪に詳しいわけでもないし、どこまでが美輪が言っていることで、どこからが野田の創作なのか、見極める力はないのですが。まあこれは野田の創作力が落ちたというよりは、美輪明宏の豊穣さを誉めるべきなのかもしれません。
 今年の8月だったと思いますが、美輪は自分の被爆体験に付いてテレビで初めて公にしました。無知なるぽん太は、美輪にこんな過去があったのかと驚いたものですが、野田の芝居では被爆体験が重要な事件としてはっきりと描かれていました。だとしたら反対に、被爆体験や、同性愛に対する差別を、なぜ美輪が語らなくなったのかという劇の最後の部分を、もう少しきっちり描いて欲しかったです。「死」をくぐり抜け、安藤牛乳が消え去り、こんどは自分が黄色いカツラをかぶるというあたりの心の動きが、ちょっとわかりにくかったです。
 宮沢と野田の演技は先ほど書いた通り。古田新太は「あまちゃん」でいつの間にか人気者になっていたようですが、「あまちゃん」を1回も見てないぽん太は、まったくそのことを知りませんでした。先日やっと総集編を見ましたが、とぼけてて面白いですね。「MIWA」では、冒頭近く、黄色い頭でいきなり後ろから走って出て来た時のインパクトが最高!ひょうひょうとした感じもよかったです。
 瑛太は銀幕スターらしい軽さと爽やかさ。青木さやかはまだまだ。驚いたのは半・陰陽の池田成志。バーの店長、銀パリのオカマのオーナー、なんだか忘れたけど目玉をひんむくやつなど、変幻自在の演技力にびっくり。これまた昔の小劇場風のうさんくささが漂います。ぽん太は「THE BEE」で観てるはずですが、そのときは印象に残らなかったな〜。Wikipediaを見てみると、「八重の桜」の大隈重信役?気がつきませんでした。大昔は劇団第三舞台に属していたとのこと。ひょっとしたらその頃見てたりして。
 野田秀樹の演劇を堪能すると同時に、美輪明宏の底知れぬ大きさを改めて認識できました。
 

野田地図 第18回公演
MIWA
2013年10月10日 東京芸術劇場プレイハウス

作・演出:野田秀樹

キャスト
 宮沢りえ    MIWA
 瑛太      赤絲繋一郎
 井上真央    マリア
 小出恵介    最初の審判/通訳
 浦井健治    ボーイ
 青木さやか   負け女
 池田成志    半・陰陽
 野田秀樹    オスカワアイドル
 古田新太    安藤牛乳

スタッフ
美術/堀尾幸男  照明/小川幾雄  衣裳/ひびのこづえ  選曲・効果/高都幸男  振付/木佐貫邦子
美粧/柘植伊佐夫  舞台監督/瀬崎将孝  プロデューサー/鈴木弘之  企画・製作/NODA・MAP

2013/10/16

【仏像】数奇な運命を受け入れる白鳳の微笑「国宝興福寺仏頭展」

 上野に興福寺の仏頭に会いに行ってきました。公式サイトはこちらです。
 音声ガイドの無料券を持っていたので、展覧会の音声ガイドというものを初めて借りてみたのですが、なかなかよかったです。いつもは「へ〜え」という感じで眺めて終わりになるのですが、見所やいわれなどを知ることができ、見仏家(?)のいとうせいこうやみうらじゅんの話しも絶妙で、いつもよりも深く見ることができました。今後は、なるべく音声ガイドを借りてみようと思いました。
 例の国宝の仏頭は、天武7年(678)に鋳造が開始され同14年(685)に完成した白鳳期の仏像です。とても穏やかな表情で、微笑をうかべ、遥かかなたを眺めているかのようでした。左の耳の後ろが大きくへこんでおり、そのため顔が左右非対称になっているため、かえって何かを訴えかけているような表情となっておりました。
 この仏頭の運命は数奇なものがあります。治承4年(1181年)の平家による南都焼き討ちで興福寺は焼け落ちましたが、数年後に再建され、文治3年(1187年)に山田寺から薬師如来が移されて、興福寺東金堂のご本尊となりました。応永18年(1411年)に落雷による火災にあって胴体を失い、別の薬師如来が東金堂の本尊になりました。これ以来、仏頭は行方不明になっておりましたが、昭和12年(1937)に本尊台座内で発見されたのだそうです。
 こんかいの展覧会で仏頭とともに展示されている「木造十二神将立像」は、現在も興福寺東金堂に安置されておりますが、1411年の火災で別れて以来、600年振りに仏頭と再会し、同じ所に並べられたことになるそうです。この鎌倉時代に造られた神様たちは、鎧に身をつつみ武器をまとっておりますが、南都焼き討ちのようなことが二度と起こらないように守って欲しいという、人々の気持ちが込められていたのですね。
 それら以外にも、板彫りの仏像というものを初めて知りました。また、「成唯識論」は奈良時代(761年)の「巻第十」、平安時代12世紀の「巻第一」、そして鎌倉時代の「成唯識論術記」が並べて展示されており、違いがよくわかりました。

興福寺創建1300年記念「国宝 興福寺仏頭展」

東京藝術大学大学美術館
2013年10月10日

※作品リスト(PDF)はこちら
主な出展作
国宝 銅造仏頭(興福寺東金堂旧本尊):白鳳時代・天武天皇 14 年(685)
国宝 木造十二神将立像:鎌倉時代・13世紀
国宝 板彫十二神将像:平安時代・11世紀

厨子入り木造弥勒菩薩半跏像/慈恩大師像(大乗院伝来) /慈恩大師像(一乗院伝来) /淄州大師像/濮陽大師像/解脱上人貞慶像/信円像/尋尊像/法相曼荼羅図/法相祖師像彩絵 厨子扉絵/持国天像/護法善神扉絵/大般若十六善神像/法相宗系図/興福寺別当次第 巻第一/興福寺別当次第 巻第三/大慈恩寺三蔵法師伝 巻第一/成唯識論 巻第十/成唯識論 巻第一 成唯識論述記(春日版板木) /成唯識論述記 巻第一(春日版板木) /弁中辺論 巻第三(春日版板木) /法華経 普門品(春日版板木) /世親摂論 巻第十(春日版板木) /明本鈔 巻第六/明本鈔 巻第十三

2013/10/15

【モノマネ】究極の芸に笑いすぎてヘトヘト/コロッケ特別講演@明治座

 一度ナマで見たいと思っていたコロッケを、ついに観ることができました。コロッケと言っても台風の時に食べるアレじゃないよ。モノマネの方です。公式サイトはこちらです。
 何の予備知識もなく明治座を訪れたぽん太とにゃん子。前半は芝居をやり、後半が「ものまねオンステージ」のようです。11時に始まって終わるのが15時20分。2回の休憩をはさむとは言え、コロッケ頑張ってんな〜という感じです。
 芝居の題名も明治座に行ってからはじめて知りましたが、「ほら吹きと武蔵」とのこと。原作は山本周五郎の小説「よじょう」。無学のぽん太はもちろん聞いたことも読んだこともありません。ありがたいことにこちらであらすじを読むことができます。
 ただ、原作の人物関係を借りているものの、テーマは違っております。コロッケ演ずるほら吹き男が、預かっていた幼い娘を、「父親」として命を張って守る決意をする、という話しになっておりました。左とん平や熊谷真美が出てましたが、他の人は知らない人ばっかりでした。もっと心を込めて熱く演ずると、ちょっとホロリと来たかもしれませんが、次の第二部が控えているせいか、コロッケが意外と淡々と演じていたので、ちとあっさりした舞台になりました。
 さて、休憩をはさんでお待ちかね、「コロッケものまねオンステージ」です。舞台上に大きなスクリーンが設置され、客席で休憩中のお客さんのアップが映し出されました。自分が映っていることを知って急に居住まいを正して手を振る様子に、一同爆笑。マスカラを付けてたオバちゃんは、さすがに仕込みでしょうか。
 ものまのステージが始まると、そのスクリーンにコロッケの顔がアップで映し出され、遠くからでも細かい表情を楽しめるという仕組みです。
 いや〜最高でした。生で観るとやっぱり(顔のでかさと)迫力が違います。楽しいトークを交えながら、次々と得意なネタを連発。モノマネで落語をやるという新企画「ものまね楽語」も披露。「初天神」をもとにした話しを、田中邦衛や志村けんの真似で演じました。やはり究極は「ロボット五木」。顔のパーツパーツが別々に動くんだもん。近寄ろうとする玉置浩二と、引き気味で逃げようとする徳永英明のデュエットというネタも大笑いでした。おねえちゃんたちのキレキレのアクロバット・ダンスもなかなかよかったです。「ありがとうという言葉を大切にしましょう」みたいな、おじいちゃん・おばあちゃんを感動させる有り難いはなしがあり、最後はさだまさし作詞作曲のオリジナル曲「いのちの理由」を(モノマネではなく)歌いました。アンコールは北島三郎のサンバで盛り上がりました。
 とにかくコロッケの芸が素晴らしかったです。単に似ているというだけでなく、デフォルメを加えて、ひとつの「作品」に仕上げる力は驚くばかりです。これは、他の誰にもマネできない芸だと思いました。エネルギッシュな公演で、ぽん太も笑いすぎてへとへとに疲れてしまいました。

2013年 コロッケ特別公演
2013年10月10日 明治座

一 山本周五郎作「よじょう」より
  ほら吹きと武蔵

    キャスト:コロッケ 熊谷真実 曽我廼家文童 左とん平 他
    脚本:清水 東
    演出:市川 正

二 コロッケものまねオンステージ2013

2013/10/14

【ダンス】バレエ技術に支えられたコンテンポラリーダンス・中村恩恵・首藤康之「Shakespeare THE SONETTS」

 おなじみとなった中村恩恵と首藤康之のデュオによるコンテンポラリーダンス。公式サイトはこちらです。
 この作品は、2011年9月に新国立劇場で初演されたそうですが、ぽん太は初めて観させていただきました。
 題材はシェイクスピアの『ソネット』とのこと。無学なぽん太はもちろん読んだことがありません。改めて読む間もないのでWikipediaで予習。謎の多い詩集で、美青年や愛人への愛が歌われているというところまで理解。
 最初に登場する首藤は、シェイクスピア自身か?三つの場の冒頭に現れて案内役を務め、踊りのテーマとなる詩句の断章を朗読します。その後のダンスは、会場でもらったリーフレットによると、『ソネット』に加えて『ロミオとジュリエット』、『オテロ』、『ベニスの商人』なども取り上げているようです。
 ドラマチックなものからコミカルなものまでバラエティがあり、小道具も適度に使って、最初から最後まで退屈せずに観れました。前衛的になりすぎず、かといって陳腐にもならず、品のよい舞台でした。インクで顔を黒く塗ってオテロになるというアイディアや、白と黒のチェックの照明を上からあてて、チェスの駒のように踊るのも、面白かったです。また三場で、二人が同じ衣装で同じ振付けを踊るのも、ドッペルゲンガーのような自我の混乱の不気味さが感じられました。
 ただ、深く感動するには、何かもうひとつインパクトが欲しいところ。それが激しさなのか、ドラマなのか、詩情なのか、テーマなのか、タヌキごときにはよくわかりません。
 コンテンポラリーダンスの音楽を多く手がけるディルク・P・ハウブリッヒの音楽も、女性の歌声が効果的に使われ、悪夢のなかのような緊迫した雰囲気をかもし出しておりました。振付けは、音楽のニュアンスによく反応していたように思います。
 バレエ出身のダンサーによるオリジナルのコンテンポラリーダンスとしては、この舞台が日本最高レベルということになるのでしょうか。テクニックの裏付けを持つ、美しい身体の動きを堪能することができました。


中村恩恵×首藤康之
Shakespeare THE SONNETS
2013年10月9日 新国立劇場中劇場

構成・演出・出演:中村恩恵/首藤康之
振付:中村恩恵
音楽:ディルク・P・ハウブリッヒ
照明:足立 恒
音響:内田 誠
衣裳協力:株式会社ヨウジヤマモト
舞台監督:黒澤一臣

キャスト
中村恩恵/首藤康之

2013/10/13

【登山】火山特有の景観が美しい/秋田駒ヶ岳

Img_6159_2
 国見温泉石塚旅館で、世にも不思議なバスクリン色の温泉を堪能したぽん太とにゃん子は、翌日、秋田駒ヶ岳に登りました。田沢湖高原スキー場からアプローチすると8合目まで車で入ることができ、1時間ほどで山頂に立てるので、軟弱な山かと思っていましたがさにあらず、火山特有の景観も素晴らしく、なかなか立派な山でした。

【山名】秋田駒ヶ岳(1637.4m)
【山域】八幡平・岩手山・秋田駒
【日程】2013年8月29日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】曇り時々晴れ
【ルート】国見温泉8:38…横岳10:59…駒ヶ岳11:28…男岳12:31…国見温泉14:36

(※大きい地図や3D地図、当日の天気図などはヤマレコの記録へ)
【マイカー登山情報】国見温泉に広い駐車場があります。

Img_6127 国見温泉から北の方向に、外輪山の稜線を目指して登っていきます。ねじ曲がったブナの幹が、冬の雪の厳しさを感じさせてくれます。
Img_6128 稜線に出ると、火口原の向こうに女岳が現れます。なかなか雄大な風景です。
Img_6136 やがて稜線は火山砂礫に覆われるようになり、とっても歩きにくいです。コマクサが咲いてました。
Img_6139 西方向には、田沢湖が見えます。
Img_6142 近くから見る女岳は、あちこちから湯気が上がってます。かなり怖い女です。
Img_6147 阿弥陀池の向こうの男女岳が見えてきます。ここが秋田駒ヶ岳の山頂になります。
Img_6149 いったん池まで下って登り返すと山頂です。
Img_6156 阿弥陀池のほとりから見上げた男女岳。この景色を眺めながら、昼ご飯をいただきました。
Img_6160 男岳の山頂には神社がありました。
Img_6162 南西方向には鳥海山が見えます。
Img_6163 南東には渦巻きパン。じゃなくて、小岳です。不思議な形ですね。
Img_6165 雲が晴れて、北東方向に岩手山が顔を出しました。
Img_6180 帰りは女岳の火口原を通りました。チングルマの大群落がありました。綿毛状態でしたが、花の時期はさぞ見事なことでしょう。でも、人も多いんだろうな〜。

2013/10/12

【温泉】世にも不思議なバスクリン色の湯を味わうべし・国見温泉石塚旅館(★★★★★)

Img_6121 8月末、ぽん太とにゃん子は、岩手県は国見温泉の石塚旅館に泊まってきました。まるでバスクリンのような緑色をした世にも珍しいお湯が有名で、以前から泊まりたいと思っていたのですが、冬から春は営業していないこともあって、なかなか機会に恵まれませんでした。こんかいようやく夢がかないました。宿の公式サイトはこちらです。
 岩手県と秋田県の境界、秋田駒ヶ岳の南山麓に国見温泉があります。8月9日の豪雨でアプローチの道路が一部崩落して営業を停止していたそうです。8月末に道路が修復され、営業再開した直後にぽん太とにゃん子が泊まることになりました。

Img_6087 こちらが宿の建物です。洒落たロッジ風に見えますが、よく見ると古いというか、ボロいとゆうか、いい味を出しております。
Img_6092 部屋は、トイレなしの古い本館と、トイレ付きの新しい客室の二種類があります。宿の人のお勧めもあり、トイレ付きの新しい部屋にしましたが、きれいで快適な和室でした。写真は本館の部屋。いい味を出してますが、混んでいるときは隣室の気配が気になるかもしれません。
Img_6096 さて、いよいよ温泉です。写真は男女別の小浴場です。う〜ん、不思議な色です。自然のものと思えないというか、ひとことで言うとバスクリンの色です。透明なお湯ですが、湯船の底に湯の花がたっぷりと泥状になって沈殿しており、入っているうちに白く濁ってきます。味は苦く、ちょっと油臭があります。泉質は含硫黄・ナトリウム・炭酸水素塩泉。源泉掛け流しです。
Img_6097 床には温泉成分がうろこ状に結晶化しております。
Img_6120 宿を出て10メートルほど歩いた所に、混浴の露天風呂があります。味気ない長方形の浴槽ですが、温泉成分によってすっかりコーティングされています。
Img_6101 こちらが男女別の内湯の薬師湯です。
Img_6105 お湯の表面に、白いオリのようなものが浮いているのがわかるでしょうか。これもこの温泉の特徴のひとつです。
 国見温泉のお湯がなぜこのような色になるのかに関して、東邦大学理学部の高松信樹先生が研究をなさったそうで、その結果はこちらで読むことができます。
Img_6111 夕食はこちら。地元の食材を使ったおいしいお料理です。
Img_6124 こちらが朝食です。
Img_6125 温泉を使った湯豆腐(?)です。緑色はしてません。お豆腐が半分溶けた感じになり、美味しゅうございました。
 建物は立派とは言えませんが、秋田駒山麓の大自然のなかにあり、食事も美味しいです。世にも不思議な緑色の温泉がF何度と判定され、ぽん太の評価は5点満点です。温泉ファンなら一度はこのお湯を味わうべし。

2013/10/11

【観光】別所温泉(北向観音、モハ5250)、信濃追分(堀辰雄文学記念館)

Img_6065 今年の8月、別所温泉花屋に泊まったぽん太とにゃん子は、短時間でしたが付近を散策いたしました。
Img_6037_2 別所温泉にはいくつかの外湯がありますが、こちらは大湯です。「木曽義仲ゆかりの葵の湯」という碑が建っておりますが、これは史実ではなく、吉川英治の『新平家物語』に書かれているものです。木曽義仲が別所温泉に入ったという伝説もあるそうです。
Img_6048 おなじみ北向観音です。長野の善光寺のみの参拝は「片参り」と呼ばれ、善光寺と北向観音の両方に参拝するのがよいとされていた、という話しはよく聞きますが、どうしてこのように言われるようになったのでしょうか。善光寺が南向きで北向観音が北向きだからとか、北向観音は現世利益を願い、善光寺は未来往生を願うからなどと言われてますが、ぽん太にはちょっと納得できません。ぽん太が推測してみると、善光寺参りの人々を取り込もうとして、北向観音や別所温泉が流した噂。あるいは、善光寺参りをした人たちが、そのあと温泉に入って楽しみたかったので、言い訳として生み出された、などが思いつきますが、よくわかりません。
Img_6049 ただの手水舎に見えますが、実は流れているのは水ではなく温泉で、「慈悲の湯」と呼ばれています。
Img_6054 北向観音の内部に奉納されていた箱車。足の悪い人を載せて縄でひっぱったりしたもので、歌舞伎でも時々出てきますね。お参りをして足が良くなって不要になったので、奉納したもののようです。
Img_6055 境内にある桂の古木は愛染桂と呼ばれており、川口松太郎の恋愛小説『愛染かつら』の題材として有名です。まわりを囲んでいる垣根は、一部壊れているようにも見えますがそうではなく、影向垣(ようごうがき)というそうです。
Img_6070 別所温泉駅には、モハ5250が保存されていました。戸袋の窓が楕円形のため、「丸窓電車」と呼ばれたそうです。

Img_6076 宮崎駿の「風立ちぬ」を観て感動したぽん太は、帰りがけに信濃追分の「堀辰雄文学記念館」に立ち寄りました。以前に来たことがあるので、ぽん太は2回目です。その時の記事を読み返してみると、「堀辰雄や芥川龍之介、室生犀星、萩原朔太郎などは軽井沢で別荘暮らしをして金持ちだったんやな〜、なんや堀辰雄は軽井沢に何軒も別荘を持っとったんかい、こいつら日本が軍国主義に向かう時代に芸術の世界に閉じこもってええ御身分やな」などと書いてあり、ひがみと妬みとあまりの無知に、我ながら恥ずかしい限りです。宮崎駿のおかげで、ぽん太もようやく堀辰雄のよさがわかってきました。
 軽井沢の「軽井沢チーズ熟成所」でチーズを買い、ソフトクリームを食べて帰りました。

2013/10/10

【温泉】庭園のなかの回廊。大正ロマンあふれる宿。別所温泉花屋(★★★★★)

Img_6004Img_6010 8月下旬、ぽん太とにゃん子は、別所温泉の花屋さんに泊まってきました。公式サイトはこちらです。広々とした敷地、和風庭園のなかに張り巡らされた回廊、登録有形文化財にも指定された木造建築。前から一度泊まってみたいと思っていた旅館です。
Img_6041 大正ロマンあふれるロビー。窓の外の手入れの行き届いた緑が美しいです。
Img_6012 広大な庭園のなかに点在する建物を、迷路のようにつないでいる渡り廊下。温泉旅館ならではの賑わいと華やかさが感じられます。
Img_5976 古い部屋が好きなぽん太とにゃん子が泊まったのは、リーズナブルなお値段の本館。それでもこの広さです。大正時代の宿創建当時に造られた建物だそうです。
Img_5980 部屋に置かれている家具もレトロです。
Img_5981 この電話機も懐かしいですね。若いお客さんだと、掛け方がわからなかったりするそうです。
Img_6025 お風呂は三つあります。こちらは「若草風呂」。石張りの床と浴槽で、木のサッシュの広い窓から見える緑がきれいです。無色透明でちょっと硫黄の香りがするお湯です。泉質は単純硫黄泉で、pH8.8とアルカリ性のためお肌にとっても優しいお湯です。季節によって温度調節のために加水や加温をすることもあるそうですが、循環なしの源泉掛け流しです。
Img_6011 こちらは大理石風呂。三つの浴槽が楽しめます。若草風呂と大理石風呂は、時間帯で男女交替となります。
Img_5985 そしてこちらが男女別の露天風呂です。開放感はありませんが、緑に囲まれて気持ちがいいです。
Img_6014 夕食は部屋食でいただきます。一つひとつお料理が運ばれてきます。美味しいのはあたりまえ、見た目も美しいです。
Img_6017 千曲川産の鮎の塩焼きです。
Img_6019 牛乳プリンと水ようかん。夏らしいデザートで、見た目も大正ロマン風で綺麗です。
Img_6032 朝食でございます。
Img_5989 敷地のなかにある「山花苑」という庭園です。
Img_5991 鋳物製の灰皿も、なかなかいい味を出してます。
Img_5995 水車小屋まであります。
Img_5999 防火用のバケツ。
Img_6030 どこを撮っても絵になるので、切りがないのでこのへんで。
 手入れの行き届いた庭園のなかに広がるレトロな建物、広々とした浴室に豊富な掛け流しのお湯、お料理もおいしく、従業員の「お・も・て・な・し」も心地よいです。部屋を選べば意外とリーズナブルなお値段で泊まれ、ぽん太の評価は5点満点。皆さんにもぜひお勧めしたい宿です。

2013/10/09

【歴史散歩】上田市丸子の木曽義仲ゆかりの地など

Img_5952 今年の8月のことですが、信州は上田市の丸子付近を走っていたぽん太の目に飛び込んで来たのは、「木曽義仲挙兵の地」の看板。え!?義仲が挙兵した所って……木曽じゃないの?
 確か木曽の宮ノ越に旗挙八幡宮(はたあげはちまんぐう)というものがあったはず(さわやか信州旅.net)。ここが挙兵の地だとぽん太は思ってました。よくわかりませんが、とりあえず観光、観光。
Img_5956 まずは「正海清水」です。田んぼのなかの一角で、現在は清水は湧き出ておりませんが、なんとなくじくじくしております。
Img_5955 こちらが案内板。
Img_5958 こちらは「高築地館跡」。
Img_5959 案内板によると、平家討伐のため義仲をこの地に招いた豪族・依田次郎実信の居館跡と伝えられているそうです。
Img_5961 「小鍋立の湯跡」です。消えかけた案内板によると、以前にはここに鉱泉宿があったのだそうです。
Img_5962 いまでも濁った水がたまってます。
Img_5964 その隣りにある「黒地蔵」。いわれはよくわかりません。
 なんか、あまり、義仲との関連性が明らかではありませんが、こちらの上田市役所のサイトをみると、ほかにも木曽義仲ゆかりの地は多数あるようです。
 で、義仲が旗揚げをしたのはどこだったのかという疑問ですが、Wikipediaには、「義仲は…小県郡依田城にて挙兵する」と書かれており、やはり丸子が旗揚げの地のようですが、いまだ議論があるようです。

Img_5950 さて、木曽義仲とは関係ありませんが、そのほか訪れたところのご紹介です。こちらは「法住寺虚空蔵堂」。国指定の重要文化財ですが、残念ながら修復中で見学できませんでした。
Img_5965 こちらは生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)です。公式サイトはこちらです。
 御祭神は、生島大神 (いくしまのおおかみ)と足島大神 (たるしまのおおかみ)ですが、これらの神様についてはぽん太はよく知りません。ぐぐってみても、あまり詳しい情報がないようです。今後のみちくさの課題にしたいと思います。
Img_5968 こちらは境内にある歌舞伎舞台。江戸〜明治期に造られたものだそうです。
Img_5970 舞台の下の回り舞台の装置。
Img_5967 歌舞伎舞台の内部には、古文書が展示されておりました。なかでも「武田信玄願文」は、武田信玄が上杉謙信との戦いの勝利を祈願したもので、信玄の自筆と言われており、国の重要文化財に指定されております。

2013/10/08

【オペラ】退廃的な演出じゃ美声に酔えません「リゴレット」新国立劇場

 先日、ミラノ・スカラ座来日公演で、レオ・ヌッチの名人芸を観たばかりの「リゴレット」。あれを観たあとでは少々分が悪いですが、新国立も新制作の舞台。ふふふ、楽しみです。特設サイトはこちら、公式サイトはこちらです。
 こんかいの舞台の演出は、以前に新国立の「ヴォツェック」を演出したアンドレアス・クリーゲンブルク。不気味でおどろおどろしい演出が、ベルクのオペラにピッタリでしたが、ヴェルディにはどうでしょう?
 結論から言うと、ぽん太は少し不満が残りました。カーテンコールにクリーゲンブルクが出て来たら、ブーイングも出るんじゃないかな(出て来なかったですけど)、などと思ったのですが、ついついスカラ座と比較してしまったからでしょうか。
 で、どこが不満だったかというと、「リゴレット」が、モラルの崩壊した退廃的な世界として描かれているところです。現代の大都市のホテルが舞台となっているのですが、廊下を何人もの下着姿の女性が、荷物や靴を抱えて、うなだれながらウロウロしてます。暴行された女性たちでしょうか。第三幕の舞台はそのホテルの屋上で、人々がホームレスのような生活をしています。
 マントヴァ公爵も、快楽を求める刹那的人間として描かれます。行方不明になったジルダを案じて歌う『あの娘の涙が見えるようだ』も、痣だらけで口から血を流した下着姿の女性を乱暴に抱きしめたりしながら歌われます。こうして、マントヴァ公爵とジルダが愛を歌い上げる2重唱『それは心の太陽』も肉体だけが目当てに女をたぶらかす歌となり、第3幕の有名な「女心の歌」も退廃的でおぞましい歌となってしまいます。

 すると観客は、これらの有名なアリアに聞き惚れて拍手喝采をおくる、というわけにはいかなくなってしまいます。確かにマントヴァ公爵は女好きで節操がないですが、一つひとつの恋にはそれなりに真剣で、ちょっといい男という設定でないと、これらのアリアに酔えないのです。
 しかし、オペラ「リゴレット」の原作であるヴィクトル・ユーゴーの戯曲『王は愉しむ』Le Roi s'amuseが、フランス国王・フランソワ1世を主人公とした過激な内容で、初演の翌日に上演禁止となったことを考えれば[1]、クリーゲンブルクの演出の方が原作に近いのかもしれません。なお『王は愉しむ』は、『王者の悦楽』というタイトルで翻訳されているようですが(『ユーゴー全集 4 戯曲』本の友社、1992年)、現在アマゾンでも取り扱っていないようです。ぽん太は図書館で入手いたしました。他に翻訳があるのかどうか、よくわかりません。

 舞台上に数階建てのフロアがあり、階段でつながっている舞台装置は、5月の「ナブッコ」とかぶってます。新国立のスタッフが教えてあげなかったのかしら。おまけに回転するとギシギシと音をたてるのが耳障りでした。
 リゴレットのマルコ・ヴラトーニャは初めてでしたが、ガタイがよくて「怪人」という印象。力強い歌声でしたが、レオ・ヌッチのような哀愁はなし。演出家の指示でしょうけれど、アリア『悪魔め、鬼め』Cortigiani, vil razza dannataで、「マルッロ、あなたは優しい心の持ち主だ…」と慈悲を乞う場面でも、マルッロにすがる演技はせず、観客に向かって歌ってました。アリアをきっちり聴かせるという意図かもしれませんが、演劇性は薄れました。
 ジルダのエレナ・ゴルシュノヴァも初めてですが、新国立定番の美人キャストシリーズか。スタイルもよかったです。高音もしっかり出てましたが、ちょっと慎重に歌っている感じで、ぽん太を酔わせるには到りませんでした。マントヴァ公爵のウーキュン・キムは、新国立の「椿姫」のアルフレードを歌ったのを聴いたことがあります。甘いきれいな声で、前回は声量に欠けた気がしましたが、今回は朗々とした歌声でした。前回は席が悪かったのかも。スパラフチーレの妻屋秀和、声はいつもながら素晴らしかったですが、風貌が殺し屋というよりは怪しいおじさんという感じで、モノマネ芸人のゆうたろうを思い出しました(ごめんなさい)。モンテローネ伯爵の谷友博の呪いも迫力がありました。


新国立劇場2013/2014シーズンオペラ オープニング公演
《新制作》「リゴレット」
ジュゼッペ・ヴェルディ
2013年10月6日、新国立劇場オペラ劇場

指 揮:ピエトロ・リッツォPietro Rizzo
演 出:アンドレアス・クリーゲンブルクAndreas Kriegenburg
美 術:ハラルド・トアーHerald Thor
衣 裳: ターニャ・ホフマンTanja Hofmann
照 明: シュテファン・ボリガーStefan Bolliger
舞台監督: 村田健輔Murata Kensuke

リゴレット:マルコ・ヴラトーニャMarco Vratogna
ジルダ:エレナ・ゴルシュノヴァElena Gorshunova
マントヴァ公爵:ウーキュン・キムWoo-Kyung Kim
スパラフチーレ:妻屋秀和Tsumaya Hidekazu
マッダレーナ:山下牧子Yamashita Makiko
モンテローネ伯爵:谷 友博Tani Tomohiro
ジョヴァンナ:与田朝子Yoda Asako
マルッロ:成田博之Narita Hiroyuki
ボルサ:加茂下 稔Kamoshita Minoru
チェプラーノ伯爵:小林由樹Kobayashi Yoshiki
チェプラーノ伯爵夫人:佐藤路子Sato Michiko
小姓:前川依子Maekawa Yoriko
牢番:三戸大久Sannohe Hirohisa

合唱指揮:三澤洋史Misawa Hirofumi
合 唱:新国立劇場合唱団New National Theatre Chorus
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団Tokyo Philharmonic Orchestra
芸術監督:尾高忠明Otaka Tadaaki

[1]http://ja.wikipedia.org/wiki/リゴレット

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