« 2016年3月 | トップページ | 2016年5月 »

2016年4月の12件の記事

2016/04/29

【仏像】十一面観世音菩薩坐像(重文)知善院@長浜市

 3月上旬、越前ガニからの帰り、滋賀県は長浜市の仏像を参拝することにしました。

 

Img_9124_2 まずは神照寺(じんしょうじ)。こちらが公式サイトです。
 残念ながら、なぜか誰もおらず、拝観できませんでした。半肉彫千手観音立像(重文)、毘沙門天立像(重文)、見返り不動明王などがあります。次回に期待。

 

 続いて知善院(宝生山勝安寺)。公式サイトはなさそうなので、知善院(六瓢箪めぐり)長浜・米原・奥びわ湖を楽しむ観光情報サイトにリンクしておきます。仏像の写真も掲載されています。また、こちらの滋賀県・知善院「湖北の慶派仏」ひたすら仏像拝観には、阿弥陀三尊像も含む鮮明な写真があります。
 もともとは現在の長浜市にあった小谷城下にありましたが、天正2年(1574年)、豊臣秀吉が今浜城(現在の長浜城)を築城するにあたって、鬼門を守護するために現在の位置に移されました。
Img_9131
 表門は、長浜城搦手(からめて)門を移築したもので、安土桃山時代のものだそうです。
Img_9130
 本堂の阿弥陀堂は、上に書いたように、もともと小谷城下にあったのを移築したもの。
 本尊は阿弥陀如来、日光・月光菩薩の阿弥陀三尊像です。また、秀吉の木造が祀られておりますが、にっこり笑って着物の袖がぴんと跳ね、なんだかアニメちっくな像です。大阪城にあったものを、落城の際に持ち出したと言われています。
Img_9129
 こちらが観音堂。木造十一面観音菩薩座像(国重文)が祀られております。1メートルもない小さな像です。座っている十一面観音菩薩さまは珍しい気がします。慶派の手になるそうですが、ちょっと顔がでかくて、むすっとしてます。しかし、正座して、壇上の像を見上げると、バランスがよくなり、お顔も慈愛が感じられます。衣紋の流れも美しいです。

 

Img_9137 最後は総持寺。基本情報はこちらを(総持寺(六瓢箪めぐり) | 長浜・米原・奥びわ湖を楽しむ観光情報サイト)。国指定重要文化財の木造聖観音立像がありますが、予約しないで行ったので残念ながら見れませんでした。

 

 

 

知善院(宝生山勝安寺)

 

木造十一面観音座像 鎌倉時代 寄木造・漆箔・玉眼 43.9cm 国指定重要文化財
阿弥陀如来及び日光・月光菩薩像
秀吉木像 慶長4〜5年 木造

2016/04/28

【カニ】美味しい越前ガニがいただけるきれいな割烹旅館・越前満月(★★★★)

Img_9119 GW前だというのに、まだ3月上旬のご報告。
 ぽん太とにゃん子の年に一度のカニ旅行。今年は越前海岸の割烹旅館・越前満月さんにお世話になりました。こちらが公式サイトです。
 場所は福井県は越前海岸ですが、海岸からは少し入ったところで、広い敷地に和風のきれいな建物が並んでいます。壁の赤い色が特徴的です。カニはとっても新鮮でプリプリしていて美味しく、安めのプランにしたのに量も十分。温泉も引いてあって、ぽん太の評価は十分満足の4点です。

★楽天トラベルからの予約は右のリンクをクリック★

Img_9118 建物の内部も広々していてきれい。廊下の大きなガラス窓から内庭をのぞむ。
Img_9115 季節がら、おひな様が飾ってありました。
Img_9089 客室も新しくてきれいです。

Img_9090 お風呂は天然温泉です。
Img_9092 小さいながらも露天風呂がついています。展望はありませんが、手入れをされた庭を見ながらの露天は癒されます。
Img_9096 源泉は「鷹巣温泉」。泉質はアルカリ性単純温泉ですが、残念ながら加水・循環加温しており、温泉力は弱いです。ただ、今回の目的はカニなので、温泉は減点の対象とはなりません。それに、元々は普通の沸かし湯だったそうで、温泉を導入した企業努力に拍手。

Img_9100 さて、いよいよカニです。部屋食でいただきます。
 カニの季節が終わったので、どんなプランを頼んだのかわからなくなってしまいました。タグ付き越前ガニの、安めのプランを頼んだような気がします。
 まずはお造りとカニ刺しです。カニ刺しの甘さは格別ですね。
Img_9102 そして定番のボイルガニ。美味しゅうございます。カニミソは緑色。仲居さんの言うには、カニによっていろいろな色があるそうです。もちろんカニ甲羅酒も頂きました。
 余分なカレイの唐揚げとかがないのがいいですね。たいてい食べきれずに残してしまいますから。
Img_9104 そして焼きガニ。これは香ばしさが魅力ですね。甲羅焼きは、以前に食べたのはどろっとした感じでしたが、今回はさっぱりしたお味でした。また今回のカニは、プリプリと歯ごたえがあるように思いました。
Img_9108 最後はカニ鍋ですね〜。
Img_9110 そうしてカニ雑炊に変身。卵はかき回さないタイプ。あゝ、美味しかった。満腹です。

Img_9114 こちらは朝食。色とりどりの食器がきれいです。

Img_9120 帰りがけに越前海岸を見ました。いつもカニを食べに来たときは、季節的に大荒れのことが多く、こんな穏やかな日本海は初めてでした。

2016/04/27

【長浜市の仏像(2)】十一面観音立像・木造持国天/多聞天立像@石道寺、十一面観音立像@渡岸寺

Img_9077 今は昔、3月上旬の話しの続きですが、滋賀県は長浜市の仏像巡り、次にぽん太とにゃん子が訪れたのは石道寺(しゃくどうじ)です。公式サイトはなさそうなので、滋賀県観光情報のサイトにリンクしておきます(石道寺 | 滋賀県観光情報)。
 石道寺は神亀3年(726年)に開基。延暦23年(804年)に最澄によって再興され、本尊の十一面観音が祀られたと伝えられています。戦国時代には信長によって寺は全焼しましたが仏像は守られました。大正3年に里人によって現在の地に移築され、同時に高尾寺の仏像も合祀されました。その後は里人によって現在にいたるまで守られて来たそうです。
Img_9076 十一面観音さまは著作権フリーの写真がないのう。お写真は例えばこちら(石道寺 十一面観音立像 | 長浜・米原・奥びわ湖を楽しむ観光情報サイト)やこちら(仏の笑み民が守り手 石道寺の十一面観音立像(時の回廊):日本経済新聞)をどうぞ。平安時代中期の作とのことで、なるほどほんわかのんびりゆったり、優雅なお姿。装飾も美しいです。まあるいお顔に、赤い彩色が残ったおちょぼ口がまるで口紅みたいで、女子力の高い観音様です。
 いっぽう両脇寺の持国天・多聞天は、鎌倉時代の作で力強く、いたずら小僧のような表情で、ご本尊といいとりあわせです。こららはすべて国指定重文です。
 もう一つやや小さめの藤原時代の十一面観音像(県指定文化財)がありますが、こちらは金箔が残ってきらびやかです。
Img_9080 続いて渡岸寺(どうがんじ)
観音堂へ。こちらも公式サイトがなさそうなので、基本情報は例えばこちら(渡岸寺観音堂(向源寺)滋賀県観光情報)をどうぞ。
 聖武天皇の時代の天平8年(736年)、都に流行った疱瘡を除災するために十一面観世音を刻んで本尊とし、光眼寺が建立されました。その後最澄によって七堂伽藍が建立されて栄えたものの、浅井・織田の戦火のために堂宇は焼失。しかし地元の住民たちは観音像を救い出し、土に埋めて守りました。その像は、新たに建てられた向源寺の秘仏となりました。現在は向源寺に属する渡岸寺観音堂の慈雲閣という収蔵庫に治められています。
 向源寺と渡岸寺観音堂との関係がややこしいですが、向源寺は浄土真宗のため阿弥陀如来以外を本堂に祀ることは許されないので、渡岸寺観音堂に祀られることになったようです。
Img_9087 お寺の前には、水路沿いの気持ちのよい道がありますが、道ばたにしめ縄の張られた古木が。
Img_9079 案内板をみると「槻」(つき)という木だそうですが、ケヤキの古名とのこと。またここらでは「野神さん」という祭事があり、農地を守る神として、大木にしめ縄を張って、神を祀る風習があるそうです。
Img_9081 こちらが観音堂。広々とした境内です。観音堂から廊下でつながった収蔵庫・慈雲堂に仏様はいらっしゃいます。
Img_9083 参道の右手に、「御尊像埋伏之地」の石碑があります。上に書いたように、戦火を免れるため、観音像を地中に埋めておいた場所ですね。
433pxkwannondo_temple_elevenhead__2 向源寺 - Wikipediaに、十一面観世音菩薩立像のパブリック・ドメインの写真がありました。また、こちらのサイト(渡岸寺観音堂 [向源寺] 十一面観音菩薩立像 My Favorite Things)に、様々な角度からのカラー写真があります。
 仏様のまわりをぐるっと回って見れるのがありがたいです。観音様の後ろ姿は、ぽん太は初めて見ましたが、ほっそりとしたウェスト、軽くひねった腰、肉感的なところは全くありませんが、極めて女性的で思わず腰に手を回したくなります。ふと見上げると、観音様の後頭部に大笑いの顔が。十一面のうちの「最悪大笑相」というものだそうで、後頭部にあるので、普通なら絶対に見ることはできない観音様のお顔です。
 観音様らしい慈愛をたたえながらも、崇高さを兼ね備えた素晴らしい像で、さすが国宝に指定されるだけのものはあります。
 特徴としては、頭のてっぺんが通常は仏面なのに、この像では菩薩面になっていること、全体として小面が大きいこと、両耳の後ろに小面があること、本面・小面の宝髻(髪の毛)が高く結われていること、耳たぶに大きなカタツムリのような飾り(鼓胴式耳璫(じとう))がついてることなどがあり、インドや西域の風をよく伝えているそうです。
 大日如来坐像の画像は例えばこちら(大日如来坐像 | 神仏います近江 | 滋賀県観光情報)。平安時代の作。定印を結んでいるので胎蔵界の大日如来ですね。バランスよい完成度の高い仏様です。
 県指定文化財の小さな十一面観世音菩薩立像は、ご本尊が秘仏だった時代の前立だったようです。
 その他の仏様は……ちょっと忘れました。
 駐車場のところにある高月観音の里歴史民俗資料館(公式サイト)が休館中だったのが残念でした。

 

 

 

石道寺(しゃくどうじ)
 木造十一面観音立像 平安中期 欅一木造・極彩色 173.2cm 国指定重要文化財 旧石道寺
 木造持国天立像 鎌倉時代 欅一木造・極彩色・玉眼 182.7cm 国指定重要文化財
 木造多聞天立像 鎌倉時代 欅一木造・極彩色・玉眼 182.7cm 国指定重要文化財
 木造十一面観音立像 藤原時代 木彫金箔 101.6cm 県指定文化財 高尾寺

 

渡岸寺観音堂(向源寺)
 十一面観世音菩薩立像 平安時代初期 檜木彫 1.95m 国宝
 大日如来(胎蔵界)坐像 平安時代後期 檜木彫 1.485m 国指定重要文化財
 阿弥陀如来坐像 木彫 1.38m 県指定文化財
 十一面間ゼオン菩薩立像 木彫 0.40m 県指定文化財
 仁王様立像 木彫 1.94m 県指定文化財
 善光寺如来後分身
 文殊菩薩像
 普賢菩薩像
 破損仏像破片

 

 

2016/04/23

【歌舞伎】幸四郎の「不知火検校」が出色。2016年4月歌舞伎座昼の部

 4月歌舞伎座は昼の部のみ観劇。こちらが公式サイトです。

 「松寿操り三番叟」は、染五郎が操り人形の三番叟。なかなか上手で、明るく楽しくおめでたい踊りでした。松也の後見もしっかりしてました。

 ついで幸四郎の「不知火検校」。前回(新橋演舞場2013年9月夜の部)観た時に、あまり面白くなかった印象があって、今回も実は期待してなかったんですが、どうしてどうして、とっても面白かったです。幸四郎が演技を変えて来たのか、ぽん太の見る目が変化したのか、わからないところがたんたん狸のあさましさ。
 そのときの自分のブログを読み返してみると、不知火検校という悪人の人物像がよくわからない、と書いてありますが、今回の舞台では、ただただ金と女に執着し、人間的な感情が欠如した人物であることは一目瞭然でした。
 普通だと、盗んだ金で××したいとか、掴んだ権力を振りかざしたいとかあるのですが、不知火検校は、そうした悪人の「人間らしさ」すら欠如していて、ただただお金に執着しています。それは、江戸城の蔵を破る計画を立てながら、三百両の借金の返済が遅れることに目くじらをたてるところからもわかります。
 最後に花道で言うセリフも、自分勝手な理屈であって何の共感も呼ばず、昨今の猟奇的な事件の犯人の身勝手な主張を思わせました。
 幸四郎も、時代物だとなんかセリフがくぐもって何言ってんのかわかりませんが、今回は問題なく聞き取れました。独特の飄々ととぼけた感じもよい味付けになっており、三味線の弾き歌いも披露。ただし妖艶さはありませんでした。
 でも、やはり気になったところもありました。錦吾の魚売富五郎、そもそもこの人が按摩を殺したのがすべての発端なのに、富の市がお金をくすねたことを知ったときの反応のいい人すぎ。また、富の市が初代検校夫婦を殺したあと、床の穴からお金ををバラまくけど、何でそんな穴があるのか、何のためにバラまくのか不明。演出的としては見た目が面白いけど。またそこで、二階屋がセリでいったん下がって、また上がってくると一階に生首の次郎がいるが、わざわざ家を上げ下げする意味がわからず。その後一階で、富の市を殺そうとしていた丹治と玉太郎が、生首の次郎とコソコソ話し合って、突然富の市の子分になるのもよくわかりませんでした。
 幸四郎以外も、松也の玉太郎や、孝太郎のおはん、秀太郎のおもとなど、みなそれぞれ適所適材という感じでした。

 最後は仁左さんの「身替座禅」。うっかり花道の仁左衛門が見えない三階西袖の席を取ってしまい、にゃん子に怒られました。
 仁左さんの右京は、あざとく笑いを取ったりしないで、上品で柔らかでした。玉の井の頭を扇子で叩いたりするのもナシ。
 しかしながら、相手の玉の井が左團次では、迫力ありすぎるのは仕方なし。太郎冠者を叱りつけるて「ゔ〜ん」とうなり、そして「イヒ、イヒ、イヒ」と笑うあたり、もはや人間ですらない別の生物のようでした。ちょっと仁左衛門が目指すものと、配役が合ってなかった感じ。

歌舞伎座
四月大歌舞伎
平成28年4月20日

昼の部

一、松寿操り三番叟(まつのことぶきあやつりさんばそう)

    三番叟:染五郎
    後見:松也

  宇野信夫 作・演出
  今井豊茂 脚本
  沖津浪闇不知火
二、不知火検校(しらぬいけんぎょう)
  浜町河岸より横山町の往来まで

    按摩富の市後に二代目検校:幸四郎
    生首の次郎後に手引の幸吉:染五郎
    奥方浪江:魁春
    指物師房五郎:錦之助
    湯島おはん:孝太郎
    手引の角蔵:松江
    丹治弟玉太郎:松也
    若旦那豊次郎:廣太郎
    娘おしづ:児太郎
    富之助:玉太郎
    魚売富五郎:錦吾
    初代検校:桂三
    因果者師勘次:由次郎
    夜鷹宿おつま:高麗蔵
    検校女房おらん:秀調
    岩瀬藤十郎:友右衛門
    鳥羽屋丹治:彌十郎
    母おもと:秀太郎
    寺社奉行石坂喜内:左團次

  岡村柿紅 作
三、新古演劇十種の内 身替座禅(みがわりざぜん)

    山蔭右京:仁左衛門
    太郎冠者:又五郎
    侍女千枝:米吉
    同 小枝:児太郎
    奥方玉の井:左團次

2016/04/22

【オペラ】ヴェントレ、シーリの歌声にホール全体が鳴り響く「アンドレア・シェニエ」新国立劇場

 新国立の「アンドレア・シェニエ」は、ぽん太は2010年に観たことがありますが、そのときはアルローの演出が印象に残りましたが、今回は圧倒的な歌声にやられました。こちらが公式サイトです。

 圧巻はタイトル・ロールのカルロ・ヴェントレ。2009年の新国立「トスカ」のカヴァラドッシで感動した記憶がありますが、こんかい改めて聞いてみて、やっぱり凄かったです。明るくて力強い歌声で、甘さもあります。声量がすばらしく、ぽん太のいる4階席まで声ががんがん届いてました。
 マッダレーナのマリア・ホセ・シーリは、昨年の新国立の、やっぱり「トスカ」で、タイトル・ロールを聴きました。風邪で途中降板した数日後の公演でしたが、それでも素晴らしい歌声でした。今回も表現力といい、声量といい、素晴らしく、ヴェントレとの二重唱では、新国立の広いホール全体に声が響き渡りました。
 ジェラールのヴィットリオ・ヴィテッリは、2014年の新国立「道化師」のトニオで聴いたことがありますが、上の二人に負けない声量で、独特の風貌が革命家っぽかったです。
 日本勢もそれぞれ検討。竹本節子のマデロンが胸に沁みました。

 舞台がぐるぐる回り、プロジェクション・マッピングを利用したアルローの演出は、今になっても古さを感じません。
 自由・愛・平等の理念を掲げながら、恐怖政治へと変質したフランス革命が、なんだか今のISに重なって見えました。特にマデロンが孫を差し出す部分。太平洋戦争の特攻隊員も思い浮かびました。

 ジョルダーノの音楽は優美。ヤデル・ビニャミーニ指揮、東京フィルの演奏も良かった気がします。

オペラ「アンドレア・シェニエ」/ウンベルト・ジョルダーノ
Andrea Chénier/Umberto Giordano

新国立劇場 オペラパレス
2016年4月17日

指揮:ヤデル・ビニャミーニ
演出・美術・照明:フィリップ・アルロー
衣裳:アンドレア・ウーマン
照明:立田雄士
振付:上田 遙
再演演出:澤田康子
舞台監督:斉藤美穂

アンドレア・シェニエ:カルロ・ヴェントレ
マッダレーナ:マリア・ホセ・シーリ
ジェラール:ヴィットリオ・ヴィテッリ
ルーシェ:上江隼人
密偵:松浦 健
コワニー伯爵夫人:森山京子
ベルシ:清水華澄
マデロン:竹本節子
マテュー:大久保 眞
フレヴィル:駒田敏章
修道院長:加茂下 稔
フーキエ・タンヴィル:須藤慎吾
デュマ:大森いちえい
家令/シュミット:大久保光哉

合唱指揮:三澤洋史
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
芸術監督:飯守泰次郎

2016/04/21

【歌舞伎】菊之助・勘九郎・七之助の初役尽くし。2016年4月明治座昼の部

 四月明治座の花形歌舞伎は、菊之助と勘九郎・七之助。昼の部のみ観に行きました。こちらが公式サイトです。

 まずは七之助の「葛の葉」。さすがに見目麗しく、舞台がぱっと明るくなります。早変わりや曲書きもお見事でした。ただ、狐の葛の葉ちゃんはとっても可愛かったですが、葛の葉姫の方が、なんかツンツンしてて冷たい感じがしました。それから葛の葉ちゃんの「子を思う情」がやや薄かったかな。
 梅枝の安名も柔らかさのある二枚目で良かったです。

 次いで勘九郎の「末広がり」。ぽん太は初めて見ました。
 「末広がり」を買うように命じられた太郎冠者が、意味がわからず、商人にだまされて「唐傘」を買ってくるという話しで、「高杯」に似たストーリー。「高杯」ではゲタップダンスが見せ所ですが、「末広がり」では傘に鞠を乗せて廻す芸を見せてくれます。勘九郎、ちょっとぎこちなかったですが、何回か廻してくれました。どうせなら、やるかやるか、ひょっとしたらできないのかな、と引っ張って、最後にやって幕にすればいいのに。
 太郎冠者が、小さい頃からお使えしていた福子に密かに身分違いの恋心を抱いていて、結婚すると聞いてがっくりするあたりも面白かったです。
 商人の国生、なんか迫力があって怖すぎ。荒事じゃなくて、軽くて楽しい演目なんだから。

 昼の部の最後は、菊之助と七之助の「女殺油地獄」。菊之助も七之助も初役で、仁左衛門の監修とのこと。仁左衛門は既に獅童や海老蔵にも教えてましたね。もっとも海老蔵は、途中でケガして途中休演しましたが。
 関東勢による公演なので上方らしい柔らかさが出ず、前半はイマイチな感じでしたが、最後の油屋の
場面はさすがの迫力で、思わず引き込まれました。
 菊之助は、甘ったれのダメ男だけどどこか憎めない可愛らしさがある与兵衛というキャラには合ってなかった気がします。でも、最後の殺しの場面は迫力がありました。今回は初役だから仁左衛門の写しですが、そのうち江戸風の二枚目だけどキレやすくて迫力ある独自の与兵衛を開発して欲しいです。
 七之助のお吉も悪くなかったです。ただ、確か仁左衛門さんは以前に「お吉は与兵衛に恋愛感情はない」と言ってたと思いますが、今回の七之助もそうした感じの演技でした。また遅れて徳庵提にやってきた豊嶋屋七左衛門(勘九郎)が、お吉と与兵衛が茶屋の中で服を脱いでいるとお光から聞いた時、勘九郎は大げさに驚いて観客の笑いを誘ってましたが、これによってもお吉が与兵衛に気があるということはない、という印象を強めてました。
 でも、観客が「ひょっとしたら気があるのかな」と思うぐらいに演じないと、「いっそ不義になって貸してくだされ」の下りの妖しさが出て来ないのでは。もちろん菊之助の言い方にも妖しさがないことも問題なんでしょうけど。

明治座 四月花形歌舞伎
平成28年4月7日
昼の部

一、芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)
  葛の葉

    女房葛の葉/葛の葉姫:中村 七之助
    安倍保名:中村 梅枝
    柵:中村 歌女之丞
    信田庄司:片岡 亀蔵

  大沼信之 作
二、末広がり(すえひろがり)

    太郎冠者:中村 勘九郎
    万商人:中村 国生
    宝斉娘福子:中村 鶴松
    分限者宝斉:片岡 亀蔵

  近松門左衛門 作
  片岡仁左衛門 監修
三、女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)

    河内屋与兵衛:尾上 菊之助
    お吉:中村 七之助
    豊嶋屋七左衛門:中村 勘九郎
    太兵衛:坂東 亀寿
    芸者小菊:中村 梅枝
    小栗八弥:中村 萬太郎
    おかち:坂東 新悟
    白稲荷法印:市村 橘太郎
    綿屋小兵衛:片岡 松之助
    河内屋徳兵衛:嵐 橘三郎
    おさわ:上村 吉弥
    山本森右衛門:河原崎権十郎

2016/04/19

【オペラ】代役のディミトリー・コルチャックに聞き惚れるも、ストーリーは単純「ウェルテル」新国立オペラ

 ウェルテル役のディミトリー・コルチャックは、交通事故のため来日できなくなったマルチェッロ・ジョルダーニに代わっての出演でしたが、すっばらしい歌声。とっても明るくて輝かしい声です。
 それもそのはず。入口でもらったチラシを見たら、この秋のマリインスキー・オペラ来日公演で「エフゲニー・オネーギン」のレンスキーを歌うことになっており、しかもこの役でウィーン国立歌劇場で大絶賛を浴びたそうな。
 しかもお顔もなかなかのものです。
 ふっふっふ、調べて見たら切符を取ってある。楽しみです。

 「ウェルテル」を観るのはぽん太は初めて。作曲は甘美な曲で有名なマスネです。原作はもちろんゲーテの『若きウェルテルの悩み』ですね。確か大学生の頃読んだけど、当然のことながら良さがわかりませんでした。あれからウン十年、こんど読んでみよ〜っと。
 こちらが今回の公演の公式サイトです。

 でもこのオペラ、筋が単純すぎるな〜。ウェルテルとシャルロットは恋に落ちるが、シャルロットは別の人と結婚。恋に破れたウェルテルは立ち去ります。しかしクリスマスイブの夜、ウェルテルはシャルロットを訪ねます。シャルロットは、ウェルテルを愛してはいるものの、彼の求めを拒否。ウェルテルはピストル自殺をはかります。
 これが「エフゲニー・オネーギン」では、タチーヤーナとオネーギンの立場が逆転するといったドラマがありますが、「ウェルテル」ではそうした変化もありません。
 原作はゲーテの詩的な言葉の美しさが、ストーリーの単純さを補うのだと思いますが、今回のオペラでは、マスネの音楽はその域には達していませんでした。ラストも主和音じゃなく終わって、なんか変な感じ。
 それに、このゲス不倫が横行する時代にこんな純愛を説かれても、なんだかな〜という気もしました(^_^)。

 タイトルロールのディミトリー・コルチャック、冒頭に書いたようにきらびやかな素晴らしい声でしたが、ウェルテルの鬱々とした感じとはちょっと違ってました。
 シャーロット役のエレーナ・マクシモワは初めて聞きましたが、こういう声質を何というのか、オペラ初心者のぽん太はわかりませんが、ソプラノでありながら深みのある声で、悪くありませんでした。

 指揮とオケの良し悪しは、ぽん太には判断できず。指揮者も息子が代役。
 字幕ですが、Noëlは「ノエル」じゃなくて「クリスマス」と訳さなくては分かりにくいのでは?

オペラ「ウェルテル」/ジュール・マスネ
Werther/Jules Massenet
全4幕〈フランス語上演/字幕付〉
新国立劇場オペラパレス
2016年4月7日

指揮:エマニュエル・プラッソン
演出:ニコラ・ジョエル
美術:エマニュエル・ファーヴル
衣裳:カティア・デュフロ
照明:ヴィニチオ・ケリ
舞台監督:大仁田雅彦

ウェルテル:ディミトリー・コルチャック
シャルロット:エレーナ・マクシモワ
アルベール:アドリアン・エレート
ソフィー:砂川涼子
大法官:久保田真澄
シュミット:村上公太
ジョアン:森口賢二

合唱指揮:三澤洋史
合唱:新国立劇場合唱団
児童合唱:TOKYO FM 少年合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
芸術監督:飯守泰次郎

2016/04/18

【バレエ】ノイマイヤー初期の理知的な振り付け「真夏の夜の夢」ハンブルク・バレエ団

 ぜいぜい、4月になっていろいろと慌ただしくて、ブログが更新できません。
 ハンブルク・バレエの「真夏の夜の夢」も観たのは一ヶ月以上前で、すでに印象も薄れてしまいましたが、備忘録のためにメモしておきます。公式サイトはこちら(リリオム-回転木馬/ハンブルク・バレエ団 2016/NBS公演一覧)。

 原作はもちろんシェイクスピアですが、ノイマイヤーは、妖精・貴族・職人という三つの階層を想定し、それらが互いに関係し合っているという世界を考えました。そして三つの階層それぞれに、リゲティの現代音楽、メンデルスゾーンの流麗な音楽(「真夏の夜の夢」以外の音楽も使ってます)、手回しオルガンという三つの音楽を割り当て、また踊りの振り付けでも差異化を行っています。
 ということで、楽しいながらも、かなり理知的な作品です。
 リゲティの音楽も、時代によって様々に変化したようですが、このバレエで使われているのは、まるでハウリングのような音楽。妖精のコスチュームも、もっとも〜とたけもっとのお姉ちゃんみたいで、ちょっと古くささも感じます。
 それもそのはず、この演目の初演は1977年とのこと。ノイマイヤーがハンブルク・バレエ団の芸術監督に就任したのが1973年ですから、初期の振り付けですね。

 バレエを観てから、そういえばシェイクスピアの原作を読んだ記憶がないな〜と思って(あるいは読んだけど忘れてたのかも)、読んでみました。松岡和子訳のちくま文庫版です。いや〜、翻訳ですけど、言葉の面白さに魅了されますね。原作を読んでみると、確かに妖精・貴族・職人が文体と言葉遣いで区別されていることが感じられます。
 ちなみにこの翻訳の題名は、「真夏の夜の夢」ではなく、「夏の夜の夢」。原作の題名はA Midsummer Night's Dreamですが、Midsummer Nightはいわゆる「真夏」の夜ではなく、6月24日の聖ヨハネ祭の前夜を指すというのは、豆知識です。

 ノイマイヤーは、妖精と貴族で、オベロンとシーシアス、タイターニアとヒッポリタを同じダンサーが踊ることで、妖精の世界と貴族の世界の相互浸透を表しました。原作ではもともとどうだったんかいな、と疑問が浮かびますが、上の本の解説や、巻末にある日本での上演の配役表を観てみると、元々は別々の俳優が演じていたけど、近年の上演では一人二役のケースが多いようです。一人二役に関しては、ノイマイヤーの独創ではないのかもしれませんね。
 原作のラストでは、パックが観客に語りかけることによって、舞台上の出来事と観客との相互浸透を演出するのですが、バレエではこれはちょっと無理。ノイマイヤーは代わりに、貴族たちのトリプル結婚式を仕切っていた執事が、実はパックだったという結末を用意してくれましたが、なかなかよくできてました。

 長く踊り込んでいるせいか、ハンブルクのダンサーたちは、みなおてのものといった感じで踊ってました。今回もアッツォーニとリアプコのペアが表現力があって輝いてました。
 第二幕で、真の愛に目覚めたタイターニア(エレーヌ・ブシェ)とオベロン(ウラジーミル・ヤロシェンコ)のしっとりしたデュエットが、とても素晴らしかったです。

 音楽はギャレット・キースト指揮の東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団。なかなか良い演奏でしたが、最後の最後でホルンの音が上がりきらなかったのが残念でした。
 


ジョン・ノイマイヤー「京都賞」受賞記念
ハンブルク・バレエ団2016年日本公演
<真夏の夜の夢>
ウィリアム・シェイクスピアの原作に基づく、
ジョン・ノイマイヤーによるバレエ

東京文化会館
2016/03/13

ヒッポリタ/タイターニア:エレーヌ・ブシェ
ヘレナ:シルヴィア・アッツォーニ
ハーミア:フロレンシア・チネラート
デミトリアス(士官):アレクサンドル・リアブコ
ライサンダー(庭師):エドウィン・レヴァツォフ
シーシアス(アテネの大公)/オベロン:ウラジーミル・ヤロシェンコ(ゲスト・ダンサー)
パック:アレクサンドル・トルーシュ

指揮:ギャレット・キースト
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

2016/04/07

【長浜市の仏像(1)】十一面観世音立像@己高閣、薬師如来立像・十二神将の内三軀・魚籃観世音立像@世代閣

 3月上旬、ぽん太とにゃん子は滋賀県は琵琶湖の東側、長浜市の仏像を巡りました。
 公式サイトはなさそうですが、こちらの己高閣・世代閣の仏たち@長浜市木之本町 lettuce's roomは、地図もあり、収蔵されている仏像の(絵はがきの)写真もあって、お手頃です。

 

Img_9069 まずは己高閣(ここうかく)へ。国の補助を受けて昭和38年に建設された文化財収蔵庫で、與志漏れ神社の境内にあります。
 ハイキングもできる己高山(こだかみやま)という山があるのですが、そこにはいくつものお寺が建っています。代表する鶏山寺を中心に、そこに祀られていた諸仏を収納しているのがこの己高閣です。
 地元有志によって管理運営されており、向かいの建物でお金をはらうと、おじさんが案内してくれて、丁寧に説明をしてくれます。
Img_9070 さて、メインは十一面観世音立像。国指定の重要文化財です。像高172cmとほぼ等身大ですが、くびれた腰、長い腕など、全体にすらりとして優美なお姿です。平安初期の作だそうで、古風でありながら雅やかな雰囲気が漂います。
 両脇寺は毘沙門天と不動明王という典型的なパターン。時代は少し下るようです。
Img_9071 ついで七仏薬師如来立像。丸顔のちょっと可愛らしい薬師様が、一つひとつ違う表情で微笑んでらっしゃいます。
 七仏薬師というのはぽん太は初めてですが、薬師如来 - Wikipediaによると、義浄訳「薬師瑠璃光七仏本願功徳経(七仏薬師経)」や達磨笈多訳「薬師如来本願経」に、薬師如来を中心にした七仏について書かれているそうです。さらに天台密教では円仁によって息災・安産を願う七仏薬師法が行われるようになり、8-9世紀には藤原摂関家で安産祈願として行われたことで、有名になったそうです。薬師如来像の光背に、6-7体の化仏として表現されることが多いそうです。
 七体全部そろっているのは珍しく、他には千葉県の松虫寺(木造薬師如来坐像1 薬師如来立像6(七仏薬師)/千葉県)にしかないそうです。こちらは重文。33年に1度御開帳されるそうで、次は2045年だそうです。
Img_9064 続いて、ほど近くに建つ世代閣(よしろかく)。こちらは地元の人の浄財によって平成元年に造られたもので、いまはなくなってしまった世代山戸岩寺の仏様を中心に祀ってあります。
 ご本尊の薬師如来は重要文化財。奈良時代の作だそうで、行基が自ら刻んだと伝えられております。さすが京都の隣りの県、古いものがありますね〜。
 金箔が剥げて黒光りした、なんかどっしりとした仏様です。お顔もどっしり、体の柔らかさがなく、衣紋の襞も様式的で、アルカイックな雰囲気。さすが奈良時代。
 眷属の十二神将は、2体盗まれて10体しかありません。平安後期の作。
 これとは別に、奈良時代に作られた3体の十二神将がありますが、こちらは重要文化財。両手など多くの部分が失われていますが、残された部分からだけでもすごい迫力が感じられます。実は四天王像ではないか、という説もあるそうですが、欠損が多くて結論がでないそうです。

 

 そうしてもう一つの目玉が魚籃観世音立像。左手に魚の入った籠を下げ、上半身は裸でふくよかな胸をはだけてます。お顔も髪型といいなんだか小ナスのような愛らしさで、村の娘のような親近感があります。県指定重要文化財で、平安初期の作。
 魚籃観音(ぎょらんかんのん)は、三十三観音の一つで、中国で生れたもの。同じ三十三観音のひとつである馬郎婦観音(めろうふかんのん)と同体ともされるます。中国の唐に魚を扱う美女がいて、観音経・金剛経・法華経を暗誦する者を探し求めて結婚したが、まもなく没してしまった、という話しがあるそうです。日本では中世以降、盛んに信仰されたそうです(魚籃観音 - Wikipedia)。
 ちなみに筒井康隆に『魚籃観音』という小説がありますが、ちょっとここで触れるような話しではございません。
 十社権現神像十軀は、県指定重要文化財。30cm前後の小さな像で、だいぶ虫食ったり朽ちたりしておりますが、ちっちゃくて可愛いです。特に日吉大宮はお猿さんそのもので、白州正子のお気に入りだったそうです。

 

Img_9072 旧戸岩寺の薬師堂。戸の隙間から除くと、りっぱな像が祀られてます。
Img_9073 大日堂にも、仏様がいらっしゃいます。
Img_9075 杉に混ざったこの針葉樹。
Img_9067 杉にしては葉っぱがでかいですね。
 広葉杉(コウヨウザン)という樹木だそうで、江戸時代後期に中国から伝わったものだそうです。

 

 

己高閣(ここうかく)、滋賀県長浜市
 十一面観世音立像 平安初期 桧一木彫 172cm 彩色 国指定重要文化財
 七仏薬師如来立像 七軀 平安後期 桧一木及寄木造 約1m 県指定
 己高山縁起書 二巻 応永14年 県指定
 毘沙門天立像(本尊の脇侍) 平安中期 寄木造 171cm 彩色
 不動明王立像(本尊の脇侍) 平安中期 寄木造 173cm 彩色
 日光菩薩・月光菩薩 江戸時代 桧一木造 70cm 金箔
 兜跋毘沙門天立像 平安時代 欅一木造 195cm 素木
 破損仏像 多数 平安時代
 その他観音、菩薩等

 

世代閣(よしろかく)、滋賀県長浜市
 薬師如来立像 奈良時代 楠一木彫 180cm 漆箔一部乾漆 国指定重要文化財
 十二神将の内三軀 奈良時代 木心乾漆 100cm内外 国指定重要文化財
 魚籃観世音立像 平安初期 桧一木彫 160cm 漆箔(古色) 県指定重要文化財
 十社権現 神像十軀 平安剛毅 桧一木彫 各約30cm 素木 県指定重要文化財
 地蔵菩薩立像 平安後期 一木彫 92cm 漆箔(古色)
 十二神将の内十軀 平安後期 寄木造 100cm 彩色 市指定
 日光菩薩・月光菩薩 鎌倉時代 寄木造 145cm 彩色
 仏教絵画、古文書類
 小仏像、破損仏像各種
 埋蔵文化財その他

 

石道寺(しゃくどうじ)、滋賀県長浜市
 十一面観音立像 平安中期 欅一木造 173.2cm 極彩色 国指定重要文化財
 持国天・多聞天立像 鎌倉時代 欅一木造・玉眼 182.7cm 極彩色 国指定重要文化財
 高尾寺十一面観音立像 藤原時代 木彫金箔 101.6cm 県指定重要文化財

 

渡岸寺観音堂(向源寺)、滋賀県長浜市
 十一面観世音菩薩立像 木彫 195cm 国宝
 大日如来(胎蔵界)坐像 木彫 148.5cm
 阿弥陀如来坐像 木彫 1.38m 県指定重要文化財
 十一面観世音菩薩 木彫 40cm 県指定重要文化財
 仁王様立像 木彫 194cm 県指定重要文化財
 善光寺如来後分身
 文殊菩薩像
 普賢菩薩像
 破損仏像破片

2016/04/05

【米沢市の仏像】木造大日如来像@昌伝庵、木造勢至菩薩坐像・木造阿弥陀如来立像@千眼寺、泥足毘沙門天尊@法音寺

Img_9033  2月下旬、小野川温泉扇屋旅館に泊まった翌日、ぽん太とにゃん子は米沢市内の仏像をいつくか拝観しました。
Img_9029 まずは昌伝庵(しょうでんあん)。こちらが公式サイトです。
 米沢といえば上杉のお膝元ですが、このお寺は、上杉が移ってくる以前、伊達氏の時代に開創されたそうです。
Img_9028 こちらが境内にある大日堂。昭和49年に再建された新しいものです。元々の大日堂は大正8年の米沢大火で焼失してしまいましたが、大日如来像は運び出されて大丈夫だったそうです。
 普段は鍵がかかっており、拝観には事前連絡が必要です。夏の例大祭や正月に一般公開されているようです。
Img_9039 半分扉が開かれた厨子のなかに、大日如来様がおりました。冒頭の写真もそうです。大きさはほぼ等身大。どっしりとして重厚な感じの仏様です。ひざの上で両手のひらを重ね、親指の先を合わせるという法界定印(ほっかいじょういん)を結んでいるので、胎蔵界の姿です。ちなみに、一本伸ばした左手の人差し指を、右手でにぎるような智拳印(ちけんいん)を結んでいる場合は、金剛界の大日如来様ですね。宝冠はかぶっておりませんが、宝冠を留めていた跡があるそうです。失われてしまったのでしょう。
 像の内部に墨書が見つかり、兵部法眼円慶(ひょうぶほうがんえんけい)と式部法橋宗祐(しきぶほうきょうそうゆう)によって延文5年(1360年)に作られたことがわかりました。慶派の仏師と考えられているそうですが、他に作例や記録はないそうです。一木から彫り出したものをいくつかいに割って、内刳りをして仕上げたのち、また組み合わせるという「割矧造り」(わりはぎづくり)という手法が用いられています。また目は玉眼です(右の玉眼は欠損)。山形県指定文化財です。
 なぜに曹洞宗のお寺に密教の大日如来があるのか、という疑問が生じますが、以前は真言宗系の寺だったとという説や、実はこの像が釈迦如来ではないかという説があるそうです。
 静寂のなかに何やら気が伝わって来るような仏様でした。
Img_9050 お次ぎは千眼寺(せんげんじ)。ホームページが見つからないので、じゃらんネットにリンクしておきます。長禄元年(1457年)の創建で、当初は真言宗のお寺でしたが、のちに曹洞宗に変わりました。境内の保呂羽堂(ほろはどう)で行われる裸の餅搗きが有名だそうです。
 お坊さんの案内に従って本堂に行くと、向かって左手のガラスケースのなかに、勢至菩薩を中心に、左に阿弥陀如来、右に釈迦如来が安置されております。
Img_9051 まず、県指定文化財の木造勢至菩薩立像。写真はこちらの木造勢至菩薩像 山形の宝 検索naviにあります。勢至菩薩は、阿弥陀三尊像の右脇侍(向かって左)としてよく見かけますね。この勢至菩薩様は結跏趺坐で座っていて、合掌印を結んでおります。大きさは人間よりやや大きいです。平安時代末期の作だそうで、金箔も残っていて、優美なお姿です。県指定文化財です。
 勢至菩薩の向かって左が木造阿弥陀如来立像です。写真はこちら(木造阿弥陀如来立像 山形の宝 検索navi)です。像高約1メートルと小さめ。こちらは力強く、素朴な像です。頭頂部の肉髻があんまり盛り上がってません。鎌倉時代後期の作とのこと。
 向かって右の木造釈迦如来立像は、阿弥陀如来立像を真似て南北朝時代に作られたと考えられているそうですが、ちょっと仕上がりが落ちるようです。
Img_9060 続いて法音寺へ。こちらが公式サイトです。法音寺は上杉家の菩提寺として有名ですね。こちらの仏像は、美術品としての価値よりも、謙信公ゆかりのものとしての歴史的価値が高いです。
 法音寺は、もともとは天平時代に越後の八海山の麓に創建。天平年間に上杉家の帰依寺となり、春日山に移されました。そして慶長6年、上杉家が会津を経て米沢に移ったのに伴い、米沢城の二の丸に移転。上杉家の菩提寺として発展。明治になって神仏分離に伴い、もともと歴代藩主の御廟所があった現在の場所に移転されました。
Img_9054 こちらが隣りにある上杉家廟所。というか、上に書いたように、廟所の隣りに法音寺が来たわけです。立ち並ぶ杉の巨木、足元の雪、冷たい空気。凛とした雰囲気が感じられました。
 ここは一般公開しているので、拝観料を払って見学することができます。国指定史跡です。
Img_9056 このように、歴代藩主の廟が並んでいます。
Img_9058 中央は上杉謙信の廟ですが、実はこの廟が作られたのは明治9年(1876)と新しいです。
 というのも、上杉公の御遺骸は元々は春日山城内に埋葬されておりました。後に上杉が会津、米沢と転封されるにつれて、御遺骸もその都度移され、米沢では本丸に作られた御堂に祀られました。明治になると神仏分離により、御堂が謙信と鷹山を祀る上杉神社となるに伴い、謙信公の御遺骸は上杉家廟所に移され、同時に法音寺もこの地に移されたわけです。
Img_9059 法音寺の拝観は事前予約が必要です。法音寺の仏様や宝物は、公式サイトのこちらのページ(米沢法音寺 ~宝物・ほとけ様~)でみることができます。
 まずは本尊の大日如来尊にご挨拶。江戸時代に作られたもので、金色に輝く整ったお姿の像です。智拳印を結んでおり、金剛界の大日如来です。
 善光寺如来尊は秘仏なので拝観できず。毎年5月15日に御開帳されるようです。元々は信濃の善光寺のご本尊でしたが、川中島の戦いのおり、戦火を避けるために謙信公に奉じられたと伝えられています。
 じゃあ、今の長野の善光寺の秘仏は何なんだということになりますが、戦国時代に善光寺の秘仏が各地を転々としたのは事実のようですが、行き先に関しては諸説あるようです。
 そしていよいよ「泥足毘沙門天尊」。これはぽん太は以前から見たいと思ってました。
 ドラマや映画で、上杉謙信や景勝が、よく春日山城のお堂に籠って祈ってますよね。あの祈っている対象がこれです。
 現在の春日山城趾には、毘沙門堂が復元され、毘沙門天が祀られています。しかしそれは謙信公が祈っていたものではなく、高村光雲が作ったものです。
 春日城趾にあった案内板によると、元々の毘沙門天像は上杉の転封に伴い米沢に移りましたが、嘉永2年(1849)の火災で損傷しました。そのため昭和3年(1928)に東京美術学校(今の芸大ですね)に修理に出されましたが、その時修復に当たったのが高村光雲でした。その時光雲は、御尊像の欠け損じを体内に納めて作った分身が、春日山城の毘沙門堂に納められているとのことです。

 

 

 

 

昌伝庵(山形県米沢市):拝観は例大祭・正月以外は要事前連絡
 木造大日如来像:像高78.5cm 延文5年(1360年) 木造・割矧造・漆箔・玉眼 作者:兵部法眼円慶・式部法橋宗祐、県指定文化財

 

千眼寺(山形県米沢市):拝観は要事前連絡
 木造勢至菩薩坐像:像高87.6cm 12世紀後半 木造・割矧造・漆箔・彫眼 県指定文化財
 木造阿弥陀如来立像:像高99.6cm 鎌倉時代後期 木造・寄木造・金泥・玉眼 県指定文化財
 木造釈迦来立像:像高96.1cm 南北朝時代 木造・寄木造

 

法音寺(山形県米沢市):拝観は要事前連絡
 泥足毘沙門天尊:鎌倉時代
 大日如来尊:江戸時代
 善光寺如来尊:(拝観できず)

2016/04/02

【展覧会】「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の挑戦<糸巻きの聖母>」

Leonardo_da_vinci_madonna_of_the_ya
 江戸東京博物館で開かれた「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の挑戦<糸巻きの聖母>」を観てきました。お目当てはもちろん上の写真の「糸巻きの聖母」。こちらが特設サイトと、江戸東京博物館の公式サイトです。また出品リストはこちらです(出品リスト1出品リスト2)。
 切符売場には「大混雑」、「待ち時間45分」などの表示が。他の絵は後回しにして、とりあえず「糸巻きの聖母」の前に直行。20分ほど並んでご対面。
 第一印象は、意外とちっちゃいです。色彩や輪郭がくっきりしていて、保存がいい感じ。糸巻きを持つ幼いキリストを、聖母マリアが抱きかかえています。背景は海。垂直に持った糸巻きを見上げるようにしているキリストは、体を螺旋状にねじって、空に舞い上がりそうな感じ。身体の描写が、解剖学的にとてもしっかりしています。抱きかかえる聖母マリアは、慈しむような、それでいてちょっと不安げな表情を浮かべており、優しく抱きかかえる左手と、ちょっと緊張して開かれた右手の対比が見事です。
 入口まで戻って他の絵を鑑賞し、もう一回列に並んで「糸巻きの聖母」を鑑賞しました。終了間際だったせいか、今度は待ち時間10分。
 この絵だけ見るとこんなもんかな〜と思いますが、同じ題材の他の絵や、ダ・ヴィンチを模写した絵と見比べると、やっぱりダ・ヴィンチは凄いと改めて思います。

 この絵がダ・ヴィンチの真筆かどうかは長く議論されてきました。最近では、聖母子と手前の岩はレオナルド本人の手によるが、背景は後世に加筆されているという考えが主流だそうです。
 イギリスの貴族バクルー公爵家が所蔵していたもので、2009年にエディンバラのスコットランド・ナショナル・ギャラリーに寄託されて、初めて一般公開されました。もちろん日本初公開。

 江戸東京博物館は、変な建物として有名ですが、特に一階の展示場に行くには、むき出しのコンクリートの駐車場のようなところを延々と歩くという、不思議な構造になってます。設計は菊竹清訓(きくたけきよのり、1928年 - 2011年)、竣工は1992年です。

特別展
「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の挑戦<糸巻きの聖母>」
江戸東京博物館

出品リスト1出品リスト2

主な出品作
レオナルド・ダ・ヴィンチ「糸巻きの聖母(パクルーの聖母)」1501年頃、油彩・板、48.3×36.8cm、パクルー・リビング・ヘリテージ・トラスト(エディンバラ、スコットランド・ナショナル・ギャラリー寄託)、日本初公開
レオナルド・ダ・ヴィンチ「鳥の飛翔に関する手稿」1505年、トリノ王立美術館、日本初公開

2016/04/01

【亀戸遊歩】升本本店・香取神社・亀戸天神社・柳嶋妙見山法性寺・本所消防署

20160330_152239
 法事で亀戸の升本本店に行く機会があったので、ついでに近所を観光してきました。
 亀戸を訪れるのはぽん太は初めて。亀戸 Wikipediaによると、元々このあたりは亀の形をした島で「亀島」と呼ばれておりましたが、のちに周囲と地続きになり、「亀村」と名を変えました。江戸時代、亀村には有名な臥竜梅のある庭があり、そこにあった井戸「亀ヶ井」との混同から「亀井戸」と呼ばれるようになり、それが縮まって「亀戸」となったそうです。
Hiroshige_pruneraie__kameido ちなみに上の臥竜梅の庭は「亀戸梅屋敷」(かめいどうめやしき)と呼ばれて人気を呼び、歌川広重の「名所江戸百景」(1856年 - 1858年)で「亀戸梅屋舗」という題で描かれています。それが左の写真ですね。
Japonaiserie_flowering_plum_tree_af この絵を模写して、ゴッホが「ジャポネズリー:梅の開花(広重を模して)」(1887年)という作品を描いたことも有名です。

20160330_144128 まずは亀戸升本本店。「升本」といえば、デパ地下でお弁当をよく見かけますね。ぽん太も歌舞伎座に行く時、よくお世話になってます。本店は亀戸だったんですね。こちらがぐるなびです。
 場所は亀戸天神の近く。新しい建物ですが、土蔵っぽくて雰囲気があります。
 会社概要|亀戸升本によると、1905年に酒屋として創業。大戦後に割烹料理屋として復興。1998年には店舗が全焼するという災難に見舞われましたが再建し、2001年には弁当製造販売を開始、2006年にはマクロビオテック弁当も販売開始したそうです。
20160330_131135 玄関前には、名物の亀戸大根が陳列されてます。
 慣れぬ携帯で撮った写真なので、指が写り込んでてすみません。
20160330_133242 「亀戸大根あさり鍋めし」です。グツグツと煮込まれたあさり鍋に、さらに薄切りの亀戸大根を投入。ご飯茶碗の「麦菜飯」にかけて頂きます。味噌味の汁にあさりの出汁がしっかりと出ていて濃いめの味付けが、とても美味しいです。「亀戸大根すてぃっく」はみずみすしくて、噛むと甘い汁がしみ出してくる感じ。左上の「おあがり揚げ」は、あさりが入ったすり身の揚げ物みたいな感じ。「亀戸大根たまり漬け」や「辛みそ」は、お弁当でも定番ですね。美味しゅうございました。
 亀戸大根については、例えばこちら(亀戸大根 - 升本のこだわり)をどうぞ。文久年間(1861~1864)の頃から香取神社周辺で栽培されるようになったとのこと。早春の野菜として重宝され、浅漬けやぬか漬けとして食べられたそうです。

20160330_145701 お食事後、生まれて初めて訪れた亀戸の町をぶらつきました。まずは升本近くの交差点の角にある、但元いり豆本店。「たじもと」と読むようです。創業は大正5年(1916年)創業とのこと。
20160330_145650 猫ちゃんがおりました。群がる鳩には無関心のようで、お母さんがピンクのハタキで懸命に追い払ってました。

20160330_150219 続いて香取神社。こちらが公式サイトです。
 総本社はもちろん千葉県の香取神宮ですね。香取神社は、天智天皇4年(665)に藤原鎌足公が旅の安泰を祈って香取大神を勧請して創立したそうです。御祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)。『日本書紀』に書かれていますが、『古事記』には登場しないそうです。『日本書紀』によると、国譲りの際に大神の命により出雲国に下り、大国主命を従わせたそうです。
20160330_150415_2 狛犬向かって左です。ちょっと新しいですね。子狛犬を抱いているパターン。
20160330_150407 向かって右です。こちらは鞠。
20160330_150434 境内にある「亀戸大根之碑」。
20160330_150550 社殿です。

20160330_152141 続いて亀戸天神社。こちらが公式サイトです。毎年藤の花の時期にニュースで流れますが、ぽん太とにゃん子は初めて訪れました。
 正保三年(1646年)に九州太宰府天満宮の神官が小さな祠に神像を納めたのが始まり。寛文二年(1662年)には社殿が造営されました。
 御祭神は、天神社ですから、言わずと知れた菅原道真ですね。
 冒頭の写真が、有名な太鼓橋。
20160330_152405 太鼓橋から本殿方向を見る。参道の両側には藤棚が並んでいます。う〜ん、確かに一面に藤が咲いたら見事でしょうね〜。藤の花の咲く時期にまた来て見たくなりました。
20160330_152535 アオサギが佇んでおりました。しばらく見てたら、突然ゆっくりと動き出したと思ったら、小魚を素早く捕食!ごくりと飲み込みました。アオサギの捕食シーン、初めて見ました。
20160330_153043 拝殿です。鈴がでかいですね。
 んん?そういえば、ブログを書いていて気付いたけど、狛犬の写真がないな〜。狛犬いないのかしら。ぐぐってみると、いわゆる狛犬はなさそうですが、入ってすぐにある燈籠に狛犬がデザインされているようです。さらに「おいぬさま」というのが、塩まみれで祀られているようです。今度行った時に見てみたいと思います(亀戸天神社 狛犬道)。

20160330_154618 次いで、横十間川を北上し、「柳嶋妙見山法性寺」へ。こちらが公式サイトです。
 写真に茶色いマンションが写っておりますが、このマンションの1階と2階が法性寺です。お寺がマンションを建てた訳ですが、決して金儲けのためではなく、住宅密集地の区画整理のための立ち退きから地域住民を守るため、住職が決意したんだそうです(柳島・妙見山法性寺 - おやじのつぶやき)。
 明応元年(1492年)に開山した日蓮宗の寺院です。ご本尊は久遠実成本師釈迦牟尼佛(大曼荼羅)ですが、妙見堂に祀られた「開運北辰妙見大菩薩」が信仰を集め、「柳嶋の妙見様」と呼ばれて親しまれました。
 葛飾北斎が信仰していた寺としてとして有名。また歌舞伎ファンにとっては、初代中村仲蔵(1736年 - 1790年)が、明和3年(1766年)に、『仮名手本忠臣蔵』五段目の斧定九郎の現在でも行われている型を作るきっかけとなったお寺として有名ですね。
 もともと斧定九郎は、文楽を見るとわかるように山賊のようだ出で立ちでした。仲蔵は新しい型を生み出そうとしましたがなかなかうまいかず、神仏のご利益にすがるしかないと、柳嶋の妙見様に日参します。八日目の帰り道、法恩寺橋(大横川と蔵前通りに架かる橋)近くで雨に降られて蕎麦屋に入ったところ、黒羽二重のひきときを着た浪人風の男が店に入って来ました。その男の雨のしずくを切るしぐさから、斧定九郎の新しい型を作り出し、大評判となりました。
 もっともこの話しの出所は、三遊亭円生の落語「中村仲蔵」ですから、どこまで本当かわかりません。
 柳嶋妙見堂はさまざまな錦絵にも描かれました。例えばこちらの柳島妙見堂 錦絵でたのしむ江戸の名所で、そのうちいくつかを見ることができます。
20160330_155024 こちらが妙見堂。時間が遅かったせいか、自動ドアは開いたのですが、中の電気が消されていて良く見えませんでした。
 公式サイトに「開運北辰妙見大菩薩」のお写真があります。三人の群像になっていて、真ん中の妙見菩薩は、鎧姿で両足を開いてどっしりと腰掛け、右手に剣、左手に宝珠を持っています。輪っか状の光背には七つの玉があり、
七曜を表しているそうです。また亀と白蛇を踏んづけているそうです。
 この像がいつ頃つくられたものなのかは、ちとわかりません。
 妙見菩薩は、中国の道教の北極星信仰が、仏教と習合したもので、「菩薩」とついていても天部に分類されます。像容は一定していないそうです。
 玄武に乗っているものもあるようで、玄武とは、北の星宿を神格化したもので、北方を守護する霊獣です。脚の長い亀に蛇が巻き付いた形で描かれることが多いそうで、開運北辰妙見大菩薩が亀と白蛇を踏んでいるのは、それと関係がありそうです(妙見菩薩 - Wikipedia)。
 ちなみに妙見菩薩像で重要文化財に指定されているのは日本にひとつだけで、なんと読売ランドにあります。これを拝観した話しは、以前に書きました。

20160330_160344 錦糸町駅に向かう途中、不思議な建物に遭遇。宗教施設か、それとも何かの秘密基地か。まさか原発?なんか怖いです。
 下には見慣れた赤い消防車が。表に回ってみると、本所消防署・本所防災館だそうです。設計はだれだろう?ぐぐってみると、設計管理/東京消防庁総務部施設課、設計監理
協力協力
/類設計室とのこと。施工は大林組、鴻池組、坂田建設、岡本工務店。竣工は1995年。類設計室の公式サイトはこちら

« 2016年3月 | トップページ | 2016年5月 »

無料ブログはココログ
フォト
2024年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31