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2015年7月の13件の記事

2015/07/31

【観光】ちょっと気になるけど東京から近すぎて行きにくい観光地・吉見百穴(付:岩窟ホテル、岩室観音)、川越

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 7月上旬、四万温泉で一泊したぽん太とにゃん子ですが、翌日はあいにくの雨模様。登山は嫌だし、かといってこの辺りの観光地も行き尽くしたし……ということで、気にはなるけど東京から近すぎて行きにくい、埼玉県の「吉見百穴」に行ってきました。読み方は、地元では「ひゃくあな」と呼ばれているそうですが、「ひゃっけつ」という呼び方もあるようで、はっきりしていないようです。
 にゃん子はなんと初めて。ぽん太は数十年ぶりかな……。公式サイトは見つからないので、吉見町のサイトにリンクしておきます(こちら)。また、Wikipediaはこちら
Img_4955 岩山に四角い穴がポコポコ空いていて、なんとも奇妙というか、ちょっと気持ち悪さも感じる景観です。
 岩は凝灰岩でできていて、219個の穴があるそうです。その正体は、古墳時代(6-7世紀頃)に作られた集合墳墓というのが現在における定説だそうです。
Img_4956_2 いくつか中に入れる穴もあります。入り口の高さは1メートル前後。きれいに成形されています。緑泥片岩で作られたフタがしてあったそうです。
Img_4957 内部は三畳くらいの広さでしょうか、天井も少し高くなってます。片側(あるいは両側)が一段高くなっていて、通路側には縁が付いてます。ここに棺桶が置かれていたと考えられております。
Img_4958 内部の壁には素晴らしい壁画が……というのはウソで、落書きですね。
Img_4949 1887年(明治20年)、坪井正五郎によって、初めて学術的な発掘が行われたそうです。坪井正五郎といっても皆さん知らないと思いますが、ぽん太も知りませんでしたが、弥生土器の発見者の一人なんだそうです。ちなみに発見したのは、吉野百穴の発掘の3年前にあたる1884年(明治17年)。場所は向ヶ岡貝塚ですが、東大の本郷キャンパスの中なんですってね(Wikipedia)。さらにちなみに、縄文式土器を発見したのはモース。場所は東京の大森にある大森貝塚で、年代は1877年(明治10年)です。
 で、坪井は吉見百穴を住居と考え、でも住居にしてはサイズが小さいので、コロポックル人が住んでいたと主張しました。しかし直後から墓であるとする反論がなされ、論戦の末、現在は墓と考えられているそうです。
 吉野百穴のゲートを入って右側にお土産屋さんがあります。ゲートの中にお土産屋があるというのはちょっと不思議ですが、先にお土産屋さんがあって、あとからゲートが出来たので、こうなったのかもしれません。
 それはさておき、そのお土産屋さんの中には、発掘時の写真や、穴の出土品(緑泥片岩のフタもあり)などが展示されていて興味深いです。おじさんがいろいろとお話を聞かせてくれます。写真の方は、ぐぐってみたら、埼玉県立図書館のサイトに同じものがありますね(こちら)。子供たちが一緒に写っているのがほのぼのしてます。発掘前の写真は見つかってないそうです。残念ですね。
 ところで、出土品は現在どこに保存されているんでしょう。それに墓だったら、遺骨が残っていそうなものですが。発掘した時点で、遺骨がほとんど残っていないほど荒らされていたということなんでしょうか。
 話しは戻りますが、このお土産屋さんオススメの五家宝はきな粉たっぷりで、きな粉好きのぽん太にはかなり得点が高いです。ちなみに五家宝が埼玉の名物であることも初めて知りました。
Img_4948 この岩山の中には、地下軍需工場を造るための複雑なトンネルが掘られており、その一部が公開されております。空襲から逃れるために、現在のさいたま市にあった中島飛行機工場(現在の富士重工ですね)をここに移転する計画だったそうですが、本格的な生産を開始する前に終戦を迎えたそうです。この工事に携わったのは例に漏れず朝鮮人労働者で、三千人以上の人たちが昼夜を通して突貫工事にあたったそうです。それがforced to workだったのかどうか、ぽん太は知りません。
Img_4950 内部は格子状の素掘りのトンネルになっていて、特にをゝというものはありません。
Img_4953 穴のひとつにはヒカリゴケが自生しており、「吉見百穴ヒカリゴケ発生地」として国の天然記念物に指定されております。

Img_4961 さて、吉見百穴に行ったら、近くの「岩窟ホテル」も忘れずに見学しましょう。岩壁に妖しげな窓が開いてます。昔は内部に立ち入れたそうで、周囲に子どもの遊具もありますが、現在は事故防止のためかフェンスが張られて立ち入り禁止になっております。
Img_4984 こちらの窓には洒落た手すりが付いてます。
 こちらのサイトには、内部の写真がアップされております。それによると、現在の不気味な印象とはかなり異なり、ちょっと素敵な洋館にも見えます。高橋峯吉という人が明治37年(1904年)に掘り始めてから21年間、大正14年(1925)に他界するまでたった一人で掘り続けました。その後、養子の泰治さんが成長したのちに引き継いで、昭和40年まで掘り進めました。以後は保守・管理に時間と労を費やしましたが、泰治さんも1986年に他界されたそうです。
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 「岩窟ホテル」と呼ばれていますが、正式には「巌窟ホテル高荘館」。いわゆる「ホテル」として客を泊めたことはないそうです。
 う〜ん、なかなか面白そうなんですね。内部を見てみたいです。
 個人が自分で作った変な住宅というと、「二笑亭」とか、フランスの「シュヴァルの理想郷」などが思い浮かびます。後者は文化財に登録されて一般公開されているそうですが、「岩窟ホテル」もぜひ整備して公開し、観光資源にして欲しいです。

Img_4970 さてもうひとつ、岩室観音によりみちしましょう。吉見百穴と岩窟ホテルの間くらいにあります。
Img_4963 岩壁の割れ目にはめ込まれたように建っています。京都の清水の舞台と同じ「懸造り」の技法で建てられているそうです。
Img_4964 石段を登ったところは柱が並ぶ吹き抜けになっています。
Img_4966向かって左にある岩窟に、石仏がたくさん納められております。
Img_4976 そこから急な階段を登ると、二階は舞台のようになっております。狭い角度ですが、景色を見渡すことができます。
Img_4974 正面から見て左側が部屋になっていて、そこに観音様が納められているようです。
Img_4982 案内板によると、弘法大師が自ら刻んだものだそうです。
Img_4975 天井を見上げてちょっとびっくり。屋根を支えている骨組みですが、自然のままに湾曲した材木が一見無秩序に組み合わされています。こういうやり方もあるんでしょうか?
Img_4983 再び一階に下りてくると、鉄骨で支えられた洞窟が。
Img_4973 洞窟のなかにはたくさんの石仏が祀られてます。
Img_4967 四国八十八ヶ所の本尊を模したものだそうです。このお堂ができたのが、江戸時代の寛文年間(1661年-1673年)であると書かれてますね。
Img_4968 お堂の奥は、岩に囲まれた谷のような地形になっております。向かって左の岩の割れ目を鎖で登っていくと……
Img_4969 所要時間1分のちょっとした胎内巡りになってます。
Img_4972 向かって右の崖の中腹に祀られている石仏。ハシゴがかかっています。手に持っているのは蓮か?そしたら観音菩薩かな〜。それにしては頭髪を高くゆってないし、化仏もない。う〜ん、わからん。
 正面の谷間を登っていくと、なにかありそうな気もしましたが、雨で足元が悪いので止めました。
 なお、岩室観音や岩窟ホテルのある岩山の上には、かつて松山城がありました。遺構の保存状態がかなり良いらしく、松山城跡は国指定史跡となっておりますが、今回は省略しました。

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 その後、にゃん子が行ったことがないという川越へ。川越の情報はたくさんあると思うので省略。外人が多かったです。6月21日に火事にあった菓子屋横町の一角が、痛々しかったです(産経ニュース)。お見舞い申し上げます。

2015/07/29

【温泉】6本の自家源泉のを贅沢に掛け流す渓流露天風呂・女将と従業員の演芸大会も見物!四万やまぐち館@群馬県四万温泉(★★★★)

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 こういった大きな温泉旅館・ホテルには普通は行かないぽん太とにゃん子ですが、7月上旬、手元にあったクーポン利用で泊まってきました。普段の鄙びた温泉宿とは違った雰囲気を、大いに楽しめました。公式サイトはこちらです。
 創業300年の歴史ある温泉旅館。敷地内から6本の自家源泉が自然湧出しているそうで、豊富なお湯を贅沢に掛け流したお風呂が魅力。特に四万川の清流の臨む露天風呂は最高です。
 コンクリート造の大きな建物ですが、昭和風の街並が再現されていたり、ちょっとお落ち着く洒落たスペースがあったりします。
 そして何よりも、お・も・て・な・し。通常の応対は言うまでもなく、夕食後のマジックショーや太鼓演奏は、すべてフロント係の人たちが演じます。女将も軽妙なトークを交えながら、童話の朗読、はてまた美空ひばりのカラオケまで。ぽん太が求めているのとはちょっと方向がずれてますが、このおもてなし精神はすばらしいです。
 ちょっと残念だったのがお食事。プランの関係もあるかもしれませんが、いわゆる温泉旅館のお食事と言う感じでした。
 豊富な湯量で景色抜群の温泉は最高レベル。おもてなしも最高ですが、ちょっとぽん太が求めるのと方向性が違うのと、お食事が減点となり、それでもぽん太の評価は4点!

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Img_4944 こちらが玄関です。立派なホテルですね。4階建てくらいに見えますが、反対側が四万川に面していて、玄関のあるロビー階が4階になっているので、実質8階建てくらいです。
Img_4943 のれんには△□○のマークが。仙厓の「○△□」(出光美術館所蔵、画像はこちら)を思い出しますが、△=山、□=口、○=環(かん)だそうです。
Img_4942 ロビーは縁日のような華やいだ雰囲気ですね。
Img_4911 小宴会場が並ぶ廊下。いい感じですね。
Img_4912 こちらは月見台ラウンジ。ちょっとしたオシャレな空間です。
Img_4913 涼しい風に吹かれ、流れるジャズに耳を傾けながら、昼は四万川の清流、夜は月見を楽しめます。
Img_4908 客室は広々とした和室です。
Img_4938 さあて温泉です。敷地内の6本の自家源泉から自然湧出する豊富なお湯、そして四万川に望む景観が素晴らしいです。
 お風呂は男女別の内湯「薬師の湯」と、「お題目大露天風呂」、「渓流露天風呂四万川の湯」があり、あとの二つは時間で男女入れ替わりとなります。
 写真は、お題目露天風呂の内湯部分。右側の戸を出ると、目の前に四万川の清流が流れる大きな露天風呂があります。傍らにある大きな岩に、「南無妙方蓮華経」と刻まれているのが名前の由来です。石風呂ふうの浴槽の底から、熱い源泉が湧いております。お湯は無色透明で、微かに塩っぱ甘くて、とてもやわらかいお湯です。
 渓流露天風呂四万川の湯は、川面からは一段上にありますが、一つひとつが十分大きい浴槽がいくつもあります。
 そして冒頭の写真が薬師の湯です。名前の通り、洗い場の奥に木造の薬師様が祀られています。
Img_4932 温泉分析表です。6つの源泉の混合泉ですね。泉質はナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩温泉。泉温は56.9度、pH: 7.34です。
Img_4910 大旅館にふさわしい広々した温泉で、多くの宿泊客が入れ替わり立ち代わり入浴しておりますが、なんと循環濾過も消毒薬も使ってない源泉掛け流し。豊富な湯量ならでわです。泉温が高いために加水はしているようですが、四万温泉の他の源泉に比べて泉温が低いので、加水の量が少なくてすんでいるそうです。
Img_4915 お食事がちょっと残念でした。豚鍋、マグロの刺身にキノコの陶板焼きなど、温泉旅館のお料理って感じのメニューでした。お味は悪くありません。
Img_4916 こちらがメニューです。
Img_4919 「うすい饅頭」は美味しかったです。ぽん太は初めて聞いた名前ですけど、なんでしょう。ぐぐってもよくわかりません。
Img_4924 夕食後、ロビー会の「俵町広場」というスペースで、ショーが開かれます。まずはマジックショー。マジシャンはフロント係の人だそうです。
Img_4925 ついで女将の朗読による民話の紙芝居です。
Img_4926 次は踊りですが、なぜか新潟県の佐渡おけさ。
Img_4928 勇壮な太鼓で〆です。踊りも太鼓もフロント係。
Img_4930 演芸終了後、ロビーでお茶と漬け物とお菓子を頂けます。う〜ん、このサービス精神には脱帽です。
Img_4941 朝食はナチュラル系で、ちょっとずつ品数も多く、美味しゅうございました。

2015/07/27

【演劇】アイディアや動きは面白いけどちょっと分かりにくい?と僕の中のリトルぽん太が言ってました「かがみのかなたはたなかのなかに」新国立劇場

 2年前の「音のいない世界で」と同じ4人のキャストによる舞台。なんとスタッフも全く同じとか。前回、見ていてちょっと気恥ずかしい感じがしたので、今回は止めようかとも思ったのですが、にゃん子が「首藤見たいにゃ〜、見たいにゃ〜」と鳴くので、行ってきました。公式サイトはこちらです。
 開幕前、ロビーで椅子に座ってチラシを選別していたら、とつぜん男が直立不動の姿勢をとり、隣りの席の女の子に敬礼!危ない人かと思ったら、なんど首藤で、すでに役に入ってました。
 今回は日曜だったせいか、客席にはけっこうちびっ子がいっぱい来てました。
 開演前の「携帯電話のスイッチはお切り下さいetc.」の注意を、客席前の左右に立った二人のお姉さんが、シンクロしてお伝え。をゝ、すでに鏡の世界に入っているのか……。
 舞台が始まると、海を背景にした部屋に、軍服姿の首藤が入って来て、しばらく小芝居。「出征前の軍人」という感じだけど、ちびっ子たちはわかるかな?
 よく見ると、舞台奥には、手前と対照的に家具が置かれてます。はは〜ん、あっち側が鏡の中の世界だな、すると舞台中央の木枠が鏡か……などと思って見ていると、枠の前に立った首藤がいきなり窓を開ける仕草を。なんや窓かいな。鏡じゃないんかい!?
 そのうち、舞台奥の世界に近藤良平がでてきて、首藤の動きを鏡面的にシンクロしていきます。このあたりは、身体をコントロールする術を身につけたダンサー二人ならではの演技です。
 この下りでのギャグは、「うっかり動作が左右逆になってずれてしまう」というのと、「疲れる動作を片方がさぼる」というもの。子供向きということなら、もっと他のギャグを盛り込んでもいいような気がしました。
 向こうとこっちは言葉も反対で、首藤が電話で「もしも〜し」と話しかけると、近藤が「しもし〜も」と答えます。ちなみに名前は首藤がタナカさんで、近藤がカナタさん。
 あっち側に対称的な不思議な世界があることに気付いたタナカは、ピザの配達人のコイケさんを部屋に呼び込みます。すると思った通り、向こうにはケイコさんが……。
 このあたりは説明不足な感じで、事前にタナカが不思議な現象に興味を持ち、いろいろなものを持ち出して、あっち側の反応を見るといったネタ振りをしておいた方が、ちびっ子にはわかりやすいのでは?
 で、コイケの長塚圭史と、ケイコの松たか子は、なぜか対称的ではなくて対照的で、容姿も性格も正反対。ここでブサイクなコイケは、自分の鏡像の美しい松たか子を見て喜び、ケイコは鏡像の長塚を見て落ち込む……というあたりも面白いところですが、ラカンを持ち出すまでもありませんが、もうちょっと掘り下げても良かったかも。
 で、タナカとカナタが可愛いケイコを取り合うというお話しになります。対照的な動きの中での4人入り乱れての動きは、ちょっと「おのでらん」も入ってる感じで、なかなか見応えがありました。

 争っていたタナカとカナタは、結託して、まず邪魔なコイケを殺してしまいます。そして二人でケイコを取り合います。ケイコもなんだか楽しくなってきた様子。
 二人が「対称的な動作をしてしまう」という制約を利用して、自分が動くことで相手を動かして、ケイコを取り戻そうとする下りもおかしかったですが、これもしっかりネタふりした上で、いろいろとやった方が、ちびっ子には受けたかも。
 ケイコの取り合いに疲れたタナカとカナタは、ケイコを真っ二つに切って、二人で分けることにし、それぞれノコギリを持ってケイコを追います。真っ二つにされたケイコは、身体の真ん中に縦に黒い線が引かれていることで表現されてました。ぽん太としては、真っ二つにされたケイコを真ん中に座らせ、タナカとカナタが満足そうに肩に手を回したりワインをついだりする……といった猟奇的なシーンも見たかったです。
 最後がブラックでちょっと怖かったです。ちびっ子は今夜トイレに一人で行けるかな?

 アイデアはいいし、動きも面白かったです。鏡を巡る4人の様々な関係性が描かれていたのですが、それが変化して行く様子がちょっとわかりにくい。セットや照明を利用してもう少し区切りを付けた方が明確になった気がしました。
 また、子どもを対象にするのなら、ネタ振りをしっかりやって分かりやすくし、ギャグや遊びももっと増やして欲しかった……と、僕の中のリトルぽん太が言ってました。

 大人のぽん太としては、産休あけの松たか子の巨乳に目を奪われました。

「かがみのかなたはたなかのなかに」
2015年7月19日
新国立劇場 小劇場

作・演出:長塚圭史
振 付:近藤良平

キャスト
近藤良平 首藤康之 長塚圭史 松たか子

スタッフ
美術:乘峯雅寛
照明:笠原俊幸
音響:加藤 温
衣裳:伊藤佐智子
ヘアメイク:稲垣亮弐
演出助手:渡邊千穂
舞台監督:大垣敏朗

2015/07/26

【歌舞伎】「与話情浮名横櫛」はお笑いだったのか?2015年7月歌舞伎座昼の部

 7月の歌舞伎座は、玉三郎・海老蔵と、猿之助以下澤瀉屋による公演。海老蔵の「熊谷陣屋」は敬遠して、昼の部だけ観劇しました。久々に歌舞伎を観て楽しめた気がします。公式サイトはこちらです。

 まずは「南総里見八犬伝」。犬山道節役の梅玉の飛び六方を観れたのには感動! まことに優雅な荒事でした。そのほか、派手な立回りや、八犬士勢揃いが見せ場ですが、それなりに面白かったです。

 次は海老蔵の「与話情浮名横櫛」。「見染め」の妙になよなよした与三郎が笑えます。「そんなことより一杯やりましょう」(?)と言って九團次と捌けるときの、「あの店にしようか、いやこっち」みたいな小芝居が、夜の海老蔵の地でやってるみたいでした。羽織落しは、お富さんを見る前から羽織が片方ずれていてはオカシイような気がするのですが……。お富の玉三郎は確かな芝居。
 「源氏店」になって、猿弥の番頭藤八。このヒトは何をやってもうまいですね。獅童の蝙蝠安、いやったらしくて下卑た感じが良く出てて、可愛さもありました。海老蔵の与三郎。あのナヨナヨした与三郎が、なんでこんなになってしまったんだろうと、この間の苦労が忍ばれます。昔観たときの「け〜られめ〜」みたいな変なヨーデルはなくなっており、かなり自然になってました。最初に家の外で待っている時に足で石をもてあそんでいる仕草や、裾をまくって下手に捌けていくときの動きなど、それなりに魅力的です。でも、そういう演技がなんか浮いてるというか、芝居に写実性がないというか……。目を引く演技があっても、その向こうに真実のドラマが浮かび上がらないといけないと思うのですが、海老蔵にはそれがありません。だから与三郎とお富さんの心情に感情移入することができず、作り物を見ている気がしてしまいます。感動がなくってお笑いばっかりで、なんかコントみたいな「与話情浮名横櫛」でした。
 和泉屋多左衛門の中車。俳優としては素晴らしい人だと思いますが、歌舞伎役者としてはやっぱりまだまだ。せりふのテンポも強弱も一本調子で、芝居全体を締める役としては力不足。

 最後は猿之助の「蜘蛛絲梓弦」。早変わりや踊り分けが見事でした。踊りもうまいし、お客さんへのサービス精神も感じられました。他の出演者も含めてとってもパワフルで、楽しい舞台でした。やっぱり「ワンピース」も観てみようかな……。


歌舞伎座
松竹創業120周年
七月大歌舞伎
平成27年7月15日

昼の部

一、南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)
    芳流閣屋上の場
    円塚山の場

  〈芳流閣屋上の場〉     
    犬塚信乃 獅 童
    犬飼現八 市川右近  
  〈円塚山の場〉       
    犬山道節 梅 玉
    犬飼現八 市川右近
    犬川荘助 歌 昇
    犬江親兵衛 巳之助
    犬村角太郎 種之助
    浜路 笑三郎
    犬田小文吾 猿 弥
    犬坂毛野 笑 也
    網干左母二郎 松 江
    犬塚信乃 獅 童

二、与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)
    見染め
    源氏店

    与三郎 海老蔵
    蝙蝠安 獅 童
    番頭藤八 猿 弥
    お岸 歌女之丞
    鳶頭金五郎 九團次
    和泉屋多左衛門 中 車
    お富 玉三郎

三、蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)
  市川猿之助六変化相勤め申し候

  童熨斗丸
  薬売り彦作
  番頭新造八重里
  座頭亀市
  傾城薄雲実は女郎蜘蛛の精 猿之助

  源頼光 門之助
  坂田金時 市川右近
  渡辺綱 巳之助
  碓井貞光 獅 童
  平井保昌 海老蔵

2015/07/21

【彫刻】日本のミケランジェロ(?)石川雲蝶を訪ねて(永林寺、西福寺開山堂)

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 皆さんは石川雲蝶(いしかわうんちょう)という名前を聞いたことがありますか?実はぽん太も最近知りました。江戸末期から明治にかけて、新潟の仏閣に多くの作品を残した彫刻家で、日本のミケランジェロとも称されているそうです。新潟県にある雲蝶の作品に関しては、こちらの「にいがた観光ナビ」のサイトを御覧下さい。
Img_4881 まずは永林寺。公式サイトはこちらです。入り口は、雪深いこの地方の普通の民家のようです。
Img_4882 こちらが本堂ですが、この内部に石川雲蝶の素晴らしい彫刻があるのです。内部は撮影禁止なので、永林寺のホームページこちら)を御覧ください。本堂全体が美しく彩色された彫刻で埋め尽くされています。特に有名な天女は艶かしさがあり、二人の天女は肌もあらわな背中をご本尊に向けていたりします。よくも厳粛なお寺にそのような装飾を作ったものです。
 日光東照宮の左甚五郎などによる彫刻と似ているのですが、もっとドラマチックで生々しく、エロティックです。やや装飾過剰というか、ちょっとマニエリスティックな感じもします。とにかく凄い迫力です。ただ「日本のミケランジェロ」というのはちょっと言い過ぎな感じで、彫刻のなかには作風が違っていたり、細密さが異なるものが混ざっていたりして、全体としての完成度は完璧ではありません。
 ちょうど団体さんが入っていたので、住職さんのお話を聞くことができました。なかなかお話が上手です。イタリアのテレビ局が取材に来たとき、石川雲蝶は彫刻を彫っただけでなく、本堂の建築にも携わったことを離したところ、彫刻・絵画・建築などすべてをこなすという意味で、「ミケランジェロと同じですね」という話しが出たんだそうです。その後、テレビの「何でも鑑定団」でおなじみの中島誠之助がNHKの番組で訪れた際に、「越後のミケランジェロだ」と行ったのが広まって、今では「日本のミケランジェロ」と呼ばれるようになったそうです。
 石川雲蝶の生涯は、いまだ謎につつまれております。文化11年(1814)江戸の雑司ヶ谷で出生。江戸彫の一派石川本流に属し、彫り物や大工の技術を身につけましたが、その頃のことはほとんどわかっておりません。三十代で新潟に移り住み、以後、魚沼を中心に多くの彫刻を残し、明治16年(1883)三条にて70歳の生涯を閉じました。

Img_4892 さて、次に訪れたのが西福寺・開山堂です。茅葺きの大きくはないお堂ですが、重い新潟の雪から守るためでしょうか、巨大な鉄骨の屋根にすっぽりと覆われており、ちょっとガンダムっぽくて、なかなかシュールな光景です。
 このお堂の内部が、雲蝶の彫刻で覆い尽くされており、息が詰まりそうになるほどの濃密さです。彫刻だけでなく、絵画、鏝絵まであり、雲蝶の芸域の広さに驚かされます。
 これも撮影禁止なので、西福寺の公式サイト(こちら)を御覧下さい。「開山堂パノラマムービー」で、自在に内部を見ることができます。
Img_4887 こちらは本堂のふすま絵「孔雀遊戯之図」。48歳(1861年)の作品だそうです。絵の腕も並大抵ではありません。
Img_4888 虎ですね。
Img_4889 鳥です。
Img_4894 開山堂の外部の彫刻は、写真を自由に撮ることができる雲蝶の作品です。
Img_4895 ん〜ん、いいですね。
Img_4898 こんな凄い彫刻家が、あまり知られていないというのは驚きというか、残念ですね。ほかにもいくつか雲蝶の作品が見られるようなので、折りをみて訪れたいと思います。

2015/07/20

【観光】重文の茅葺き屋根の本堂がある種月寺、とっても濃厚なガンジーソフトクリーム

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 岩室温泉高島屋で贅沢な時を過ごしたぽん太とにゃん子、翌日の観光です。当初は角田山にでも登ろうかと思ってましたが、見事に晴れわたってとっても暑そうだったのでパス。近くの彌彦神社は越後国一宮でなかなかのパワースポットですが、文化財はないのでこんかいは省略。ということで、まず種月寺(しゅげつじ)を訪れました。ここの本堂(上の写真)は国の重要文化財です。文化財オンラインのページはこちら
Img_4863 文安3年(1446)に建立された曹洞宗のお寺で、村上市の耕雲寺、塩沢町の雲洞庵、村松町の慈光寺と並んで、曹洞宗の越後四箇道場の一つとして栄えたそうです。
Img_4876 本堂は元禄12年(1699)に建てられたもので、いわゆる「出雲崎大工」の手になるそうです。
Img_4875 平成元年(1989)に国の重要文化財に指定されました。当時は痛んだ茅葺き屋根を鉄板で覆っていましたが、2008年に修復されて、堂々たる茅葺き屋根が姿を現しました。
Img_4873 内部は曹洞宗らしい質実剛健な造りとなっております。
Img_4866 境内には、西国三十三ケ所観世音菩薩がありました。

Img_4879 道の駅良寛の里わしま(公式サイト)に、テレビの「がっちりマンデー」でやっていたガンジー・ソフトクリームを食べに行きました。とってもの濃厚で美味しゅうございました。
 「がっちりマンデー」によると、近くの加勢牧場で育てているガンジー牛から搾ったミルクを使ったソフトクリームだそうです。ガンジー牛はイギリス原産で、日本には数百頭しかしない貴重な牛だそうです。牧場主の加瀬さんは、以前は普通のホルスタインをたくさん育てていましたが、年をとったらこんなたくさんの牛は育てられないと不安になり、少数でももうかる牛を育てようと決意したそうです。
 ただ、道の駅時代はバイパスみたいな山の中の国道沿いにあり、ちょっとさびれてます。でもガンジー・ソフトクリームを食べるためだけでも、寄る価値があります。

2015/07/19

【温泉】歴史と格式のある宿、しかもキャンペーン中。岩室温泉「高島屋」@新潟県(★★★★★)

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 6月下旬、五頭山から汗だくで降りてきたぽん太とにゃん子は、その日の宿の岩室温泉高島屋に宿泊しました。公式サイトはこちらです。
 登録有形文化財に指定された江戸時代の庄屋屋敷が残る建物、「泊まれる料亭」というキャッチコピーそのものの美味しいお料理。前から一度泊まってみたいと思っていたのですが、お値段もぽん太とにゃん子にはちょっとお高め。しかし今回、岩室温泉の新源泉記念キャンペーンでお得なプランが出ており、念願かなって宿泊することができました。
 建物や料理の素晴らしさや言うまでもなく、力強い新源泉を引いたお風呂も申し分なし。なによりも、将棋や囲碁のタイトル戦の会場にもなる名旅館だけあって、従業員のおもてなしも行き届いていて心地よく、最高の宿でした。今回のお値段も考えると、ぽん太の評価は文句なく5点満点です。

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Img_4860 宿の前の道は北国街道。ぽん太は北国街道と聞くと、軽井沢の追分から善光寺を経て直江津に抜ける街道を思い浮かべますが、こちらはいわゆる北陸道ですね。江戸時代、岩室は北国街道の宿場として栄えました。岩室付近の北国街道の地図は、例えばこちらのサイトで見ることができます。
Photo こちらが登録有形文化財に指定された本館。260年前に作られた江戸時代の庄屋屋敷です。といっても最近よくある古民家移築ではありません。高島家は江戸時代、正真正銘の岩室の庄屋でした。ときに七代目高島庄左衛門道順の枕元に、三日三晩に渡って白髪の老人が現れ、霊泉の存在を伝えました(♪べべんべんべん)。不思議に思った庄左衛門がお告げに従って探したところ、一羽の傷ついた雁がお湯に身を浸してその傷を癒していたのを見て、源泉を発見。正徳3年(1713)に幕府の認可を得て、岩室温泉が開業しました。岩室温泉は、弥彦神社の宿場としても大いに栄えました。高島屋が宿屋となったのは意外と新しく、昭和25年(1950)だそうです。
Img_4861 立派な玄関の向こうに中庭の新緑が見えます。心地よい初夏の風を感じます。
Img_4798 囲炉裏の切られたロビー周辺の空間。広々してますね。ん?左隅になにやらおじいさんが座ってます。良寛さんですね。
 実際に高島屋には(このころは庄屋ですね)、良寛が訪れたこともあるそうです。
Img_4799 ウェルカムドリンクのアイスコーヒー。冷たくて美味しいです。登山帰りのヨレヨレの服装のぽん太とにゃん子は、「こんな格好ですみませんね」などと言い訳しながら頂きました。
Img_4851 戦後の開業時に使っていた、館内用の電話交換機だそうです。
Img_4803 客室も、立派な床柱を持ち、格式が感じられます。
Img_4855 格式といえば、ここは将棋の棋聖戦や、囲碁の十段戦の舞台にもなったそうです。
 そういえば先日(7月15日)、棋聖戦第四局(羽生善治VS豊島将之)の第4戦が高島屋で行われたはずですが、結果はどうなったんでしょう。99手で羽生棋聖が勝ってタイトルを防衛。前人未到の棋聖戦8連覇を達成したようです。
 宿の人が「羽生さんはこれまでの戦績から高島屋に悪い印象を持ってるみたいです」とおっしゃってましたが、以後は羽生さんにとって最高にゲンのいい、思い出の場所になるんではないでしょうか?
Img_4804 お風呂は、翁の湯と竹生の湯という二つの内湯があり、男女入れ替わりになってます。写真は翁の湯。浴槽は古代檜で作られているそうで、広々としております。木漏れ日がキラキラして気持ちいいです。
 新源泉から引かれたお湯はちょっと白く濁ってます。なめると少し油臭がして、塩っぱ苦甘い複雑な味です。これはなかなか温泉力があります。
Img_4812 温泉分析表を見ますって〜と、泉質は含硫黄-ナトリウム・カルシム-塩化物泉で、泉温は52.2℃。苦いけど、あんまりマグネシウムは多くないですね。
Img_4842 残念ながら源泉掛け流しとはいかず、加水・加温・循環濾過・塩素消毒をしているようですが、温泉力は保たれています。
Img_4849 中庭から見た本館です。
Img_4850 手を叩いたら池の鯉が集まってきました……っちゅ〜か、おまいら集まり過ぎ!
Img_4835 こちらがもうひとつの竹生の湯。浴槽が二つあります。微妙に濁り具合が違うようです。泉温とかによって変わるのかな?
Img_4838 竹生の湯には半露天の五右衛門風呂が付属しております。こちらは温泉ではありません。
Img_4817 風呂上がりは生ビールだぜい。カップを三種類から選べる趣向でした。普通のジョッキと、クリーミーな泡が立つ入れ物を選択。日差しが強い日でしたが、部屋の中を涼しい風が通り抜け、とても気持ちよかったです。
Img_4818 待ちに待った夕食です。さすが料亭の宿。お食事は一つひとつ運ばれてきます。
Img_4820 お品書きでございます。
Img_4819 お酒はミーハーもろだしで、越乃寒梅と雪中梅を注文。両方とも地元値段で、全然高くないんですよ。
Img_4821 鯛のつみれとジュンサイのお椀。お造りにはアラが入ってました。
Img_4824 焼き物は、錦織圭で有名になったノドグロ君。
Img_4827 不思議な物体は南京饅頭だそうです。

Img_4829Img_4831Img_4833 てんぷら、お食事、アイスクリームがついて美味しゅうございました。
 夕食後の行事には、酔いつぶれてほとんど参加しないぽん太とにゃん子ですが、今回は「冬妻ホタル」を観に行ってきました。宿から近くの岩室払川でホタルを保護しているそうで、無料送迎バスも運行してます。それは見事な光の乱舞でした。
Img_4801 朝食会場はこちらの「駐蹕の間」でいただきます。明治11年に明治天皇が北陸巡幸の際に休息をとった部屋だそうです。
Img_4846 こちらが朝食です。
Img_4843 解説はランチョンマットに書かれております。


2015/07/18

【登山】出湯から五頭山@新潟県

20150624_143447
 腹ごなしに登山じゃい、登山じゃい。こんかいは五頭山(ごずさん)。腹ごなしなので、トレランというほどではありませんが、旅行の限られた時間の中でとにかく山頂まで行って戻ってくるという登山だったので、あんまり写真もありません。
 五頭山に登るには、どんぐりの森キャンプ場から登る三ノ峰コースが一番短そうですが、にゃん子に烏帽子岩の写真を見せたら、高いところ好きのネコの本能が刺激されたのか、烏帽子岩に登りたいニャ〜と泣くので、出湯コースを登ることにしました。

【山名】五頭山(912.5m)
【山域】下越@新潟県
【日程】2015年6月24日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】晴れ
【ルート】出湯コース登山口9:56…烏帽子岩…五ノ峰11:58…五頭山12:37-13:05…出湯コース登山口15:13

(※3D地図や当日の天気図などは「山行記録のページへ」をクリック)
【マイカー登山情報】出湯コース登山口には広い駐車場がありますが、登山口のゲート前にも数台停められます。
【関連サイト】
阿賀野市観光協会:ページの下の方にルートマップとコースタイムがあります。
五頭温泉郷旅館協同組合:登山地図(400円)のご案内。

20150624_150913 登り始めてすぐのところに、山の神が祀られてます。
20150624_142700 ヤマアジサイがとてもきれいでした。
 冒頭の写真が烏帽子岩。にゃん子は岩に登ってご満悦でした。
20150624_115830 親子地蔵です。ちょっと見づらいけど、岩に浮き彫りになっているのがわかりますか?実は今回カメラを車に置き忘れてしまい、携帯で撮ってます。
20150624_135034 あっという間に五ノ峰に到着。とても眺めが良く、日本海まで見えました。平日だというのに、たくさんのハイカーがお弁当を広げていました。
20150624_133457 ぽん太とにゃん子はひたすら山頂を目指します。五頭山には、稜線上に一ノ峰から五ノ峰までの5つのピークがあり、これが五頭山という名前の由来になっています。これらとは別に、さらに山頂があります。
 途中ブナの森がとても美しかったです。低山なのにそんなに大きくないのは、冬の雪深さのゆえでしょうか。
20150624_132913 三ノ峰の石仏。赤い布でよく見えませんが、剣の先っぽが見えてます。「三之峰不動」と書いてるのかしら。
20150624_131813 これは一ノ峰手前の小ピークにある石仏と石碑です。石仏もここまで覆われてしまうとわかりませんな〜。石碑には五頭龍神と書かれています。
 帰ってからぐぐってみると、新潟県北部の史跡巡りというサイトが見つかりました。それによると、空海が五頭山に登って霊感を感じ、地蔵菩薩、観世音菩薩、薬師如来、不動明王、毘沙門天を勧請して五頭山を開山し、麓に華報寺を開山した。これらは後に失われてしまいましたが、大正11年、それを惜しんだ新潟市の青柳講が、5体の石仏を復活して安置したんだそうです(昭和16年「五頭山華報寺出湯温泉沿革史」二瓶武爾)。空海の下りはさておき、五つの峰を五つの仏に見立てるのはさもありなんといったところでしょうか。
 五頭龍神についてはぐぐってもよくわかりませんでした。五頭龍と聞いて思い出すのは神奈川県は鎌倉に住んでた五頭龍で、江ノ島の弁天様に惚れて改心したという話しです。しかし、それとは関係ない様子。
 五頭山の「五頭」から五頭龍が連想されたのでしょうか。龍というからには雨や水に関係しているはずで、雨乞いや洪水などに関係した信仰なのかもしれません。石碑の前になんか説明板みたいなのがあるけど、この写真を撮っておけばよかったな〜。どっかネットにないかな〜。見つからないな〜。
20150624_125827 山頂です。狭くて展望もあまりなく、けっこう地味です。一度来たら、あとは五ノ峰まででいいかも。
 帰路はルート図を見ればわかるように、三ノ峰からどんぐりの森に行く道に降りかけましたが、早めに気付いて修正。おかげでいい運動になりました。

2015/07/17

【温泉】ブナに囲まれた清々しい宿・御神楽温泉小会瀬@新潟県(★★★)

Img_4777 今を去る6月下旬、喜多方を観光したぽん太とにゃん子は、県境を越えて新潟に入り、御神楽温泉・小会瀬に宿を借りました。公式サイトはこちらです。
 ブナ林に囲まれた和風旅館。敷地も館内も広々としており、食事も品数が多く、名物の手打ち蕎麦も美味しかったです。でも、温泉力がちと弱く、またお食事も「山菜フェア」というほどの山菜尽くしではありませんでした。自然に囲まれて清々しい山荘風のいい宿だと思うのですが、ぽん太の好みからは「鄙び度」が足りません。新潟市内の人たちが避暑に行く宿という感じかな〜というところで、ぽん太の評価は「普通にいい」の3点!

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Img_4778 立派な木造建築ですが、手前の広い駐車場とあいまって、ちょっと道の駅風に見えてしまうところもあります。
Img_4784 立派な梁があり、高い天井のロビーです。ただ、建物は平屋で部屋数も少なく、静かで落ち着いた雰囲気です。
Img_4785 こちらはそば打ちスペースですね。夕食の手打ち蕎麦が楽しみです。
Img_4786 お部屋もきれいで落ち着く和室です。窓の外には、広々とした芝生の向こうに美しいブナ林が広がります。
Img_4779 お風呂はタイル張りで清潔。庭に面しているため、板塀で覆われてしまっているのが残念です。建物の一番奥にあって、窓の外のブナ林とかが見えたら良かったのですが。
Img_4782 お湯は無色透明。温泉分析表によると泉質は、ナトリウム-硫酸塩・炭酸水素塩温泉とのことですが、残念ながら循環のカルキ泉です。
Img_4789 夕食は、品数も多く、彩りも鮮やかで美味しいです。しかし「山菜フェア」にしては、ぽん太とにゃん子が期待したほどの山菜づくしではありませんでした。天ぷらやイワナの塩焼きも、後からアツアツを持ってきて頂けるとよかったのですが……。ちょっと普通の旅館の会席料理に近い感じで、それを求めている人にはいいですが、ぽん太とにゃん子はもっと田舎風の料理が好みです。
Img_4791 こちらが地元のそば粉を使ったお蕎麦です。臼挽きのそば粉を使い、つなぎを入れない十割の手打ちそばだそうで、腰が強くて美味しかったです。う〜ん、御見事。
Img_4794 朝食です。炊きたての炊き込みご飯が美味しゅうございました。

2015/07/16

【観光】喜多方:三津谷の煉瓦蔵、願成寺の会津大仏(重文)、珈琲専門店煉瓦のダッチコーヒー、新宮熊野神社長床(重文)

Img_4733 喜多方周辺の観光です。喜多方は何回か訪れたところなので、今回は行ったことがないところを攻めてみました。

Img_4698 まずは、喜多方の北東にある三津谷集落。小さな集落ですが、れんが造りの立派な蔵が立ち並んでいます。
Img_4697 蔵というより立派な「洋館」に見えます。
Img_4701 この集落の煉瓦蔵全部が、地元の煉瓦積職人・田中又一の手によるものだそうです。

Img_4704 ついで、喜多方の北にある願成寺に、会津大仏を観に行きました。
Img_4712 ぽん太がまず気になったのは、願成寺の前の道の広さです。両脇に古い建物が残っているところからすると、近年に拡幅したわけではなく、昔から広い道幅を確保してあったと思われます。

 願成寺の東側を南北に走る道を、地図で拡大したり、ストリートビューで見ていただけるとわかると思いますが、長さ約600メートルの部分だけが幅広くなっており、その南と北は細い道になっております。Wikipediaを見ると、このお寺は元は別の場所にありましたが、慶長16年(1611年)に起きた慶長三陸地震による震災を機に、現在の場所に移転されたんだそうです。この時、会津松平家が会津地域で唯一庇護した寺だったそうですが、広い道の理由はよくわかりません。
 以前には、願成寺の南から西へとカーブして行く形で国鉄の日中線が走っておりました。願成寺の南あたりでは県道335号線に一致しており、押切川の西側には上三宮駅がありました(日中線調査結果3)。そのために古来の道が改変されている可能性もあります。
Img_4705 かわいらしい山門です。仁王様がいるスペースにはなにもありません。
Img_4711 この新しい建物(会津大仏御堂)のなかに、会津大仏が納められております。
Img_4710 こちらが会津大仏。ガラス越しのご参拝です。正式には「木造阿弥陀如来及び両脇侍坐像」。国指定の重要文化財です。
 高さが2.41メートルあるそうで、「大仏」という名にふさわしい存在感があります。欠損しているところがなく、金箔もきれいに残っているなど保存が良いです。造形も、いわゆる「素朴系」ではなく、洗練されていて、光背の千体仏も見事です。とってもきれいな仏様という印象です。鎌倉時代の作で、寄木造りです。
 中央が阿弥陀如来、左脇侍(向かって右)が観音菩薩、右脇侍(向かって左)が勢至菩薩で、阿弥陀三尊像の形をとっております。
 阿弥陀如来の印相(いんそう、手のかたちですね)は、親指と人差し指で輪を作っているのが一般的で、この像では、右手を上げて左手を下げるという「来迎印」を結んでいます。来迎印は、阿弥陀如来が西方極楽浄土からお迎えに来るときの姿とされております。
 左脇侍の観音菩薩は、阿弥陀如来の「慈悲」をあらわしており、頭髪のおでこの部分に化仏(けぶつ、小さな阿弥陀如来)があるのが目印です。右脇侍の勢至菩薩は、阿弥陀如来の「智慧」をあらわしており、オデコには水瓶があります。注目すべきは両脇侍の座り方で、正座のような座り方ですが、跪坐(きざ)と呼ばれます。
 阿弥陀三尊像のなかでも、この像のように、阿弥陀如来が坐像で両脇侍が跪坐のものを「来迎形式」といいます。来迎形式では、観音菩薩は往生する者を迎えるための蓮台を持ち、勢至菩薩は合掌しているのが普通です。
 この三尊像の組み合わせの根拠は、「無量寿経」や「観無量寿経」にあります。無量寿経は翻訳がアップされております(観経・現代語版①)。175で無量寿仏(=阿弥陀如来)が観音菩薩と勢至菩薩を伴って姿を現すところが書かれており、以下、様々な形でそのお姿が描写されております。

Img_4717 硬い話しはこれくらいにして、お次ぎは食い気へ。喜多方駅前の「珈琲専門店煉瓦」で美味しい珈琲とケーキをいただきました(会津全集)。明治時代に建てられたレンガ蔵を改装したお店で、レトロな雰囲気が漂います。写真のダッチコーヒーは、水を一滴一滴たらして60分かけてドリップしたものだそうで、苦みがなくてまろやかなお味でした。

Img_4719 お次ぎは新宮熊野神社。この注連縄はぶっといですね。垂れ下がってます。天喜3年(1055年)前九年の役に際して源頼義が熊野神社を勧請したのが始まりで、寛治3年(1089年)後三年の役の時に源義家が現在の地に熊野新宮社を移したと言われているそうです。栄枯盛衰の末、明治初期のの廃仏毀釈で多くの文化財が失われ、現在にいたっております。
Img_4723 正面に見えてきたのが長床(ながとこ)と呼ばれる拝殿で、国の重要文化財に指定されています。
Img_4725 長床の前にある大銀杏は、樹齢600年ともいわれ、なかなか立派です。
Img_4727 恒例の狛犬君。まずは向かって左。な、なんか花を持ってます。図式化されてますが牡丹のようです。ぽん太はあまり見たことがありません。「唐獅子牡丹」か?でも一般には、向かって右が獅子で、左が狛犬だから、右が持っているのならわかるけど。まあ、狛犬自体が想像上の動物だし。獅子のイメージと結びついて牡丹になったのかな…。ぐぐってみると、牡丹を持った狛犬は、ないわけではないようです。
Img_4728 向かって右は鞠ですね。これはよく見かける気がしますが、さてその意味はと問われると、ぽん太は知りません。
Img_4730 さて、こちらが長床です。太い柱が立ち並び、古風ななかにも力強さが感じられます。
Img_4732 エジプトのカルナック神殿の大列柱室をちょっと思わせます。全部で44本の柱があるそうです。
Img_4724 長床の解説です。鎌倉時代の初期に造られましたが、慶長16年(1611年)の大地震で倒壊。3年後に再建されたものの、ちょっと小さくなり、造りも変えられてしまいました。そこで昭和46年から49年の解体修理に際し、できるかぎり当初の姿に復元されたそうです。
Img_4735 建物の外周の天井は、庇風の化粧屋根裏になっております。
Img_4758 手の込んだ天井の造形です。
Img_4756 茅葺き屋根も美しいです。
Img_4736 長床の反対側の石段の上には本殿があります。
Img_4741 三つの社殿からなり、真ん中が一番立派です。
Img_4737 本殿の解説です。中央が本社新宮証誠殿、左が末社那智山飛龍権現、右が末社本宮十二社権現だそうです。形式はもちろん熊野造……といってもぽん太はよくわからないのですが、屋根の形は切妻で、妻の方に入り口がある妻入で、手前に庇があるのは春日造と同じ。後ろ側が入母屋になってるところが違うようですが、他にも違いがあるのでしょうか?ぐぐってみてもよくわかりません。
Img_4750 文殊堂です。
Img_4748 素朴な奉納額が掲げられています。芭蕉翁、一茶翁という字が読めます。いつ頃のものでしょうか。
Img_4775 観音堂です。
Img_4773 壁にはなぜかウサちゃんのレリーフが。
Img_4761宝物館には口径62.5cmの大きな銅鉢があり、国の重要文化財に指定されております。写真の木造文殊菩薩騎獅像もなかなか立派です。そもそも文殊菩薩とは……疲れたので今日はやめましょう。
Img_4765 素朴系の木造力士像や、十二神将(だったかな?)も味わいがありました。

2015/07/13

【温泉】珍湯奇湯・入れる間欠泉!!湯ノ沢間欠泉「湯の華」@山形県(★★★★★)


 前から一度行きたいと思っていた湯ノ沢間欠泉「湯の華」に行ってきました。日本で唯一、入浴できる間欠泉とのこと。まさに珍湯奇湯。これは得点が高いです。山深い雰囲気、山菜料理も加点になり、文句なしの5点満点です。公式サイトはこちらです。
Img_4681 場所は山形県は米沢市の西。飯豊山の東にあたります。行って見てわかりましたが、以前に泊まった農家民宿のある飯豊町中津川の近くですね。すれ違いも困難な山道というより林道を30分ほど走って到着です。ぼろっちい宿を想像しておりましたが、木造の山荘風のしっかりした建物です。
Img_4649 廊下も天井が高くてこんなにオシャレ。
Img_4637 お部屋もきれいな和室です。
Img_4630 さ〜て温泉です。まずは男女別の内湯。あまり広くはありません。お湯は茶褐色のうす濁り。舐めてみると鉄甘塩っぱいです。こちらは加温しているようです。
Img_4626 ドアを開けて階段を下りて行くと、世にも珍しい入浴できる間欠泉。混浴ですが、女性はバスタオル、湯あみ着の着用可です。気まぐれな間欠泉で、いつ出るかわからないそうですが、ぽん太とにゃん子は幸運なことに、3回入浴して3回とも噴出しておりました。吹き出してくるお湯はぬるめで約35度。吹き出してくるお湯を直接なめると、とっても炭酸味があって、ショワショワしてます。この炭酸の圧力が、間欠泉と関係してるんでしょうか。吹き出してくるお湯が、熱すぎてもぬるすぎても入浴できないわけですから、これはまさしく奇跡としか言うほかありません。
Img_4634 温泉分析表です。泉質はナトリウム・カルシウム-炭酸水素塩・塩化物温泉です。炭酸水素イオンの1690mg/kg、遊離二酸化炭素の711.9mg/kgが光っています。これがシュワシュワ感の元ですね。これらの成分は、時間がたつと減ってきてしまうことも多く、名ばかりの炭酸泉も多いですが、ここは自噴してきたままの新鮮なお湯を楽しめます。
P8080175 ちなみにぽん太が間欠泉のある温泉として思い浮かべるのは、お猿と混浴で有名な長野県の地獄谷温泉後楽館。豪快な間欠泉が高く吹き上げるものの、泉温はほぼ100度で、けっしてそのまま入浴することはできません。
Pb070069 こちらは宮城の吹上温泉間欠泉。こちらも入浴はできません。
Photo 実はぽん太は、入浴できる間欠泉をひとつ知ってます。それは栃木県は塩原温泉の元湯ゑびすやです。写真に写っている竹筒からは、間欠的にお湯が噴き出します。ただ、噴水のように吹き出してはいませんが。
Img_4643 さて、夕食です。ぽん太とにゃん子にはうれしい山菜づくしです。お魚はヤマメの塩焼きです。
Img_4644 まさにワラビの姿造りですね。ぽん太は初めてです。
Img_4646 日本酒飲み比べセットも美味しいです。
Img_4648 ビーフステーキ。添えてある花はタニウツギですね。
Img_4677 朝食はこちらです。シンプルですが美味しゅうございました。
Img_4679 館内に昔の写真が飾ってありました。ところでFacebookの「間欠泉湯の華」(こちら)を見てみたら、仲居の坂本さんが湯の華を退職したとのこと。びっくりしました。美人で優しく、とっても熱心な仲居さんだったのに。九州を離れて東北の温泉に辿り着いた意気込みを聞かせていただいて、心から応援していたのに。とっても残念でした。
Img_4690 飯豊周辺はこの時期あちこちでヒメサユリが咲き乱れます。宿のご主人に、この辺りでヒメサユリを見れるところがないか聞いてみたところ、教えて頂きました。場所は……宿で聞いてください。
Img_4688 ヒメサユリ、これまで見たい見たいと思ってたのですが、機会がありませんでした。これがぽん太の初ヒメサユリです。
Img_4685 こちらは白いヒメサユリ。清楚できれいですね。

2015/07/06

【歌舞伎】役者のそろった「新薄雪物語」2015年6月歌舞伎座昼の部

 もう7月になっちゃったけど、6月の歌舞伎の感想。印象は薄れてしまってますが、備忘録がわりにアップしておきます。公式サイトはこちらです。

 「天保遊俠録」はぽん太の真山青果の脚本。やはり見ていて不愉快になりました。橋之助のがらっぱちな感じの演技は予想通り。芝雀の気っ風のいい芸者がうまいのもほぼ予想どうり。国生は前回よりはいいけど、まだまだ。ばたばたしていて、味がないです。魁春が出て舞台がしまりました。

 その後は「新薄雪物語」の通しの前半。これだけの役者がそろって良くないはずがありません。素晴らしい舞台で、歌舞伎の芸を堪能しました。
 奴妻平の菊五郎と腰元籬の時蔵のやりとりも、ちょっと年齢が行ってますが、長年のコンビだけあって間がいいです。梅枝の薄雪姫も美しくて色気がありました。錦之助の園部左衛門も、この配役のなかでは、まことに美しい若侍に見えました。仁左衛門の秋月大膳、吉右衛門の団九郎、それぞれに悪の凄みがありました。
 「詮議」に入ってからは、幸四郎の幸崎伊賀守 、仁左衛門の園部兵衛の子を思う情が素晴らしく、悪事を見て取ってなんとか救おうとする菊五郎の葛城民部は美しさと貫禄がありました。このあと夜の部に続きますが、ぽん太は日程の都合から夜の部を先に観てしまいました。やっぱり昼の部を先に観ればよかったです。


歌舞伎座
六月大歌舞伎
平成27年6月18日

昼の部

一、天保遊俠録(てんぽうゆうきょうろく)
    小吉 橋之助
    芸者八重次 芝 雀
    芸者茶良吉 児太郎
    松坂庄之助 国 生
    唐津藤兵衛 松之助
    井上角兵衛 團 蔵
    大久保上野介 友右衛門
    阿茶の局 魁 春

二、通し狂言 新薄雪物語(しんうすゆきものがたり)
  花見
  詮議

 〈花見〉           
    奴妻平 菊五郎
    秋月大膳 仁左衛門
    園部左衛門 錦之助
    薄雪姫 梅 枝
    花山艶之丞 由次郎
    渋川藤馬 松之助
    清水寺住職 錦 吾
    来国行 家 橘
    来国俊 橋之助
    腰元籬 時 蔵
    団九郎 吉右衛門

 〈詮議〉           
    幸崎伊賀守 幸四郎
    園部兵衛 仁左衛門
    松ヶ枝 芝 雀
    園部左衛門 錦之助
    薄雪姫 児太郎
    茶道珍才 隼 人
    役僧雲念 桂 三
    秋月大学 彦三郎
    葛城民部 菊五郎

2015/07/05

【オペラ】オペラも「言葉」がだいじなんだね・野田秀樹・井上道義の「フィガロの結婚」

 演出が野田秀樹で、指揮が井上道義の「フィガロ」、と聞いたら行くっきゃない。秋の東京劇場までは待ちきれず、川崎まで観に行ってきました。期待にたがわず、というか期待以上で、楽しくてわかりやすいというだけではなく、芸術的にもすばらしい舞台でした。ミューザ川崎のサイトはこちらです。
 それからこちらに野田秀樹のインタビューがあります(11分ぐらいあって内容充実)。

 今回の会場は川崎。川崎って、ぽん太は初めて訪れたのかもしれません。少なくとも以前に行った記憶がにゃい。すごくでかい街ですね。18:30の開演に向けて行ったので、ちょうと帰りのラッシュアワーにぶつかって、会社帰りのサラリーマンの流れに圧倒されました。
 その流れをかき分けかき分けミユーザ川崎のシンフォニーホールに到着。ここってたしか、東日本大震災の時に、吊るしてあった天井板が落下したところですね。復旧の経過については、こちらの川崎市のサイトが詳しいです。
 このホールももちろんぽん太は初めて。サントリーホールのように、舞台を観客席がぐるっと取り囲むアリーナ形式。観客席が螺旋状に配置されているのがちょっとオシャレです。もともとあまり大きくないホールである上に、今回はオペラ公演ということで舞台の後ろ側の座席は使わず、手前側だけに客を入れてたので、こじんまりとした印象で、舞台がとても近く、臨場感がありました。
 オケも小編成。歌手たちも朗々と歌声を響かせるというよりは、声量は控えめにして演技や表現を重視していたようで、「室内オペラ」という印象でした。
 さらに野田一流の演出が加わり、観客席から笑い声もおこって、とっても楽しい舞台でした。なんか普通はオペラというと、コンサートホールで物音立てないように緊張して、一流歌手のテクニックを鑑賞するという感じですが、モーツァルトの時代のオペラも、きっとこういうふうに楽しくて、堅苦しくなくて、観客も沸いたんだろうな〜。

 舞台に幕はありません。開演時間前から舞台上に植木職人がいて、なにやらパチパチ枝を剪定しているという、演劇ではよくある手法。
 序曲は普通に演奏。続いてフィガロとスザンナのデュエットに入ったのですが、本来ならフィガロが巻き尺で部屋の大きさを測りながら、イタリア語で「5,10,20,30……」と歌うところを、フィガロ役の大山大輔が日本語で「一尺、二尺……」と歌い出したので、いきなり観客が爆笑。
 野田の演出が奇抜すぎて状況が理解できないと困ると思い、あらかじめプログラムの解説をちらっと読んでおいたのですが、江戸時代(?)の日本に、伯爵・伯爵夫人・ケルビーノが黒船に乗ってやってくるという設定だそうで、ですからフィガロやその他の登場人物は全部日本人。フィガロじゃなくて「フィガ郎」という名前です。
 ということで、日本人は基本的に日本語、外人はイタリア語で歌いますが、日本人たちも伯爵たちをお迎えするにあたってイタリア語をマスターしているという設定で、一部イタリア語も使います。
 こうした設定になった事情に関しては、上の動画にも出て来たと思いますが、野田秀樹が、オペラで日本人がカツラかぶって外人のふりをして外国語で歌うということに違和感を持っていて、当初は全員日本人歌手、場所は日本、セリフも歌詞も全部日本語という提案をしたんだそうです。しかし井上道義が、現在の日本で「オペラ」として満足できる舞台を作るためには、外人歌手の声がどうしても必要だと主張したため、このような設定になったんだそうです。
 ですから、場合によっては日本人もイタリア語でアリアを歌ったりもします。

 現代のオペラの演出は、原作に忠実な設定にしたものと、読み替えによってとんでもない設定にするものとがあります。コンヴィチュニーなんかが、後者の代表ですね。
 ただ読み替えといっても、元々の曲や歌詞を勝手に変えてはいけない、というお約束があります。野田秀樹といえども、このルールを破ることは、オペラ公演としては許されません。もっともレチタティーヴォと呼ばれるセリフ風の部分はだいぶいじってましたが、それはぎりぎりオーケーでしょう。
 そこで野田が着目したのが、「翻訳」です。原作のイタリア語を変えることはさっき言ったようにできないのですが、それを日本語にどう翻訳するかは、ある程度の自由があります。野田はこの自由を最大限に活用しました。オペラにつきものの「字幕」ですが、今回の字幕は野田自身が作成したそうです。多芸多才の野田とはいえイタリア語までマスターしているとは思えませんが、数種類の日本語訳を取り寄せて比較検討し、さらに歌手たちの意見を取り入れながら、字幕を作ったんだそうです。
 舞台の中央にかなりでっかい電光掲示板があって、そこに字幕が映し出されました。普通のオペラだと、歌声を聴くことがメインなので、字幕は大意だけを示す感じで、下手すると30秒間くらい同じ訳が電光掲示板に出続けていたりするのですが、今回はかなり細かい訳が表示されてました。意味がよくわかる結果、歌や演技、音楽の細かいニュアンスがとてもよく理解できました。さらに野田独特の言葉遊びもちりばめられていて、字幕を読むこと自体が楽しかったです。なんだか、野田秀樹の脚本をタダで一冊読めて得した感じ。
 オペラでも言葉が大切なんですね。以前に、イタリアの歌劇場で、(イタリア語も含めて)歌詞を電光掲示板に出すことにしたというニュースを聞きましたが、その意味がようやくわかりました。日本の文楽も詞章が映し出されますが、日本人でも言葉を聞き取れないですよね。
  サブタイトルに「庭師は見た!」とあって、「庭師アントニ男から見たフィガロ」みたいなアオリがありましたが、庭師はしょせん狂言回しであって、劇全体が庭師の視点から読み替えられていたりするわけではなく、これはそれほどのものではありませんでした。

 フィガ郎の大山大輔、スザン女の小林沙羅ほか、みんな芸達者で演技力がありました。伯爵夫人のテオドラ・ゲオルギュー、透明でないちょっとざらついた声でしたが、伯爵の愛が自分から離れてしまったことを切々と歌う「愛の神よ救いませ」は胸を打ちました。伯爵のナターレ・デ・カロリス、う〜ん、時間がたちすぎて忘れた。庭師アントニ男の廣川三憲、役者さんだと思いますが、途中で歌手に混じって歌も歌ってました。大したものですね。
 井上道義、スタイリッシュでちょっと観客を意識した音楽作りが、今回の公演にはとってもあってました。今回の席が3階の前方だったので、上から覗き込む感じで、指揮者がよく見えました。指揮者と歌手たちが、特にテンポが変化するところなどで、どうやって息を合わせているかがよく見えて、とても興味深かったです。
 東京交響楽団、序曲はちょっとぎくしゃくしてましたが、だんだんと調子がでてきて、すばらしい演奏でした。

 この企画、各会場で1回ずつ公演しながら、日本各地を回るようですが、ハコもあまり大きくないけど、採算が合うんかいな?合うんだとしたら、企画したプロデューサーの山田正幸氏にブラヴォーを送りたいと思います。どんな人なのかまったく存じ上げませんが……。そしてこの企画、第二弾、第三弾を期待したいと思います。


全国共同制作プロジェクト
モーツァルト/歌劇『フィガロの結婚』 ~庭師は見た!~新演出
(全4幕・字幕付 原語&一部日本語上演)
2015年6月17日 
ミューザ川崎シンフォニーホール

指揮・総監督:井上道義 演出:野田秀樹

出演
アルマヴィーヴァ伯爵:ナターレ・デ・カロリス
アルマヴィーヴァ伯爵夫人:テオドラ・ゲオルギュー
スザ女(スザンナ):小林沙羅
フィガ郎(フィガロ):大山大輔
ケルビーノ:マルテン・エンゲルチェズ
マルチェ里奈(マルチェリーナ):森山京子
バルト郎(ドン・バルトロ):森雅史
走り男(バジリオ):牧川修一
狂っちゃ男(クルツィオ):三浦大喜
バルバ里奈(バルバリーナ):コロン・えりか
庭師アントニ男(アントニオ):廣川三憲

合唱:新国立劇場合唱団
声楽アンサンブル:佐藤泰子、宮田早苗、西本会里、増田 弓、新後閑 大介、平本英一、千葉裕一、東 玄彦
演劇アンサンブル:河内大和、川原田樹、菊沢将憲、近藤彩香、佐々木富貴子、下司尚実、永田恵実、野口卓磨
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京交響楽団

スタッフ
美術:堀尾幸男(HORIO工房)
衣裳:ひびのこづえ
照明:小笠原 純
振付:下司尚実
音響:石丸耕一
プロデューサー:山田正幸

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