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2014年5月の14件の記事

2014/05/29

【展覧会】バルテュス展@東京都美術館

 東京は上野のバルテュス展に行って来ました。特設サイトはこちら。東京都美術館のサイトはこちらです。
 国内最大規模の回顧展で、バルテュス夫人の節子さんの全面的な協力のもとに、なかなか国内ではお目にかかれない作品が出品されているそうです。
 たしかに、バルテュスが13歳のときにリルケの協力を得て出版した絵本「ミツ」から(昔軽井沢で見たような気がします)、最晩年の1990年代の未完の作品(「ロシニエールの駅」)まで網羅されておりました。また、スイスのロシニエールのアトリエが再現や愛用品の展示も興味深く、「日本の少女の肖像」(1963年)や「朱色の机と日本の女」(1967-76年:日本初公開)など節子夫人をモデルにした絵もありました。
 可愛い猫はあんまりなかったのですが、エロチシズムと貴族性、静謐でありながら悪夢的な不安感を持つバルテュスの世界を堪能することができました。

 ところで、昔読んだフェリックス・ガタリのバルテュス論のタイトルが「Cracks in the street」(邦訳《街路のなかの亀裂》、『分裂分析的地図作成法』(宇波彰他訳、紀伊国屋書店、1998年)所収)で、当時はこのcracksという言葉の出所がいまひとつ分からなかったのですが、先日『バルテュス、自身を語る』(河出書房新社 、2011年)を読んでいたら、「クラック」という言葉が出てました。

 (シャガールの)「あの天真爛漫さは人為的だと思いました。あまりにも軽すぎるところがあって、リルケが「クラック」と呼んだ、すき間にある素晴らしい国へ入るのを禁じています。」(89ページ)
 「私は自分の描く肖像画は、十五歳になるかならない頃にリルケに言われたように、つねに「クラック」に入れる状況にしました。一日が夜に場所を譲り、夜が一日に場所を譲るわずかな空間で、やはりリルケが言ったように「ほかの素晴らしいもの」をかいま見る空間です。」(90ページ)
 「リルケの望みは詩的で精神的でした。私を「クラック」という場所に呼び出し、そのすき間を私は、教育を受けはじめた当初から、本当の現実に到達するために通らなければならなかった。
 とはいえ、クラックがなんであるかは結局よくわかりません。ぐぐっているうちに、「ユリイカ 2014年4月号 特集=バルテュス 20世紀最後の画家」に、江澤健一郎の「「裂け目(クラック)」の画家バルテュス」という論文が載っているのを知りました。(借りて)読んでみたいと思います。

「バルテュス展」
2014年4月19日〜6月22日
東京都美術館

作品リスト(pdf)はこちら。(リンク切れの場合は、解像度が悪いですけどこちら)のjpegファイルをどうぞ)

主な出典作品
「十字架の称揚」(日本初公開)1926年
「空中ごまで遊ぶ少女」(日本初公開)1930年
「キャシーの化粧 」1933年
「鏡の中のアリス 」1933年
「 猫たちの王 」1935年
「夢見るテレーズ 」1938年
「おやつの時間」1940年
「美しい日々」1944-46年
「地中海の猫」(日本初公開)1949年
「決して来ない時」1949年
「白い部屋着の少女」1955年
「目ざめ(1)」1955年
「樹のある大きな風景(シャシーの農家の中庭)」1960年
「朱色の机と日本の女」(日本初公開)1967-76年
「トランプ遊びをする人々」(日本初公開)1966-73年
「モンテカルヴェッロの風景(2)」(日本初公開)1994-95年

2014/05/28

【オペラ】久々にオペラで泣いたぜ「アラベッラ」新国立劇場

 いや〜よかった、よかった。久々にオペラで泣いてしまいました。4年前にも見たプロダクションですが、2回目だったからか、歌手陣がすばらしかったせいなのか、とても感動いたしました。なかなかの名舞台だったんじゃないでしょうか。公式サイトはこちらです。
 誰もが幸福を望んでいたはずなのに、事態は破局へとつきすすんで行き、登場人物全員が屈辱と自己嫌悪、怒りと悲しみに苛まれます。その大きな力を押しとどめることは難しく、アラベッラも哀しい運命を受け入れるしかないと考えているように見えます。破滅を希望へと代えたのは、皆の「このままじゃいけない」という思いが、偶然、幸運にもつながりあったからです。アラベッラが一縷の望みを抱いてコップを手に階段から降りてこなかったなら、あるいはマンドリカがそのままホテルから立ち去ってしまっていたら、この幸せな結末は訪れなかったことでしょう。
 破局がいかに大きな力でもって人々を引きずり込んでいくか、そして幸福が、多くの人のささやかな希望が、奇跡的に結びついて生まれるものであるかを、知ることができました。
 リヒャルト・シュトラウスとホフマンスタールはこのオペラを、第一次世界大戦による破壊とそこからの復興への希望に重ね合わせたわけですが、その後、皮肉にも歴史が、ナチスの台頭と第二次世界大戦へと突き進んで行ったことは、よけいに哀しみを誘います。
 アラベッラのアンナ・ガブラーはスタイルもよくて美人ですが、色気ムンムンではなく、ちょっと神経質で偏屈な感じが、ウィーンでの華麗な日常よりもハンガリー(今のスロヴェニアか?)の大自然のなかの素朴で力強い生活に憧れるという役に合ってました。ちと声の延びと声量に欠けるような気もしたのですが、要所々々、特に第三幕で見事な喉を聴かせてくれました。ラストでの存在感も圧倒的でした。偏屈な娘が、深みのある女性へと変貌したところを見せてくれました。咳き込んでしまってラモラル伯爵とキスしそこねたみたいに見えたけど……。
 ズデンカのアニヤ=ニーナ・バーマン、男の子っぽい容姿で、透明な歌声。純粋さと行動力が感じられました。マンドリカのヴォルフガング・コッホ、力強く無骨な田舎者。手紙を受け取ったときに熊と闘っていたというのが笑いどころか。マッテオのマルティン・ニーヴァル、いかにも若い士官といった、一途さと生真面目さがありました。妻屋秀和と竹本節子、破産を前にしてギャンブルに興じる父と、占いにはまる母を好演。フィアッカミッリの安井陽子のコロラトゥーラもお見事でした。

オペラ「アラベッラ」/リヒャルト・シュトラウス
Arabella/Richard Strauss
2014年5月25日
新国立劇場オペラパレス

スタッフ
  指揮:ベルトラン・ド・ビリー
  演出・美術・照明:フィリップ・アルロー
  衣裳:森 英恵

キャスト
  ヴァルトナー伯爵:妻屋秀和
  アデライデ:竹本節子
  アラベッラ:アンナ・ガブラー
  ズデンカ:アニヤ=ニーナ・バーマン
  マンドリカ:ヴォルフガング・コッホ
  マッテオ:マルティン・ニーヴァル
  エレメル伯爵:望月哲也
  ドミニク伯爵:萩原 潤
  ラモラル伯爵:大久保光哉
  フィアッカミッリ:安井陽子
  カルタ占い:与田朝子

合 唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

2014/05/27

【文楽】人形なればこそのアクションシーン/2014年5月国立劇場第二部

 5月文楽の第二部は、「女殺油地獄」と「勧進帳」という、歌舞伎ではおなじみの演目。公式サイトはこちらです。

 

初心者のぽん太は、とりあえず歌舞伎と比べてみるしかありません。少ない登場人物で動きもすくない演目は、歌舞伎よりも、義太夫さんが切々と語る文楽が面白かったりしますが、こんかいは二つともどちらかというとアクション系の演目。どうなることでしょう。

 まずは「女殺油地獄」。歌舞伎の場合だと、まずお吉の人物像が問題となってきます。単なる世話焼きなのか、それとも与兵衛に多少とも気があるのか、あるいは少し無防備なとのこがあるのかなど。この辺りは、文楽だとあまりはっきりわかりませんでした。また「豊島屋油店の段」の「いっそ不義になって貸して下され」というセリフは、歌舞伎だとぞくぞくっとするような色気があって、見せ所のひとつだと思いますが、ここも文楽だと意外とあっさりでした。
 一方で油にまみれての乱闘というアクションシーンが、かえって歌舞伎より迫力があったのは、意外な発見でした。舞台の端から端まで油で滑るなどは、生身の人間では決して不可能な動きでした。

 続いて「鳴響安宅新関」の「勧進帳の段」。なんか大夫さんや三味線を弾く人が、大勢登場し、見た目だけで圧倒されます。筋はだいたい歌舞伎の「勧進帳」と同じ。ずらっとならんだ太棹のユニゾンはすごい音量で大迫力でしたが、大夫さんの語りも含め、歌舞伎より「格式」があんまり感じられないような気がしました。歌舞伎の方は「厳粛な出し物」的な雰囲気がありますが、文楽の方は「大音響のエンターテイメント」という感じでした。最後の弁慶の見得も、手足が生身の人間ではありえへんくらいいバラバラになりながらの大見得でしたが、身体が「異化」した迫力がありました。

 

国立文楽劇場開場30周年記念
七世竹本住大夫引退公演
2014年5月11日

第二部

女殺油地獄
徳庵堤の段
  与兵衛 松香大夫
  お吉 三輪大夫
  森右衛門 津国大夫
  茶屋亭主 / 弥五郎 文字栄大夫
  七左衛門 南都大夫
  小菊 / 花車 咲寿大夫
  大尽蝋丸 小住大夫
  小栗八弥 / お清 亘大夫
  喜一朗

河内屋内の段
  口 芳穂大夫 寛太郎
  奥 呂勢大夫 清治

豊島屋油店の段
  切 咲大夫 燕三

  女房お吉 : 和生
  お清 : 勘次郎
  茶屋の亭主 : 玉彦
  河内屋与兵衛 : 勘十郎
  弥五郎 : 文哉(前半) / 簑紫郎(後半)
  善兵衛 : 玉勢
  小菊 : 清五郎
  花車 : 紋臣
  大尽蝋丸 : 勘市
  小栗八弥 : 紋秀
  森右衛門 : 幸助
  七左衛門 : 勘彌
  山上講先達 : 簑次
  河内屋徳兵衛 : 玉也
  徳兵衛女房お沢 : 勘壽
  河内屋太兵衛 : 文司
  稲荷法印 : 玉佳
  妹おかち : 一輔
  中娘 : 和馬(前半) / 簑之(後半)
  綿屋小兵衛 : 紋吉(前半) / 玉翔(後半)

鳴響安宅新関
勧進帳の段
  弁慶 英大夫
  富樫 千歳大夫
  義経 咲甫大夫
  伊勢 / 片岡 希大夫
  駿河 / 常陸坊 靖大夫
  番卒 咲寿大夫
  番卒 小住大夫

  清介
  宗助
  團吾
  清馗
  清丈`
  龍爾
  清公(前半) / 錦吾(後半)
  燕二郎(前半) / 清允(後半)

  富樫之介正広 : 清十郎
  源義経 : 勘彌
  伊勢三郎 : 紋秀(前半) / 玉勢(後半)
  駿河次郎 : 紋吉
  片岡八郎 : 玉翔
  常陸坊海尊 : 亀次
  武蔵坊弁慶 : 玉女

2014/05/26

【文楽】猫に小判、狸に住大夫引退公演。2014年5月国立劇場第一部

 チケットがとれたので、住大夫の引退公演に行って来ました。公式サイトはこちらです。

 最初は「増補忠臣蔵」から「本蔵下屋敷の段」。忠臣蔵の、加古川本蔵にまつわる話しですが、歌舞伎ではこれまで観たことがありません。プログラムによると、明治時代になってから付け加えられた外伝だそうな。高師直にワイロを送り、刃傷沙汰に及んだ塩冶判官を抱きとめた加古川本蔵の後日談で、最後は「山科閑居の段」へとつながります。「仮名手本忠臣蔵」の二段目では、師直を討たんと血気にはやる若狭之助に対し、本蔵はそれを止めるどころか、松の枝を斬って煽り立てます。何で本蔵がこんな行動をとったのか、よく議論になるところですが、「本蔵下屋敷の段」ではその意図が明かされております。また、「山科閑居」で本蔵が師直邸の絵図面を持って虚無僧姿でやってくる理由もわかり、なかなかよくできた脚本ですが、明治の作ということでちょっと理屈っぽい気もします。

 続いて「恋女房染分手綱」。これも歌舞伎では観たことない演目です。後半でいよいよ住大夫の登場です。文楽初心者のぽん太は、住大夫の良さを言葉で述べることはとてもできないのですが、普通だと一本調子で声をのばしているようなところに、様々なニュアンスが盛り込まれている感じで、これで引退してしまうというのがとても残念に感じました。人形遣いもベテラン勢揃いで盛り上げ、特に文雀の八蔵母は絶妙でした。

 「卅三間堂棟由来」は、体調不良により爆睡。

 文楽初心者のぽん太には誠に馬の耳に念仏、猫にこんばんわでしたが、住大夫の名調子を生で聞くことができて幸いでした。

国立文楽劇場開場30周年記念
七世竹本住大夫引退公演
平成26年5月14日 国立劇場小劇場
第一部

増補忠臣蔵
本蔵下屋敷の段
  前 千歳大夫 團七
  奥 津駒大夫 寛治 琴 清公

  井浪伴左衛門 : 玉輝
  加古川本蔵 : 玉也
  三千歳姫 : 簑二郎
  小姓 : 勘介(前半) / 玉路(後半)
  桃井若狭之助 : 紋壽

恋女房染分手綱
引退狂言
沓掛村の段
  前 文字久大夫 藤蔵
  切 住大夫 錦糸
坂の下の段
  八蔵 文字久大夫
  慶政 咲甫大夫
  八平次 始大夫

  清友

  馬方八蔵 : 勘十郎
  八蔵母 : 文雀
  掛乞米屋 : 幸助
  掛乞布屋 : 玉佳(前半) / 勘市(後半)
  馬方治郎作 : 紋臣
  倅与之助 : 簑助
  慶政実は伊達与八郎 : 和生
  悪党熊造 : 紋壽
  悪党虎吉 : 玉女
  鷲塚八平次 : 玉志

卅三間堂棟由来
平太郎住家より木遣り音頭の段
  中 睦大夫 清志郎
  切 嶋大夫 富助

  進ノ蔵人 : 文昇
  平太郎の母 : 簑一郎
  女房お柳 : 簑助
  横曽根平太郎 : 玉女
  みどり丸 : 玉誉

2014/05/25

【歌舞伎】ひょうひょうとした左團次の粂寺弾正/2014年5月歌舞伎座昼の部

 5月の歌舞伎座は昼の部だけの観劇でしたが、なかなか楽しめました。公式サイトはこちらです。

 まずは左團次の「毛抜」。普段は脇を固めることが多い左團次が主役の粂寺弾正を演じるのは、團十郎が他界したゆえなのでしょうか。左團次の暖かくひょうひょうとした人柄がそのまま出ており、荒事っぽさは弱かったですが、ホンワカした粂寺弾正でした。これまで見たことがないパターンだったので、見れて良かったです。若衆や腰元に目を留めて、すんごい嬉しそうに歯を見せてニカッと笑った表情と、対照的に若衆の巳之助のすごく嫌そうな表情が、面白かったです。

 続いて「また勧進帳」、ぽん太は菊之助の富樫に注目。義経一行が関を通ることを許し、上手に去って行くところでは、一行をじっと見つめる方が強く、くっと顔を上げる動作はあっさりでした。海老蔵の弁慶のパワーを真っ向から受けて立とうとしたのか、強力に化けた義経を呼び止めるところなど、そんなに大きな声を出さなくてもいいような気がしました。全体としては悪くなかったですが、風格や味が出て来るのはこれからでしょうか。
 芝雀の義経も、「意外に」と言っては失礼ですが、よかったです。女形だとなんだかちまちました感じになりがちですが、義経は、厳しい表情のなかに、高貴さや、兄弟に追われる苦しさがにじみ出ておりました。判官御手もなかなか。

 最後の菊之助の「魚屋宗五郎」は、何度も見てると思ってたのですが、何度見ても良かったです。リズム、間の取り方、動きの面白さ、形の美しさ、どれをとっても最高で、一瞬たりとも飽きることなく、最初から最後まで観ることができました。あっぱれです。

歌舞伎座
團菊祭五月大歌舞伎
十二世市川團十郎一年祭
平成26年5月15日

昼の部

一、歌舞伎十八番の内 毛抜(けぬき)
   
  粂寺弾正 左團次
  小原万兵衛 権十郎
  小野春風 松 江
  腰元巻絹 梅 枝
  秦秀太郎 巳之助
  腰元若菜 廣 松
  錦の前 男 寅
  秦民部 秀 調
  八剣玄蕃 團 蔵
  小野春道 友右衛門

二、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)
   
  武蔵坊弁慶 海老蔵
  富樫左衛門 菊之助
  亀井六郎 亀三郎
  片岡八郎 亀 寿
  駿河次郎 萬太郎
  常陸坊海尊 市 蔵
  源義経 芝 雀
  新皿屋舗月雨暈

三、魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)
   
  魚屋宗五郎 菊五郎
  女房おはま 時 蔵
  磯部主計之助 錦之助
  召使おなぎ 梅 枝
  茶屋娘おしげ 尾上右近
  小奴三吉 橘太郎
  菊茶屋女房おみつ 萬次郎
  父太兵衛 團 蔵
  浦戸十左衛門 左團次

2014/05/24

【オペラ】イタリアの白黒映画みたい「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」新国立劇場

 「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲というと、「クラシック名曲集」といったレコードには必ず入っている演目で、小さい頃から知っていましたが、老境にさしかかってはじめて「全曲」を聞くことができました。公式サイトはこちらです。
 「カヴァレリア・ルスティカーナ」は意外と短い演目のようで、「道化師」というもうひとつのオペラと二本立てでした。それぞれ作曲者は違うのですが、どちらも南イタリアを舞台にしたヴェリズモ・オペラの代表作ということで、よく同時に上演されるんだそうです。
 ヴェリズモ・オペラというのは、Wikipediaによれば、1890年代から20世紀初頭にかけて見られたもので、ヴェリズモ文学の影響を受け、市井の人々の日常生活や、残酷な暴力などを描いたものだそうです。
 要するにエジプトを舞台にした「アイーダ」みたいなお話ではなく、民衆のドロドロした現実を描くという感じですかね。何かぽん太は、「自転車泥棒」やフェリーニの「道」などの白黒映画を思い浮かべました。
 映画つながりで言えば、「カヴァレリア・ルスティカーナ」に描かれている南イタリアのダンディズム(それが騎士道=カヴァレリアなんでしょうか)は、「ゴッドファーザー」やヴィスコンティの「山猫」を思い出します。

 で、感想ですが、有名な「カヴァレリア・ルスティカーナ」よりも、「道化師」の方が面白かったです。
 「カヴァレリア・ルスティカーナ」は、要するに三角関係の末に決闘をして殺されるという話しで、筋が単純すぎるような気がします。また、登場人物の性格付けが曖昧で、サントゥッツァは夫の不倫を義母に訴えたうえに、夫のトゥリッドゥに「捨てないで」としがみつき、あげくの果てにアルフィオに告げ口します。なんかホントに「うざい」気がします。トゥリッドゥもさんざん浮気をしておいて、急に自分が死んだあとサントゥッツァが心配だ〜などと言い出します。なんかあんまり感情移入できませんでした。
 トゥリッドゥのヴァルテル・フラッカーロは、前回の「オテロ」同様、声が良く伸びるテノールで、力強さもあり、ドラマチックな歌声でした。サントゥッツァのルクレシア・ガルシアは、見た目やや体型に難がありますが、その体に響かせて発する声はさすがに深みがありました。

 「道化師」は、非常に面白かったです。話しはこちらも三角関係のもつれですが、芝居と現実を交錯させた脚本が良くできていて、ペーソスが感じられました。
 カニオのグスターヴォ・ポルタは、いわゆる甘い声ではないのですが、乱暴で無骨な旅芝居の座長にぴったりでした。また道化師の見かけと内面の苦しみの対比も見事で、先日観た「リゴレット」のヌッチをちと思い出しました。
 ネッダのラケーレ・スタニーシは、スタイルがよくて美人なうえ、芝居の衣装に着替えてからの豊満な胸がお楽しみ映像でした。声は少しハスキーな感じですが、これまた旅芝居の女優の雰囲気が出てました。
 トニオのヴィットリオ・ヴィテッリは、目を剥いて歌う表情は「テルマエ・ロマエ」の阿部寛を彷彿とさせますが、細身の体からは想像できない深くて声量のあるバスでした。「かたわ」の演技はいまいち。
 吉田浩之や与那城敬の日本勢も、なかなか甘い声で声量も負けておらず、ちと表現力には欠けておりましたが、大健闘でした。

 演出のジルベール・デフロは、上に書いたスカラ座の「リゴレット」を演出した人。ギリシャ風の朽ち果てた円形劇場が舞台上にしつらえられ、一角にはオリーブの古木があります。両方のオペラが、このセットを使って上演されます。
 南イタリア、特にシチリアは、昔はギリシアの支配が及んでいたのでありまして、例えば有名なアルキメデスはシチリアの都市シラクサの生まれであり、シチリアにはギリシア時代の円形劇場が多数残っております。デフロのセットは、そうした南イタリアの乾いた風景を彷彿とさせるものでした。
 ただ、普通は円形劇場の段々のところに座って舞台を見るのであり、われわれ観客は逆方向から見ていることになりますが、まあこの辺は固いことを言っても仕方ないでしょう。
 「道化師」では、劇中劇が行われるので、円形劇場のセットが生きていました。また登場人物が、新国立劇場の客席側から登場したりして、あたかも我々も劇中劇の上演に立ち会っているかのような錯覚を生じさせたのは見事です。
 一方で「カヴァレリア・ルスティカーナ」の演出は、円形劇場のセットも生きてなかったし、ちと退屈でした。いっそのこと「道化師」とがらっと雰囲気を変えて、合唱団をコロスのように使ったりして、ギリシャ悲劇風にしても面白かったかもしれません。
 指揮・オケの良し悪しはぽん太にはわかりませんが、「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲は良かったです。子供の頃は甘ったるい通俗曲だと思ってましたが、こんかい聴いてオルガンの宗教的な響き、シチリア的な寂寥感などが感じられたのは、ぽん太も長い年月の間に多少は人生経験を積んで、いくらか耳が肥えたのかもしれません。

新国立劇場オペラ
「カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師」

カヴァレリア・ルスティカーナ/ピエトロ・マスカーニ 作曲
道化師/ルッジェーロ・レオンカヴァッロ 作曲
2014年5月21日 新国立劇場オペラパレス

スタッフ
【指揮】レナート・パルンボ
【演出】ジルベール・デフロ
【美術・衣装】ウィリアム・オルランディ
【照明】ロベルト・ヴェントゥーリ
【舞台監督】村田 健輔
【合唱指揮】三澤 洋史

キャスト
カヴァレリア・ルスティカーナ
【サントゥッツァ】ルクレシア・ガルシア
【ローラ】谷口 睦美
【トゥリッドゥ】ヴァルテル・フラッカーロ
【アルフィオ】成田 博之
【ルチア】森山 京子

道化師
【カニオ】グスターヴォ・ポルタ
【ネッダ】ラケーレ・スタニーシ
【トニオ】ヴィットリオ・ヴィテッリ
【ペッペ】吉田 浩之
【シルヴィオ】与那城 敬
【児童合唱】TOKYO FM少年合唱団

【合唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

2014/05/23

【歌舞伎】亀鶴が「釣女」で暴走!2014年5月明治座昼の部

 風邪をひいたり忙しかったりしてる間に、だいぶ芸術鑑賞の感想が溜まってしまったので、急ぎ足で簡潔に。
 5月の明治座は、夜の部の「伊達の十役」はなんとなく想像がつくので、昼の部だけ観劇。公式サイトはこちらです。
 全体に面白く楽しい公演でしたが、「花形」の若手が、現在持っている力を出し切って古典の名作を演じる、という演目がなかったのが残念に思われました。

 「義経千本桜」から「鳥居前」は、イケメンの若手が勢揃い。みなさん頑張ってました。ただ、意外に空席が目立ったのが残念。松竹さん、もちっと宣伝しても良かったのでは。
 隼人くんの義経、悪くはなかったですが、まだまだ高貴さは出て来ません。期待の女方の米吉の静御前が、思ったより情が薄く、義経に同行できないのなら死んでやる〜と言う時も、あまり切羽詰まった感情が伝わってきませんでした。

 「釣女」は醜女役の亀鶴が暴走。妙な動きを連発し、客席は大爆笑でしたが、大名の高麗蔵や常磐津さんたちも笑ってました。
 これはこれで楽しかったですが、「歌舞伎」の演目としてはどうだったでしょうか。特にこんかいの昼の部の狂言立ては、最初が古典とはいえ「若手勢お披露目」みたいな演目、次がこの「釣女」で、最後の「邯鄲枕物語」もお笑い系。冒頭に書いたように、古典をしっかり演じる演目も見たかったです。
 染五郎、やはり歌舞伎の舞踊っぽさがなく、現代劇調。こういうのは又五郎とかの方が好きです。ぽん太ごひいきの壱太郎……亀鶴に気を取られてよく見れませんでした。

 「邯鄲の夢」という言葉は、ぽん太は今年の4月に塩原元湯温泉元泉館で耳にしたばかり(そのときのブログはこちら)。その数ヶ月後にこの演目が上演されることを知り、楽しみにしていたのですが、「お金がなくって借金取りに追われている主人公が、夢の中ではお金がどんどん増えてしまって使い道に困る」という滑稽話で、「現実の無常を悟る」という部分はありませんでした。楽しいことは楽しかったですが。三世桜田治助の脚本で慶応元年(1865年)に初演。本興行としては、明治38年(1905年)以来の復活上演だそうです。
 お金を使おうとしてもどんどんたまってしまうという設定のもとの様々なエピソードは、一つひとつ面白く、例えばそば屋に1両を渡して逃げようとして、食い逃げならぬ「払い逃げだ〜」と追っかけられるのも笑いました。また、吉田屋のパロディーなども入ってました。歌六の夜になると女になる病気も、気持ち悪かったです。
 染五郎の妹の松たか子の「雪の女王」ネタや、横島伴蔵に不義のいいがかりをつけて金を奪おうとする染五郎に、歌六が「咳き込んでかみかみセリフを言う間に逃げられちゃったじゃないか」などと茶々を入れるなど、楽屋落ちも多くて面白かったです。
 ちなみに、七福神の掛け軸に書かれていた、聖徳太子の作と言われる歌「長き夜の 遠の睡りの 皆目醒め 波乗り船の 音の良きかな」(ながきよの とおのねむりの みなめざめ なみのりふねの おとのよきかな)は、上から読んでも下から読んでも同じことば(回文)になっているので有名ですね。また、七福神を枕に寝たら目出たい夢を見るという設定は、落語の「羽団扇」(はうちわ)と同じです。

明治座 五月花形歌舞伎
平成26年5月22日

昼の部

一、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
  鳥居前
   
  佐藤忠信実は源九郎狐 中村 歌 昇
  静御前 中村 米 吉
  早見藤太 中村 吉之助
  源義経 中村 隼 人
  武蔵坊弁慶 中村 種之助

二、釣女(つりおんな)
  太郎冠者 市川 染五郎
  大名某 市川 高麗蔵
  上臈 中村 壱太郎
  醜女 中村 亀 鶴

三、邯鄲枕物語(かんたんまくらものがたり)
  艪清の夢(ろせいのゆめ)
   
  艪屋清吉 市川 染五郎
  女房おちょう/梅ヶ枝 中村 壱太郎
  米屋勘助/蕎麦屋與四郎 中村 歌 昇
  鳥追いお七 中村 米 吉
  安芸の内侍 澤村 宗之助
  横島伴蔵/盗賊唯九郎 中村 亀 鶴
  家主六右衛門/鶴の池善右衛門 中村 歌 六

2014/05/11

【幸福って何!とブータンで叫ぶ】(5)動物が多くて幸福

Img_8935
Img_8693 チベット仏教の信仰が厚いブータンでは、殺生が禁止されているため、ノラ君たちが多いです。写真はキチュ・ラカンの猫。犬が多くて、猫は少数派です。
Img_8722 キチュ・ラカンからパロ市内に向かう道の途中で現れたお猿さんです。
P5020225 ティンプー市内はワンちゃんが多いです。
P5030277 大きめの犬が多いですが、基本的には大人しいです。首都ティンプーの犬は狂犬病の予防接種をしているそうですが、あまり手を出さない方がいいです。地方では特に注意。
Img_8805 ティンプー市内のホテルの猫。
Img_8821 ティンプー市内。屋根の上の猫。
P5030423 「ハ」の街の有名人。幸福のパンダ牛です。
Img_8959 「ハ」のホテルで早朝に目覚めると、庭で馬が草を食んでました。なんか幻想的です。
Img_8962 牛くんもおりました。
Img_8981 ハからパロへ向いチェレラ峠付近で放牧されていたヤクです。
Img_9000 同じくチェレラ峠付近のキジです。色鮮やかですね。
Img_9044_2
 タクツェン寺院をバックにハイ、ポーズ。

2014/05/10

【幸福って何!とブータンで叫ぶ】(4)チベット仏教を信仰して幸せ

Img_8696
 おっほん。話しを元に戻しまして、パロ空港に降り立って、近くのキチュ・ラカンの観光に出発したぽん太とにゃん子ですが、ようやく目指すキチュ・ラカンに到着です。
Img_8688 ラカンというのはブータン語でお寺のことです。ブータンの主な宗教はチベット仏教です。チベット仏教には、ゲルグ派、カギュ派、サキャ派、ニンマ派という四つの大きな流れがあります。あのダライ・ラマが属しているのはゲルグ派ですね。ブータンで主に信仰されているのは、ガキュ派の流れを引くドゥクパ・カギュ派と、ニンマ派です。
 それぞれの信仰がどう違うのか、というところまではぽん太は分からないのですが、カギュ派はミラレパという行者が有名で、転生活仏制度を作った宗派ですね。カギュ派に属する12世紀後半のツァンパ・ギャレという行者の教えは、彼の前に9匹の龍が現れたという伝説から、ドゥクパ(龍)派と呼ばれるようになりました。13世紀に彼の弟子がブータンを訪れ、ブータンにドゥクパ・カギュ派が伝わったそうです。カギュ派は、ブータンでは最も信者が多い流派です。
 ニンマ派は、ブータンでは少数派ですが、東部(首都ティンプーがあり、今回ぽん太が訪れたところです)を中心に信仰を集めています。チベット仏教で最も古い宗派で、7世紀末に生まれたグル・リンポチェが開祖です。
 仏教以外には、ヒンズー教を信じるネパール系の人たちが若干おりますが、彼らの弾圧、国外追放と言った問題もあるようです。
 
Img_8697 このキチュ・ラカンはニンマ派のお寺で、内部にはグル・リンポチェの像がありました。
 ブータンにはソンツェン・ガンポという王様の伝説があり、7世紀に魔女を倒してチベット一帯を統一し、その魔女を封じ込めるために108の寺院を建立したそうです。キチュ・ラカンはそのうちの一つだと言われています。それが真実かどうかは別として、かなり古いお寺であることは間違いないそうです。
 写真の中央に、実がなったミカンの木がありますが、「こんな寒いところにミカンがなるはずはない」と、聖地のパワーの証明とされています。
 ちなみに、ブータンでは寺院などに入る際は、靴を脱ぎ、帽子を取ります。また、ショートパンツやタンクトップなどの肌を露出するような服装はダメです。写真も禁止ですので、内部の写真はございません。
Img_8692 裏庭にあるこの建物は、亡くなった人のご遺体を焼くところだそうです。そして灰は川に流すそうです。焼いて川に流すって、ヒンズー教じゃないの?神仏習合ならぬヒン仏習合かしら?よくわかりません。
 チベットなどで行われている鳥葬は、ブータンではもう行われていないそうです。ガイドさんは「遺族が辛いので」と言ってましたが、その真意は不明です。

Img_8715 洗濯物ではありません。宗教的なものです。横向きに万国旗のように吊るされているが「ルンタ」で、経文を印刷したバンダナみたいな布を掲げたものです。チベットの「タルチョ」と同じですね。幟(のぼり)みたいなのはダルシンといい、こちらは細長い布を使っております。

Img_8779 ティンプーにあるメモリアル・チョルテンです。チョルテンというのは「仏塔」ですね。亡くなった3代国王を記念して作られたものです。
Img_8781 大勢の人がお参りしております。チョルテンのまわりを時計回りに3回まわるのが作法です。
Img_8782 傍らでマニ車をペイントしておりました。

Img_8860こちらがお坊さんの服装です。チベットと同じえんじ色ですね。
P5030254 殺生が認められていないため、野良犬がいっぱいいます。首都ティンプーの犬は人に慣れており、狂犬病の予防接種もしているそうですが、一般にはあまり手を出さない方が吉です。でも、基本的には大人しいです。
 蚊なども、叩き潰すことはしないそうです。肉も、屠殺できないので、インドから輸入していることは前に書きましたっけ。軍隊はあり、歴史的に戦争もしております。
Img_8813 ティンプーの路上に落ちているご飯粒。生ゴミではありません。ご飯を炊いた時に、動物のためにひとつまみを屋外に置くという風習です。日本でも禅宗の寺院でやったりしますよね。
Img_9061 こちらは有名なタクツァン僧院。断崖絶壁に建てられた僧院です。パロから車で約30分、そこから2〜3時間かけて山道を登って行きます。観光スポットとして人気があるだけでなく、信仰の中心地でもあり、ブータン内外の多くの人たちがお参りしておりました。
 ニンマ派の開祖グル・リンポチェについては上で触れましたが、彼が空飛ぶ虎にのってブータンを訪れ、ここで瞑想したという伝説から、タク(虎)ツァン(隠れ家)と呼ばれるようになったそうです。僧院は1694年頃に建てられたものでしたが、1998年に焼失。現在の建物は2004年に再建されたものだそうです。
 タクツァン僧院に関しては、後ほどまたご報告を…。
Img_9082 この起き上がりこぼしみたいなのは、「ツァツァ」という小さな仏塔です。亡くなった人の遺灰を混ぜた土で作ったものですが、土だけのものもあるそうです。このような岩陰などによく置かれています。

Img_9159 これは、見学させていただいた民家の仏間です。
Img_9157 こちらがお仏壇。ホテルの経営者の家なので、これはかなり立派な仏壇ですが、ブータンの家には大なり小なりこのような仏壇があるそうです。
Img_9156 歴代の住人が五体投地というお祈りを繰り返したため、床には足形のへこみがついてました。
Img_9160 仏間の外側の壁に描いてあった絵です。ブータンでは有名な絵柄で、象、猿、うさぎ、鳥が力を合わせて手に入れた果実を、皆で分けあっている姿です。
Img_9135 ブータンでは、外壁に絵が描かれた家を多く見かけます。装飾でもありますが、宗教的な意味もあるそうです。特に右側のチ○ポは、ブータン語ではポ・チェンと言い(日本語と微妙に似てますね)、魔除けの意味があるそうです。仏教以前のアニミズム的な信仰に由来するものでしょうか?

2014/05/09

【幸福って何!とブータンで叫ぶ】(3)日本(西岡京治)やインドの力を借りて幸福

 話しは遅々として進みませんが、パロの空港に降り立ったぽん太とにゃん子は、ブータン最古の寺キチュ・ラカンに向かいます。
 Img_8678 空港の滑走路を見下ろす道ですが、手前に半分見えている家が、西岡京治さんが住んでいた家だそうです。
 ぽん太も「そういえば聞いたことがあるかな〜」ぐらいの感じだったのですが、ブータンの農業指導に生涯を捧げた人だそうです。その貢献によって国王から「最高に優れた人」という意味の「ダショー」という称号を贈られて「ダショー・西岡」と呼ばれ、また1992年に死去した時はブータン政府によって国葬が行われたそうです(Wikipedia)。
Img_8686 道路工事が行われていますが、働いているのはインド人の女性です。ブータン人は農作業は行いますが、こうした土木作業は主にインド人労働者に頼っているんだそうです。
Img_8859 こちらは、建設作業に従事する外国人労働者。
P5040476 ちと見づらいですが、インド人労働者はこのようなバラックを建てて住んでいます。インド人の生活力にはおどろくばかりです。写真はハで撮ったものです。
 インド人労働者に関しては、ブータン人に差別意識があるとか、ブータン人は自分たちがやりたい仕事しかしないなどの批判もあるようです。
P5020177 ちなみにブータンのビルの建設現場では、足場は竹で造られます。
Img_8915 ブータン特有の民家は、ブータン人が自ら建てます。土壁を突き固めるのは女性の仕事で、歌を歌いながらぺったんぺったん突くそうです。
Img_8911 インド人に頼るといえば、軍事力もその一つです。写真はハにあるインド軍のキャンプ地です。ブータンは北が中国、南がインドに接してますが、中国とはどちらかというと敵対していて、インドと仲がいいようです。インドにとっても、ブータンを軍事的に守ることは、自国の防衛にとって役にたつのだろうと推測できます。
Img_8969 ハは中国国境に近くに位置する町で、北側に聳えるヒマラヤの山の向こうは、中国のチベットになります。
P5030318 また、ブータン人は宗教上の理由から動物を殺すことはできないので、肉や魚は主にインドから輸入しているそうです。

2014/05/08

【幸福って何!とブータンで叫ぶ】(2)自動車事情・台数制限とEV導入で幸せ

Img_9187
Img_8668 ブータンのパロにある空港に到着です。
Img_8671 さっそく国王夫妻のでっかい写真が御出迎えです。ご夫妻の写真は、レストランやホテルの内部も含めて、ブータンのそこかしこで見ることができました。日本の感覚からすると、身を寄せ合った姿は、国王夫妻の肖像写真にしてはちょっと親密すぎる気がします。ひょっとして、最も「幸福」なのは国王夫妻?
Img_8674 こんかいの旅の間中お世話になったバスです。トヨタ製ですね。
P5020119 ブータンには日本車、特にスズキの車が多いそうです。他国にもれず、ブータンでも自動車の台数が急増しておりました。しかし、これまで国が購入価格の半額のローンを提供していたのを、数年前に廃止することによって、現在は事実上の車の台数制限が行われているそうです(ちょっと不正確かも)。
Img_8802 ネパールの首都カトマンズなどはたくさんの車が走り回っていて、一昔前の日本のように、慢性的な交通渋滞や排気ガスによる大気汚染が問題となっております。「幸福」を目指すブータンは、このような道を進むのを避けようとしているようです。
 今年(2014年)の2月、ブータンと日産が電気自動車の普及を目指すための覚え書きを交わしたというニュースが流れました(たとえばこちら)。実現すれば確かにGNH(国民総幸福量)の増大に寄与しそうですが、一方ではハイブリット車開発に乗り遅れ、電気自動車で起死回生を目指す日産の思惑なども透けて見え、簡単なことではありません。
Img_8721 自動車の普及と同時に、道路の整備も行われました。写真はパロとティンプーを結ぶ「高速道路」ですが、人も歩けば牛も通ります。
Img_8794 ブータンには信号がひとつもありません。以前に作られたこともありましたが、信号の見方が分からない人が多くて、信号無視が多発したため、けっきょく撤去されてしまったんだそうです。現在は交差点は円形交差点(ラウンドアバウト)になってます。写真は首都ディンプーで、円形交差点の中心に設置されたボックスで交通整理をするお巡りさんです。
 ちなみにブータンは、車は左側通行です。
Img_8884 車つながりで書いておくと、ブータンのトラックはとても派手で、いわゆる「デコトラ」です。先頭に日本で停止表示板として使われている三角の反射板が付けられていますが、夜間にすれ違う時に見えやすくするためでしょうか。
Img_8719 こちらは別のトラック。
Img_8720 もひとつオマケ。にゃん子「ライトの上の目が可愛いわね。うちの車にも付けようか。」ぽん太「やめときなさい!」
 なお、ブータンの飛行機の国内線に関しては、主に東西を結ぶ路線がいくつかあるそうですが、週に数便と便数が少ない上、高価なのでブータン人はほとんど利用しないそうです。
 今回のガイドさんはブータン東部の出身で、西部にある首都ティンプーから行くには数日間かかるそうです。昨年郷里の母親が死去しましたが、仕事が立て込んでいたこともあって、帰省できなかったそうです。
 また、ブータンには鉄道もありません。

2014/05/07

【幸福って何!とブータンで叫ぶ】(1)日程のご案内とタイ前夜泊

Img_8766
 昨年はいろいろあって海外旅行に行けなかったぽん太とにゃん子、1年半ぶりの海外旅行の行き先はブータンです。
 小学校の頃、変な名前だと友達と笑いあったブータン。長じてからは、「古き良き日本に出合える国」と聞いて、いつかは行きたいと思っておりました。数年前(ググってみたら2011年11月ですね)には若いイケメンの国王が、これまた綺麗な奥さんを伴って来日し、GNH(国民総幸福量)という言葉が有名になりました。熱しやすく冷めやすい日本人、しばらくはツアーも混むだろうと様子見し、昨年のゴールデンウィークにブータン旅行を計画しましたが、止むに止まれぬ事情で直前キャンセル。そして今年、念願かなってついにブータンの土を踏むことができました。
 こんかいお世話になったのは、風の旅行社(→こちら)さんで、ツアー名は「【GW特別企画】西ブータン新緑ドライブ6日間」です。西ブータンの三都市、パロ・ティンプー・ハを訪れ、タクツァン寺院が付いています。ホントは東ブータンも含めてもう少し長い日程で行きたかったのですが、残念ながら日程があうツアーがありませんでした。
 ということで、まずは日程のご案内です。

【1日目】成田空港……バンコク
 バンコク泊
【2日目】バンコク……パロ
 キチュ・ラカン
 ……ティンプー
 タシチョ・ゾン、メモリアル・チョルテン
 ティンプー泊
【3日目】ティンプー市内観光:織物博物館、アーチェリー
 ……ハ
 ハ泊
【4日目】……パロ
 タクツァン僧院トレッキング
 パロ泊
【5日目】パロ……バンコク…
【6日目】……成田空港

Img_8652 初日はタイのバンコクで一泊。ホテルはGRAND MERCURE FORTUNE BANGOKO HOTEL(グランド・メルキュール・フォーチュン)です(楽天トラベルからの予約はこちら)。タヌキには立派すぎるホテルで、おおきなショッピングモールに繋がっているので便利です。
Img_8654 窓から見た夕日が美しかったです。
Img_8660 夕食は、そのショッピングモールのお店でタイスキです。
Img_8664 日本と違って、最初に具をぜんぶ鍋に入れ、溶き卵も投入してよく煮込み、タレを付けていただきます。美味しゅうございました。
Img_8667 最後に雑炊となりますが、ご飯と溶き卵を投入してから、お玉でかき回しつつ、じっくり煮込みます。お米がぐちょぐちょになってしまいそうですが、そこはタイ米のせいでしょうか、水分がなくなるくらいまで煮込むと、フワフワでとっても美味しくなります。蒸し暑いタイでタイスキをいただき、みんな暑くて汗だくになりましたが、周りのタイ人は汗一つかかず平然と頂いてました。
P5050749 翌日は3時起き。早朝の便でパキスタンの首都ダッカ(左写真)経由でブータンに向かいました。

2014/05/02

【桜】これはまさに桜源郷や!(会津鶴ヶ城・千歳桜、三春滝桜)

Img_8646_2
 休みを取れた日と桜の満開が重なることは、なかなかないのですが、今回の福島旅行はドンピシャでした。天気も快晴。ぽん太とにゃん子は桜巡りを満喫しました。会津盆地中いたるところに様々な桜が咲いていて、何度も見慣れているはずの風景が、まるで別世界に生まれ変わったかのように感じられました。
 ぽん太が平均寿命まで生きるとしても、迎える春の回数は容易に数えることができます。おそらく今年の桜が、ぽん太の人生のなかで最高の桜になるんじゃないでしょうか。
 

Img_8577 まずは定番の鶴ヶ城。大河ドラマの「八重の桜」で砲弾を撃ち込まれてボコボコにされた画像が目に焼き付いてますが、昭和40年に天守閣が再建され、さらに昨年(平成23年)、赤い瓦をまとった幕末の姿に復元されました。全体の形がピラミッド型で、屋根が何層にも重なり、どことなく東南アジアの寺院を思わせます。なんかちょっと白くてのっぺりとしすぎている気もしますが、本物もこんなもんだったんでしょうか。
Img_8580 桜の屋根越しに天守閣を見上げる。
Img_8573 お堀の桜です。
Img_8574 廊下橋です。
Img_8575 桜の壁の向こうに見える真っ白な山は、飯豊山です。会津の山というと磐梯山ばかり取り上げられますが、飯豊山も忘れてはなりません。大きく伸びやかで、見る者を包み込むかのような山容です。
Img_8585 城内からちょっと足を伸ばして、「山鹿素行誕生の地」を訪ねました。こちらも桜が満開です。
Img_8583 案内板です。山鹿素行(やまが そこう、元和8年(1622年)〜貞享2年(1685年))は、江戸時代前期の日本の儒学者、軍学者。ぽん太は名前しか知りませんでしたが、会津の生まれだったんですね。Wikipediaを見てみると、朱子学を批判したかどで播磨国赤穂藩お預けの身となったとのこと。歌舞伎で赤穂浪士の討ち入りの時に叩く「山鹿流陣太鼓」というのは、山鹿素行のことだったのか!!もっともこの陣太鼓は歌舞伎の創作だそうですが。
Img_8584 この場所は同時に、直江兼続の屋敷跡なんだそうです。大河ドラマ「天地人」に出てきた、「愛」の兜の人ですネ。でも、あれって上杉景勝の家臣だから会津じゃなくて米沢じゃないの?Wikipediaを見てみると、慶長3年(1598年)に秀吉の命で会津120万石に移封され、関ヶ原の戦いの後の慶長6年(1601年)に米沢30万石に移封されたようですね。ドラマを見たはずなのに、何にも覚えとらん。
Img_8587 こちらは桜はありませんが、日新館天文台跡。
Img_8588 案内板です。
Img_8591 こちらの駐車場が、「山本覚馬・新島八重生誕地」。山本家の屋敷(あの大河ドラマに出て来た、射撃場が付いてた家ですね)があったのは、このあたりだそうです。
Img_8590 案内板です。
Img_8589 数軒隣りの宮崎さんの家に、同志社が作った案内板もあります。
Img_8597 鶴ヶ城に戻って、八重さんの銅像です。
Img_8603 野口英世青春通りの会津壱番館でコーヒーブレイクです。野口英世が火傷した手の手術を受けた会陽医院の建物だそうで、一階が喫茶店、二階が資料館になっております。
Img_8600 内装もレトロで素敵です。
Img_8598 会津ではいま「まち歩きスイーツ」という企画(→こちら)を行っており、そのメニューを頂きました(コーヒーは別です)。コーヒーカップの絵もかわいいです。
Img_8613 西の方に移動して、こちらは「千歳桜」です。田んぼのなかに一本だけ生えている古木です。
Img_8610 案内板です。ベニヒガンザクラで、樹齢は700年を越えるそうです。
Img_8616 東京では桜というとほどんどソメイヨシネですが、こちらではそれ以外の品種も多いようです。華やかなソメイヨシノとは異なる、古風で野趣あふれる桜もいいものだと思いました。
Img_8627 法用寺の虎の尾桜は、まだ開花しておりませんでした。
Img_8623 法用寺の三重塔です。会津地方に現存する唯一の三重塔だそうです。
Img_8644 足を伸ばして三春の滝桜を見に行きました。以前に一度行った時は完全なる葉桜。今回は……ピークは若干過ぎてるものの、満開です!!。
Img_8637 今年の大雪で枝が折れたというニュースも耳にしましたが、立派に咲いております。
Img_8641 大混雑かと思いきや、意外と空いてました。連休の直前だったせいでしょうか。

2014/05/01

【温泉】素朴で暖かなおもえてなし。芦ノ牧温泉仙峡閣(★★★★)

Img_8565
 東京都の被災地応援ツアーが平成26年度も実施される(→こちら)と知り、福島に行くことにしました。一泊につき3,000円が補助されます。ところがこの補助金、けっこう使いづらく、登録を受けた旅行業者が販売しているツアーでなくてはいけません。ということで、大旅館やホテルが多く、ぽん太の好みの秘湯はなかなか見つかりません。いろいろと探したすえ、以前に泊まったことはありますが、芦ノ牧温泉仙峡閣さんにお世話になることにしました。公式サイトは文字列です。公式サイトはこちらです。
Img_8570 会津のやや南に位置する芦ノ牧温泉は、いまや鉄筋コンクリートの大旅館が建ち並ぶ温泉街となっておりますが、仙峡閣は川を挟んだ反対側にあって、一軒宿の静かな雰囲気が漂います。
Img_8569 建物は、福島市内の板倉神社にあった武徳殿を移築したものだそうです。
 で、武徳殿ってなに?Wikipediaを見ると、大日本武徳会の道場なんだそうです。
 で、大日本武徳会ってなに?Wikipediaを見てみると、なんだかよくわかりませんが、戦前の日本で武道を信仰・奨励した団体のようです。
 そのためか、温泉旅館の華やいだ雰囲気はなく、武家屋敷風の格式と伝統を感じさせる建物となっております。
Img_8540 内部も、直線的で、質実剛健な造りとなっております。
Img_8541 お部屋も格式を感じる造りで、背筋が伸びる思いです。
Img_8545 窓から見える桜がきれいです。品種はぽん太はわかりかねますが、華麗で妖艶なソメイヨシノとは異なる、素朴な美しさがあります。
Img_8526 部屋の窓から望む大川渓谷。緑がかった川面の色、桜の淡いピンク、やわらかな雑木林が作り出す景観です。
Img_8531 お風呂は一転して優雅なカーブを描いてます。小判型の石造りの浴槽で、写真の手前側が一段深くなっていて、底にある穴からお湯がとうとうと湧き出しております。ちょっと珍しい構造です。無色透明・無味無臭の柔らかいお湯。
Img_8528 露天風呂は、桶を半分に仕切ったような形です。様相に違わず、残り半分は女湯の露天風呂となっております。大川の清流や、対岸の温泉街、国道を行き交う車を眺めることができます。
Img_8536 温泉分析表です。仙峡閣は、芦ノ牧温泉で唯一自家源泉を持っています。動力揚湯ですが、湧出量は66l/minと豊富です。泉質は、カルシウム・ナトリウムー硫酸塩・塩化物温泉。夏に温度調整のために加水する以外は、もちろん源泉掛け流しです。
Img_8558 翌朝、女性客が多いということで、急遽男女入れ替わりとなりました。ということでこちらが女湯の内湯。
Img_8560 やはり桶の反対側が女性用の露天風呂でした。こちらは温泉街から見えないようになっていて、眼前の桜を楽しみながら入浴することができます。
Img_8549 夕食は、地元の美味しい食材を使った郷土料理。タケノコ(ヒメタケかな?)の煮物や、フキノトウの天ぷらが何よりのごちそうです。
Img_8552 会津の定番「こづゆ」も嬉しいです。
Img_8557 こちらが朝食です。
 温泉街から離れた静かな環境、美しい渓谷に雑木林、古めかしい建物。建物は武家風ですが、サービスはアットホームで、仲居さんはホントにそこらへんのおばちゃんという感じですが、素朴でとっても暖かいおもてなしです。お風呂は柔らかいお湯がこんこんと溢れます。料理も美味しいです。ぽん太の評価は4点。
 ところで、対岸から仙峡閣を望むと、さらに下の方に古めかしい旅館が見えます(グーグル・ストリートビューはこちら)。ググって見てもヒットしません。廃業した旅館でしょうか。あるいは上にある新湯さんの旧館でしょうか?

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