【仏像】笑う観音様たち/即成院(京都)
即成院は、京都の南東にある泉涌寺の塔頭(たっちゅう:大きな寺院に寄り添って建てられた小院)のひとつです。ここではひな壇にみっちり並んだ観音様を拝むことができます。
【寺院名】御寺泉涌寺塔頭 光明山 即成院
【住所】京都府東山区泉涌寺山内町28
【拝観】拝観料500円。
【仏像】
阿弥陀如来 像高550cm 平安時代 重要文化財
二十五菩薩 10体は平安時代・15体は江戸時代 重要文化財
如意輪観音 重要文化財
【ホームページ】http://www.negaigamatoe.com/index.html 【写真】上記ホームページに多数あり。
こちらの本堂のなかに仏様がいらっしゃいます。内陣に入って、間近で仏様を拝むことでできます。
写真は禁止なので、成就院の案内板の写真を載せておきます。もっときれいな写真は、お寺のホームページにあります。
上の写真だと、横に広がった感じですが、実際は狭いお堂の中にぎっしり入っていて、高さを感じます。中央に大きめの阿弥陀如来様がおり、左右にはひな壇状に二十五菩薩が並んでおりますが、左側手前には番外の如意輪観音さまもおられます。阿弥陀如来と、二十五菩薩のうちの10体、如意輪観音が平安時代のもので、残る15体の菩薩さまは江戸時代の後補です。
中尊の阿弥陀如来は、像高550cmと大きめ。定印を結んでいて、光背には化仏が並んでいます。お顔はおちょぼ口でアゴがこぶ状に膨らんでいます。半眼で瞑想に耽っているようなお顔で、荘厳さが感じられ、いわゆる定朝様のお姿です。
二十五菩薩は、最初はその数に圧倒されますが、しばらくするとそれぞれの個性が見えてきます。当初の平安時代のものと、江戸時代に造られたものがあり、わかりやすく表示されています。
で、平安時代の方が圧倒的にすばらしいです。それぞれ楽器を奏でているのですが、そのにこやかなお顔といったら!普通によくある「微笑み」ではなく、宴会をしている庶民みたいに嬉しそうな笑いです。何か定朝様以降の荘厳ですましたような仏様とは異なる、アルカイックでおおらかで、民衆的なものを感じます。こういう仏様は初めてのような気がします。
中尊の両脇時は決まり通り観世音菩薩と勢至菩薩。向かって右の観世音菩薩は、両手で蓮台を捧げ持ち、勢至菩薩は合掌してらっしゃいます。二十五菩薩の場合の決まったお姿だそうです。
一番左の手前にいらっしゃる如意輪観音菩薩を見逃してはなりません。本来の二十五菩薩には入っておらず、26番目の番外扱いらしいですが、なかなかの美仏で、優しい微笑みを浮かべ、柔らかな姿態です。会社の宴会で、酔いつぶれた同僚たちを微笑みながら眺める、課のマドンナ女子社員といったところでしょうか。
ところで、「二十五菩薩」という考え方がどこから来たのかが気になりますが、ググってみると「十往生阿弥陀仏国経」(十往生経)から来ているようです。ネット上のテキストは、ちょっと見つかりませんでした。このお経に関しては、偽経との説もあるようですね。
源信は『往生要集』で「十往生経」を引用し、阿弥陀如来を念仏(お姿をしっかり心に思い描くこと)のご利益として、仏が二十五菩薩を遣わして守ってくれることで、心の安寧が得られると説き、具体的に二十五菩薩の名前を挙げています。こちらの「山寺」というサイトの「往生要集 巻下」から、「廿五菩薩」というキーワードを検索してみてください。
ん?でも、来迎(臨終のときに迎えにくる)とは書いてないな。二十五菩薩の概念がどのように変遷してきたのかについては、よくわかりませんでした。
翻って即成院の仏像を見てみると、即成院 - Wikipediaによれば、中尊の阿弥陀如来が、臨終にお迎えに来るときの定番の「来迎印」ではなく「定印」を結んでいることや、阿弥陀如来と二十五菩薩の作風が違うこと、お寺の創建当初に来迎二十五菩薩信仰が存在したと思われないことなどから、当初は別の形で祀られていたのが、時代とともに今の形に変えられたと考えられるそうです。
即成院のもう一つの見所、那須与一の墓です。即成院のホームページによると、与一は熱心に即成院の阿弥陀様を信仰し、最後は阿弥陀様の前で亡くなったんだそうです。
あれれ、那須与一は伏見で亡くなったのでは?と思うかもしれませんが、即成院は元々は伏見にあったのですが、廃仏毀釈で廃寺とり、後に泉涌寺の塔頭として復活したんだそうです。
理屈はともかく、これだけの仏様に歓待されて、嬉しくないはずがありません。このお寺は、「現世でも極楽。来世でも極楽。」というやわらちゃんみたいな願いを叶えてくれるそうですが、まさにそんな気持ちになること間違いなし!
ついでに泉涌寺の楊貴妃観音にお目にかかっていこうかと思ったのですが、残念ながら京都国立博物館に出張中でした。
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