【観光】島原・天草のキリスト教関連遺産を訪ねる
今年のブログは今年のう〜ち〜に……って、間に合わないか。島原・天草のキリスト教関係の見どころをいくつか廻りました。
まずは島原半島の南端近くにある「原城跡」(国指定史跡)。写真が本丸周辺です。無学なぽん太は全く知りませんでしたが、島原の乱で天草四郎らが最後まで立てこもり、幕府軍によって壊滅させられたのが、ここなんだそうです。
遺跡の一角にあるお地蔵さんは、「ホネカミ地蔵」と呼ばれております。
案内板です。島原の乱から数十年後、敵味方の区別なく骨を拾い集めて祀ったものだそうです。
原城の石垣はあちこちで崩され、このように穴に投げ込まれているそうです。穴の中からは多くの人骨も見つかり、一揆軍の死体が埋め込まれたと考えられています。
ぽん太が思うに、単なる戦だったら、石垣をここまで徹底的に破壊する必要はないような気がします。天草四郎率いる一揆軍に対して、「汚れ」のようなものを感じていたのではないでしょうか。
天草四郎の墓碑です。
案内板です。「この墓碑は、西有家町にある民家の石垣の中にあったものをこの場所に移したものです」と書かれているので、この場所に天草四郎の遺体が埋まっているわけではなく、またこの墓碑がホントの「墓碑」かもわからない気がします。
近くにある有馬キリシタン遺産記念館(旧原城文化センター)で、原城から出土した人骨や、メダイ・ロザリオなどを見学いたしました。学芸員のお姉さんが詳しく解説してくれて、島原の乱のことがよく理解できました。
口之津港から島鉄フェリーに乗って、天草の鬼池へ。
まずは本渡市立天草切支丹館に行きました。ここには国指定文化財の天草四郎陣中旗があるとガイドブックに書いてあったのですが、あいにく展示されていたのはレプリカ。嬉しさも中ぐらいなりでした。
崎津天主堂です。最初はアルメイダ神父によって永禄12年(1569年)に建てられたそうですが、現在の建物は昭和9年(1934年)に建てられたものだそうです。施行は鉄川与助。無学なるぽん太は初めて聞いた名前ですが、鉄川与助|Wikipediaをみてみると、長崎を中心に多くの教会建築を手がけた人だそうです。
ステンドグラスもとってもシンプル。ゴシック風ではありますが、なんか可愛らしい建物です。
1857年に練習艦「観光丸」に乗って崎津に寄港した勝海舟が、この場所にあった庄屋・吉田家に宿泊したそうです。
次いで大江天主堂。フランス人ガルニエ神父により昭和8年に作られたものです。
これも鉄川与助が手がけた建築です。ロマネスク様式で、明るくモダンな印象です。
教会の一角にあるお墓。仏教のような、キリスト教のような、不思議な造形です。この地域のお墓は、仏教のお墓でも、文字が金色に塗られているものが多いようですね。
また別の一角にはルルドの聖母が祀られてました。ルルド|Wikipediaに書いてありますが、フランスのスペイン国境に近い町ルルドに、1858年以降何度も聖母マリアが現れ、そこに泉が湧いたという言い伝えがあります。先に書いたようにこの教会の神父さんはフランス人でしたから、ルルド信仰を持ち込んだのでしょう。
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