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2017/02/24

【仏像】箱根に重要文化財の仏像があるって知ってる?(元箱根石仏群・神奈川県)

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 皆さんは、箱根に国重要文化財の仏像があるって知ってました?あるんです。石仏ですけど。

 

 箱根駅伝で有名な国道1号線。往路のゴールがある芦ノ湖に出る直前、芦ノ湯温泉を過ぎたあたりに、元箱根石仏群があります。昨年の10月にぽん太は行ってきました。

 

 

【寺院名】なし
【住所】宮神奈川県足柄下郡 箱根町元箱根110−228(地図
【拝観】拝観無料。「石仏群と歴史館」前に無料駐車場あり。「曽我兄弟の墓」バス停のところにも数台停められます。
【仏像】
元箱根石仏群
 元箱根磨崖仏(二十五菩薩) 鎌倉時代 国重文
 元箱根磨崖仏(六道地蔵) 正安2年(1300) 国重文
 地蔵菩薩立像(応長地蔵) 像高3.2m 応長元年(1311) 国重文
【ホームページ】
箱根全山|箱根観光情報ポータルサイト箱根町

 

 

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 「石仏群と歴史館」前に車を停めて、小径を歩いていくと、両側にいくつもの石仏や石塔が現れます。その中のいくつかが、国の十分に指定されております。
 最初にご紹介するのは応長地蔵。小さめな岩に掘られたお地蔵さんで、向かって左に大きめの1躯、右下に小さい2躯があり、全部で3躯からなります。彫られた文字から応長元年に造られたことがわかり、応長地蔵と呼ばれております。
 錫杖と宝珠を持つ定型的なお姿ですが、お顔は賢く温厚な村おさのようで、遠く未来を見やっております。

 

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 次は通称二十五菩薩。大きめの岩に、多数の仏様が刻まれております。

 

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 永仁元年(1293)年から順次彫られたものだそうです。二十五菩薩と呼ばれているものの、実際は26躯で、写真の岩に23躯、国道1号線の反対側に3躯あります。また、そのうち2躯は地蔵菩薩ではなく、阿弥陀如来と供養菩薩です。

 

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 こちらが供養菩薩です。なにやら捧げております。供養菩薩というのがどういうものなのか、ググってみたけどよくわかりません。

 

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 阿弥陀如来は…。探して見たら、ここに写り込んでいました。

 

 

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 そして圧巻はこの建物のなかに。国道の反対側にありますが、そちら側からは近づけず、反対側からトンネルをくぐってアプローチします。

 

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 じゃ〜ん!六道地蔵です。でかいです。3.2メートルあるそうです。

 

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 かなり風化が進んでいて、特にお顔が著しいようです。磨崖仏とはいえ彫りが深く、ほとんど彫像のように見えます。なかなかの存在感です。建物は復元されたものだそうです。

 

 なぜこのあたりに石仏群ができたのでしょうか。上に引用したサイトに書かれています。

 

 その前に、箱根付近の東海道の変遷をおさらいしておきましょう。たとえばこちらのサイトをご覧ください。
 

 律令時代には、沼津から御殿場、足柄峠を通って関本に抜ける、ほぼ現在の県道78号線にあたる、「足柄路」が使われておりました。ところがこの道は富士山の延暦噴火(800年〜802年)によって通行不能となり、替わりに三島から箱根峠を経て小田原に抜ける「湯坂道」が切り開かれました。上の地図の、上側のコースですね。ちなみにぽん太が推定して描いた道なので、細かい所など違っている可能性がありますので、ご注意下さい。元箱根から、石仏群の近くを通って芦之湯に出、ここから国道1号線を離れ、鷹巣山に登ります。そして尾根伝いに浅間山に下り、そこで90度右に曲がって、尾根通しに城山、湯坂山を経て、箱根湯本に下ります。
 この道、現在も登山ルートはあるようなので、そのうち歩いてみたいです。
 足柄道は間もなく復旧しましたが、湯坂道は箱根越えの道として残りました。湯坂道の交通量は徐々に増え、鎌倉時代以降はこちらが宮道となり、メインルートとして使われるようになりました。
 江戸時代に入って慶長9年(1604)に新しい東海道が拓かれました。元箱根から東に進んで二子山の南を回り込み、あとは須雲川に沿いに箱根湯本に下る道で、大雑把に言うと現在の箱根新道に平行した道で、いわゆる箱根旧街道石畳として整備されているものです。

 

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 というわけで、現在の石仏群の近くを通る湯坂道は、鎌倉時代に盛んに人が歩くようになりました。その際に、温泉の煙が上がり、池があり、荒々しい岩が露出したこのあたりが「地獄」と重ね合わされるようになりました。

 

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 お釈迦様がお亡くなりになったあと、56億7000万年すると弥勒菩薩が仏となり、われわれを救ってくれることになっております。では仏のいないその間(現在もそうですが……)はどうするかというと、地蔵菩薩が六道を輪廻する人々を救ってくれることになっております。ということで、六道のひとつの地獄から救ってくれるお地蔵様の像が、このあたりに作られたことになります。
 江戸時代になるとこの辺りは主要ルートから外れましたが、湯治客が「曽我伝説」などとも結びつけて、観光名所として訪れるようになったそうです。当時の代表的な温泉案内書『七湯の枝折』(1811年)にも箱根山名所の一つとして紹介されているそうです。
 う〜ん読んでみたい。国会図書館デジタルコレクションに「七湯栞」という本があるが(こちら)毛筆なのでぽん太には読めません。

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