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2015年3月の16件の記事

2015/03/31

【展覧会】さながら菩薩大事典「救いとやすらぎのほとけ―菩薩」根津美術館

 3月中旬、根津美術館に「救いとやすらぎのほとけ―菩薩」展を見に行ってきました。4月6日まで開催中なので、公式サイトはこちら。会期が終わったら、おそらくこちらのURLでアーカイブに入ると思います。また出品リスト(pdf)はこちらです。
 根津美術館は、何度か前を素通りしてブルーノートにジャズを聴きに行ったりしましたが、中に入るのは初めて。設計は歌舞伎座などで有名な隈研吾さん。竣工は2009年、施行は清水工務店ですな。隈さん得意の縦格子ならぬ縦竹垣立て掛けたアプローチなどなかなかいい雰囲気で、オシャレな表参道にあるお金持ちの和風のお屋敷という感じが良く出てました。
 「菩薩」は、元々は成仏できてない修行中の人のことですが、浄土宗の影響もあって、自分の成仏を後回しにして私たちを教え導いてくれる仏様というイメージが加わり、様々な形態で、広く信仰されるようになりました。
 こんかいの菩薩展は、国指定の文化財こそ重要文化財の「普賢十羅刹女像」(絹本着色、平安時代、12世紀)だた一つで、彫刻よりも絵画中心でしたが、様々な種類の菩薩の表現を一度に見ることができました。またわかりやすい解説がついていて、どういう菩薩で、形にどのような意味があり、どういうお経に基づいていて、表現のしかたがどのように変化していったかなどを知ることができ、とても興味深く見ることができました。図録を買っておいたら菩薩の事典として使えるかなと思いましたが、お金がないのでやめました。
 「北野天神縁起絵巻」(根津本、紙本着色 室町時代 15世紀)も、ちょうど歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」を観た帰りに寄ったので、興味深かったです。

コレクション展
救いとやすらぎのほとけーー菩薩
2015年3月7日(土)~4月6日(月)
根津美術館

主な展示作品
観音菩薩立像 日本・飛鳥時代 7世紀 根津美術館蔵
地蔵菩薩坐像 日本・鎌倉時代 13世紀 根津美術館蔵
菩薩立像 日本・平安時代 11~12世紀 根津美術館蔵
普賢十羅刹女像(重要文化財) 日本・平安時代 12世紀 根津美術館蔵
書写山如意輪観音像 日本・室町時代 15世紀 根津美術館蔵
岩上観音図 日本・南北朝時代 根津美術館蔵

同時開催
春日若宮大般若経・春日厨子
北野天神縁起絵巻(根津本)I

2015/03/30

【寺院・仏像】国宝がスクラム組んで・東寺(教王護国寺)@京都

Img_3120  3月の上旬のことですが、ぽん太とにゃん子は京都の東寺を訪れました。新幹線から見える五重塔が印象的ですよね。ぽん太がここに来るのは高校の修学旅行以来。物心ついてからは初めてです。東寺の公式サイトはこちらです。
 東寺は、桓武天皇による平安京遷都に伴って、都を守るための官寺として建立されました。平城天皇をはさんで嵯峨天皇の御代となり、このお寺は空海(弘法大師)に託され、日本初の密教寺院となったそうです。
640pxkyoto_toji_kodo_c0929 東寺といえば立体曼荼羅。多数の仏像をまるで曼荼羅のように配置したポワースポットで、室町時代の延徳3年(1491年)に再建された講堂(重文)のなかにあります。小さな入り口をくぐると、巨大な薄暗い空間のなかに多数の仏像がひしめいているのに驚かされます。暗さに目が慣れるに従って、壮大な立体曼荼羅が見えてきます。
 仏像の配置図は例えばこちらにありますが、中央が如来部、向かって右が菩薩部、左が明王部で、それぞれが5体の仏像からなっています。全体の4隅に四天王が配置され、さらに左右に梵天・帝釈天が加わります。
 もっとも偉い如来部の5体と、明王部・菩薩部それぞれの中心にある仏像は室町〜江戸時代に造られたものですが、その他はすべて講堂創建時のものです。如来部の5体は重要文化財ですが、その他はすべて国宝です。やはり古い仏像は、鎌倉時代の躍動感ある仏像とは違ってゆったりと落ち着いていて、静のなかにパワーがみなぎっています。特にガチョウの上に座る四面四臂の梵天と、象の上に片足をたらして座る帝釈天が面白かったです。にゃん子は、多くの仏像が立ち並ぶなか、一人すました表情で象に乗るイケメンの帝釈天が気に入ったようでした。

Img_3123 金堂(国宝)は、豊臣秀頼の発願で、慶長8年(1603年)に竣工した建物です。裳階のついた装飾的な外観を持つ一方、内部は柱のない広くて高い空間を確保しています。日光・月光菩薩を従えた薬師三尊像が安置されており、薬師如来の台座には十二神将が配されております。仏像制作能力が落ちてきた桃山時代における仏師康正の佳作で、すべて重要文化財に指定されております。桃山時代らしく、ふっくらとして豪華な仏様です。
Img_3113 桜が咲いたらさぞきれいでしょうが、今日は冬型の気圧配置で寒波がやってきて不穏な天気で、晴れ間が出たかと思うと小雪がちらついたりします。さて、これまた国宝の五重塔は、徳川家光の寄進によって正保元年(1644年)に再建されたもので、高さ54.8メートルは木造塔としては日本一とのこと。なんと第一層の内部を特別公開しておりました。心柱を大日如来に見たて、周りに造られた須弥段に如来を配して、講堂の如来部と同じフォーメーションをとっています。さらに八大菩薩も配され、柱や壁にも絵が描かれておりました。
 ところで五重塔の心柱って、一本柱だと思い込んでいましたが、高さ55メートルの大木なんてあるはずないよね。どなってるんだ?集成材かしら?調べてみると、太い柱を何本か縦につないで造られているようです。
Img_3125 大師堂(御影堂)です。五重塔と立体曼荼羅に気を取られ、こちらを見るのを忘れて帰る人も多いようですが、国宝です。しかも弘法大師がお住まいになっていたところ。残念ながら当時のものではなく、焼失により康暦(こうりゃく)2年(1391)年に再建されたもの。それでも桧皮葺のゆるやかな屋根が伸びやかな印象を与えます。
Img_3127 こちらの内部に、弘法大師作で大師の念持仏と伝えられる不動明王像が安置されているそうです。
Img_3126 案内板によると、平安末期に見たお坊さんがすぐに入寂(つまりお亡くなりになった)したため、以来一切御開帳がないのだそうな。ということは、建物が焼失した時に、秘仏のまま焼け残ったということか。しかし、一度も見ないまま国宝に指定なんてありですか。文化庁の国指定文化財等データベース(こちら)を見てみると、時代は平安、作者空欄、解説文は「平安時代の作品」とだけ。国宝指定年月日は1955.06.22とのこと。他のをみてもこんなのが多いようで、国宝がどのように指定されたのか、そのうちみちくさする必要がありそうですね。
Img_3128 大師堂には国宝の弘法大師像がありますが、拝観できませんでした。ホームページによれば、毎朝6時からの生身供(しょうじんく)の時と、毎月21の御影供(みえいく)や、御影堂の法要のときに御開帳しているようです。
 また宝物館の兜跋毘沙門天(国宝)、観智院客殿(国宝)も公開しておらず、見れませんでした。国宝蓮花門はうっかり見逃しました。

2015/03/29

【医は算術】一般の寄附を行っている個人事業者の、ふるさと納税の限度額は?

 ぽん太の「医は算術」シリーズ、今回が2回目です……たぶん。
 ふるさと納税。話題になってますね。なんでもたった2,000円の負担で、魚やら野菜やらふるさとの名産品やら温泉宿泊券がもらえるという制度だそうです(なんか間違って理解してる気がします)。
 細かい部分が難しそうですが、物は試しと、昨年山陰のどこにあるかもわからない某自治体に寄附をし、見事ズワイガニをゲットしました。美味しかったです。でも、いくら節税になったのか、よくわかりませんでした。
 そして気になるのは限度額。得をするためには納税額に限度があるらしく、それを超えると節税のメリットがなくなるそうです。しかし計算はなんだか難しそうで、ちまたに早見表のようなものもあふれてますが、「何人家族の月収いくら」というサラリーマン向けのものばかりで、ぽん太のような個人事業の場合の限度がよくわかりません。

 そこでググってみたところ、個人事業の場合に限度額を知ることができるサイトがありました。こちらの小西公認会計士事務所さまのサイトです。これを参考にしながら考えて、計算してみました。

 ♪ピンポ〜ン。以下の記述は、会計のかの字もしらないタヌキのぽん太がネットの情報を参考に考えたものですので、ぜんぜん違っている可能性もあるのでご注意を。うっかり信じ込んであなたが大損しても、ぽん太は責任を取りません。ネットは使用上の注意を守って正しく利用しましょう。

 ふるさと納税による控除の概要は、こちらの総務省のサイトのpdfファイルにも書いてあります。

都道府県・市区町村に対する寄附金(ふるさと納税)のうち2千円を超える部分については、一定の上限まで、原則として次のとおり所得税・個人住民税から全額控除される。
① 所得税・・・(寄附金-2千円)を所得控除(所得控除額×所得税率(0~40%(※))が軽減)
② 個人住民税(基本分)・・・(寄附金-2千円)×10%を税額控除
③ 個人住民税(特例分)・・・(寄附金-2千円)×(100%-10%(基本分)-所得税率(0~40%(※)))
→ ①、②により控除できなかった寄附金額を、③により全額控除(所得割額の1割を限度)
(※) 平成26年度から平成50年度については、復興特別所得税を加算した率とする。
 タヌキにもわかる言葉で書くと、ふるさと納税額のうち2千円は、お通し代だと思ってさしあげる。残りの(寄付金ー2千円)に関して、まず①の所得税は、(寄付金ー2千円)に収入などに応じた所得税率をかけた分だけ税金が安くなる。さらに②で、(寄付金ー2千円)の10%が安くなる。③はなんか複雑だけど、要するに(寄付金ー2千円)から①と②を引いた残りの分だけすべて税金が安くなる。
 ということは、①と②と③をあわせれば、(寄付金ー2千円)が全額税金から引かれるということではないか!わはははは、やったぜ!

 ところが、ここで注意すべきことは、上になにげに書かれている③が「所得割額の1割を限度」という言葉。これがふるさと納税額のリミッターになっているわけですね。
 ということで限度額を知るには、

(寄附金-2千円)×(100%-10%(基本分)-所得税率(0~40%))
  =住民税(所得割額)×10%

という方程式を解いていけばいいわけで、小西公認会計士事務所さまの計算によると、

Photo

となります。課税所得金額は、個人事業者なら確定申告書を見るとわかりますから、それから計算すると、ふむ、ふむ、ふむ、なるほどね……。額は秘密だよ。

 ところがぽん太の場合、自慢じゃないけど、福祉団体などに一般の寄附をしているのでさらに話しが複雑です(ほめて、ほめて)。一般の寄付金による控除に関しては、総務省のサイトに「ふるさと納税以外の寄附金税制」というページ(こちら)があります。
 これをじっと見つめてタヌキにも分かるように大雑把に言えば、要するにふるさと納税の①と②だけ。ただし②の「10%」という率が、どこが指定した寄付金控除かによって6%になったり4%になったりする。それから②の「寄付金」は「総所得金額等の30%を限度」と書いてるけど、もちろんぽん太はそんなに高額の寄附はしていないので関係なし。
 ここで大切なのは、③のリミッターはふるさと納税だけに関するものであり、一般の寄付金額がふるさと納税の限度額に影響を及ぼすことがない、というところ。

 ということで、結論としては、一般の寄付金による所得控除も含めて計算した課税所得金額から、小西公認会計士事務所さんの算出した表で限度額を計算し、用心のためにそれよりやや少ない額をふるさと納税すればいいようです。

 ふふふ、今年は何をもらおうかな?

2015/03/28

【居酒屋・喫茶店】大衆割烹まんも亭・マエダコーヒー本店@京都

Img_3102
 3月上旬のことですが、京都南座で歌舞伎を観たぽん太とにゃん子は、そのまま夜の京都へと繰り出しました。
Img_3098 長年鍛えた嗅覚をたよりに、「大衆京割烹 まんも庵」に入りました。高瀬川沿い、四条通の南側にあるお店です。
Img_3094四条通の北側は、木屋町や先斗町など観光客も多い繁華街となってますが、四条通の南側は静かで落ち着いた佇まいで、ぽん太とにゃん子の最近のお気に入りです。
Img_3096 内部は古民家を改装したレトロモダン風。高瀬川の流れを眺めながら、シメサバや湯葉、卵焼きなどを肴に、美味しい日本酒をいただきました。
 その後、先斗町に流れてプラス2軒ハシゴしました。最初は真ん中あたりの西側で、おばんさいが食べられる店。次は三条近くの東側で、焼き肉もあり、地元の若者客が多い店でしたが、どちらもあんまり記憶がなく、写真も撮っていなかったので、よくわかりません。
 上の写真のように、舞妓はんを見ることができました。雰囲気から本物だったと思います。
まんも庵
まんも庵
ジャンル:大衆京割烹
アクセス:阪急京都線河原町駅 徒歩1分
京阪本線祇園四条駅 徒歩3分
住所:〒600-8019 京都府京都市下京区四条下ル船頭町237-18(地図
周辺のお店のプラン予約:
SHOKICHI のプラン一覧
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池田屋 はなの舞 のプラン一覧
周辺のお店:ぐるなびぐるなび 木屋町・先斗町×和食
情報掲載日:2015年3月23日

Img_3110 最近はホテル宿泊の翌日は、ホテルの朝食を食べずに、地元の喫茶店でモーニングをいただくことにしています。今回はマエダコーヒー本店に行きました。
Img_3108 カフェオレとトーストのシンプルなモーニングをいただきましたが、美味しゅうございました。カップのイラストも可愛いです。
マエダコーヒー本店
マエダコーヒー本店
ジャンル:喫茶店
アクセス:阪急京都線烏丸駅22番出口 徒歩4分
京都市営地下鉄四条駅22番出口 4分
住所:〒604-8151 京都府京都市中京区蛸薬師通烏丸西入橋弁慶町236(地図
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情報掲載日:2015年3月23日

2015/03/27

【展覧会】やればやるほどくすんでゆく……「新印象派ー光と色のドラマ」@東京都美術館

 新聞販売店から招待券をもらったので、上野の東京美術館に「新印象派ー光と色のドラマ」を見にいってきました。特設Webサイトはこちら。公式サイトはこちら。出品リストがネット上に見当たらないので、大阪展の方の出品リストをアップしておきます(こちら(pdf , 935.8K))。
 細かいところはぽん太にはわかりませんが、新印象派とは、おおざっぱに言うと、印象派の影響のもと、1980年代から20世紀初頭にかけて流行し、科学的な色彩理論に立脚し、技法としては点描を用いた絵画の流派で、スーラ、シニャック、ピサロなどが代表的な画家のようです。
 1886年の第8回印象派展に、モネやルノワールが参加を見合わせた一方、スーラの有名な「グランド・ジャット島の日曜日の午後」が出品されたということで、この年がひとつのメルクマールとなるようです。

 ということで、展示は何枚かのモネの作品に始まり、ピサロやシニャックの点描絵画へと移って行きますが、何といってもスーラが目を引きました。「グランド・ジャット」は縮小された写真が展示されただけでしたが、その習作が数枚展示されており、どれも光にあふれていて、独特の詩情が感じられました。特に初期のまだ大きなタッチで描いていた頃の「石割り」(1882年)などは、本当に光り輝いている感じでした。
 次いで絵画に加え、スーラやシニャックのパレットや、シュヴルールやルードの色彩学の書籍の展示などで、科学的な色彩理論に基づいた点描技法が解説されておりました。人間の色彩メカニズムに関しては最近、「青と黒にも白と金にも見える服」でちょっと世間の人の注目を集めましたね。
 その後は延々と点描絵画が展示されているのですが、はっきり言ってだんだん飽きてくるというか、点描がひとつの流行の「技法」になってしまい、多くの人が点描による絵を描いたけれど、けっきょく絵の良し悪しは、点描とは無関係な題材や形態や情感などにあるように思われました。また点描の科学理論を追求すれば追求するほど、むしろ色がくすんできて中間色に近づき、また絵から動きが失われて行くように思いました。
 展覧会の最後に展示されたマチスやドランを目にしたときには、長〜いトンネルを抜けて、ようやく重苦しさから解放された気がしました。

 新印象派を牽引し続けたシニャックの絵もなかなかよかったですが、なんといってもスーラがずば抜けてる気がしました。ふりかえって、光学理論を突き詰めた点描絵画よりも、最初のモネや最後のマチス、ドランの方が、光り輝いていて、躍動感があるように感じました。

新印象派-光と色のドラマ(英文名称:Neo-Impressionism, from Light to Color)
会期 2015年 1月24日(土)~2015年3月29日(日)
会場 東京都美術館

主な出品作
ジョルジュ・スーラ《 セーヌ川、クールブヴォワにて》 1885年 個人蔵
ポール・シニャック 《クリシーのガスタンク》 1886年 ヴィクトリア国立美術館、メルボルン
ジョルジュ・スーラ《 ポール=アン=ベッサンの外港、満潮》 1888年、オルセー美術館、パリ
カミーユ・ピサロ《 エラニーの農家》 1887年 ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館、シドニー
ヤン・トーロップ《 マロニエのある風景》 1889年 ドルドレヒト美術館
ポール・シニャック《 サン=ブリアックの海、ラ・ガルド・ゲラン岬、作品211》 1890年
アルプ美術館 バーンホフ・ローランズエッグ、レマーゲン
テオ・ファン・レイセルベルヘ《 マリア・セート、後のアンリ・ヴァン・ド・ヴェルド夫人》 1891年 アントワープ王立美術館
ポール・シニャック 《髪を結う女、作品227》 1892年 個人蔵
マクシミリアン・リュス《 ルーヴルとカルーゼル橋、夜の効果》 1890年 個人蔵
ポール・シニャック《 ヴェネツィア》 1908年 アサヒビール株式会社
ポール・シニャック《 サン=トロペの松林》 1892年 宮崎県立美術館
ポール・シニャック《 マルセイユ、釣舟》または《 サン=ジャン要塞》 1907年 アノンシアード美術館、サン=トロペ

2015/03/26

【温泉・カニ】甘く上品な越前がにと荒れ狂う日本海/若ゑびす@福井県三国温泉(★★★★★)

Img_3082 3月初めの話しですが、ぽん太とにゃん子は死んだ気になって福井に越前がにを食べに行ってきました。今回お世話になったのは若ゑびす。う〜ん、Macで「ゑ」を出すのは「wye」か……。公式サイトはこちらです。
 以前にいちど予約をしたことがあるのですが、直前になってぽん太が風邪に倒れてキャンセルになってしまいました。今回ついに雪辱を果たすことができました。
 若ゑびすは、福井県は東尋坊の近くにあり、越前がにでは有名な宿のひとつです。独自の生け簀を持っていて、何日か泥をはかせてからお料理にするので、一段と美味しくいただけるんだそうです。
Img_3079 上の写真の海に突き出た旧館も素敵ですが、玄関があるのは新館の建物です。
Img_3051 玄関ホールは、まるでホテルのロビィのような雰囲気です。
Img_3020 客室は落ち着いた和風の造りになっています。
Img_3021 客室の窓から見た荒れ狂う日本海。おりしも低気圧が通過して強い冬型の気圧配置。強風が吹き荒れています。ぽん太とにゃん子も冬の越前には何度か来ていますが、こんな海を見るのは初めてです。
 「今夜はうるさくて眠れないかもしれないですよ」と仲居さん。ダイビングをするので波音には慣れているぽん太とにゃん子ですが、風が窓にあたってピーピー鳴る音には閉口しました。夜には風向きが変わって音が止まったので助かりました。
 これだけ海が荒れると漁に出れないのではないかと不安になりますが、若ゑびすには生け簀があるので心配いりません。
Img_3043 古い本館の客室ですね。こちらにも泊まってみたくなりますが、冬は寒くて大変なうえ、かにを提供するための近代設備が整っていないんだそうです。
Img_3030 カニが待ち遠しいかと思いますが、その前にお風呂をご紹介。男湯は二方向に日本海をのぞめる大パノラマです。ものすごい波です。すごい迫力です。
Img_3035 しかも天然の温泉です。無色透明の柔らかいお湯で、舐めると少し塩っぱいです。泉質はナトリウム・カルシウムー塩化物温泉。泉温は51.3度ですが、弱アルカリ性とあるけどpHが書いてないな〜。
Img_3038 加水はしてませんが、循環・加温・消毒をしているようで、温泉力は強くありません。しかしカニがメインなのでノープロブレムです。
Img_3048 夕暮れの光の中、次々と打ち寄せる波を見ながらカニを待ちます。絵のような風景です。
Img_3041 沈み夕日で黄金色に輝く海を眺めながらカニを待ちます。絵のような風景です。
Img_3052 さあ、まちにまった夕食です。お部屋でいただきます。ちなみに今回のプランは「越前蟹プランA」。ダブルタグのゆで蟹がつくプランです。まずは先付けから。
Img_3053 お造りです。
Img_3054 ついに来たぜ!蟹刺しです。甘くて繊細でとっても上品な味がします。生け簀で泥をはかせた効果でしょうか?これはすばらしいです。
Img_3056 甲羅焼きです。こんどは一転して蟹の香ばしさが楽しめます。蟹味噌もくさみが全くありません。
Img_3064 ゆで蟹です。全体写真を撮り忘れた!蟹味噌につけて食べてもうまいです。
Img_3066 甲羅酒です。アミノ酸系の旨味が美味しく、これもとっても上品なお味です。
Img_3069 最後は雑炊です。卵を細かく混ぜないタイプ。ごちそうさまでした。ふ〜。
 ズワイガニは何回か食べてますが、今回のが一番美味しかったです。さすが若ゑびす。
Img_3073 朝の海。相変わらず波が高いです。まるで絵画のようです。
Img_3077 朝食です。カニで疲れた胃に優しく、それぞれの素材の味がおいしゅうございました。

2015/03/25

【温泉】ハードはいいけどソフトが残念。木造二階建て。鎌先温泉最上屋旅館@宮城県(★★★)

Img_2980
 2月下旬の話しですが、ぽん太とにゃん子は宮城県は鎌先温泉の最上屋旅館に泊まってきました。鎌先温泉は、東北自動車道の白石ICから車でわずか15分という利便性のいい場所にありながら、古い建物が残っていて当時の雰囲気を漂わせています。以前に世にも珍しい木造四階建ての湯主一條に泊まったことがあるので(そのときの記事はこちら)、今回は木造二階建ての最上屋旅館さんにお世話になりました。公式サイトはこちらです。
 結論から言うと、建物は素晴らしく5点満点に匹敵しますが、お風呂がちょっと手狭で風情がなく、お食事がいかにもよくある旅館のお料理で、従業員の対応がどことなく事務的なのが少しずつ減点となり、ぽん太の評価は3点となります。ただ、出発の時に駐車場でちょっとしたトラブルがあったのですが、恐らく年齢から大女将だと思うのですが、雪の中を何度も行き帰して対応して下さったのが、ぽん太の心にしみました。

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Img_2981 こちらが玄関です。日本秘湯を守る会の提灯が下がっております。
Img_2995 使い込まれて飴色に光る階段です。なかなかいいです。
Img_3006 廊下です。古い雰囲気を残したまま、要所ようしょに手が加えられており、小ぎれいな感じになっております。
Img_2983 アメニティのよい新館もあるようですが、古い建物が好きなぽん太とにゃん子は本館のお部屋を選択。お部屋もきれいに改装されております。
Img_3005 浴室のまえにずらりと並んだ洗面所が不思議な雰囲気。湯治の時代の名残でしょうか。
Img_3003 お風呂は、男女別(時間交替制)の内湯と、貸し切り家族風呂があります。ここも新しくなっていて、ちょっと風情に欠けます。旅館の規模に比べると手狭ですが、浴槽を大きくしてお湯の質を落とさないようにというポリシーに基づいているようです。
 お湯は褐色のうす濁りで、褐色の湯の花が舞っております。味は鉄分、塩分、カルシウム、炭酸味を感じます。もう一つの内湯は茶色い沈殿物が浴槽の底にたまっておりますが、こちらはありません。浴槽や床への結晶の析出もあまりないようです。
Img_2988 温泉分析表です。pHは6.7と中性。
Img_2989 泉質は、ナトリウムー塩化物・硫酸塩泉。泉温は36.0度です。
Img_3004 源泉温度が低いため加温してますが、循環、加水、消毒なしです。浴槽を大きくしなかったからこその、源泉掛け流しです。
Img_3000 貸し切り家族風呂です。こちらの方が意匠が凝ってます。舟をかたどったと思われる将棋の駒形の浴槽で、舳先部分にあるタイル製の家のようなものから、お湯が注がれております。これはなかなか好ましいですね。
Img_2998 こちらがちょっと残念な夕食。部屋食でいただきます。メニューがマグロの刺身、海老の天ぷら、バラ肉の陶板焼き、茶碗蒸し……。旅館でよく出てくる普通の料理ですね。
Img_3008 朝食がこちらです。
Img_2991 廊下の窓から見た夜景。風情があります。
Img_3014 写真の左側のあたりが自炊棟になりますが、外側は手直しされているものの、内部に江戸時代に造られた部分が残っているそうです。

2015/03/24

【歌舞伎】松緑と染五郎の「寺子屋」はまぁだまぁだじゃい/2015年3月歌舞伎座夜の部

 昼の部は一階一列のかぶりつきで鑑賞したぽん太とにゃん子ですが、夜の部は定位置にもどって三階から。
 こちらは若手(というかもう中堅かしら)中心の勢いある舞台でしたが、一方で力不足も感じました。公式サイトはこちらです。

 「車引」は、愛之助・染五郎・菊之助の若々しさ、力強さに満ちあふれたエネルギッシュな舞台でした。彌十郎の時平公は、ちょっとがらっぱちというか、ならず者のような感じになってしまっていて、悪役とはいえ、菅丞相と同格の大きさ・崇高さが欲しかったです。

 「賀の祝」は前半がカットされ、松竹梅の木に陰膳を添えるところから始まりました。時間の関係で仕方ないのかもしれませんが、こうすると、70歳の祝いを前にうきうきと楽しい気分から、松王丸の勘当、桜丸の切腹というどん底に落ちて行くという悲劇性が失われてしまいます。また、三本の扇のこととか、頭巾が千代がお祝いにプレゼントしたものであることなども、ちとわかりにくいかと思います。菊之助、沈んだ心持ちで入って来るところが美しい。左團次は優しさと情愛が感じられ、さすがに孝太郎が芝居を締めておりました。
 ところで、上演前に梅王丸・松王丸・桜丸とそれぞれの奥さんの名前を覚えておこうと思ったら、春の梅、千代の松、八重の桜、になっていることを発見!みなさん、知ってました。豆知識ですね。

 「寺子屋」は「寺入り」が付いたバージョンで、ストーリーがわかりやすかったです。ただ芝居の方は、松緑の武部源蔵も染五郎の松王丸も、あまり楽しめなかったです。松緑は、眉毛やアイラインなどのメイクが変だし、セリフ回しが固くて、動きもカクカクしてます。なんか猫ロボットという感じ。染五郎は、細身ながら松王丸の大きさをしっかり出して、型を一つひとつ演じておりました。でも型の根底に流れる心情みたいなものが不明確なため、劇としての悲劇性が今ひとつ盛り上がりませんでした。例えば桜丸を思って大泣きする演技で拍手をもらってましたが、泣いたあとにあんなにすぐにケロッと普通に戻るものでしょうか。また最初の咳にしても、あのように続けて咳をすると、肺のなかの空気がだんだんなくなって咳き込めなくなり、最後に大きく息を吸うものだと思いますが、そういうあたりができてません。「続けて咳をする」という型を演じただけに見えました。
 壱太郎の戸波、悪くはなかったけど目立たず。孝太郎の千代がさすがに上手でしたが、今回の舞台では実力を発揮しきれなかったか?

歌舞伎座
三月大歌舞伎
平成27年3月22日
夜の部

通し狂言 菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

 四幕目 車引(くるまびき)  
   梅王丸 愛之助
   松王丸 染五郎
   桜丸 菊之助
   杉王丸 萬太郎
   藤原時平公 彌十郎

 五幕目 賀の祝(がのいわい)  
   桜丸 菊之助
   松王丸 染五郎
   梅王丸 愛之助
   春 新 悟
   八重 梅 枝
   千代 孝太郎
   白太夫 左團次

 六幕目 寺子屋(てらこや)
  寺入りよりいろは送りまで   
   松王丸 染五郎
   武部源蔵 松 緑
   戸浪 壱太郎
   涎くり与太郎 廣太郎
   菅秀才 左 近
   下男三助 錦 吾
   春藤玄蕃 亀 鶴
   園生の前 高麗蔵
   千代 孝太郎

2015/03/23

【最上】アンバランス?元木の石鳥居(重文)、目出た目出たの?若松観音(鈴立山若松寺)

Img_2974
 上の写真、縦横比を間違えてアップしたわけではありません。ホントにこんなにぶっとい鳥居なんです!
 2月下旬のことですが、雪のなか、山形市とその周辺をぽん太とにゃん子は観光しました。そのとき立ち寄ったのが、この「元木(もとき)の石鳥居」です。山形市内の住宅地のなかに建っており、実際に見ると「ナニコレ〜」という感じです。
Img_2973 案内板にあるように、国指定の重要文化財です。凝灰岩製で、平安時代に建てられたと言われており、日本で最も古い時代に作られた鳥居のひとつだそうです。笠木、島木、貫などの用語は、Wikipediaを御覧下さい。
Img_2971 う〜ん、アンバランスさがいいですね。鳥居はありますが、その後ろにあるべき神社の社殿がありません。後ろに赤い鳥居と小さな祠がありますが、石鳥居とは違う向きに作られています。
Img_2976 額に「鳥居稲荷神社」と書かれています。石鳥居の圧倒的なパワーを祀るべく、あとから建てられたものでしょうか。
Img_2977 細い石の柱の上にでっかい天然石が乗っけられたアンバランスな石灯籠。安定感がありすぎる石鳥居の横に、あえて不安定な石灯籠を建てることで、均衡をとりたくなった気持ちはなんとなくわかります。
 山形市にはもうひとつ重要文化財の「成沢の石鳥居」があり、天童市の「清池の石鳥居」と併せて「最上の三鳥居」と呼ばれているそうです。そのうち訪問してみたいと思います。

Img_2954 ついで、天童市にある鈴立山若松寺( れいりゅうざんじゃくしょうじ)に行きました。若松観音と呼ばれ、信仰を集めているようです。「〽めでためで〜た〜の〜、若松さ〜ま〜よ〜」という歌詞で始まる花笠音頭、若松様ってくらいだから会津の民謡だと思っている人も多いようですが、もちろん山形民謡です。で、じゃあ若松様って何かというと、この若松寺のことだという説があります。ただし若松寺の公式サイト(こちら)では花笠音頭にはまったく触れていないので、真偽は不明です。
 お寺に近づくにつれて雪が深くなってきます。途中に「4WD以外この先通行できません」の表示がありました。
Img_2955 若松寺に到着。門前の茶店で甘酒でも飲ませてもらおうかと思いましたが、当然のことながら営業しておりません。
Img_2958 地蔵堂です。「子育て地蔵」と呼ばれているそうで……
Img_2959_2 内部には特徴的なものが奉納されております。
Img_2964 国指定の重要文化財の「観音堂」ですが……雪の山で覆われていて見えましぇん!
Img_2963 室町時代に建立。慶長年間に山形城主の最上義光が大改修を行いましたが、そのとき最上に多いけど建築にはあまり使われないブナ材を多く用いたことが特徴だそうです。
 若松寺にはこの他にも「板絵著色神馬図」や「金銅聖観音像懸仏」といった重要文化財があるようですが、どこにあっていつ見られるのか、よくわかりませんでした。

 若松観音に参拝するときは、季節を選んで行きましょう。

2015/03/22

【歌舞伎】神々しいまでの仁左衛門の菅丞相/2015年3月歌舞伎座昼の部

 久々に「面白い歌舞伎」ではなくて、「感動する歌舞伎」を観ました。公式サイトはこちらです。
 実はぽん太、ここのところ3階席専門だったのですが、今回は演目と配役を見て、死んだ気になって1階のチケットを取ったのです。新歌舞伎座になって初めての一階席だぜ!しかもせっかくなので、最前列にしてみたのだ!わはははは。さすがに表情がよく見えて、3階とは迫力が違うぜ。
 おっほん。で、なんといっても仁左衛門の菅丞相が最高でした。品格があり、神々しくて、もうすぐ神様になるという感じが伝わってきます。ってゆ〜か、半分神様になっているかも。でも「道明寺」での娘との別れを惜しむ情愛は、人間のもの、父親のものでした。仁左衛門の目からこぼれる涙が、一階席だったのでよく見えました。しかしそれが大げさなお涙頂戴になっていないあたりが、仁左衛門ならではの節度。舞台で描かれているのは極めて特殊な状況ですが、それが普遍的な親子の情や、親しい人との別れに通じているので、客席のあちこちからすすり泣きが聞こえました。
 もちろん今回の舞台が素晴らしかったのは仁左衛門だけの手柄ではありません。その他の役者もいい仕事してました。
 まず魁春の園生の前。こういう格式ある奥方の役は本当にいいです。品格を保ちながら、戸浪への女性らしい思いやりが感じられました。
 そして秀太郎の覚寿。普段はなんかフニャフニャしたおばさん役が多いですが、今回は苅屋姫と立田の前を棒で打ちすえ、婿の宿禰太郎を刀で刺し殺すという強い気性を持った老女の役。立ち回りのあと肩でハアハア息をしているのを見て、すごい演技力だな〜と思っていたのですが、そのあと畳に座ってからもしばらくハアハアしていたので、これは演技じゃなくてホントなんだとわかりました。歌舞伎を演じるのって凄い体力が必要だと常々思ってましたが、秀太郎が体力の限界ぎりぎりまで使って演じているのを目の当たりにして、ぽん太はとっても感動しました。
 菊之助、ふっと笑ったりキッと睨んだりの表情の変化がきっちりしており、しかもそれぞれの表情が美しい。身体のしなやかな動きも素晴らしかったです。宿禰太郎の彌十郎がいつもながらうまい。滑稽な役でありながら、演技を見ているのが楽しいです。
 橘太郎の左中弁希世、松之助の贋迎い弥藤次、ともに名脇役ぶりを発揮。すばらしい仕事ぶりでした。愛之助や染五郎もしっかり仕事。ぽん太ごひいきの壱太郎は、さすがにこの役者陣のなかでは目立ちませんでした。

 ところで、途中で仁左衛門や愛之助が何回か「道真」って言ってた気が……。「菅原道真」じゃなくて「菅丞相」じゃないんかい。いい間違えか?家に帰ってからさっそく脚本を調べてみました(『菅原伝授手習鑑 (歌舞伎オン・ステージ)』白水社、1989年)。そしたら脚本にも「道真」と書いてあるやん。れれれ?これはどうしたことでしょう。
 で、さらに調べてみると、「菅丞相」というのは、「菅」原の大臣(=丞相)という意味で、菅原道真その人のことなんですね。忠臣蔵とかでは、実名は使っちゃいかんということで、「大石内蔵助」を「大星由良之助」に変えたりしてますが、「菅原伝授手習鑑」はそれとは違って、「菅原道真」を「菅丞相」という別の言い方で呼んでいるだけのようです。そう言われてみれば藤原時平も、「ときひら」を「しへい」と読ませてはいますが、本名で出てますもんね。江戸時代の人物じゃないから、本名でいいのかしらん。

 それからもひとつ。菅丞相が、木造が動いたことについて過去の例をあげている部分。
 「例(ためし)は本朝名高き絵師、巨勢(こせ)の金岡(かなおか)が書きたる馬は、夜なよな出でて萩の戸の萩を喰う。また唐土にも名画の誉れ、呉道子が墨絵の雲竜、雨降らせし例(ためし)もあり」
 巨勢金岡というのは無学なぽん太には初耳でしたが、調べてみると実在の人物で、平安時代の超有名な宮廷画家だそうです(Wikipedia)。ぽん太も訪れたことがある京都の神泉苑にもかかわり、菅原道真との親交も厚かったのですが、作品は一切現存していないそうです。ううう、残念。
 で、馬が絵から出てきた話しについてはWikipediaの「馬形障子」の項(こちら)に書かれております。鎌倉時代に成立した『古今著聞集』のなかに、平安時代の天皇の御殿であった清涼殿には、巨勢金岡が描いた三つの馬形障子(馬絵の絵が描かれた障子)があり、馬が夜な夜な絵から抜け出して萩の戸(清涼殿にあった障子だそうです)の萩を食べたので、馬をつないだ状態に描き直したら、絵から出なくなった」という話しがあるそうです。
 呉道子は、唐代のこれまた超有名な画家・呉道玄のことで、これまた作品は残っていないそうな(Wikipedia)。ただ、彼が描いた雲竜が雨を降らしたという話しは、見つけることはできませんでした。

 舞台となった道明寺は、現在は神仏分離によって道明寺(こちら)と道明寺天満宮(こちら)に分かれて残っているようです。そのうち訪れてみたいと思います。

歌舞伎座
三月大歌舞伎
平成27年3月18日
昼の部

通し狂言 菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

 序 幕 加茂堤(かもづつみ)  
   桜丸 菊之助
   八重 梅 枝
   斎世親王 萬太郎
   苅屋姫 壱太郎
   三善清行 亀 寿

 二幕目 筆法伝授(ひっぽうでんじゅ)  
   菅丞相 仁左衛門
   武部源蔵 染五郎
   梅王丸 愛之助
   戸浪 梅 枝
   左中弁希世 橘太郎
   腰元勝野 宗之助
   三善清行 亀 寿
   荒島主税 亀三郎
   局水無瀬 家 橘
   園生の前 魁 春

 三幕目 道明寺(どうみょうじ)
   菅丞相 仁左衛門
   立田の前 芝 雀
   判官代輝国 菊之助
   奴宅内 愛之助
   苅屋姫 壱太郎
   贋迎い弥藤次 松之助
   宿禰太郎 彌十郎
   土師兵衛 歌 六
   覚寿 秀太郎

2015/03/21

【展覧会】どこか親しみのある仏様たち「みちのくの仏像」東京国立博物館

 2月の末のことですが、上野の国立博物館に「みちのくの

仏像

」展を見に行ってきました。
公式サイトはこちら。作品リストはブログの一番下にあります。国立博物館にしては、けっこうこじんまりした展覧会で、会場も本館の特別室を使ったものでした。
 仏像はド素人のぽん太ですが、第一印象は、なんか塗装が剥げた仏像が多いなあというものでした。保存が悪いのかと思ったら、素地仕上げ(きじしあげ)といって、彩色や金箔を用いずに木肌の美しさを活かす技法なんだそうな。
 今回の展覧会の目玉は、東北の三大薬師と呼ばれる岩手県の黒石寺(こくせきじ)(重文)、福島県の勝常寺(しょうじょうじ)(国宝)、宮城県の双林寺(そうりんじ)(重文)の薬師如来が勢揃いしていることのようです。
 黒石寺は、何年か前にポスター(例えばこちら)で話題になった蘇民祭(そみんさい)で有名なところですね。ぽん太も以前に立ち寄ったことがあるのですが、拝観には事前連絡が必要なようで、そのときは拝観することがかないませんでした。
 Wikipediaで調べてみると、薬師如来とは、永徽元年(650年)の玄奘訳『薬師瑠璃光如来本願功徳経』(薬師経)や、景竜元年(707年)の義浄訳『薬師瑠璃光七佛本願功徳経』(七仏薬師経)などに書かれている仏様で、東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土)にいらっしゃるんだそうです。像容は、右手は上げてこちらに手の平を見せる施無畏(せむい)印、左手は下げて手の平を前あるいは上に向けた与願印。左手には普通は薬壷(やっこ)を乗せていますが、古い像では薬壷を持たないものも多いそうです。『薬師経』にならって日光菩薩・月光菩薩を従えた薬師三尊像として安置されたり、眷属として十二神将像が安置されることも多いそうです。また光背には7あるいは6体の薬師如来が置かれておりますが、七仏薬師と呼ばれる薬師如来とその化身仏で、「七仏薬師経」などに書かれているそうです。
 ということで黒石寺の薬師如来に戻ると、桂材の一木造りで、なんか腹まわりがメタボっぽくて、重量感があります。墨書によって貞観4年(862年)の作であることがわかっているそうで、東日本大震災に加え、貞観11年(869年)に東北を襲った貞観地震を体験されているそうです。光背は江戸時代に作り替えられましたが、七仏薬師は当初のものだと言われているそうです。
 双林寺の薬師如来坐像は欅の一木造りで、漆がはげて虫食いの穴があき、お肌がだいぶ荒れてます。9世紀頃の作だそうで、細かい衣紋の表現が美しかったです。
 で、勝常寺の「薬師如来坐像および両脇侍立像」は、さすがに国宝だけあって保存も良く、圧倒的な迫力が感じられます。像高141.8cmという大きさでありながら欅の一木造りだそうで、さぞかし巨木が使われたと推測されます。光背も当初のものだそうで、飛天が一つだけ残っております。またこの如来さまは、額に白毫(びゃくごう)がないのも特徴です。脇侍の日光・月光菩薩は、ふっくらとした体つきで、威厳がある本尊と違って慈愛が感じられます。
 勝常寺って福島県のどこかと思ったら、会津若松と会津坂下の間あたりですね。何度も近くに行っているのに、勝常寺はパスしてました。

 

 その他にぽん太の印象に残ったのは、まず岩手県天台寺の聖観音菩薩立像(重文)。全身にノミで彫った跡が残されています。公式サイトの解説では「荒々しいノミ目」と書いてありますが、ぽん太には、仏さまをいつくしむような丹念で丁寧なノミ跡に見えました。
 それから秋田県小沼神社の聖観音菩薩立像。頭の上の、本来なら阿弥陀如来の化仏があるべきところに、なにやら東北の民話にでてきそうな可愛らしい不思議な生き物が置かれ、にこにこ笑ってます。アップの写真は例えばこちらのブログにあります。仏さまの頭の上に「やっぱりこれだよな〜」とこれを乗っけてしまった作者(あるいは依頼者?)の気持ちを考えると、なんだか面白いです。
 そして青森県恵光院の「女神坐像」。優しいお母さんというかお袋さんとみたいで、手に取ってなでなでしたい感じがしました。
 それから初期の円空の三体(地蔵菩薩立像、釈迦如来立像、十一面観音菩薩立像)。良く知られた荒々しい形象ではなく、すべすべに仕上げられており、横からみると薄っぺらくて、なんだか東南アジアの仮面みたいでした。

 

 

 

1 重文 聖観音菩薩立像 1軀 平安時代・11世紀 岩手・天台寺
2   如来立像 1軀 平安時代・11世紀 岩手・天台寺
3 重文 千手観音菩薩立像 1軀 平安時代・10世紀 山形・吉祥院
4   菩薩立像(伝薬師如来) 1軀 平安時代・11世紀 山形・吉祥院
5   菩薩立像(伝阿弥陀如来) 1軀 平安時代・11世紀 山形・吉祥院
6 重文 薬師如来坐像 1軀 平安時代・9世紀 宮城・双林寺
7 重文 二天立像(持国天・増長天) 2軀 平安時代・9世紀 宮城・双林寺
8 国宝 薬師如来坐像および両脇侍立像 3軀 平安時代・9世紀 福島・勝常寺
9 重文 薬師如来坐像 1軀 平安時代・貞観4年(862) 岩手・黒石寺
10   日光菩薩立像・月光菩薩立像 2軀 平安時代・12世紀 岩手・黒石寺
11   聖観音菩薩立像 1軀 平安時代・10世紀 秋田・小沼神社
12 重文 伝吉祥天立像 1軀 平安時代・9世紀 岩手・成島毘沙門堂
13   訶梨帝母坐像 1軀 平安時代・12世紀 岩手・毛越寺
14   女神坐像 1軀 鎌倉時代・12~13世紀 青森・恵光院
15 重文 十二神将立像(丑神・寅神・卯神・酉神) 4軀 鎌倉時代・13世紀 山形・本山慈恩寺
16 重文 十一面観音菩薩立像 1軀 鎌倉時代・14世紀 宮城・給分浜観音堂
17   地蔵菩薩立像 円空作 1軀 江戸時代・17世紀 青森・西福寺
18   釈迦如来立像 円空作 1軀 江戸時代・17世紀 青森・常楽寺
19   十一面観音菩薩立像 円空作 1軀 江戸時代・17世紀 秋田・龍泉寺

2015/03/20

【温泉】明治後半の建物が残るアットホームな宿。三浦屋@肘折温泉・山形県(★★★★★)

Img_2935
 2月中旬の話しですが、月山の東麓にあって、まるで時の流れから取り残されたようなレトロな温泉街、知る人ぞ知る肘折温泉に行ってきました。実はぽん太とにゃん子が肘折温泉を訪れるのは2回目。前回は和モダンに改装された丸屋旅館でしたが、今回は昔ながらの建物が残る三浦屋さんにお世話になりました。おもてなしもアットホームで、温泉力もあり、お料理もおいしくて、ぽん太の評価は5点満点です。ホームページはこちらのiタウンページかな?なんでも明治後半に建てられたものだそうです。木造三階建てですが、三階部分はちょっと様式が異なるようなので、後から建て増ししたのかもしれません。

Img_2953 豪雪で知られる肘折。途中の道の両側は御覧の通り。これでもここ2〜3日雨が降って、だいぶ雪が沈んだそうです。除雪はしっかりしており、また平成25年に肘折希望大橋が開通したので、アプローチは問題ありません。
Img_2936 玄関の様子です。ガラス戸には雪囲いがしてありますね。
Img_2934 二階の戸袋を利用した看板。文字が漆喰で盛り上げられています。「改良」というのは何でしょう?向かって左にはこけしの絵が書いてあります。肘折はこけしの山地としても有名です。こちらの山形県のホームページによると、鳴子と遠刈田のふたつの流れを汲んでおり、胴体は太くて真っすぐで地が黄色く、重ね菊やなでしこなどの草花の絵が描かれています。肩には段が入り、頭頂部に放射状の手絡(てがら:髪に巻き付けて飾る布)をつけています。現在作っている人は鈴木征一さんただ一人だそうですが、左の写真を良く見ると、「征一」というサインが入ってますね。鈴木征一さんの原画を模写したものでしょうか。
 こちらのサイトに鈴木こけし店の訪問記があります。ぽん太も行けば良かったよ。次に肘折に行った時に寄ろうっと。
Img_2893 玄関を内側から見る。いいですねぇ。向かって左が囲炉裏のある部屋ですが、残念ながらプライベートルームとして使われております。
Img_2926 二階に上る階段。階段の下や、横の壁に、引き出しが作り付けられています。手すりは新しくなってますが、手すりを支える柱が美しいです。
Img_2882 二階の廊下です。
Img_2885 立派な梁ですね。天井は壁紙が貼られてます。
Img_2884 窓側の柵の造形です。にゃん子は何でこんなところに柵があるのかいぶかしがってましたが、昔は夏は窓というか戸を、全部戸袋に引き込んで全開状態にしていたので、柵が必要だったわけです。
Img_2886 別の部分の柵です。これもなかなか得点が高いです。
Img_2890 ガラス戸の桟もなかなかオシャレです。
Img_2889 予約時に古い建物が好きなことを伝えておいたら、古い部屋を用意してくれました。隣りの部屋とは襖一枚で混んでるとプライバシーはありませんが、空いていたので寝室と食事部屋と、合計3室を使わせていただきました。
Img_2932 このように、古い建物の裏側に新館が増設されているようです。でもせっかく泊まるなら、昔ながらの建物に泊まりたいところ。
Img_2900 浴室はけっこうこじんまりとしております。石造りの浴槽は悪くありませんが、壁には大理石がはめられ、女湯とのしきりは渓流の写真のパネルとなってます。これはちょっと俗っぽい……けど、鄙びた感じでいいです!
Img_2924 お湯は茶褐色のうす濁り。舐めると鉄味があり、塩分とカルシウムを感じます。床に茶色い結晶が付いているので、温泉力は強そうです。
Img_2911 温泉分析表です。泉質はナトリウムー塩化物・炭酸水素塩泉。源泉温度は86.4度と高温です。
Img_2898 泉温が高いので加水はしてますが、循環・消毒一切なしの源泉掛け流しです。あ〜あ、ありがたや。
Img_2913 自炊用の台所に、定番の瓦斯自動販売機を発見
Img_2917 夕食です。山菜やキノコなど、地元の食材を使った田舎料理。ぽん太とにゃん子は、温泉で食べるならこういうお食事が一番好きです。
Img_2918 こちらが朝食です。左上に山形の郷土料理「しそ巻」があります。金時豆の煮物もおいしゅうございました。
Img_2927 明治41年の温泉分析表が掲示してありました。署名は「山形市立病院済生館 院長医学士 友田保登」となってます。
Img_2931 こちらは昭和27年の温泉分析表ですね。

2015/03/19

【オペラ】東日本大震災の記憶とシンクロして涙「マノン・レスコー」新国立劇場

 マノンとデ・グリューが誰もいないルイジアナの荒野で渇きに苦しみながら息絶えていく。オペラ「マノン・レスコー」の第4幕が、ぽん太のなかで東日本大震災の記憶と交錯し、涙をそそりました。公式サイトはこちらです。
 そもそも今回の公演は、もとは2011年3月に行われる予定でしたが、震災のために中止になったといういわくの演目。
 喉の渇きに苦しむ荒野と水が押し寄せる津波とでは、ある意味状況は正反対ですが、圧倒的な自然の力の前に人が命を失うという点では共通しております。
 このオペラ、幕ごとに場面が飛んで分かりにくいことで有名ですが、当時の観客は『マノン・レスコー』のストーリーを良く知っていたので、このような大胆な省略が可能だったそうです。それにしても、フランスの港からアメリカに向けて船が出発するという第3幕に続いて、いきなり第4幕ではルジアナの荒野をマノンとデ・グリューがさまよっているというのはあまりに唐突で、違和感を覚えます。しかし東日本大震災では、平凡な日常が津波によって一瞬にして破壊され、瓦礫の山と化したのでした。唐突に現れた荒野の場面に、ぽん太は言い知れぬ恐怖を感じました。
 さらにぽん太のなかでシンクロしたのは、先日の東日本大震災追悼式での、あの遺族代表の女子大生のスピーチです。テレビでも繰り返し放映されましたが、彼女のスピーチで衝撃を受けた人は多かったのではないかと思います。とても凄まじくて怖い体験を、感情を交えず簡潔に語っており、ぽん太は柳田国男の『山の人生』の、二人の子供の首をまさかりで斬って殺した話しを思い出しました(こちらの青空文庫の冒頭近く、「一 山に埋もれたる人生あること」の最初に書かれています)。「震災の悲しみ」や「前向きに頑張る」という言葉が、ぽん太が全く想像してなかった重い意味を持っていることを、彼女のスピーチで知ることができました。
 第4幕の舞台は、何もない床の上にまるで小さな島のように赤い砂と岩が配置されていたのですが(舞台写真はこちら)、それが津波に囲まれたがれきの山を思わせました。舞台上の二人が、女子大生とその母親と重なり、一人取り残されたマノン・レスコーが歌うアリア「一人さびしく」に、がれきに埋もれて亡くなっていった母親の気持ちを歌っているように思われました。

 このオペラ、第1幕から第3幕までは正直退屈ですね。マノンとデ・グリューがデレデレしてるのを見ていると、電車の中でいちゃつくバカップルを見てる感じで、ちっとも感情移入できません。「勝手にしろ!」と言いたくなります。特に今回の演出では、このあたりがコミカルに表現されているので、なおさらでした。第4幕になると突然劇的になり、プッチーニの音楽も見違えるような素晴らしさです。「プッチーニさん、ほんとは第4幕だけ描きたかったんとちゃうんかい!」と言いたくなりました。

 デ・グリューのグスターヴォ・ポルタは、極めてイタリア的なロレった歌い方(専門用語不明)で声量も豊かで、ぽん太の好きなタイプなのですが、ちょっと声のきめに荒さがあるので、若い騎士の学生よりも、経験豊富な壮年っぽく聞こえました。マノン・レスコーのスヴェトラ・ヴァッシレヴァも、新国立らしい美人さんですが、声質がちょっと硬いので、おばかなマノンちゃんという感じではありませんでした。しかし二人とも第4幕にはぴったりの声で、感動を誘いました。レスコーのダリボール・イェニスも、性格俳優的な存在感が良かったです。
 妻屋秀和が芝居っけたっぷりにジェロントを好演。エドモンドの望月哲也は、今回はなぜか声が通らなかったです。
 ピエール・ジョルジョ・モランディが指揮した東京交響楽団の演奏は、感情がこもっていて良かったと思います。特に第2幕のエンディングの迫力、間奏曲のすすり泣くような美しさが印象に残りました。

オペラ「マノン・レスコー」/ジャコモ・プッチーニ
Manon Lescaut/Giacomo Puccini
2015年3月15日
新国立劇場オペラパレス

指揮:ピエール・ジョルジョ・モランディ
演出:ジルベール・デフロ
装置・衣裳:ウィリアム・オルランディ
照明:ロベルト・ヴェントゥーリ

マノン・レスコー:スヴェトラ・ヴァッシレヴァ
デ・グリュー:グスターヴォ・ポルタ
レスコー:ダリボール・イェニス
ジェロント:妻屋秀和
エドモンド:望月哲也
旅籠屋の主人:鹿野由之
舞踏教師:羽山晃生
音楽家:井坂 惠
軍曹:大塚博章
点灯夫:松浦 健
海軍司令官:森口賢二

合 唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京交響楽団

2015/03/15

【歌舞伎】松也の弁天小僧なかなかやるじゃん。2015年3月京都南座午後の部

Img_3092
 春まだ早き京都に歌舞伎を観に行ってきました……ってゆ〜か、土砂降りでした。花形歌舞伎と銘打ってますが、東京でいえば浅草歌舞伎の座組で、若手大活躍。公式サイトはこちら

 まず最初は「弁天娘女男白浪」。松也が弁天小僧菊之助です。松也は浅草の勘平は今ひとつでしたが、今回の弁天小僧はなかなか良かったです。河竹黙阿弥一流のセリフ回しも悪くありませんでした。勘平はいろいろな気持ちの動きを表現しなければならないので、弁天小僧の方が演じやすいのかもしれません。ただ、日本駄右衛門に男と見破られて「騙りめ、返事はなななんと」と迫られて崩れ落ちてから、顔を上げるまでの間が異常に長く、なんか事故でも起きたんじゃないかと心配しました。ちょっと声が嗄れていたせいもあり、女のときよりも男に戻ってからの方がよかったです。女のときはもっと嫁入り前の娘らしい色気が欲しかったです。男に戻ってからの方が色気がありました。なかなか男前ですね。浅草では勘平、今回は弁天小僧で、松也って単に女の子の尻を追っかけてるだけではなく、やはり若手の中では実力があるんですね。見直しました。
 対する南郷力丸の巳之助が元気ありませんでした。お父さんのこともあったからですかね。動きもぴしっと決まらずもさもさしていて、見とれるようなイナセな感じがありませんでした。
 歌昇の日本駄右衛門は無理かと思ったら、けっこう親玉らしい大きさを出してました。右近が成長とともに面長になってきて、鼻が高くてあごがちょっとしゃくれていかにも歌舞伎役者らしい美しさでした。種之助の鳶頭はイナセな感じに欠け、下手に出て取り持とうとしたり、いきり立ってつかみかかろうとしたりという「気」の変化がうまく表現できてませんでした。
 稲瀬川勢揃いの名台詞、皆さんそれぞれ悪くなかったです。

 続いて「闇梅百物語」は、魑魅魍魎や妖怪が踊りを繰り広げる楽しい演目。種之助の骸骨がなかなか巧みでした。隼人のカッパと歌昇の狸の踊り、歌昇の方は踊りになってましたが、隼人の動きは全然踊りになってません。カッパを演じながら踊るのは難しいのかもしれませんが、もっと頑張って欲しいです。巳之助の傘一本足、さすがに踊りは上手。
 常磐津は、先日他界した人間国宝一巴太夫のお弟子さんの巴瑠幸太夫が、師匠ゆずりの美声を聞かせてくれました。
 でもこの演目、季節的に夏の方がいいのでは?

京都四條南座
松竹創業120周年
三月花形歌舞伎
平成27年3月9日

午後の部

一、弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)
  浜松屋見世先より
  稲瀬川勢揃いまで
   
  弁天小僧菊之助 尾上 松 也
  南郷力丸 坂東 巳之助
  忠信利平 中村 隼 人
  浜松屋伜宗之助 中村 米 吉
  浜松屋幸兵衛 嵐  橘三郎
  鳶頭清次 中村 種之助
  赤星十三郎 尾上 右 近
  日本駄右衛門 中村 歌 昇

二、闇梅百物語(やみのうめひゃくものがたり)
  大名邸広間の場
  葛西領源兵衛堀の場
  廓裏田圃の場
  枯野原の場
  庭中花盛りの場
   
  骸骨/読売 中村 種之助
  小姓白梅/雪女郎 尾上 右 近
  新造 中村 米 吉
  河童 中村 隼 人
  傘一本足 坂東 巳之助
  狸 中村 歌 昇
  大内義弘 尾上 松 也

2015/03/09

【バレエ】マイヨーの読みかえが秀逸「LAC〜白鳥の湖」モンテカルロ・バレエ団

 今回のモンテカルロ・バレエ団の日本公演は、「LAC〜白鳥の湖」の一本立て。でも、異才ジャン=クリストフ・マイヨーがいったどんな「白鳥」を見せてくれるのか、とっても楽しみ。小池ミモザも見れるしね。公式サイトはこちらです。
 座席はなんと最前列。鍛え抜かれたダンサーの肉体がすごい迫力です。表情もよく見え、息づかいまで伝わってきました。
 オケはいなくて、音楽はテープでした。全体にけっこう早めで、コンサートで演奏されるときのテンポに近かったです。バレエ公演では踊りやすいようにかなりゆっくりめに演奏してますが、コンサートでこのテンポで演奏すると、かなり間延びした印象を受けます。そういう意味では、チャイコフスキーの音楽の魅力がいつも以上に引き出されていたわけです。
 曲の順序も普通の「白鳥」とはだいぶ入れ替えられてました。でも、例えば黒鳥とのパ・ド・ドゥの音楽は元々は第一幕の音楽ですから、オリジナルに近いとも言えるのですが。4羽の白鳥や、嫁さん選びパーティーの民俗舞踊はスペイン以外ばっさりカットされており、全体の上演時間はかなり短くなってました。

 客席が暗くなって、最初はどんな音楽で始まるかな〜と耳をそばだてていたら、ちゃんと序曲でスタート。ところが舞台上ではとつぜん白黒のムービーが上映されます。登場人物の一部が仮面をつけた無言劇で、おおげさな身振りなどコメディア・デラルテのようでありながら、悪夢を観ているかのような怖さもありました。
 男の子と両親がいて、男の子は女の子にご執心。女の子もまんざらではない感じ。王子とその両親と、白鳥でしょうか。そこに子供の頃の黒鳥が、黒鳥ママに連れられてやってきます。黒鳥ママは、白鳥ちゃんを押しのけ、黒鳥ちゃんを王子の隣りに座らせます。「あんたどきなさいよ……。王子ちゃん、うちの黒鳥ちゃんと遊んでね」って感じ。でも王子はやっぱり白鳥ちゃんがお気に入りみたい。ついに黒鳥ママの命令で、男たちが白鳥ちゃんをさらっていきます。
 ここまでがプロローグで、いよいよバレエがスタート。成長した王子と両親が現れます。原作の「白鳥の湖」は「父の不在」(王様が登場しない)が特徴ですが、ここではちゃんと両親が登場します。しかし「マザコン王子」という設定は踏襲しているようで、王妃は王子にべったりで、王様にはつれない素振り。しかし後に黒鳥ママが登場して王様を誘惑し始めると、今度は王妃は王様にすり寄っていきます。ん〜ん、なんかホームドラマみたいですね。
 で、最初の幕が、普通の「白鳥」の3幕みたいな、お妃選びの舞踏会になってます。いろんなタイプの女性たちが王子を誘惑しますが、王子は気に入りません。「ママー、このお姉ちゃんたち、やだよ〜」「よしよし、いい子ね。お母さんがいるわよ」と王妃。するとそこに大人になった黒鳥ちゃんが、黒鳥ママと一緒に乱入。でも王子はやっぱり黒鳥ちゃんを気に入りませんが、あれあれ、王様の方が黒鳥ママにご執心のようです。

 二幕は大きな岩がある人里離れた場所で、そこで王子は、プロローグで連れ去れた白鳥ちゃんに再会します。白鳥ちゃんはみすぼらしい服を着させられて、なんだか虐待されていた様子。通常版で白鳥が最初に現れて、ちゃんちゃんちゃんちゃんちゃんちゃん!という音楽で、例の背中を反らせた白鳥ポーズをとるところで、肩をすぼめて両手で身体を隠して「お恥ずかしい」のポーズをしたのには大笑い。ギャクがきいてます。そのほかのところにも笑いがちりばめられてました。例えば白鳥の振りをした黒鳥が王子を誘惑してるとき、思わず癖が出てつま先で床をとんとん蹴ってしまうのを、黒鳥ママが両手で靴をにぎって押さえつけるとことか、あるいはまた、王妃と王様のよりが戻ってようやく家庭に平和が訪れたとき、どなたかお客様が……。出迎えに行くとにっくき黒鳥ママで、王妃は思わずのけぞり、みんなうなだれてしまいます。しかつめらしい「芸術」ではなく、楽しいステージでした。
 コールドバレエの白鳥たちは、配役表には「キマイラたち」と書いてありますから、白鳥と黒鳥の両方の遺伝子を持つハイブリッドでしょうか。STAP事件で「キメラマウス」が有名になりましたネ。黒鳥ママの手先の悪い奴らみたいです。最初、後ろ向きで上体を前にかがめてお尻をブリブリふるわせながら登場してきたのですが、近くで見るとスゴい迫力で、ぽん太は最初マッシュボーンみたいに男性ダンサーの白鳥なのかと思いました。その後のダンスもエネルギッシュでパワフルでした。

 第二幕から場面転換で続く第三幕は仮面舞踏会で、黒鳥ママが「白鳥」を連れてやってきます。白鳥ちゃんと同じ白い服を着てますが、この「白鳥」が実は黒鳥ちゃんであることは観客には一目瞭然。どんな仕掛けなのか、踊ってる間に「馬脚」ならぬ「黒い羽根」が見えてきます。だけどトンマな王子は気がつかず、黒鳥ちゃんに愛を誓ってしまいます。自分の過ちに気付いて王子は呆然。王妃は「うちの可愛い息子になんてことを!」と黒鳥ちゃんにつかみかかります。
 三幕から休憩なしで続く第四幕は、再び大きな岩の前。さあ、あとはマイヨーがどんな結末を用意したかです。ハッピーエンドか悲劇か。それとも思いもかけぬエンディングをか。
 なんと人々が黒鳥ちゃんの死体を運んできます。彼らが集団でボコって殺してしまったのでしょうか。なんか残酷。そこまでしなくても。黒鳥ちゃんは王子が好きなだけだったのに。だんだん可哀想になってきました。それを見た黒鳥ママは、仕返しとばかりに白鳥ちゃんを殺害。王子もなんか倒れちゃったよ。よくわからないけど悲惨な結末です。プログラム買おうかな。でも高いからやめた。ラストの布を使った演出は印象的でした。
 黒い衣裳の闇の大天使とかも含め、時節がら、何を見てもイスラム国や上村君事件を連想してしまうのが悲しいところ……。
 
 原作から適度な距離感のマイヨーの読みかえが、とにかく面白かったです。振付けは全体にエネルギッシュでした。美術はシンプルで洗練された感じ。
 王子というより現代の若者といった感じのルシアン・ポスルウェイト、筋肉質で力強い黒鳥ちゃんのノエラニ・パンタスティコ、清楚なアンハラ・バジェステロスと、適所適材といった感じの配役。夜の女王のエイプリル・バールも背が高くてディズニー映画に出てきそうな感じでした。そしてぽん太ごひいきの小池ミモザの王妃もよかったです。とっても表情豊かで、演技力抜群。甘えた表情で夫に猫のようにすり寄ったのに、引かれてしまって憮然とする様子など、お上手です。もちと太めですが、そのぶん迫力があり、外人さんと同じ振付けで踊るところでも、他の外人さんたちよりも動きが大きく、表現力がありました。田島香緒理も可愛らしかったです。
 とてもスリリングでドラマチックな公演でした。次回の来日が今から待ち遠しいです。


モナコ公国モンテカルロ・バレエ団
「LAC〜白鳥の湖」
2015年3月1日(日)
東京文化会館

音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
舞台美術:エルネスト・ピニョン=エルネスト
衣裳:フィリップ・ギヨテル
照明:ジャン=クリストフ・マイヨー、サミュエル・テリー
ドラマトゥルギー:ジャン・ルオー
構成:ベルトラン・マイヨー
初演:2011年12月27日、モナコ、グリマルディ・フォーラム

王:ガブリエレ・コッラオード
王妃:小池ミモザ
夜の女王:エイプリル・バール
王子:ルシアン・ポスルウェイト
白鳥:アンハラ・バジェステロス
黒鳥:ノエラニ・パンタスティコ
王子の友人(相談役):アシエル・エデソ
闇の大天使:クリスティアン・ツヴァルジャンスキー、ブルーノ・ロケ

[欺くものたち]
虚栄心の強い女:キャンデラ・エッベセン
偽りの無関心を装う女:アレッサンドラ・トノローニ
放埓な女たち:フランセス・マーフィ、田島香緒理
貪欲な女:ガエル・リウ

狩人たち:ルーカス・スリーフット、エドアルド・ボリアニ、コーエン・ハヴェニス、オレリアン・アルベルジュ、ヨアキム・アデベリ、リー・ワン、ダニエレ・デルヴェッキ、エドガル・カスティロ、ステファノ・デ・アンジェリス

その友人たち:エレーナ・マルザーノ、アンナ・ブラックウェル、サラ・クラーク、イー・スン、アンヌ=ロール・セイラン

キマイラたち(白鳥):シヴァン・ブリツォワ、フランチェスカ・ドルチ、ティファニー・パチェコ
エレーナ・マルザーノ、フランセス・マーフィ、田島香緒理、ベアトリス・ウァルテ、ガエル・リウ、
リイサ・ハマライネン、アンヌ=ラウラ・セイラン、イー・スン、キャンデラ・エッベセン、アンナ・ブラックウェル

宮廷:田島香緒理、エレーナ・マルザーノ、キャンデラ・エッベセン、クイン・ペンデルトン、フランセス・マーフィ、イー・スン、サラ・クラーク、アレッサンドラ・トノローニ、ティファニー・パチェコ

リー・ワン、ヨアキム・アデベリ、ルーカス・スリーフット、ステファノ・デ・アンジェリス、オレリアン・アルベルジュ、エドガル・カスティロ、ダニエレ・デルヴェッキオ、コーエン・ハヴェニス、エドアルド・ボリアニ

2015/03/08

【文楽】「源平布引滝」はちとグロいけど感動。2015年2月国立劇場第一部

 二月は短いのでなかなか日にちが取れず、国立劇場の文楽は第一部のみ観に行って来ました。
公式サイトはこちらです。

 最初の「二人禿」は、遊郭を舞台に二人の禿が羽根つきや鞠つきで戯れる様子を描いた、華やかで可愛らしい舞踊。歌舞伎に慣れていると、睦大夫ほか大夫さんたちの歌声が、「美声」とは言えないところがちと残念。歌舞伎だと清元や常磐津といった歌専門要員がおりますが、文楽では「語り」が専門の太夫さんが歌うのですから、仕方ないのかも。人形の方は、しっかり踊りになっていて感心しました。

 ところで幕間に定式幕をぼ〜と眺めていたら、歌舞伎座と同じ黒・茶・緑(正確には黒・柿色・萌葱)の三色だけど、並び順が逆なことに気がつきました。つまり、歌舞伎座だと左から黒・茶・緑だけど、今回は右から黒・茶・緑になってました。幕も歌舞伎は向かって左から右に開くけど、今回は右から左に開くし、歌舞伎と文楽は違うのかな〜などと思ったのですが、帰ってからぐぐってみると(定式幕 - Wikipedia)、歌舞伎座や京都南座は左から黒・茶・緑、国立劇場や大阪新歌舞伎座は右から黒・茶・緑とのこと。そして前者は江戸森田座や守田座と同じで、後者は江戸市村座と同じなんだそうな。そうか、歌舞伎と文楽の違いではなく、劇場によって違うのか……。またひとつ賢くなった。

 続いて「源平布引滝」。元々は全五段からなりますが、全体の詳しいあらすじは、こちらの「百舌鳥迺舍(もずのや)別館」というサイトで読むことができます。ありがとうございます。
 それによると、二段目が歌舞伎では身体パフォーマンスで有名な「義賢最後」。三段目は最初が「道行」で、次の三段目の口が「矢橋」と「竹生島遊覧」、三段目の切が「九郎助内」すなわち歌舞伎の「実盛物語」のようです。
 「矢橋」と「竹生島遊覧」を観るのは久々のような気がしますが、ぐぐってみると2008年9月新橋演舞場の歌舞伎公演で、海老蔵の義賢/実盛で観ているようです。
 『平家物語』には、加賀の篠原の戦いで、老兵と侮られぬよう髪を黒く染めて戦にのぞんだ斎藤実盛が、手塚太郎光盛に討ち取られる話しが出てきます。その部分の現代語訳は例えばこちらのサイトにあり、原文はこちらで読むことができます。浄瑠璃は、この有名な実盛の物語の、前日譚になっているわけですね。
 ちなみに後日譚として、漫画家の手塚治虫が自分は手塚光盛の子孫だと主張してるという話しがあります(たとえばこちら)。
 「矢立」「竹生島遊覧」で小まんが琵琶湖を泳ぐところで、首を水面に出して泳ぐのかと思ったら、人形であることを生かしてか、身体を水平にしてぐいぐい泳いでいったのにはびっくりしました。
 「実盛物語」は、歌舞伎だと細かいセリフがよくわからず、ついつい眠くなることが多いのですが、今回は字幕を見ながらだったので分かりやすく、とても感動いたしました。
 それから文楽では、最後に馬上の実盛が仁忽太を鉤縄で捉えて首をかっ斬る場面があるんですね。瀬尾が自らの首を斬り落とす場面もあるし、なんだかイスラム国の事件を思い出して暗くなりました。

 で、ぽん太が気になったのは、人が腕を産むはずがないといぶかる瀬尾に対して、実盛が中国で鉄の玉を産んだ話しがあると諭すところ。『日本古典文学大系〈第52〉浄瑠璃集 下』(岩波書店、1959年)を見てみると、次のようになってます。
 「唐士(もろこし)楚國の后(きさき)桃容夫人(とうようぶにん)。常にあつきを苦しんで鉄(くろがね)の柱をいだく。其精㚑(せいれい)宿て鉄丸(てつがん)を産。陰陽師(おんようじ)占て釼(や)に打す。干将莫耶(かんしょうばくや)が釼是なり。」
 ぐぐってみると、Wikipediaに干将・莫耶という項目があります(こちら)。中国における名剣にまつわる有名な話しのようで、もともとの中国の話しでは、鉄の玉を産むという下りはなかったようですが、日本の『今昔物語』に収録されたバージョンでは、国王夫人が鉄の玉を産み、それをもとに作ったとされているようです。また『太平記』でもこの話しが取り上げられているそうです。それらにあたってみるのは……面倒だからやめます。上記の『日本古典文学大系』の註には、『太平記』を元にした浄瑠璃「眉間尺象貢」が享保14年(1729年)8月に竹本座で上演されたと書かれています。ちなみに「源平布引滝」の初演は寛延2年(1749年)です。
 ついでにもう一つ。実盛が小まんの腕を亡がらにつなぎ合わせてみようと提案する時に、むかし首が煮られながらも恨みを果たしたとかなんとかいう例があるという部分。再び『大系』から引用すると、
 「誠に彼(かの)眉間尺(みけんじゃく)が首。三日三夜煮られても凝(こっ)たる一念。恨を報ぜし例も有。」
 眉間尺は、干将と莫耶の子供ですから、前のと同じ話しですね。元々の物語に時代とともに後日談が加わったようで、それによれば国王は干将を殺してしまい、子の眉間尺が敵討ちを企てます。眉間尺は自分の首を他人に委ねて王に献上し、王はこの首を煮込みましたがいくら煮込んでも溶けず、しまいに王の首も煮え湯の中に落ちて溶けてしまったという話しのようです。これも様々なバージョンがあるようです。
 『今昔物語』や『太平記』に書かれているということで、当時は有名な話しだったんでしょうか。あるいは「眉間尺象貢」で取り上げているから、文楽ファンはすでに予習済みという扱いだったんでしょうか。
 

2月文楽公演
2015年2月25日
国立劇場

【第1部】
「二人禿(ににんかむろ)」
  睦大夫  團吾
  芳穂大夫 清丈
  小住大夫 燕二郎
  亘大夫  清充
  [人形配役]
  禿・紋臣
  禿・簑紫郎

「源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)」
 矢橋の段
      咲寿太夫  龍爾
 竹生島遊覧の段
  実盛  津國大夫  清馗
  小まん 南都大夫
  左衛門 文字栄大夫
  忠太  亘大夫
  宗盛  始大夫
 九郎助内の段
  中   靖大夫   清丈
  次   松香大夫  清友
  切   咲大夫   燕三
  後   文字久大夫 藤蔵    
  [人形配役]
  娘小まん・紋壽
  塩見忠太・玉誉
  宗盛公・紋秀
  飛騨左衛門・文哉
  斎藤実盛・勘十郎
  船頭・玉彦
  九郎助女房・文昇
  矢橋仁忽太・玉勢
  葵御前・簑二郎
  倅太郎吉・玉翔
  百姓九郎助・文司
  瀬尾十郎・玉也
  庄屋・勘介/玉路
  郎党・大ぜい
  近習・大ぜい
  漁師・大ぜい
  実盛の家来・大ぜい

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