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2014年1月の12件の記事

2014/01/29

【登山】変化に富む低山歩き/高鈴山・御岩山(日立アルプス)

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 茨城県の日立市の西側にそそり立つ稜線がある。秋になるとセンブリの花が咲き乱れ、花の百名山に数え上げられた高鈴山、そしてその岩峰が信仰の対象となり、またロッククライマーたちを呼び寄せる御岩山など、変化に富んだ景観が広がる。人はそれを「日立アルプス」と呼ぶ。
 ということで、茨城の旅の二日目、本日も好天だったので、ネットで見つけた日立アルプスに登りました。「日立アルプス」というのは地元のハイキングクラブ「のんびり」の命名だそうで、気軽に登れる600メートル級の稜線です。全山縦走は時間的に無理なので、最高峰の高鈴山を含む一部を周回コースを選択しました。

【山名】高鈴山(623.3m)、御岩山(492m)
【山域】日光・那須・筑波
【日程】2014年1月16日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】晴れだけどとても寒い
【ルート】もとやま自然の村駐車場10:52…高鈴山11:43…御岩山12:17…もとやま自然の村駐車場13:27

(※3D地図や当日の天気図などは「山行記録のページへ」をクリック)
【マイカー登山情報】もとやま自然の村に広い駐車場があり、管理人さんにひと声かけて停めることができます。トイレもあり。ただし県道36号から自然の村までの道は、舗装はされてますが途中から細くなり、普通車では切り返しが必要なカーブが何回かあります。
 トイレが必要なければ、県道沿いのあかざわ山荘の駐車場も利用できます。
 また、今回の周回路の場合、国土地理院の地図を見ると、県道からショートカットしてもとやま自然の村に行く林道(車は通行止めです)があるようなので(未確認です!!)、日鉱記念館の駐車場を利用させていただいて、ショートカットしてもとやま自然の村に入る方法もあるかもしれません。
【山行URL】ハイキングクラブ「のんびり」のホームページ:地図や案内があります。
 ただ、実際に登ってみると細かな脇道がいくつもあるようで、それらが記載された地図は、ぽん太はネット上で見つけることができませんでした。

Img_7746 もとやま自然の村の駐車場に車を停め、登山の準備をしていると、音を聞きつけたのか、ワンちゃんがお出迎え。う〜ん、これは人懐っこすぎます。
Img_7750 まずはキャンプ場のなかを登っていき、キャンプ場が終わりかけたところで案内板に従って左折して小川を渡ると、ようやく登山道となります。登山道といっても廃道となった林道で、広くてなだらかな道です。
 稜線に出ると反対側から来た林道にぶつかりますが、こちらの林道は現役で使われているようです。ここからの登山道は写真のような舗装道路。
Img_7751 あっけなく山頂に到着。冒頭の写真のような電波塔(?)があるので、道が整備されているのでしょう。寒かったですがとてもいい天気で、雪を冠った日光方面の山が見渡せました。
Img_7754 稜線を御岩山に向かいます。写真のような案内板があり、御岩山に直登するルートは通行禁止になっておりました。巻道を通り、引き返すような形で山頂に向かいます。
Img_7757 白木に墨で書かれた「御岩山山頂 賀毗禮之高峯」(かびれのたかみね)という案内板がありました。山の西側にある御岩神社(公式サイトはこちら)ゆかりの修験の山なんだそうです。最高地点は、この立て札より少し南に位置するようです。
 写真を撮ったりしていると、普通の服装のカップルが登ってきました(女性はコートにパンプス)。パワースポットの洞窟があると聞いて、御岩神社から登って来たそうです。ちょっと一緒に探してみたんですが、それらしきものは見つかりませんでした。帰ってからぐぐってみると、天岩戸というものがあるようなのですが(例えばこちら)、正確な位置はわかりません。
 さて、岩戸山から北へさらに稜線を辿って行くと、やがて舗装された林道に出ます。10mくらい左(西)へ行くと、神峯山へ続く登山道があります。そこを登って少し行くと、案内板があって、日立鉱山に日鉱記念館へと下る道への分岐があります。急な坂を下って行くと林道に出て、やがて舗装道路となります。道は神社の裏手を通りますが、入り口は反対側にあるようです。帰ってからぐぐってみると、「日立鉱山神社」だそうで(例えばこちら)、祭神は案の定、金山彦命(かなやまひこのみこと)のようです。鉱山にある神社は、この神様を祀っているものが多いです。
 舗装道路をどんどん下って行くと、日鉱記念館の前に出ます(公式サイトはこちら)。ちょっと見てみたかったのですが、寒そうにしているにゃん子が機嫌をそこねるといけないので、言い出すことができませんでした。
 日立鉱山は、銅鉱と硫化鉄鉱を産出した鉱山で、近代産業史に大きな足跡を残しましたが、一方で深刻な労働問題や鉱毒問題を引き起こしたそうです。Wikipediaの日立鉱山日立鉱山の鉱害問題の項目をご覧下さい。
Img_7761 日鉱記念館からは、車が行き交う県道を下って行きます。途中で右に入る林道(車は通行止め)があり、恐らくもとやま自然の村に通じていると思われます。今回は冒険はしませんでした。県道の真ん中に立派な杉の木が聳えておりました。本山の一本杉と呼ばれているそうです(例えばこちら)。かつてはこのあたりに杉の大木が林立しておりましたが、鉱山の開発に伴って伐採され、守り神としてただ一本残っているのがこの杉だそうです。
Img_7763 もとやま自然の村で再びワンちゃんに挨拶し、車を回収。帰途、巨大な煙突が目に入りました。手前の太い煙突は、鉱石の精製で発生する亜硫酸ガス(足尾鉱毒事件やロンドンのスモッグでも有名)の対策として大正2年(1913年)に作られたものですが、まったく効果がなかったため、地元では「阿呆煙突」と呼ばれているそうです。そこで翌年、「高い所からまき散らせば拡散するだろう」という画期的な発想のもと、奥にある細い煙突が作られたそうです。福島第一原発の、高濃度放射線汚染水をそのまま流すといけないが、基準濃度以下になるように薄めて排出すればいいという発想(排出される放射性汚染物質の量は同じですよね)に似てますね。煙突に続く万里の長城のような回廊が、蛇のようで不気味ですね。この煙突は平成5年(1993年)に強風によって下1/3を残して倒壊し、補修されて現在に到っているそうです(例えばこちら)。
 ところで話しはまったく変わりますが、なぜ福島原発による放射能汚染には、「公害」という言葉を使わないのでしょうか。企業活動によって深刻な環境汚染を引き起こしたわけですから、水俣病やイタイイタイ病、光化学スモッグなどのような公害なのではないかとぽん太は思うのです。少しぐぐってみると(「福島原発告訴団」代理人に聞く・・・なぜ東京電力を「公害罪」で刑事告発したのか?)、公害と認定されると公害罪の対象となるようですが、狸のぽん太には難しくてよくわかりません。

Img_7766 帰りに、おいしいお魚を求めて「久慈浜おさかなセンター」(→公式サイト)に寄りました。そこにあった「みなと寿し」で地魚を使った海鮮丼をいただきました(→食べログ)。美味しゅうございました。
Img_7768 久慈浜の駐車場に車を停め、しばし打ち寄せる波を見つめてから、帰途につきました。
 なお、御好評いただいた冬の低山シリーズですが、寒くて辛いくせに面白くないとにゃん子の不興を買い、今回で中止となりました。しばらくスキーに専念する予定です。春になりましたらお会いしましょう。

2014/01/28

【オペラ】壇蜜より色っぽい?ケモクリーゼの「カルメン」新国立劇場オペラ

 新国立オペラの「カルメン」。公式サイトはこちらです。
 なんといってもカルメン初役というケテワン・ケモクリーゼが「見もの」でした。若くてスタイルもよくて美人。グルジア生まれとのことでヨーロッパ南方系の容姿で、スペイン人っぽく見えました。カルメンというと、貫禄ある妖艶なおばちゃんが多いですが、ケモクリーゼのカルメンは「ズベ公」という言葉ぴったり。とっても色っぽいですが、女工がいきなり工場の昼休みに、股開いたりパンツ見せたりするものかと思いました。歌も地声を混ぜて表情たっぷり……と思ってたのですが、ちょっと地声が多すぎます。よく聞いていると、実は低い声が苦手で、地声でごまかしているような気がしてきました。演技力も大切ですが、やはりオペラですから、しっかりとした発声でアリアを歌い切ってもらいたいと思いました。まだ若いので今後に期待。しっかりと低い声が出るようになった頃は、身体もぶっとくなってたりして。
 ケモクリーゼを聴くのは初めてだと思ってましたが、自分のブログをググってみたら、ミラノ・スカラ座の「リゴレット」でマッダレーナ(殺し屋の妹)を歌ってたじゃん。ううう、覚えてません。
 ドン・ホセのガストン・リベロは、とても甘くのびやかな歌声で、ぽん太の好きなタイプの声でした。今度はイタリア・オペラを聴いてみたいものです。カルメンを殺した後の茫然とした表情が、目を見開いたまま死んでいるカルメンとともに、とても印象に残りました。
 エスカミーリョのドミトリー・ウリアノフは、ホール全体が鳴り響くような迫力あるバスで、ガタイも立派。ただ、遊び人っぽい色っぽさには欠けていて、まるでプロレスラーのように剛毅な感じ。「闘牛士の歌」もテンポが速く、細かいニュアンスの表現はほとんどなくて、最初から最後まで一気に歌い切ってしまい、期待していたアリアだけに、ちょっと拍子抜けしました。このテンポ設定はウリアノフの希望なのか、それとも指揮者の指示でしょうか。こんどはウリアノフの地響きするような声で、ロシア物やワグナーを聴いてみたいです。
 日本勢も大健闘で、前回の「ホフマン物語」に続き清楚な女性を歌った浜田理恵、スニガの妻屋秀和、平井香織と清水華澄の「カルタの三重唱」など、それぞれ良かったです。新国立バレエ団にも拍手!
 アイナルス・ルビキスの指揮は、序曲を筆頭に、ところどころテンポが早すぎるように感じました。序曲も速くてバタバタしてたし、「闘牛士の歌」が一本調子になってしまったのは先に書いた通り。「ジプシーの踊り」でもケモクリーゼの歌とオケがばらばらになってました。
 この演出はぽん太は2回目ですが、オーソドックスで悪くはないけど、目新しさも感じられないといったところでしょうか。
 ところで、こんかい初めて気がつきましたが、ミカエラという女性は、ホセの母親の言葉や様子を伝えるだけで、「自分が」ホセを愛しているとは一言も言わないのですね。つまりミカエラは劇中の清楚キャラクターとは異なり、「純愛」の象徴ではなくって、実際は「母親的な愛情」あるいは「家族制度」を表していることになりそうです。


オペラ「カルメン」/ジョルジュ・ビゼー
Carmen/Georges Bizet
2014年1月26日
新国立劇場オペラパレス

指揮:アイナルス・ルビキス
演出:鵜山 仁
美術:島 次郎
衣裳:緒方規矩子
照明:沢田祐二
振付:石井 潤

カルメン:ケテワン・ケモクリーゼ
ドン・ホセ:ガストン・リベロエス
カミーリョ:ドミトリー・ウリアノフ
ミカエラ:浜田理恵
スニガ:妻屋秀和
モラレス:桝 貴志
ダンカイロ:谷 友博
レメンダード:大野光彦
フラスキータ:平井香織
メルセデス:清水華澄

合 唱:新国立劇場合唱団
児童合唱:TOKYO FM 少年合唱団
ダンサー:新国立劇場バレエ団
 竹田仁美、楠元郁子、今井奈穂、大湊由美、島田沙羅、鈴木 優
 小柴富久修、八木 進、林田翔平 福田紘也(男性ダンサーは交替出演)
管弦楽:東京交響楽団

2014/01/25

【温泉】脳に効く真っ赤な鉄泉と美味しいキンキの塩焼き/湯の網温泉鹿の湯松屋(★★★)

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 これまで茨城県の温泉はあまり行ったことがなかったのですが、ネットでまっ茶っちゃのお湯とキンキの塩焼きを見て、湯の網温泉鹿の湯松屋さんに泊まることにいたしました。宿泊日は1月中旬です。公式サイトはこちらです。
Img_7745 茨城の山里にある農家のような佇まい。
Img_7709 こちらが宿の正面です。モルタルの古びた建物という感じです。ん?看板もないのかな?
Img_7711 玄関の上に地味にありました。
Img_7708 こちらの倉庫(?)は、なかなか風情がありますね。
Img_7744 広い敷地の中に建物が点在していて、あちこちに中庭があります。
Img_7715 こちらが今回泊めていただいたお部屋です。二間続きの和室で、離れのような独立した建物になってます。田舎に帰省したような気持ちになってきます。
Img_7716 テレビは一時間100円也。な、懐かしいですね。
Img_7723 さて、いよいよ温泉です。入り口には立派な看板がかかっています。浴室は一つしかなく、「男」「女」の札をかけて適当にはいります。貸し切りも可です。
Img_7738 まっ茶っちゃのドロドロです。透明度5cm。ただ、底にオリが沈殿している感じはありません。色のわりに鉄味はせず、ちょっと昆布っぽいにおいがします。お湯は循環しているようです。浴槽はポリ製。浴室はタイル張りで、写真右側のちょっとした壁龕(へきがん)など、ローマ風になってます。絵は、鹿の湯にちなんで鹿ですかね。
Img_7740 水色に塗られた木の窓枠や天井は、ちょっとコロニアル風です。
Img_7743 細かい所の意匠も可愛らしいですね。
Img_7741 湯気抜きから入ってくる淡い光も心地よいです。
Img_7739 効能書きの古めかしい看板。いきなり「脳」と「神経衰弱」になってます。珍しいですね。ぽん太は初めてです。ちょっとぐぐってみると、こちらのサイトに、「不眠症・ノイローゼ・うつ病・ストレスに効く温泉」として、濁川温泉@北海道、湯ノ又温泉@秋田、微温湯温泉@福島、小砂温泉@栃木、中房温泉@長野、白浜温泉@和歌山、有福温泉@島根、法華院温泉@大分があがってます。これ以外に定義温泉@宮城も有名ですね。泉質に特に共通点はなさそうです。泉質よりも、「こういう人たちを受け入れようという気持ち」があるかどうかが重要なのかもしれません。

Img_7724 温泉分析書です。泉質は、含鉄(II)-ナトリウム・カルシウム-塩化物・炭酸水素塩冷鉱泉とのこと。Fe2+が52.7mg/kgというのはかなり高いと思います。湧出量26ℓ/minとなってますが、泉温13.6度ということからわかるようにこれが掛け流されているわけではなく、動力でくみ出したものをどこかに一度溜めて、加温していると思われます。加水・加温等の情報の表示が見つからなかったので、よくわかりません。
Img_7728 夕食は、部屋食でいただきました。この旅館は様々なお料理のプランがあるようですが、刺身が好きだけど沢山はたべれないぽん太とにゃん子は、「定番料理」でカニをなしにして、その分お刺身を増やすという我がままをきいていただきました。新鮮なお刺身に舌鼓。煮物も甘めの味付けで美味しかったです。
Img_7732 キンキの塩焼き丸ごと一匹がつくのが、この宿の売りです。「これって唐揚げの間違いじゃないの」とぽん太は思ったのですが、脂がのっているため、まるで唐揚げのように焼き上がるんだそうです。ごっつくみえる頭からパリパリと食べることができました。
Img_7735 こちらが朝食。生卵がとっても新鮮でした。
 真っ赤な鉄泉とキンキの塩焼きの得点が高く、田舎に帰ったようなのんびりした時間をすごせます。宿泊料金を考えるとコスパはかなり高いかと思います。ぽん太の評価は「ややよし」の3点。

2014/01/23

【歌舞伎】巳之助の演技と良くできた脚本が泣かせます「上州土産百両首」2014年1月浅草公会堂

 第1部、第2部と続けて観てきました。なかなか見応えがあり、若さあふれる舞台で、「お客さんを楽しませよう」という気持ちが伝わってきました。公式サイトはこちらです。
 いちばん印象に残ったのは、「上州土産百両首」でした。とにかく脚本がよくできてます。10年後に再会する約束をしたとき、いったいどうなっているだろうと展開を考えてみたのですが、ぽん太にはまったく予測ができませんでした。そうして二人が再会してからも、さらに牙次郎が自分をだましたと正太郎が疑うというひとひねりが加わってます。登場人物一人ひとりのキャラがしっかりしており、それぞれが自分の考えに従って行動するうちに、物語が自然に展開して大団円と集結していきます。
 最初の浅草観音の雑踏での出会いとか、最後の捕り物での立ち回りなども、歌舞伎らしい雰囲気がよく出てます。兄貴分と、ちょっと頭の足りない弟分という人間関係はちょっと近代的ですが、牙次郎が切々と心情を訴えるところは、伝統的な「くどき」と言えるでしょう。細かい演出もよく練られていて、正太郎が牙次郎に二文しか入ってない財布を返す時、団扇でさっとすくって、ピンと弾く動作などもカッコよかったです。
 「上州土産百両首」の脚本は川村花菱(かわむら かりょう:1884年 - 1954年)という人だそうです。歌舞伎人の猿之助のインタビュー(こちら)によると、昭和8年(1933年)9月に東京劇場で初演された作品で、オー・ヘンリーの短編が元になっているそうです。調べてみると「二十年後」(After Twenty Years)という作品のようで、こちらで枯葉さんによる私訳を読むことができます。とっても短い作品で、比べてみると設定を借りたというだけで、川村花菱による創作が大部分のようです。
 そして巳之助の演技にもびっくりしました。こんなに演技がうまいとは知りませんでした。三津五郎のDNAが活動し始めたのでしょうか。軽度精神発達遅滞はあるけれど、いや、あるがゆえに人一倍純真で真実を述べる牙次郎ですが、滑稽になりすぎず、真面目さと誠実さが伝わって来て、ぽん太もちとウルウルしてしまいました。セリフ回しもうまいし、間の取り方も絶妙でした。猿之助を完全に食っていました。
 二年振りに「猿之助」と名前を変えて浅草歌舞伎に戻って来た亀治郎、主役としての自身にあふれた見事な演技でした。スリの親分でありながら自省的で実はけっこういい人の金的の与一を演じた男女蔵、根っからの悪者で嫌な奴のみぐるみ三次の役の亀鶴、対照的な人物をそれぞれ好演。吉弥、寿猿、門之助のベテラン勢がしっかりした仕事で脇を固めてました。おそでの梅丸はセリフがまだまだで今後に期待。
20120115_154112 二人が再会する舞台となった待乳山聖天は、平成中村座があった山谷堀広場のちょっと西にあります。ぽん太は以前に訪れたことがありますが、そのときの記事はこちらです。
 「義賢最期」は愛之助の芸と身体能力を堪能。戸板倒しや仏倒しなどを含む立ち回り、お見事でした。百姓九郎助を演じた役者さんの嵐橘三郎というお名前は今回初めて意識したのですが、歌舞伎俳優名鑑を見ると、昨年11月歌舞伎座の『仮名手本忠臣蔵』斧九太夫で幹部昇進した俳優さんだそうです。いぶし銀の名演技でした。
 ところで、この芝居の松で手水鉢を割る下り、いまだに意味がわかりません。そのうち脚本をみちくさしてみたいです。
 第2部最初の「博奕十王」は、地獄を舞台にした愉快な踊り。音楽方や黒衣さんも額に三角の布をつけて登場。猿之助が観客をおおいに沸かせました。
 「新口村」は、ぽん太ごひいきの壱太郎の芸の見せ所でした。傾城の色気よりは、義父を思う齢若い嫁の心情が心を打ちました。愛之助はまことに美しい忠兵衛でしたが、関西風のはんなりした香りは漂って来ず、ダメ男の情けなさも感じられませんでした。売出中で上り調子さなかですから、まだ仕方ないのかもしれません。橘三郎の孫右衛門のは、田舎の実直で義理堅い父親という感じで、なかなか良かったです。目隠しを取った孫衛門と忠兵衛が泣きながら抱き合う場面、昨年父を看取ったばかりのぽん太は、涙が止まりませんでした。吉弥はしっかりと仕事。
 ただ、家のセットが引かれて出て来るのは、この静謐なドラマをちょっと嘘っぽくしてしまうように感じました。
 最後は踊り二連発。前半は壱太郎、米吉、梅丸の女形の華やかな踊り、後半は歌昇、種之助、隼人の勇壮な毛振りでした。


浅草公会堂
新春浅草歌舞伎
平成26年1月22日

第1部

お年玉〈年始ご挨拶〉
    中村 歌 昇

源平布引滝
一、義賢最期(よしかたさいご)
   
    木曽先生義賢 片岡 愛之助
    九郎助娘小万 中村 壱太郎
    待宵姫 中村 梅 丸
    百姓九郎助 嵐  橘三郎
    葵御前 上村 吉 弥
    下部折平実は多田蔵人 中村 亀 鶴

二、上州土産百両首(じょうしゅうみやげひゃくりょうくび)
   
    正太郎 市川 猿之助
    牙次郎 坂東 巳之助
    勘次女房おせき 上村 吉 弥
    宇兵衛娘おそで 中村 梅 丸
    亭主宇兵衛 市川 寿 猿
    みぐるみ三次 中村 亀 鶴
    金的の与一 市川 男女蔵
    隼の勘次 市川 門之助

第2部

お年玉〈年始ご挨拶〉
    中村 壱太郎
   
一、博奕十王(ばくちじゅうおう)
   
    博奕打 市川 猿之助
    獄卒 市川 弘太郎
    同 市川 猿四郎
    閻魔大王 市川 男女蔵

恋飛脚大和往来
二、新口村(にのくちむら)
   
    亀屋忠兵衛 片岡 愛之助
    傾城梅川 中村 壱太郎
    孫右衛門 嵐  橘三郎
    忠三郎女房 上村 吉 弥

三、上 屋敷娘(やしきむすめ)
  下 石橋(しゃっきょう)
 
  〈屋敷娘〉     
    お春 中村 壱太郎
    お蝶 中村 米 吉
    お梅 中村 梅 丸
  〈石橋〉     
    獅子の精 中村 歌 昇
    獅子の精 中村 種之助
    獅子の精 中村 隼 人

2014/01/21

【登山】巨岩・奇岩がご〜ろごろ。信仰の山・竪破山(たつわれさん)@茨城

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 冬の低山シリーズ、今回は茨城県は北茨城市の竪破山です。黒前神社(くろさきじんじゃ)のある信仰の山ですが、巨石・奇岩が散在しているので有名です。太刀割石、神楽石、甲石(堅破和光石)、舟石、胎内石、畳石(腰掛け畳石)、烏帽子石と、不動滝(奈々久良滝)、剣滝、龍馬滝をあわせて、七奇石三瀑と呼ぶそうです。標高600メートル台の低山ですが、なかなか楽しめる山でした。

【山名】竪破山(658.3m)
【山域】日光・那須・筑波
【日程】2014年1月15日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】晴れだけどとても寒い
【ルート】二の鳥居12:43…黒前神社13:20…竪破山山頂13:33…胎内岩13:39…奈々久良滝14:20…二の鳥居14:53

(※3D地図や当日の天気図などは「山行記録のページへ」をクリック)
【マイカー登山情報】北側の国道461号からアプローチしました。一の鳥居の数キロ手前までは舗装された快適な道路ですが、そこから先はすれ違いも困難な未舗装の林道となります。轍は大したことありませんが、所々に雨水を逃がすための溝が道路を横断しており、これがかなり深いので、普通の乗用車では底をすってしまって進入不可能と思います。RV車なら、一の鳥居をさらに右折して、二の鳥居のところまで入れます。ここに十台以上停められる駐車スペースがあります。ここには、バケツで前の小川から水を汲んで流すという、アジアンテーストのトイレもあります。

Img_7702 一の鳥居です。金属製です。垂れ下がった注連縄が特徴的です。
Img_7703 鳥居の傍らに石仏がありました。「文化14」という文字が見えるので1816年に作られたものでしょうか。三面六臂で憤怒の表情。明王のようですが、正確な名前はぽん太にはわかりません。
Img_7608_2 第二駐車場のところにある案内板です。ルート図と、竪破山・黒前神社のいわれが書いてあります。転記するのは面倒なので、各自ご覧下さい。要するに、崇神天皇の時代の黒坂命(くろさかのみこと)の蝦夷征伐と、平安時代の八幡太郎義家の奥州遠征に関係しているようです。Wikipediaによると、黒坂命は『常陸国風土記』に出てくる武人で、紀元前80年頃に蝦夷の征服を行ったそうな。『古事記』や『日本書紀』には出てこない土着の神様のようです。
Img_7608_2 竪破山にある名勝の案内です。こちらも各自ご覧下さいませ。
Img_7612 二の鳥居です。こちらは木製でかなり風流な出で立ちです。左の石碑には「大山大神」と書かれています。これも『古事記』や『日本書紀』に出てくる大山祇神(オオヤマツミ)とは違うんでしょうね。土着の山岳信仰かもしれません。
Img_7614 登り始めてすぐのところに、「後生車」というものがありました。天気輪(てんきりん)、天気柱(てんきばしら)などとも呼ばれ、東北地方の寺や墓場の入り口付近に置かれていて、輪を回すことによって死者に呼びかけたり、吉凶や天気を占ったり、百度参りに使用したりするそうです([2]Wikipedia)。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』(青空文庫)には「天気輪」が出てきますし、また太宰治の『思ひ出』に(青空文庫)は、墓地にある黒い輪のついた卒塔婆が出てくるそうです。
Img_7615 石碑です。ぽん太には読めません。
Img_7616 登山道の両側は、杉林が続きます。あまり手入れされてないようにも見えますが、いわゆる材木用の植林地ではなく、「鎮守の森」なのかもしれません。
Img_7619 不動石です。「七奇石三瀑」には入ってません。流れ落ちる清水が凍ってすごいことになってます。上にある石仏は……
Img_7622 その名のとおり不動明王ですね。なんか顔のあたりが不鮮明ですね。
Img_7624 烏帽子石です。
Img_7630 手形石です。「七奇石三瀑」には入ってません。
Img_7632 畳石です。
Img_7635 炭焼き小屋跡です。案内板には、「これは昭和二十五年(1950)頃  いた炭やき釜です。」と書かれています。
Img_7642 弁天池です。
Img_7641 傍らには祠がありました。
Img_7643 また鳥居があり、石段の先に随身門が見えます。
Img_7644 神社ですから、「山門」ではなく「随身門」で、中には「随身」が祀られてます。
Img_7649 ところがその裏側の普通では見えない空間に、仁王様が隠されてます。現在は覗き穴がついていて、見ることができます。こちらは向かって左側です。廃仏毀釈から逃れるために仁王像がここに隠された……と、どこかのサイトに書いてあったような気がします。昔は仁王門だったのですね。阿吽の「吽」です。素朴なデザインが素敵です。
Img_7647 向かって右側。「阿」です。
Img_7653 石段の上にはちょっとした平地があり、黒前神社の境内になってます。
Img_7654 こちらは札所です。本日休業。
Img_7658 甲石(かぶといし)です。正面が繰り抜かれて祠となっており、中に薬師如来と十二神将が祀られているそうですが…
Img_7659 中にはお札が一枚。12のうち6つが盗まれてしまい、今は別の所に保存していあると書いてあるサイトがありました。鎖が下がっているので石の上に登れますが、神様を踏んでいるみたいで、ちょっと落ち着きません。
Img_7663 そこからさらに石段を登った所に社殿があります。皆さんは神社というと、一番手前の建物に注目するかもしれませんが、神社は一般に本殿、幣殿、拝殿からなっており、手前の建物はお参りをするための拝殿です。神様が祀られているのは、一番奥にある本殿です。
Img_7664 本殿を見るには、拝殿の横から奥に回り込み、塀の間から見るしかありません。な、な、なんと石造りです。おそらくはこの山にあった花崗岩を加工して造られたのでしょう。古くはこの山の岩が信仰の対象だったことを伺わせます。
 それから気になるのは、狛犬がいないこと。神社を守る存在として仁王像があるので、重複を避けたのでしょうか。
Img_7666 本殿の傍らに、小さな社と板碑がありますが、何なのかは不明です。
Img_7667 山頂には醜悪なる展望台が設置されています。
Img_7669 上に登るとさすがに眺めが良く、西を見ると八溝山の向こうに雪を頂いた日光の山々が見えました。もちろん東は太平洋です。
Img_7674 胎内石です。
Img_7677 石も見事ですが、傍らにある杉の老木も迫力があります。
Img_7678 黒前神社まで戻り、奈々久良滝方面に稜線を歩いて行くと、美しいブナ林があります。
Img_7683 太刀割石です。冒頭の写真もご覧下さい。水戸光圀公が名付けたんだそうです。
Img_7687 軍配石は、七奇石の番外です。地面にツライチに埋め込まれています。真ん中の細い筋が軍配っぽいですね。
Img_7691 神楽石です。ぱっかり割れた感があります。
Img_7694 奈々久良滝です。一部凍りついており、寒々しいです。剣滝、龍馬滝とあわせて三瀑と呼ばれますが、これら二つの滝がどこにあるのかは不明で、帰ってからぐぐってもわかりませんでした。
Img_7704 登山口へのアプローチの途中にある集落です。納屋あるいは倉庫と思われる木造の建物の、少し過剰なボリュームの瓦屋根が目を引きます。この集落には、このような建物がいくつもありました。

2014/01/20

【歌舞伎】上方風の情感がある藤十郎と扇雀の「山科閑居」2014年1月歌舞伎座夜の部

 役者がそろった「山科閑居」が何といっても見物でしたが、正月から忠臣蔵?という違和感は以前に書いた通り。「東慶寺花だより」もわざわざ1月に出す演目かな〜という気がして、松竹の演目編成が崩壊しつつあるのではと心配になってきます。公式サイトはこちら
 年明けの忙しさで疲れがたまっているうえ、寒いなか歩いて来て暖かい劇場の椅子に落ち着いたら、猛烈な睡魔に襲われました。ということで、今回の感想は短めです。
 「山科閑居」は、これだけの役者がそろえば面白くないはずはありません。なかでも藤十郎の戸無瀬がすばらしく、文楽人形のような非人間的な動きの美しさ、セリフの格調、存在感にいつもながらため息が出ました。なかでも扇雀の小浪を殺して自害しようとする場面では、母と娘ではありながら、小浪の力弥への思いも加わって、近松門左衛門の心中物を見ているかのような、上方風の情愛が立ちのぼりました。幸四郎が加古川本蔵でしたが、なぜか幸四郎は丸本物になると、セリフが義太夫調になって聞き取りにくくなります。家に踏み込んでの無礼な振る舞いに荒々しさがなく、悪人ぽく見えてしまうのが残念。吉右衛門の由良之助、魁春のお石、梅玉の力弥、いずれも一級品。
 「乗合船惠方萬歳」を観たのは初めてかも。常磐津にあわせて、それぞれの登場人物が様々な踊りを披露するという楽しい舞踊。一つひとつの違いが面白く、常磐津の歌い分けも見事でした。そういえば新歌舞伎座になってから人間国宝の一巴太夫をお見かけしておりませんが、体調でも悪いのかしら。芸者の児太郎が福助そっくりでかわいらしかったです。
 「東慶寺花だより」は、4年前に亡くなった井上ひさしの遺作小説をもとにした新作歌舞伎とのことでしたが、まだ脚本が練れていない感じでした。現代演劇風に演出を加えて見せるのか、歌舞伎の世話物の本道でいくのか、なんか中途半端な気がしました。一つひとつのエピソードは面白かったですが、全体的なクライマックスがないし、例えば信次郎が様々な人との出会いを通して成長するという展開もありませんでした。なんか一本調子で平板な印象でした。とはいえ、それぞれの役者陣は大健闘で、さっき書いたように一つひとつのエピソードは面白かったです。特に秀太郎のお陸と翫雀の惣右衛門のやりとりは秀逸。秀太郎の人柄からか、いやらしくならず、明るく笑えました。虎之介の美代が、まだ子供こどもしていて可愛かったです。東蔵の法秀尼は見た目はまり役。


歌舞伎座
歌舞伎座新開場柿葺落
壽初春大歌舞伎
平成26年1月19日 夜の部

一、仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
  九段目 山科閑居
   
    戸無瀬 藤十郎
    大星由良之助 吉右衛門
    お石 魁 春
    小浪 扇 雀
    大星力弥 梅 玉
    加古川本蔵 幸四郎

二、乗合船惠方萬歳(のりあいぶねえほうまんざい)
   
    萬歳 梅 玉
    通人 翫 雀
    大工 橋之助
    田舎侍 彌十郎
    芸者 児太郎
    白酒売 孝太郎
    女船頭 扇 雀
    才造 又五郎

井上ひさしの小説を新作歌舞伎に!
三、東慶寺花だより(とうけいじはなだより)
   
    信次郎 染五郎
    法秀尼 東 蔵
    柏屋主人源兵衛 彌十郎
    おぎん 笑 也
    堀切屋三郎衛門 松之助
    美代 虎之介
    おせん 孝太郎
    惣右衛門 翫 雀
    お陸 秀太郎

2014/01/18

【うどん】吉田のうどんを初めて頂きました/白須うどん

Img_7602
 富士山登山(0合目から0.8合目)のあと、これまで食べる機会がなかった吉田のうどんを食べることにしました。旅行雑誌を見るといろいろお店があるようでしたが、一番シンプルで元祖っぽい「白須うどん」さんにしました。公式サイトはこちらです。また吉田のうどんの店舗一覧はこちら。マップも付いてます。
Img_7607 こちらが店構え。暖簾もなければ店名の表示もないので、店の外観を頭に叩き込んだ上で、地図を見ながら探さないと、うっかり通り過ぎてしまいます。
Img_7605 店内もまるで普通の家で、手前にはコタツがあり、奥ではおばちゃんが孫を遊ばせてました。
Img_7603 システムはセルフサービスとのこと。こちらがメニューです。「あったかいの」と「つめたいの」の二種類しかないようです。ぽん太はお蕎麦をいただく時は必ず「もり」にして、蕎麦自体を味わうようにしておりますが、うどんの場合はどちらが本筋なんでしょうか……てなことを思いつつも、身体が冷えきっていたので、迷わず「あったかいの」を注文。煮卵をトッピングいたしました。
Img_7604 ゆで上がりました〜。けっこう量が多いです。茹でたキャベツとニンジンが乗ってます。その他にキャベツの小皿があり、使用法は不明ですが、さらにうどんに入れていただきました。食卓の上に「辛みそ」のようなものも置いてあり、味に慣れてきた後半に活躍してもらいました。聞きしに勝るコシの強さですが、噛むとうっすら塩味の旨味がにじみ出て来て、とっても美味しゅうございました。
 帰ってからWikipediaでお勉強。山梨県の粉食料理には「ほうとう」と「うどん」があるが、野菜の多いほうとうは普通の食事で、貴重な小麦を多く使ううどんは特別な料理とのこと。江戸時代には富士講の参詣者にうどんをふるまったが、専門の店舗ではなく、一般の家屋を開放してうどんを提供したなごりで、現在でも看板や暖簾を掲げずに居間を利用して営業する店が多いんだそうな。そしてあの辛みそは「すりだね」というそうです。

2014/01/15

【登山】富士山で登り初め!ただし0合目〜1合目手前まで(富士吉田登山道)

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 忍野の鱒の家に泊まった翌日、天気予報によればこの冬一番の寒波が訪れ、夕方には雪が降るかもしれないとのこと。なるべく標高の低い所を歩くことにし、歴史ある富士吉田登山道を歩くことにしました。
 
【山名】富士山(3776m)の裾野
【山域】富士・御坂
【日程】2014年1月9日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】晴れ
【ルート】北口本宮冨士浅間神社10:30…富士林道交差点12:12…北口本宮冨士浅間神社13:15

(※大きい地図や3D地図、当日の天気図などはヤマレコの記録へ)
【マイカー登山情報】北口本宮冨士浅間神社の駐車場を利用できます。でも、シーズン中は大混雑かも。また、富士急バスのループバス(時刻表はこちら)が冬季も中の茶屋まで毎日運行しているので、帰りに利用できます。ただし同じ路線を循環しているので、「中の茶屋→浅間神社」は、かなり遠回りとなります。
【参考サイト】フジヤマNAVI:富士吉田登山道の一合目から五合目までの案内があります。

Img_7586 まずは北口本宮冨士浅間神社にお参り。公式サイトはこちらです。江戸時代に関東からの富士登山の拠点だったことが伺われる、立派な社殿です。
Img_7587 拝殿の見事な彫刻と、面白い形の注連縄。
Img_7588 境内には杉の巨木が何本も生えております。
Img_7591 最初は舗装道路を登っていきます。すぐ左手にある小さな丘は大塚丘と呼ばれ、鳥居と祠があります。日本武尊がここから富士山を遥拝したという伝説が残っているそうです。
Img_7592 大塚丘のちょっと上から案内に従って右手に曲がり、登山道に入ります。以前は車が走っていたそうですが、現在は登山道として整備され、少し横に立派な舗装道路が作られています。
Img_7593 少し歩くと、処々に雪が現れます。
Img_7594 両側はかなり立派な赤松林です。天然林ではなく、江戸時代初期に、雪解け水による土石流を防ぐために植林されたものだそうです。
Img_7595 中の茶屋です。冬は営業しておりません。
Img_7596 ここから先はかなり雪が深いです。なめきってストックも軽アイゼンも持って来なかったので、足がすべって歩きにくかったです。おかげで普段使ったことのない筋肉を鍛えることができました。
Img_7597 中の茶屋のちょっと先にある馬頭観世音です。
Img_7598 12:46分のループバスに乗れるように、ここで折り返すことにしました。趣きある道ですが、途中で富士山がバーンと見える所がないのが、ちょっと残念です。
Img_7600 中の茶屋のバス停に戻った所で、浅間神社に行くには遠回りであることに気がつき、歩いて下ることにしました。歩きにくい雪道を下る気力がなくなり、舗装道路を歩いて帰りました。
 富士吉田登山道、ぽん太とにゃん子は、以前に五合目から山頂までは登りました。今回は登山口から一合目の手前まででしたが、何回かにわけてでも、いつか麓から山頂まで制覇したいところです。

2014/01/13

【宿】築200年の茅葺き屋根と美味しい鱒料理の民宿/鱒の家@忍野(★★★★)

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 世界遺産に指定された富士山のお膝元、忍野八海で有名な忍野に、築200年の古民家で美味しい鱒料理を食べさせてくれる民宿があると聞いて泊まってきました。公式サイトはこちらです。
Img_7572 建物は築200年を越える茅葺き屋根の旧家。近頃よくある移築ではなく、もともとここに建てられていたものだそうです。
Img_7582 敷地は6000坪あるそうで、庭園には池や水車もあります。
Img_7577 また、鱒を養殖している池もあり、夕食ではおいしい鱒料理がいただけます。
Img_7583 ワンちゃんがお出迎え。なにげに尾っぽを振ってますが、ちかよると突如襲って来るので、近寄らないほうが吉。
Img_7573 玄関にはお正月飾りが。
Img_7540 客室は、泊まり心地のいいように改装されています。築20〜30年くらいの感じの落ち着いた和室で、床暖房も入ってます。民宿なので、布団は自分で敷きますが、タオルや浴衣などは完備されています。
Img_7562 こちらがお風呂です。けっこう広々しています。景色がいいですが、マジックミラーかなにかになっていて、外からは見えないようになってるようです。人工の温泉になっているのは「お・も・て・な・し」かもしれませんが、東京から来たぽん太には、「忍野の自然湧水」の方がいいです。
Img_7580 この瓦葺き屋根の建物に、お風呂やトイレがあります。この建物の内装はきれいで、10年以内に改装された感じがします。

Img_7568 一回には囲炉裏のあるお部屋が。
Img_7551 夕食はこちらのお部屋でいただきました。使い込まれた漆塗りの板戸や、細かい桟が見事な障子が美しいです。
Img_7553 さて、夕食です。右手前はササミのワサビあえ。
Img_7552 ニジマスとヒメマスのお造り(二人分)です。ピンク色の方がニジマス……って、ニジマスってこんな色だっけか?聞いてみると、オキアミをエサにしていると、このような色になるんだそうです。とっても新鮮でした。
Img_7554 煮物とお漬け物。煮物は甘めの味付けが、寒い季節にはありがたいです。漬け物は野沢菜が入ってますね。
Img_7556 天ぷらです。お魚は、鱒の稚魚の唐揚げだそうです。
Img_7558 ヒメマスの塩焼きです。柔らかくて、頭からいただけます。川魚の生臭さは全くないです。
Img_7560 お蕎麦がついて……
Img_7559 〆は野沢菜入りの焼き飯です。野沢菜の塩気と香ばしさが美味です。分量的には、ぽん太とにゃん子には十分でしたが、若い人には少し物足りないかも。
Img_7564 こちらが朝食です。おかずは二人分ずつ盛ってあります。お味噌汁がとっても美味しかったです。
Img_7565 山芋が、きめ細かい泡で、とってもクリーミーでした。泡立て器でも使ったのかと思ったら、卵をいれて丁寧にすり鉢で摺るという昔ながらのやりかたじゃないと、こうならないんだそうです。
Img_7575 広い庭園を持つ茅葺き屋根の古民家が何といっても高得点。さらに新鮮な鱒のお料理も美味しいです。高額な宿が多い富士山周辺で、とってもリーズナブルなお値段で快適な一晩を過ごすことが出来ます。天然温泉ではありませんが、ぽん太の評価は4点です。

2014/01/05

【歌舞伎】いつもより余計に傾(かぶ)いております・海老蔵の「壽三升景清」2014年1月新橋演舞場

20140104_162008
 本日の観劇は海老蔵の「壽三升景清」。歌舞伎座昼の部はちょっと地味でしたが、こちらはパッと目出たい舞台が期待されます。公式サイトはこちらです。
 「壽三升景清」は、「平家物語」に登場する悪七兵景清を主人公としたものだそうです。市川家のいわゆる「歌舞伎十八番」には、「関羽」「景清」「鎌髭」「解脱」と景清が登場する狂言が4演目あり、それらを取り入れて通し狂言として新作したのが、今回の舞台のようです。「三升」というのは、市川家の門「三升」の洒落ですかね。
 「景清」という人物は、無学なるぽん太は初めて耳にしました。困った時のWikipediaを見てみると、源平時代の平家方の武将。勇猛果敢で名をはせましたが、壇ノ浦の戦いで敗れた後に捕えられ、預け先の邸で絶食して果てたんだそうな。謎の多い人物のため、さまざまな伝説が生まれたんだそうです。『平家物語』にも出てるとのことなので、そのうちみちくさしてみたいと思います。
 「歌舞伎十八番」についてもWikipedia様を見ておさらいしておくと、七代目市川團十郎(寛政3年(1791年) 〜 安政6年(1859年))が天保3年(1832年頃)に選定した演目。具体的には、『外郎売』『嫐』『押戻』『景清』『鎌髭』『関羽』『勧進帳』『解脱』『毛抜』『暫』『蛇柳』『助六』『象引』『七つ面』『鳴神』『不動』『不破』『矢の根』の十八ですね。これでぽん太は歌舞伎十八番は15/18観たことになり、あと観てないのは『嫐』『象引』『不破』の三つです。『象引』は、團十郎がやったのを見逃しました
 とはいえ、「歌舞伎十八番」のなかには内容がほとんどわからなくなっているものも多く、おそらく今回の舞台も、明治時代以降に復活上演されたものを踏まえて作られているのでしょう。
 で、舞台の感想ですが、最初から最後まで荒事のスペクタクルの連続で、パワーと美形という海老蔵のキャラクターで引っ張り通した舞台でした。勢いがあって派手でよかったですが、ストーリーがないというか中身がないというか、名場面の並列で構成されており、複雑なストーリー展開はありませんでした。また、観ていて思わず感情移入して、ほろりと涙を流すような場面もありませんでした。ちょっと出てきた話しも、景清は頼朝を倒し、戦のない平和な世の中を作ろうとしていたが、実は頼朝も同じことを考えていた〜!そうだったのか〜!というもので、ちょとおこちゃま向きレベルでした。それでもそれでも、飽きさせずに最後まで観客を引きつける力は見事。最後は巨大なエビも登場して、お〜め〜で〜と〜う〜ご〜ざ〜い〜ま〜す。いつもより余計に傾(かぶ)いております、って、なんか染之助染太郎師匠を思い出すな〜。
 また、「景清」の立ち回りシーンでは津軽三味線とコラボ。上妻宏光という人だそうです。6人の連れ弾きは迫力がありました。「解脱」でも上妻宏光がソロで登場。こちらは打って変わって静かな曲。ギターのアルペジオのような音色で、洋楽のような響きが面白かったです。
 あと、ピーピー言いながらぴょんぴょん跳ねる奴の集団。元ネタは何なんでしょう。思わず吹き出しました。
 海老蔵って、ひょっとしてこういうプロデューサー能力があるのかしら。自分で考えて人を集めてたとしたら凄いな。あとは内容ですね。
 海老蔵、美形とパワーを生かして大活躍。高音が鼻に抜ける癖もだいぶよくなってきたし、観客が苦笑するような場面もありませんでした。
 芝雀が阿古屋。阿古屋ってあの阿古屋?ググってみたらあの阿古屋でした。な〜んだそうだったのか。どうせだったら、芝雀の琴や胡弓の演奏も入れればよかったのに。まあ、でも今回は海老蔵中心だからね〜。で、芝雀の阿古屋はとても美しく、傾城としてのプライドや、夫景清のためなら拷問をも恐れないという強さが感じられました。
  獅童は入道と重忠の二役。なかでも重忠は白塗りのこしらえが美しく、最初は獅童とわかりませんでした。芝雀の阿古屋とのツーショットは、ひな人形のようでした。これはしっかり精進を重ねて行けば、二枚目役者になれるのでは。声はちょっとだみ声だけど。
 萬太郎の若武者ぶりがりりしい。新悟は余裕。廣松健闘。市蔵、家橘、友右衛門、それぞれしっかり仕事してました。
 ぽん太がはまったのは花菱屋女房おさくの右之助。ちょっと痩せたのかしら。紺に梅を散らした着物がすらりと伸びて、どこかに物悲しさが漂う立ち姿は、さながら鈴木春信の美人画のようでした。

新橋演舞場
初春花形歌舞伎
平成26年1月4日
 
通し狂言 壽三升景清(ことほいでみますかげきよ)
   
  悪七兵衛景清 市川 海老蔵
  阿古屋 中村 芝 雀
  猪熊入道/秩父庄司重忠 中村 獅 童
  梶原源太 中村 萬太郎
  梶原妹白梅 坂東 新 悟
  尾形次郎 大谷 廣 松
  うるおい有右衛門/岩永左衛門 片岡 市 蔵
  花菱屋女房おさく 市川 右之助
  源範頼 市村 家 橘
  仁田四郎 大谷 友右衛門
  鍛冶屋四郎兵衛実は三保谷四郎 市川 左團次

2014/01/04

【歌舞伎】新春なのになんか地味・2014年1月歌舞伎座昼の部

 2014年の幕開けを歌舞伎鑑賞で華やかに迎えたいという気持ちだったのですが、意外に地味でちと期待はずれでした。最初こそ「七笑い」でしたが、これはあくまでも悪役の高笑い。新春を祝う明るい笑いではありません。次の「梶原平三誉石切」も暗い印象。「松浦の太鼓」の吉右衛門は、さすがに持ち前の明るさでパッと花咲くようでしたが、でも何で1月に忠臣蔵なの?お雛様だって早く仕舞わないと婚期が遅れると言うぞ。最後の踊りも、殺された雌鳥と、雄鳥が踊るという恨みの踊りでした。なんか目出たくない。公式サイトはこちらです。
 さて、最初は我當の「時平の七笑」。ぽん太はたぶん初めて見たと思います。藤原時平の陰謀によって菅原道真の太宰府左遷が決定する評定の場を描いたものです。最後に幕が閉まってからも時平の笑いが聞こえてくるという趣向が面白かったです。ただ、見所は最後の我當の大笑いだけで、それまでは、その場面設定のための寸劇という感じでした。
 我當の演技はさすが。前半の慈愛に満ちた印象が一転して、最後に悪の本性を現してからの高笑い。その笑いも、そこいらの若手では決してできません。芝居のうまい歌六ですが、菅原道真としては品格と聡明さに欠け、好々爺といった感じで、時平に一方的に騙された上、子供たちに囲まれて泣いてました。
 「梶原平三誉石切」は、有名な演目でありながら、ぽん太はこれまであまり面白いと感じたことがありませんでした。そこで今回はあらかじめ脚本を読んでみました。白水社の『歌舞伎オン・ステージ4』に収録されているもので、底本は明治23年12月12日初日の新富座における上演台本だそうです。比べてみると、いくつかの部分が省略されていることがわかります。その結果、ドラマとしての面白さが減ってしまってるとぽん太は思いました。
 例えば今回の舞台では、梶原景時、大庭景親、 俣野景久が揃ったところから始まりますが、古い台本では、立役の大名と敵役の大名が弓矢の腕を競っている場面が最初にあります。両者はその後も何度か言い合いをすることで、対立をさらに明確にします。今日の舞台では、敵役にはセリフがありますが、立役の方はほとんどセリフも演技もありませんでした。
 また、冒頭で梶原景時が戦における神の力を讃えると、俣野景久が「武士が戦いにおいて神の力を頼むとはみっともない」と言い返します。これに対し、古い台本では梶原が坂上田村麻呂の例を引いて反論して、俣野をやりこめますが、現行台本ではこれも省略されてます。
 つまり元々の台本では、梶原と大庭の対立が明確にあって、そこで梶原が二つ胴をし損じることで面目を失うが、実は……という流れになっているのですが、原稿台本ではこうしたドラマが不明確です。
 それから、二つ胴で斬られなかった六郎太夫が自害しようとする理由について、今日の舞台では「三百両を娘婿に渡せないのでは面目が立たない」という趣旨でしたが、もともとの台本ではその前に、「小さい頃から持っていたこの刀を、人の褒めそやす言葉に乗って、名剣だと思い込んでいたことに対する後悔」が付け加わっております。そこで梶原が「この刀は実は名剣であるが、自分の技によって一人しか斬らなかった」というので、六郎太夫と梢は刀を名剣と言ってもらった(証明されてはいないが)ことに対して「ありがとうございます」と喜びます。梶原の暖かい態度に、梢は自分が源氏方であることを思わずもらしそうになりますが、六郎太夫は「源氏方と知れた上は手討ちにしてくれ」と言います。そこで梶原は自分の本心(源氏方に付いたということ)を明かします。しかし六郎太夫は「この刀が名剣だと言ってはもらえたが、その証拠が示されていないので、安物を売りつけようとしたと思われたことに反論できず、面目が立たない」と言い出します。そこで梶原は手水鉢を真っ二つにすることで名剣の証拠を示します。六郎太夫は梶原に「この刀を差し上げたい」と言いますが、梶原は「希望のお金を与えよう」と答えて、結末という流れです。
 ところが本日の演出では、先ほども書いたように、六郎太夫が自害するのは「婿にお金を渡せないから」でした。そして自害を止めに入った梶原が「(刀を)買ってやる、買ってやる」と言うのに対し、六郎太夫が「ありがとうございます」と感謝して頭を下げてました。この結果、ようするに「お金の話し」になってしまい、「普通の刀を名剣と思い込んでいた自分の愚かさ、普通の刀を名剣と言って売りつけようとしたという恥」といった主題が失われてしまいました。「金の話し」だったら、刀を買ってもらえた時点で話しは終わってしまい、わざわざ手水鉢を斬って名剣を証明する必要もなくなってしまいます。
 ぽん太には、ほかの役者がどのような演出で「石切梶原」を演じているかわからないのですが、少なくとも本日の演出は、いろいろと問題があると感じました。
 心理や状況の刻々の変化をきっちりと表現するのが得意な仁左衛門の演ずる「石切梶原」を、一度見てみたいと思いました。
 梶原景時の幸四郎、大きさや明るさに欠け、上記のように劇的構成が混乱してました。六郎大夫の東蔵、持ち前の涼やかさが邪魔して、哀れみが少なかったです。六郎太夫はぽん太は歌六の方が好きです。梢の高麗蔵、福助の代役で仕方ないのかもしれませんが、娘らしい可愛らしさがありませんでした。全体として糸に乗ってない感じで、義太夫狂言らしいリズム感がありませんでした。
 「松浦の太鼓」。なぜ1月に忠臣蔵なんだという疑問は上にも書きました。吉右衛門の松浦鎮信はさすがに明るく大らかでしたが、まわりが今ひとつのため、劇全体としては意外と面白く感じられませんでした。お縫の米吉はまだ無理。美少年で揃えた家臣たちも、劇を面白くする「間」がとれてませんでした。まだ2日目だからかもしれません。
 「おしどり」は、魁春の品格ある踊りはすばらしく、また染五郎の若々しさもよかったですが、二人そろうとバランスが悪く、魁春の「年齢」が目立ってしまいました。福助の代役なので仕方ないのかもしれませんが。染五郎、こうした踊りだと涼やかで色気もあって実に美しいです。芝居だとなぜこうならないのでしょうか。


歌舞伎座
歌舞伎座新開場柿葺落
壽初春大歌舞伎
平成26年1月3日

昼の部

一、天満宮菜種御供(てんまんぐうなたねのごくう)
  時平の七笑
   
    藤原時平 我 當
    判官代輝国 進之介
    左中弁希世 由次郎
    春藤玄蕃 錦 吾
    天蘭敬 松之助
    藤原宿祢 宗之助
    頭の定岡 松 江
    菅原道真 歌 六

二、梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)
  鶴ヶ岡八幡社頭の場
   
    梶原平三景時 幸四郎
    俣野五郎景久 錦之助
    梢 高麗蔵
    山口十郎 松 江
    川島八平 廣太郎
    岡崎将監 隼 人
    森村兵衛 宗之助
    剣菱呑助 秀 調
    大庭三郎景親 橋之助
    六郎太夫 東 蔵
    秀山十種の内

三、松浦の太鼓(まつうらのたいこ)
   
    松浦鎮信 吉右衛門
    宝井其角 歌 六
    鵜飼左司馬 歌 昇
    江川文太夫 種之助
    渕部市右衛門 隼 人
    里見幾之亟 桂 三
    早瀬近吾 由次郎
    お縫 米 吉
    大高源吾 梅 玉

四、鴛鴦襖恋睦(おしのふすまこいのむつごと)
  おしどり
   
    遊女喜瀬川/雌鴛鴦の精 魁 春
    河津三郎/雄鴛鴦の精 染五郎
    股野五郎 橋之助

2014/01/01

【蕎麦】十割なのに細打ちです/梅の内@青梅

20131212_121439
 梅見の時には混んでて入れなかった「梅の内」に行ってきました。公式サイトはこちらです。
20131212_121458 建物は古い農家を改築したものだそうです。アプローチの道路がかなり狭いので、車の運転には十分ご注意を。
20131212_124128 こちらが玄関に出ていたメニューです。ぽん太とにゃん子は、シンプルな「もり」を注文。十割そばのようです。
20131212_123822 店内も民芸調で「青梅のお蕎麦屋さん」にぴったりの雰囲気です。
20131212_123826 外は冬晴れで身を切るような寒さですが、中はガラス戸越しの日差しが暖かです。
20131212_121835 突出しに自家製のゆずジャムが出てきました。ペクチンたっぷりでとろりとして美味しかったです。
20131212_122722 お蕎麦は、十割蕎麦とは思えない細打ちです。香りがとっても豊かで美味しかったです。ただ、細打ちのせいか歯触りが柔らかく、ちょっとねっとりした食感なのが賛否が分かれるところか。ツユはカツオだしが利いておりました。

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