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2016年9月の20件の記事

2016/09/27

【登山】台風一過の蓼科山(大河原峠からピストン)

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 8月末日、日程的に日帰りしか無理だけど、まだまだ暑いので二千メートルを超えるところ、ということで、これまで2回登ったことはありますが、蓼科山に登ることにしました。大河原峠から山頂を目指し、時間が余ったら天祥寺原、あるいは双子池を迂回して帰ろうかと思ったのですが、結局行って来いの往復になってしまいました。


【山名】蓼科山(2531m)
【山域】八ヶ岳・蓼科
【日程】2016年8月31日(日帰り)
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】台風一過の晴れ
【ルート】大河原峠10:55…蓼科山頂13:17…大河原峠15:12

(※3D地図や当日の天気図などは「山行記録のページへ」をクリック)
【マイカー登山情報】大河原峠に50台程度停められるトイレ完備の駐車場がある。


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 シラビソの樹林の中を登っていきます。

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 前日が台風だったので、登山道の一部が小川状態でした。

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 登ってきた北東の斜面を振り返る。ところどころ縞枯れ現象が見られます。シラビソが集団で枯れる現象ですね。
 
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 縞枯れの中はこんな感じになってます。

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 何度見ても不思議な景色。岩だらけの山頂です。

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 八ヶ岳と南アルプスです。残念ながら北アルプス方面は雲のなか。

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 左がしらかば2in1スキー場、右に白樺湖、その奥は霧ヶ峰ですね。

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 山頂には蓼科神社の奥宮があります。御祭神は高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、木花佐久夜毘売(このはなさくやひめ)。
 高皇産霊神は、天地開闢のおりに出現した神様の一人で、高木が神格化されたものだそうです。
 倉稲魂神は、穀物の神様で、京都の伏見稲荷の御祭神で、いわゆる日本各地のお稲荷さんで祀られている神様です。
 木花佐久夜毘売は、富士山を御神体とする富士山本宮浅間大社の御祭神で、日本各地の浅間神社で祀られております。山の女神さまですね。

 里宮は、蓼科山の北の麓、北佐久郡立科町芦田高井にあります。こちらの「玄松子の記憶」というサイトが詳しいです。
 里の宮の御祭神は、高皇産霊神、大己貴命(おおなむちのみこと)、木花佐久夜毘売で、奥宮の倉稲魂神が抜けて、かわりに大己貴命が入ってます。大己貴命は大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名です。

 こうした御祭神が祀られている理由を考えても、あまり意味がありません。明治の神仏分離以降に割り当てられた神様である可能性が高いからで、神仏分離以前に祀られていた神様を調べないと意味がないのです。
 神仏分離というと、「廃仏毀釈」というように、お寺ばっかり壊されたと思っている人も多いと思いますが、同時に地域で古来祀られていた神様も否定され、古事記や日本書紀に書かれている「公式」の神様を祀るように強制されたのです。「蓼科神だって?そんなヘンテコな神様を拝んだらだめです。そうですね、シラビソがいっぱい生えてるから高皇産霊神、蓼科からの水で田畑が潤うように倉稲魂神、山にある神社だから木花佐久夜毘売は外せませんね。これらを祀りなさい」ってな具合です。

 上の玄松子さんのブログによれば、古くは蓼科神が祀られ、『明治神社誌料』には奥社は立科八王子権現、里宮は高井明神と呼ばれたと書いてあるそうで、当たり前と言えば当たり前ですが、山岳信仰の拠点として栄えたように思われます。
 ちなみに『明治神社誌料』は、国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができます。蓼科神社が記載されているのは、こちらの296、297コマです。

2016/09/26

【登山】またクマに遭遇。新中の湯から焼岳山荘に一泊し西穂山荘経由で上高地

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 白骨、乗鞍と温泉に泊まりながら、登山に適した好天を待ち続けたぽん太とにゃん子、ついに台風が過ぎ去った機をとらえ、焼岳に登ることにしました。日帰りも可能な山ですが、こじんまりした焼岳山荘に泊まって、一泊二日の行程としてみました。
 またしてもクマに遭遇し、大幅にタイムロス。焼岳小屋はとてもアットホームな山小屋でした。

【山名】焼岳(2444.3m)
【山域】槍・穂高・乗鞍
【日程】2016年8月25日〜8月26日(1泊2日)
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】快(8/25)曇り時々晴れ間、(8/26)晴れ
【ルート】(8/25)新中の湯登山口9:32…13:07焼岳13:57…14:45焼岳小屋(泊)
(8/26)焼岳小屋6:40…10:04西穂山荘10:40…西穂高岳登山口12:45…河童橋13:20…上高地バスターミナル13:41

(※3D地図や当日の天気図などは「山行記録のページへ」をクリック)
【マイカー登山情報】沢渡に車を停めてタクシーで新中の湯登山口まで行くと、6千円くらいかかります。新中の湯登山口には20台くらい停められる駐車場がありますが、ハイシーズンにはすぐ満杯になりそう。
【注意】(旧)中の湯登山口からのルートは廃道となっており、通行できません。

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 以前に登った旧中の湯からのルートが廃道になっているので、沢渡に車を停め、タクシーで新中の湯登山口まで行きましたが、なかなかの出費となりました。
 平日でしたが夏休みも終盤の台風一過の好天だったせいか、この焼岳山頂への最短ルートを利用して、若いカップルや、おばあさんから孫まで三世代10人ぐらいのグループなど、多くの登山客が焼岳を目指しておりました。なかでも越にぶら下げたミュージックプレイヤーから大音量で演歌を流しながら登ってきたおじさん、ぽん太とにゃん子の姿を見て、あわててボリュームを下げてました。

 ところが、すれ違いに下山してきた登山客から、クマの出没情報が。なんでも登山道近くに子グマが出現。近くに母クマもいたとのこと。またかいな。注意しながら、おそるおそる歩みを進めます。
 その後にすれ違った登山客からは、3匹いるとの情報も。

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 山頂までもうすぐのU字の谷のところで、停滞している人たちが。写真の、ちょっと上にある茂みのなかに、クマが潜んでいるということ。上から下山してきた人も、停滞して様子を伺っています。

 しばらくすると、茂みの上のあたりに子グマが見えました。高山植物の実を食べているのか、ノロノロと斜面を歩いております。

 このあたりからの人間モニタリングが面白かったです。諦めて下山する手もありますが、頂上目前なので、なんとかクマがどいてくれないかと期待して、みな様子を伺っています。そのうちクマはだんだん向かって左に移動。登山道から離れたところで岩の下にでも隠れたのか、姿が見えなくなりました。
 すると男女合わせて5〜6人の中高年男女の団体が、いきなり上から下山を開始。下から、茂みにクマがいるかもしれないと大声を出して知らせようとしましたが、団体は聞く耳持たず下山を継続。これはもうクマに襲われても仕方ないと見守っていると、難なく茂みを通過。
 降りてきた団体に話しを聞くと、「子グマだったよ〜」と写真を見せてくれました。「結婚してって言ってたわ〜」とおばさん。何の恐怖心も危機感も抱いていないようでした。こういう人たちが、危険を顧みずに新たな世界を広げてくれるというか、一歩間違えたらクマに襲われてたというか、パイオニアだなと思いました。

 それでも皆、登るのを躊躇していると、先ほどの演歌おじさんがいきなり登山を開始。皆が見守っているなか、茂みの手前まで行くと、ミュージックプレイヤーのボリュームを最高にして演歌でクマを威嚇。北アルプスの谷間に演歌の歌声がしばし鳴り響くというシュールな光景。しばらくして茂みに突入すると、無事通過して登っていきました。

 こりゃ大丈夫なんじゃないかと、停滞していた登山客が一斉にスタート。イワシの大群じゃないですが、これだけいれば鮫に自分が襲われる確立は少ないんじゃないかという心理です。
 ぽん太とにゃん子も、クマ鈴を手に持って振りながら、おそるおそる茂みを通過、山頂目指して登山道を登りました。
 結局、約1時間のタイムロスとなりました。

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 通り過ぎて下を振り返る。この写真のどこかに、子グマが隠れてます。親グマもいたのかどうか、定かではありません。3匹いたという情報もありましたが、ホントかどうかわかりませんが、危機的状況における情報の不正確さを改めて思い知りました。

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 焼岳北峰の横腹から、噴煙が上がってます。

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 一瞬、雲がはれて、上高地が見渡せました。中央あたり、梓川の向かって右にある赤い屋根が上高地帝国ホテルですね。

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 焼岳山頂(北峰)。台風の余波で、雲がすごいスピードで流れて行きます。

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 北峰から見た南峰と、火口湖。南峰は現在も登山禁止。
 山頂にて、風向きによって時おり火山ガスを吸いながら昼食を食べ、焼岳小屋に向かって下山。

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 今は〜もう秋〜。アザミやリンドウが咲いてました。

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 焼岳小屋の緑の屋根が見えてきました。

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 焼岳小屋は、大きな岩の前に建つちっちゃな山小屋。生ビールが飲める巨大な山小屋が多い北アルプスで、こういう昔ながらの山小屋もいいですね。

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 水は雨水利用で、有料です。缶ビールも溜めた水に浸けてあるだけ。

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 食堂です。

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 食堂から垂直のハシゴを登ると、二階が寝室です。この夜は団体を含めて20人くらいが泊まり、ほぼ満員。定員は25人です。

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 夕食は、食前酒の果実酒がついて、メインは豚肉生姜焼き、スイカまでついて、なかなか美味しかったです。お姉さんありがとう。

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 夕食後は電気を落とし、ランプで歓談。いいムードです。
 実はこの夜、山小屋からピストンで山頂を目指した人が道に迷い、日が落ちてから小屋番が迎えに行くという事件がありました。ここでも様々なドラマが繰り広げられたのですが、関係者に配慮してブログに書くのは止め、ぽん太が個人的に飲んだときの話しのネタにしておきます。


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 夜中には雨も降りましたが、翌朝は快晴。昨日は顔を見せなかった焼岳を、小屋の前から見ることができました。

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 朝食は、女性らしい可愛らしい一皿。お姉さんありがとう。ぽん太とにゃん子ももそのうち小笠原に行ってみるよ。

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 焼岳小屋から直接上高地に降りるルートは以前に歩いたことがあるし、時間に余裕もあるので、西穂山荘まで稜線を歩いて、上高地に下ることにしました。

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 西穂山荘まで来ると、西穂が目の前。登りたいけど、今回はパスです。

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 そして海苔で西穂をかとだった、西穂山荘名物のラーメンを頂きました。スープは美味しかったけど、今回は麺がちょっと生煮えだったかな。でも山では最高のごちそうです。

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 西穂山荘から上高地に下る道は、木道に階段と、とても整備されています。でも最後の方はすごい急登で、ぽん太もにゃん子も足がガクガクになりました。

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 久々にウェストン碑に詣でました。

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 河童橋付近は、川遊びする家族づれがいっぱい。

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 河童橋左岸の上高地ソフトクリームを頂く。あゝ、おいし。

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 さわんど温泉、お食事処池尻の温泉で汗を流しました。
 ハイカーでごった返す沢渡のなか、安くて空いてていいです。お湯は源泉掛け流し。ただ、利用客が少ない分、湯船のお湯がとっても熱くなってたりするのでご注意を。

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 温泉分析表です(クリックで拡大)。

2016/09/25

【温泉】リーズナブルなロッジ風の宿。夕食が美味すぎ!/乗鞍高原温泉・牧水苑(★★★)

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 ぽん太とにゃん子は、長野県は乗鞍高原温泉・牧水苑に泊まってきました。
 手作り感満載の公式サイトはこちらです。

 乗鞍高原の中心の湯けむり館の四つ角を左折した先にある、ロッジ風のホテルのうちの一つです。温泉はちょっと狭いけど内湯と露天があり、真っ白で硫黄が香る乗鞍の湯を掛け流しで楽しめます。欅造りの古民家を移築したお食事処でいただく夕食は、ちょっと創作系が入っていてなかなかの優れもの。家庭的なほっとできる宿で、お値段もリーズナブル。ただ、今ひとつ売りが欲しい感じがするので、ぽん太の評価は惜しくも4点に近い3点。

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 木造のロッジ風の建物です。

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 客室は和室です。ちょっと古びた感じがあり、そういえば昔のスキー場のホテルってこんな感じだったな〜という感じ。
 お部屋の名前が「えつこ」なのが気になりました。女性の名前でしょうか。「東京」とかいう部屋もあるし。創業者の個人的な思い入れかしら?帰りにフロントで理由を聞こうと思ったのに、うっかり忘れました。あゝ、気になる。

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 温泉は、男女別の内湯と露天があります。こちらは内湯。ちょっと小さめですが、木製の壁や湯船がいい雰囲気です。
 そしてさすが乗鞍の湯。流れ込む源泉は無色透明ですが、湯船のお湯は乳白色に濁り、かき回すと湯船の底から白い泥のような湯の花が浮かび上がってきます。強い硫黄臭があり、舐めると酸っぱいです。浴槽の手前の白い縦の帯は、デザインではありません。流れ出すお湯の成分がこびりついたものです。

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 内湯よりやや大きめの露天風呂は、展望はありませんが、やはり木の浴槽が豪放な印象です。

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 温泉分析書です(クリックで拡大します)。泉温46.4度。pHは3.2と強酸性です。溶存ガス成分の遊離硫化水素443.5mg/kgはなかなかのもの。泉質は単純硫黄温泉です。
 もちろん加水・循環なしの源泉掛け流し。条件によっては加温はするみたいです(真冬の露天とかかな?)


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 夕食は、築200年の古民家を移築したお食事処で頂きます。他のお客さんがいたので写真はありませんが、高い天井や太い梁が歴史を感じさせます。
 お料理は、家庭料理風で決して豪華ではありませんが、どうしてどうして、なかなか美味しくて、ちょっと感動しました。

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 お品書きです。最初の「車麩の炒煮」からしてぽん太には珍しいし、お次の「豆と雑穀のスイチリサラダ」はアジアンなお味。キノコと細切りの新じゃがにかかっているのは豆乳ソースで、しかも胡椒がきいてスパイシー。信州サーモンのお造り、安曇野ポークのオイル焼き、安曇野イワナの塩焼きと、地元の食材も満載。

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 お造りのお醤油は、見た目薄いですが、とっても美味しいです。

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 鴨鍋は、鴨が脂身がなくて、とっても柔らかく、赤味肉好きのぽん太とにゃん子の好みでした。お出汁もとっても旨味があります。ご飯もお米がおいしかったです。

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 デザートはなんと蕎麦のアイスクリーム。これがまった違和感がありません。
 夕食はぽん太とにゃん子は大満足!


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 朝食も美味しゅうございました。

2016/09/24

【寺院】日本最古の回転式経蔵/飛騨安国寺経蔵【国宝】

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 高山の清峯寺の近くにある安国寺には、国宝の経蔵があります。
 さすが国宝だけあって、見た瞬間に「おおっ」と声を上げるほどの美しさ。それだけでなく、歴史的にも貴重なものだそうです。

 

Img_2661 室町初期の応永15年(1408)年に建立。簡素で剛健な禅宗様(唐様)造りで、四隅が跳ね上がった屋根が美しいです。二階建てに見えますが、下の屋根は裳階(もこし)で、内部は一層です。

 

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 壁の上部の欄間には、美しいカーブを描いた風抜きがあります。とても暑い日でしたが、建物のなかに入ると涼しい風が吹き抜けます。大事な経典が傷まないようにという工夫でしょうか。

 

 内部は撮影禁止です。写真は例えばこちらの高山市のサイトにあります。
 八角形の大きな回転式のお経収蔵庫(八角輪蔵)があります。回転式のものでは日本最古だそうです。
 下を除くと、石の上に心棒の柱が乗って、回転するようになっている仕組みを見ることができます。もちろん今は廻してみたりできませんが、昔は子どもが廻して遊んでいたそうです。
 収蔵された木版一切経は、中国の元の時代に作られたものを三年がかりで持ち帰ったものとのこと。欄間の彫刻が美しく、また柱には昔の人の落書きがあったりします。

 

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 木の梁と白い壁が美しい本堂です。
 飛騨安国寺は、室町幕府が日本各地に作った安国寺のひとつで、貞和3年(1347)の創建。それいぜんは少林寺という名前のお寺だったそうです。戦国時代の天文・永禄年間に、兵火によって経蔵、開山堂を除いて焼失したそうです。

 

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 こちらがそのもう一つ焼け残った開山堂。

 

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 開山堂のなかには「開山瑞巌和尚像」があります(お顔は見えません)。須弥壇と、像の内部にあった写経三巻とともに、国の重要文化財に指定されております。

 

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 こちらは薬師堂です。

 

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 内部に祀られた薬師如来は、脇侍の日光・月光菩薩とともに、行基の作と伝えられているそうです。

2016/09/23

【仏像】晩年の円空仏三躯・清峯寺(高山市国府町)

Img_2630_2  8月下旬、岐阜県は高山市の清峯寺(清峰寺、せいほうじ)に、円空仏を観に行ってきました。ここには素晴らしい3躯の円空仏が安置されております。

 

 このお寺は現在無住なので、あらかじめ予約をしておくと、管理をしているおじがんが来て案内してくれます。公式サイトはなさそうなので、飛騨高山こくふ観光協会の案内ページにリンクしておきます(こちら)。地図や連絡先はこちらを御覧下さい。

 

 とても細かく彫り込まれており、保存もいいです。素晴らしい仏様です。
 パンフレットによると元禄3年(1690)、円空58歳の頃の作。円空は、元禄5年の岐阜県関市の高賀神社の数体の仏像を最後に作物を止め、元禄8年(1695)にこの世を去ったので、円空最晩年の作と言えるでしょう。

 

 いまでこそ超有名な円空仏ですが、何十年か前まではほとんど評価されておりませんでした。これらの像も、本堂の須弥壇の下に、ガラクタと一緒に放り込まれていたそうです。

 

 

Img_2635_2  十一面千手観音です。桧材の一刀彫で、千手の部分は別材で作ったものが取り付けられているそうです。…からの恵みを受け取るかのように、手のひらを上に向けた腕が多いですね。荒々しさがなく、優雅で柔らかな指先です。お顔も柔和ですね。
 円空は生涯で12万体以上の仏像を彫り、5300体以上が現存しておりますが、千手観音は3躯しかありません。残る二つは栃木県鹿沼市の広済寺、埼玉県八潮市の大経寺だそうです。

 

Img_2636  足元に僧形の像が彫られていますが、なんだかよくわからないそうです。

 

 

Img_2632  向かって左の聖観世音菩薩です。すらりと背が高く、背筋を伸ばして、ちょっと顎を引いております。

 

Img_2637  少し左を向いた顔は、笑っているようにも見えますが、怒りの表情だそうです。なぜ菩薩様が怒りの表情なのか、ぽん太にはよくわかりません。

 

 

Img_2633  向かって右の竜頭観世音菩薩です。頭の上に龍が舞い降りたような造形になっております。

 

Img_2640 写真には移ってませんが、竜の向かって左側は、鉈で木を割ったそのままになっております。一方向かって右は深く彫り込まれており、荒々しく力強い造形です。対称的に、菩薩様のお顔は穏やかに微笑んでおります。

 

Img_2642 とても立体的な造形ですが、横から見ると実は薄っぺらいことがわかります。

 

 

 

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 こちらが本堂です。奥にある白いお堂に、円空仏が厳重なセキュリティーに守られて、安置されております。

 

Img_2625  こちらが本堂に安置された御本尊、十一面千手観音です。鎌倉時代の乾漆像だそうですが、江戸時代に千手観音に作り替えられたとも考えられているそうです。ふっくらした良いお顔です。小さなお寺で本堂と庫裏が一棟のため、煙ですすけて黒くなっております。
 この像を見て、円空も十一面千手観音を彫ったいう説もあるそうです。
 この仏様の台座の下に、円空仏が放り込まれてあったわけです。その昔は本堂に祀られており、御本尊と同じように煙で燻されていたため、虫がつかず保存状態が良かったとも言われております。

 

 

Img_2654 小さくて好ましい観音堂は1863年建築。

 

Img_2649 中にはとっても庶民的な薬師如来がいらっしゃいます。

 

 

Img_2645 隣りには白山神社があります。

 

Photo  清峯寺の始まりは、奈良時代、背後にある安房山の山頂に、白山信仰を広めたことで有名な泰澄(たいちょう)が作った白山神の堂宇だそうです。のちに清峯寺となり、鎌倉・室町時代には大いに栄え、多くの末院が立ち並びました。しかし応永18年(1411)、地元の国司・姉小路尹綱(ただつな)と室町幕府の戦が勃発。七堂伽藍は室町幕府によって焼き払われました。
 その後、安峰山の中腹の寺山谷に寺が再興されました。円空上人が訪れたのは、お寺がここにあった頃です。
 そして安政元年(1854)、清峯寺は現在の地に移りました。
 現在は曹洞宗のお寺で、住職もおりません。地元の人たちは、自分たちは浄土真宗で別のお寺の檀家ですが、地元ということで清峯寺と円空仏を守っているそうです。

 

 

 

清峯寺
 岐阜県高山市国府町鶴巣1320-2

 

円空作
竜頭観世音菩薩 桧材 像高1.7m 江戸時代 17世紀 県指定
十一面千手観世音菩薩 桧材 像高1.27m 江戸時代 17世紀 県指定
聖観世音菩薩 桧材 像高1.6m 江戸時代 17世紀 県指定

 

十一面千手観世音菩薩坐像 乾漆 鎌倉時代
薬師如来坐像

2016/09/22

【温泉】貸切露天とヘルシーなお食事/白骨温泉・山水観湯川荘(★★★★)

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 8月下旬でございます。ぽん太とにゃん子は白骨温泉にある山水観 湯川荘に泊まってきました。公式サイトはこちらです。

 いまや超有名な秘湯となった白骨温泉。ぽん太も何回か泊まったことがありますが……。でも、ちょっとお高くて……。
 そういうあなたに朗報!山水観湯川荘は、お手頃なお値段で白骨温泉の名湯を、しかも貸切風呂で満喫できます。「温泉鍋」をメインとしたお料理も、品数を三種類から選べるので、中高年のぽん太でも残さずいただけます。全10室のこじんまりとした雰囲気ある御宿。ぽん太の評価は堂々の4点です。

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 「つり橋の宿」というのが、この宿のキャッチフレーズ。あれ?橋の手前に駐車場がないぞ?どうやら車でつり橋を渡るようです。

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 建物はコンクリート製ではありますが、こじんまりとして落ち着いた雰囲気。内部もとてもきれいです。

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 客室は落ち着いた和室です。布団は最初から敷いてあります。


Img_2585 さて、温泉ですが、三つの露天風呂、一つの内湯を、すべて貸切で利用できるのが嬉しいです。しかもすべて予約の必要なし。こじんまりした宿だからこそですね。その他に、男女別の内湯もあります。もちろんいずれも源泉掛け流しです。
 写真は貸切露天風呂「ほお」。木立に囲まれた丸い浴槽に、白骨の真っ白なお湯が満たされています。軽い硫黄臭がありますが、舐めても酸っぱくなく、シュワシュワと炭酸感があります。酸っからいだけの硫黄泉とは異なる、複雑精妙な、白骨の湯です。

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 温泉分析書です(クリックで拡大します)。
 泉温は49.3度。湧出量はなんと毎分35.7リットルで、しかも自然湧出!この宿の自家源泉だそうです。白骨の旅館は多くが自家源泉を持っているそうで、そのため旅館によって微妙に泉質が違うそうです。なかには通なお客さんがいて、あちこちのお湯に入り比べて、気に入ったお湯を見つけて定宿とするそうです。
 pHは6.5と弱酸性。成分をみると、様々なイオンが含まれています。なかでも炭酸水素イオンの885.3mg/kgが目につきます。遊離二酸化炭素も368.6mg/kgで、このあたりが舐めたときのシュワシュワ感の理由ですね。これも新鮮な源泉掛け流しのお湯じゃないと、飛んでしまいます。
 泉質は「含硫黄ーカルシウム・マグネシウム・ナトリウムー炭酸水素塩温泉」です。

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 内湯の浴槽です。微妙なカーブを描いてますが、元は普通の木の浴槽。温泉成分の結晶で、元の形がわからないくらいです。白骨温泉の名前の由来は「白船」から来ているという説がありますが、それがうなづけます。

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 もひとつぐらい温泉の写真を。こちらは貸切露天風呂「山ぶんどう」です。


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 夕食はお食処でいただきます。パーティションで区切られた椅子席でした。
 品数を三種類から選べますが、中くらいの「滋養六菜」を選択。年齢とともに小食となったぽん太とにゃん子には、ちょうど良い分量でした。
 この写真以外に、信州鱒のお造り、そばまんじゅう、イワナの塩焼き、ご飯・味噌汁とデザートがつきます。

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 お品書きです。
 温泉鍋は、温泉に牛乳と味噌を入れたものだそうで、ちょっと酒粕っぽい感じがしたのは味噌のためでしょうか?美味しゅうございました。お蕎麦の寄せものや、アカシアの酢の物が珍しかったです。
 イワナの塩焼きがガス火で水分が多いのは、いつもながら残念。何度も書いてますが、どなたか炭火のようにからりと焼ける業務用イワナ焼き機を発明してください。


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 卓球台がありました!おりしもリオ五輪で日本の卓球選手団が大活躍。腹ごなしの意味も含め、温泉卓球で汗をかきました。


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 朝食もヘルシー。お豆腐は、豆乳とにがりがはいった容器の下側に水をそそぐと、使い捨てカイロみたいなのと反応して熱が出る仕組みで、ぽん太は初めて見ました。

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 温泉粥と、赤だしのお味噌汁も美味しかったです。

2016/09/21

【旅行】日本のマチュピチュ下栗の里、残された秘境・和田宿

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 で、8月上旬の旅行の話しも戻りますが、長野県は下伊那郡大鹿村の鹿塩温泉に泊まったぽん太とにゃん子。ここから古くは秋葉街道と呼ばれた国道152号線をどんどん南下して、浜松に抜ける道って走ったことがないな……と思ったのが運の尽き。細〜い山道の連続で、ものすご〜〜く時間がかかりました。でも、秘境そのものの南アルプスの原風景を楽しめますよ。でもまあ、一生で一回走ればいいかな。


 で、この道を走った理由のひとつが「下栗の里」を見学するため。標高1000メートル、傾斜30度の細い尾根にへばりつくようにある集落で、蛇のようなジクザグの道が走っており、「日本のマチュピチュ」とか「日本のチロル」とか言われてます。下のサカイ引越センターのCMで使われたことでも有名ですね。

 ただ、アプローチがとっても大変です。集落のなかの道もすれ違えないくらい細いので、他の観光客や、地元の人の車とのすれ違いが難儀します。一方通行にしてもらえるとスムーズなのでしょうが、そこまでするほど人が来るわけではないんでしょうね。
 下栗の里の公式サイトはこちらです。

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 う〜ん、なかなかこの傾斜感を写真で撮ることができません。想像力を働かせて下さい。

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 上を見上げるとこんな感じです。

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 下はこんな感じです。

 そば処はんば亭というお土産屋兼食堂があり、その前に駐車場があります。
 冒頭の写真の風景が見られる展望台は、この駐車場から片道徒歩20分かかります。

 下栗イモというのが名物だそうで、田楽を食べようかと思ったのですが、団体さんが入っていて売り切れでした。ざ、残念。なんでも、アンデスから伝わってきた原種に近いんだそうです。
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 近くの売店にいた看板ネコ君。このお店で下栗イモを買って帰って、家で頂きましたが、甘くてホクホクして美味しかったです。


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 ここから国道152号線をちょっと南下すると、和田という町に出ます。ここは秋葉街道の宿場だった町です。写真のような古い街並が残っております。

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 2000年、奇跡的に42.5度のナトリウム・カルシウム塩化物泉が掘削され、日帰り温泉「かぐらの湯」で加水なしの源泉掛け流しの食塩泉を楽しむことができます。ぽん太とにゃん子が行った日は、残念ながら定休日でした。

 和田のある日本の秘境・遠山郷の公式サイトはこちらです。

2016/09/20

【文楽】「一谷嫩軍記」の前半はおもしろいなァ 2016年9月国立劇場第一部

 九月の国立劇場文楽は、「一谷嫩軍記」の通し。あまり見たことのない段が多い第一部を観劇。公式サイトはこちら、特設サイトはこちらです。

 小劇場、トイレの大の扉がきれいになってました。まだまだこの建物を使うつもりか……。でもトイレの混雑はあいかわらず。別棟でもいいですから、でっかいきれいなトイレを作ってほしいです。

 「一谷嫩軍記」というと、歌舞伎では「熊谷陣屋」が嫌というほど繰り返し演じられてますが、そのほかの段はほとんど上演されません。以前に一回だけ「陣門・組討」を團十郎の熊谷直実、藤十郎の敦盛で見てとても感動したことは、ブログに書きました。

 最初は「堀川御所の段」。なんか義経が平家の人と仲良くしていて、三種の神器のうち神璽と神鏡を受け取っていて、状況が把握できず。三種の神器は、平家が壇ノ浦で滅亡する時に三つとも持ってたような……。あわてて幕間にパンフレットを購入して読むと、義経は、三種の神器を取り戻すために、平時忠の娘と結婚したんだそうな。そんな史実ってあるのかな?今回はみちくさは省略。

 「敦盛出陣の段」では、敦盛が父・経盛から、実は後白河法皇のご落胤なので、滅亡必至の平家に同行せず都に行くように勧められるが、育ての親の経盛の恩を尊び、平家と運命を共にすることを決断する下りが心に残りました。玉織姫が、他の女房ともども、武器を片手に敵を追い払うあたり、武家の女性の手強さに驚きました。

 でもこの玉織姫ちゃんは、夫・敦盛を追って須磨浦をさまよううち、横恋慕する平山によってやすやすと胸を刺されてしまいます。さっきの力強さはどうしたの?
 そして「組討の段」では、敦盛を討ち取ったという熊谷の勝ち名乗りを聞いて、玉織姫の意識が戻り、瀕死の身体を引きずるようにして現れ、最後の名残に敦盛の首を抱かせて欲しいと訴えます。玉織姫が既に目が見えないことを知った熊谷は、首を玉織姫に渡します。

 熊谷が「陣門の段」で敦盛と小次郎を入れ替えたとことは、それを知っていればわかりますが、まったく初めて見る人だとわかりにくいです。文楽で初演された時点で、観客が何度も見ること、あるいは観客があらすじを伝え聞いていることを前提としていたのでしょうか?
 ということで熊谷は、敦盛の身代わりとなった我が子小次郎の首を刎ねるのですが、ぽん太が歌舞伎で感動した、首を刎ねたあと熊谷が悲しみをこらえながら長々と後片付けをする演技は、文楽にはありませんでした。歌舞伎のオリジナルなんでしょうね。

 歌舞伎で興味深かった遠見を使った演出は、文楽でもありました。しかも、遠見の熊谷と敦盛が馬上で素手で組み合い、馬から地面にどうと落ちたところで、瞬時に普通の人形に戻るところは、面白い演出でした。

 平忠度と「千載集」にまつわるストーリーは、歌舞伎では見たことなし。やはり知らない話しだと、このあとどうなるのかな、と舞台に引き込まれます。「堀川御所」「敦盛出陣」「林住家」を東京で上演するのは41年ぶりとのこと。歌舞伎でも名場面の繰り返しではなく、通しでレアな段を上演して欲しいと思いました。


国立劇場 小劇場
9月文楽公演
2016年9月11日

●第一部
通し狂言 一谷嫩軍記

初段 堀川御所の段

  豊竹亘太夫
  竹本小住太夫
  豊竹咲寿太夫

  鶴澤清允
  鶴澤燕二郎
  野澤錦吾
  鶴澤清公

敦盛出陣の段

口 豊竹希太夫
  鶴澤寛太郎

中 豊竹始太夫
  竹澤團吾

奥 竹本文字久太夫
  鶴澤清介

二段目 陣門の段
  小次郎 豊竹松香太夫
  平山  竹本津國太夫
  熊谷  竹本文字栄太夫
  軍兵  豊竹亘太夫

      鶴澤清友

須磨浦の段
  豊竹芳穂太夫
  鶴澤清馗

組討の段
  豊竹咲甫太夫
  野澤錦糸

林住家の段

口  竹本小住太夫
   鶴澤清公

中  豊竹睦太夫
   鶴澤清志郎

奥  竹本千歳太夫
   竹澤宗助


【人形役割】
源義経   吉田幸助
平時忠   桐竹亀次
菊の前(堀川御所)  吉田簑紫郎
岡部六弥太忠澄  吉田玉志
熊谷次郎直実  桐竹勘十郎
玉織姫  吉田一輔
平経盛  桐竹勘壽
藤の局  吉田勘彌
無冠太夫敦盛  吉田和生
熊谷小次郎直家  吉田和生
平山武者所  吉田玉佳
乳母林  吉田和生
薩摩守忠度  吉田玉男
菊の前(林住家)  吉田簑助
梶原平次景高  吉田玉輝

2016/09/19

【歌舞伎】吉右衛門と玉三郎の格調ある「吉野川」 2016年9月歌舞伎座昼の部

 九月の歌舞伎座は、重厚な時代物「吉野川」と、楽しい「らくだ」が並んだ夜の部を観劇しました。公式サイトはこちらです。

 まずは「吉野川」。「妹背山婦女庭訓」の一部ですが、ぽん太にとって「妹背山婦女庭訓」と言えば、お三輪ちゃんがいじめにあって馬子唄を歌わされるという話し。なんだか「吉野川」とつながりません。
 そこで文化デジタルライブラリーであらすじを見ると、「吉野川」は三段目でお三輪ちゃんは四段目ですね。四段目は、お三輪ちゃんが犠牲になって蘇我入鹿をやっつける話しですが、「吉野川」は、入鹿の無理難題で二人の若者が命を落とすということで、入鹿の残虐さを現したサイドストーリーのようです。

 「吉野川」は以前に一度だけ見たことがあります。確か幸四郎が大判事、藤十郎が定高で、久我之助は梅玉でした。ぐぐってみると平成19年6月でした。雛鳥は魁春だったようですね。
 藤十郎と幸四郎ということで、ぐずぐず泣いて、客席もあちこちからすすり泣きが聞こえるという、「泣かせる」芝居だったような記憶があります。それから、幸四郎が文机で無量品を読んでいるすぐ横で、梅玉が短刀を取り出して腹を切り、それを見て幸四郎がびっくりしてましたが、をひをひもっと早く気付けよ〜と思いました。

 今回は大判事が吉右衛門、定高が玉三郎という配役で、情に訴えるのではなく、時代物としての格調を感じさせる大舞台でした。また、文机の下りはなく、久我之助が一人腹を切ったところに、大判事が駆けつけるという演出でした。前回のとは型が違うのかしら。ぽん太にはよくわかりません。

 ところでこの演目、セリフが難しくてよくわかりません。「字幕ガイド」を借りたり、脚本を購入する方法もありますが、少々お金がかかります。文楽の床本でよければネットから印刷することができて、「ようこそ文楽へ」というサイトのこちらのページにあります。ほかにも色々な演目の床本がアップされているので便利です。歌舞伎のセリフと義太夫は、床本とおおよそ同じでした。セリフの内容がわかると、面白みが全然違います。ただ、客席で印刷したものを見ながら観劇する場合、紙をめくる動作が周りのお客さんの迷惑にならないように気を使いましょう。
 
 菊之助の雛鳥、染五郎の久我之助も、若々しくて美しくてよかったです。
 義太夫も、力強い葵太夫と、もう一人の人(名前わかりません。松竹さん、ホームページに義太夫さんや音楽方の名前を乗せて下さい。お願いします)の歌うような声の出し方の対比が面白かったです。

 ところで妹背山ってどこにあるの?調べてみると、奈良県は吉野川町上市のやや東で、吉野川を挟んで妹山 (260m) と背山 (272m) が向かい合ってます。下のストリートビューを御覧下さい。左が妹山、右が背山で、吉野川は奥から手前に流れております。歌舞伎の舞台と同じですね。

 この舞台において吉野川は、雛鳥と久我之助を隔てる障壁であり、また雛鳥の首と嫁入り道具を送り届ける役もします。そして雛鳥と久我之助の水盃の三三九度の水となります。人間の無常なドラマが繰り広げられるなか、とうとうと流れ続ける吉野川こそが、この演目の本当の主人公のように感じました。


 重厚な芝居から一転して「らくだ」。これは、勘三郎と亀蔵の名舞台の記憶が頭に焼き付いており、それにどこまでせまれるか、という思いを持ちながら見ました。
 う〜〜ん、結論から言うとまだまだ。松緑があいかわらず一本調子。見ていて、ここでも笑えるのに、あ、ここでも笑えるはずなのに、と何度も思いました。染五郎も、くず屋さんの情けなさがあんまり出てませんでしたが、酔っぱらってきて強気になるあたり、「酒で気が大きくなってる」という感じじゃなく、まんま染五郎の迫力が出てて、今回の舞台で一番面白かったです。らくだの亀寿、まあまあ上手でしたが、プラスアルファの面白さがありません。まあ亀蔵は、のそ〜と背が高いあたりがいかにも「らくだ」といった感じで、体型ですでに得してましたけど。


 最後の「元禄花見踊り」は、玉三郎姐さんが、美形若手をおおぜい引き連れて、お姫様状態で踊りました。とてもきれいで華やかでした。
 この踊りの詞章はネットのあちこちに見つかります(例えばこちら)。
 あんまり見たことない踊りですが、「〽連れて着連れて 行く袖も……」からの音楽はとっても有名ですね。歌舞伎を見たことないひとでも誰でも知ってると思います。例えば下の動画の49秒あたりから。

 


歌舞伎座
秀山祭り九月大歌舞伎
平成28年9月4日

夜の部

  妹背山婦女庭訓
一、吉野川(よしのがわ)

    大判事清澄   吉右衛門
    久我之助    染五郎
    腰元桔梗    梅枝
    腰元小菊    萬太郎
    雛鳥      菊之助
    太宰後室定高 玉三郎
     
 
  岡 鬼太郎 作
  眠駱駝物語
二、らくだ

    紙屑買久六   染五郎
    手斧目半次   松緑
    駱駝の馬吉   亀寿
    半次妹おやす  米吉
    家主佐兵衛   歌六
    家主女房おいく 東蔵

三、元禄花見踊(げんろくはなみおどり)

    元禄の女 玉三郎
    元禄の男 亀三郎
    元禄の男 亀寿
    元禄の男 歌昇
    元禄の男 萬太郎
    元禄の男 隼人
    元禄の男 吉之助改め吉之丞
    元禄の女 梅枝
    元禄の女 種之助
    元禄の女 米吉
    元禄の女 児太郎

2016/09/16

【温泉】山奥に湧く塩っぱい源泉・鹿塩温泉山塩館(長野県大鹿村)(★★★★)

Img_2531 8月上旬、ぽん太とにゃん子は、鹿塩温泉・山塩館に泊まってきました。この旅館のある長野県下伊那郡大鹿村は、原田芳雄の遺作となった映画「大鹿村騒動記」の舞台となったところですね。
 ぽん太はこの旅館に泊まるのは実は3回目なのですが、ブログに書くのは今回が初めてです。日本秘湯を守る会の会員宿、公式サイトはこちらです。

 南アルプス西麓の山あいにある鹿塩温泉山塩館。その名のとおり塩っぱい温泉が特徴です。食塩泉というと、海水のようにベトベトしそうですが、海水とちがってにがり成分が少ないので、入浴後のお肌はさらさらしてます。泉温が低いので加熱しており、露天風呂がないのがちと残念。山の食材を使ったお料理も美味しいです。建物は古くはありませんが、落ち着く和風建築。全15室のこじんまりした落ち着く宿です。なんといっても不思議な食塩泉が魅力で、ぽん太の評価は4点です。

Img_2527 中央道松川インターから車で小一時間。南アルプスと伊那山脈に挟まれる谷間にある大鹿村に、山塩館があります。建物は落ち着く和風旅館です。
Img_2559 落ちて広々としたロビーです。
Img_2558 宿のあちこちに細かな気配りが。
Img_2530 お部屋はきれいで落ち着く和室です。

Img_2553 この宿の売りは何といっても、山奥に湧き出る不思議な食塩泉。開放感のある二つの内湯があり、男女入れ替わりで楽しめます。写真は大鹿村の天然石を使った「石風呂」です。
 お湯は無色透明ですが、源泉の浴槽ではやや濁って見えます。塩っぱいですが、少し甘みも感じます。微かに硫化水素臭があります。海水と違ってにがり成分が少ないので、入浴後にべとべとしか感じはありません。
Img_2555 隅っこに源泉の浴槽があります。かなり冷たいですが、数秒なら入ることができます。強者は挑戦しましょう。
Img_2532 こちらは「ヒノキ風呂」。木の浴槽にぬくもりが感じられます。向かって右の方は寝湯になってます。温度がやや低めに設定されているので、ゆったりとお湯につかることができます。
Img_2539 鹿の湯1号の温泉分析書です(クリックで拡大します)。泉温は12.8度と低く、pHは7.9で弱アルカリ性。Na+: 7932mg/kg, Cl-: 14050mg/kgは、確かにぽん太がこれまで入った中では、有馬温泉を除くと最高レベルで、同じく塩っぱくて有名な大塩裏磐梯温泉を超えてます。359.3mg/kgのカルシウムイオンが甘みの原因か?にがりの一方の成分マグネシウムイオンは、確かに67.1mg/kgと少ないです。泉質は、含硫黄ーナトリウムー塩化物強塩冷鉱泉です。
 ちなみに海水では、Na+: 10780mg/kg、Cl-: 19350mg/kgと、鹿塩温泉をともに上回っており、Mg++: 1280mg/kgも非常に多いです。
 なんで山中で食塩泉がわくのか不思議ですが、太古に閉じ込められた海水が湧き出しているなど諸説あるようですが、よくわかってないそうです。
Img_2540 こちらは鹿の湯3号の温泉分析書(クリックで拡大します)。1号とだいたい同じですね。それぞれが浴槽にどう注がれているのか、ちょっと分からなくなってしまいました。

Img_2542 夕食はこちら。鹿肉のカルパッチョはやわらかくて臭みがありません。天ぷらの具材には、トマトが入ってました。初めて食べる気がするけど、コロンブスの卵というか、美味しかったです。これにイワナとお蕎麦とお食事がつきます。

Img_2551 こちらが朝食です。トウガンが涼しげ。豆腐には温泉から作った塩をかけて頂きます。宿のご主人が、昔ながらの方法で源泉を薪で炊いて、山塩を作っているんだそうです。雑味がなくてとっても繊細な味のするお塩で、ご飯にかけて食べても美味しかったです。

Img_2561 宿の窓から見えるところに、何やらトンネルと看板が。帰りに寄ってみました。
Img_2560 案内板です(クリックで拡大します)。黒部銑次郎という阿波徳島藩士が明治初期に、日本には存在しない岩塩を求めて掘削をしたものの、ついに夢はかなわなかったそうです。
Img_2564 少しだけ内部を見学することができます。

2016/09/15

【仏像】流れるような衣紋・阿弥陀如来座像(重文)無量寺(長野県箕輪町)

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 8月上旬、長野県は箕輪町にある西光山無量寺に、国重文の阿弥陀如来を拝観しに行ってきました。公式サイトはこちらです。
Img_2524 無量寺は、中央道伊北インターの近く、天竜川を望む高台にあります。
 元仁元年(1224年)に創建された高野山真言宗のお寺ですが、平安時代後期の阿弥陀如来があることから、それ以前に遡るのではないかとも言われているそうです。
Img_2520 こちらの収蔵庫に、阿弥陀如来さまと観音・地蔵菩薩が安置されております。冒頭の写真がそれです。
Img_2471 国重文の木造阿弥陀如来坐像です。右手を上げ左手を下げる来迎印を結んでおります。胴体が細めで、お腹はふっくらしてますが、胸のあたりは華奢な印象。
Img_2458 お顔はちょっと可愛らしく、暖かい眼差し。唇がちょっと曲がってます。
Img_2463 流麗な衣紋の流れが素晴らしいです。今ほどうるさくなかった昔は、子どもが仏様の膝の上に座ったりしていたそうです。
Img_2462 像の胎内には、当時の寄進者と思われる藤原忠成ら34名の名前と、作者である仏師・覚有、永範の名が墨書されているそうです。

 

Img_2469 さて、阿弥陀如来の両脇侍が観音菩薩と地蔵菩薩であるところが、ちょっと変わったところ。あとから勝手に並べたのではなく、最初から三つセットで作られたと考えられているそうです。この組み合わせがほかにどのくらいあるのか、ぽん太にはちとわかりません。
 写真は左脇侍(向かって右)の観音菩薩。平安後期の作。長野県宝に指定されてます。
Img_2466 残念ながら保存はあまりよくなく、黒ずんでしまってます。
Img_2470 右脇侍の地蔵菩薩です。
Img_2474 こちらも表情はよくわかりません。

 

Img_2521 こちらは阿弥陀堂。以前はこちらに重文の阿弥陀様が祀られてました。
Img_2495 内部は、中央に不動明王、向かって右にもうひとつ不動明王、向かって左に毘沙門天が置かれ、護摩堂として使われています。
Img_2491 こちらが中央の不動明王です。腰の位置が高く、両目をぎょろりと見開いて、なかなか迫力ある姿です。
Img_2493 左脇侍の不動明王です。
Img_2490 右脇寺の毘沙門天です。

 

Img_2481 お寺にいついていたネコ。飼い猫ではないそうです。

 

Img_2514 こちらが本堂です。
Img_2506 本堂にあるのは御本尊の薬師如来坐像です。室町時代の作だそうです。
Img_2503 なかなかの美男子です。施無畏印を結んだ右手が、指が細く、とっても繊細で表情豊かですね。
Img_2512 欄間には十六羅漢が描かれております。

 

 

 

 

西光山無量寺
  長野県上伊那郡箕輪町

 

木造阿弥陀如来坐像 ヒノキ材 寄木造 漆箔 彫眼 像高113.3cm 僧覚有・永範作 平安時代後期 国指定重要文化財

 

木造観音菩薩立像 一木造 像高135cm 平安時代後期 県宝
木造地蔵菩薩立像 寄木造 像高129.5cm 平安時代後期 県宝
薬師如来坐像 室町時代

 

不動明王、不動明王、毘沙門天

2016/09/14

【仏像】柿本人麿像など円空仏を無料で見られる・飛騨高山まちの博物館

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 飛騨高山の古い街並のなかにある、飛騨高山まちの博物館には、円空仏が二十点くらい(だったかな?)展示されております。しかも入館無料。これは行くっきゃない。公式サイトはなさそう。高山市の案内ページはこちらです。

 

 一番印象に残ったのが、仏像ではありませんが、東山神明神社蔵の「柿本人麿像」。写真は、例えばこちらのページの上から3番目の写真が、クリックすると拡大して見やすいです。座像ですが、身体をちょっと左後ろに倒し、左手を後ろの床につき、右手は上着の下にいれているのでしょうか。くつろいだ感じの姿勢です。目鼻は顔の下半分により、人のよさそうな、満面の笑みを浮かべています。
 造形的にも、右の袖から袴(?)へと続く固まりが、螺旋状の動きを生み出しております。なかなかの名品です。

 

 それから、東山白山神社蔵の「思惟菩薩像」も、右足と右手の造形が面白いです。写真は例えばこちらのページの上から2枚目。

 

 

 

飛騨高山まちの博物館
  岐阜県高山市上一之町

 

 

柿本人麿像 像高50.2cm 江戸時代(17世紀) 円空作 市指定 東山神明神社蔵
思惟菩薩像 像高75cm 江戸時代(17世紀) 円空作 市指定 東山白山神社蔵

 

愛染明王像(市指定 霊泉寺蔵)、龍神像(飯山寺蔵)、金剛神像(県指定 飯山寺蔵)、稲荷三神像(市指定 錦山神社蔵)、稲荷三尊像(市指定 錦山神社蔵)

2016/09/13

【仏像】国重文の薬師如来坐像・聖観世音菩薩立像。もちろん円空もあるよ/飛騨国分寺(岐阜県高山市)

Img_2436 高山駅近くの町中にある飛騨国分寺。樹齢1200年のイチョウの大木が目印です。太さは目通り10m(周囲の長さですね)。古来「乳イチョウ」と呼びなわされ、国の天然記念物です。公式サイトはこちらです。

 こちらのお寺には、国重文の薬師如来と聖観音菩薩さまがおられます。もちろん高山ということで、円空作の弁財天もあり。

 写真撮影は禁止ですが、公式サイトのこちらのページで、主な仏像の写真を見ることができます。

 まずは国重文の木造薬師如来坐像。このお寺のご本尊様ですね。像高は145.7cmですが、平べったいお顔で、胸から肩にかけてもボリュームがあり、堂々たる存在感があります。衣紋の彫りは浅いです。藤原時代の作とのこと。伏し目がちの表情からは、威厳が感じられます。

 次いで木造聖観音菩薩立像。これも国重文です。これも藤原時代の作だとのこと。左手をおへそのあたりにあてて、身体の真正面に蓮華をお持ちです。右手は親指の中指で輪を作ってます。衣服の襞がとても装飾的で美しいです。なによりもお顔がとても写実的で、現代的な顔立ちなのが目を引きます。

 円空作の弁財天は、像高1m。ぷっくりし唇で、やさしい笑みを浮かべております。胸の前に宝珠を持っているのでしょうか?帽子(髪型?)といい、肌を出さずに両袖を胸の前で合わせる仕草といい、ちょっと民族的な感じがします。

 県指定の阿弥陀如来座像は、同じ藤原時代でも、本尊薬師如来や聖観音菩薩よりも古いと考えられているそうです。確かに、目がつり上がってちょっと朝鮮系の顔立ちで、アルカイックな雰囲気があります。恵心僧都の作と伝えられているそうです。

 江戸時代の如意輪観音像は、ちょっと面長。円形の板に付けられた小さな薬師三尊像は、その形から「鍋ぶた三尊」と呼ばれて来たらしいです。また、江戸時代の十二神将や、本尊が秘仏だった頃に前立として作られた薬師三尊もありました。

Img_2432 本堂も国重文。室町時代の建築です。

Img_2435 三重塔は県指定文化財。文政4年(1821)に再建されたものだそうです。

 

飛騨国分寺
  高山市総和町

木造薬師如来坐像 一木彫 像高145.7cm 平安時代 国指定重要文化財
木造聖観音菩薩立像 像高204cm 藤原前期 国指定重要文化財
弁財天 円空作 1m

 

木造阿弥陀如来座像 鎌倉時代 県指定
如意輪観音 鎌倉時代
鍋ぶた三尊
十二神将
前立薬師三尊

2016/09/12

【仏像】両面宿儺を初めとする64体の円空仏/飛騨千光寺(岐阜県高山市)

 ぽん太とにゃん子は、7月下旬に飛騨高山の千光寺に行ってきました。
 高山はちょっと行き飽きてたのですが、今年になって仏像巡りをするようになって、高山に円空仏がいっぱいあることを知りました。また高山に行く理由ができてよかったです。奥飛騨温泉郷に泊まったあとは、高山ぐらいしか行くところがないんだよネ。公式サイトはこちらです。
Img_2400 千光寺には立派な「円空仏寺宝館」があり、64躯の円空仏や、その他の寺宝が展示されております。円空は、当時の千光寺の住職と意気投合し、何度もこの寺に滞在し、多くの仏像を刻んだそうです。

 

 残念ながら館内は撮影禁止。千光寺の円空仏の画像を集めたサイトもなさそうです。YouTubeに「飛騨千光寺・円空仏寺宝館」という動画が01から05まであり(01はこちらhttps://www.youtube.com/watch?v=XgtxbayvGqo)、かなり充実しておりますのでご参照下さい。

 

 この寺宝館の円空仏のなかで、最初に挙げるべきは「両面宿儺」(りょうめんすくな)でしょうか。写真はこちらのサイトに大きいのがあります。
 Wikipediaによると、両面宿儺とは、『日本書紀』に記載された仁徳天皇の時代の飛騨の異形の人・鬼神です。前後に二つの顔を持ち、首がなく、手と足は4本ずつありました。皇命に従わずに悪さをしていたため、仁徳天皇によって滅ぼされたそうです。
 一方、飛騨地方では、龍や悪鬼を退治したり寺院の縁起に関わるなどの伝説があり、「スクナさま」という地域の英雄として親しまれてきたようです。ちなみにこの千光寺を開山したのも、両面宿儺だと言われております。
 円空の像を見てみると、後ろ側の顔が横に配置され、手足が多いことは表現されておりません。円空独特の荒々しいノミさばきによる力強い像で、不適な笑いを浮かべた顔や、うずまく火炎など、太古のエネルギーを感じさせます。
 一度この像をみると、飛騨高山のあちこちで図案化されているのがわかります。これまでは全く気がつきませんでしたが。

 

 続いて「立木仁王像」。写真は、ちょっと小さいですが、こちらのサイトの真ん中あたりにあります。
 千光寺の仁王門近くの立木に直接刻まれたもので、150年前までは立木のままだったそうです。この像のものかどうかはわかりませんが、円空が立木にハシゴをかけてノミをふるう様子を描いた絵も展示されておりました。阿形は朽ち果てかけており、吽形は膝を組んでいるように見え、普通の仁王像の姿からはずいぶん外れておりますが、すごい迫力があります。裏側は仕上げられておらず、自然木のままに残されております。立木にこの像が刻まれて行く過程は、さぞかし感動的なパフォーマンスだったことでしょう。

 

 賓頭盧像は、満月のような笑みをたたえており、「なでぼとけと」してなで続けられた結果、すべすべのてかてかになってます。

 

 ぽん太は、円空仏は何度もあちこちで見ている気がしますが、考えてみると円空という人物そのものはほとんど知りません。そこで円空 - Wikipediaでお勉強。
 寛永9年(1632)に生まれ、 元禄8年(1695)に死去。江戸時代の前半を生きた人ですね。生涯に約12万体の仏像を彫ったといわれ、現在までに約5,300体以上の像が発見されているそうです。
 出生地は現在の岐阜県羽島市竹鼻町と言われておりますが、諸説あるようです。新幹線の岐阜羽島駅の近くですね。
 岐阜県下で初期の作仏をしたのち、生涯において各地を遍歴し、足跡は北は北海道から南は奈良・三重に及ぶそうです。
 う〜ん、これじゃ物足りないですね。もう少し円空を調べてみたくなりました。

 

Img_2410 千光寺の境内には、観音堂や宿儺堂など、いくつかのお堂が建ってます。写真は弁天堂。
Img_2411 お堂のなかには、円空っぽい仏像が祀られております。
Img_2412 周りに飾られた人形がいい雰囲気です。
Img_2418 こちらが本堂です。宗派は高野山真言宗。住職さんは臨床瞑想法などスピリチュアルケアを手がけているようですね。
Img_2429 参道の途中には「千光寺の五本スギ」。国の天然記念物です。

 

 

 

 

円空仏寺宝館  千光寺 (岐阜県高山市丹生川町)

 

立木仁王像 欅 県指定
賓頭盧像 県指定
両面宿儺 翌桧(あすなろ) 県指定
不動明王・金剛童子・善財童子 県指定
弁財天座像 県指定
御法神 杉 県指定
三十三観音像 県指定

 

狛犬/護法善神/烏天狗/烏帽子神/地蔵菩薩/弁財天/金剛童子/金剛力士/八大龍王/八大龍跋難陀王/八大難陀龍王/歓喜天

2016/09/11

【温泉】オープンキッチンで楽しむ料理とおしゃべり。新穂高温泉 野の花山荘(★★★★★)

Img_2367
 7月下旬、新穂高にある人気の宿、野の花山荘に泊まってきました。公式サイトはこちらです。日本秘湯を守る会の会員宿で、槍見舘の姉妹館でもあります。
 なんといってもオープンキッチンでいただくお食事が凄いです。目の前でシェフが一つひとつ調理したお料理が、次々と出てきます。そしてそれが全部、見た目もお味も素材も素晴らしいできばえ。しかもその間、支配人がカウンターのなかを行き来しながら、お客さんを様々な会話でもてなしてくれます。こんな宿は生まれて初めてです。
 もちろん料理だけでなく温泉も充実。樹林に囲まれた広々した露天風呂二カ所を、無料で貸切利用できるのは、湯量豊富な新穂高温泉だからこそ。
 これまでの温泉のイメージとは少し違った贅沢な時間をすごせる宿。それでいてお値段はリーズナブル。秘湯ファンのぽん太の評価は、鄙び度が減点1となりますが、それにありあまる加点が加わり、5点満点です。
 ただ、こういった働きかけてくるおもてなしは、自分のペースでのんびり過ごしたい人には押し付けがましく感じられて、ちょっと好き嫌いが別れるかもしれません。うんちくを聞くのが好きなぽん太はまったくオーケーです。

Img_2398 美しい樹林に覆われた広大な敷地のなかにある、山荘風の建物。今日はちょっと雲で隠れてますが、背後には錫杖岳の絶壁が聳え立ちます。
Img_2393 暖炉のある吹き抜けのロビーは、なかなかオシャレな空間。食後のデザートはこちらで頂きます。
Img_2347 客室は落ち着く和室です。ふとんはあらかじめ敷いてあります。
 従業員はみな中高年の男性で、ぽん太が行った時だけかもしれませんが女性スタッフはいません。ということで、応対がなんとなくざっくりとしており、男磁場というか、職人気質的です。
Img_2364 温泉は、内湯と、広々とした樹林に囲まれた大きな貸切露天風呂が二つあります。もちろんいずれも源泉掛け流しです。
Img_2360 こちらは手前側の露天風呂。浴槽が丸くて大きいです。
Img_2362 そして奥側の露天風呂。広さはやや小さいですが、その分(?)深くなっていて、場所によって立っている必要があります。
Img_2348 こちらが内湯です。広いガラス窓のおかげで開放感がありますね。
Img_2351 内湯にも立派な露天がついています。
Img_2353
 温泉分析表左ページです(クリックで拡大します)。自家源泉の湧出量がなんと毎分190リットル。ぜいたくにお湯を使えるわけです。泉温は81.8度、pHは6.9。無色透明・無味ですが、微かに硫黄臭があります。ちょっとスベスベ感があるかもしれません。
Img_2355_3 温泉分析表右ページです(クリックで拡大します)。泉質は単純温泉ですね。

Img_2365 さあて夕食です。呼ばれたのでレストランに入ろうとすると、ロビーで待つように言われ、順番になかに通されます。他のお客さんがいるので写真はありませんが、オープンキッチンでカウンター式になっており、出来立てのお料理が次々と出てくる趣向です。和洋とりまぜたお料理です。
Img_2381 こちらが本日のメニューです。
Img_2366 湯葉のチーズ焼きです。
Img_2370 川フグとアスパラの天ぷら、オランデーズ・ソースです。川フグというのは何かと思って聞いたら、ナマズの一種だそうです。
Img_2372 イワナも、炭火でじっくり焼いてあるので、ふっくらホクホクです。ガス火で焼くと、火から出る水分でべっちょりしちゃうんですよね。旅館で出されてがっかりすることがよくあります。とはいえ炭火は手間がかかるし。誰か、業務用電熱製イワナ焼き機を発明してくれないでしょうか。
Img_2376 メインは飛騨牛を目の前で炭火で網焼きしたステーキ。やらかくて美味しいです。
 こうした食事の合間に、支配人との会話のやり取りが楽しめます。お料理のうんちくから、支配人が化粧品会社を辞めて槍見舘で修行をして、この温泉を作るまでのお話など、飽きることがありません。夕食は支配人さんのオンステージという感じですね。
Img_2368 最後はかまど炊きのご飯が出てきます。

Img_2383 朝食もこれだけの品数です。
Img_2384 ふわとろのオムレツを作ってくれるのは、な、なんと昨晩のシェフ。普通は朝食は、従業員が作ってすませるところですが。これでまた夕食の仕込みから始まるわけですから、休むヒマがあるのでしょうか?

Img_2392 人懐っこい二匹の看板犬が、贅沢に中庭で放し飼い。ぽん太とにゃん子をもてなしてくれました。

2016/09/10

【登山】徳本小屋から中村新道を歩いて蝶ヶ岳へ(快晴御礼)

Img_2185 今年の海の日は、梅雨明け宣言はまだでしたが、好天に恵まれました。ぽん太とにゃん子は、これまで歩いたことのない、徳本峠小屋から蝶ヶ岳へとt続く中村新道を歩いてきました。

【山名】蝶ヶ岳(2677m)、大滝山(2616m)
【山域】槍・穂高・乗鞍
【日程】2016年7月18日〜7月20日(2泊3日)
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】快(7/18)快晴、(7/19)快晴、(7.20)晴れ
【ルート】(7/18)上高地バスターミナル11:27…明神…徳本峠小屋15:09(泊)
(7/19)徳本峠小屋6:00…(中村新道)…大滝槍見台9:28…大滝山…蝶ヶ岳15:03…蝶ヶ岳ヒュッテ15:20(泊)
(7/20)蝶ヶ岳ヒュッテ6:40…蝶槍7:40…蝶ヶ岳ヒュッテ…(長塀尾根)…徳沢…嘉門次小屋12:30…上高地バスターミナル

(※3D地図や当日の天気図などは「山行記録のページへ」をクリック)

Img_2053 久々に訪れた上高地。天気は雲ひとつない快晴。外国人で大賑わい。合羽橋からおなじみの風景を眺めます。
Img_2059 合羽橋を過ぎたところの橋からいつもの水面を撮る。今日は日光でキラキラと輝いて、まるで印象派の絵画のようです。
Img_2064 明神を過ぎたところで右折し、美しい樹林のなかを徳本峠に向かいます。
Img_2065
 ええっと……、コバノイチヤクソウかな?
Img_2074 センジュガンピですね。
Img_2075 徳本峠小屋に到着。手前は大正時代に作られた旧徳本峠小屋。現在は資料館として使われています。背後の新館は新しくてとてもきれいです。定員30人の小さな小屋ですが、さらに今日の宿泊客はぽん太とにゃん子をいれてたったの3人。アットホームな山小屋ライフを過ごせました。
Img_2082 夕食はなんと好物の山菜天ぷら付き。揚げ方もパリッと揚がっていて上手でした。葉っぱは難しいんだよね。お姉さん、ありがとう。

Img_2088 こちらが朝食。徳本峠小屋からは、ご来光や夕日が拝めないのがちと残念。
Img_2105 本日は、中村新道を経て、蝶ヶ岳ヒュッテまで歩きます。このコースは、ぽん太とにゃん子は今回が初めてです。ここを歩く登山客は多くないそうで、「人より熊が確実に多いと思います」などという小屋番のギャグ(?)に励まされて出発。北アルプスでありながら、樹林帯のなかの道が続きます。深い森に差し込んでくる朝日が美しいです。天気は快晴。「木さえなければ槍や穂高が観れるのに、なんでこんなコースを選んだんだろう」と後悔することしきりです。
Img_2107 そんなぽん太を集団であざわらうギンリョウソウ。
Img_2128 インデアンの砦か?いや、大滝槍見台デス。
Img_2121 見えたっ!槍から穂高までまるっきり。ここまで来て曇ってたらどうしようかと思ったけど、ちゃんと待っててくれました。この値千金の景色を見なければ、わざわざ北アルプスに来たかいがありません。
Img_2129 再び樹林帯の中の道が続きます。
Img_2143 大滝山に近づいて、 登山道が稜線の東側に来ると、湿った蒸し暑い空気が待ち構えてました。稜線の西は乾いた冷たい空気で晴れており、ちょうどこの稜線上で、二つの空気がぶつかっているようです。そして東側斜面は高山植物のお花畑。
Img_2131 写真はテガタチドリですね。
Img_2137 ん〜?なんじゃこりゃ〜!こんなん初めてみたぞ〜。帰って調べたらタカネシュロソウとのこと。やっぱり見るのは初めてでした。
Img_2140 花のアップです。
Img_2139 名前の由来になっているシュロっぽい葉っぱ。
Img_2152 大滝山荘はとってもこじんまりした建物。ここも一度泊まってみたいですね〜。
Img_2157 蝶ヶ岳へと続く最後の稜線。槍が僕らを待ってます。
Img_2170 風立ちぬ。
Img_2178 キヌガサソウの壁。
Img_2183 蝶ヶ岳から蝶ヶ岳ヒュッテ。外人さんもチラホラおります。
Img_2192 小屋についたらやっぱコレですね。槍見で一杯。あ〜、汗をかいたんでうまいっす。
Img_2203 夕食です。蝶ヶ岳ヒュッテは、いくつかの団体も含めてけっこう大勢とまってましたが、それにも増して小屋が大きく、ゆったりと眠れました。
Img_2210 夕食後は、刻々と移り行く夕暮れ劇場を鑑賞。
Img_2216 槍ヶ岳の燃えるたてがみ。


Img_2291 翌朝も素晴らしいご来光を拝むことができました。黄金色に光り輝く雲海です。
Img_2279 日の光にゆっくりと目を覚ます穂高連峰。
Img_2303 そして腹ごしらえをして出発です。
Img_2316 まずは蝶槍まで往復。
Img_2307 ここまで来ると、槍ヶ岳がすぐ間近に見えます。さすがの蝶槍も、本家の迫力には遠く及びません。
Img_2313 遠く富士山に南アルプスの山々。
 長塀尾根を、徳沢に向かって下山。長くて単調で疲れました。
Img_2332 頑張った自分へのご褒美に、嘉門次小屋のイワナは欠かせません。

2016/09/09

【仏像】木造薬師如来坐像・木造薬師十二神将立像(県指定)@東光寺(山梨県甲府市)

Img_2029
 甲斐善光寺の近くにある東光寺に足を伸ばし、薬師如来と十二神将を拝観。どちらも県指定の文化財です。
 Img_2042 仏さまが安置されている仏殿(薬師堂)は、国指定の重要文化財。さすがに優美です。禅宗様式で、檜皮葺きの裳階つき。
 拝観は正面の扉からで、内部が暗い上に仏さまも小さめなので、よく見えません。家で写真をみてようやくお姿わかった感じです。
Img_2033 お顔はぼってり顔ですね。
Img_2041 脇侍は見切れてしまってよく見えません。
Img_2036 十二神将も暗くて遠くてよく見えません。
Img_2030 なかなか躍動感があるように見えますが。

 

 

 

 

東光寺
  山梨県甲府市東光寺

 

木造薬師如来坐像 桧材 寄木造 像高51.5cm 鎌倉時代 県指定
木造薬師十二神将立像 桧材 寄木造 玉眼 像高85cm前後 鎌倉時代 県指定

2016/09/08

【仏像】定朝様の木造阿弥陀三尊像(国重文)甲斐善光寺(山梨県甲府市)

Img_2001
 7月上旬、ぽん太とにゃん子は、山梨県は甲府市にある甲斐善光寺に、国指定重要文化財の木造阿弥陀三尊像を観に行ってきました。公式サイトはこちらです。

 甲斐善光寺には、三つ(3セット)の重文の仏さまがいらっしゃいます。
 まずは銅造阿弥陀如来及両脇侍立像ですが、こちらはこのお寺のご本尊で、七年ごとに公開されているようです。前回は昨年でしたから、次回は2021年。諏訪大社の御柱と同じで、数えで七年、つまり6年ごとの公開ですね。生きてたら観たいと思います。
 二番目は12世紀後半作の木造阿弥陀如来及両脇侍像ですが、これは非公開。

 ということで、今回観たのは三つ目の12世紀前半に作られた木造阿弥陀如来及両脇侍像。こちらは宝物館で常時公開されており、本堂の受付のお坊さんに言って扉の鍵を開けてもらいます。写真撮影は禁止。公式サイトのこちらのページに小さいですけど写真があります。
 中央の阿弥陀如来は、非常に整ったお姿で、肉体的な表現もなく、彫りもうっすら。いわゆる定朝様の仏様でしょうか。お顔はけっこうどっしりとしておりました。座って定印を結んでおり、いわゆる善光寺式阿弥陀三尊ではありません。
 両脇侍は、観音菩薩と勢至菩薩のはずですが、像容ははっきりしません。ともに施無畏与願印。お顔は菩薩らしい慈愛に満ちた表情というより、目を閉じた素朴なお顔でした。

 宝物館にはその他、源頼朝木造などもろもろのお宝がありましたが、ちと忘れてしまいました。

Img_2025 巨大な山門も国重文。明和4年(1767)の上棟。
 甲斐善光寺の正式名称は、定額山浄智院善光寺(じょうがくざんじょうちいんぜんこうじ)で、浄土宗のお寺です。創建者はあの武田信玄。永禄元年(1558)、川中島に近い信濃善光寺の戦禍を避けるため、御本尊の善光寺如来やその他の仏像を甲斐に持ち帰りました。これらの仏様を祀るために甲斐善光寺が創建されたわけですが、造営には長い年月がかかったと言われています。
 天正10年(1582)の武田氏滅亡後、善光寺如来は、織田信忠(岐阜)、織田信雄(尾張)、徳川家康(三河・遠江)、豊臣秀吉(甲斐・京都)の手を転々としたのち、信濃善光寺に戻されたと言われておりますが、この辺りは諸説あってはっきりしません。
 江戸時代には徳川家の庇護もあって栄えましたが、宝暦4年(1754)の大火で堂塔を焼失。その後に再建されたのがこの山門です。
Img_2027 仁王様は荒削りで、かなりデフォルメされております。
Img_2026 こちらが吽形。
Img_2014 本堂の金堂も重要文化財。現在のものは寛政8年(1796)の竣工。複雑で巨大な建物です。
Img_2019 屋根の意匠も面白いですね。向かって左の線は何の意味があるのでしょうか?

 

甲斐善光寺
  山梨県甲府市善光寺

木造阿弥陀如来及両脇侍像 桧材 寄木造 彫眼・漆箔 像高、阿弥陀140.6cm・観音139.1cm・勢至139.7cm 12世紀前半 国指定重要文化財

2016/09/07

【仏像】ちいさくてお優しい薬師如来立像(重文)と五大明王・明王寺(山梨県富士川町)

Img_2001 7月上旬、ぽん太とにゃん子は、山梨県は富士川町にある明王寺に、国重文の木造薬師如来立像を拝観しに行きました。明王寺のホームページはこちらですが、なかなか充実しております。住職さんの気合いが入ってるんでしょうか。
 見学のおりは、御高齢の前住職が、手押し車を押しながら案内して下さいました。本当にありがとうございました。
Img_1995 こちらの収蔵庫に薬師如来さまが安置されております。写真撮影は禁止ですが、ホームページ内のこちらにお写真があります。
 像高43.3cmと小さめですが、肉付きよくどっしりとしており、なんだか慈愛が感じられるお姿です。衣紋の彫りも様式的で深く、いわゆる定朝様式以前の平安初期の仏様。お顔は優しさのなかにも凛としたものが感じられます。右手の施無畏印が、指を延ばして、指と指の間をすこし広げ、ちょっと外側に傾けており、「ほらほら」と手を振ってるみたいです。上から目線の威圧感はなく、小ささもあいまって愛らしいお姿ではありますが、如来としての決意と品格が表情に現れています。素晴らしい仏様です。

 

 堂内には他に国重文の「鰐口」(鎌倉時代前期 貞応3年(1224年))、県指定文化財の「不動明王版木」(室町時代 文明9年(1477年))などがあります。

 

Img_1992 こちらが本堂です。
 本堂には冒頭の写真の仏様が祀られております。明王寺という名前の通り、五大明王さまですね。以下、歌舞伎の白波五人男風の解説です。
Img_1996 まず中央に控えしは、明王のなかでも別格で。仏さまとはいいながら、憤怒の形相、火炎を背負う。右手に持ちたる三鈷剣(さんこけん)で、煩悩・因縁を一刀両断。悪へと向かう人あれば、左手の羂索(けんさく)で縛り上げてでもすくいだぁす。おすまし顔の仏さまとはひとぉつもふたぁつも異なった、不動明王とは俺のことだ〜。
Img_1998 さてその右(向かって左)に控えしは、牛にまたがるこの姿。西の方を守るからか、阿弥陀の化身と言われるが、似ても似つかぬ恐〜い姿。三面六臂はいっぱいいるが、六脚あるのは俺くらい。六つの脚で六波羅蜜を、踏みしめながら歩き続ける、大威徳明王(だいいとくみょうおう)たぁ俺のこと〜だぁ〜。
Img_1997 不動の左に控えたる、顔は一つと少ね〜が、三つの目玉がにらみをきかす。八本の腕は伊達じゃねぇ。八つの腕の二つをば、胸で組むのは大瞋印(だいしんいん)。そのほか六つの腕までも、いくつも蛇が巻き付いていらぁ。とぐろを巻いた蛇という、クンダリンと名のついた、その名も軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)。
Img_2000 いちばん右にひけぇ〜しは、三面六臂はおとなしいが、目のつけどころがちと違うぜ。Img_2000 御覧の通りの強面にや、五つの目玉が光っていらぁ。この目玉にて嘘を見抜き、悪人とあれば喰ろうてやる。悪を喰ろうて善を救う。聖なる力を持つ金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)。
Img_1999 さておしまいに控えしは、四面八臂のこの姿。おもての顔には三つの目玉。Img_1999 二本の腕を交差して、小指を絡めた降三世印(こうさんぜいん)、組んでいるのは俺さま一人さ。四天王は邪鬼を踏むが、シヴァ神パールヴァティー神。神を踏みつけるのが大きな自慢。その名のとおり三世界を、降伏させる力を持つ、降三世明王(ごうざんぜみょうおう)たぁ俺のこ〜と〜だぁ〜。

 

 ご、ごっほん。悪ふざけがすぎました。バチがあたらないといいけど。江戸時代前期の作だそうです。だいぶ傷んでますが、五体そろっているのは多くないそうです。

 

Img_1999 写真は四脚門です(町指定文化財)。天皇家からの勅使を迎えるための門だそうです。
 明王寺は、宝亀元年(770)に開山した真言宗の古刹。江戸時代には七堂伽藍を擁するまでに発展しましたが、天正年間に焼失。
 この門は、室町時代の遺構を伝えるものだそうで、平成21年に改修されました。

 

Img_1999 明王寺に隣接してある熊野神社の本殿で、江戸時代の建物です。
 明王寺が開山した頃、熊の権現を勧請し、山中に権現堂が作られました。江戸時代に御神体が明王寺の不動堂に移され、明王寺の御本尊の不動明王と神仏習合して合祀されてきました。しかし明治初頭の神仏分離と廃仏毀釈によって、御本尊の不動明王は明王寺の庫裏(台所の建物)に移され、不動堂は明王寺から切り離されて、熊野神社の本殿となったのです。
Img_1999 屋根の下に白鳥の彫刻があります。白と水色の色彩もあいまって、なんだか悲しそうに見えました。

 

 

 

 

 

大聖金剛山息障院 明王寺(だいしょうこんごうさんそくしょういん みょうおうじ)

 

  山梨県南巨摩郡富士川町舂米(つきよね)2番地

 

木造薬師如来立像 桧一木造 像高43.3cm 平安初期(9世紀末〜10世紀初) 国指定重要文化財

 

五大明王像 江戸時代前期

2016/09/06

【温泉】苦いお湯と暖かなおもてなし・十谷上湯温泉・源氏の湯(山梨県)(★★★★)

Img_1986 7月上旬、ぽん太とにゃん子は、山梨県は十谷上湯(じっこくかみゆ)温泉の「源氏の湯」に泊まってきました。公式サイトはこちらです。
 南アルプスの西麓にある隠れ里のような集落・十谷(じゅっこく)にある鄙びた温泉です。温泉は泉温が低いため循環加熱しておりますが、熱交換を行うことによって加水をせず、源泉掛け流しです。色こそ無色透明ですが、この苦さはなかなかのものです。吊橋を渡ってゆく渓流岩風呂も、野趣満点。食事も手が込んでいて美味しいです。混浴露天風呂のために湯あみ着が用意してあるなど、お・も・て・な・しも十分。ぽん太の評価は堂々の4点です。

Img_1945 甲府から身延へ通じる国道52号線・通称身延道を途中で西に折れ、大柳川に沿って山道を登って行くと、やがて隠れ里のような集落に行き当たります。ここが十谷集落です。
 そこにある十谷温泉は、たった3軒の宿からなる小さな温泉。天狗の湯で有名な十谷荘、民宿・山の湯、そしてこんかいお世話になった源氏の湯です。
 「源氏の湯」という名前ですが、傍らを流れる大柳川が、かつて甲斐源氏の祖「新羅三郎義光」の居城があったと言われる源氏山に発することから付けられたそうです。ちなみに新羅三郎義光は、頼義の息子、義家の兄弟ですね。
Img_1946 一番奥に位置する源氏の湯。建物は普通の和風旅館。日本秘湯を守る会の会員宿ですね。
Img_1977
 ぽん太が行くような秘湯は、特に平日とあらば、ほとんどガラガラが多いのですが、駐車場に外車を含むオシャレな車がいっぱい泊まっていてちょっとびっくり。東京から近いからかしら。
Img_1949 お部屋は立派な和室で、広々としています。

Img_1983 温泉は、混浴の「渓流露天風呂」と「かじかの大岩風呂」、男女入れ替わりの内湯「ぶんぶく風呂」と「ながめ風呂」があります。
 まずは「渓流露天風呂」。宿を出て、吊橋を渡って行きます。
Img_1987 やがてたどり着いたのは、渓流に望む豪快な岩風呂。けっこう広いです。
 お湯はほぼ無色透明。なめるとちょっと塩っぱく、強い苦みがあります。ちょっとぬるめの設定で、ゆっくりとお湯につかることができます。
 基本混浴で、女性タイムが設定されておりますが、湯あみ着が用意してあって、混浴時間帯は男女とも湯あみ着を来て入るという設定です。あちこちの温泉に行っているぽん太ですが、こういう配慮は初めてです。女性に優しいですね。
 なんでもここは、南アルプスの登山口の一つである奈良田温泉の白根館(なかなか素晴らしい温泉です)の経営者の、息子さん夫婦がやっている宿だそうです。
Img_1955 温泉分析表です(クリックで拡大します)。泉温は31.3度。pHは8.6とアルカリ性です。泉質はカルシウムーナトリウム・塩化物泉。ナトリウムイオンと塩素依存が多いのが塩っぱさの理由ですね。
 あれれ、マグネシウムイオンが0です。普通は苦みの原因は、豆腐のにがりのようにマグネシウムイオンが関係していることが多いのですが。あの強い苦みの原因は何なのでしょうか。金属イオン以外の成分が含まれているのかもしれません。ちょっと不思議です。
 宿の人に聞いたところ、やはり苦みの原因は不明だそうで、以前に泊まった温泉ソムリエさんも不思議がっていたそうです。
Img_1957 泉温が低いので、循環加熱は行っておりますが、加水なしの源泉掛け流しだそうです。
Img_1985_2 「渓流露天風呂」の傍らにあるのが「かじかの大岩風呂」。巨岩の下に湯船があります。
Img_1988 タイル張りの小さな円形の湯船。こちらには源泉が注がれております。上に書いたように泉温は31.3度なので、強い意志がないと入れません。

Img_1976 こちらが内湯の「ぶんぶく風呂」。浴槽が二つあり、片方が源泉そのまま、もう片方が加温したお湯になっております。
Img_1975 名前の通り、ぶんぶく茶釜からお湯が注がれております。
Img_1974 こちらがもうひとつの茶釜です。ん?? こ、これは! なんか茶釜の表面がでろんとしてます。注ぎ口には青筋立ってるし。タヌキが化けそこなったのでしょうか。これは妖しい感じがします。ぽん太が思ったことをここに書くのは危険な気がします。

Img_1951 ゴッホン。さて、こちらがもうひとつの内湯・ながめの湯です。名前どおり大きな窓からの眺めが最高です。三つの浴槽は、それぞれ異なる温度設定になっております。

Img_1961 夕食はお食事処でいただきます。山の幸をふんだんに使い、ちょっと珍しい素材もあって、なかなか凝ってて美味しいです。
Img_1959 お品書きです(クリックで拡大します)。前菜のフキノトウ寄せは、フキノトウの苦みが嬉しい涼しげな一品。鹿肉の炙りもとっても柔らかです。柔らかです。台の物はきのこと野菜のホイル焼き。珍しい焼ハナビラ茸のみぞれ酢。ハナビラ茸の茎は刺身で手作りこんにゃくに添えられてました。お鍋はそばがき団子汁で、ダシが美味。これにヤマメの塩焼き、山形県明野町産コシヒカリが加わり、デザートも山梨らしいワインゼリーでした。
Img_1982 朝食は雑穀を使ったお粥が美味しかったです。

Img_1991 それにしてもぽん太が不思議に思うのは、この十谷集落。標高千メートル近い山奥に、何でこんな大きな集落ができたんでしょう。単なる林業の村とは思えません。
 ぐぐってみてもあまり情報が得られないのですが、いくつかのサイトによると、大柳川を遡って十谷谷を抜け、早川に抜ける道が、江戸時代には重要なルートであり、富士川に沿って南北に走る駿信往還の脇道でもあったんだそうです。
 早川から先はどこにつながっていたのか、北に向かって芦安の方へ降りるルートがあったのか、南に向かって身延へくだったのか、それともさらにどこかにつながっていたのか、ぽん太にはまったくわかりません。今後のみちくさの課題にしたいと思います。

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