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2016年1月の13件の記事

2016/01/31

【仏像】福島の仏像(2)オチあり。木造薬師如来坐像(国重文、会津坂下)・道の駅あいづのジェラート・勝常寺薬師三尊像(国宝、湯川村)・中田観音(国重文、美里町)

 続いて訪れたのは、国指定重要文化財の木造薬師如来坐像。会津坂下にあるお堂の中にいらっしゃるのですが、このお堂がなんという名前かどこにも書いてありません。帰ってからぐぐってみると、調合寺の上宇内薬師如来堂というようです。
Img_8567 仁王門です。真ん中にでっかいわらじが奉納されています。
Img_8571 恒例の仁王様。まずは阿形。びっくりしたような表情がキュートです。
Img_8570 そして吽形。こっちは睨みつけてます。
Img_8572 木造薬師如来の案内板です。
Img_8583 こちらが薬師如来堂ですね。扉は閉まってますが、隙間から中を覗くと……
Img_8573 いらっしゃいましたo(*^▽^*)o。
Img_8579 薬師三尊像の作法に従って、ちょっと見えにくいですが右脇侍の月光菩薩と、
Img_8577 左脇侍の日光菩薩もいるようです。
 ご本尊のお姿をさらによく拝見すると……
Img_8573_2 あれ〜阿弥陀如来って書いてある〜。へ〜そうだったのか〜(秘密のケンミンshowのナレーションの口調で)。
 どうもご本尊が小さすぎるし、ちょっと前の方にあると思いました。真ん中にあるべき薬師如来様はどこかに収蔵されていて、代わりに前に阿弥陀如来様が置かれているのでしょう。ううう、残念。
Img_8584 道の駅あいづ 湯川・会津坂下でジェラートを食べて仕切り直し。
Img_8585
 アイスそのものも美味しいですが、上に果肉などのトッピングが乗っていて、とっても美味しいです。地元の子ども連れやカップルが次から次へと食べに来てました。これは美味しいです。おすすめです。
Img_8593 次は湯川村の勝常寺。ここの薬師三尊像はなんと国宝だぜ〜!
 めざとい方はもうわかったと思いますが、入口に、「拝観終了四月から開館」という札がかかってます(:_;)。
Img_8589 せっかくだから仁王像だけでも。まず阿形だ〜〜。
Img_8588 吽形だ〜〜。
Img_8590 藁製の腰ミノと、レッグウォーマーを着けてます。寒いからでしょうか。ちょっと秋田のナマハゲが入ってます。
Img_8587 国重文の講堂(薬師堂)だけ拝見させていただきました。室町時代に再建されたものだそうです。このなかに薬師如来様が……。前に国立博物館の「みちのくの仏像」展で見たからいいや……。また夏に見に来ようっと。
Img_8599 お次ぎは美里町の中田観音だ〜い。雪が本降りになってきたぜ〜。拝観日は月・水・金の10時のみで要予約だぜ〜。
Img_8594 仁王門〜。ここにもワラジが〜。
Img_8597 阿形〜!
Img_8596 吽形〜〜!
Img_8602 ハテ?冷静になって、なぜかお寺なのに狛犬が!?こちらは向かって右。子狛犬をあやしてるパターンです。
Img_8601 向かって左。鞠を持ってます。
 結局、目指す仏像は一個も見れませんでした。

2016/01/30

【仏像】福島の仏像(1)立木観音(重文・会津坂下)

 なぜか突然仏像に燃え出したにゃん子の希望で、会津の仏像巡りをしました。

 

 まずは金山町の「宮崎聖観音坐像」。鎌倉時代中期の作と言われる、ふくよかで優美な観音様です、県重要文化財に指定されております。例えばこちらの金山町ホームページを御覧下さい。
 ところが、大雪のなか行ってみたのですが、観音様のおられる大悲堂の周りは深い雪に覆われています。仕方ないのでスキー靴に履き替え、膝まで雪に埋もれながら20メートルほど歩いて大悲堂に辿り着いたものの、扉は固く閉ざされ、除いてみても観音様はおられませんでした。

 

 次に西会津町の如法寺の鳥追観音を見ようと思ったのですが、嫌な予感がして電話をしてみたところ、今日は大雪なので扉を閉ざしており、拝観はできないとのこと。残念です。京都や奈良みたいに、行けばいつでも拝観できると考えたぽん太とにゃん子が浅はかでした。案内は、例えばこちらの会津六詣出 - 鳥追観音を御覧下さい。

 

 続いて会津坂下の「立木観音」(たちきかんのん)です。正確には金塔山恵隆寺(きんとうさん えりゅうじ)の立木観音堂にある立木千手観音立像です。これは観音堂の建物とともに、国指定の重要文化財です。こちらが公式サイトです。
 Img_8547 仁王門です。このお寺は、慶長16年(1611年)の会津地震で大きな被害を受けました。仁王門は3年後の慶長19年(1614年)に再建されたそうです。
Img_8550 こちらが仁王様。初めに向かって右の阿形です。まん丸にひんむいた目玉に赤い唇。なかなか迫力があります。
Img_8551 向かって左の吽形。
Img_8554 手水舎です。
Img_8553 石鉢は、周辺の村にあって、狐を集めるので「狐石」と呼ばれた石を、享保時代に持って来て加工したものだそうです。
Img_8559 三仏堂には、阿弥陀如来と、その他の仏様が祀られてますが、細かいことはわかりません。
Img_8563 可愛らしい三重塔がありました。「小金塔」と呼ばれるようです。平成12年(2000年)に再建されたもののようです。
Img_8566 一層には大日如来が祀られてます。新しく見えますが、寺に伝わっていたのを修復したものだそうです。法界定印を結んでおり、胎蔵界大日如来ですね。
Img_8564 こちらが国指定重要文化財の「立木観音堂」です。剛健で力強さを感じる茅葺きのお堂です。建久元年(1190年)に建立され、会津地震の後、元和3年(1617年)に大修理されたと伝えられているそうです。
 この内部にご本尊の「立木千手観世音菩薩立像」(国重文)がおられますが、撮影禁止なので、写真は各自ググって御覧下さい。お寺の公式サイトにもあります。
 高さ8.5メートルの一木造で、一木造としては日本最大級だそうです。地面に根を張った立ち木をそのまま彫ったと言われ、現在も床下に根を張っているそうです。
 それゆえ、千手観音が彫られてから、そのまわりに建物が建てられたことになりますが、巨大な像に比べて建物が小さく、頭は天井に届かんばかりで、眷属の二十八部衆と風神・雷神が、千手観音の両側のひな壇の上にみっちりと置かれています。
 観音様のすぐ前に斗帳(とちょう)という垂れ幕が下げられており、お姿はとっても見づらいです。大きすぎて扉をつけることができないので幕を下げたそうですが、会津ではこのような形がよく見られるそうです。
 力強く迫力のある観音様でした。

2016/01/29

【温泉】とってもきれいで快適な宿・湯野上温泉 民宿山形屋(★★★)

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 本来は別の宿に泊まる予定だったのですが、宿の都合で泊まれなくなり、急遽紹介で泊めていただいたのが民宿山形屋さんです。こちらが公式サイトです。
 民宿とは思えないほど設備が整っており、源泉掛け流しの温泉も悪くありません。お料理も品数が多くて美味しく、急な宿泊にもかかわらず一生懸命おもてなしをして頂きました。民宿としては普通に良いと思うのですが、あまりに立派すぎて、「鄙びた温泉」を求めるぽん太の好みからはちと外れているので、ぽん太の個人的な評価は3点。「鄙び」を求めない人には文句なくお勧めです。

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Img_8614 こちらがお部屋です。新しくてとっても綺麗です。
Img_8616 こちらがお風呂です。タイル張りの清潔な浴室です。露天風呂もあるようですが、残念ながら冬季は閉鎖中。無色透明、無味無臭です。極めて普通の温泉です……と思ったら、なんだコリャ!?
Img_8617 浴室の真ん中に、底からパイプが立ち上がっていて、そこから源泉が湧いてます。これは温泉好きのぽん太も初めて見ました。新機軸ですね。
 何か深い意味があるのか、なんらかの事情でこうなっただけなのか、宿のご主人に聞く機会がありませんでした。
 掲示は見つからなかったのですが、浴槽にお湯を吸い込む孔が無く、縁から洗い場に溢れていたので、間違いなく源泉掛け流しだと思います。
Img_8619_2 温泉分析表です。泉質は単純温泉。泉温が57.3度です。

Img_8621 こちらが夕食です。品数が多くボリュームがあります。
Img_8622 さらに作り立てのお料理が運ばれてきます。まずはカボチャのグラタン。カボチャの味が広がって美味しいです。
Img_8623 手前は鮎の塩焼きですが、奥のお皿のチュッパチャップスみたいなのはなんでしょう?実は「しんごろう」という食べ物で、会津でも湯野上周辺に伝わる郷土料理だそうです。丸めたごはんにじゅうねん味噌を塗って焼いたものです。「じゅうねん」というのは「えごま」のことで、じゅうねんを味噌と砂糖・みりんで練り上げたのが「じゅうねん味噌」です。表面がカリッと香ばしく、中はあったかいご飯で、とっても美味しいです。
 昔々しんごろうという若者が、餅の代わりに母親に食べさせたという昔話があるそうです。
Img_8625 会津コシヒカリのご飯に、白みそのお味噌汁です。

Img_8627 こちらは朝食です。ふきみそが美味しゅうございました。

2016/01/28

【温泉】つげ義春の宿。素朴だが温泉力もある・会津西山温泉 中の湯(★★★★★)

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 会津西山温泉は、以前に滝の湯に泊まったことがありますが、その時に見て良さそうだった中の湯に今回は泊まってきました。公式サイトはこちらです。
 数軒の旅館からなる隠れ里のような温泉ですが、なんと8つもの源泉を持っており、これで交通の便が良かったら、大混雑になるんじゃないでしょうか。
 中の湯は、つげ義春が泊まった宿としても知られております。現在は建物が建て替えられてしまいましたが、それでも昭和の雰囲気が漂います。この宿だけで3つの源泉があり、もちろんすべて源泉掛け流し。温泉力が強いです。お食事も「山の中のマグロの刺身」などはなく、山菜や川魚などを使った素朴だけど美味しいお料理。おもてなしも程よい距離感で心地よいです。
 建物がもうちょっと古ければな〜と思うのですが、ぽん太の総合評価では堂々の5点満点です。

Img_8530 こちらが中の湯さんの建物です。まわりは雪に覆われてますが、暖冬の影響で、この時期にしては少ないそうです。
 建物は四、五十年前に建て替えられたものですが、落ち着いた和風の建物です。
Img_8503 灯りのともった玄関まわりは、雪のなかでも暖かみが感じられます。
Img_8490 客室は、普通に落ち着く和室です。

Img_8531 さて、お風呂ですが、本館にある男女別の内湯(杉の湯)と、別棟にある混浴の内湯(中の湯)と露天(荒湯)があります。そして3つのお風呂が、それぞれ異なる3種類の源泉を引いているのがなんとも豪華。どれも源泉掛け流しであることは言うまでもありません。
 まずは別棟のお風呂から。木の梁が美しい建物です。
Img_8502 いい感じの脱衣場。脱衣籠の上には立派な神棚があります。
 西山温泉は、その効能から古くは「神の湯」と呼ばれていたそうで、大地の恵みである温泉に対する信仰心が伺われます。
Img_8536 開放的な木造の空間のなかにある大きな檜風呂は秘湯ムードに溢れてます。これはかなり得点が高いです。
 お湯は、夜は白いうす濁りに見えましたが、朝は透明でした。温度によって変わるのかもしれません。そこに白と褐色の大きめの湯の花が舞います。匂いは感じませんが、舐めるとけっこう塩っぱくて、硫化水素臭がします。そしてヌルヌル系の美人の湯。かなり温泉力があります。温度はやや温めに設定されており、ゆっくりと浸かることができます。浴槽の内側をなでるとすべすべしていて、檜の表面に結晶が付着しているように感じるのですが、上側や洗い場の床には目立ちません。意図的に剥がしたのかもしれませんが、はっきりわかりません。
Img_8541 温泉分析表の左ページです。泉温はなんと98.9と高温ですから、お風呂の温度は意図的に低くしてるんですね。湧出量は7l/minで自噴です。pHは8.02とアルカリ性なのがヌルヌルの理由ですね。ナトリウムイオンが多いです。
Img_8542 温泉分析表の右ページです。塩素イオンが多いですね。ナトリウムイオンと合わせて、塩分が強いようです。泉質は「含硫黄ーナトリウムー塩化物泉」。

Img_8537 露天風呂は岩風呂風です。こちらは塩分はちょっと薄いですが、苦みがあります。源泉は写真の一番奥から流れ込んで来るのですが、ところどころ不自然に暖かいところがあり、小さな泡がぷくぷく上がっているところもあったので、底からも湧いているのかもしれません。
Img_8543 露天風呂の温泉分析表の左ページ。泉温は81.8度。動力揚湯と書いてあるけど、底から自噴してないのかな〜?pHは8.0でやはりアルカリ性ですね。苦みを感じたけどMgは2.14mg/lでそんなに多くないですね。
Img_8544 右ページです。総ヒ素が0.042mg含まれているのがちょっと珍しい気がします。泉質は同じく「含硫黄ーナトリウムー塩化物泉」。

Img_8517 本館の内湯です。こちらはちょっと小さいし、あんまりムードはないです。でも入るとびっくり。まるでKJです……かき玉汁。白いでっかい湯の花がぐるぐる舞ってます。う〜ん、これはすごい。
 左手前に延びるパイプで源泉を逃がして温度調節をしているのが、おおらかというか、もったいないというか、豊富な源泉あってこそです。
Img_8518 温泉分析表です。泉温は61.9度。pHは6.54でほぼ中性ですね。

Img_8511 夕食はお部屋で頂きました。これこれ。ぽん太とにゃん子はこういう食事を待っていたのです。春に収穫して塩漬けにしたものを丁寧に塩抜きした山菜。ヤマメの塩焼き、鯉のうま煮。
 凍った刺身に肉の陶板焼きといった、大旅館のお食事とは全然違う、心のこもった美味しいお料理です。
Img_8514 山菜は、フキにコゴミ、ウドですね。
Img_8515 ご飯と、白みそのお味噌汁も美味しゅうございました。

Img_8528 朝食は別室で頂きました。とろろが甘い味付けだったのにびっくり。会津ではこういう味付けなのでしょうか。初めて食べました。

Img_8522 さて、中の湯といえば、つげ義春がかつて投宿したことで有名です。館内に、新聞の切り抜きが貼ってありました。
 つげ義春と中の湯に関しては、ちょっと長くなりそうなので、稿を改めてみちくさすることにいたしましょう。

2016/01/27

【歌舞伎】海老蔵の「にらみ」で厄落とし。2016年1月新橋演舞場

 浅草に続いて新橋演舞場です。歌舞伎座は1月は省略。公式サイトはこちら

 まずは「車引」。勇ましくも華やかな新春にふさわしい演目です。が、一方で、セリフがあまり聞き取れず、途中で眠くなる危険性を秘めております。今回はあらかじめ脚本に目を通して行ったのですが、それでも聞き取れず、やっぱり途中で眠くなりました。恐るべしぽん太の狸脳。でも、市川右近の発声も、時代物っぽくしようとしたのか、なんかくぐもってて聞き取りにくかった気がします。
 桜丸は春猿。春猿というと、ふにゃふにゃした感じの可愛い系のご尊顔ですが、隈取りを入れた顔がきりっとした若侍に見えたのにはびっくり。獅童の松王丸も迫力がありました。

 続いて海老蔵の弁天小僧で「弁天娘女男白浪」。
 「雪の下浜松屋の場」で、獅童とともに花道から出て来た海老蔵は、棒立ちで眼光鋭く、とても武家のお嬢様には見えず。どうみても腹に一物ある女装した男でした。弁天小僧の正体を現してからは、威勢がよくって美しくて色っぽくてよかったです。盟友の獅童との息もぴったり。最後の花道のやりとりでは、素っぽい口調でアドリブ感を出してましたが、若いお客さんを喜ばすには悪くないのかも。むしろ日本駄右衛門の市川右近や、赤星十三郎の笑三郎に、歌舞伎の味わいを感じました。
 富十郎の息子さんの鷹之資くんがいつのまにか大きくなって、浜松屋宗之助を演じてました。市蔵、右之助、友右衛門らベテランが、舞台を引き締めてました。

 最後は「七つ面」。天保年間に七代目團十郎が選定した歌舞伎十八番のひとつでしたが、その後上演されなくなり、内容もよくわからなくなっていたものを、平成21年に海老蔵が復活したものです。
 次々をお面を取り替えながら踊るものですが、歌舞伎十八番にしてはなんか荒事っぽさがないし、あんまり面白くありません。復活の仕方が間違ってるのでは?大昔の人の骸骨に粘度で肉付けしてみたけど、実は全然違う顔になってた、みたいな……。
 終わったと思って帰ろうとしたら、町人風の人たちが「お面を渡せ」とかいいながら舞台に上がって来て、「まあまあ、お客様に迷惑です」とか、「極付幡随長兵衛」の「公平法問諍」の場面みたいな小芝居が始まりました。ぽん太は観ててちょっと恥ずかしい気分。その後、座頭役(?)の右之助の口上を経て、海老蔵の「にらみ」という段取り。
 なんか小芝居はいらない気がしましたが、後でぐぐってみると、テレビアニメの「名探偵コナン」とコラボしてるらしいですが、おじさん狸のぽん太にはわからず。それで客席に子供がちらほらいたのか……。
 海老蔵の「にらみ」はさすがに迫力がありました。真っ赤に充血した目ん玉が飛び出して落ちそうな勢い。ありがたや、ありがたや、おかげでひきかけていた風邪が治りました。

初春花形歌舞伎
平成28年1月17日
新橋演舞場


菅原伝授手習鑑
一、車引(くるまびき)

松王丸 獅童
桜丸 春猿
杉王丸 廣松
藤原時平 市蔵
梅王丸 市川右近


  河竹黙阿弥 作
二、弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)
  白浪五人男

  序幕 雪の下浜松屋の場
     稲瀬川勢揃いの場
  大詰 極楽寺屋根立腹の場
     同  山門の場
     滑川土橋の場

弁天小僧菊之助/青砥左衛門藤綱 海老蔵
日本駄右衛門 市川右近
忠信利平 市蔵
赤星十三郎 笑三郎
浜松屋宗之助 鷹之資
浜松屋幸兵衛 右之助
鳶頭清次 友右衛門
南郷力丸 獅童


  松岡亮 脚本
三、歌舞伎十八番の内 七つ面(ななつめん)

元興寺赤右衛門 海老蔵
舞台番右近 市川右近
班女御前 笑三郎
常陸大掾百連 家橘
吉田少将惟貞 友右衛門

口上 右之助

2016/01/17

【ベトナム旅行】(2)とにかくバイクだらけ。ベトナムの交通事情。

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 ベトナムの旅行記はブログ上に山ほどあると思うので、ぽん太の目にとまったポイントだけをご報告いたします。

 ベトナムのイメージというと、水田を水牛を使って耕す風景とか、樹木が生い茂った川を笠をかぶった人が小舟で行く風景ですが、実際に行ってみて最も印象に残ったのは「バイクが多い」ということです。噂には聞いてましたが凄いです。
 まずはYoutubeの動画を御覧下さい。ホーチミン市(旧サイゴン)の様子です。ちょうど大晦日で、1年で一番バイクが多い日だそうです。

 バイクが3列4列になって道路を走っております。その横を自転車が走っていたり、逆行バイクがあったりします。車は信号を守りますが、バイクは守らないことも多いです。歩道を走るのもあって、日本でいえば自転車のような感覚で、縦横無尽に走り回っております。
 例えばこちらのJMF経済ニュースレター2015年2月号(pdf)によると、ベトナムの1000人当たりのオートバイ保有台数は438台で、ほとんど2人に1人が持っていることになります。ちなみに日本の場合は1000人あたり94台。
Img_7659 基本は前が男性、後ろが女性の二人乗りですが、3人乗りも見かけます。布製のマスクをしております。排気ガスがものすごく、ツアーのなかで喉を痛めた人が何人かいました。
Img_8467 そしてこちらは4人乗り。大人2人、子ども2人のパターンです。なかには5人乗りもいましたが、写真は撮れませんでした。
Img_7652 また、バイクにいろんなものを積んで走ってます。
Img_7660 こちらは植木ですね。
Img_8350 アイスクリーム屋さん。5メートルくらいのパイプを片手で持って走ってた人もいました。
 ガイドさんは、「ベトナム人はみんな運転が上手だから大丈夫ですよ。運転が下手な人はみんな死んでますから」とギャグをかましてました。
 しかし実際8日間の旅行中、接触事故を2件、お巡りさんが事故の処理をしている場面を1件目撃しました。大事故には到らずとも、細かな接触事故は多いように思います。
 バイクのメーカーとしては、ホンダやスズキといった日本製が多いようです。以前は安い中国製が売れた時期もあったそうですが、故障が多くて敬遠され、日本製が人気だそうです。
Img_8095 日本ではあまり見かけませんが、モペット(ペダルつきのオートバイ)も見かけました。

Img_7530 写真は今回のツアーバス。メーカーは韓国のヒュンダイです。
  自動車に関しては、保有率は2009年の統計で1000人あたり56台。まだまだ普及していません。それでも以前は中古車を輸入することが多かったそうですが、外国の自動車会社の工場がベトナム国内に作られるようになって、価格も下がったため、新車を買う人が増えているそうです。メーカーは、日本のトヨタやスズキ、韓国のヒュンダイなどを多く見かけました。
 都市間の交通はバスがメインだそうです。南部のホーチミンから北部のハノイまで1800kmぐらいの距離ですが、数千円で行けるそうです。しかし時間的には、40時間くらいかかるそうです。
Img_7484 写真は、ハノイ空港からハノイ市内に向かう道。日本の援助でできた道だそうです。ベトナムにはいわゆる高速道路網ができておりません。他にベトナム中部のホイアンからフエまでなど、日本の援助で立派な道路ができましたが、国土全体には広がっていないようです。

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 鉄道も発達しておらず、例えばハノイとホーチミンを結ぶ鉄道も単線で、一日に数本しかなく、所要時間も30から40時間かかるそうです。価格もバスより高く、駅も限られているため、ベトナム人はあまり使わないそうです。

Img_7485 写真はハノイ空港です。
 ということで観光客の移動は飛行機を利用することになりますが、高価なため普通のベトナム人には高嶺の花だそうです。
 つまりベトナム人にとって、ハノイとホーチミンの距離感は、日本人にとっての日本からブラジルよりも遠いという感じですね。

Img_8293 メコンデルタでの交通手段は舟ですね。写真は観光用です。

2016/01/16

【ベトナム旅行】(1)まずは旅行日程のご案内

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 ぽん太とにゃん子、今年の年末年始はベトナムに行ってきました。
 寒がりのにゃん子の希望で暖かいところ、かつ危険でないところということでイスラム圏とヨーロッパを避け、アベノミクスの円安で旅行代金がかさむので近いところを探した結果、ベトナムに決定しました。
 ベトナムのツアーは5日程度の短いものが多いのですが、せっかく年末年始に行くのだからゆったりと、ということで、ユーラシア旅行社の「ベトナム四都周遊、世界遺産巡りとハロン湾宿泊クルーズ 8日間」(こちら)にお世話になりました。
 ユーラシア旅行社は2回目の利用ですが、添乗員さんのきめ細かいサービスがありがたく、中高年が多いのも安心できます。どうもありがとうございました。

 まずは日程のご案内です。
 ベトナム北部のハノイ、ハロン湾、中部のホイアン、フエ、南部のホーチミンとその周辺など、ベトナム全体を回れるのが魅力です。ハロン湾は「宿泊」クルーズでゆっくり楽しめ、ホテルも全体に良かったです。

【1日目】
成田空港→ハノイ空港(ベトナム航空)
ハノイ市内観光(36通り、タンロン遺跡、ホーチミン廟、水上人形劇場)
HANOI DAEWOO HOTEL泊

【2日目】
バッチャン村(陶器工房見学)
ハロン湾宿泊クルーズ
 スンソット洞窟
GOLDEN CRUISE

【3日目】
ハロン湾宿泊クルーズ
  ルオン洞窟、ティートップ島
ハノイ空港→ダナン空港
RIVER BEACH RESORT(ホイアン)

【4日目】
ミーソン遺跡
ホイアン観光(日本人の墓、日本橋、海のシルクロード博物館、フンフンの家、福建会館、タンキーの家)
RIVER BEACH RESORT(ホイアン)

【5日目】
フエ観光(王宮跡、ティエンムー寺)
フエ空港→ホーチミン空港
DUXTON HOTEL SAIGON

【6日目】
メコンデルタ河口にあるミト観光(タイソン島、小クルーズ)
ホーチミン市内観光(戦争証跡博物館、統一会堂、中央郵便局、サイゴン大教会、ベンタイン市場)
DUXTON HOTEL SAIGON

【7日目】
ベトナム戦争のゲリラ基地・クチの地下トンネル
午後は自由時間

【8日目】
ホーチミン空港→成田空港

2016/01/15

【歌舞伎】松也君、身体を鍛えて痩せましょう/2016年1月新春浅草歌舞伎 第1部・第2部

 隼人くんファンのにゃん子に引っ張られ、新春浅草歌舞伎を観に行く。特設サイトはこちら、歌舞伎美人公式サイトはこちら

 本日の第1部お年玉ご挨拶は松也。この人も前田敦子とのワイドショーネタで騒がれてるだけかと思ってたら、どんどんいい役がついて、力もついてきましたね〜。今回も「切られ与三」と「源九郎狐」です。

 最初の演目は「三人吉三巴白浪」の「大川端庚申塚の場」。う〜ん、こういうセリフ回しだけで聞かせる演目は難しいですね〜。錦之助と他の二人は全然違います。
 隼人君のお嬢吉三、女の時も声や動きが女っぽくないし、男の時も色気が足りない。もっと女形を演じて、色っぽさを身につけて欲しいです。
 梅丸がおとせでちょっとだけ出演。

 土佐絵は、今年一番の寒さのなか浅草までやってきて、体が温まって来たところで寝る。

 やっぱり若手はまだまだかな〜と思い始めたところで、「与話情浮名横櫛」の「源氏店の場」はけっこう面白かったです。お富の米吉も囲われた女性の色気が出てましたし、切られ与三郎の松也も、若者らしいストレートさがあり、やくざっぽさの背後に大店の息子の人の良さが感じられました。ただ、少し痩せたとは思うけど、まだまだ体型がぽっちゃりしすぎ。凄んで着物の裾をまくったとき、足がぽっちゃり。ここは筋肉質の引き締まった足を見せて欲しいです。
 番頭藤八の中村山左衛門や、蝙蝠安の澤村國矢が、ベテランの味で芝居を締めてました。
 米吉君、白粉と紅の化粧、もっときっちり塗った方が面白いのに。あんなに雑に塗ると、お富が意地悪な女に見えてしまいます。
 ところで、こんかい耳に止まったよくわからないセリフ。蝙蝠安が与三郎の顔の傷にひっかけて、「三筋には蝙蝠がつきものだ」というもの。あとでぐぐってみたところ、「三筋」も「蝙蝠」も成田屋ゆかりの文様だそうです。成田屋の定紋は三つの四角が入れ子になった「三枡」(みます)ですが、それを着物の模様にデザインしたのが「三筋格子」(みすじごうし)です。また「蝙蝠」も成田屋ゆかりの文様だそうで、三筋格子に蝙蝠をあしらった着物のデザインもあるようです(参考:團十郎事典 - 成田屋 市川團十郎・市川海老蔵 公式Webサイト)。

 第2部のお年玉ご挨拶は偶然にも隼人君。にゃん子が大喜びでした。

 最初の演目は「毛抜」。細身の巳之助の粂寺弾正では面白くないんじゃないかと思ってたんですが、けっこう馬鹿っぽくて良かったです。もともと面長で口も大きいので、体の線の細さは衣装でカバーされ、荒事の大きさや力強さもありました。目をギョロッと明けた表情やセリフまわしなど、どこか團十郎を思わせるところもありました。

 最後は「義経千本桜」の川連法眼館の場。
 松也が源九郎狐。がんばってますね。最初の佐藤忠信が座っている姿が、なんか内股で肩をすぼめてる見たいに見えるのが良くない。もっと堂々と座って欲しいです。
 狐言葉も海老蔵の最初の頃のようにヘンテコではなく、頑張って演じてました。ただ、もうちょっと体力をつけて欲しいです。クルクル回るところなど、スピードも遅いし、体が斜めになって姿がよくありませんでした。また逆立ちするようにして二重に上がるところなども、もっと袴を跳ね上げるくらいの勢いが欲しかったです。
 
 


新春浅草歌舞伎
浅草公会堂
平成28年1月13日


第1部

  お年玉〈年始ご挨拶〉:松也

  河竹黙阿弥 作
一、三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)
  大川端庚申塚の場

お嬢吉三:中村 隼人
お坊吉三:坂東 巳之助
おとせ:中村 梅丸
和尚吉三:中村 錦之助

二、土佐絵(とさえ)

不破伴左衛門:坂東 巳之助
名古屋山三:中村 国生
傾城采女太夫:坂東 新悟

  三世瀬川如皐 作
三、与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)
  源氏店の場

切られ与三郎:尾上 松也
お富:中村 米吉
蝙蝠安:澤村 國矢
番頭藤八:中村 山左衛門
和泉屋多左衛門:中村 錦之助

第2部

  お年玉〈年始ご挨拶〉:隼人

一、歌舞伎十八番の内 毛抜(けぬき)

粂寺弾正:坂東 巳之助
腰元巻絹:坂東 新悟
秦民部:中村 隼人
錦の前:中村 鶴松
八剣玄蕃:中村 橋吾
小原万兵衛:尾上 松太郎
小野春風:中村 国生
秦秀太郎:中村 米吉
小野春道:中村 錦之助

二、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
  川連法眼館の場

佐藤忠信/忠信実は源九郎狐:尾上 松也
源義経:中村 隼人
駿河次郎:中村 国生
飛鳥:尾上 徳松
川連法眼:中村 小三郎
亀井六郎:坂東 巳之助
静御前:坂東 新悟

2016/01/14

【バレエ】オシャレだけど振付がいまいち/月夜に煌めくエトワール

 モローとガニオが出るというので観に行ってきました。特集ベージはこちら、オーチャードホールのサイトはこちらです。

 「美形」のダンサーと演奏家を集め、オーチャードを会場にしたオシャレな企画でしたが、出演者がダンサー3人、演奏2人で、ちょっとこじんまりとしてあっけない印象でした。もうちょっとたっぷり見たかったな〜。
 モローが股関節を痛めたということで、演目の変更があったりしたのが関係してるのかもしれません。

 3人のダンサーのパフォーマンスはもちろん素晴らしかったですが、振付がいまいちだったのが残念。まあ、オサレな企画なので、前衛的な振付は避けたんでしょうけど。
 モロー自身が振り付けた『煌めくエトワール』は、エレガントながら普通の古典バレエだったし、ジョルジオ・マンチーニの振り付けも、『トリスタンとイゾルデ』では抱き合ったり、『それでも地球は回る』では顔を覆って泣く仕草がありましたが、それを「踊り」で表現して欲しかったです。『トリスタン…』もあまり官能的じゃなかったし、ヴァグナーのオペラの感動を超えているようには思えませんでした。ブベニチェク振り付けの『月の光』はぽん太は2回目。舞台上のピアノを利用した振り付けは雰囲気があって悪くありませんが、前の方の席だったせいかちょっとバタバタした印象があり、序奏部分とかでもうちょっと「月の光」らしい静謐さがあるとよかったです。フォーキンの『瀕死の白鳥』は定番ということで、いちばん見応えがあったのが中村恩恵の振付でした。首藤康之とのペアでこれまで何回か振り付けや踊りを見たことがありますが、今回も振り付けを楽しみながら観ることができました。
 ジョルジオ・マンチーニという名前は初めて聞きましたが、ぐぐってみたところ、イタリア語のWIkipeidia(Giorgio Mancini - Wikipedia)と、彼自身のバレエ団の公式サイト(GM Ballet)などを見ると、1964年生まれのイタリアの振付家・ダンサーで、以前はベジャールの二十世紀バレエ団やベジャール・バレエ・ローザンヌなどで踊っていたみたいですね。下の動画を見るとだいぶ印象が違って、なかなかいいような気もするのですが、1時間くらいの作品の最後だけだったのがいけないのか?こちらにもっと長い動画もありますが、早々にリンク切れになりそうな予感。

 それにしてもジルベールやガニオ、体重しぼり過ぎではないかいな?オペラ座の命令かしら。ジルベールは頬がこけ、腕も細くて阿修羅像みたいで、『瀕死の白鳥』の腕の動きに柔らかさが感じられませんでした。ガニオも体脂肪がとれて、ボディビルみたいに筋肉の間のくぼみがきっちり出てました。

 ヴァイオリニストの三浦文彰という名前も初めて聞きましたが、若手の売出中の人みたいですね。楽器を良く鳴らしていて、艶やかで深みのある音色でした。『瀕死の白鳥』では、チェロのパートをヴァイオリンで弾いていたわけですが、違和感がありませんでした。ただ『序奏とロンド・カプリチオーソ』などでは、ぽん太の好みとしては、もちっと激しいアタックを聞かせたり、演歌調にねばっこく弾いても良かった気がしました。
 イザイの『無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調“ バラード”』。現代曲のようなバッハのような不思議な曲でした。イザイって誰かと思ったら、往年の名ヴァイオリニストですね。
 

 ピアノのジョルジュ・ヴィラドムスもぽん太は初めてでしたが、メキシコのピアニストのようですね。同じメキシコ人の作曲家(ギター曲が有名ですね)のポンセの『メキシカン・バラード』も良かったですが、リストの『バラード 第2番 ロ短調』がなかなか雰囲気がありました。
 カーテンコールでモローと一緒に手をつないで出て来たので、「友達なのかな〜」などと思って後でググってみたところ、次のような記事を見つけました(エルヴェ・モローが日本のために企画した公演とは? | madame FIGARO.jp(フィガロジャポン)、2015.08.06)。
 それによると、ヴィラドムスが祖国メキシコで貧しい子供たちにクラシック音楽を学ぶ機会を与える財団を作っていることをモローが知って賛同。自分も何か協力できないかと考え、ヴィラドムスがピアノを弾いてモローが踊るというチャリティープロジェクトが生まれ、2014年秋に第一回の公演が行われました。今回の日本公演はチャリティーではないけど、この公演の延長上にあるようです。

 「主催」にテレビ東京が入ってました。う〜ん、フジテレビを抜いて文化活動にも力が入ってきてるんでしょうか?

Stars in the Moonlight 月夜に煌めくエトワール ~Music & Ballet Concert~

オーチャードホール
2016/1/11

■『煌めくエトワール』 *日本初演
音楽:ジュール・マスネ 「タイスの瞑想曲」
振付:エルヴェ・モロー
振付協力:イザベル・シアラヴォラ
バレエ:ドロテ・ジルベール&エルヴェ・モロー
ヴァイオリン:三浦文彰
ピアノ:ジョルジュ・ヴィラドムス

■イザイ:『無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調“ バラード”』
ヴァイオリン:三浦文彰

■ポンセ:『メキシカン・バラード』
ピアノ:ジョルジュ・ヴィラドムス

■『トリスタンとイゾルデ』よりパ・ド・ドゥ *日本初演
音楽:リヒャルト・ワーグナー
振付:ジョルジオ・マンチーニ
バレエ:ドロテ・ジルベール&マチュー・ガニオ 
※音楽は録音テープを使用

■『ツクヨミ』 *世界初演
音楽:アルヴォ・ペルト「アリーナのために」
振付:中村 恩恵
バレエ:エルヴェ・モロー
ピアノ:ジョルジュ・ヴィラドムス

■『それでも地球は回る』
音楽:アントニオ・ヴィヴァルディ「バヤゼット」より“私はないがしろにされた妻”
振付:ジョルジオ・マンチーニ
バレエ:マチュー・ガニオ
ヴァイオリン:三浦文彰
ピアノ:ジョルジュ・ヴィラドムス

■サン=サーンス:『序奏とロンド・カプリチオーソ』
ヴァイオリン:三浦文彰
ピアノ:ジョルジュ・ヴィラドムス

■『瀕死の白鳥』
音楽:カミーユ・サン=サーンス「動物の謝肉祭」より第13曲「白鳥」
振付:ミハイル・フォーキン
バレエ:ドロテ・ジルベール
ヴァイオリン:三浦文彰
ピアノ:ジョルジュ・ヴィラドムス

■リスト:『バラード 第2番 ロ短調』
ピアノ:ジョルジュ・ヴィラドムス

■『月の光』
音楽:クロード・ドビュッシー
振付:イリ・ブベニチェク
バレエ:エルヴェ・モロー
ピアノ:ジョルジュ・ヴィラドムス

■スペシャル・カーテンコール
音楽:バート・ハワード「Fly Me to the Moon」
出演:全員
※音楽はフランク・シナトラによる録音を使用

出演

エルヴェ・モロー
ドロテ・ジルベール
マチュー・ガニオ

ピアノ:ジョルジュ・ヴィラドムス
ヴァイオリン:三浦文彰

2016/01/07

【バレエ】ポリーナちゃんどうしたの? ヴォロンツォーワの「ジゼル」ミハイロフスキー劇場バレエ

 新春の東京文化会館には、悲しみと怒りと諦めと空席がありました。
 ポリーナちゃんの「ジゼル」を観られると思ってチケットとったのに〜〜。降板のニュースは前日知りました。う、う、う、こんなひどいお年玉とは!ぽん太になんか恨みでもあんの?

 代役のアンジェリーナ・ヴォロンツォーワは、「期待の新人」という触れ込みでしたが、実際に見てみると、「期待の新人」という印象でした。
 しっかりと踊っていて破綻はありませんでしたし、跳躍力もありました。また上体を前に倒して足を後ろから高く上げるポーズ(すみません、名前知りません)など、とても美しかったです。
 でも、発狂での表現力はまだまだ(ホワイエで丁度オシポワの「ジゼル」の発狂シーンのビデオが流れてましたが、凄い迫力でした)。ウィリになってからも、精霊の静謐な雰囲気が出てないし、動きも筋力でびょんびょん跳ねてる感じがしてしまい、フワフワ感が足りませんでした。
 ジゼルがミルタに導かれて突然クルクル回り出すところ、「あの愛らしいジゼルちゃんが、こんなヘンテコなウィリになっちゃった〜」という感じで、ぽん太の大好きな場面なのですが、踊り出す直前に上体を前に倒す動作がキビキビしすぎて軍隊みたいだし、回転も躍動感が出ちゃってました。もっと操られているような、非人間的な感じで回って欲しいです。
 ぐぐってみたらこの人、2012年のボリショイ・バレエの来日公演で見てました。覚えてません。

 サラファーノフ、さすがに足技のキレが見事。ジャンプして足を広げたりする技(名称不明)も美しく、また連続足チョコチョコジャンプ(正式名称不明)もお見事でした。
 ミルタのワレーリア・ザパスニコワは雰囲気が出てました。ウラジーミル・ツァルは、森番ハンスにしては男前すぎ。

 思えば「ジゼル」を観るのは久しぶり。ぐぐってみると2010年以来6年振りです。やっぱり第2幕の美しさは格別ですね。
 前回の「レニングラード国立バレエ」(=ミハイロフスキー劇場)の「ジゼル」は2009年で、シェスタコワとコルプでした。「新演出」と銘打っての舞台で、冒頭で椅子に腰掛けたジゼルにアルベルトが抱きついてキスしようとしたりしてましたが、今回はアルベルトが座ろうとするとジゼルが逃げるという馴染みの演出に戻ってました。
 ちなみに今回のサラファーノフのアルベルト、身分差故に報われない恋ではあるけれど、心からジゼルを愛しているように見えました。
 ちなみに2011年からナチョ・ドゥアトが芸術監督になったことの影響があるのかどうか、ぽん太にはわかりませんでした。

 ところで、アルベルト、アルベルトって、それ誰やねん。アルブレヒトやないんかい(-_-メ)。
 ジゼル - Wikipediaを見てみると、初演時は「アルベール」 (Albert) だったけど、後でゴーティエ自身が「アルブレヒト」に変更したとのこと。なるほろ、アルベールのロシア語読みでアルベルトね。もともとがオーストリア地方の民話だから、ゴーティエはドイツ語っぽいアルブレヒトに変更したのでしょうか。
 で、他のバレエ団はどうなのかググってみると、ぽん太の観たことがあるパリオペラ座、東京バレエ団、Kバレエは全部アルブレヒトでした。同じロシアだとどうなんかいな。他人のブログをググってみると、どうやらボリショイもマリインスキーもアルブレヒトのよう。ということは、アルベルトというのはミハイロフスキーだけのこだわりか……。で、どんなこだわり?

 ところで、これまで「レニングラード国立バレエ」という昔の名前で出ていましたが(しかも二つ前の名前)、今回の日本公演から現在の正式名称の「ミハイロフスキー劇場バレエ」にしたようですね。その方がいいと思います。
 ミハイロフスキー劇場 - Wikipediaを見てみると、この名称は1833年の劇場スタート時の名称のようです。
 で、ミハイロフスキーって誰?
 ということで、劇場の公式サイト(History - Mikhailovsky Theatre St Petersburg)を見てみると、ロシア皇帝ニコライ1世の兄弟であるミハイル大公にちなんだもののようです。と聞いても無知なるぽん太は誰だかわからないのでさらに調べてみると(ミハイル・パヴロヴィチ - Wikipedia)、1798年に生まれ1849年に死去したロシア大公とのこと。ふ〜ん。

ミハイロフスキー劇場バレエ
「ジゼル」
2016 年1月6日
東京文化会館大ホール

ジゼル:アンジェリーナ・ヴォロンツォーワ
アルベルト:レオニード・サラファーノフ

ミルタ:ワレーリア・ザパスニコワ
森番ハンス:ウラジーミル・ツァル
ぺザント・パ・ド・ドゥ:ヴェロニカ・イグナツェワ/アンドレイ・ヤフニューク
ベルタ(ジゼルの母) : アンナ・ノヴォショーロワ
バチルド(アルベルトの婚約者) :オリガ・セミョーノワ
公爵:アレクセイ・マラーホフ
アルベルトの従者:ロマン・ペトゥホフ
ドゥ・ウィリ:タチアナ・ミリツェワ/アスティク・オガンネシアン

農民、貴族、ウィリたち:ミハイロフスキー劇場バレエ

指揮:ヴァレンティン・ボグダーノフ
管弦楽:ミハイロフスキー劇場管弦楽団

2016/01/06

【温泉】玉樟園新井(ぎょくしょうえんあらい)(★★★)(付:土肥金山/さかなや千本一のぬまづ丼(★★★★★))

Img_7385
 昨年の12月のことですが、ぽん太とにゃん子は西伊豆は土肥の老舗旅館、玉樟園新井(ぎょくしょうえんあらい)に泊まってきました。公式サイトはこちらです。
 歴史を感じさせる本館の建物、広い庭園、豊富な源泉、新鮮な海の幸のお料理など、言わずと知れた有名旅館です。
 古い建物が好きなぽん太とにゃん子は、お値段もリーズナブルな本館に泊まったのですが、宿の主流はお風呂付きの高価な客室のようで、大浴場のお湯は掛け流しとはいいながら循環・加熱・塩素消毒をしており、いまいち満足できませんでした。う〜ん、やっぱり「大旅館」なのかな。ここに泊まるなら、もちっと上の客室のプランにした方がいいと思います。

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Img_7402 こちらが本館の客室。きれいにリフォームされているのですが、反面、古さが感じられないのが残念。
Img_7403 窓の外には手入れがされたお庭があります。
Img_7407 こちらが庭園ですね。

Img_7379 こちらた大浴場「男の湯」。広々としており、たくさんの湯船があります。さすが毎分110リットル以上の豊富なお湯が使われているだけあります。もちろん加水なしの源泉掛け流しですが、循環・加熱に塩素消毒もしてあって、泉質が弱カルキ泉になってしまっているのが残念無念。
Img_7375 広々した露天風呂もついてます。
Img_7377 温泉分析表です。泉質は、カルシウム・ナトリウムー硫酸塩・塩化物温泉。pHは8.3のアルカリ性です。
Img_7380 御覧のように、加水はしてありませんが、循環・加熱・塩素消毒が行われております。

Img_7399 こちらが女湯の大浴場・美人の湯。安心して下さい。盗撮したわけではありません。夜中の1時から朝10時までは、男女入れ替えになります。
Img_7396 こちらにも露天風呂が付いてます。

Img_7393 こちらは、貸し切り露天風呂・玉竜(たまりゅう)。45分間交替で利用できます。
Img_7395 趣きある土塀に囲まれた、樽風の露天風呂も付いてます。

Img_7383 こちらが夕食です。お造りがマグロやハマチで、地魚じゃないのが残念。2人で一個だけ追加したあわび踊り焼き(冒頭の写真)は、ぽん太とにゃん子は生まれて初めて頂きましたが、さすがに美味しゅうございました。
Img_7388 お食事は小エビの炊き込みご飯。

Img_7400 朝食も美味しゅうございました。

Img_7411 翌日は、トンネル恐怖症のため嫌がるにゃん子を引き連れて、土肥金山を見学。これまでダイビングのおりに何度も前を素通りしておりましたが、中に入るのは初めてです。なかなか面白かったです。

Img_7446 沼津でお昼ご飯♪何にしようかな〜。
 いろいろ歩き回った結果、今朝水揚げした生シラスが食べられるということで、「さかなや千本一」さんの「ぬまづ丼」に決定。公式サイトはこちらです。
 トピングは生シラス、生桜えび、鯵タタキですが、その下のご飯が焼いたアジの干物をほぐして入れた炊き込みご飯。とっても美味しゅうございました。

2016/01/04

【伊豆の不思議スポット】岩にあいた無数の横穴/北江間横穴群

Img_7439 斜面にあいた沢山の横穴といえば、埼玉の吉見百穴を思い出しますが(そのときの記事はこちら)、実は伊豆にもある!しかもいっぱいある!(例えばこちらのpdf)。
 そのなかから、こんかいは北江間横穴群を見に行きました。このほか粕谷横穴群も公園の一角にあって観察しやすそうですが、今回は省略(たとえばこちら)。
Img_7438 北江間横穴群は、大北群と大師山群の2カ所に分かれますが、まず大北群から。解説や地図などは、例えばこちらの北江間横穴群|伊豆半島ジオパークを御覧下さい。イチゴ狩りのビニールハウスが並ぶ道に案内板が出ています。道を車で入って行って、横穴群の近くに停めることができます。
Img_7428 こちらが解説です。7世紀後半から8世紀中頃にかけて作られたものだそうです。
Img_7430  石棺が残っている穴もあります。鉄の柵とプラスチックケースに守られたこちらの石棺には、ちょっと見にくいですが「若舎人」という文字が刻まれており、類を見ない珍しいものだそうです。
Img_7434 こちらの別の穴にも石棺が残っています。
Img_7435 こちらにも棺ですね。
Img_7441 こちらの穴はかなり小型。火葬した骨を納めたと考えられています。ここの遺跡は、土葬から火葬への変化が示されており、貴重なものだそうです。

Img_7420 続いて大師山群。こちらは案内板に従って、細い道を歩いて登っていきます。地図などは例えばこちらの江間横穴群(大師山群)|じゃらんnetを御覧下さい。
Img_7425 数は少ないですが、大きめの穴が並んでおり、石棺が残っています。
Img_7422 案内板です。
Img_7423 穴があいててちょっと可愛い石棺です。
Img_7424 こちらは横向きの石棺。
Img_7426 穴の中が彫り込まれております。

2016/01/03

【伊豆の不思議スポット】丹那断層公園(国指定天然記念物)

Img_7357_2
 伊豆はもう観光するところがニャイ!とお思いの皆さん。安心して下さい。そんなことはありませんよ。
 以前に伊豆長岡温泉の南山荘に泊まったとき、宿の歴史を調べるなかで、昭和5年(1930年)に起きた北伊豆地震をみちくさしました(そのときの記事はこちら)。この地震でたくさんの断層が生じましたが、なかでも丹那断層は、長さ約35km、上下のずれが2.4m、南北のずれが2.7mという大きなもので、一部は現在でも断層公園として保存され、国の天然記念物に指定されていることを知りました。
 そこで昨年の12月、ぽん太はこの断層公園を訪ねてきました。
 丹那断層によって、当時掘削中だった丹那トンネル(現在の東海道線)がずれるという事故も起こったそうです。このあたりは、吉村昭の小説『闇を裂く道』に詳しく書かれています。
 熱海から三島に抜ける丹那トンネルができる前、東海道線は小田原市の国府津で海岸を離れて北西に向かい、箱根の山の北を迂回して御殿場を通り、沼津へと抜けていました。つまり現在のJR御殿場線です。おおよそ東名高速が走るルートと言えば、わかりやすいでしょうか。ちなみに「♪汽笛一声新橋を」で有名な鉄道唱歌は、御殿場経由のルートになってます(鉄道唱歌の歌詞は例えばこちら)。
 しかしこのルートは勾配がきつかったので、輸送力を増強するために伊豆半島の付け根を貫く丹那トンネルが建設されることになりました。しかし付近は地質が複雑だったため、大変な難工事となりました。
 小説には、落盤事故によってトンネル内に取り残された労働者の救出や、芦ノ湖の水の量の3倍と言われる大量の湧水、それに伴う丹那盆地の渇水などのエピソードが描かれています。
 丹那断層に関しては、ちょうどトンネルの先端が断層に達したところで工事が停止していたときに地震が起きたため、断層の向こう側に人が取り残されるということにはならなかったそうです。ホントに偶然ですね。
 ぽん太は「丹那トンネル」という名前は知ってましたが、「丹那」という地名は知りませんでした。「丹那盆地」から来ていることを、この小説で初めて知りました。
Img_7369 これがその丹那盆地ですね。
 熱海から県道11号を登っていき、途中で左折。トンネルをくぐると、この小さな盆地に出ます。
 酪農が盛んな土地で、酪農王国オラッチェ(公式サイト)という施設もあります。もともとは豊富な湧水を使ってワサビ栽培や稲作が行われておりましたが、先に書いたように丹那トンネルの掘削により渇水に見まわれたことで、酪農に主軸を置くようになったわけです。
Img_7365 案内板です。丹那断層公園の情報は、例えば丹那断層|伊豆半島ジオパークでどうぞ。
Img_7359 まずはこちら。中央奥から、手前向かって左方向に延びた水路の両側の石が、断層によって、手前側が右にずれているのがわかります。
Img_7358 ぽん太の説明がわかりにくい方は、こちらの案内番を御覧下さい。
Img_7364 こちらでは、塵捨場を丸く囲んでいた石が、向かって右が奥の方にずれています。
Img_7361 奥の方に屋根がかかっていて、断層を見ることができます。
Img_7362 これが断層面です。
 断層観察スポットとしては、近くに火雷神社があります(火雷神社|伊豆ジオパーク)。神社の石段と鳥居が、横に1mほとずれているというものですが、今回は時間の関係で省略いたしました。

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