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2014年10月の15件の記事

2014/10/28

【オペラ】「ドン・ジョヴァンニ」が悲劇であることを初めて知る・新国立オペラ

 飯守泰次郎芸術監督のシーズン2演目目は「ドン・ジョヴァンニ」。キャストが充実ししており、これまで同じプロダクションで観た2回に比べても、さらに素晴らしい舞台でした。公式サイトはこちら
 タイトルロールはアドリアン・エレート。ぽん太は2011年の新国立で、「コジ・ファン・トゥッテ」のグリエルモと「こうもり」のアイゼンシュタインを聴きました。明るく柔らかな声もすばらしいですが、なかなかハンサムだし、とてもかっこ良くて魅力的なドン・ジョヴァンニでした。ともすればドン・ジョヴァンニはドスケベで横暴な人物として演じられますが、エレートの場合は貴族らしく優雅でノーブル。セレナーデも美しく、これは次々と女が落ちていくのも仕方ないな、と思わせます。というわけで、最後にドン・ジョヴァンニが地獄に引きずり込まれたとき、「ざまあみろ」とすっとするのではなく、欲望を追い続けることを止められない人間の業に共感し(共苦か?(^_^))、哀しくて涙が出そうになりました。「ドン・ジョヴァンニ」が勧善懲悪の物語ではなく、「悲劇」であることを初めて知りました。
 ドンナ・アンナのカルメラ・レミージョはぽん太は初めてでしたが、演技だ雰囲気だ言うまえに、歌のうまさに感動しました(あたりまえか!)。声の質の変化や、強弱、膨らませ方などが素晴らしかったです。素人のぽん太はうまく言えませんが、歌舞伎でいえば、演技だなんだではなくて、セリフまわしを聞いてるだけで気持ちよくなってくるという感じですかね。
 レポレッロのマルコ・ヴィンコは、昨年「フィガロ」の代役を聴きました。ならず者っぽい雰囲気が、レポレッロにはよく合ってました。あいかわらず演技はとっても上手。
 パオロ・ファナーレは、昨年観た「コジ」の「フェルランド」とはまったく違うキャラクターの、ドン・オッターヴィオを歌いました。誠実でくそ真面目な感じがよくでてました。
 アガ・ミコライは、既にドンナ・エルヴィーラとドンナ・アンナを両方聴いてますが、こんかいも好演。妻屋秀和の騎士長ははまり役。町英和と鷲尾麻衣のマゼット/ツェルリーナも良かったです。新国立劇場合唱団もいつもながら。

「ドン・ジョヴァンニ」
作曲:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
新国立劇場 オペラパレス
2014年10月26日

指揮:ラルフ・ヴァイケルト
演出:グリシャ・アサガロフ
美術・衣裳:ルイジ・ペーレゴ
照明:マーティン・ゲプハルト

ドン・ジョヴァンニ:アドリアン・エレート
騎士長:妻屋秀和
レポレッロ:マルコ・ヴィンコ
ドンナ・アンナ:カルメラ・レミージョ
ドン・オッターヴィオ:パオロ・ファナーレ
ドンナ・エルヴィーラ:アガ・ミコライ
マゼット:町 英和
ツェルリーナ:鷲尾麻衣

合 唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

2014/10/26

【歌舞伎】ん?隼人くんカッコよくなってきたな「獨道中五十三驛」2014年10新橋演舞場夜の部

 10月の新橋は猿之助のスーパー歌舞伎。夜の部の「獨道中五十三驛」はぽん太は2回目。前回観たのはいつの日か。2009年の3月だったようです。こちらが公式サイトです。
 とにかくスピーディー、スペクタクル、スリリングの3Sな演目。宙乗りもあれば本水もあり。クジラに馬に化け猫まで現れます。一人18役の猿之助の早変わりも見もの。いろんな演目のパロディになってるようですが、無学なぽん太にはよくわからないのが多かったです。まあ、ここは、ただただ楽しむべきでしょう。
 本水の立廻りで終わりかと思ったら、そのあと常磐津にのせての早変わりの舞踊付き。何度も書いてますが、松竹様、筋書きが買えないぽん太のために、公式サイトに義太夫や鳴物の人の名前を掲載して下さい。よろしくお願いします。
 ということで、こんかいの注目は隼人くん。ジャニーズ系の素顔ににゃん子は早くからにゃ〜♡にゃ〜♡とお熱を上げてましたが、歌舞伎の扮装をすると、逆に首が長過ぎてなんかヘンでした。ところが今回の由井民部之助は、なかなかよかったです。歌舞伎の顔になってきましたね〜。目元はキリッとして涼やか、口もへの字に結ぶと、さながら役者絵のようです。なかなかの二枚目の上、色気があります。
 仁左衛門の後を継ぐのは誰か?ぽん太とにゃん子は一時は染五郎に期待しましたが、なんか色気と可愛らしさが出てこない。これは隼人くんに期待をかける時がきたのか。今後が楽しみです。

新橋演舞場

市川猿之助奮闘連続公演
十月花形歌舞伎
平成26年10月23日

夜の部

      三代猿之助四十八撰の内
通し狂言 獨道中五十三驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)
      京三條大橋より江戸日本橋まで
      浄瑠璃お半長吉「写書東驛路」(うつしがきあずまのうまやじ)
      市川猿之助十八役早替りならびに宙乗り相勤め申し候
   
役者澤瀉屋  
丹波与八郎  
由留木馬之助  
由留木調之助  
与八郎妹お松  
お三実は猫の怪  
江戸兵衛  
信濃屋丁稚長吉  
同  娘 お半    猿之助
芸者雪野  
長吉許婚お関  
弁天小僧菊之助  
土手の道哲  
長右衛門女房お絹  
鳶頭亀吉  
雷  
船頭熨斗七  
江戸兵衛女房お六  
   
石井半次郎 門之助
赤堀水右衛門 右 近
重の井姫 笑 也
弥次郎兵衛 猿 弥
喜多八 弘太郎
おはぎ 笑三郎
芝居茶屋女房おきち 春 猿
赤羽屋次郎作/赤星十三郎 寿 猿
由井民部之助 隼 人
お袖 米 吉
奴逸平 亀 鶴
赤堀官太夫 男女蔵
小屋頭おなみ 竹三郎
鶴屋南北 錦之助

2014/10/25

【歌舞伎】「野崎村」彌十郎の久作が凄い。2014年10月歌舞伎座昼の部

 十七世中村勘三郎二十七回忌、十八世中村勘三郎三回忌追善の10月歌舞伎、昼の部です。こちらが公式サイトです。

 「野崎村」は七之助が初役でお光を演じました。前半はちょっと可愛らしすぎて、田舎の娘というよりは、町娘みたいでした。もうちょっとたくましい感じでも良かった気がします。
 去って行くお染と久松を見送る笑顔がとても印象的で、慈愛に満ちた優しさと、ちょっと生身の人間を超越した神々しさがありました。あゝ、そうか、この場面のお光こそが、まさしく「野崎観音」なんだな、とぽん太は思ったのですが、考えすぎでしょうか。
 そして最後、お光が再び人間的な感情をあらわにして泣き崩れる場面。ここは彌十郎が凄かったです。お光とともに笑顔で二人を見送った後、お光が落とした数珠を広い、とっても丁寧に土をはらってあげます。そして「ほら」とお光の袖を引っ張りますが、2度目に引くときにはもう真剣な表情になっています。そして泣きながらすがりつくお光を、彌十郎自身も泣きながら、力一杯抱きしめます。どんな言葉もかけることができない、いまできるのは、幼かった頃のように思いっきり抱きしめることだけだ……と言わんばかりに。
 不肖ぽん太、ちとウルウルきました。
 久松の扇雀が加わると、上方風の柔らかみが出て来ます。というか、裏を返すと、全体的にはあまり上方らしい情感はありませんでしたが、メンバーからいって仕方ないかも。
 お染の児太郎も健闘。ここのところ次々といい役がついてますね。ただ、まだなんだか無駄にクネクネ動いている気がします。大店のお嬢様らしさが、まだまだにじみ出て来ません。
 おさよの歌女之丞、よかったです。この場面、省略されることも多いですが、ぽん太は大好きです。
 お常の秀太郎も不安のない芝居。

 「近江のお兼」と「三社祭」、とっても寒い日の食事の後ということで、意識消失。

 「伊勢音頭恋寝刃」。勘九郎の福岡貢がピントコナの柔らかな色気にかけるのは、真面目で実直な勘九郎ではまだ仕方ないか。嘲笑の繰り返しのなかでラストに向かって緊迫していく感じは良かったです。最後の人殺しの場面は、妖刀の力によることをはっきりと演じてました。七之助のお紺が色っぽかったです。眠っている徳島岩次(北六)にすり寄る仕草は、まったく関係ないぽん太まで嫉妬しそうでした。
 玉三郎の万野は憎たらしげ。露骨に笑いを取りにいかないけど面白いという、品のある演技でした。橋之助のお鹿はおかしいけど、あんなに最初から最後までガラガラと演じるんじゃなくて、貢ぐつもりで騙されていたブスな女郎の悲哀も表現して欲しかったです。仁左衛門の喜助と小山三の千野が舞台に花。梅玉、桂三、秀調がきっちし仕事。児太郎がお岸。
 最後に殺された人が、ころがりながら舞台奥に掃けて行くとき、行灯にぶつかって壊してしまったのがちょっとしたハプニングでした。

歌舞伎座

十月大歌舞伎
十七世 中村勘三郎二十七回忌 十八世 中村勘三郎三回忌 追善
平成26年10月22日

昼の部

一、新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)
  野崎村
   
 お光 七之助
 久松 扇 雀
 お染 児太郎
 久作妻おさよ 歌女之丞
 久作 彌十郎
 後家お常 秀太郎

二、上 近江のお兼(おうみのおかね)
  下 三社祭(さんじゃまつり)
   
〈近江のお兼〉          
 近江のお兼 扇 雀
   
〈三社祭〉            
 悪玉 橋之助
 善玉 獅 童

三、伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)
  油屋店先
  同 奥庭
   
 福岡貢 勘九郎
 油屋お紺 七之助
 今田万次郎 梅 玉
 油屋お鹿 橋之助
 油屋お岸 児太郎
 仲居千野 小山三
 藍玉屋北六実は岩次 桂 三
 徳島岩次実は北六 秀 調
 仲居万野 玉三郎
 料理人喜助 仁左衛門

2014/10/23

【歌舞伎】勘九郎・七之助を盛り立てる。2014年10月歌舞伎座夜の部

 十七世勘三郎の二十七回忌と十八世勘三郎の三回忌の追善をうたった10月歌舞伎。とうぜん勘九郎と七之助が中心となりますが、まだまだ若い二人、まわりを仁左衛門や玉三郎、藤十郎などががっちりと固め、勘九郎・七之助をみなで支えていこう、という暖かみ溢れる舞台でした。こちらが公式サイトです。
 「寺子屋」は、勘九郎が初役で武部源蔵。楷書のしっかりした演技で、七之助の戸浪とともになかなか頑張っていて、悪くありませんでした。でも、松王丸の仁左衛門と千代の玉三郎の自在の境地を見せられると、歌舞伎の演技の奥深さが改めて感じられます。勘九郎・七之助もこの高みを目指して、精進を続けて欲しいと思います。
 仁左衛門の松王丸は、7月に松竹座で観たばかり。子を思う心情が胸に伝わって来ます。今回は3階席だったので、膝の上に置かれた両手をじっと見ていたのですが、何気ない指の開き加減、感情の動きに伴うひくつき、そして感極まって力いっぱい着物を握りしめるなど、手を見ているだけで飽きないどころか、すっかり引き込まれてしまいました。玉三郎も、何をしているわけでもないのに、感情表現、様式性、姿の美しさが伝わって来ます。
 7月と同じく今回も、松王丸が偽首を「菅秀才の首に、相違ない」と言ったとき武部源蔵と戸浪がびっくりしつつも安堵する、という演技がありませんでした。ということは、ここの演じ方は仁左衛門の好みか。話しの流れからいうと偽首は、見破られる危険性が高い一か八かの作戦だったので、源蔵と戸浪はびっくりするのが自然な気がします。ここは松王丸のしどころなので、他のところでの余分な演技を抑えたのでしょうか?ぽん太にはよくわかりません。
 ところで、こんかい観劇にあたっって脚本を読み返していたら、最後のいろは送りのところで、「剣と死出の山けこえ」というのがあり、脚注に剣は「地獄にある山」とありました(『菅原伝授手習鑑・歌舞伎オン・ステージ16』(白水社、2002年)。こ、こ、これは先日登った、立山の剱岳のことではないか?立山と地獄思想に関しては、以前の記事で書きましたが、平安中期以後、地獄を現実に見ることができるところとして、多くの人たちが立山を訪れたのです。そして剱岳は、地獄の針の山にたとえられたのです。
 立山にある剱山から、この「剣と死出の山けこえ」という詞章が出て来たのか、それとも元々地獄に剣の山があるとされていたので、あの山が剱山と名づけられたのか、ぽん太にはわかりませんが、前者の可能性が高いような気がします。調査継続といたします。

 一方「鰯賣戀曳網」の方は、もう勘九郎のお手の物という感じで、なかなか楽しめました。真面目な勘九郎が一生懸命滑稽な演技をしているのは、愛嬌とサービス精神に溢れた十八世勘三郎とは違った面白さがあります。特に軍物語のなかのタコの動きなどは、ホントにヌルヌルしている感じで、白塗りの顔のまっ赤な紅のおちょぼ口とともに、抱腹絶倒でした。七之助も、傾城蛍火の色気、丹鶴城の姫に戻ってからのテンポの良さなど、いつもながら見事でした。彌十郎、市蔵、家橘が周りを固めて芝居をしめておりました。
 ところでこの狂言の作者は三島由紀夫ですが、いわゆる「新作歌舞伎」っぽく心理的で説教臭いところがないのがいいですね。古典に対する造詣の深さが感じられます。しかし一方で、三島由紀夫がこんなに明るく楽しい芝居を書くのかな〜と見ていて思いました。歌の講釈あたりで教養をひけらかしているのかもしれませんが、もっと毒々しい部分があってもいいような気がします。こんど原作の脚本を読んでみよ〜っと。

 藤十郎と梅玉の「吉野山」は言うまでもなく絶品。高齢の藤十郎が、静御前の可愛らしさと気品を感じさせれば、柔らかく美しい梅玉の佐藤忠信。素晴らしかったです。
 

歌舞伎座

十月大歌舞伎
十七世 中村勘三郎二十七回忌 十八世 中村勘三郎三回忌 追善
平成26年10月19日

夜の部

一、菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
  寺子屋
   
 松王丸 仁左衛門
 武部源蔵 勘九郎
 戸浪 七之助
 涎くり与太郎 国 生
 百姓吾作 松之助
 春藤玄蕃 亀 蔵
 園生の前 扇 雀
 千代 玉三郎

二、道行初音旅(みちゆきはつねのたび)
  吉野山
   
 佐藤忠信実は源九郎狐 梅 玉
 早見藤太 橋之助
 静御前 藤十郎

三、鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)
   
 鰯賣猿源氏 勘九郎
 傾城蛍火実は丹鶴城の姫 七之助
 博労六郎左衛門 獅 童
 傾城薄雲 巳之助
 同 春雨 新 悟
 同 錦木 児太郎
 同滝の井 虎之介
 同 乱菊 鶴 松
 庭男実は薮熊次郎太 市 蔵
 亭主 家 橘
 海老名なあみだぶつ 彌十郎

2014/10/15

【拾い読み】DSM-5を使う前に読んでおこう。アレン・フランセス『<正常>を救え 精神医学を混乱させるDSM-5への警告』

 たまたま気が向いて、アレン・フランセスの『<正常>を救え 精神医学を混乱させるDSM-5への警告』(大野裕監修、講談社、2013年)を読んでみました。
 DSMというと、ぽん太はどのバージョンも一緒くたにしてましたが、DSM-IVの作成委員長だった著者が、DSM-5の問題点を批判したのが本書です。最大の論点は、著者が「診断のインフレーション」と呼ぶ、なんでもかんでも精神障害に診断してしまう傾向への警告です。こうしたことは精神科医なら誰でも感じていることで(例えば現在でもすでに何でもかんでもうつ病です)、その裏には製薬会社の営利主義があることなども衆知の事実ですが、自らDSMに関わった人が言っているところに説得力があります。また、うちわを知っている人だからこその証言もあって、面白い本でした。もちろん著者の主張が正しいかどうかもわからないので、本書を読むときも批判的な精神を忘れてはなりません。最近流行の、ドグマチックな精神医学批判の本ではございません。
 さて、興味がある人は自分で読んでいただいて、ぽん太が興味を持ったところの抜き書きです。

 「DSMは正常と精神疾患のあいだに決定的な境界線を引くものであるため、社会にとってきわめて大きな意味を持つものになっており、人々の生活に計り知れない影響を与える幾多の重要な事柄を左右しているーーたとえば、だれが健康でだれが病気だと見なされるのか、どんな治療が提供されるのか、だれがその金を払うのか、だれが障害者手当を受給するのか、だれに精神衛生や学校や職業などに関したサービスを受ける資格があるのか、だれが就職できるのか、養子をもらえるのか、飛行機を操縦できるのか、生命保険に加入できるのか、人殺しは犯罪者なのかそれとも精神異常者なのか、訴訟で損害賠償をどれだけ認めるのかといった事柄であり、ほかにもまだまだたくさんある」(p.17)
 ぽん太が思うに、DSMの分類が、純粋な医学的・科学的なものではなく、アメリカ社会の、アメリカの医療制度のもとでの分類であることは常識でしょう。また精神科医の診断という行為も、常に社会的な側面を持つことを忘れてはなりません。

 フランセスは、DSM-IVの作成にあたって、リスクのあるもの、科学的データによる裏付けがないものをすべて却下しました(その結果、DSM-IVはDSM-IIIRとあまり変わりませんでした)。一方DSM-5は、正常な多くの人を新たな「患者」にしたてる危険性があり、それを製薬会社がいかに利用してやろうかと、手ぐすね引いて待っていると彼は言います。
 そのように用心して作成したDSM-IVでさえも、三つの精神疾患のまやかしの流行を引き起こしました。それは自閉症、ADHD、小児双極性障害だそうです。
 「アメリカ人の成人の5人にひとりが、精神的な問題のために一種類以上の薬を飲んでいる。2010年時点で、全成人の11パーセントが抗うつ薬を服用している。小児の4パーセント近くが精神刺激薬を飲み、ティーンエイジャーの4パーセントが抗うつ薬を服用し、老人ホーム入居者の25パーセントに抗精神病薬が与えられている」(p.20)
 日本の現状はどうなのでしょうか。ここまではひどくないような気がしますが。常々ぽん太思うには、精神的な問題を解決するには、つべこべ言わずに薬を飲めというのに、快楽を得るためには薬を使ってはいけないというのは、筋が通らないですよね。覚せい剤や危険ドラッグの使用が増えるのは、仕方ないことに思えます。

 「DSM-IVのADHDは慎重に作成されたが、変更の提案による有病率の上昇は15パーセントにとどまるとわれわれは予測していた。データが収集された1990年代はじめの現実を考えれば、これはかなり正確な推定だったと言えよう。われわれは1997年にこの現実が一変するとは予見できなかった。この年、製薬会社がADHDの高価な新薬を売りだし、しかも同時に、親や教師に直接宣伝することが認められたのである。まもなく、ADHDの診断を商品として売るのが、雑誌やテレビや小児科病院のどこでも見られるようになったーー予想外の流行が発生したわけで、ADHDの有病率は3倍になった」(p.86)。
 高価な薬が出ることと、診断が流行していることは確かにリンクしているとぽん太も思います。双極性障害の流行も、ラミクタールの発売と関係しているのではないでしょうか。これまで双極性障害の第一選択薬であったリーマスは、標準使用量1日600mgで62.7円ですが、2008年12月に発売されたラミクタールは1日200mgで547.6円と、ほぼ十倍の価格です。さらに2012年9月にリーマスの添付文書(こちら)が改訂され、わざわざ医薬品医療機器総合機構から「炭酸リチウム投与中の血中濃度測定遵守について」という文書(こちら)まで出されました。これによると、リーマスを服用中の患者さんは、2〜3ヶ月に一度血液検査が事実上義務づけられることになりました。ごていねいに「適切な血清リチウム濃度測定が実施されずに重篤なリチウム中毒に至った症例などは、基本的に医薬品副作用被害救済 制度においても、適正な使用とは認められない症例とされ、救済の支給対象とはなっておりません」という文言もあります。「リチウム中毒を防ぐ」という大義名分はありますが、背後に、有効で安価なリーマスを使いにくくさせようとする何らかの圧力があったのでは、と考えるのは考え過ぎでしょうか。ここらの裏事情を知る立場にぽん太はありません。
 また最近、ベンゾジアゼピン系の抗不安薬、睡眠薬の使用を制限する動きが出ており、これはこれで過剰使用を防ぎ、依存を減らすという大義名分があるのですが、一方で代わりにSSRIや非定型抗精神病薬を売りたいという製薬会社の意図があるのではないか、というのもぽん太の妄想でしょうか?
 また、たとえば風邪薬など薬局で売っている薬はテレビのCMで宣伝することができますが、病院で医者が処方する薬は宣伝することができませんでした。ところがいつの頃からか、薬の名前こそ言わないものの、「〇〇の症状があったら、よく効く薬があるので、病院を受診しましょう。××製薬」というCMが流れるようになりました。これは製薬会社の申し出によって、コマーシャルの基準が変更されたのだと思いますが、これがどこの管轄で、どのように決められ、具体的にどこに明記されているのか、ぽん太はいまだにわかりません。
 ついでに上の引用の「ADHDの診断を商品として売るのが、雑誌やテレビや小児科病院のどこでも見られるようになった」というのは、ADHDの診断チェック表みたいなのが、雑誌やテレビでやってたり、病院に(製薬会社が作った)パンフレットとして置かれていることを言ってるんだと思いますが、原文にあたるのは面倒なのでよくわかりません。

 精神疾患の定義を、統合失調症80・双極性障害10みたいに数値で表すという考え方にかんしては、将来的には主流になるのかもしれないが、現時点では実現不可能と書いてます。

 DSM-IIIに関して。1970年代、精神疾患の診断の不正確さに対する批判が強まりました。ひとつはイギリスとアメリカの国際共同研究で、アメリカとイギリスで診断が大きく異なることが示されました。もうひとつは、正常な人が症状を偽ることで、誤った診断や不適切な治療に誘導できることがわかりました。
 こうしたことで、統一した診断システムを作ることが必要となり、ロバート・スピッツァー(1932 - )がDSM-III(1980年)の責任者に選ばれました。診断のパラダイムシフトをもたらしたDSM-IIIですが、診断基準の作成は科学的なものとは言えませんでした。十人弱の専門家が一室に閉じ込められ、午前中はそれぞれが、科学的データではなく実体験に基づく診断基準を無秩序に主張し合い、昼食が済むとスピッツァーが論点を神業のように整理して草案を作成し、それを疲れて眠気を催した専門家が微調整したそうです。「論争がつづくときは、声のいちばん大きな者、自信に満ちた者、頑固な者、年長の者、ボブ(スピッツァー)に最後に話したものがいつだって有利になった(p.117)そうです。ひどい方法でしたが、当時としては最上の方法で、しかもうまくいったそうです。
 DSM-IIIは病因論を棚上げにしたので生物学的・心理学的・社会的モデルのどれにも利用できるとされましたが、実際は生物学的モデルによくあてはまり、心理学的・社会的側面は軽視される結果をもたらしました。またいわゆる「多軸診断」を導入しましたが、これはほどなく忘れ去られました。
 DSM-IIIが非常に売れて、いわゆるバイブルになってしまったことは、良く知られたとおり。

 DSM-IIIR(1987年)に関しては、著者は「誤りであり、混乱のもとだった」と批判的です。その内容というよりも、DSM-IIIからわずか7年後に改訂をしたことを問題としているようです。DSM-IIIが科学的データの裏付けがある診断基準ではない以上、思いつきで安易に変更すべきではなく、科学的研究が追いついて、基準が確認されたり、変更の必要性が実証されるのを待つべきだったと言います。

 DSM-IV(1994年)の作成委員長に著者はなったわけですが、IIIRからの変更は最小限とし、科学的な必要性が証明されない変更は却下したそうです。また彼は、DSM-IVをバイブルではなく、ガイドブックとしたかったそうで、このことを「序文」に書いておいたそうです。ぽん太はDSMの序文なんて読んだことありませんでした。こんど読んでみたいと思います。
 著者は、当時は予測できなかったけれど、後から振り返ると、過剰診断がおきないようにもっと注意を払うべきだったと書いてます。特にADHDの診断基準をわずかに緩めたこと、双極II型を導入したことを後悔しています。また、「性的倒錯の項目でずさんな表現を使ったために、憲法に違反する精神科病院への強制入院が広く乱用されることになった」と反省していますが、ぽん太には具体的にはわかりません。

 著者は、早期診断のリスクを指摘します。正常だけど「病気になりかけている」人を発掘することで、医産複合体は急速に成長していますが、それによって必要ない人に過剰な医療が行われ、必要としている人に適切な医療が施せていません。
 最近「かくれ〇〇病」や「〇〇病予備軍」といった言葉がマスコミに溢れてます。また最近言われている「統合失調症の早期発見と早期治療」という考え方も、ひとつ間違えば、発病以前の「前駆期」の名のもとに、正常な人たちへの過剰診断・過剰医療が行われる可能性がありそうです。

 過去に流行して、消えてしまった疾患として、彼は「悪魔憑き」と並べて、神経衰弱やヒステリー、多重人格などを挙げてます。たとえば多重人格を、「保険会社が支払いをやめ、疲れたセラピストが現実に目覚めると、多重人格の治療を求める声は激減した」と切って捨ててます。

 現在の流行に関して、ADHDや小児双極性障害、自閉症などをあげて検討しておりますが、この辺は現役の精神科医にとっては周知の事実なので省略。

 DSM-5に関して、高く飛ぼうとしすぎて燃え尽きたイカロスに例えて、3つの点から批判しています。DSM-5は、第一に、神経科学の進歩を土台にもってきて精神科の診断を一新することを目標にしましたが、それは時期尚早で、現実離れした目標でした。第二に、早期発見・予防医学の観点から精神医学の領域を広げようとしましたが、これも行き過ぎた目標でした。第三に、数量化によって診断をもっと正確に下そうとしましたが、臨床現場で使いようのない複雑な多元評価を作っただけでした。

 また著者は、DSM-5の作成の手順についても疑問を呈しています。全体をコントロールするリーダーシップを発揮する人がおらず、作業グループごとに検討の方法や質のばらつきがった、また事前に時間定期な計画を立てなかった。また、文献調査を独立した評価者が行うといった、公平性を保つ手段も講じなかった。

 またフィールドトライアル(診断基準を実際に使ってみて、妥当性を評価すること)に関しても、DSM-IVでは、外部の研究者が方法を評価した上で、アメリカ国立精神保健研究所(NIMH)の資金を得て行われました。しかしDSM-5は、計画は非公開で、NIMHは十分な資金を調達できず、実施機関も短すぎたため、低い信頼性しか得られませんでした。しかもアメリカ精神医学会(APA)は、利益を見込んである2013年の出版予定日を守るため、必要な修正や検証を行わずに、出版してしまったそうです。

 DSM-5には、診断のインフレーションを引き起こしかねない疾患が多く見られます。小児の「重篤な気分調節不全障害」は、ただの癇癪を病気と診断する危険があります。また老人の「軽度神経認知障害」も、アルツハイマー病の早期発見と早期治療という専門家の無邪気な善意から作られたのでしょうが、多くの人に有害無益な検査や投薬が行われ、結局は医産複合体だけが喜ぶという結果になりかねません。「大食い」が精神病とされ、「成人注意欠陥・多動性障害」は過剰診断の危険性があります。また、死別後の喪が「うつ病」と混同されかねないなどなど。

 著者は大胆にも、製薬会社と麻薬組織を併せて論じております。そして、製薬会社が利益を上げるために行っているマーケティング能力を制限することを求めます。また、精神科医の同業組合であるAPAが、DSMによって精神疾患の診断を独占する状況を批判します。精神疾患の診断は、現在医学的な領域を遥かに越えてしまっています。とはいえその任を担うのにふさわしい組織も、今のところ見当たりません。

 もう飽きてきたので、この辺でやめておくことにします。アレン・フランスセスの基本的なスタンスとしては、精神疾患の診断は医療の領域を越えて大きな影響力を持つようになっていて、しかも製薬会社に代表される医産複合体が利益を拡大するために、過剰診断が行われる危険性が高い(診断のインフレーション)。そのためDSMは、過剰診断が行われにくいものにしておく必要があるが、DSM-5は質の確保をおろそかにしたうえ、拡大解釈されやすい新たな疾患を盛り込んでしまった……ということになりましょうか。
 冒頭に書いたように、これはあくまでもアレン・フランセスの考えてあって、これが正しいのかどうかわかりませんが、これからDSM-5を使って行くうえで、これらの点に注意を払って行く必要があるのは確かでしょう。

2014/10/14

【バレエ】熊川哲也の振付けっていいんじゃない?「カルメン」Kバレエカンパニー

 熊川哲也演出・振付けの「カルメン」の世界初演、ドラマチックでとても面白かったです。以前の「第九」の振付けはいまいちでしたが、「カルメン」で熊川の振付け師としての才能を改めて見直しました。
 技法的にはクラシックでしたが、変化に富んでいて、さまざまなアイディアが盛り込まれていました。特に腕を縄でしばれらたカルメンと、ドン・ホセの踊りは、縄を使ったさまざまな動きのなかに、ドン・ホセを籠絡しようとするカルメンと、心が揺れ動くドン・ホセの駆け引きが表現されていて、思わず引き込まれました。密輸業者のアジトを訪れたミカエラが、ドン・ホセの上着を見つけ、それを羽織って踊るのも、面白いアイディアでした(初心者ぽん太が知らないだけで、他のバレエの振付けであるのかしら?)。
 全体の進行もスピーディーで、最初から最後まで飽きることなく楽しむことができました。また、Kバレエのダンサーたちは、踊りとしての動きが、同時に登場人物の「動作」になっていて、表現力がとても豊かですね。動きの一つひとつに感情がこもっていて、意味が感じられます。
 ストーリーは、オペラの「カルメン」とほとんど同じでした。裏返せば、オペラの方を見慣れてない人は、ストーリーがわかりにくいところもあったのでは?会場で配るキャスト表の裏に、あらすじを書いておいたらいいのに。プログラムを買えってことか?
 密輸業者のアジトでのトランプ占いの場面。踊りながら立ったまま地面にカードを投げつけるのが、なんだかメンコをしてるみたいでした。そのあと、カードがまき散らされた舞台で踊ることにもなってしまうし、テーブルでも使った方がよかったのでは?
 ラストシーンでは、ドン・ホセはカルメンをオペラの用にナイフで刺すのではなく、ピストルで撃ち殺しました。人によって好みがあるでしょうが、ぽん太はナイフの方が生々しくて好きです。それからオペラでは、時々闘牛場のなかから歓声が響いてきて、華やかな闘牛と、ホセとカルメンの修羅場とが対比されるのですが、今回のバレエではこれがありませんでした。またこの場面、エスカミーリョになびいたカルメンを、逆上したドン・ホセが追い回して殺すというように描かれていましたが、オペラではもうちょっと複雑です。ドン・ホセはあくまでもカルメンとよりを戻そうとするのですが、カルメンの方が「よりを戻す気なんかない、エスカミーリョが好きなの、文句があるなら殺したら?」と挑発するため、ドン・ホセはついにカルメンを殺してしまいます。セリフのあるオペラと違って、バレエでこの心理を表現するのは難しいのかもしれません。でも、ホセとカルメンの駆け引きを、もっと時間をかけてたっぷりと踊って欲しかったです。
 それからラストで、二人が追いつ追われつして舞台下手奥に入って行ったと思ったら、すぐ下手手前から出て来ました。闘牛場を一周しているはずなので、「闘牛場ちっちゃ!」と思いました。
 カルメンの白石あゆ美。登場していきなり踊る「ハバネラ」はちょっと固かったけど、全体としてカルメンの妖艶さと強さとを感じさせる素晴らしい踊りでした。ぽん太の好みでは、「ハバネラ」はもっと「目つき」で誘惑してほしかったです。密輸団のアジトから毅然とした態度でドン・ホセとミカエラを去らせたあと、寂しそうな表情を浮かべ、最後に嬉しそうにエスカミーリョを追いかける(?)あたりの感情表現も見事でした。ミカエラの神戸里奈は、カルメンと対照的な清楚な雰囲気が良く出ていて、踊りを見ているだけで胸が痛んできました。エスカミーリョの遅沢佑介は、ちと不満でした。颯爽と舞台に現れて「闘牛士の歌」を踊るところで、闘牛士の力強さと、惚れ惚れするようなカッコよさを見せつけて欲しいところ。動きのツナギとキメのメリハリがないのかしらん?ぽん太にはよくわかりませんが、踊りが一本調子に感じられました。ドン・ホセの熊川哲也、端正で安定感のある踊りは美しく、回転やジャンプも魅せてくれましたが、さすがに以前のような思わず椅子からずれ落ちるほどの身体パフォーマンスが見られなかったのは、致し方ありません。群舞も悪くなく、目を引くダンサーも何人かいましたが、誰が誰やらわからなかったのが残念。
 ダニエル・オストリングの舞台セットは建物の質感が面白く、存在感がありました。マーラ・ブルーメンフェルドの衣裳も、フワフワときれないつものKバレエとはひと味違った美しさがありました。音楽は、ビゼーの曲と、新たに作曲した部分(?)があったような気がします。ビゼーの音楽は何度聴いても素晴らしいですね。ただ、もともとがオペラなので、歌がないためにちょっと違和感を感じる部分もありました。
 シアターオーケストラトーキョーも頑張ってましたが、バレエがなかなか良かっただけに、こうなってくると、もうちょっといいオケで聞きたいな〜という気もしてきます。
 驚くべきことにオーチャードホールの係員は、序曲演奏中にも遅れた客を座席に案内しておりましたが、Kバレエは音楽をあまり重視していない、ってわけじゃないですよね。

カルメン
2014年10月9日 オーチャードホール

カルメン:白石あゆ美
ドン・ホセ:熊川哲也
ミカエラ:瀬戸里奈
エスカミーリョ:遅沢佑介
モラレス:伊坂文月
スニガ:スチュアート・キャシディ
フラスキータ:浅野真由香
メルセデス:井上とも美
ダンカイロ:ニコライ・ヴィユウジャーニン
レメンダード:兼城将

2014/10/13

【オペラ】なんかよくわからないけど良かったです「パルジファル」新国立劇場

 正直言って、あんまりよくわからなかったし、すごく感動したわけでもないのですが、「いい舞台を見たな〜」という印象でした。特設サイトはこちらです。
 とにかく長かった〜。午後2時に始まり、途中45分(!)と35分の休憩をはさみ、終わるのが夜の8時前。ぽん太も疲れましたが、歌手や指揮者、オケも大変だったみたいで、カテコのときは「やりきったぜ〜」みたいな雰囲気でした。
 「パルジファル」は、ヴァーグナー(1813年 - 1883年)の最後のオペラ(「舞台神聖祝典劇」と呼ばないと、ヴァーグナーが怒るかもしれませんが)。1882年にバイロイト祝祭歌劇場で初演されました。
 聖杯伝説を元にした中世の叙事詩「パルツィヴァール」に着想を得て作られたそうです。「ローエングリーン」も同じ叙事詩に基づいているそうで、ローエングリーンはパルツィヴァールの息子という設定になってます。
 内容は、極めてキリスト教的です。さらに、ヴァーグナーの独自の宗教観が加わっているそうですが、ぽん太には何のことかわかりません。
 こんかいのハリー・クプファーの演出では、仏教のお坊さんが出て来て、パルジファルたちは最後は仏教の方に向かうように描かれています。このオペラが、キリスト教に留まらない、普遍的な宗教観を持っていることを示そうとしたのだと思いますが、ぽん太は、かえってキリスト教と仏教の違いを感じました。
 キリスト教の基本には「罪悪感」があるようで、アムフォルタスも女性の誘惑に負けて聖槍を奪われたことで罪悪感を抱き、死を願っています。そもそもキリスト教では、アダムとイブが言いつけに背いてリンゴを食べたときから、人間は罪を背負っていると考えてるんだと思いますが、仏教の場合、人間はどうしょうもない存在ではありますが、実は仏性を内に秘めているのであって、「罪深い」という感覚はあまりないようが気がします。
 関連して、このオペラのキーワードのひとつの「共苦」(Mitleid)というのもピンときません。「共感」あるいは「慈悲」だとわかるのですが。
 第一幕の聖餐式や、ラストの場面なども、確かに厳かで、きっとキリスト教徒ならこの場面で感極まるんだろうな〜などと思いましたが、ぽん太自身は特に感動しませんでした。
 クンドリーが第二幕で「あの人を笑ってしまった」という「あの人」がキリストだということも、見終わってから調べてようやく知りました。
 ヴァーグナーの楽劇は、様々な動機によって構成されておりますが、こちらのサイト(東京・春・音楽祭ー東京のオペラの森ー|春祭ジャーナル)がわかりやすいようです。次に聴く機会があったら、予習しておきたいと思います。
 また、上演に先立って行われた「オペラトーク」はこちらのUSTREAMで見ることができます。

 飯森泰次郎が新国立のオペラ芸術監督に就任しての最初の舞台。飯森さんは、以前に東京シティフィルで、チャイコフスキーの「悲愴」やベートーヴェンの「田園」でとても感動した記憶があり、ぽん太の好きな指揮者の一人です。「さまよえるオランダ人」でも棒を振るようで、楽しみにしております。「ヴァーグナーを端から全部上演する」とか言い出さないようにしてください。
 クプファーの演出も、悟りへの光る道と、槍あるいは時計の針が組合わさった舞台装置がシンプルで美しく、セリを使った場面転換もシンプルながら効果的でした。お坊さんが出ていた件は上に書きました。
 タイトルロールのクリスティアン・フランツは、以前に新国立の「ジークフリート」を聴きました。美しい声でしたが、ちょっと声量に欠けたかしら。グルネマンツのジョン・トムリンソンが、声量もある深みと暖かみのあるバスで老騎士を見事に歌ってました。クンドリーのエヴェリン・ヘルリツィウスも細身の美人ながら力強い声でした。長谷川顯、久しぶりに聴きましたが、老いた先王の雰囲気があってよかったです。

パルジファル/ワーグナー作
新国立劇場オペラパレス
2014年10月8日

スタッフ
【指 揮】飯守 泰次郎
【演 出】ハリー・クプファー
【演出補】デレク・ギンペル
【装 置】ハンス・シャヴェルノッホ
【衣 裳】ヤン・タックス
【照 明】ユルゲン・ホフマン
【舞台監督】大仁田 雅彦
【合唱指揮】三澤 洋史

【芸術監督】飯守 泰次郎

キャスト
【アムフォルタス】エギルス・シリンス
【ティトゥレル】長谷川 顯
【グルネマンツ】ジョン・トムリンソン
【パルジファル】クリスティアン・フランツ
【クリングゾル】ロバート・ボーク
【クンドリー】エヴェリン・ヘルリツィウス
【第1・第2の聖杯騎士】村上 公太、北川 辰彦
【4人の小姓】九嶋 香奈枝、國光 ともこ、鈴木 准、小原啓楼
【花の乙女たち】三宅 理恵、鵜木 絵里、小野 美咲、針生 美智子、小林 沙羅、増田 弥生
【アルトソロ】池田 香織

【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

2014/10/11

【登山】裏剱遊歩(5)共食い中(?)のクマに遭遇!【写真あり】

P9190308m4 P9190308←モザイクがかかってない拡大写真はこちら(グロ注意!)。


 登山歴20年くらいになるぽん太ですが、初めて熊に遭遇しました。平成26年9月19日の昼の12時頃、場所は内蔵助谷の、内蔵助平と内蔵助谷出合のあいだで、真ん中よりやや下ったあたりです。

 内蔵助谷の右岸の、やや急だけど見晴らしのいい登山道を下っていました。いつも通り、ぽん太が先頭を歩き、にゃん子が後から付いてきていたのですが、十数メートル先の岩陰で何やら動く物が目にとまりました。

 毛が生えた動物で、なんだか剛毛、真っ黒で、筋肉隆々で……実際はこのかん、わずか1〜2秒だと思うのですが、ツキノワグマの背中であることがはっきりと見て取れました。

 ぽん太は「くま……くま、くま……」と声にならぬ声を出しながら後ずさり。にゃん子も気付いたようで、クマが追いかけてこないか注意しながら、30mくらいの距離まで離れました。そこで道が曲がっており、それ以上離れるとクマのいるあたりが見えなくなってしまうので、とりあえずそこで停止。

 クマは岩陰でなにやら作業をしているようで、こちらには気付かなかったようです。一生懸命モゾモゾ動いてましたから、岩陰の蟻の巣でもほじくってるのかな?とぽん太は思いました。

 ぽん太もにゃん子も熊鈴は付けておりましたが、傍らを流れる内蔵助谷の轟音で、聞こえなかったようです。あるいはクマが「取り込み中」だったので、音に気がつかなかったのかもしれません。風も谷の下から上へ、つまりクマの方からぽん太の方へ吹いてましたから、匂いも気付かなかったでしょう。

 さて、どうするか考えました。(1)山小屋まで戻る、(2)しばらく待つ、(3)音を立てて追い払う。

 (1)必要があれば山小屋まで戻ってもよいですが、ここからだと5時間ぐらい歩かないといけません。(2)しばらく待つにしても、いつまで待てばいいのかきりがないので、(3)音を立てて追い払うことにしました。

 ぽん太は予備知識として、本州にいるツキノワグマは木の実などを食べていて、基本的には臆病で、急に至近距離で出くわして、子連れだったりしないかぎりは、滅多に襲って来ないということは聞いてました。また、前々日の夜に泊まった仙人温泉小屋の小家主さんとの酒を飲みながらの話しているうちに、たまたまクマの話しになって、多少の心の準備もできていました。

 仙人温泉小屋は、冬の間に2年続けてクマが入り込んで冬眠をしていったそうで、戸をこじ開けた時の爪のあとが残ってました。倉庫に鍵をかけて保管してあった食料も全部食べられ、お酒も全部飲まれたそうです。様々な缶類を試しに咬んでみたようで、牙で穴があいた空き缶も見せてもらいました。なかには殺虫剤やラッカースプレーもあり、咬んだクマはさぞかしビックリしたことでしょう。ご丁寧に布団まで引っ張り出して、くるまって寝ていたそうです。

 また、ツキノワグマは基本的には臆病で、人間に会いたくない。東北ではマタギなどクマの狩猟を行うのでクマは人間に敵意をもっているが、ここらではクマの猟は行わないので、人間に対する敵意を持ってない。クマは耳が良くて、沢の反対側を登ってくる登山者の熊鈴の音を聞きつけて、そっと立ち去っていく、大声で話しながら歩いていればクマには会わない、などの話しをお伺いしました。

 ということで、2時間も3時間も待っているのも何なので、物音をたててみることにしました。音を聞きつけたクマが、こちらに向かってくる可能性は少ないだろうと判断したのです。もし向かってきた時は……そのとき考えるしかありません。

 まず熊鈴を振ってみましたが、クマからの距離と、沢の流れの轟音の前では、音が小さすぎてダメ。二本のストックをカチカチと打ち付けたりして見ました。さらに声を出してみました。良く響くように、高い声で、「ホー、ホー」と声を立ててみました。いきなり脅かさないように、小さな声から、だんだんと大きくしてみました。しばらく叫んでいると、なにやら「チイ、チイ」いう声が、谷の緑のなかを登っていくのが聞こえました。クマが「チイチイ」鳴くかは不明ですが、5分ほど声を出したので、そろそろクマも逃げてくれたのではないかと判断し、少しずつ近づいて見ました。

 徐々に降りて行くと、先ほどクマがいたところにはクマはいません。しめしめ。

 念のため、石ころを拾ってクマがいたあたりに投げてみましたが、反応なし。しめしめ。

 注意しながらそろり、そろりと下っていたところ、先ほどクマがいたあたりのちょっと右のあたりで、一カ所だけ草が不自然に揺れてます。そして次の瞬間、また黒い毛だらけ筋肉隆々の背中が……。

 先ほどの位置まで再び退却。振り出しに戻って作戦の立て直しです。

 携帯電話をチェックしたところ、なんと電波が届いてます。そこで昨日泊まった真砂沢ロッジに電話して、小屋主さんにどうしたらいいか聞いてみたところ、とにかく音を立ててクマが逃げるのを待って、下山するしかないとのことでした。

 そこで声や音を出し続けていると、クマがいたあたりよりちょっと下流を、こちらから対岸に向かって渡渉していくサルが……。あれ?クマじゃなくてサルだったの。な〜んだよかった!

 しかし、サルの毛は薄茶でポヤポヤ、見たのは真っ黒な剛毛です。危険から逃れたいばっかりに、希望的観測に流れてはいけません。

 ぽん太は、非常用装備として、ホイッスルを常に携帯しております。滑落や遭難の際に自分の位置を知らせるためのものです。ただそれはリュックの一番下に入っているので、クマのいる方角から目をそらしてリュックの中身をだしているうちに、クマが襲って来ないとも限りません。

そこで無理矢理リュックの中に腕をつっこみ、苦労したあげく、ついに非常用装備の袋を引っ張り出しました。

 ホイッスルはさすがに大きな音がします。脅かさないように小さい音から鳴らし始めましたが、思いっきり吹くと、谷に響き渡るほど大きな音がしました。

 1〜2分吹いていると、沢のなかにクマが現れました。大型犬と同じかそれ以上の大きさでした。ところが口になにやら加えてます。子グマかな?それとも獲物でも咥えてるんでしょうか?

 よく見ると咥えられているのはやはりクマで、咥えているクマよりも多少小柄ではありますが、決して子グマではなく、ぐったりとしています。クマは沢を渡って反対側に行こうとしているようです。肩から首を大きく振るようにして、力任せに引きずっていきます。相当の水量がある沢ですから、クマの力は大したものです。途中で沢の水が一瞬血でぱあっと赤く染まりました。よく見ると咥えられたクマはお腹が裂けて内蔵が出ているようでした。その時にゃん子が撮ったのが冒頭の写真です。

 ぽん太の心臓は早鐘のように打ってました。というのうも、クマが、腹の裂けたクマを引きずっているという状況が、ぽん太には理解できなかったからです。いったい何が起きているのでしょう。

 とにかくぽん太はホイッスルを吹き続けました。ふと見ると沢の丁度反対側では、先ほど見かけたサルが梢に登って、「キーッ、キーッ」とクマに向かって叫び声を揚げてました。ぽん太とサルになんだか仲間意識が芽生えた瞬間でした。

 クマは、沢の反対側の茂みのなかに身を隠しました。咥えたクマをいったん隠しておいて、やおらこちらに襲いかかってくるかもしれないので、そのあと数分間にわたってホイッスルを吹き続け、その後、ホイッスルを吹きながらゆっくりと下山して行きました。

Img_0853 『森のくまさん』の歌詞に、「ところが後からくまさんが付いてくる」というのがあったので、後ろを振り返りながら、急な坂をころげるように降りて行きました。以前に歩いたことがある下ノ廊下に出て、ほかの登山者を見たときは、正直ほっとしました。
Img_0857 下ノ廊下を登っていくと、黒部ダムの下に出ます。観光放水が上に見えてます。ここからダムの上まで登る40分間が、けっこうきついです。
Img_0862 到着。この入り口を入ると、トロリーバスの駅の近くに出ます。やっと「現実」に戻った気がしました。のんびりと観光を楽しむ一般の人たちに囲まれ、「俺たちはクマに会ったんだ〜」と大声で叫びたい気持ちでした。


 さんざん脅かされて悔しいので、土産やでクマの肉の缶詰でも売ってたら、食って仕返ししてやろうかと思ったのですが、鹿の肉しか売ってませんでした。

 家に帰ってからぐぐってみると、ツキノワグマは動物の死体を食べるそうで(例えばツキノワグマは「人を食う」…か?|ツキノワグマ事件簿)、共食いをすることもあるようです(クマの死体をみないワケ…|ツキノワグマ事件簿クマの共食い痕 - 筑波大学 藤岡)。

 ということは、ぽん太が見たクマは、共食い中だった可能性が高いんじゃないでしょうか。たまたま一匹のクマが死んでいたのか、あるいは闘って殺したのかわかりませんが、血だらけの内蔵をむさぼり喰ってたんだとしたら、相当に興奮し気が立っていたはずです。そこにぽん太とにゃん子がたらたら近づいて行ったわけですから、かなり危険な状況だったような気がします。

 さらに不思議に思ったのは、ツキノワグマって、基本的には木の実などを食べる「草食」動物なのに、なんで無駄に筋肉や牙が発達していて怪力なんでしょうか。ううう、疑問です。

 さらに今年は、クマ出没のニュースが相次いでいます。エサとなるブナやミズナラが不作な上、地域によって害虫による被害も加わり、エサを求めて山を降りて来た熊が、あちこちで目撃されているそうです。

2014/10/10

【登山】裏剱遊歩(4)仙人温泉小屋〜真砂沢ロッジ〜ハシゴ谷乗越〜内蔵助平〜

Img_0762 仙人温泉小屋で楽しい一夜を過ごしたぽん太とにゃん子、出発前に仙人岩屋を見に行きました。仙人谷左岸の旧道を少し下ったところにあります。
Img_0761 中には南北朝時代と推定される石仏があり、ヒカリゴケが生息してるそうです。ところがヘッドランプを持って行かなかったため、どちらもよく見えませんでした。
Img_0765 石仏はこちら。奥の白っぽい石に浮き彫りになっております。
 ちなみに仙人小屋主人の話しでは、何年か前にこの岩屋の裏手で、白骨死体が見つかったそうです。
Img_0793 仙人谷を登り返し、仙人新道を下って真砂沢ロッジまでは、既に通った道。仙人温泉小屋のお弁当は、昨日の夕食の残りの、松茸ご飯のおにぎりでした。豪華ですね。
Img_0798 ということで真砂沢ロッジに到着。
Img_0824 頑丈な石詰みの壁に囲まれてますが、過去に何度も雪崩の被害を受けています。昨年も雪害により、小屋のオープンが遅れました。
Img_0816 屋内の引き戸ですが、上と下で10cmぐらい傾いてます。戸が湾曲しているのは、レンズによる歪みではなく、ホントに曲がっているのです。他の戸では、上と下が30cmぐらい傾いているのもあり、なんだか宇宙船のハッチみたいでした。
Img_0800 空いていたので一番奥の個室を貸し切りで使わせていただきました。
Img_0805 かけ湯のみですが、お風呂があるのが有り難いです。こちらが浴室。やはり傾いてます。
Img_0802 湯船のお湯をざばざばかぶります。かけ湯の方が、お湯がきれいでいいかもしれません。
Img_0811 夕食は、焼きたての豚肉が食欲をそそります。肉が苦手なにゃん子には、カキフライを出してくれました。アザミの葉の天ぷらに、イカの黒作り。イカの塩辛にイカ墨を混ぜたお料理で、富山の名産ですね。
Img_0823 朝です。山々が朝日に染まります。
Img_0813 こちらが朝食です。
Img_0831 さあ、今日は最終日。ハシゴ谷乗越を越えて、黒四ダムまで下ります。ハシゴ谷乗越手前から剱を振り返る。天気は快晴で、長次郎谷が上まで見えました。これで剱岳ともお別れです。ありがとう、楽しかったよ。
Img_0839 内蔵助平にかかる橋。大雨になると渡れなくなります。橋が水没するというより、橋の手前の岩場に水がかぶってくると思われます。
Img_0849 急で巨岩がゴロゴロしている内蔵助沢の右岸を下って行きます。所々ガレていてロープが貼ってあったりしますが、慎重にゆけば問題はありません。
Img_0848 真砂沢ロッジのお弁当は、おにぎりと魚肉ソーセージ、レトルトのシャケ。お茶もついてます。
Img_0851 正面の岩壁の手前が下の廊下との合流点の内蔵助沢出合です。もう少しと思った所で大事件発生。な、な、なんとクマがでたぁ〜〜!……(続く)

2014/10/09

【歩かないと行けない温泉(11)】仙境に遊ぶ!仙人温泉小屋(歩行時間片道1泊2日)(★★★★★)

Img_0743
 ご無沙汰しております。
 ぽん太の「歩かないと行けない温泉」シリーズ、今回は仙人温泉小屋。なかなかの秘湯です。ホームページはこちら。場所は、映画で有名になった剱岳の北東。黒部ダムの北と言った方が、一般の人には分かりやすいでしょうか。
 アプローチですが、立山黒部アルペンルートの室堂から地図の標準歩行時間で11時間。あるいは、黒部渓谷鉄道のけやきだいら駅から10時間55分。どちらも、途中のどこかの山小屋で一泊するのが普通です。
 ただ、室堂からのルートは、とちゅう日本三大雪渓に数えられる剱沢雪渓があってアイゼン必携。欅平からは黒部渓谷の断崖絶壁に掘られた幅1メートルの道が続き、途中150メートルのトンネル(灯りなし、足元は水が流れる)などもあり、登山装備とともに、中級以上の登山経験が必要となりますので、一般温泉ファンは安易に訪れないようご注意下さい。またここは、いわゆる山小屋で、旅館ではありません。雪深いところだけに、営業期間は7月から10月中旬までです。
Img_0739_2 ぽん太とにゃん子は、室堂からアプローチしました。仙人谷を下って行くと、対岸に源泉の湯気が見えて来ます。
Img_0740_3 こ、これは……。なんか動物のドクロが掲げられてます。しかもビニールひもで縛って……。あとで聞いたら、カモシカの頭蓋骨だそうです。
Img_0741 こちらの看板には、いちおう「歓迎」と書かれていますが、う〜ん、歓迎されているのか脅かされているのかよくわかりません。
Img_0742 小屋は、坂を下ったところにあります。
Img_0753 ロビー兼食堂です。なんかマタギの囲炉裏端の雰囲気です。
Img_0760 反対側から見た建物。
Img_0757 かまどの跡みたいなのもあります。
Img_0759 こちらが宿泊棟。
Img_0767 こちらが内部です。
Img_0769 一番最初に到着したぽん太とにゃん子は、(ドクロの隣りの)個室の選択権を与えられました。ぽん太のいびきで他のお客さんに迷惑をかけないため、個室を使わせていただきました。
Img_0768 こちらが個室の内部です。
Img_0746 さて温泉ですが、混浴風呂と女性風呂の二つがあります。写真は混浴風呂。湯船はコンクリートで固めた岩風呂ですね。後ろにでっかい岩があります。源泉と水の二本のホースがあるので、ホースを動かして温度調節します。源泉は触れないくらい熱いです。もちろん源泉掛け流し。やや褐色に濁ったお湯で、泉質はわかりませんが、ぽん太が自分の舌で利き酒ならぬ利き温泉したところでは、鉄分とカルシウムがあるような気がします。
P9170253 こちらが、にゃん子撮影の女性風呂です。
Img_0747 夕食です。山小屋にしては、品数も多く、とっても豪華です。何よりも左端のご飯。松茸ご飯です。今年の初松茸を、こんなところで頂けるとは思っても見ませんでした。長野の知人が届けてくれた国産松茸だそうです。美味しゅうございました。いつも松茸ご飯が出るわけではないのでご注意下さい(^_^)。また天ぷらの葉っぱは、アザミの一種(名前聞いたけど忘れた)の葉の天ぷらです。普通この時期は葉っぱは成長して固くなっているのですが、一度刈り取っておいて、もう一度新芽が出るようにしてあるんだそうです。何気に手間がかかってますね。
 夕食後はお酒を酌み交わしながら山談義。色々と珍しい話しが聞けて面白かったです。小家主は、「仙人」温泉小屋だけあって仙人化してきているようで、ユーモラスというか酔狂というか、ぶっとんだことをします。剱岳のチンネ(岩場にあるとっても危険なピーク)の上でギターで「禁じられた遊び」を弾く動画を見せてもらいました(こちらでも見ることができます)。必死に岩場を登っているクライマーたちも、突然上から「禁じられた遊び」が聞こえて来たら、さぞかしびっくりしたことでしょう。
 まさに秘湯中の秘湯のひとつ。野趣溢れる温泉は最高で、小家主さんの人柄も加点となり、ぽん太の評価は5点満点です。

2014/10/08

【登山】裏剱遊歩(3)池ノ平小屋から池ノ平山南峰ピストン〜仙人温泉小屋

Img_0662 本日は晴れ!朝日を受けて聳える剱様です。本日宿泊予定の仙人温泉小屋は目と鼻の先なので、まず池ノ平山までピストンすることにしました。ぽん太とにゃん子は北方稜線を越える技術はありませんが、せめて近くから稜線を眺めて、有り難さにあやかろうという寸法です。
Img_0666 最初は急登ですが、少しすると広々した斜面となり、やがて山頂が見えて来ます。向かって左が南峰、右が北峰です。
Img_0676 猫の本能か、高い所に登って嬉しそうなにゃん子です。吸い込まれるような青空です。
Img_0685 これが剱岳の北方稜線ですね。ありがたや、ありがたや、眺めるだけで十分です。
Img_0691 後立山の稜線が端から端まで見えました。まずは北側から。ちょこんと尖っているのが白馬岳、その右が杓子ですね。
Img_0692 不帰のキレットから唐松岳。今年チャレンジした稜線です。
Img_0693 そして固まりような五竜。こちらも今年、ひつじちゃんを連れて登りました。
Img_0694 鹿島槍です。こちら側から見ると、まさに槍のごとくそそり立っています。
Img_0701 下山の途中にライチョウ君に会いました。
Img_0706 池ノ平小屋まで戻り、日向ぼっこをしながら昼食を頂きました。池ノ平小屋のお弁当はおにぎりです。
Img_0707 小屋の近くに、「神社跡」という札がありました。鉱山があった頃、安全を祈願した神社があったのかもしれません。たぶん「金山神社」かな?
Img_0721 仙人池に写る剱は、おなじみの被写体です。
Img_0725 大きなトンボが産卵してました。トンボ図鑑とういサイトで調べてみると、オオルリボシヤンマ、あるいはルリボシヤンマかしら?
Img_0774 仙人池ヒュッテからの下りは、黒部らしい急な沢沿いの道となります。所々ガレてて歩きにくいです。
Img_0736 あああ、チョウジギクが咲いてました。前から見たいと思いながら未だ会えなかった花です。う〜ん、産毛が生えた首が長くて、見れば見るほど変な花ですね。
Img_0738 こんなにいっぱい咲いてました。見れるときは見れるものです。
Img_0739 谷から立ち上る湯気が見えて来ました。仙人温泉小屋までもう少し。
Img_0740_2 こ、これは……。(;;;´Д`)
 仙人温泉小屋については、日を改めて、「歩かないと行けない温泉」シリーズでご報告いたします。

2014/10/07

【登山】裏剱遊歩(2)剱澤小屋から剱沢を下って池ノ平小屋まで

Img_0617
Img_0576 さて、二日目です。写真はこれから下って行く剱沢の上部。正面は剱岳の八ッ峰になりますが、御覧の通り途中から上はガスっています。日が昇に連れてガスが晴れるといいのですが……。
Img_0577 剱澤小屋の人が言うには雪渓の上部は薄くなってるとのことで、教えてもらったとおり、雪渓が始まってから20〜30メートル下ったあたりから、雪渓に入ります。
Img_0584 シュカプラ(雪渓のでこぼこ)はけっこう深いですが、この時期冷え込んできて雪がかなり固くなっているので、アイゼンは必携です(6本爪で十分です)。もっとも、仙人温泉小屋で一緒になったお嬢さんは、折立から入って親不知まで抜ける計画だそうですが、剱沢のためだけにアイゼンを持って来るのは面倒だからと、登山靴で雪渓を下ったそうです(良い子は真似しないでね)。
Img_0587 平蔵谷です。「へいぞうたん」と発音するみたいですね。上部は残念ながらガスってます。
Img_0593 こちらは長次郎谷。明治時代の名山岳ガイド、宇治長次郎にちなんで名付けられました。映画『剱岳 点の記』で、香川照之演じる宇治長次郎の案内で、明治40年(1907年)に陸軍測量部が剱岳に登頂したのが、このルートからでした。
Img_0594 どんどん下っていくと雪渓が途切れて滝になっているそうなので、これまた剱沢小屋で教わった通り、長次郎谷出合を過ぎたら左岸よりにルートを取り、適当な所から夏道に入ります。やがて真砂沢ロッジが見えてきます。小屋主がこの先のルートを詳しく案内してくれるので、立ち寄るのが吉。少し先の三ノ沢出会の雪渓の様子によって、ルートが変わってきます。こんかいは、ハシゴ谷乗越に向かって剱沢を渡る雪渓は残ってましたが、三ノ沢を横切る雪渓はすでに消えていたので、三ノ沢を渡渉して進んでいきました。真砂沢ロッジは二日後に宿泊しますので、後ほどご紹介いたします。
Img_0596 剱沢を振り返る。こうしてみると、けっこう急に見えますネ。
Img_0598 二股吊橋デス。
Img_0599 二股から北西を眺める。向かって右の谷が北股で、左の谷が、「氷河」に認定された三ノ窓雪渓です。2012年、氷雪学会によって、剱岳の三ノ窓雪渓と小窓雪渓、立山の御前沢雪渓が、氷河に認定されました。なんだかよくわからないけど、お目出度い限りです。
 これから登っていく仙人新道は、沢を少し登ってから、向かって右の尾根に取り付く急登です。
Img_0600 急登を喘ぎあえぎ登っていくと、ご褒美に、三ノ窓雪渓の素晴らしい景色を見ることができます。
Img_0602 絶景を眺めながら昼食タイム。剱澤小屋のお弁当です。おかずは塩鮭にウィンナー。富山名物の赤巻かまぼこもついてます。美味しゅうございました。
Img_0607 お弁当を食べているうちに、少しガスがあがって、三ノ窓雪渓の上部が見えて来ました。
Img_0610 後ろには、下ってきた剱沢が、溝のように見えます。上の方にちょっと雪渓が見えていて、左下には二股付近の河原が望めます。
Img_0618 仙人峠の分岐を西に進むと、やがてちっちゃな小屋が見えて来ます。池ノ平小屋です。ホームページはこちらです。
Img_0620 赤いペンキが可愛らしい、おもちゃみたいな建物です。
Img_0622
 看板は、なかなか味わいがあります。
Img_0623 内部もホントに狭くて、手前に畳敷きの食事スペースがあり、短い廊下をコの字型に囲んで、上下二段の宿泊スペースがあります。壁には、この小屋を訪れた登山者の写真が貼ってあります。
Img_0626 宿泊スペースから食事スペースを撮った写真です。ところで、山小屋というと、普通は若い従業員がかいがいしく働いているのが普通ですが、この山小屋は定年退職後のおじさん&おじいさんが、ちっちゃな小屋なのに4人もいて、なんだか不思議な雰囲気です。おいおい聞いた話では、みな小屋番の友だちというか山仲間で、交替に1週間ぐらいずつ、ボランティアで手伝いに来てるんだそうです。みな若い頃は(今でも?)剱岳の岩場をブイブイ言わせながら登ってた強者とのこと。見ているとボランティアというより、昔の仲間が集まって楽しんでいるという感じで、宿泊客は疲れて早々に寝てしまったのですが、おじさんたちは消灯まで酒宴を開いておりました。消灯後も場所を移して二次会に突入したようで、遠くの方から楽しげな声が微かに聞こえました。
 宿泊客は、ぽん太とにゃん子以外に4人でしたが、3人は剣岳山頂から北方稜線を越えて下山して来たパーティー。もう一人は真砂沢ロッジの大工さんで、これまた若い頃は岩場でブイブイ言わせていたようでした。クライミング技術を持たない軟弱山行のぽん太とにゃん子は、恥ずかしいやら肩身が狭いやらで、「こんなとこに居て申し訳ありません」という感じでしたが、皆で和気あいあいといろいろな話しができて、とっても楽しかったです。
 槍ヶ岳周辺の設備が整った巨大な山小屋もいいですが、こういう昔ながらのこじんまりした山小屋もいいですね。
Img_0639 小屋の裏からは、剱岳の八ッ峰が見えます。右上の方の、横長の楕円形の岩は、雪が付くと唇のように見えるそうで、小屋主さんが「モンローの唇」と命名したそうです。年代を感じさせるネーミングが素敵です。
 小家主さんも、昔はこの小屋の常連客だったそうですが、先代に頼まれてあとを引き継いだそうです。鉱山の技師をしていたそうで、剱岳やその他の山にあったモリブデン鉱山の調査研究をライフワークにしているそうです。
 。なんか宮沢賢治的な響きがあります。合金の添加元素として使われるそうで、自転車に乗る人には、フレームの素材のクロモリ(クロムモリブデン鋼)でおなじみです。
 剱岳の北にある池ノ平山にはモリブデンの鉱脈があり、小黒部鉱山と呼ばれ、大正時代には日本最大のモリブデン生産地でした。池ノ平小屋があるところには、鉱山の事務所があったそうです。掘り出されたモリブデンは、人に背負われて小黒部沢を下り、大窓雪渓を登って、大窓から索道で白萩を経て馬場島まで運ばれ、そこから馬車などで北陸本線の滑川駅に運ばれたそうです。このモリブデンは、東京の赤羽飛行機製作所に運ばれ、飛行機「つるぎ号」のエンジンに使われたそうです(小黒部鉱山史|池ノ平小屋ホームページ)。つるぎ号の写真は、例えばこちらのサイト(岸一太氏の赤羽飛行機工場とつるぎ号)で見ることができます。
Img_0629 2畳ほどの「乾燥室兼談話室」には、「剱岳 点の記の木村大作監督の寝室になりました」の貼紙が。てっきり映画のロケ隊は、きれいな仙人池ヒュッテに泊まったのかとぽん太は想像してましたが、実はこの池ノ平小屋に泊まったんだそうです。スタッフのは総勢30人くらいだったそうで、さぞぎっしりだったことでしょう。小屋の壁に、香川照之や浅野忠信らの写真が貼ってありましたが、肖像権があるでしょうから、アップはいたしません。「合宿」みたいに和気あいあいとして活気にあふれる写真でした。香川照之がなんかの番組で、9時間歩いて、2カット撮って、また9時間歩いて帰った、みたいなことを言ってた気がしますが、ここのことでしょうか?
Img_0627 こちらのちっちゃな小屋が、お風呂でございます。
Img_0628 湯船はちっちゃくて一人ずつしか入れませんが、汗を流し、湯船につかって疲れを取ることができるのは、有り難い限りです。
Img_0633 お父さんたちが作ってくれた夕食も、品数が多くて美味しかったです。
Img_0632 すり鉢一杯の山芋が供され、ご飯にかけていただきます。これは精がつきますね。夕食も美味しかったですが、宿泊客・従業員交えて、酒を酌み交わしながらの山談義が楽しかったです。従業員の人たちは二次会、三次会へとなだれ込んで行ったのは、先ほど書いた通り。
Img_0637 こちらが朝食です。今日もがんばるぞ!……(続く)

2014/10/05

【登山】裏剱遊歩(1)全体の山行データと、室堂から剱澤小屋まで

Img_0779  剱沢雪渓を下って裏剱を歩くルートは、前々から行きたいと思っておりました。しかし2008年には映画『剱岳 点の記』がヒットしたため、混みそうなので2年間パス。その後もなかなか予定と天候と体調がそろわず、延びのびになってましたが、ついにこんかい念願がかないました。
 裏剱は、東京からだと日程的にそう気軽には行けないし、泊まっていたい山小屋もいっぱいあるので、ぽん太とにゃん子にしては長めの日程を取り、一日の歩行時間を短くして、のんびりした計画をたてました。日数が長くとも、ここらの山小屋には風呂があるのが嬉しいところ。また、温泉ファンのぽん太とにゃん子にとって、前から行きたいと思っていた仙人温泉小屋も組み入れました。
 普通は剱澤を下ったあとは、阿曽原温泉を抜けて欅平に下山するのが普通ですが、阿曽原から欅平への道は以前に歩いたことがあるし、車の回収が面倒です。車の回送サービスもありますが、富山から戻るのも大変。それだったらと、仙人温泉小屋でUターンし、ハシゴ谷乗越を越えて黒四ダムに下山するルートを選びました。
 天気もまあまあで、思った以上に楽しい山行でしたが、恐ろしきことに生まれて初めてクマに遭遇。いま御嶽山がえらいことになってますが、ぽん太とにゃん子もひとつ間違ったら、「北アルプスで登山者が熊に襲われて死亡」というニュースネタになっていたかもしれません。その話しは後ほどゆっくりと。

【山名】池ノ平山南峰(2555m)
【山域】剱・立山
【日程】2014年9月15日〜19日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】(9/15)晴れ、(9/16)上部ガス、(9/17)晴れ、(9/18)曇りのち雨、(9/19)晴れ
【ルート】(9/15)室堂10:56…剱御前小屋13:25…剱澤小屋14:25(泊)
(9/16)剱澤小屋6:17…(剱沢)…真砂沢ロッジ8:26…池ノ平小屋13:59(泊)
(9/17)池ノ平小屋6:35…池ノ平山南峰8:31…池ノ平小屋10:20…仙人池ヒュッテ11:59…仙人温泉小屋14:00(泊)
(9/18)仙人温泉小屋6:19…仙人岩屋6:39…仙人温泉小屋7:07…仙人池ヒュッテ9:35…真砂沢ロッジ14:04(泊)
(9/19)真砂沢ロッジ5:49…ハシゴ谷乗越…内蔵助平9:28…クマ出会12:10…内蔵助谷出合…黒四ダム13:53

【マイカー登山情報】扇沢の駐車場は、扇沢駅前が24時間1,000円、その下の以前は無料だった所が、36時間1,000円になってました。さらに下に無料の市営駐車場があり、さらに下に所々無料駐車スペースがあります。
【扇沢周辺無料駐車場の一部有料化について】|黒部ダムオフィシャルサイト交通・運賃・時刻表 | 立山黒部アルペンルート オフィシャルガイド 【山小屋情報】
・剱沢小屋(公式サイト):新しく綺麗な山小屋。食事に揚げたてのトンカツが美味しかった。予約をしてないと満室の場合宿泊できないようです。シャワーあり。
・池ノ平小屋(公式サイト):こじんまりしたディープな山小屋。お風呂あり。
・仙人温泉小屋(公式サイト):ここもディープ。温泉(混浴・女湯)あり。
・真砂沢ロッジ(公式サイト):かけ湯あり。

 

Img_0489 早朝に多摩の巣穴を車で出発し、中央高速を経て扇沢に到着。敬老の日の三連休の最終日ということで、立山黒部アルペンルートの混雑が心配されましたが、意外に空いてました。写真は黒部ダムから見た赤牛岳(?)。天気は高曇り。果たして剱様は見えるでしょうか?
Img_0514 室堂からみくりが池の前を通って雷鳥沢キャンプ場へ。写真は、キャンプ場から見た立山です。堂々として立派ですね。樹々が微かに色づき始めています。そこから雷鳥坂を登って剱御前小屋へ。3連休の最後ということで、下山してくる登山者が多く、次から次へとすれ違いました。室堂から剱御前小屋までのあいだで、かれこれ300人くらいとすれ違ったでしょうか。あとで山小屋で聞いたところでは、前日の連休中日は、剱岳のカニの横ばいが渋滞して2時間から3時間待ちになってたそうです。
Img_0522 そして剱御前小屋前からは……見えました!見えました!剱岳です。カッコいいですね。圧倒的な迫力です。う〜ん、見てると登りたくなってきますが、今回はお預けです。ちなみに剱御前小屋があるここ別山乗越が、今回の山行の最高地点です。なんと軟弱な計画でしょう。
Img_0539 剱澤小屋に向かって下って行きます。右下に剱沢キャンプ場、左の中程に剣山荘が見えます。
Img_0542 このトーチカのような建物が剱澤小屋です。雪の圧力に耐えられるよう、石垣に覆われています。旧剱澤小屋が2006年に雪圧による被害を受けたため、2007年に移転新築されたものです。
Img_0556 こちらが表側です。できたばかりなので、内部も木材がまだ白く、明るくてとてもきれいです。受付時に、明日の剱沢のルートについて、細かく説明してくれました。
 温水シャワーが三つり、時間で男女交替で使うことができます。熱いお湯が勢いよく出てきて、下手な温泉旅館のシャワーよりもよっぽど立派です。槍ヶ岳周辺の山小屋と比べると、水が豊富なことに驚きます。トイレも水洗です。ちなみに排水は、浄化槽を経由して、剱沢に流れているようです。
 またこの小屋は、定員以上は泊めないそうなので、必ず一人布団一枚でゆったりと眠れます。そのかわり、ご利用の際は予約をお忘れなく。
Img_0565 そして特筆すべきは夕食です。夕食時間が17時10分などと中途半端になってるので、なぜかと思っていたら、なんと豚肉の揚げ物が揚げたてのアツアツで登場。そのために、ひとテーブルずつ、微妙に夕食の時間をずらしてあるようです。しかも肉が苦手なにゃん子には、魚のフライを出してくれるというきめ細かいサービス。富山名物の赤巻かまぼこもあります。また夕食の呼び出しも、ちゃんと苗字で呼んでくれます。う〜ん、素晴らしいです。
Img_0545 小屋の真ん前に聳える剱岳は、時間とともに刻々と違った表情を見せてくれます。まずは剱岳にかかる飛行機雲。
Img_0549 日が暮れかけた剣山荘。緑のグラデーションが美しいです。
Img_0552 ななめの日差しを浴びて彫りが深くなり、ちょっとニヒルな剱岳。
Img_0562 いつの間にか秋の雲に覆われました。
Img_0570 そして別山方向がまっ赤に燃え上がりました。
Img_0572 こちらが朝食です。いよいよ2日目スタート!……(続く)

2014/10/01

【クラシック】純音楽的に豊かなシベリウスの交響曲第2番/グスターボ・ドゥダメル指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(2014.9.25)

 昨夜に引き続きウィーンフィル。ちょっと贅沢な気もしますが、人間いつ死ぬかわからないし、ウィーンフィルの方からわざわざ日本に来てくれたのですから、これは行かない手はありません。公式サイトはこちら

 今日のプログラムは「ツァラトゥストラ」とシベリウスの交響曲2番。全体として、昨日の演奏よりも充実感がありました。

 とはいえ、どちらもぽん太は生で聴くのは初めて。うちの貧弱なオーディオでは、「ツァラトゥストラ」は冒頭以外、シベリウスは第4楽章の盛り上がり以外、なんだかゴロゴロざわざわいってよく聞こえません。しかし生で聴いてみると、どちらも素晴らしい音楽であることがわかりました。特にシベリウスは、有名な「フィンランディア」なども含め、北欧的な民俗主義の通俗的な作曲家だと思ってたのですが、実はとても才能が豊かで、交響曲第2番が、昨日のドヴォルザークの8番に比べて、ずっと「音楽」として複雑で良く出来ていると思いました。

 ドゥダメルの指揮、「ツァラトゥストラ」の有名な冒頭は、俗っぽく劇的効果を狙うのでもなく、抑制された哲学的表現でもなく、やはり明るく燃え上がるかのような演奏でした。これがドゥダメルの持ち味なのでしょうか。その後も複雑な音楽を、優れたリズム感で見事にコントロールしておりました。

 シベリウスの交響曲第2番は、冒頭の北欧のそよ風のような序奏が、大きめの音で重々しく始まったのでちょっとびっくりしました。その後の演奏は、それぞれの声部が明瞭に聞こえ、またリズムやニュアンスの表現もしっかりとしていて、様々な「音楽」が聞こえてきました。第4楽章の盛り上がりは、ぽん太が聞き慣れた演奏よりもテンポが速く、とてもエネルギッシュで輝かしかったです。

 今日はどちらもちと「難しい」曲でしたが、アンコールの二つのポルカでストレス発散……というわけではないでしょうけど、スピーディーで躍動感あふれる演奏でした。昨日も思ったけど、こういう音楽を一生懸命楽しそうに演奏するのが、ウィーン人なんだな〜と思いました。

 余談ですが、演奏前にオーボエがAの音を吹いてみんなが音合わせ、っていうのをウィーンフィルはやらないんですね。コンマスがAを弾いて、皆ちょこちょこっと合わせてました。リハーサル室で合わせてるのかしら。それからティンパニーの奏者が演奏中に実にこまめにチューニングを行っていたのにも驚きました。

グスターボ・ドゥダメル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  
2014年9月25日
サントリーホール

R.シュトラウス:交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』op.30
シベリウス:交響曲第2番 ニ長調 op.43
(アンコール)
J.シュトラウスⅠ:アンネン・ポルカ op.137
J.シュトラウスⅡ:ポルカ・シュネル『雷鳴と稲妻』 op.324

【写真展】名前は知らないけど写真は知っていた「林忠彦写真展―日本の作家109人の顔」

 日比谷図書館文化館に、「林忠彦写真展―日本の作家109人の顔」を観に行って来ました。公式サイトはこちら

 入場料わずか300円なのに、小さな図譜と言ってもよいくらいの、厚紙30ページの解説書を無料でもらえました。日比谷図書館って千代田区立だと思うけど、さすがにお金があるんですね〜。

 林忠彦という写真家はなじみがなかったのですが、並んだ写真を見てみると、ゴミに囲まれて自宅で机に向かう坂口安吾や、バーのカウンターにやんちゃに腰を下ろした太宰治、石庭をバックに眼光鋭い川端康成など、見慣れたポートレートがありました。これらを撮ったのが林忠彦だったのか。

 他にも、名前だけは知ってる作家がこんな顔だったのか、とわかったのも良かったです。

 写真として良いか悪いかなどは、ぽん太には皆目見当がつかず。

 

「林忠彦写真展―日本の作家109人の顔」
平成26年 9月26日~11月25日
日比谷図書館文化館

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