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2014年6月の14件の記事

2014/06/29

【歴史散歩】四谷駅から最高裁にかけて(尾張藩中屋敷・金鱗堂・岩城枡屋・高野長英大観堂・渡辺華山生誕地)

 いつぞやのことですが、国立劇場に行くおり、江戸時代スポットを訪ねながら四谷駅から歩いてみました。参考にしたのは「江戸散歩・東京散歩 改訂版―切り絵図・古地図で楽しむ、最新東京地図で歩く100の町と道」(成美堂出版、2008年)です。江戸切絵図と現在の地図が見開きになっていて、さまざまな史跡の解説が掲載されています。なかなか楽しい本ですが、地図上の史跡の位置が微妙にずれてたりするのでご注意を。

20140223_133849  まずは四谷駅を出て新宿通りを東に向かいます。新宿通りは、昔の甲州街道ですね。さて、まずはご存知上智大学です(地図の赤印)。ここは、徳川御三家のひとつ、尾張藩の中屋敷があったところです。「中屋敷」という言葉は皆さんご存知ですかね。江戸藩邸は普通は複数あって、距離や用途によって上屋敷・中屋敷・下屋敷などと呼ばれておりました。複数あれば火事になってもどれかは残る、といった火事対策の意味もあったようです。詳しくはWikpediaを御覧下さい。ちなみに尾張藩の上屋敷は現在の市ヶ谷の防衛省、下屋敷は新宿区の戸山公園の周辺でした。
20140511_153055 このあたり(地図の青印)が、切絵図の版元・金鱗堂があったところです。錦絵の版元でもあったため、5色を使った美しい地図で、人気が高かったそうです。
20140511_153055(地図の黄印)呉服店の大店、岩城桝屋があったところです。岩城枡屋は呉服屋の大店のひとつ。延宝5年(1677年)創業で、間口が50メートル、奉公人が200人以上いたそうです。
20140511_153118 (緑印)このあたりが高野長英の屋敷があったところです。
20140511_153055 白いビルの外壁にパネルがはまっていて、「麹町貝坂 高野長英 大觀堂學塾跡」と書かれています。
 ぽん太は高野長英に関しては、以前にみちくさしたことがあります(→こちら)。おさらいしますと、高野長英は文政11年(1828年)のシーボルト事件をきっかけに長崎を去りました。江戸に戻った長英は天保元年(1829年)に麹町貝坂に家を借り、医者をしつつ、大観堂塾を開塾しました。天保8年(1837)年には近くの家屋を購入して移転。翌年火事で類焼したものの、ただちに再建したそうです。
 こんかい訪れた場所が、最初の借家の方なのか、あとの買った家の方なのか、ぽん太にはちと判断がつきません。「貝坂」というの前者でしょうか?
20140511_154215 さて、最後は渡辺華山生誕の地です(オレンジ印)。写真は最高裁判所の南東の角、三宅坂交差点のところです。彫刻の後ろ側の植え込みの一角に立て看板が立ってます。
20140511_154145 ピンボケで読みにくーて申し訳ありませんが、ここに三河田原藩の上屋敷がかつてあって、渡辺家は藩士の息子として、寛政5年(1793年)に上屋敷内の長屋で生まれたそうです。また、天保10年(1839年)の蛮社の獄によって田原に蟄居を命じられるまで、ここに住んでいたと書いてあります。
 だけど、華山は天保3年(1832年)から田原藩の家老職に就き、様々な藩政改革に取り組んだはず。ということは、家老の仕事を、江戸屋敷でやってたのか。へ〜そういうもんなんだ。

2014/06/27

【神社】山のなかにある海の神様/穂高神社

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 ちとご報告が前後しますが、6月上旬、穂高温泉常念坊で山菜料理を満喫したぽん太とにゃん子。翌日は無駄な摂取カロリーを消費するために、ちょっとハイキングでもしたいところでしたが、あいにく夜半から雨となり、今日からいよいよ梅雨入り。どこか観光でもと考えましたが、この近辺の観光スポットはだいだい見つくしてるし……ということで、昔行ったことがあると思うけど、穂高神社に行くことにしました。ちなみに上高地の明神池のところにあるのが、この穂高神社の奥宮ですね。さらに奥穂高岳の山頂に、峰宮があります。公式サイトはこちらです。
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Img_9375 ありゃりゃ、なんだか新しくなっている。平成21年の大遷宮に際し、拝殿が新しく建て替えられたようです。旧拝殿は明治14年(1881年)に造られ、130年近い歴史を持つ建物だったそうですが、いろいろと理由はあるのでしょうけど、改修ではなく建て替えになってしまったのが、ちと残念に思います。ちなみに穂高神社大遷宮祭のホームページはこちらです。
Img_9399 なんか山小屋風な感じが、穂高っぽくていいです。寒い気候を考慮してか、閉鎖的な造りになってますね。反対側(本殿側)は、ガラスが入ってます。拝殿に上がってお参りする人が、寒い思いをする心配はありません。
 こういう建物をどういうところが造っているのかと思ったら、中村建築研究所というところのようです(→こちら)。善光寺の他、寺院や神社を専門にしているみたいです。
Img_9386 狛犬です。胸の筋肉の張り具合がすごいです。手塚治虫のマンガにでも出てきそうな気がします。
Img_9389 境内に奉納されている「神船」です。案内板によると、ぽん太の生息地にある多摩川の最後の船大工と呼ばれる久保井富蔵氏が造ったものだそうです。
 なんでこんな山の中に船なの?とぽん太は不思議に思うわけですが、穂高神社の公式サイトによると、ここでお祀りしている穂高見神(ほたかみのかみ)は海神に属する神様で、昔このあたりを支配していた安曇族は、もともとは北九州に住んでいた海人族なんだそうです。また熱海や渥美などの地名も、安曇と関係があると言われているそうです(Wikipedia)。
Img_9390 釈迢空(折口信夫)の歌碑です。「ものぐさ太郎 このよひはやくねぶるらし あづみの大野こほりそめつゝ」と書かれています。ものくさ太郎は日本の民話ですが、穂高神社の相殿に祀られている信濃中将と同一視されているようです(Wikipedia)。
 安曇族やものくさ太郎の話しは奥が深そうですが、こんかいはさわりだけにしておきましょう。

2014/06/26

【登山】釈迦への道は遠し/剣ヶ峰・大入道@高原山

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 6月中旬、小滝鉱泉に泊まった翌日、ぽん太とにゃん子は剣ヶ峰・大入道に登ってきました。
 塩原温泉の南に、ハンターマウンテンスキー場やエーデルワイス・スキーリゾートがある高原山という山があり、その最高峰は釈迦ヶ岳(1794.9m)です。ぽん太は以前に西側からアプローチしましたが、時間切れで、鶏頂山と釈迦ヶ岳の間の稜線にある御岳山までしか行けませんでした(その時の記事はこちら)。今回は東からのアプローチでしたが、午後から天候が不安定になって、雷やゲリラ豪雨の可能性もあるという予報だったので、剣ヶ峰で早々に切り上げて下山しました。う〜〜ん、やはり釈迦に到達するのは難しい。

【山名】剣ヶ峰(1530m)、大入道(1402.4m)
【山域】日光・那須・筑波
【日程】2014年6月19日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】曇り
【ルート】大間々9:24…(見晴らしコース)…八海山神社10:10…剣ヶ峰10:31…大入道11:19…小間々…大間々12:37

(※3D地図や当日の天気図などは「山行記録のページへ」をクリック)
【見た花】レンゲツツジ、シロヤシオ、ヤマツツジ、ギンリョウソウ、サラサドウダン
【マイカー登山情報】大間々(小間々にも)に広い駐車場あり。でも、レンゲツツジの季節は混みそう。
【参考URL】・http://www.yaita-kankou.com/kankou.html
 矢板市観光協会のページ。八方ヶ原周辺の詳しいガイドマップをダウンロードできます。昭文社の地図より細かい道が出ているので、オススメです。

Img_9461 小間々から大間々にかけてはレンゲツツジの名所だそうですが、残念ながら少々時期が遅かったようです。
Img_9436 大間々からの登山道は、見晴らしコースと林間コースがありますが、ぽん太とにゃん子は前者を選択。初めは広いハイキングコースですが、青空コースと分かれると登山道らしくなります。途中に鳥居がありました。
Img_9437 途中、火山性の岩石が見られ、この山の成り立ちが推測されます。登山道両側のツツジ(アカヤシオ?)は完全に散っていました。咲いていたらさぞかし見事でしょうね。
Img_9438 八海山神社直下の稜線。低山とは思えない荒々しい光景です。そういえば剣ヶ峰周辺には、旧石器時代に黒曜石を採取していた場所があります(高原山黒曜石原産地遺跡群)。ここが発見されたのはつい最近で、2005年のことだそうです。興味のある方は、国武貞克「栃木県高原山黒曜石原産地遺跡群の調査」日本旧石器学会ニュースレター第13号、2010年(pdfファイルはこちら)を御覧下さい。
Img_9440 八海山神社の祠です。なぜか前面に石が積み上げられており、側面の板は外れて中が見えてしまってます。
 八海山と聞くと、ぽん太が思い出すのは日本酒の銘柄じゃなくって、新潟県の八海山です。いったい八海山の信仰はどうなっているんだろうという疑問が湧いてきますが、よくわかりません。ちなみに新潟の八海山の麓には、「八海山神社」と「八海山尊神社」という二つの神社があるようです。後者には公式サイトがあって(→こちら)、ご由緒のところを見てみると、元々ローカルな山岳信仰としての八海山信仰がありましたが、江戸時代の寛政年間に、木曽御嶽山の王滝登山道を開いた普寛によって、白海山に登拝道が開かれたころから全国的に知られるようになっていったようです。ということは、八海山信仰のオリジンは新潟の八海山であり、剣ヶ峰の八海山神社はそこから勧請されたと考えていいのでしょうか?
Img_9442 見晴らしコースというくらいですから、きっと眺めがいいんでしょうけど、あいにくの天気で何も見えません。でも、まだ雨が降り始めるような気配はないので、温泉の夕食で得たカロリーを消費すべく、剣ヶ峰まで足を伸ばすことにしました。
 剣ヶ峰というので、片側がざっくり切れ落ちたりしているのかと思ったら、木立に覆われた小ピークでした。
 釈迦ヶ岳までは行けそうもないし、途中まで行って同じ道を引き返すのもなんなので、大入道を回って下山することにしました。
Img_9445 剣ヶ峰から大入道への稜線は、明るい広葉樹の樹林が続き、ため息が出るほどの美しさでした。冒頭の大きな写真も、このあたりで撮ったものです。
Img_9450 処々にブナの木もありました。けっこう幹は太いのに、あまり高く伸びていないのは、冬の風のせいでしょうか、それとも地質の関係でしょうか。この写真のブナは、これでもすらりと伸びている方です。
Img_9452 大入道に到着。どこか見晴らしがいいところでコーヒーでも飲みたいところですが、空模様が心配なので先を急ぐことにしました。
 王入道から小間々への道は、途中から沢沿いになり、一部沢を降りるような所もあって、登山経験者ならまったく問題はありませんが、初心者のハイキングの場合はちと注意が必要です。また、最後に小さな沢の渡渉があって、まったく問題なく石の上を渡れるのですが、何を考えたのかにゃん子が水没してました。
Img_9455 見て見て、この森の美しさ。妖精が住んでいるに違いありません。小間々のほど近くです。
Img_9460 小間々からは、咲き残ったレンゲツツジを眺めながら大間々まで戻りました。
 帰りは矢板市のチーズファクトリー(公式サイト)でチーズを買い、道の駅やいた(公式サイト)で農産物を購入。温泉は、ネットで見つけた矢板温泉まことの湯(公式サイト)で汗を流しました。広々とした内湯と露天を持つ日帰り温泉施設ですが、なんと源泉掛け流しです。

2014/06/25

【温泉】東京から車で2時間で秘湯の味わい・小滝鉱泉(★★★★)

Img_9407 6月中旬、ぽん太とにゃん子は栃木県は矢板市にある小滝鉱泉に行ってきました。公式サイトはこちらです。

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 矢板市といえば、宇都宮の先で那須塩原の手前。こんなところにいい温泉があるのかいな?とお疑いのことでしょう。実はぽん太もそうでした。でも行ってみたら、なかなか良い温泉でした。
 東北道を矢板インターで降り、県道56号で北東に向かい、山の中へと入って行きます。この道をどんどん行くと、峠を越えて、ぽん太が以前に訪れた明賀屋本館柏屋旅館がある、塩原温泉の塩の湯に到ります。こんかいはそこまで行かず、途中で左折して未舗装の道に入っていきます。道の両側に広がる雑木林の美しさに、ぽん太はびっくしいたしました。初夏の緑が爽々としておりました。しばらくすると急な下りのつづら折りとなって谷へと降りて行き、やがて小滝鉱泉の建物の前に出ます。
Img_9404 小滝鉱泉は川沿いにあり、樹々に囲まれた静かな一軒宿です。モルタルの小ぎれいな建物です。なんか普通の民家のようですが……
 玄関の上には、歴史を感じさせる看板が掲げられています。昔の建物はどんなだったんでしょう。
Img_9419 客室は明るい和室です。ちょっと手狭に見えますが、今日は空いてるとのことで布団は別室に敷いてくれて、二部屋を使わせてもらえました。
Img_9406 お風呂は男女別の内湯です。ふたがしてあって、開けて入ります。
Img_9408 お湯は褐色のうす濁りで、なめると鉄味がします。鉄泉と思われますが、タオルが茶色く染まるほどではありません。
Img_9410 温泉分析書です。pH3.7で、けっこう酸が強いんですね。泉温は17.8度で、循環して加熱しているようですが、加水の度合いは不明です。陽イオンでは、アルミニウムイオン(Al3+)の18.3mg/kgが目につきます。
Img_9411 右ページです。陰イオンでは硫酸イオン(SO42-)が306.7mg/kgあり、非解離成分ではメタケイ酸が多いです。
Img_9414 昔の効能書きの看板です。何やら聞いたことがない病名がいっぱいあり、これを一つひとつ調べていくのも面白そうですが、またの機会に。

Img_9420 さて、温泉ですっかりあったまったところで夕食です。部屋食が嬉しいです。まずは鮎の塩焼きが運ばれてきました。地酒をちびちびやりながら、いただきます。
Img_9423 次いで、意外なことに上げた手の餃子が出てきました。宇都宮が近いですからね。地酒をちびちびやりながら、いただきます。
Img_9424 メインが登場です。天ぷらの黒っぽくナスみたいに見えるのは、なんと目の前の川で釣った天然のヤマメとのこと。お、おいし〜ですけど、なんか天ぷらにするのがもったいない気がします。日光に近いのでゆばもはずせません。お造りはニジマス。お吸い物は鯉だそうですが、例の独特の泥臭さがなく、とても上品なお味でした。どちらも前の池で飼っているそうです。
Img_9429 さらに意外なことに、ビーフシチューが登場。統一感がないところが家庭料理っぽくていいです。余分な脂身のないお肉がとっても柔らかく煮込まれてました。
Img_9434 朝食はこちらです。
 東京から車で2時間ちょっとで、森の中の秘湯のムードが味わえるとは。小ぎれいな建物で、応対もアットホーム。お食事も地元の素材を生かした家庭料理がおいしく、温泉力もあります。コスパもよく、ぽん太の評価は4点!くつろげます。

2014/06/24

【歌舞伎】「名月八幡祭」の吉右衛門の芸/2014年6月歌舞伎座夜の部

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 6月の歌舞伎座夜の部は、松緑の息子の藤間大河くんが、三代目尾上左近を襲名しての初舞台。祝い幕の馬のおもちゃ(土鈴?)が可愛いです。公式サイトはこちらです。
 初代の尾上左近は、現在の松緑のお父さんの初代尾上辰之助。1952年の初舞台で初代尾上左近を名乗りました。1965年に初代尾上辰之助を襲名。「三之助」の一人として人気を集めましたが、1987年に40歳の若さで他界。没後の2001年、三代目尾上松緑を追贈されました。
 二代目の尾上左近は、現在の松緑ですね。1981年、二代目尾上左近として初舞台。1991年、二代目尾上辰之助を襲名。2002年、尾上松緑を襲名しましたが、上に書いたように前年に父親に三代目松緑が追贈された上で、四代目松緑を名乗りました。
 ということで三代目の尾上左近くん、2006年生まれ、2009年10月の歌舞伎座の「音羽嶽だんまり」(おとわがたけだんまり)で、3際の時に初お目見得、そしてこんかい8歳での初舞台となりました。

 その初舞台の演目は「蘭平物狂」。「義賢最後」か「蘭平物狂」かという激しい立ち回りが見物です。さらに前半の踊りがあり、刃物を見ると気が触れるというユニークな設定もあり、親子の情、「実ハ」の趣向もあって、なかなか楽しい歌舞伎です。蘭平の松緑、奴みたいな役はいいですね。物狂いの踊りはちょっと柔らかさに欠けたか。立ち回りに入って最初は、なんかおとなしいな〜と思っていたら、徐々にヒートアップ!後半のクライマックスに向けて、前半はやや抑えていたのかもしれません。左近くんも元気一杯。三階から見てると、まるでおもちゃみたいで可愛かったです。菊五郎の在原行平が、昼の部の実盛と対照的に、鷹揚でとぼけた感じが絶品でした。
 「素襖落」は、ぽん太は体調不良にて意識混濁状態でした。
 「名月八幡祭」は二度目。前回は三津五郎だったかしら。これは吉右衛門の芸に酔いしれました。眠ってしまった美代吉に、自分の手ぬぐいをかぶせた枕を与えたり、着物を掛けたりするところでの一つひとつの細かな芝居。美代吉が三次への愛想尽かしのなかで新助を誉めた時に、嬉しそうな顔を客席にちらりと見せる所ーーテレビや映画なら笑顔のカットを挟む所を、吉右衛門は顔を拭っていた手ぬぐいを外して客席に笑顔を見せましたが、これは決してリアルな演技ではありません。また、だまされたことを知って突っ伏している新助を、魚惣が腕を引っ張って立たせようとした時の、左腕だけを後ろに上げた姿。バレエを思わせるような美しいポーズでした。
 芝雀の辰巳芸者ぶり、錦之助の色男だけどどうしょうもない情夫、歌六の魚惣の気の短い江戸っ子ぶり、鷹揚として決して怒らない又五郎のお殿様、歌女之丞の女房お竹、全員がすばらしかったです。
チケットぴあ

歌舞伎座
六月大歌舞伎
平成26年6月22日

夜の部

  倭仮名在原系図
一、蘭平物狂(らんぺいものぐるい)
  三代目尾上左近 初舞台
   劇中にて口上相勤め申し候
   
 奴蘭平実は伴義雄    松 緑
 女房おりく実は音人妻明石    時 蔵
 水無瀬御前    菊之助
 一子繁蔵 初舞台左 近
 壬生与茂作実は大江音人    團 蔵
 在原行平    菊五郎
  
二、新歌舞伎十八番の内 素襖落(すおうおとし)
   
 太郎冠者    幸四郎
 太刀持鈍太郎    彌十郎
 次郎冠者    亀 寿
 三郎吾    錦 吾
 姫御寮    高麗蔵
 大名某    左團次

三、名月八幡祭(めいげつはちまんまつり)
   
 縮屋新助    吉右衛門
 芸者美代吉    芝 雀
 船頭三次    錦之助
 魚惣女房お竹    歌女之丞
 藤岡慶十郎    又五郎
 魚惣    歌 六

2014/06/18

【バレエ】毒抜きしすぎて悲劇性が薄れたかな。Kバレエ「ロミオとジュリエット」

20140615_132347 サッカー・ワールドカップ、初戦のコートジボワール戦は残念ながら負け!せっかく渋谷に来たので、大勢のお巡りさんが興奮冷めやらぬサポーターに目を光らせているハチ公前交差点を、渡ってみました。ちょっとドキドキしました。

 さて、Kバレエの「ロミオとジュリエット」、ぽん太は3年振り3回目の鑑賞です。前回の記事を読んでみると、どっぷりと感情移入して観ていたらしく、かなり絶賛しておりますが、今回はまた違った印象を受けました。すなわち、Kバレエのファン層の良家子女向けに、不安、恐怖、残酷さ、暴力性といった毒を抜きすぎたために、ドラマチックさが弱まっているように思えました。
 例えば、ロミオと一夜を過ごした後のジュリエットが、訪ねて来たパリスと踊るパ・ド・ドゥ。絶望感とパリスに対する嫌悪感から、まるで腑抜けのようになって踊る振付けが多いですが、今回はその辺は抑え気味で短くなっており、パリスの求愛のソロが長めになっていたように思います。しかも宮尾君のパリスはとっても誠実な好青年。パリスは、悪役まではいかないものの、「いい人」だと何か変です。これでは、ラストでロミオに刺されて殺されるのがあまりに可哀想で、このバレエで一番不幸なのはパリスのような気がします。
 薬で仮死状態のジュリエットとロミオの踊りも、短めだった気がします。確かにぐったりしたジュリエットと踊る姿はグロテスクですが、こうした「毒」がないと、ドラマチックな悲劇性が弱まり、きれいにまとまった恋愛ドラマみたいになってしまいます。
 乳母の前田真由子のコミカルな動きも上手でしたが、やはり舞台を「可愛らしいもの」にしていました。
 プロコフィエフの音楽だって、決して単なる愛のドラマではなく、不協和音や強烈なリズムによる不気味さ、不安感があると思うのですが。
 とはいえ、バルコニーシーンは最高でした。熊川のパフォーマンスはまだまだ衰えを見せないですね。「片足でクルクル回りながら飛び上がって、着地してからもクルクル回り続ける技」(名称不明)もすごかったです。ロベルタ・マルケスは、小柄でキュートで、まさにジュリエットはまり役。可愛いだけではなく、後半での演技力もお見事。でもナイフで自分の腹を刺す時は、もっと力を入れるもんじゃないのかな。ベンヴォーリオの井澤諒が素晴らしいピルエットを見せて、大きな拍手をもらってました。
チケットぴあ

Tetsuya Kumakawa K-BALLET COMPANY
15 Anniversary, Spring Tour 2014
「ロミオとジュリエット」 Romeo and Juliet
2014年6月15日
Bunkamuraオーチャードホール

ロミオ Romeo :熊川哲也 Tetsuya Kumakawa
ジュリエット Juliet :ロベルタ・マルケス Roberta Marquez
マキューシオ Mercutio :伊坂文月 Fuzuki Isaka
ティボルト Tybalt :遅沢佑介 Yusuke Osozawa
ベンヴォーリオ Benvolio :井澤諒 Ryo Izawa
ロザライン Rosaline :白石あゆ美 Ayumi Shiraishi
パリス Paris:宮尾俊太郎 Shuntaro Miyao
キャピュレット卿 Lord Capulet :スチュアート・キャシディ Stuart Cassidy
キャピュレット夫人 Lady Capulet :酒井麻子 Asako Sakai
乳母 Nurse:前田真由子 Mayuko Maeda
僧ロレンス Friar Laurence :川村海生命 Mikina Kawamura
僧ジョン Friar John:笹本学 Gaku Sasamoto

キャピュレット家の娘たち Capulet young women
  辻久美子 Kumiko Tsuji / 山田蘭 Ran Yamada
  金雪華 Solhwa Kim / 國友千永 Chiei Kunitomo / 新居田ゆり Yuri Niida
キャピュレット家の若者たち Capulet young men
  ニコライ・ヴィユウジャーニン Nikolay Viyuzhanin / 杉野慧 Kei Sugino
  浜崎恵二朗 Keijiro Hamasaki / 栗山廉 Ren Kuriyama / 吉田太郎 Taro Yoshida
ヴェローナの娘たち Verona girls
  井上とも美 Tomomi Inoue
  湊まり恵 Marie Minato / 中村春奈 Haruna Nakamura
  荒蒔礼子 Reiko Aramaki / 松岡恵美 Emi Matsuoka / 大井田百 Momo Oida
ジュリエットの友人たち Juliet friends
  佐々部佳代 Kayo Sasabe / 日向智子 Satoko Hinata / 井平麻美 Asami Ihira
  梶川莉絵 Rie Kajikawa / 河合有里子 Yuriko Kawai
マンドリンダンス The Mandolin dance
  池本祥真 Shoma Ikemoto / 福田昂平 Kohei Fukuda
  篠宮佑一 Yuichi Shinomiya / 石橋奨也 Shoya Ishibashi
街の人々 Towns people / 客人たち Guests 他 Artists of K-BALLET COMPANY

●芸術監督 Artistic Director 熊川哲也 Tetsuya Kumakawa
●演出・振付 Production / Choreography 熊川哲也 Tetsuya Kumakawa
●音楽 Music セルゲイ・プロコフィエフ Sergei Prokofiev
●原作 Original Story ウィリアム・シェークスピア William Shakespeare
●舞台美術・衣裳 Set and Costume Design ヨランダ・ソナベンド Yolanda Sonnabend
●舞台美術・衣裳アソシエイト Associate Set and Costume Design マシュー・ディーリー Matthew Deely
●衣裳アソシエイト Associate Costume Design アラン・ワトキンス Allan Watkins
●照明 Lighting Design 足立恒 Hisashi Adachi
●指揮 Conductor 井田勝大 Katsuhiro Ida
●管弦楽 シアター オーケストラ トーキョー Theater Orchestra Tokyo

2014/06/14

【拾い読み】とてもリアルなルポルタージュ!『宮地團四郎日記 土佐藩士が見た戊辰戦争』

 戊辰戦争に参加した一人の土佐藩士の従軍日記ですが、とても面白いです。というのも、土佐から大阪・京都、江戸を経て会津へと転戦して行くなかで、ええじゃないか踊りや龍馬暗殺、王政復古、近藤勇率いる甲陽鎮撫隊との交戦、江戸無血開城、そして会津戦争などの、幕末の重要な歴史的事件に遭遇していくのです。こうした出来事を描いた小説やドラマ、映画はいくつもありますが、それらはしょせんは作り事であり、ホントのところはどうだったんだろうという思いをぽん太は昔から持っていたのですが、本書では一藩士の生の声を、日記というリアルタイムなかたちで聞くことができます。宮地の筆致はあくまで簡潔ですが、そのなかから当時の風俗・習慣、そして何よりも彼の思いが感じ取れます。
 原文に、読みやすい現代語訳と、解説がついております。『宮地團四郎日記―土佐藩士が見た戊辰戦争』(小美濃清明編著、右文書院、2014年)。

 いつものように、興味を持たれた方は自分で勝手に読んでいただくことにして、以下はぽん太が気になったところをピックアップいたします。

 慶応三年(1867年)11月21日に土佐の自宅を出発し、23日に兵庫に到着すると、いきなり遊郭を見物。折しも御影踊り(おかげおどり、いわゆる「ええじゃないか踊り」)の真っ盛りで、神仏のお守りが降った、外国人の首が降った、お金が降ったなどの風説が乱れ飛んでいた様子。25日大阪では、見物しているうちに宮地自身も一緒に踊りたくなって、踊りの輪に加わったそうです。
 11月26日、京都で坂本龍馬が暗殺されたという噂について書いてます。龍馬暗殺は11月15日ですから、11日間のタイムラグがあったことになります。
 11月27日は大阪天王寺の五重塔に登って四方を見渡したところ、絶景であったと書いてます。これに限らず今後の行程でも、時間が空いている時は、あちこちの名所旧跡を見物しているのが面白いです。
 途中の宿代はとりあえず自分で建て替え、あとで領収書を提示して会計係からお金を受け取る仕組みのようです。諸々の金額の記載もあり、当時の物価を知る上でも重要な資料だと思いますが、このへんはぽん太はあまり興味なし。
 12月9日、京都で王政復古の大号令を迎え、明けて慶応4年(1968年)1月3日、鳥羽・伏見の戦いが勃発。宮地はこの戦には加わりませんでしたが、1月9日、征討将軍の護衛として大阪に向かいます。あちこちが大きく焼けていて、何百人もの死体が散乱し、「流血が雨上がりのように広がって」いたそうです。また、焼け落ちた大阪城を見学し、心斎橋で写真を撮ったりしております。
 お酒が支給されて皆で飲んだことや、病気になって療養したことなども書かれております。どうも日記全体を通して、宮地は病気で寝込むことが多かったようです。宮地が病弱だったのか、あるいは戊辰銭湯の身体的・精神的ストレスのなせるものなのか、ぽん太にはわかりません。この点は、気が向いたら、日を改めてみちくさするかもしれません。
 慶応4年(1968年)2月14日、京を出発して江戸へ向かいます。3月1日、先日ぽん太が高ボッチ山に登ったときに通ったばかりの塩尻峠にさしかかり、諏訪湖と富士山を望む絶景を誉め讃えています。ぽん太は逆方向に越えたので、そんなに景色がいいところだとは気がつきませんでした。
 ここでぽん太が興味深かったのは、諏訪湖の白狐の伝説を書き留めていること。諏訪湖の水が凍ると白い狐が通り、そこが街道になって人馬の通行が始まり、春になって暖かくなると再び白狐が通るのを合図に、通行が出来なくなると書いています。
 歌舞伎の「本朝廿四孝」(ほんちょうじゅうにしこう)で、兜の力によって八重垣姫に狐が乗り移り、姫は諏訪湖の氷の道を渡って行きます。これは今で言う御神渡りを題材にしていると思われます。ぽん太は以前に、御神渡りと狐の関係をぐぐってみたのですが、はっきりとした情報が見つかりませんでした(そのときの記事はこちら)。しかし宮地の記述からすると、諏訪湖の狐の伝説は、幕末には広く知られていたようです。ということは、明治の神仏分離のときに、狐伝説は消し去れたということでしょうか?まだまだ興味は続きます。
 3月6日、勝沼で甲陽鎮撫隊と交戦し、敵を敗走させました。もっともこの時は敵の正体はわかっておらず、3月11日の日記にようやく、敵の大将は大久保剛という者だが、近藤勇の変名であると書いてあります。
 3月15日、江戸新宿に到着。4月11日、江戸城の無血開場。仕事をしたり見物をしたりして過ごしました。
 4月23日、江戸を出発して北へ向かいました。4月25日、壬生戦争における死者や負傷者の名前が記載されております。死者・負傷者名の列挙は本書ではよく見かけますが、ここが初出となります。
 閏4月1日からしばらくは、今市・日光付近に逗留。お仕事の合間に、左甚五郎の眠り猫を見て「見事で生きた猫と変わりなし」と書いたり、男体山、中禅寺湖や滝(華厳の滝?)を見学。日光の律院は「バケモノ寺」と呼ばれていて、本堂の天井に血まみれの手で撫でた跡があると書いています。現在の日光山興雲律院のことでしょうか、ググってみると確かに「血染めの天井」というものがあるようですが(→こちら)、修行の寺で観光客の見学は受け入れていないようです。
 この後、だんだんと賊軍との戦闘の機会が増えてきて、記載も血なまぐさくなってきます。
 5月25日、白河入り。6月6日、川へうなぎ釣りに行ったが、首、腕、足などが流れて来て、あまりにうっとうしいので帰ったとのこと。6月12日、戦闘の末に敗走した賊軍を追撃。人家があったので放火。生け捕った敵の足軽の首を斬り、体を川に流しました。
 6月22日、七連銃(スペンサー銃)を、10両の借金をして38両で購入。新式の銃を手に入れて、これからの自分の戦功が頭に浮かんで来て元気が湧き、嬉しいこと限りなかったそうです。
 7月27日、出くわした賊軍を撃ち殺したと思ったが、近づいてみると生きていたので、腰のあたりを刀で突いたところ、2回ほど「堪忍して」と言ったあと、うなって死にました。この夜は仲間と酒を三、四合ひっかけたとあります。
 8月21日、母成峠の戦いに参戦。官軍が裏を突いて、会津軍の首尾が手薄だった母成峠を攻め、勝利した戦いです。母成峠はここ(→googleマップ)で、よく見るとぽん太がこの冬に中沢温泉を訪れた時に通った道ですね。そんな歴史ある道だったのか……。「弾丸が雨のように飛んでくる」状態で、宮地は「心中はまるで夢の中のようだ」と記しています。
 翌8月22日、母成峠から猪苗代に移動。あまりに順調に勝ち進んだため、補給が間に合わなかったのか、空腹で兵隊たちは動けなくなりました。木の実などを採って食べたが間に合わず、ところどころに会津軍が残して行った食料を食べて、何とか腹を満たしました。猪苗代駅に着きましたが住民は人っ子一人おらず、売り物の菓子から、民家にあった米、鶏や池の鯉まで焚いて食べたそうです。
 ついに会津城の包囲線が始まりますが、8月30日に「今日、少し体調が不調なので引き籠っていた」という記載があります。9月4日にも越後口へ進軍の命令が出たが、「少し体調が悪いので、残ることにする」との記載があり、最後の決戦に臨んで、体調不良での休養が許されるというのは驚きです。
 9月22日、松平容保が降伏。「父子とも駕篭で去る。供のもの、二十人ばかりで、軍服のままで刀も差していない。実に目もあてられぬ事だった」と宮地は書いております。
 間もなく仙台も降伏し、宮地にも故郷に戻る日が来ました。帰りは栃木県の阿久津(現在の東北本線宝積寺駅付近でしょうか)から船に乗って鬼怒川を下って久保田(結城市、水戸線の川島駅のちょっと下流あたりか?)でおり、そこから境駅(茨城県猿島郡境町か?)に出て、再び船で江戸川で下って江戸に戻ったようです。
 数日間江戸に留まりますが、行きと違って物見遊山の報告はなく、この間の戦闘における仲間の戦死者、負傷者の名前を、延々と列挙しています。
 品川からは外国船に乗って土佐まで行き、11月1日に無事我が家に戻ったようです。

2014/06/13

【歌舞伎】祝!仁左衛門復帰。菊五郎の実盛も充実・2014年6月歌舞伎座昼の部

 仁左衛門の復帰がうれしい6月歌舞伎ですが、菊五郎の「実盛物語」が見応えありました。公式サイトはこちらです。

 まずは「春霞歌舞伎草紙」(はるがすみかぶきぞうし)。若手が勢揃いして華やかで、時蔵の阿国、菊之助の山三の二人も目の覚めるような美しさ。
 出雲の阿国が踊っていると、伊達男の名古屋山三の幻が現れるという話しだそうですが、名古屋山三って誰?
 「なごやさんざ」と読むらしい。Wikipedia様に「名古屋山三郎」という項目で出ていて(→こちら)、安土桃山時代の武将。出雲阿国のだんな、歌舞伎の祖とも言われるそうです。また、豊臣家の小姓だった不破万作(ふわばんさく)、石田三成の家臣の浅香左馬之助とともに、戦国三大美少年と言われるんだそうな。

 次の菊五郎の「実盛物語」が充実していて、歌舞伎を見たという満足感を得られました。冒頭の詮議にやってきた武将という怖さから、最後の孫を見るおじいちゃんのような好々爺ぶりまで、役者として培ってきた芸と、積み重ねて来た時だけが生み出すことができる味によって、一つひとつしっかりと演じてくれました。生締(なまじめ)の貫禄と格好良さや、太郎吉に対する時のちょっと素に戻った風なとぼけた感じは、菊五郎ならではですね。まわりを固めた役者陣も全員がすばらしかったです。
 ところで今回ぽん太が気になったのは、小万を生き返らせるとき、父の九郎助が家から外に出て、井戸に向かって小万の名を呼びかける場面。昔はこんな風習があったのでしょうか。
 ググってみると、goo辞書の「魂呼び(たまよび)」という項目にありました(→こちら)。いわく、「死者の名を呼んで、離れていく魂を呼び戻す儀礼。枕頭(ちんとう)や屋根の上で、あるいは井戸の底に向かって大声で呼ぶ。たまよばい。」むむむ、知らんかった。
 それから、登場人物に関して、今回は太郎吉くんを調べてみました。太郎吉くんは劇の最後で「手塚太郎光盛」という名前をもらいますが、Wikipedia様に出てました(→こちら)。上田市の手塚地区を本拠地としていたと考えられているとのこと。別所温泉の近くですね。木曽義仲の有力な武将の一人で、寿永2年(1183年)の篠原の戦いで斎藤実盛を討ち取った逸話が『平家物語』に出ているそうですが、巻第七の「実盛」ですね。老いて白髪となった実盛が、鬢を黒く染めて戦に望んだことなどが書かれておりますが、歌舞伎はこれをふまえているんですね。
 『平家物語』で実盛の首を見た木曽義仲は、「自分がむかし上野国へ越えたときに、幼い目で見たときは、白髪まじりだった」と述べますが、昔の義仲と実盛の出会いに関しては書かれていません。『源平盛衰記』の巻第二十六には、実盛が幼い義仲を預かり、信濃国に送ったことが書かれているそうです。
 さらにWikipediaによれば、手塚光盛は手塚良仙や手塚治虫の祖先と言われているそうです。

 お次ぎの「元禄忠臣蔵」はぽん太が嫌いな演目なので、感想は省略。なぜ嫌いかというと、ぽん太の勝手な思い込みかもしれませんが、なんか軍国主義的な気がするんです。みんな心を乱さず、粛々と死んで行け……みたいな。

 最後は仁左さん復帰祝いの「お祭り」。やっぱり歌舞伎の舞台には、仁左衛門のこの笑顔と可愛らしさが不可欠です。腕も上がっているようでした。体を大切にして、長く舞台を務めてほしいです。

チケットぴあ

歌舞伎座
六月大歌舞伎
平成26年6月12日・昼の部

一、お国山三 春霞歌舞伎草紙(はるがすみかぶきぞうし)   
    出雲阿国    時 蔵
    若衆    亀 寿
    若衆    歌 昇
    若衆    萬太郎
    若衆    種之助
    若衆    隼 人
    女歌舞伎    尾上右近
    女歌舞伎    米 吉
    女歌舞伎    廣 松
    名古屋山三    菊之助

源平布引滝
二、実盛物語(さねもりものがたり)  
    斎藤実盛    菊五郎
    小万    菊之助
    葵御前    梅 枝
    矢走仁惣太    橘太郎
    小よし    右之助
    九郎助    家 橘
    瀬尾十郎    左團次

元禄忠臣蔵
三、大石最後の一日(おおいしさいごのいちにち)
    大石内蔵助    幸四郎
    磯貝十郎左衛門    錦之助
    おみの    孝太郎
    細川内記    隼 人
    赤埴源蔵    橘太郎
    原田玄沢    松之助
    吉田忠左衛門    錦 吾
    堀部弥兵衛    桂 三
    早水藤左衛門    由次郎
    堀内伝右衛門    彌十郎
    久永内記    友右衛門
    荒木十左衛門    我 當

四、お祭り(おまつり) 
    鳶頭松吉    仁左衛門
    若い者    千之助

2014/06/12

【歌舞伎】勘三郎なきあと串田和美がやりたいようにやった感じかしら「三人吉三」2014年6月シアターコクーン

 中村勘三郎と串田和美の二人三脚で行われて来たコクーン歌舞伎。勘三郎の急逝で昨年は海老蔵のABIKAIでしたが、今年は満を持しての再開。でも、これまでは座布団のかぶりつきで見てたのが、今回は3等席というあたりに、ぽん太の微妙な気持ちが表れています。勘九郎、七之助に話題の松也が加わって若者大奮闘の舞台でしたが、「勘三郎がいなくなって、串田和美がやりたいようにやった」というのが第一印象でした。松竹の公式サイトはこちら、会場のBunkamuraの特設サイトはこちらです。
チケットぴあ
 コクーン歌舞伎で「三人吉三」が上演されるのは、2007年以来7年ぶり。前回の公演を観ているはずなのに、全然覚えていないのが、われながらいさぎよいです。ぽん太のブログにも記事がなく、前回の舞台と比較することができないのが哀しいです。
 ただ、観ていて、「これは歌舞伎ではないな〜」と感じました。確かに勘三郎や七之助たちは頑張って演じてましたが、歌舞伎を原作とし、歌舞伎役者をフィーチャリングした、現代劇だと思いました。勘三郎の頃のコクーン歌舞伎は、例えばラップを取り入れるなど斬新な演出をしておりましたが、歌舞伎作者がもし現代に生きていたらどうするか、という軸がしっかりしてました。しかし今回の舞台には、そうした問いかけは感じられませんでした。
 では、具体的にどこにそれが現れているのかを、しっかりを記述できればぽん太も歌舞伎評論家になれるのでしょうが、とてもそんな力はなく、単なる印象としてしか言えないところが残念でございます。ただ、歌舞伎以外の役者が多かったのに、ちょっと違和感がありました。
 もちろん、串田和美の演出にも、はっとするところがありました。舞台の手前側と奥側をライティングで場面転換する手法とか、お嬢吉三とお坊吉三が寺で自害しようとするところでのオレンジ色の布の使い方など。
 しかし、三人吉三が現れるまでの前置きがちょっとだれてた気がするし、歌舞伎では重要な、すべては犬を殺したことに始まる因縁であるということはあまり強調されておらず、歌舞伎を知らない人にはわかりにくかったのでは。また最後の幕も、江戸時代の「木戸」の仕組みを知らないと理解しにくかったかもしれません。木戸の反対側にいたはずのお嬢とお坊が、いつのまにか一緒にいたのは、何ででしょう。
 歌舞伎役者陣は健闘。松也がなかなか演技がうまいのにはおどろきました。ただ、今回は現代劇調。AKBだなんだで話題になって喜んでないで、本業の力をつけて欲しいところです。七之助はあいかわらず素晴らしい。勘九郎、いつもながらの熱演。十三郎とおとせの首を斬ってからの下りは、引き込まれるものがありました。鶴松も悪くなし。新悟はちと押さえ気味だったのか、普段ほど目立ちませんでした。亀蔵、今回のメンバーのなかでは舞台を締めてました。出番が少なかったのが、ファンのぽん太は残念。
 笈田ヨシほか非歌舞伎陣の演技も素晴らしかったですが、歌舞伎以外の役者が多かったのも、非歌舞伎的な印象の一因となりました。
 そういえばこんかいは、大向こうさんが一人もいなかったですね〜。歌舞伎じゃないからと断ったんでしょうか。
 音楽は下座音楽なしでしたが、音楽担当の伊藤ヨタロウのツケ打ちのうまさに、むしろ感動しました。
 実は今回の公演のチラシの写真、ぽん太はいたく気に入ってました。勘三郎・七之助・松也が、息苦しい現代社会のなかで自分を貫こうとして、否応なくアウトロー化していく若者たちのように見えました。今回の舞台もどうせ非歌舞伎路線でいくなら、いっそそうした現代の若者の叫びにまで到達できたら素晴らしかったと思いました。また、お嬢とお坊のちょっと倒錯的な友情なども見たかったです。
 串田和美の演出は悪いわけではありませんが、「歌舞伎ファン」のぽん太としては、来年のコクーンはどうするかな〜と思いました。

渋谷・コクーン歌舞伎第十四弾
三人吉三(さんにんきちさ)
Bunkamura シアターコクーン
平成26年6月11日
 
◆演出・美術  串田 和 美
   
◆出演            
和尚吉三 中村 勘九郎
お嬢吉三 中村 七之助
お坊吉三 尾上 松 也
十三郎 坂東 新 悟
おとせ 中村 鶴 松
海老名軍蔵/八百屋久兵衛 真那胡 敬二
太郎右衛門/長沼六郎 大森 博 史
堂守源次坊 笈田 ヨ シ
土左衛門伝吉 笹野 高 史
研師与九兵衛 片岡 亀 蔵

2014/06/11

【山菜・温泉】夏は登山で賑わう宿に、今回は山菜目当でお伺いしました/常念坊(★★★★)

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 山菜の季節はまだまだ続くぜ。でも、もうそろそろ終わりかな?と、いうことで山菜好きのぽん太とにゃん子、今回は穂高温泉の常念坊さんにお世話になりました。北アルプスを望む安曇野の西のはじ、美しい森に囲まれた落ち着いた宿です。公式サイトはこちら

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Img_9326 夏は登山客で賑わうこの辺りも、いまは人気がまばら。赤松林の中に建つ、落ち着いた和風建築です。
Img_9328 宿の名前は「常念坊」ですが、別に宿坊ではありません。宿の西側にある山の名前が「常念岳」なのですが、これが「常念坊」にまつわる伝説から来ていると言われております。また、春になると東側の斜面に浮き出る雪形が、「常念坊」と呼ばれています(Wikipedia)。
Img_9348 内部は、山荘風の雰囲気が取り入れられております。宿のご主人が登山ガイドなんだそうで、宿主催の登山教室なども開かれ、登山シーズンは混み合うそうです。
Img_9349 薪ストーブもいい味を出してます。
Img_9345 客室は広々とした和室。トイレなしの狭い部屋で予約したのですが、トイレ付きの広い部屋にランクアップして下さいました。ありがたや、ありがたや。
Img_9334 温泉もなかなかいいです。浴槽は二つに分かれていて、奥から75.4度という高温の源泉が流れ込み、奥は熱めで手前はぬるめというタイプです。無色透明、無味無臭のお湯ですが、とろりとした感触の美肌系の湯です。もちろん加水なしの源泉掛け流しです。
Img_9331 露天風呂は、美しい樹林を眺めながら入ることができます。今日から梅雨入りですが、樹々はまだ新緑の鮮やかさです。
Img_9340 温泉分析書です。pH8.5のアルカリ性単純温泉。しかし、精神科医のぽん太が着目するのはリチウムイオンが0.6mg/kg含まれている点。リチウムは、躁うつ病などの治療に使われ、また水道水にリチウムが含まれる地域では自殺率が低いなどの報告もあります(例えば こちらのpdfファイル。石井啓義他「水道水中のリチウムは自殺予防に働くか?」精神経誌 2012)。ここのお湯を飲泉していると、少しは気持ちが落ち着くかもしれません。
Img_9343 一部循環加熱はしているものの、加水なしの源泉掛け流しです。
Img_9354 さあて、お待ちかねの夕食です。山菜好きであることを伝えておいたら、山菜中心のメニューにして下さいました。ありがたや、ありがたや。次々と出来立ての料理が運ばれて来るので、全体写真はありません。左はワサビ、右はワラビの信田巻きですね。
 ところで、何で油揚で巻いた煮物を「信田巻き」って言うの?ぐぐってみると、大阪の信太の森の白狐が、助けてくれた人に恩返しをしたという伝説から、油揚のことを「信太」「信田」などと言うんだそうです。
 で、ナントこの伝説を元に作られた歌舞伎が『蘆屋道満大内鑑』(あしやどうまんおおうちかがみ)なんだそうです。別名「葛の葉」。葛の葉姫に化けた白狐が、筆で障子に文字を左手で書いたり、下から上に書いたり、口に筆を加えて書いたりという「曲書き」が見所で、産んだこともが実は後の陰陽師・安倍晴明というやつですな。う〜ん、また一つ賢くなったばい(Wikipedia)。
Img_9363 おやきですが、ぽん太がこれまで食べたおやきとは別物です。普通のおやきは、まわりの皮が饅頭みたいで柔らかいですが、このおやきは固くてカリカリです。味は、例えて言えばインドのナンみたいな感じ。中身は味付けしたネギで、焼きたてのアツアツでいただくと、とても美味しいです。なんでもこのあたりでは、囲炉裏の灰の中に埋めておやき焼く習慣があるんだそうですが、旅館では出せないので、オーブンで焼いているそうです。これは、これまでのおやきの概念が覆される美味しさです。
Img_9356 ヤマウドなどの山菜を、豆腐や豚肉と煮込んだ山菜鍋。上に乗っかっているのは?鯖缶です。う〜ん、これは旅館のお料理としては、ちょっと掟破りのような気もしますが……美味しいです。
Img_9357 こちらは信州サーモン。長野県水産試験場がニジマスとブラウントラウトを交配して作ったブランド魚ですね。詳しくは、例えばこちらを御覧下さい。
Img_9359 定番の山菜天ぷらも揚げたてで。この他に、岩魚の塩焼きや茶碗蒸しなどもつきます。ぽん太とにゃん子は山菜尽くしに大満足。
Img_9368 こちらが糧食です。
Img_9370 おひたしはニリンソウでした。
 落ち着いた宿で、単純アルカリ性温泉の源泉掛け流しのお風呂も上々。特に今回は山菜尽くしのお料理が、素材だけでなく味付けも素晴らしく、暖かい雰囲気のいい宿でした。ぽん太の評価は……5点に限りなく近い4点!

2014/06/10

【登山】高ボッチ山・鉢伏山も立派なピークハントだよ

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 性懲りもなく今週も山菜を食べに旅行。その前に上高地にでも寄ろうかと思っていたのですが、出発が遅れて行ったとしてもタッチアンドゴーになりそうな気配。そこで、ちょっと気になっていたけど行く機会がなかった高ボッチ山と鉢伏山に行くことにしました。地図もありませんが、スマホでゲットした案内図を見ながらゴー!
 高速を岡谷インターで降り、国道20号を走って塩尻峠を越え、高ボッチスカイラインを登っていきました。初めて走った道で、ちょっと新鮮でした。高ボッチ高原の草競馬場では、山菜採りをしている人たちがいました。ワラビの出始めだったようですが、ワラビはアク抜きが面倒なので、ぽん太とにゃん子はスルーしました。
 花の百名山に入っている山ですが、花盛りにはちと時期が早かったようです。

【山名】高ボッチ山(1665m)、鉢伏山(1929m)、前鉢伏山(1836m)
【山域】甲信越
【日程】2014年6月4日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】曇りのちガス
【ルート】駐車場12:24…高ボッチ山山頂12:32…駐車場…ひょうたん池13:00…駐車場13:21
鉢伏山荘駐車場13:53…鉢伏山14:11…前鉢伏山14:33…鉢伏山荘駐車場14:43

(※3D地図や当日の天気図などは「山行記録のページへ」をクリック)
【見た花】レンゲツツジ、トウゴクミツバツツジ、ズミ、ベニサラサドウダン、サクラソウの一種、クリンソウ
【見た動物】子鹿のバンビ
【マイカー登山情報】高ボッチ山には、自然保護ボランティアセンター前の無料駐車場が利用できます。鉢伏山には、鉢伏山荘の有料駐車場(協力金500円也)を利用します。1時間弱でこの値段は高すぎる気がしますが、かといって付近の路肩には停めるスペースは全くありません。

Img_9297 いきなり山頂の写真というのはぽん太のブログでもさすがに初めてか。登り始めて10分弱で到着です。天気が良ければアルプスの展望が素晴らしいのでしょうが、梅雨入り直前であいにくの曇り空でした。
Img_9298 レンゲツツジがちょっとだけ咲き始めてました。満開になったら見事でしょうね。でも、きっと混雑することでしょう。
Img_9300 こちらはトウゴクミツバツツジ。普通のミツバツツジの雄しべは5本ですが、トウゴクミツバツツジは10本です。雄しべが十(とう)なら「トウ」ゴクミツバツツジと覚えましょう。
Img_9302 駐車場に戻りましたが、あまりに物足りないので、表示に従って「ひょうたん池」まで行くことにしました。途中、満開のズミの木があちこちに見られました。
Img_9303 色が濃いのでベニサラサドウダンでしょうか。
Img_9304 ひょうたん池は、水量が少ないせいか、ひょうたん型ではなく卵型でした。
Img_9307 岸辺にサクラソウの一種が咲いてましたが、なんだかわかりません。どなたか教えて下さい。
Img_9310 こちらはクリンソウですね。
Img_9313 車で移動し、鉢伏山荘の有料駐車場に車を停め、鉢伏山山頂へ。完璧に整備された道ですが、高ボッチ山よりは登りがいがあります。遠目には、名前の通り鉢を伏せたような格好で、山頂付近は広々してるので、標識がないとどこが山頂かわかりません。
Img_9314 山頂付近に鳥居と祠がありました。
Img_9318 比較的新しく見える石の祠には、「鉢伏大神」と書いてありました。あとでググってみましたが、いわれはよくわかりません。祠の少し先に、いくつかの宗教的な石造物が並んでいる所があるそうですが、見逃しました。いずれにしろ、鉢伏山は山岳信仰の山ということでしょう。
 鉢伏山の西麓に「牛伏寺」(ごふくじ)というお寺があり、国指定の重要文化財もある立派なお寺のようで、何か関係があるような気がしますがホームページ(→こちら)の「縁起」を見ても関連はよくわかりません。
 ようやく見つけた松本市文化財ホームページ「松本のたから」(→こちら)に、牛伏寺は、鉢伏山の山岳信仰から山頂に祀られた鉢伏権現の、里寺的性格があったらしいと書かれています。牛伏寺がかつては、山岳信仰と真言密教が習合した宗教施設だったというのは、ありえる話しです。こうした歴史は、明治時代の神仏分離・廃仏毀釈によって、消し去られてしまったのでしょう。牛伏寺、そのうち訪れてみたいです。
 また、昔の山と渓谷社の「美ガ原・霧が峰 (アルペンガイド12)」(1995年)によると、頂上からちょっと西側に下ったあたりの立ち入り禁止区域に、鳴神碑や若山牧水・喜志子夫妻の歌碑があるそうです。歌舞伎好きのぽん太は、「鳴神」と聞いては捨て置かれません。ぜひ、通路を開放して欲しいと思います(500円も取ったんだから)。
Img_9315 鉢伏山山頂付近を、ヘリコプターが超低空でホバリングして行きました。荷揚げじゃなさそうだし。こんな時期に鉢伏山に登っているぽん太とにゃん子が、不審者に見えたんでしょうか。
Img_9320 温泉に泊まって夕食をいただくには、まだちょっと歩き足りなかったので、前鉢伏山にも行きました。明日の梅雨入りに向けて天候は下り坂で、ガスがかかってきました。
Img_9325 帰り道で、子鹿を見かけました。脅かさないように車でゆっくりと通り過ぎようとしているのに、道路上を進行方向に逃げて行くので、なかなか追い抜けませんでした。かなりの子供で、足がヨタヨタしていたので、ほんとに生まれて間もない子鹿かも知れません。母親がとつじょ車に体当たりでもしてくるんじゃないかと、ヒヤヒヤしました。
 帰りは崖の湯温泉方面に下りました。山上旅館(やまじょうりょかん)は、ぽん太は20年以上前に泊まったことがあるのですが、温泉街全体がかなり寂れている感じでした。日本の秘湯を守る会に所属する薬師平茜宿を除くと、集客が落ちているのかもしれません。

2014/06/09

【山菜・温泉】山菜の宝庫月山にある志津温泉かしわや(★★★★)付:茂木正二酒店@山形市

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 月山の雪上登山を楽しんだぽん太とにゃん子は、月山スキー場近くにある志津温泉の「かしわや」さんにお世話になりました。「山菜料理・温泉」をキーワードにぐぐって見つけた宿です。公式サイトはこちらです。

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Img_9257 建物は鉄筋です。
Img_9290 窓からは月山が望めます。写真は宿の屋上から撮ったもので、左が湯殿山、右が姥ヶ岳です。
Img_9264 お部屋はシンプルな和室で、落ち着いた雰囲気です。
Img_9259 お風呂もタイル張りで明るく清潔です。
Img_9262 お湯は無色透明で、ナトリウムー塩化物温泉とのことですが、カルキ臭が強いのがちと残念。
Img_9260 加水、循環加温しているようです。

Img_9270_2 さて、お待ちかねのお食事です。お〜!見事な山菜料理です。コゴミ、ゼンマイ、ギョウジャニンニク、ウド等々……。生のコシアブラを生ハムで巻いたお料理は、生まれて初めて頂きました!この他に、揚げたての山菜天ぷらが出たのですが、写真を撮るのも忘れて食べてしまいました。山菜好きということを聞いて、アク抜きしていないゼンマイの天ぷらを出してくれました。ニガリみたいな独特の苦さがいたしました。
 宿のご主人と若旦那が自ら採ってきたものだそうですが、宿のすぐ裏にも、コゴミやヤマウドがいくらでも生えてます。
Img_9271 お食事はおいしい豆ご飯。ぽん太もにゃん子も満腹まんぷく。
Img_9277 翌朝、白装束を身にまとった人たちが、大きなわらじを背負って、ホラ貝を吹き鳴らしながら温泉街を練り歩くという神事が行われ、ぽん太とにゃん子は偶然見ることができました。
Img_9273 大わらじは温泉街の人たちが作ったもので、6月1日の湯殿山開山祭で湯殿神社本宮に奉納されるのだそうです。この神事は、東日本大震災への祈りを込めて、2011年の月山志津400年祭をを初めに、毎年行われているんだそうです。
Img_9283 こちらが朝食です。
Img_9286 朝食にも山菜くんが登場。ワラビ、ゼンマイ。コシアブラにはクルミのトッピング。
 山菜料理は素晴らしいの一言。温泉はちと残念ですがコスパもよく、山菜料理が目的ならば、ぽん太の評価は文句なしの4点。

Img_9292 余談ですが、山形市内で酒屋を探しまわっていたときに見つけました。この木製の看板はかなりの高得点です。茂木正二酒店さんだそうです(地図)。

2014/06/08

【登山】スキーも履かずに雪の月山

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 昨年もこの時期に月山周辺に来たものの、体調不良から県立自然博物園の散策という苦渋を飲んだぽん太とにゃん子(いえ、県立自然博物園のガイド付きウォークはとても面白く、ガイドさんにも大感謝でしたが、でも、ホントは月山に登りたかったんです)、今年は雪の月山山頂を目指しました。

【山名】月山(1984m)
【山域】朝日・出羽三山
【日程】2014年5月29日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】快晴
【ルート】月山スキー場駐車場11:06…リフト乗車場---リフト降車場11:42…月山山頂13:44-14:07…月山スキー場駐車場15:40

(※3D地図や当日の天気図などは「山行記録のページへ」をクリック)
【マイカー登山情報】月山スキー場の駐車場は、協力金500円。平日なので余裕で停めれました。営業していない旅館の前に停めれそうな気がしますが、夕方にはしっかりロープが張られてたので、停めてはいけません。

Img_9213 夏スキーで賑わう月山スキー場の駐車場(協力金500円也)から、リフト乗車上目指して歩きます。正面が姥ヶ岳。月山山頂はその右側になりますが、手前の山で隠れて見えません。
 リフトは、スキーを履いていない場合は登りのみ乗車可。従業員も手慣れているようで、乗りやすいように速度を落としてくれます。
Img_9215 ぐんぐんと高度をかせいで、降車場に到着。げにリフトは有り難きかな。
Img_9216 一般スキーヤーのみなさんは、ここからゲレンデを滑って行きますが、われわれは登山開始。雪はくさっていてキックステップで登っていけそうですが、足元の安定のために軽アイゼンを装着。
Img_9217 姥ヶ岳山頂に向けてTバーが設定されますが、これを左に見ながら登っていきます。進路を確認しようとしたところ、なんと地図を車の中に忘れたことが判明。月山は2回登ったことがあるし、天気も快晴なので大丈夫でしょう。まんがいち天候急変で視界不良になったとしても、自分の足跡を辿れば大丈夫です。間違えて西俣沢を下らないようにだけは、注意が必要です。
Img_9219 最初の稜線を越えると、広大な雪原の向こうに月山山頂が見えてきます。中央の下の方に見えるゴマ粒は、山スキーのおじさんです。まだお昼だというのに、あちこち入道雲が上がって来ており、遠雷が聞こえました。雪原で雷に遭うのだけは勘弁なので、入道雲が育っていかないか、十分な注意が必要です。あとでググったところでは(livedoor天気予報)、この日、山形市内では、雷注意報に引き続き、大雨洪水警報が発令されたようです。われわれの方に雷雲が流れてこなくてよかったです。
Img_9223 上へ上へ登っていきたいという気持ちがあったため、弓なりに遠回りをする感じになり、また余分なアップダウンが必要となりました。低めのところをショートカットして行ったほうが、早かったかもしれません。真ん中やや下に山スキーのオジさんです。本日バックカントリーに入っていたのは、山スキー2名(途中から滑降)、頂上まで登った山スキー1名、登山者はわれわれを入れて3名の、計6人でした。このぐらいの傾斜だったら、ぽん太たちもテレマークスキーで来れば下りが速かったのに、と後悔しました。
P5290067 雪の上に、緑色のきれいなカメムシみたいなのがいっぱいいました。あとでぐぐってみたら、ハサミツノカメムシの雄のようですが、なんで雪の上にいるのかはわかりませんでした。どなたか知ってたら教えて下さい。
Img_9224 雪原に浮き出た模様と、山スキーのオジさん。
Img_9231 来し方を振り返る。夏になると谷間にいくつもの三日月状の雪が残る姿となりますが、いまはあたり一面真っ白です。
 松尾芭蕉が月山を詠んだ句に「雲の峰いくつ崩れて月の山」というのがありますが、そうした残雪期の風景にインスピレーションを得たものでしょう。
 と書いておいて、ホントかどうか心配になって来たので『おくのほそ道―現代語訳/曽良随行日記付き (角川ソフィア文庫)』(潁原退蔵他訳、角川書店、2003年)を調べてみました。注釈付きの原文に、解説付きの現代語訳があり、さらに「曾良日記」も付いているという便利な本です。それを見ると、芭蕉が月山に登ったのは元禄2年の旧暦6月6日です。『おくのほそ道』の本文では「八日、月山に登る」となっておりますが、実際は6日だったそうで、随行した曾良の日記でもそうなってます。さて、これを現在われわれが使っている西暦に直すと、1689年7月22日となりますから、だいたい時期的には合っているようです。例えばこちらのヤマレコの登山記録は昨年の7月21日のものですが、16枚目の写真(一番右の上から4つ目)にそのような風景が写っています。
 ところで、『おくのほそ道』には虚構が含まれており、厳密な旅行記ではないことはよく知られていますが、なぜ芭蕉は月山に登った日を変えたのでしょうか。しかも直前の羽黒山に登った日は、正しく旧暦6月3日と書いているのに。その理由は上に挙げた本にも書いてませんが、おっほん、なんとぽん太が思いつきました。その理由は「月」にあります。
 旧暦というのは、月の満ち欠けによって日付が決まっておりましたから、昔の人は「何日」と聞くと、その夜の月の形が思い浮かびました。1日が新月(つまり真っ暗)。三日月、半月を経て、15日が満月。そこからはだんだん欠けていって、30日がほぼ真っ暗となります。例えばこちらのサイトを見ると、今月の月齢カレンダーを見ることができますが、日付の下に小数で月齢が書いてあり、これがほぼ昔の日付にあたるわけです。すると月齢6日はいわゆる「三日月」であり、8日は「半月」であることがわかります。月山の残雪の形や、たおやかな山容には、三日月より半月が合うと芭蕉は考えたのではないでしょうか。ちなみに羽黒山に登った3日は「ほそ〜い三日月」で、芭蕉は羽黒山で「涼しさやほの三日月の羽黒山」という句を詠んでおり、凛とした雰囲気に細い三日月がピッタリで、月山と見事に対比されているとぽん太は思います。
 じじつ芭蕉は月山の記述では「月」にこだわっていて、雲や霧が立ちこめるなか雪を踏んで登っていく様子を、「日月行道の雲関に入るかと怪しまれ」(太陽や月が運行する雲の関に入って行くのかと怪しんだ)と書いております。またようやく頂上に達した時に日が沈んで月が現れたと書いており、三日月よりも明るい半月の光が雪に反射して、あたりを照らし出したと考えると、ビジュアル的に優れています。
 さらにみちくさすれば、芭蕉の行程は、羽黒山を馬で出発し、北側から月山に登って山頂で一泊。翌日は南東に下って湯殿神社にお参りし、来た道を戻って再び月山を越え、その日のうちに羽黒山まで帰りました。今でこそ湯殿神社には、湯殿山仙人沢有料道路を使って30分ほどの歩行でゆくことができますが、湯殿神社はパワースポット中のパワースポットの奥の院、昔は芭蕉のように月山を越えて往復するか、あるいは今の志津温泉から玄海古道を通って装束場で月山からの道に合流するしかありませんでした。
Img_9234 ウォッホン、みちくさが過ぎました。
 さて、雪渓を登れる所まで登って、夏道に出ました。写真は鍛冶稲荷神社。ここには「おくのほそ道」にも書かれているカジ小屋というのがあったはずで、ぽん太の持っている地図(1995年版)にも表示されているのですが、現在は撤去されておりました。
Img_9235 頂上小屋の向こうに山頂の月山神社が見えます。神仙池はまだ雪に覆われておりました。天気はよかったのですが北側はけぶっていて、残念ながら鳥海山は見えませんでした。
Img_9250 下りは、登りの失敗を生かして、ショートカット気味のルートをとりました。あゝ、スキーがあればもっと楽だったのに!スキー場に出てからは、谷コースを走り降りました。

2014/06/01

【山菜・民宿】山菜満喫!ふれあい感も心地よい/農家民宿「あえる村」@山形県飯豊町中津川(★★★★)

Img_9200
 東京は夏のような暑さですが、東北は山菜の季節。ということで5月末、山形に山菜を食べるツアーに出かけてきました。
Img_9195 今回お世話になったのは、山形県は飯豊町、中津川にある農家民宿「あえる村」さんです。「山菜料理・宿」をキーワードにぐぐっていたところ、中津川の「農家民宿」なるものにヒット!なんでも一種の村おこしのようなものなのでしょうか、数軒の農家が民宿をオープンし、農村体験型ツーリズムを行っているのだそうです。場所的には、飯豊山の北東、米沢のちょっと西になりましょうか。
 宿泊の際に参考になるサイトはこちら!
山形県飯豊町観光協会/民宿の一覧あり。
山形県ホームページのなかの中津川の観光案内/農家民宿を含む中津川の観光案内とマップのpdfファイルです。
なかつがわ農家民宿/それぞれの農家民宿の特徴が書かれています。変なブック形式。
 ところで、三つのリンクのうち下の二つは、特殊なフォーマットになっているのか、ぽん太のパソコンではうまくダウンロードや印刷ができません。最近はネットの時代。ぜひ、普通のファイルで情報の提示をお願いします。
 農家民宿の歴史というか、なぜに農家民宿が生まれたかについては例えば下記のサイトを御覧下さい。いわゆる「限界集落」だった中津川で組合を作って民宿を立ち上げたのが2007年。現在は台湾人のツアーや、修学旅行の子供たちが定期的に訪れるそうです。
山形新聞・逆境を乗り越える[1] 飯豊・中津川(上)
山形新聞・逆境を乗り越える[2] 飯豊・中津川(中)
山形新聞・逆境を乗り越える[3] 飯豊・中津川(下)
農家民宿いろり女将 伊藤信子さん/人々の素顔

 Img_9196 なんか理屈っぽくなってしまいましたが、こちらが民宿「あえる村」さんの建物。農家民宿のなかには、築100年を越える建物もあるようですが、今回は山菜がメインなので、「ヤマメと山菜の宿」という触れ込みのあえる村さんを選択しました。お風呂は近くの温泉の日帰り入浴を利用しますが、残念ながら泉質はカルキ泉です。
Img_9210 民宿からは、まだ雪を頂いた飯豊山が見えます。
Img_9209 一階の一番奥が泊まるお部屋です。浴衣などのアメニティはございません。
Img_9207 反対側は襖を隔てて家族の居間に続いており、小学校の坊やが食事をしたりテレビを見たりしており、アットホームな雰囲気です。他のご家族は、別室で食事をしているようです。
Img_9198 夕食は、まさに山菜のフルコース。コゴミ、吹き、ウド、フキノトウ、コシアブラ、ワラビ、ゼンマイ……(あと忘れた)。ヤマメはお刺身以外に、焼きたての塩焼きも出てきます。ご主人がヤマメの養殖をしているそうで、新鮮でとても旨味があります。岩魚と違ってとても繊細で柔らかい味ですね。
Img_9201 炊き込みご飯と、山形名物芋煮です。
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Img_9206 朝食です。左上の、ニシンとウドの煮物が、とっても柔らかく煮えていて美味しかったです。
Img_9208 デザートは、ちと季節遅れの小ぶりの苺と、砂糖を入れずリンゴ自身の甘さだけの煮リンゴ、甘いカリカリの梅です。
 「宿」というよりも、実家に泊まりに来た雰囲気で、「ふれあい感」が良かったです。もちろん山菜には大満足。温泉旅館だとお値段が張ったり、山菜以外のものがいろいろ付いてきてしまうので、「山菜を食べたい!」という人にはぜひお勧め。農家民宿による村おこしの意気込みも心地よく、ぽん太の評価は4点です。

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