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2017年5月の31件の記事

2017/05/31

【文楽】英太夫が呂太夫を襲名/国立劇場2017年5月第一部

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 5月の国立劇場の文楽は、「菅原伝授手習鑑」がかかる第一部を鑑賞。英太夫改め呂太夫の襲名披露もあります。公式サイトはこちらです。

 最初の「寿柱立万歳」は、歌と踊りのおめでたい演目で、襲名のお祝い気分を高めてくれました。

 さて、「菅原伝授手習鑑」は、歌舞伎でいう「賀の祝」と「寺子屋」。

 「賀の祝」は以前に歌舞伎で観たことがあるのですが、なんか内容がよくわかりませんでしたが、こんかい文楽で観て、(字幕があるので)よくわかりました。
 芳穂太夫が語った「茶筅酒の段」は、梅王丸・松王丸・桜丸のそれぞれの奥さんが、白太夫の70歳の祝いの準備をいそいそとする場面。ぽん太は歌舞伎でも見たことがありません。桜丸の奥さんの八重さんだけがぶきっちょで、すり鉢がグワングワンと揺れてしまったり、大根がうまく切れなかったりします。このめでたくも楽しい雰囲気が、最後には桜丸の切腹へ至るのですから、すごいストーリー展開です。
 「喧嘩の段」は、若くてちょっとイケメンの咲寿太夫と龍爾が勤めました。良くいえば若々しく、悪く言えばちょっと固い語りでしたが、全力を尽くしての熱演が、梅王丸と桜丸が張り合って喧嘩をするという場面によく合ってました。
 「桜丸切腹の段」は文字久太夫が切々と語りました。

 口上をはさんで、呂勢太夫の「寺入りの段」に続いて、いよいよ新・呂太夫が「寺子屋の段」の前に登場。緊迫したやりとりを丁寧に語りました。切は咲太夫が格調ある語りで締めました。歌舞伎の「寺子屋」は武部源蔵夫婦が主役のような印象がありますが、文楽で見ると松王丸・千代の物語ですね。泣かせてくれました。

 人形遣いでは、玉也の白太夫が味がありました。玉男の松王丸は大きくて立派。勘十郎が松王丸の女房千代、和生が武部源蔵。

平成29年 5月文楽公演

東京国立劇場小劇場
2017年5月17日
   

第一部

寿柱立万歳(ことぶきはしらだてまんざい)

  太夫  三輪太夫
  才三  津國太夫
       南都太夫
       小住太夫
       文字栄太夫
       清馗
       清丈
       清公
       錦吾
       團吾

  太夫  紋臣
  才三  清五郎

  
菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

 茶筅酒(ちゃせんざけ)の段    
    芳穂太夫
    清友

 喧嘩の段
    咲寿太夫
    龍爾

 訴訟の段
    靖太夫
    錦糸

 桜丸切腹の段
    文字久太夫   
    藤蔵

 豊竹英太夫改め六代豊竹呂太夫
 襲名披露口上

 寺入りの段
    呂勢太夫
    清治

 寺子屋の段
  前 英太夫改め 呂太夫
    清介

  切 咲太夫
    燕三


    親白太夫    玉也
    百姓十作    勘市
    女房八重    簑二郎
    女房春     一輔
    女房千代    勘十郎
    松王丸     玉男
    梅王丸     幸助
    桜丸      簑助
    よだれくり    玉翔
    菅秀才     勘介
    女房戸浪    勘寿
    一子小太郎   簑太郎
    下男三助    玉彦
    武部源蔵    和生
    春藤玄蕃    文司
    御台所     簑紫郎

2017/05/30

【展覧会】「てくてく東海道-北斎と旅する五十三次-」@すみだ北斎美術館

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 5月上旬、たまたま近くで時間が余ったので、すみだ北斎美術館に初めて行ってみました。公式サイトはこちらです。

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 両国駅から東にちょっと歩いたところに、光るNの字みたいな建物が見えてきます。これがすみだ北斎美術館です。設計は妹島和世。建築界のノーベル賞と呼ばれるプリツカー賞を受賞して有名になりました。建物の持つ深い意味に関しては、ぽん太にはわかりません

 特別展で「てくてく東海道-北斎と旅する五十三次-」というのをやってました。東海道五十三次と聞くと、歌川広重を思い浮かべますが、それより以前に北斎が東海道五十三次を、しかもいくつかのヴァージョンで描いてるんだそうです。ご自宅用の秘蔵版のような、小さな版画で、人々の風俗が描かれていて興味深かったです。

 常設展では、初期から最晩年にわたる北斎の作品が展示されておりました。しかも、一部の作品を除くと、フラッシュなしの撮影オーケーです。
 何度も言われていることですが、油絵も含めてさまざまな技法や様式を試みたことがわかります。で、やっぱり富嶽三十六景の大胆な構図は、目を引きますね。

 冒頭の写真は「朱描鐘馗図」(しゅがきしょうきず)(肉筆、弘化3年(1846))。北斎が87歳のときに書いた肉筆画だそうですが、現代のアニメやゲームキャラみたいですね。

開館記念展Ⅲ「てくてく東海道-北斎と旅する五十三次-」

 2017年4月18日(火) 〜 2017年6月11日(日)
 すみだ北斎美術館 (東京都墨田区亀沢2-7-2)

 ・作品リスト(pdf, 294.6K)

2017/05/29

【仏像】アンバランスな釈迦如来と美仏の薬師如来/若狭国分寺(福井県小浜市)

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 2016年11月中旬、小浜市の仏像の旅。この若狭国分寺で「若狭國小浜国宝めぐり」の印譜(スランプラリー)全8ヶ所、コンプリートです。記念品として、仏像の写真のしおり(だったと思いますが、見つからない)をいただきました。

 

 

 

 

【寺院名】曹洞宗 護国山 若狭国分寺
【住所】福井県小浜市国分寺53-1
【拝観】拝観料400円。毎日拝観可だったと思います。
【仏像】
・木造薬師如来坐像 寄木造 像高79.7cm 13世紀 重要文化財
  写真・若狭小浜観光協会      ・若狭小浜のデジタル文化財 ・木造釈迦如来坐像 寄木造 像高318cm 体部14世紀、頭部17世紀 市指定
  写真・若狭小浜のデジタル文化財 ・木造釈迦如来坐像 桧 像高85.7cm 鎌倉前期 市指定
  写真・若狭小浜のデジタル文化財 ・木造阿弥陀如来坐像 桧 像高86cm 鎌倉前期 市指定
  写真・若狭小浜のデジタル文化財

 

 

 

 

Img_3591  この若狭国分寺は、奈良時代に聖武天皇が国ごとに設置した国分寺のひとつ。かつては壮大な伽藍を誇ったそうです。

 

 写真は本堂(釈迦堂)です。内部には丈六の釈迦如来坐像が祀られ、国分寺の大仏と言われております。像高3メートル以上で、とにかくでかいです。そうして、顔がさらに長くてでかい。
 印相は施無畏与願印。胸の肉付きがでっぷりしていてお相撲さんみたいです。衣紋の彫りなどはシャープで美しいです。顔はでかくて荘厳。アンバランスですが、迫力があります。
 光背の光線(?)もなんだかぶっといです。七つの化仏があります。七仏薬師か?いや、お釈迦様だよね。ぽん太にはよくわかりません。

 

 聖武天皇は、各地の国分寺に丈六釈迦像を祀るよう命じました。でもこの仏像は鎌倉時代に造られたものだそうで、さらに修復が重ねられ、頭部は江戸時代と言われております。

 

Img_3593  こちらは薬師堂で、なかには国重文の薬師如来さまがいらっしゃいます。こちらは大仏さまと違って美仏! すっきりしていて、衣紋の流れなどもシャープ。それでいて、胸から腹の肉付きなどは写実的に表現されております。とってもモダンな仏様です。

 

 両脇に釈迦如来と阿弥陀如来がありますが、網の中にあり、お姿はよく見えませんでした。リンク先の写真でご覧ください。

2017/05/28

【仏像】ちょっと昔風の阿弥陀如来/萬徳寺(福井県小浜市)

Img_3590  2016年11月中旬、小浜仏像の旅。続いて萬徳寺です。

【寺院名】高野山真言宗 延宝山 萬徳寺
【住所】福井県小浜市金屋74-23
【拝観】拝観料400円。毎日可。
【仏像】
・木造阿弥陀如来坐像 桧 一木造 像高141.5cm 平安後期 重要文化財
  写真・若狭おばま観光協会      ・若狭小浜のデジタル文化財

Img_3588  まずは書院があります。茅葺の屋根が好ましいです。

Img_3589  書院の前には美しい庭園があります。萬徳寺は庭園でも有名で、国の名勝に指定されております。延宝5年(1677年)に小浜藩主酒井氏の命によって造られたそうです。
 大山モミジが天然記念物だそうですが、どれだかぽん太にはわかりません。右の塊の左の方だと思うのですが……。

Img_3587 庭園の奥から石段を登ったところに、本堂があります。本堂にはお目当の重文の阿弥陀如来さまがおられます。

 

 
youtubeに動画がアップされておりました。
 ご本尊の阿弥陀如来さまは素地仏で、穏やかな表情。丸顔で唇が小さく、ちょっと人間っぽい親しみがある表情に思えます。胸の肉などはデフォルメされていて、様式的な感じ。平安後期の作とのことですが、衣紋が翻波式になっていたり、衣の裾が台座に垂れているなど、古風な味わいがあります。
 
 両脇に、大日如来(向かって右)と、阿弥陀如来(左)が安置されておりました。お姿は……ちょっと忘れてしまいました。

2017/05/27

【仏像】素朴なご本尊と美物の前立ち、二つの薬師如来/若狭神宮寺(福井県小浜市)

Img_3577  2016年11月中旬の小浜仏像の旅。続いて若狭神宮寺です。
 こちらには室町時代に作られた重要文化財の木造男神・女神坐像がありますが、残念ながら秘仏で参拝はできませんでした。

【寺院名】天台宗 霊応山 若狭神宮寺
  公式サイトはなさそうなので、若狭おばま観光協会のサイトにリンクしておきます。
【住所】福福井県小浜市神宮寺30-4
【拝観】拝観料400円。事前連絡が望ましいです。
【仏像】
・木造男神・女神坐像(秘仏につき拝観できず) 鎌倉初期 重要文化財
・薬師如来 藤原末期
  写真:ノンさんのテラビスト...ストイックに仏像... ・薬師如来
  写真:若狭おばま観光協会ト ・日光菩薩、月光菩薩 藤原末期
・十二神将 鎌倉初期
・十一面千手観音 伝奈良期
・不動明王 平安末期
・多聞天王 平安末期
  内陣全体のお写真はこちら:letuce's room

Img_3578  こちらが重要文化財の本堂です。室町時代の天文22年(1553年)に再建されたものだそうです。
 神宮寺は神仏習合が残っている寺院で、参拝の時には柏手を打つそうです。また東大寺二月堂への「お水送り」の儀式が行われる寺だそうです。

 門徒(氏子?)の人が、丁寧な説明をしてくれました。内陣まで入って拝観させていただけるのですが、門徒さんは「内陣に入るのは恐れ多くてちょっと緊張する」とおっしゃってました。

 本堂の正面に祀られた薬師如来さまは、長く秘仏だったそうです。けっこう大きいです。丸顔で二重アゴ、下顎は小さいというか丸く膨れてます。ちょっと素朴で、温かみのある仏様です。

 向かって一番右にも薬師如来さまがいらっしゃいますが、こちらはなかなかの美物です。ご本尊の前立ちをされていたのでしょうか。

 さて、薬師如来の両脇侍の日光・月光菩薩、けっこうおっきい十二神将が、ご本尊のまわりにぎっしり並んでおり、ちょっと窮屈。日光・月光菩薩は黒いです。十二神将は躍動感あるお姿ですが、顔はデフォルメ系。

 向かって左には、十一面千手観音と多聞天、不動明王。

 ご本尊の向かって右には掛け軸が三幅かかっておりますが、神様の名前が書かれており、これもまた神仏習合の現れのようです。

2017/05/26

【仏像】密教らしい迫力ある仏さま/明通寺(福井県小浜市)

Img_3562_3  2016年11月中旬の小浜仏像の旅。お次は明通寺です。山の斜面に大木に囲まれて、国宝の建物を含む伽藍が残っています。紅葉も綺麗でした。

 

【寺院名】真言宗御室派 棡山(ゆずりさん) 明通寺(みょうつうじ)
  公式サイト 【住所】福井県小浜市門前5-22
【拝観】拝観料500円。毎日拝観可。
【仏像】◎重文
◎木造薬師如来坐像 像高144.5cm 寄木造 平安末~鎌倉初期
  写真:若狭小浜のデジタル文化財明通寺公式サイト
◎木造降三世明王立像(ごうざんぜみょうおう) 像高252.4cm 一木造 平安後期
  写真:若狭小浜のデジタル文化財明通寺公式サイト
◎木造深沙大将立像(じんじゃたいしょう) 像高256.6cm 一木造 平安後期
  写真:若狭小浜のデジタル文化財明通寺公式サイト
◎木造不動明王立像 像高161.8cm 桧 一木造 平安末期 重要文化財
  写真:若狭小浜のデジタル文化財明通寺公式サイト
・十二神将 玉眼 鎌倉時代から室町時代
・木造金剛力士像  像高 阿形189cm、吽形188.5cm 寄木造 玉眼 文永元年(1264)市指定

 

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 まずは仁王様から。等身大より一回り大きいくらいですが、均整が取れたプロポーションで、迫力があります。特に吽形像の表情は、目鼻口が一点に集まってます。

Img_3570  本堂は国宝に指定されております。鎌倉時代に再建されたもので、桧皮葺の屋根を持つ和風建築ですが、雅やかさよりも、鎌倉らしい凛とした風情があります。
 この本堂の内部に、仏様が祀られてます。

 ご本尊の薬師如来さまは、像高144.5cmと半丈六くらいの大きな仏様で、堂々としております。全体のプロポーションは定朝様のように整っておりますが、お顔は鷲鼻で小鼻も張っており、切れ長の目や三日月型の眉など、独特な迫力があります。衣紋も流麗というよりも力強いです。

 ご本尊の向かって右におられる降三世明王は、大自在天とその妃の鳥摩を踏んづけた定型のお姿。迫力と雅やかさを兼ね備えた平安後期の作。

 向かって左の深沙大将(じんじゃたいしょう)は、ぽん太は初めてお会いする仏さま。インドから移入された天部の仏様で、『西遊記』の沙悟浄のモデルとも言われ、日本では大般若十六善神の一人とされているそうです。
 忿怒の形相で怒髪天を衝き、頭にはドクロ、腹には幼女の首、戟と蛇を持つ姿は定型だそうです。重文の深沙大将は、岐阜県の横蔵寺、京都の金剛院と、全部で3体しかないそうです。
 どっしりとした迫力のある仏様ですが、右胸から右腕の付け根にかけてのデッサンが少し変。

 不動明王さまは、すでにご紹介した羽賀寺のご本尊の十一面観音菩薩の、脇侍だったものを譲り受けたんだそうです。お顔は平べったいです。

 他に十二神将もありました。躍動感はありませんが、どっしりとしたお姿でした。

 

Img_3572  鎌倉時代中期に再建された三重塔も国宝です。屋根が桧皮葺で、落ち着いた雰囲気の塔。
 今回は第一層の内陣が特別公開されておりました。

 正面には釈迦三尊像がありました。脇侍は獅子に乗った文殊と象に乗った普賢のお定まりの形。
 裏側は阿弥陀三尊像。両脇侍の観音・勢至が立膝なのが珍しかったです。

2017/05/25

【仏像】古風な仏像群がすばらしい・多田寺(福井県小浜市)

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 2016年11月中旬小浜仏像の旅。次は多田寺です。ここは古い仏像がそろってます。老住職さんと奥様もアットホーム。

 

 

 

 

【寺院名】高野山真言宗 石照山 多田寺(ただじ)
  公式サイトはなさそうなので、若狭小浜観光協会にリンクしておきます。
【住所】福井県小浜市多田27-15-1
【拝観】拝観料400円。一応毎日拝観可。
【仏像】
・木造薬師如来立像 像高192.5cm カヤ 一木造 平安時代初期(9世紀前半) 重要文化財
  写真:若狭小浜のデジタル文化財 ・木造十一面観音菩薩立像(日光菩薩) 像高154cm 桧 一木造 奈良時代末期から平安時代初期 重要文化財
  写真:若狭小浜のデジタル文化財 ・木造菩薩立像(月光菩薩) 像高144.2cm 桧 一木造 平安時代初期 重要文化財
  写真:若狭小浜のデジタル文化財 ・木造阿弥陀如来坐像(三躯) 像高144.5cm、92.5cm、91.5cm 桧 割矧造 藤原時代 県指定
・聖観音菩薩立像 梅 一木造 藤原時代
  写真:若狭小浜のデジタル文化財 ・四天王立像 像高 持国天121.6cm、増長天119.5cm、広目天118.8cm、多聞天117.4cm 藤原時代 県指定
  写真:若狭小浜のデジタル文化財

 

 

 

 受付で拝観料を払うと老住職の奥様(?)が、息を切らしながら何段もの石段を登って、自ら案内してくれます。解説よりも世間話が多いですけど

 

 ご本尊の薬師如来様は、これまで小浜で見てきた仏像と印象がまったく異なります。ふつーのお父さんっぽいお顔。様式的な衣紋の流れ。古そうな感じです。
 やや面長でふっくらしたほっぺ。きゅっと結んだ小さな口。いわゆる仏像の神々しさや威圧感はまったくなく、親しみのあるお姿です。腕の形は施無畏与願印と同じですが、両手とも薬指・中指を曲げています。なんという名前の印相なのか、ぽん太にはわかりません。薬壷は持っておられません。
 長い間秘仏とされていたそうです。なかなか印象深い仏様でした。

 

 薬師如来ということで、両脇侍に日光・月光菩薩がおりますが、元来そうだったのかはちと疑問。
 日光菩薩は、なんと十一面観音です。これまた古風な印象で、お顔も猫みたいににゃ〜んと笑っており、表情筋が盛り上がってます。時代はご本尊よりさらに古く、8世紀末から9世紀初頭まで遡れるそうです。

 

 月光菩薩は、日光菩薩と異なり、全体にのっぺりとして彫りが浅く、硬さが感じられました。

 

 右側には阿弥陀如来が三躯あります。近所のお寺から移されたものだそうです。

 

 四天王は奈良時代の作だそうで、四頭身でどっしりしております。お尻も大きくて、ぽん太は、先日東京国立博物館で見た櫟野寺の毘沙門天さまを思い出しました。

 

 聖観音は細くてひょろりとして、百済観音に似たお姿。とっても珍しい「梅」の一木造だそうです。

 

 他に十二神将もおりましたた。

 

 あとでぐぐってみたら、曽我兄弟の墓があるとか。なんで小浜に曽我兄弟の墓があるのかよくわかりません。次の機会にみちくさしてみたいと思います。

2017/05/24

【仏像】千の手と24の顔を持つ珍しい千手観音/妙楽寺(福井県小浜市)

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 2016年11月、小浜仏像の旅。次は妙楽寺です。紅葉がとてもきれいでした。

 

 

 

 

【寺院名】高野山真言宗 岩屋山 妙楽寺
 ホームページはなさそうなので、若狭おばま観光協会公式サイトにリンク。
【住所】福井県小浜市野代28-13
【拝観】拝観料400円。とりあえず毎日可。
【仏像】
・木造千手観音立像(二十四面千手観音) 像高176.3cm 桧 一木造 漆箔 平安時代中期 重要文化財
  写真:若狭おばま観光協会公式サイト若狭小浜のデジタル文化財 ・聖観音菩薩像 像高161.5cm 桧 一木造 平安時代 県指定
  写真:若狭小浜のデジタル文化財 ・不動明王坐像 楠 一木造 平安時代 市指定
  写真:若狭小浜のデジタル文化財 ・地蔵菩薩坐像 像高165.4cm 桧 寄木造 県指定
・四天王立像
・薬師如来立像 江戸時代(17世紀後半)

 

 

 

 

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 古色あふれる山門です。

 

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 まずは仁王様から。色鮮やかでちょっとアニメっぽいです。

 

Img_3544 この美しい建物が本堂です。建物自体が重要文化財で、鎌倉時代の永仁4年(1296年)の建立。若狭で現存する最古の建造物だそうです。

 

 本堂のなかには立派な厨子(これまた重要文化財)があり、その中に二十四面千手観音さまがいらっしゃいます。実際に千手を持つ像容で、みっちりという感じです。
 千本の手を持つ千手観音像は、奈良の唐招提寺、大阪の葛井寺、京都の寿宝寺などが有名で、いずれも手を放射状に配置して、千手あることを強調しております。しかし妙楽寺の像は小手がかなり小さめに作られていて、正面からだといっけん四十二臂のように見え、また上部の複数の腕が真横に伸びて90度肘で曲がって上に伸びる形で並んでいて、ちょっと工場の配管のような印象を受けます。真数千手のワラワラ感を避けて、腕の動きの変化を求めたのかもしれません。
 太めの胴体がしっかりと直立し、重そうな腕を支えております。表情は爽やかな若者風で、ちょっと真剣な面持ちで正面を見つめております。
 またこの像はもう一つ、正面のお顔の両側にもお顔があり、全部で24面を持つという点でも珍しいそうです。
 近年まで33年に1度しか拝観できなかった秘仏だそうです。

 

 まわりには極彩色に彩色された四天王がおりました。

 

 向かって右におられる聖観音菩薩さまは、おっとりと優しい表情の美しい仏様で、衣服の表現がすごく複雑で細かいです。

 

 向かって左奥の不動明王は、どっかと腰を下ろして、ギョロ目で正面を見据え、下唇を噛み締めた、ちょっと古風な像。おさげ髪を左肩に垂らしているのが珍しいです。

 

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 傍の地蔵堂には、地蔵菩薩がおられます。

 

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 大きな頭に妊娠線が走っていてちょっと怖いです。伏し目がちで、左足を下ろした半跏踏下坐(はんかふみさげざ)です。

 

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 江戸時代の薬師如来様もおりました。

2017/05/23

【仏像】どでかい大日如来様とこっちを睨む不動明王/圓照寺(福井県小浜市)

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 2016年11月中旬の小浜仏像巡り。次は圓照寺です。

 

 

 

【寺院名】臨済宗南禅寺派 地久山 圓照寺(えんしょうじ)
   公式サイト 【住所】福井県小浜市尾崎22-5
【拝観】一応常時拝観可。拝観料400円。
【仏像】
・木造大日如来坐像 像高251.5cm 桧 寄木造 平安時代 重要文化財
  写真:若狭小浜のデジタル文化財 ・木造不動明王立像 像高158.7cm 桧 寄木造 平安時代後期 重要文化財
  写真:若狭小浜のデジタル文化財 ・千手観音立像 像高160cm 平安時代
  写真:...ストイックに仏像...

 

 

 

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 こちらが仏様が安置されている大日堂。元々は座禅堂だったそうです。

 

 扉を開けて中に入ると、まず大日如来さまのデカさにびっくり。丈六の仏様です。その向かって左に不動明王、右に観世音菩薩?がおられます。

 

 大日如来さまは法界定印を結んでおり、胎蔵界のお姿。金箔が肌の部分に貼られており、緑色の輪光。不動明王の赤い炎とあいまって、色彩感があります。ふっくらしたお顔で、ボリューム感があってどっしりした印象です。すっきり整ったお姿で、いわゆる定朝様とのこと。

 

 向かって左にいらっしゃる不動明王は、等身大の像。左足を半歩前に踏み出し、お顔もやや左下を向くという珍しい造形。腕もリアルで力がこもってます。平安時代の雅やかな雰囲気を保ちながらも、「動き」への欲望が感じられます。なかなか興味深い不動明王様です。向かって左上に置かれているので、中央で拝観するとちょうど睨みつけられているみたいでいい感じです。
 
 千手観音さまは、傷みと欠損が激しくて、ちょっと可哀想な仏様。お顔も真っ黒です。腕が六本しかなかったので、愛染明王として祀られてきましたが、元々は頭上の十一の化仏と、四十二臂があり、実は千手観音だったそうです。ぽん太が見たときはどうだったか忘れてしまいましたが、上の「...ストイックに仏像...」の写真では、愛染明王のように火炎を背負ってらっしゃいますね。正面の顔の左右に二面があり、いわゆる三面千手というちょっと珍しいお姿です。

 

 

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 最後に庭園を拝見。江戸初期のものだそうで、なかなか見事ですね。

2017/05/22

【仏像】今に残る彩色が美しい/木造十一面観音菩薩立像(重文)・羽賀寺(福井県小浜市)

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 2016年11月中旬、ぽん太とにゃん子は福井県は小浜市の羽賀寺に行ってまいりました。ここには重要文化財の、とっても美しい十一面観音さまがいらっしゃいます。
 写真は羽賀寺の開山堂。手前の道を左に向かいます。

 

 

 

 

【寺院名】真言宗 鳳聚山 羽賀寺(はがじ)
【住所】福井県小浜市羽賀83-5
【拝観】拝観料400円。拝観常時可。
【仏像】
・木造十一面観音立像 像高146.4cm 桧 一木造 10世紀初期 重要文化財
  写真:若狭小浜のデジタル文化財若狭おばま観光協会 ・木造千手観音菩薩立像 像高135.4cm 桧 一木造 長寛3年(1165年) 重要文化財
  写真:若狭小浜のデジタル文化財ノンさんのテラピスト ・木造毘沙門天立像 像高159.1cm 桧 一木造 治承2年(1178年) 重要文化財
  写真:若狭小浜のデジタル文化財ノンさんのテラピスト ・地蔵菩薩、薬師如来、三十三観音など

 

 

 

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 道を左に行くと、正面に階段が見えてきます。

 

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 階段を上ったところにあるのが本堂です。美しい建物ですね。これ自体も重要文化財です。室町時代中期の建立だそうです。

 

 堂内に入ると、係りの女性がまるでテープレコーダーのように立板に水で解説して下さいます。
 内陣の厨子のなかに、等身大よりやや小柄な十一面観音さまがおられ、向かって左に千手観音、右に毘沙門天を伴っております。

 

 十一面観音さまは、腰をひねったりせずに、直立の姿勢ですが、衣服が形式的でなく流動的で細かく彫られており、動きか感じられます。胸から肩はボリュームがあり、腰がぎゅっとしぼられてます。下に垂らした右手がすごく長いですが、手の甲にかかった布を持ち上げているせいか、指が反っているのがチャーミングです。特筆すべきは、長い間秘仏だったこともあり、彩色がとても綺麗に残っていることです。頭にはなんだか赤い帽子をかぶっているように見えます。
 お顔はちょっとインドっぽい感じ。羽賀寺には鳳凰伝説があり、鳳凰が落としていった羽を当時の女帝・元正天皇に献上したところ、天皇の勅命が下ってこのお寺が作られました。そしてこの観音様は、元正天皇のお姿を写したものだと言われております。気品、慈愛、風格のあるお顔は、その言い伝えにしっくりきます。

 

 木像千手観音菩薩は、どっしりと安定した体幹が目につきます。ちょっと腕が欠けておりますが、四十二臂の像容だと思うのですが、手のボリュームが小さめで、千手観音独特のワラワラした感じはあまりありません。衣服の表現も形式的で、整ったお顔ですが、全体として動きや変化に欠ける感じがします。

 

 毘沙門天も、雅でおっとりしたお姿。右手に宝塔を持ち、目よりやや高い位置に掲げています。左手の持物は失われてますが、逆手で宝棒を持っていたのかもしれません。それに伴って体も少し捩じれていますが、鎌倉彫刻のような躍動感ある姿ではなく、お顔も憤怒というほどではありません。

 

 

 他に地蔵菩薩や、裏手に定朝様の薬師如来、三十三観音などがありました。

2017/05/21

【温泉】三方湖に臨む風光明媚な宿/虹岳島温泉虹岳島荘(福井県若狭町)(★★★★)

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 2016年11月中旬に虹岳島(こがしま)温泉虹岳島荘に宿泊しました。公式サイトはこちらです。
 風光明媚な福井県は三方五湖畔にある和風旅館。ちょうど紅葉がきれいでした。移築した古民家を利用した重厚な建物は、ちょっとリゾートの雰囲気も。温泉はラドン泉で、加水なしの掛け流し。日本秘湯を守る会の会員宿です。お食事も、日本海の海の幸が美味しく、ぽん太の評価は4点です。
 

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 重厚な門をくぐって宿の敷地に入ります。
 周囲にはキャンプ場やマリーナもあり、虹岳島荘と同じ経営だそうです。この旅館を作ったのは三方出身の実業家、石原仁太郎。銀座スエヒロを開業した人だそうです。

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 こちらが宿の玄関です。石積みの腰壁など、ちょっとロッジ風でもあります。

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 内部も、古材を使って古民家風の重厚な造り。雰囲気があります。

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 温泉分析表です(クリックで拡大します)。今回は平日だというのに結構混んでいて、風呂に誰もいなくなる瞬間がなかったので、お風呂の写真はなしです。
 温泉は、男女別の露天付きの内湯があります。タイル張りの普通のお風呂。無色透明で、味は少ししょっぱ苦いです。
 泉温13.2度で沸かし湯ですね。pHは6.05で弱酸性。ラドンが58*10^(-10) Ci/kgで、泉質は「単純弱放射能冷鉱泉」です。

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 加水なしの源泉掛け流しですが、循環ろ過・加熱・消毒はしているようで、お湯の「鮮度」は今ひとつか(クリックで拡大します)。

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 夕食はもちろん、日本海の海の幸が満載。お造りはとっても新鮮でこりこりしており、カニさんもついております。焼き魚はアカアマダイ。関東ではちょっと珍しいですよね。お鍋は白味噌でゴボウが入っていて出汁が美味しく、雑炊にしてもうまいです。他にフグの唐揚げと茶碗蒸しがつきます。

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 デザートはリンゴのプリンとグレープフルーツのゼリーでした。

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 朝食は、福井名物のへしこと、シジミ汁が美味しゅうございました。

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 朝食を食べていると、なにやら窓の外が騒がしくなりました。食事の余りでトンビのえさやりをしているそうで、たくさんのトンビが集まっておりました。

2017/05/20

【仏像】クジャクに乗った美仏・宝冠五智阿弥陀如来ほか/輪王寺(栃木県日光市)

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 2016年11月上旬に日光の輪王寺に行ってきました。下調べの甘いぽん太、行ってみたら修復中ということがよくあるのですが、今回も三仏堂が工事中でした。

 

 

 

 

【寺院名】日光山 輪王寺
【住所】栃木県日光市山内2300
【拝観】輪王寺券(三仏堂・大猷院)900円。
【仏像】
・日光三社権現本地仏(写真
  千手観音 像高335.4cm
  阿弥陀如来 像高306.3cm
  馬頭観音 像高301.3cm
・宝冠五智阿弥陀如来 平安末期 重要文化財 (写真1写真2

 

 

 

 

 三仏堂の内部には入ることはできて、足場が組んであって、ご本尊をかなり近くで観れたのですが、残念ながらビニール越しの拝観。このビニールが微妙に波打っていて、見づらかったです。
 なかなか大きな金ピカの仏像で、なによりもその異形に圧倒されます。
 一番左の馬頭観音は、ものすごい怖い形相。インドの神様みたいに、あぐらを崩して足の裏を合わせたような形で座ってます。ちょうど目の前にある足の指も、力が入ってます。阿弥陀如来は顔大きくて体もふっくらと肉付きがいいです。千手観音は顎の部分が細めです。古風さはなく、近世のものと思われますが、威圧感のある仏様です。
 千手観音は男体山、阿弥陀如来は女峰山、馬頭観音は大郎山と、それぞれの神様に対応しているそうで、仏・山・神が一体として信仰されてきたことを示しているそうです。

 

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 うつくしく紅葉した木がありました。

 

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 写真の常行堂には、その美しさで有名なご本尊がいらっしゃいます。宝冠五智阿弥陀如来がそれで、5躯の阿弥陀如来さまが、それぞれ瑠璃色のクジャクに乗っています。しかしこんかいは一部修復中で、中央と両手前の3躯しかいらっしゃらず、しかも中央の阿弥陀様はクジャクに乗ってませんでした。
 それでも噂に違わずとっても優美なお姿でした。大きめの中央の仏様は、髷をゆって服を着ている珍しいお姿です。

2017/05/19

【仏像】秘仏吉祥天初開帳・立木観音(国重文)/中禅寺(栃木県日光市)

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 2016年11月上旬、ぽん太とにゃん子は日光の中禅寺に初めて行って来ました。中禅寺湖には何度も訪れたことがあるのですが、これまでは仏像にはあまり興味がなかったので、中禅寺は素通りしてました。

【寺院名】日光山輪王寺別院 中禅寺
【住所】栃木県日光市山内2300
【拝観】拝観料500円。中禅寺あるいは近隣の有料駐車場を利用
【仏像】
・吉祥天 像高60cm (写真
・十一面千手観音菩薩(立木観音) 国指定重要文化財 (写真
・四天王像
・五大明王
【関連サイト】
中禅寺・立木観音|日光山輪王寺 公式ホームページ吉祥天初公開|日光山輪王寺 公式ホームページ

 現在、秘仏吉祥天を初公開中(2017年11月30日まで)です。

 中禅寺は延暦3年(784年)、日光開山の祖である勝道上人(天平7年(735年) - 弘仁8年(817年))によって開かれました。上人が中禅寺湖で参拝をしてたときに、空から天女が現れて歌舞を奉じて上人の偉業を讃えたという言い伝えがあるそうで、そのお姿を刻んだのがこの吉祥天だそうです。長く秘仏とされ、今回が初公開だそうです。

 像高60cmと小型。右手を下にたらし、左手に宝珠を持っており、ちょっとうつむき加減です。小さめなのと、ちょっと距離があるのとで、細かいところはよくわかりませんでした。

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 さあて、中禅寺の御本尊の「立木観音」は、国指定の重要文化財です。正式名称は「十一面千手観世音菩薩」。勝道上人が中禅寺湖上に千手観音をご覧になり、その姿を立木(生きている木)に掘ったものだそうで、現在も地面に根を張っているそうです。それにしても勝道上人は、色々なものを見るんですねえ。

 1200年くらい前のものだそうで、タレ目でシンプルなお顔の、素朴な感じの像です。周りの四天王も、なんだか寸詰まりでやはり素朴な像です。普通は右奥の多聞天が宝塔を持ってますが、ここの四天王はなぜか左後ろが宝塔を持ってました。

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 階段を登って五大堂に行くと、五大明王が祀られておりますが、これは遠くてほとんど見えませんでした。五大堂を外に出ると、ガスが一瞬晴れて男体山が姿を現しました。

2017/05/18

【展覧会・仏像】奈良だけど鎌倉仏の宝庫「奈良西大寺展 叡尊と一門の名宝」

 西大寺(さいだいじ)は奈良にあり、奈良時代後期に建立されましたが、鎌倉時代に叡尊(えいそん)によって再興されたため、鎌倉時代の仏像が多数あります。
 こんかいは西大寺創建1250年を記念する展覧会ということで、国宝・重文とりまぜて、多くの仏像を含む秘宝が展示されました。

 ポスターにも使われている「文殊菩薩坐像」は、元々は獅子に乗り、善財童子、優填王、仏陀波利、最勝老人を従える文殊五尊像ですが、今回は文殊菩薩と善財童子、最勝老人がお出ましになりました。写真だとひらべったいお顔に見えますが、実際はもっと小顔で、引き締まった表情です。

 塔本四仏から釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像の2躯は、奈良時代の木心乾漆造で、表情がよく見る仏像とはちょっと違っていて、興味深かったです。

 愛染明王坐像(善円作)は、愛染堂に安置された秘仏だそうです。小さめの像ですが、細かくバランスよく作られていて、とても美しかったです。

 叡尊を掘った興正菩薩坐像(善春作)は、国宝。ちょっと胸を張って正面を向いており、かくしゃくとした表情で、こんな人おるな、という感じでした。

 今回の展覧会では、西大寺の展開として、そのほかの真言律宗のお寺の宝物も展示されておりますが、特に三井記念美術館の展示では、鎌倉の極楽寺や称名寺などの仏像も展示しておりました。称名寺の釈迦如来坐像は鎌倉時代の作ですが、内臓のある仏像として有名な京都の清凉寺の釈迦如来(985年作)を模したもの。ぽん太は、元々の清凉寺の像は拝観したことがありますが、模造の「清凉寺式釈迦像」は初めて見たので、ちょっと感動しました。

 元興寺の聖徳太子立像(孝養像)や聖徳太子立像(南無仏太子像)、弘法大師坐像などもありました。叡尊は、聖徳太子や空海を重視し、聖徳太子の本地を如意輪観音と考えたそうで、如意輪観音坐像(元興寺)もとても美しい像でした。このあたりはそのうちみちくさしてみたいです。

 福島県の長福寺の地蔵菩薩坐像には、鎌倉でよくみる土紋による装飾がありました。鎌倉の土紋はちょっと遠くからしか見えませんが、今回は明るいガラスケース内で近くから見えて、よかったです。

「奈良西大寺展 叡尊と一門の名宝」
三井記念美術館 2017年4月15日〜6月11日

特設サイト
三井記念美術館のサイト

出品目録(pdf, 914.1K)

愛染明王坐像(厨子入)鎌倉時代・永仁 5 年(1297) 称名寺(金沢文庫保管) 重文
塔本四仏坐像
  釈迦如来坐像・阿弥陀如来坐像 奈良時代 西大寺 重文
十二天像
帝釈天像・火天像・閻魔天像・水天像 平安時代 西大寺 国宝
如意輪観音半跏像 平安時代 西大寺 国重文
興正菩薩坐像 善春 鎌倉時代・弘安 3 年(1280) 西大寺 国宝
愛染明王坐像 善円 鎌倉時代・宝治元年(1247) 西大寺 重文
興正菩薩坐像 鎌倉時代 白毫寺 重文
文殊菩薩騎獅及び四侍者像のうち 文殊菩薩坐像・善財童子立像・最勝老人立像 鎌倉時代・正安 4 年(1302) 西大寺 重文
黒天立像 善春 鎌倉時代・建治 2 年(1276) 西大寺 重文
地蔵菩薩立像 仙算 室町時代・永正 11 年(1514) 西大寺(奥の院)
毘沙門天立像 鎌倉時代 西大寺
聖徳太子立像(孝養像) 善春 鎌倉時代・文永5年(1268) 元興寺 重文
弘法大師坐像 鎌倉時代 元興寺 重文
聖徳太子立像(南無仏太子像) 鎌倉時代 元興寺
如意輪観音坐像 鎌倉時代 元興寺
文殊菩薩坐像 鎌倉時代 法華寺
普賢菩薩騎象像 平安時代 岩船寺 重文
普賢菩薩坐像 平安時代 文化庁 重文
地蔵菩薩立像(延命地蔵) 平安時代 浄瑠璃寺 重文
地蔵菩薩立像 平安時代 不退寺
太山王坐像 康円 鎌倉時代・正元元年(1259) 白毫寺 重文
司命半跏像・司録半跏像 鎌倉時代 白毫寺 重文
四天王立像のうち多聞天立像 鎌倉時代 岩船寺
忍性菩薩坐像 鎌倉時代 極楽寺
釈迦如来像 南北朝〜室町時代 極楽寺
釈迦如来坐像 鎌倉時代 極楽寺 重文
文殊菩薩坐像 鎌倉時代 極楽寺
釈迦如来立像 院保他 鎌倉時代・徳治3年(1308) 称名寺(金沢文庫保管) 重文
十大弟子立像のうち 舎利弗像・富楼那像・迦旃延像・優波離像 鎌倉時代 称名寺(金沢文庫保管)
地蔵菩薩坐像 院誉 鎌倉時代・元亨4年(1324) 長福寺(福島県)(金沢文庫保管) 重文

2017/05/17

【展覧会】こんなに細かく描きこまれてたの/ブリューゲル『バベルの塔』展(東京都美術館)

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 上野の東京都美術館に、ブリューゲル「バベルの塔」展を見にいってきました。オランダのイマンス美術館の所蔵品による展覧会です。公式サイトはこちら、東京美術館のサイトはこちらです。
 ブリューゲルは「バベル」一点と聞き、あまり期待してなかったのですが、とっても面白かったです。最初、しぶい彫刻や絵画を見せられてちょっと退屈だったのですが、1階に上がってボスの奇想天外な化け物たちが出て来ると、そのキモかわいさに徐々にヒートアップ。3階のバベルで最高潮となりました。


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 何と言ってもまずは「バベルの塔」から。写真はWikipediaからパブリックドメインのものです。ブリューゲルはもう一枚バベルの塔を描いており(1563年、美術史美術館(ウィーン))、こちらはウィーンで見たことがありますが、ボイマンス美術館の今回の絵は初めて。
 こんなに細かく描きこまれているなんて知りませんでした。クリックで写真が拡大しますので、細部をご覧ください。建物もすごく精密で、頂上の工事中の部分などは内部が露出しているのでアーチが複雑に重なり合ってます。さらに小さな人がいっぱい書き込まれております。会場には拡大写真や解説ビデオがありましたが、工事に携わっている人たちや、塔に作られた教会に参列する人など、何倍に拡大してもデッサンが乱れておりません。
 こういう絵画のあり方を、不詳ぽん太は初めて知り、とっても驚くとともに、感動いたしました。


 
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 ついでボスの「放浪者(行商人)」(1550年ごろ)。こちらも色や構図よりも、細部が面白いです。
 後ろの家は、ツボが逆さに掲げており、白鳥の看板がありますが、娼館を意味するそうです。玄関では男性が女性に言い寄ってますが、後ろには立ち小便をしている男も。木の上にフクロウもいます。

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 もう一枚のボスの絵、「聖クリストフォロス」(1550年頃)。
 男が子供を背負って渡っているうちに、耐えきれないほどの重さとなったため名前を尋ねると、実はその子供はキリストだったという話ですが、この絵も細部がヘンテコです。右のほうでは、木の上の割れた壺の中で生活している人がいますし、左のほうではクマが吊るされてます。遠景の建物は、塀の中から恐竜みたいな怪物が顔をだしています。

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 ボスやブリューゲルの版画も多数あり、ブリューゲルの「大きな魚は小さな魚を食う」や、「聖アントニウスの誘惑」などの有名作品もありました。訪れた人たちは、奇想天外な化け物やヘンテコなキャラにすっかり魅了されたようで、関連グッズ売り場では、キャラが描かれたグッズやフィギュアが売れまくってました。バベルの塔型シフォンケーキも面白かったです。ガチャも作るといいと思います。

ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展
16世紀ネーデルラントの至宝-ボスを超えて-

東京都美術館
2017年4月18日(火)~7月2日(日)

作品リスト(pdf, 418.0K)

主な作品
 ピーテル・ブリューゲル1世 
  《バベルの塔》1568年頃、油彩、板
  《聖アントニウスの誘惑》1556年、エングレーヴィング
  《大きな魚は小さな魚を食う》1557年、エングレーヴィング
 ヒエロニムス・ボス
  《放浪者(行商人)》1500年頃、油彩、板
  《聖クリストフォロス》1500年頃、油彩、板

2017/05/16

【バレエの原作を読む(9)】「ダフニスとクロエ」←ロンゴス『ダフニスとクロエー』


 久々登場の「バレエの原作を読む」シリーズ。今回は「ダフニスとクロエ」です。

 「ダフニスとクロエ」は、バレエよりも、原作よりも、ラヴェルが作曲した音楽が一番有名ですね。

 1909年に「バレエ・リュス」を旗揚げしたディアギレフは、1910年に、ロンゴスの『ダフニスとクロエ』を原作とするバレエの音楽をラヴェルに依頼。台本はフォーキンでしたがラヴェルはあんまり気に入らなかったようです。それでもラヴェルは5月にはピアノ譜を完成させましたが、今度がディアギレフがそれを気に入りません。リズムよりメロディー重視だし、合唱が入ってたり……。てなことで初演が延びのびになるなか、待ちくたびれたラヴェルは第1部後半から第2部前半を1911年に「第1組曲」として初演。バレエが初演されたのは1912年になってからでした

 バレエの初演は1912年6月8日、パリのシャトレ座でバレエ・リュス(ロシアバレエ団)。振付けはフォーキン、ダフニスはもちろんニジンスキー、クロエはタマーラ・カルサヴィナ、指揮はピエール・モントゥーでした。

 フォーキン版のあらすじは、例えばこちらのブログ(バレエ音楽「ダフニスとクロエ」|liebevoll)に詳しく書かれております。フォーキン版とは書いてありませんが、たぶんフォーキン版でしょう。
 すごく大雑把にまとめると、クロエに恋心をいだくダフニス。たくましい牛飼いドルコンが「ちょっとまった〜」とクロエに近づくが、踊りが下手で物笑いにされる。ダフニスの踊りにクロエは魅せられ、甘い口づけ。二人は恋に落ちます。年増女リュセイオンがやってきてダフニスを誘惑して立ち去る。そこへ海賊がやってきてクロエを誘拐。絶望したダフニスは、ニンフの助けを得て、パンの神に助けを乞う。すきをみて逃げようとするクロエだが、海賊に手込めにされようとする瞬間、パンが現れて海賊をやっつける。再会を喜ぶ二人。パンを讃えながら、一同祝福の乱舞。

 さて、フォーキン版以外にどのような振付けがあるのか、ぽん太は申し訳ありませんがよく知らないし、調べる気力もないのですが、これまでぽん太が観たものを挙げると……

アシュトン版 英国バーミンガム・バレエ団
 だいたいフォーキンと同じストーリー。詳細は忘れました
ジャン・クリストフ=マイヨー版 モナコ公国モンテカルロ・バレエ団
 愛し方がわからない若いカップルに、成熟したカップル(リュセイオンとドルコン)が愛の手ほどきをするというエロティックなコンテ作品。
バンジャマン・ミルピエ版 パリ・オペラ座バレエ団
 だいたいのあらすじは同じだが、抽象的な衣装やセット。


 で、原作ですが、ロンゴス(Λόγγος)の『ダフニスとクロエー』(Ποιμενικά κατά Δάφνιν και Χλόηνもしくは Δάφνις και Χλόη)で、翻訳は上にアマゾンのリンクを張った岩波文庫版が手に入りやすいかと思います。

 その解説(松平千秋)によりますと、紀元前後から5世紀にかけて、地中海世界では多くの通俗的な大衆小説が作られたそうで、その大部分はギリシャ語で書かれていたそうです。しかし現在完全なかたちで残っているのはわずが5篇しかなく、ロンゴスの『ダフニスとクロエー』はそのうちのひとつだそうです。書かれたのは2世紀後半から3世紀前半、日本でいうと、邪馬台国の卑弥呼が魏に使者を送ったのが239年ですね。
 作者のロンゴスについては、確かなことはほとんどわからないそうです。
 レスボス島を舞台にした、若い男女のラブ・ストーリー。レスボス島は、エーゲ海の東側にある島で、現在のトルコの沿岸にありますが、ギリシャの領土です。

 で、あらすじですが……。
 めんどくさいけどまとめるかな〜。ゴールデンウィークで暇だし。
 ただ、小学生以下にはふさわしくない表現がありますので、中学生以上だけお読み下さい。

序  レスボス島で狩りをしていた私は、世にも美しい絵をみつけた。そこには恋の物語が描かれていて、多くの人たちがそれを見にこの島を訪れていた。私は長老の話を元にして、4巻の物語を書き上げた。


巻1
 レスボス島の町ミュティレーネーのほど近くに住む山羊飼いのラモーンは、ある日一頭の山羊が男の赤ちゃんを育てているのを見つけた。男の子はたいそう美男子で、、高価な品々を携えていた。ラモーンはこの子の出生を秘密にしたまま自分の子供として育てることにし、ダフニスと名付けた。しばらして今度は羊飼いのドリュアースが、羊が育てている女の赤ちゃんを見つけた。ドリュアースもこの子を自分の娘として育ていることにし、クロエーと名付けた。
 こうして山羊飼いとなったダフニスと羊飼いとなったクロエーは、近くで仕事をしていたこともあり、仲良く一緒に遊ぶようになった。ところがだんだんと二人はお年頃。水浴びをしているダフニスの裸を見て、体を洗ってあげていたら、何かドキドキしてきたクロエーちゃん。夜も眠れず食事もとらず、仕事もほったらかしで、泣いたかと思ったら笑い出す始末。でも恋などという言葉さえ知らないダフニスは、自分が病気になったと思うばかり。
 さて、既に恋をわきまえた荒々しい牛飼いのドルコーンが、クロエーに目を付けました。ダフニスとドルコーンは喧嘩になりますが、言い合いに勝ったダフニスに、クロエーはご褒美のキッス。あらあら、大変。この日からダフニスも恋に落ちました。ほてる体を冷やそうと水浴びしても、恋の炎は燃え盛るばかり。
 しかしエロサイトなどない時代の牧人の二人。ダフニスは、クロエーのかぶっている松の冠にキスをして自分もかぶってみたり、クロエーも、水浴びをしているダフニスの服にキスをして、それを着てみたり。お互いにリンゴをぶつけあったり、髪の毛を整え合ったり。あ〜違うでしょ。あらじれったい。
 そんなある日、テュロスの海賊がやってきて、家畜からなにから略奪を行うが、ダフニスとクロエーは、牛飼いのドルコーンの身を犠牲にした助けを借りて、海賊を撃退する。

巻2
 秋になって、ダフニスとクロエーはブドウの収穫に駆り出されます。ある老人が、二人にエロース(恋)の話を聞かせます。「いいかい、若いお二人さん。恋の病に効く薬は、キスをすること、抱き合うこと、裸になって一緒に寝ることしかないんじゃ。」
 二人は自分たちが恋をしていることを知ります。そして教わった最初の二つの方法を試してみますが、最後の一つはさすがに恥ずかしくてできません。でも二人の心はさらに火がつくばかり。それからの二人は、出会うたんびに抱き合ったりキスしたり。あるとき二人は抱き合ったままバランスをくずして倒れてしまいました。でも、そのあとどうしていいかわからず、夕暮れとともにそれぞれ帰途についたのでした(あ〜〜じれったい)。
 そんなおり、メーテュナムの裕福な若者たちが小舟に乗って、村や町を訪れて遊んでおりました。彼らはダフニスとクロエーの村の近くに船を停めようとしたのですが、とも綱をなくしてしまったので、青い柳の枝で船を陸につなぎ止めました。ところがこの柳をダフニスの山羊が食べてしまったからさあ大変。船は沖に流されてしまい、怒った若者たちはダフニスを責め立て、縛り上げようとします。村人たちはこれには憤慨し、若者たちを追い返しますが、メーテュナムにようやく帰り着いた若者たちは、村人たちに船や金品を略奪されたと嘘を言います。それを聞いてメーテュナム人はミュティレーネーに戦争をしかけ、村々を襲って手当り次第に略奪を行い、あげくのはてにクロエーまでつれ立てて行きました。
 残されたダフニスはニンフの祠に行って悲しみを切々と訴えます。するとあら不思議、その夜、夢の中に三人のニンフが現れ、クロエーを助けるように勇敢な闘士でもあるパーンにお願いしたことを伝えます。実際メーテュナムの船には異常現象が次々と起こります。羊が狼のように吠えだしたり、碇を上げようとしてもびくとも動かなかったり、イルカの群れが海中から躍り出て船を壊したりします。ついには司令官の夢枕にパーンが現れ、クロエーと山羊、羊を返すように命じます。
 クロエーが無事に帰ってきたことを喜んだ村人たちは宴を開きます。再会に喜ぶ二人は、お互いに愛し続けることを誓い合ったのでした。

巻3
 冬が過ぎて、春になりました。長い冬の間に、二人は少し成長しております。ダフニスはクロエーに、老人が教えてくれた恋を癒す三つの薬のうち、だたひとつやり残していたことをしようと言います。そう、裸になって二人で寝るのです。
 「でも一緒に寝てどうするの?」とクロエー。
 「牡羊や牡山羊が牝にするようなことをするのさ。あれは楽しいことに違いないよ」とダフニス。
 二人でしばらく裸でじっと横たわったあげく、ダフニスは山羊のまねをしてクロエーに後ろからのしかかったりしましたが、結局どうしていいかよくわからず、とうとうダフニスは泣き出してしまいます。
 そこに現れたるはリュカイニオンという町から嫁いできた美人で垢抜けした女房。ダフニスとクロエーの現状はとうにお見通し。自分の欲望を満たすチャンス到来とばかりにダフニスをだまして森の中に誘い込むと、まんまと愛の手ほどき。しかしその後もダフニスは、「クロエーに同じことをしようとすると、痛がって泣き出して血だらけになる」とリュカイニオンに言われたことを心配し、あいかわらずキスと抱き合うことしかしませんでした

 夏になると、美しい娘へと成長したクロエーに、あちこちから縁談が持ち上がります。あわてたダフニスは、自分もお婿さんとして立候補しようとしますが、他の金持ちの求婚者には太刀打ちできません。すると霊験あらたかにも三人のニンフが再び夢枕に立ち、お金のありかをダフニスに教えます。
 お告げに従って大金を手にしたダフニスは、クロエーの父ドリュアースに結婚を申し出ます。大金に気を良くしたドリュアースは、自らダフニスの父ラモーンに結婚を掛け合いに行きますが、ラモーンは「自分は領地を持っているご主人様の使用人にすぎない。秋になるとご主人様がやってくるので、その許可が得られたら結婚を許しましょう」と答えます。

巻4
 秋になり、ラモーンはご主人様を迎える準備にせいを出します。
 そこに領主様より一足早く、ご主人様の息子アステュロスが、取り巻きの遊び人グナトーン(男)を伴って到着。グナトーン(男)はクロエーではなくって、なんとダフニスにご執心。ダフニスに後ろからのしかかって「自由にさせてくれ」というと、ダフニスは意味がわからず、「牡牛が牝牛に乗るのはあたりまえだが、牡牛に牡牛が乗るのは見たことがない」と逃げ出します。
 やがて主人のディオニューソファーネスが到着。裕福で、誠実なお人柄。丹精込めて手入れされた畑に満足し、ダフニスの山羊飼いとしての仕事ぶりもほめ讃えます。ラモーンはここぞとばかりダフニスの出生の秘密をみなに打ち明け、証拠の品々を示します。それを見た主人の妻が大声をあげます。なんとダフニスは主人夫妻の実の息子だったのです。皆が大喜びするなか、ダフニスは「そうだ山羊に水を飲ませにいかないと」などと言い出し、「をひをひ、この子はまだ山羊飼いのつもりでおるわい」などと、ホームドラマのような会話があったりします。
 けれどもクロエーは「ダフニスがご主人様の息子だとしたら、羊飼いの私のことなんかもう忘れてしまうに違いないわ」とただ一人嘆くことしきり。そのときクロエーの父ドリュアースは、自信に満ちた表情で、「大丈夫だ、俺にまかせろ」。お父さんかっこいー。
 翌日ドリュアースは、証拠の品々を抱えご主人様を訪ね、クロエーの出生の秘密を打ち明けました。品々を吟味した主人夫妻は、クロエーが立派な家柄の娘であることを確信し、二人の婚約を許します。着飾ったクロエーの美しさに、一同ばかりかダフニスまでもびっくり。
 クロエーは、町一番の年長者の老人の娘であることがわかりました。ダフニスとクロエーの希望で、村に戻って牧人風の結婚式をあげることになりました。ディオニューソファーネスは村人を全員呼んで豪華な宴を催しましたが、山羊たちもこれに加わったので、その匂いに町から来た人たちは閉口しました。
 結婚式の夜、ダフニスはリュカイニオンに教わったことを初めてクロエーに試みます。クロエーも、これまで長い間二人がしてきたことが、子供の遊びにすぎなかったことを初めて知ったのでした。


 う〜ん、ライトノベル顔負けのラブ・ストーリーですね〜。書いててこっちがこっぱずかしいです。
 べたなストーリーではありますが、ちょっと感動するな〜。昔のおおらかな時代というか、エロい表現が少なくないです。いろいろ事件や困難は生じますが、みななんだかいい人で、最後はめでたしめでたしみたいなところがほっとしますね〜。

 こうしてみると、もともとのフォーキン版やアシュトン版、ミルピエ版は、原作の一部をうまく利用している感じですね。マイヨー版は、恋のこの字も知らない男女の淡い恋がやがて大人の愛へと成長して行くという原作の大枠をうまく生かした読み替えと言えそうです。

2017/05/15

【温泉】湯治の雰囲気で白濁の硫黄泉を堪能/奥塩原新湯 湯荘白樺(栃木県那須塩原市)(★★★★)

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 2016年11月上旬に宿泊しました。公式サイトはこちらです。
 奥塩原新湯温泉には4軒のやどがあり、ぽん太はそのうち2軒に泊まったことがありますが、今回は湯荘白樺にお世話になりました。
 観光客向けの贅沢さはありませんが、新湯の源泉掛け流しを堪能したいという人たちで、けっこう混んでいるようです。お値段もスタンダード・プランで約7,000円ととってもリーズナブル。湯治の雰囲気がいたします。地元の新鮮な食材を使った家庭料理を食べ、硫化水素臭ただよう酸性のにごり湯を掛け流しでいただくと、体の悪いものがすっかり抜けていく感じがします。ぽん太の総合評価は4点となりますが、豪華な部屋や料理はいいから、すばらしいお湯を堪能したいという人には絶対のおすすめです。

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 建物はお世辞にもきれいとは言えません。

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 しかし、宿の裏手が奥塩原温泉新湯(あらゆ)の源泉です。この源泉を、そのまま掛け流しでいただけるのがこの旅館の売りです。

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 ごく普通のロビーです。従業員の応対はとってもアットホーム。

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 お部屋も普通です。


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 さあてお風呂です。男女別の内湯と、混浴(女性タイムあり)の露天風呂があります。
 まずは内湯。木製の湯船でけっこうせまく、体を洗うときにシャワーのお湯が湯船に入らないか気になるくらいです。でも、白濁したお湯、硫黄の匂い、変色した床など、湯治の雰囲気が漂い、いい感じです。

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 壁の掲示もレトロな雰囲気。

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 温泉分析表です(クリックで拡大します)。泉温79.2度、pH2.6、強いお湯です。泉質は単純酸性硫黄温泉(硫化水素型)。

Img_3433 浴室の片隅にポリバケツがあり、泥が入ってます。これが「湯どろ」で、いわゆる泥パックですね。貯めるのにけっこう時間がかかるそうで、下に落とさないようにスポンジで体に塗ります。


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 露天風呂もありますが、開放感はあまりありません。やはり内湯がいいですね。


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 夕食は部屋食で、お膳で出て来ます。豪華な会席とはいきませんが、地元の新鮮な食材を使った美味しいお料理。デトックスされます。豚肉は、下に大根おろしがいっぱい隠れていて、ごま油味。ホイル焼きは鶏肉です。

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 朝食も自室でお膳です。温泉旅館の普通の朝食ですが、素材のうまさがうれしいです。特に大量の大根の千切り。「塩原高原大根」という地元の特産品で、とってもみずみずしくて美味しいです。宿の少し先の農産物販売所で売っていて、大勢の観光客が買い求めていました(★訪れたのは11月下旬です!)。定番の温泉卵もおいしゅうございました。

2017/05/14

【蕎麦】独特の世界/竹やぶ 箱根店(神奈川県箱根町)

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 2016年10月末に訪問。
 言わずと知れた有名店。公式サイトはこちら

 蕎麦を云々する以前に、ガウディというか、ブリコラージュ風に飾り立てられた庭や外装に驚かされます。ちょっとキッチュで、でもぎりぎり限界で止まっている感じ。

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 このあたりは和風ですね。

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 人形みたいなのもあって、じっくり見るとちょっと怖いです。内装も、無国籍風でちょっと変わった感じ。

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 「田舎そば」は売り切れていたので、「せいろそば」を注文。器にも独特のセンスが貫かれています。取っ手付きの木製のお蕎麦の容器は面白いですね。

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 お蕎麦は細めで、香りが高いです。つゆはカツオだしベースの甘口で、しっかりした味です。蕎麦湯も濃厚。おいしゅうございました。

2017/05/13

【神社】万巻上人坐像(国重文)箱根神社(神奈川県箱根町)

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 昨年の書き残し大量放出シリーズ。昨年(2016年)の10月末、芦ノ湖畔にある箱根神社です。神社ではありますが、奈良時代の僧・万巻(まんがん)上人の像があり、国の重要文化財に指定されています。公式サイトはこちら

【神社名】箱根神社
【住所】神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1
【拝観】宝物館のなかにあります。拝観料500円。
【像】万巻(まんがん)上人坐像 像高85cm カヤ一木造 平安時代 国指定重要文化財
【写真】・udakichi-beans

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 神社ということで、恒例の狛犬チェックから。なかなか迫力があり、苔むしてます。

 宝物殿は近代的な建物で、万巻上人坐像はガラスケースに納められています。ほぼ等身大で、彩色のない素木像です。頭は剃髪し、衣を着た僧形で、右手は膝の上におろし、左手は胸の高さ。両手とも手のひらを上に向けて軽く握っており、何か持物があったと思われます。頭の目から上が大きく、耳たぶも垂れ下がってます。だんごっ鼻で両目を閉じ、眉をひそめた表情。衣の襞は翻波式で、素朴で力強い像です。

 万巻 - Wikipediaによると、万巻上人は奈良時代の僧。箱根山で山岳修行をして箱根三所権現を感得し、箱根神社を建立しました。鹿島神宮寺の建立にかかわったり、熱海温泉の発祥の伝説などもあるそうです。

 宝物館には他に「赤木柄短刀」(鎌倉時代、国重文、ただし複製)などがありました。曽我五郎が幼い頃に父の敵の工藤祐経から拝領し、のちに祐経に仇討ちをはたした際に、この短刀でとどめをさしたそうです。

2017/05/12

【オペラ】理不尽な死を受け入れるフェルノッキアのデズデーモナ/「オテロ」 新国立劇場

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 ちと時間がたってだいぶ忘れてしまいましたが、感想です。公式サイトはこちら

 やはりタイトルロールのカルロ・ヴェントレの歌唱が素晴らしかったです。朗々としながらも悲劇的な翳りがあり、圧倒的な迫力でした。イアーゴのウラディーミル・ストヤノフも、チェスのようにオテロを破滅に追い込んでいく冷徹な悪人を好演。デズデーモナのセレーナ・ファルノッキアは、役にしてはちょっと老けてる気もしましたが、貞淑で高貴な女性という雰囲気がぴったり。オペラの後半、無実でありながらオセロに殺されることを受け入れていくデズデーモナがひとつの見どころであり、女性のにゃん子は「こんなのおかしい!」と納得できないようでしたが、ファルノッキアの歌は泣かせてくれました。

 マリオ・マルトーネの演出は、舞台をキプロスからヴェネツィアに移し、本物の大量の水を使って、舞台上に運河を表現。面白いとは思うけど、なんどヴェネチアの総督が黒人なんだという疑問も湧いて来ます。冒頭の松明や落雷も凄かったらしいですが、4階からはよく見えませんでした。ラストでは、オテロはデズデーモナに口づけをできぬまま息絶えました。

 このオペラ、スリラー映画みたいな、一度安心させておいて脅かす、という手法が使われていて面白いですね。第三幕でオテロがハンカチの件でデズデーモナを問い詰める場面で、「私の思い違いだった」と許しを請うた次の瞬間に「下劣な娼婦め」と声を荒げるところとか、ラストで剣を渡すと思わせて、いきなり探検を取り出してわが身を刺すところなど。悲劇というよりスリラーです。

 音楽のことはよくわかりませんが、東京フィルの演奏は、冒頭からすごい迫力だった気がします。また、新国立劇場合唱団の合唱も堪能させていただきました。

 なかなかよい舞台だったのに、空席が多かったのが残念でした。


オペラ「オテロ」/ジュゼッペ・ヴェルディ
Otello / Giuseppe VERDI

新国立劇場・オペラパレス
2017年4月19日


スタッフ

指 揮:パオロ・カリニャーニ
演 出:マリオ・マルトーネ
美 術:マルゲリータ・パッリ
衣 裳:ウルスラ・パーツァック
照 明:川口雅弘
再演演出:菊池裕美子
舞台監督:大澤 裕

オテロ:カルロ・ヴェントレ
デズデーモナ:セレーナ・ファルノッキア
イアーゴ:ウラディーミル・ストヤノフ
ロドヴィーコ:妻屋秀和
カッシオ:与儀 巧
エミーリア:清水華澄
ロデリーゴ:村上敏明
モンターノ:伊藤貴之
伝 令:タン・ジュンボ

合唱指揮:三澤洋史
合 唱:新国立劇場合唱団
児童合唱:世田谷ジュニア合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

2017/05/11

【登山】陣馬高原下から堂所山・陣馬山

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 せっかくここまで来たので陣馬山まで繋げようと、今週もまた行ってまいりました。
 これで5回にわけて、ようやく高尾→陣馬がつながりました。トレランの人なんか、1日で往復するのにネ。ぽん太も老いたものじゃわい。


【山名】堂所山(731m)、陣馬山(857m)
【山域】奥多摩・高尾
【日程】2017年4月27日(日帰り)
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】晴れ
【ルート】陣馬高原下11:09…12:16底沢峠…12:30堂所山(昼食)12:54…13:56陣馬山(コーヒータイム)14:31…(陣馬新道)…15:44陣馬高原下

(※3D地図や当日の天気図などは「山行記録のページへ」をクリック)
【マイカー登山情報】陣馬高原下バス停付近に、私設の有料駐車場があり。計20台分くらいかな?料金は800円です。

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 陣馬高原下の有料駐車場に停車。ここで10台弱ですかね。
 ここから底沢峠へ向かって登ります。しばらくは舗装道路で、途中から登山道になります。

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 ん?ハクサンイチゲ? んなわけない。イチリンソウですね。けっこう華やかなんですね。

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 ヒトリシズカちゃんです。
 底沢峠から堂所山に向かいました。

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 桜の花びらが撒き散らされた登山道。堂所山でお昼ご飯を食べ、再び底沢峠を経て陣馬山へ。

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 連休直前。誰もいない陣馬山。にゃん子がいれてくれたドリップコーヒーをいただきました。
 そういえばぽん太は、陣馬山に登った記憶がありません。小学校の遠足で来てなければ、これが初登頂かもしれません。

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 陣馬山頂からは陣馬新道を下って陣馬高原下に戻ります。無味乾燥な尾根道の急登。下りならまだしも、絶対に登りたくない道ですね。
 写真は、ムラサキヤシオの花火。

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 ニリンソウの大群落です。

2017/05/10

【登山】新緑ぽやぽや/木下沢梅林から景信山・堂所山

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 春だい、運動だい、ダイエットだい。
 前回で高尾山から景信山までつないだので、今回は景信山から堂所山までです。新緑や山桜がとてもきれいでした。


【山名】景信山(727.1m)、堂所山(どうところやま)(731m)
【山域】奥多摩・高尾
【日程】2017年4月20日(日帰り)
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】晴れ
【ルート】木下沢梅林11:00…小下沢登山口11:39…12:47景信山13:19…堂所山14:18…関場峠14:55…(小下沢林道)…16:06木下沢梅林

(※3D地図や当日の天気図などは「山行記録のページへ」をクリック)
【マイカー登山情報】木下沢梅林の道沿いに、無料の駐車スペースがあります(全部あわせて2〜30台?)。小下沢林道を入っていくと、途中2,3ヶ所駐車スペースがありますが(全部で10台弱?)、「関係者以外は車の通行をご遠慮ください」という掲示に気がつかない必要があります。

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 小仏の手前の細い道を右折して中央道をくぐったところにある木下沢(こげざわ)梅林の駐車スペースに車を停めます。

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 しばらくは小下沢(こげざわ)林道を歩いて行きます。普通は退屈な林道歩きですが、新緑や、傍を流れる小下沢がとってもきれいで、ちっとも飽きませんでした。

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 ヤマルリソウですね。小さい花ですが、瑠璃色がとてもきれいです。

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 小屋のあるところが小下沢登山口。小下沢を渡って景信山への登りにかかります。

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 ニリンソウです。

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 山頂は桜がちょうど満開でした。お弁当を食べ、にゃん子がいれてくれたドリップコーヒーをいただきました。

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 黒いネクタイしてるのでシジュウカラちゃん。

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 景信山から堂所山への稜線。新緑の淡い色合いがとてもきれいです。

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 葉っぱが細く切れた不思議な白いスミレを発見。エイザンスミレでしょうか。

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 イカリソウですね。

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 新緑、新緑
 帰りは、関場峠から小下沢林道を下りました。

2017/05/09

【温泉】久々に落ち着くにゃ〜・大沢山温泉大沢館(新潟県南魚沼市)(★★★★★)

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 4月上旬、大沢山温泉の大沢館に、久々に泊まってきました。3回目か4回目でしょうか?
 ここのところちょっとバタバタしていたので、新たな温泉を開拓するよりは、知っている落ちついた旅館に泊まりたい気分でした。

 ちょっと格式を感じる木造の建物が美しく、焦げ茶色の壁が豪雪地帯によく似合います。開放感のある広々した露天風呂も魅力。巻機山が見事な借景となっております。ご飯はけっして豪華ではありませんが、地元の食材を使った美味しい郷土料理。ご飯はもちろん魚沼コシヒカリです。定番のおやつ食べ放題や、八海山一杯サービスも健在。静かな雰囲気で、とっても気持ちが安らぎました。日本秘湯を守る会の会員宿。ぽん太の評価は5点満点!

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 南魚沼市と言うより、塩沢石打インターと言った方がわかりやすいですかね。上越国際スキー場の大沢ゲレンデの入り口を通り越して登っていくと、趣ある建物が見えてきます。一番左から順に、露天風呂、別館、内湯、本館ですね。
 あちこちの温泉に行きたいのであまりリピートしないぽん太ですが、大沢館は3回目か4回目でしょうか。調べて見ると前回は2005年のようです。これまではスキーで来てたので深い雪に覆われておりましたが、今回は春。雪が溶けかけております。

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 食べ放題サービスは健在。他に焼き芋、焼きおにぎり、味噌こんにゃく、アイス、甘酒など。

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 お部屋はリーズナブルな本館です。

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 渡り廊下を通ってまず露天風呂へ。

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 ん〜。この露天は何度入っても気持ちいいですね〜。開放感抜群。まわりの雪の壁がないので、道路を走っている車が見えいるのが、ちと恥ずかしいです。
 お湯は無色透明。褐色の湯の花がわずかに舞います。とろっとした柔らかい肌触りで、舐めるとほんの少ししょっぱいです。

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 温泉分析表です。pH8.4と弱アルカリ性。泉質は、ナトリウムー塩化物・炭酸水素塩泉です。泉温27.2度なので加温をしているはずですが、源泉の利用の仕方に関しては表示が見つかりませんでした。でも、この広い露天風呂、真冬は燃料代がかかるでしょうねえ。

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 渡り廊下から見た巻機山。春の空気でちょっと霞んでます。雪も溶けかかってますね。

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 内風呂です。内風呂とはいえ、窓が広くて開放感があり、巻機山を真正面に望めます。

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 さ〜て夕食です。今回はお料理少なめのプランですが、ぽん太とにゃんこには十二分です。山菜など地元の食材を使った郷土料理です。そしてぽん太とにゃん子には嬉しい定番のサービスは、宿のご主人が八海山の一升瓶を持って来てコップに注いでまわります。

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 その他、魚の西京焼きや、脱皮がにが入った天ぷら、茶碗蒸しなどが運ばれて来ました。ご飯はもちろん魚沼コシヒカリ。柔らかめに炊くのはこの旅館の流儀でしょうか。

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 夜の露天風呂です。

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 朝食も素朴なお料理で美味しゅうございました。

2017/05/08

【登山】往復1時間!高尾山口から金比羅台往復

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 ぽん太とにゃん子は新潟の温泉に行くことにしたのですが、ちょっと運動してからということで、高尾山を歩いてから新潟に行くことにしました。高尾山口から1号路を登り、時間が来たら帰るという企画です。結局、金比羅台から1号路に戻った少し上あたりのベンチで、お弁当を食べて帰りました。


【山名】高尾山
【山域】奥多摩・高尾
【日程】2017年4月6日(日帰り)
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】晴れ
【ルート】高尾山口11:40…12:06金比羅台12:31…12:50高尾山口

(※3D地図や当日の天気図などは「山行記録のページへ」をクリック)
【マイカー登山情報】高尾山口の有料駐車場を利用。


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 花がいろいろ咲いていて、写真目当てのハイカーもたくさん来てました。これはヨゴレネコノメソウ?
 冒頭の写真はシャガですね。

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 イモカタバミ?

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 スミレの同定は苦手です。アオイスミレ?

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 金比羅台に到着。「金毘羅社」があります。展望は、春霞がかかっていて、さほどではありませんでした。


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 金比羅台から1号路に戻ったあたりにあった石仏。台座に「本尊薬師如来 七拾七番 讃岐國 道隆寺」と書かれています。四国八十八ヶ所巡りですね。
 如来でありながら、着物をきて袈裟をかけており、お地蔵さんのように赤い毛糸の帽子をかぶってます。左手に数珠を持っているところを見ると、薬壷は欠損しているのではなく、もとからなかったのかもしれません。台座には薬研と、なんだかアラブっぽい水差しが描かれています。
 
 帰ってからぐぐってみると、高尾山薬王院の公式サイトに(こちら)に出てました。「高尾山内八十八大師」というものがあり、「明治三十六年(1903)、第二十六世御山主・志賀照林大僧正がご信徒の為に、自ら四国八十八ヶ所を巡礼され、その札所の土を持ち帰り、山内の各所に納め、お大師像を建立したもの」だそうです。
 ん?四国八十八ヶ所巡りを手軽に行うためのミニ八十八ヶ所巡りはあちこちにあるけれど、ここは八十八「大師」ですか?ということは、四国八十八ヶ所の御本尊を祀っているのではなく、八十八ヶ所にちなんだ大師像ということでしょうか。それなら服装が僧形なのは納得できます。失われてしまった右手には、五鈷杵あるいは三鈷杵を持っていたのでしょう。
 八十八大師は、山梨県の三ツ峠山にもあるようですが、どういう考えにもとづくどういう信仰なのか、ちとわかりませんでした。

 それからもひとつ、この石仏があったあたりに、地図に「万惣大師」と書いてありますが、これが具体的に何を指しているのか、どういう信仰なのか、これもまたよくわかりません。高尾山登山のブログなどを見ると、「万惣大師を過ぎて」などと書いてありますが、ホントにどれが万惣大師か知っとるんかい?

2017/05/07

【登山】春まだき、小仏登山口から景信山、城山

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 冬眠でちょっぴりふくよかになったぽん太。にゃん子と一緒に、高尾山にダイエットに行って来ました。以前に高尾山から城山まで行ったことがあるので、今回は景信山から城山に繋げてみました。

【山名】景信山(727m)、城山(670.3m)
【山域】奥多摩・高尾
【日程】2017年3月30日(日帰り)
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】晴れ
【ルート】小仏登山口12:17…13:13景信山13:54…小仏峠14:33…城山15:05…小仏峠15:41…小仏登山口15:41

(※3D地図や当日の天気図などは「山行記録のページへ」をクリック)
【マイカー登山情報】小仏バス停を通り越してゲートの手前までいくと、十数台停められる無料駐車スペースがあります。

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 こちらが駐車スペースです。みなさん、他の人のことも考えて、隅からきっちり寄せて停めましょう。
 少し戻ったところから登る尾根沿いのルートではなく、ゲートの先をすぐ右折する谷沿いのルートで景信山に向かいます。

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 あっという間に景信山山頂へ。山頂手前はひどいぬかるみで、難儀しました。写真は北高尾山稜の向こうに広がるTokyoです。
 冒頭の写真が景信山山頂の様子です。まだ雪が残っていて、木々はまだ冬枯れ状態。
 お弁当を食べ、にゃん子が入れてくれた本格ドリップコーヒーをいただきました。

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 景信山から稜線をたどって小仏峠へ。歴史ある峠らしく、石仏があります。一面六臂。上には太陽と月。下には三猿ということで、「青面金剛」(しょうめんこんごう)ですね。中国の道教に由来し、庚申信仰の本尊とされる仏様です。

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 こちらは明治天皇の行幸跡。

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 こちらの祠には、昭和28年再建と書かれています。戦後まもなく、どのような気持ちで祠を再建したのでしょう。

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 以前に訪れた城山に到着。
 小仏峠まで戻って、駐車場に下山しました。

2017/05/06

【温泉】日本の温泉文化の最高峰・乳頭温泉郷鶴の湯温泉(秋田県)(★★★★★★)

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 つ・い・に・い・っ・て・ま・い・り・ま・し・たっ!鶴の湯温泉!!公式サイトはこちらです。

 温泉ファンをやって苦節●年。これまで何回かチャレンジはしたものの予約が取れず。瞬時にして予約が埋まったという以前に比べれば少しは予約が取りやすくなったものの、それでもなかなかタイミングがあいませんでした。
 しかしこんかいっ、直前の問い合わせだったにも関わらずっ、なんと空室がっ。し、しかも「本陣」が空いているというじゃないですか〜〜〜!
 ごほ、ごっほん。温泉ファンじゃない人は何のことかわからないでしょうけど、鶴の湯温泉の「本陣」といえば、全国の温泉ファンがよだれを流すという超レアもの。泊まれるとなれば三日三晩歓喜の涙を流し続けるという代物です(自分で何を言ってるのかよくわからなくなってきました)。

 江戸時代にタイムスリップしたかのような雰囲気。4つの源泉を持ついかにも温泉らしい白濁したお湯。素朴で美味しいお料理。しかも本陣で1万円を切るお値段。ぽん太の評価は、ありえない点数が出ました。なんと5点満点の6点です!!!

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 見えてきました、何度も雑誌で見だ風景です。ううう〜涙が出てきてよく見えない。向かいの山が雪崩が起きたところでしょうか(これは秘密か?)。

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 じゃじゃ〜ん。時代劇に出てくるかのような風景です。向かって左が今回宿泊する「本陣」。茅葺の建物は、秋田藩主佐竹義隆(1609-1672年)が湯治に訪れた際に警護の人たちが泊まったと言われており、登録有形文化財に指定されております。向かって右は2号館・3号館です。

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 通りをまっすぐ進んで行き、左が受付、正面に温泉の建物(左が黒湯、右が白湯)が見えております。
 奥を歩いているのは外人さん。外人さんがけっこう多かったです。ただ、丹前の着方を知らないようで、浴衣の上に、帯を締めずにマントのように羽織ってます。

 と、思ったら、日本人でも同じように羽織っている人がいっぱいいるのにびっくり。若い人は丹前の着方をしらないのでしょうか……。と、言うより、鶴の湯温泉は、いわゆる温泉ファンじゃなくて、初めて温泉旅館に泊まるような人たちも多いということですね。

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 こちらが受付。ほとんど山小屋ですな。

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 本陣にご案内です。天窓つきの茅葺き屋根がきれいですね。ちなみに隣の部屋とは板一枚なので会話はつつぬけで、プライバシーはありません。

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 入り口から奥を見た図。内部はとっても綺麗に改装されています。トイレ洗面付き。

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 奥から玄関方向を見た図。いろりがあります。

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 日が傾いてきて、囲炉裏とランプに灯がともります。


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 さ〜て温泉です。鶴の湯温泉には4本の源泉があります。

 まずは鶴の湯を代表する混浴露天風呂。常に大勢の温泉客で賑わっておりますが、翌朝は雪だったせいか、それとも「温泉ファン」が少ないせいか、誰も入っていなかったので写真を撮らせていただきました。
 お湯は緑灰色で白く濁っています。硫黄泉ですが、なめても酸っぱくなくて、肌に優しいお湯です。素晴らしいお湯ですね。泉質は含硫黄ナトリウム塩化物・炭酸水素泉です。源泉は滝の湯と一緒ですが、滝の湯は冬季は閉鎖です。
 ところどころ、浴槽の底からお湯が沸いていて、ポコポコ泡が出ていたりします。
 混浴ですが、お湯が濁ってますので、女性専用の入り口でしゃがんでお湯に入って移動してくれば、女性もなんとかなります。

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 こちらが中の湯です。露天風呂への入り口になってます。木製のガラス戸が、湯治の雰囲気を漂わせています。

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 同じように白濁しておりますが、結晶の析出が目立ちます。泉質は含重曹・食塩硫化水素泉です。

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 お次は黒湯です。といってもお湯は黒くなくて、やっぱり白いです。泉質はナトリウム塩化物・炭酸水素泉です。

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 黒湯の温泉分析表です(クリックで拡大します)。


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 こちらは白湯です。真っ白い結晶。石積みの壁。巡らされたお湯の樋。これもなかなか雰囲気がいいですね〜。泉質は含硫黄ナトリウム・カルシウム塩化物・炭酸水素泉(硫化水素型)です。

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 白湯の温泉分析表です。

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 もうひとつ、新本陣の内湯があります。壁が真新しいですが、床はたちどころに年季が入ってます。どの源泉なのかは、ちょっとわかりません。


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 さて、お食事です。本陣は廊下がなく扉は外に面していますので、おじさんが雪の上をお膳を運んで来てくれます。頭がさがる思いです。
 メニューは地元の素材を使った美味しいお料理。特に右下の揚げ出しは「こまちだんご」と呼ばれるもので、きりたんぽとならぶ秋田の郷土料理だそうです。うるち米を粒が残るくらいに潰して、団子にしたものです。まわりのキノコはナラタケです。

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 そうして囲炉裏には、イワナの塩焼きとお鍋がセットされます。とっても暖まります。

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 すっかり日が暮れました。凍りつくような冷気のなか、部屋のあかりが温もりを与えてくれます。

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 凍み餅もすっかり凍っていることでしょう。
 明け方は部屋の中がどんなに冷え込むかと心配しましたが、意外と暖かいのには驚きました。

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 翌朝は雪でした。

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 朝食も美味しゅうございました。


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 麓に降りると、あの雪が嘘だったかのような青空。雪をかぶった岩手山が見えました。

2017/05/05

【仏像】整ったお姿の半丈六仏・銅造阿弥陀如来坐像(国重文)・全良寺(秋田県秋田市)

Img_4930  秋田県の国指定文化財の彫刻は、国宝はなくて、重要文化財は全良寺のこの仏さまだけです。ぽん太とにゃん子は3月下旬に拝観させていただきました。

 

 

 

 

【寺院名】臨済宗妙心寺派 全良寺
【住所】秋田県秋田市八橋本町6-5-30
【拝観】要事前連絡。拝観料忘れました。志納だったかも。
【仏像】銅造阿弥陀如来坐像 像高122.2cm 鋳銅製 平安時代後期〜鎌倉初期 国指定重要文化財

 

 

 

 

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 教会?あるいは新興宗教?という感じのモダンな建物にびっくり。ガラスに反射した樹木や空が美しいですね。設計士を聞いたんですけど忘れてしまいました。扇子の形をした久保田藩(秋田藩)の紋(こちら)を模したものだそうです。

 

 住職さんに案内されて本堂に入ると、まず中央のご本尊の前でお祈りをします。住職さんが般若心教を唱えてくださり、そのあと経典の冊子を見ながら、一緒に短いお経というか、お経のわかりやすいバージョンみたいなのを一緒に唱えます。そのあと、ご本尊の向かって左に安置されている阿弥陀さまんのところに案内して下さり、丁寧に解説していただけます。
 以前は阿弥陀さまの破損部分ばっかり写真を撮ってる人がいるなどしたそうで、住職さんは、これは仏様との向き合い方が違っているなとお考えになり、現在のような方法に改めたのだそうです。

 

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 銅造というと、数十センチの小さなものか、巨大な大仏を思い浮かべますが、この仏さまは等身大よりちょっと大きめのいわゆる半丈六。お姿もとっても整っております。非常にすっきりした綺麗なお姿です。
 鎌倉時代の作と言われておりますが、平安後期まで遡れるのでは、という説もあるそうです。以前は、近くにあった十王堂に置かれており、そこは月桂寺となりましたが、さらに廃寺となったため、平成6年に全良寺に移されたそうです。
 国指定重要文化財ではありますが、「銅造なので減らないですから」と、なんと触らせていただけます。下の方に欠損している部分もあります。指もだいぶ無くなっておりますが、右手は指を一本立てているみたいで、かえってチャーミングです。体の前面には細かな傷があり、石仏のようなザラメ状になっておりますが、投げ銭がぶつかった跡とも考えられるそうです。

 

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 表情は穏やかで、両目を閉じ、内面に心を向けている様子。ちょっとふっくらしたお顔で、石仏を思わせるところもあります。

 

 

 

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 境内の一角には祠があり、石仏が祀られてます。

 

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 身代延命地蔵尊は、阿弥陀さまと同じく、十王堂から移されたものです。

 

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 隣は大きな如来像でしょうか。

 

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 こちらは六地蔵。

 

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 石仏に庚申塔。一番右は「養蚕師甚助墓」と書いてありますが、いわれはわかりません。

 

 

 全良寺には官修墓地があるそうですが、またの機会にみちくさしたいと思います。

2017/05/04

【歌舞伎】寺嶋眞秀くん初お目見得を初日で見てきたよ/2017年5月歌舞伎座昼の部

 寺嶋眞秀(まほろ)くん(4歳)の初お目見得、初日に見てまいりました。公式サイトはこちらです。

 「魚屋宗五郎」の丁稚与吉役で登場。花道に現れると凄い拍手で、たくさんの大向こうがかかりました。花道をてくてくと歩いて行き、玄関のところで「ごめんくださいまし〜」と芝居がはじまります。最初のセリフが言えたところでまた拍手。でも、前半は上手を向いての芝居なので、お顔が見えません。うううじれったい。
 ようやく正面を向いてお顔が見えました。ハーフといってもフランス人なので、眉毛をはじめ、濃い系のお顔で可愛らしいです。最後に花道へと戻って来るあたりでは、笑いそうになるのを堪えている感じでした。
 ぜひ歌舞伎役者になって、将来はフランスを舞台にした新作歌舞伎などを作って欲しいです。

 初日だったので、歌舞伎座の入ったところには、テレビで見た眞秀くんのお父さんと、その親族と思われるフランス人の一団がいました。紋付き着たお姉さんもいましたね。しのぶちゃんは、眞秀くんの準備に忙しいのか、いませんでした。


 さて、今年の團菊祭、眞秀くんのデビュー以外に、坂東楽善、彦三郎、 亀蔵、亀三郎の同時襲名もありました(亀三郎の初舞台は夜の部なのでぽん太は見れず)。昼の部の最初の演目は、襲名披露の「石切梶原」。彦三郎は、若侍役は清々しい美男子だし、世話物で笑うと可愛いし、ぽん太は前から好きでした。今回の梶原平蔵も朗々と爽やかでよかったです。
 剣菱呑助の松緑が、お酒尽くしではなく、「同時襲名のこんなめでたい日に殺されるなんて〜」みたいなセリフに変えて、笑いをとってました。

 ついで海老蔵と菊之助の「吉野山」。海老蔵、最後の花道での引っ込みのとき、すっごい憂いを含んだ表情だったのには驚きました。大切な人の旅路を見守っていくということが、どれほど辛くせつなく、そして喜ばしいことかを海老蔵はわかったのかな、などとぽん太は勝手に思いました。踊りはまだまだ改善の余地がありますが、内面的には素晴らしい成長を遂げているのでしょうか。

 最後の「魚屋宗五郎」は、初日だというのに、宗五郎の菊五郎以下役者全員が、息や間合いがぴったりあった完成した芸。お酒をほどほどたしなむぽん太とにゃん子にとって、この演目は面白いやら身につまされるやら。泥酔して外へ出て行こうとする菊五郎に、時蔵が「おまえさ〜ん、どこへ行くんですか〜?」と尋ねる口調が、相手を刺激しないようにというか、看護師さんや介護士さんの口調みたいで個人的に大ウケしました。


團菊祭五月大歌舞伎
歌舞伎座
平成29年5月3日


昼の部

   初代  坂東楽善
   九代目 坂東彦三郎 襲名披露狂言
   三代目 坂東亀 蔵

一、梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり )
    鶴ヶ岡八幡社頭の場

 梶原平三 亀三郎改め彦三郎
 俣野五郎 亀寿改め坂東亀蔵
 剣菱呑助 松緑
 奴菊平  菊之助
 山口十郎 巳之助
 川島八平 廣松
 岡崎将監 男寅
 森村兵衛 橘太郎
 梢     尾上右近
 六郎太夫 團蔵
 大庭三郎 彦三郎改め楽善

 
  義経千本桜
二、吉野山(よしのやま)

 佐藤忠信実は源九郎狐 海老蔵
 逸見藤太 男女蔵
 静御前  菊之助
     
   
  河竹黙阿弥 作
  新皿屋舗月雨暈
三、魚屋宗五郎 ( さかなやそうごろう )

 魚屋宗五郎 菊五郎
 女房おはま 時蔵
 磯部主計之助 松緑
 召使おなぎ 梅枝
 酒屋丁稚与吉 初お目見得 寺嶋眞秀
 岩上典蔵  市蔵
 小奴三吉  権十郎
 菊茶屋女房おみつ 萬次郎
 父太兵衛  團蔵
 浦戸十左衛門 左團次

2017/05/03

【仏像】聖観世音菩薩像・歓喜寺(秋田県秋田市)(付:【喫茶店】カフェラテ)

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 秋田県秋田市にある歓喜寺は、都市開発に伴って現在の地に移転し、真新しい本堂が目につきます。

 

 

 

 

【寺院名】曹洞宗 歓喜寺
【住所】聖秋田県秋田市下北手梨平字袖ケ沢1-1
【拝観】拝観料特になし。事前連絡が望ましいです。
【仏像】聖観世音菩薩像 像高30cm 県指定有形文化財
【関連サイト】公式サイトはなさそうなので、下記にリンクしておきます。
歓喜寺|曹洞宗ナビ

 

 

 

 

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 拝観を申し出ると、お坊さんが像のところまで案内してくださいます。広い納骨堂を通り過ぎたところにある座敷に、木製の大きな仏壇のようなものがあり、その奥の厨子の中に観音様がいらっしゃいます。小さいです。30smくらいでしょうか。しかも色が黒く、距離もけっこう遠いので、双眼鏡で見てもお姿がよくわかりませんでした。

 

 そのほかに、ほぼ等身大でけっこう迫力ある広目天像、小さな不動明王、のっぺりしたお顔の地蔵菩薩さまなどもいらっしぃました。

 

 

 

 

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 その後、秋田市の海沿いにある喫茶店カフェラテに行き、せっかくなので店名のカフェラテと、ケーキをいただきました。木が使われたマリンっぽい店内もオシャレでした。食べログにリンクしておきます。

2017/05/02

【仏像】赤田の大仏(十一面観音菩薩立像)長谷寺(秋田県由利本荘市)

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 3月下旬、秋田県は由利本荘市の赤田の大仏を見に行きました。正式には木造十一面観音立像で、長谷寺(ちょうこくじ)にあります。

 

 

 

 

【寺院名】曹洞宗 正法山長谷寺(ちょうこくじ)
【住所】秋田県由利本荘市赤田上田表115
【拝観】無料。拝観自由。広い駐車場あり。
【仏像】木造十一面観音菩薩立像(赤田の大仏) 像高7.878m 杉材 寄木造 明治25年作 市指定有形文化財

 

 

 

 

Img_4890 道路沿いにある広い駐車場に車を停め、石段を上がっていくと、ちょっと不思議な雰囲気の、楼閣のような建物が見えて来ます。これが大仏殿です。
 国の登録有形文化財。二階建てに見えますが内部は一層で、二階に見えるところに大仏さまの頭が入ってます。

 

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 長谷寺は、安永4年(1775年)創建。天明6年(1786年)、鎌倉長谷寺の本尊と同じ木から掘り出されたという小仏を体内仏とした十一面観音立像が作られました。しかし明治21年(1888年)に火災で伽藍はすべて消失。明治25年(1892年)に観音像が再建され、翌年に大仏殿、明治34年(1901年)に本堂が再建されました。

 

Img_4912  案内板です(クリックで拡大します)。これを読むと大仏殿は、当初の建物をかなり忠実に復元したもののようです。

 

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 彫刻もなかなか頑張ってます。

 

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 天女も悪くありません。

 

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 大仏殿の扉を勝手に開けて中に入り、無料で拝観することができます。明かりが自動的に点灯します。
 内部に入ると、ばば〜ん、いらっしゃいました。デカイです。金ピカです。
 右手に錫杖を持ち、左手にレンゲの花瓶を持っているところは鎌倉の長谷寺の十一面観音に倣っておりますが、岩座ではなく蓮華座の上に立てれているところが異なります。
 お姿はデフォルメされていて、近世の雰囲気がありますね。

 

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 周りには、様々な仏様が安置されております。
 こちらは不動明王と、矜羯羅童子、制吒迦童子です。右上には飛天がいますね。

 

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 これはいっぱいいますね。一番右は山神だそうです。

 

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 蔵王権現です。

 

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 最後に本堂の写真を載せておきます。

2017/05/01

【温泉】保湿効果抜群の温泉と、山菜などを使った郷土料理・岩倉温泉(秋田県大仙市)(★★★★)

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 3月下旬、ぽん太とにゃん子は、秋田県の岩倉温泉に行って来ました。宿の公式サイトは公式サイト" target="_blank">こちらです。
 岩倉温泉は、花火で有名な大曲の近くにある一軒宿。日本秘湯を守る会の会員宿です。建物の外観はロッジ風ですが、内部は重厚で落ち着いた和風の内装。タイル張りのお風呂はあまり広くありません。無色透明のお湯は、舐めるとしょっぱく、保湿効果抜群で、お肌ががさつきません。もちろん源泉掛け流し。竜の口から流れ落ちる源泉の霊力でしょうか? お食事は山菜など地元の食材を使った郷土料理で、派手さはありませんが美味しいです。山菜好きのぽん太とにゃん子ですが、「ひろっこ」初めていただきました。
 温泉力とお料理がかなりの加点で、ぽん太の評価は4点!

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東北道を北上し、北上付近は青空で、あたりに雪もありませんでしたが、秋田自動車道を西に進むとだんだん雪が増えて来て、お空も雪模様。途中、雪原の上に霧がたちこめた幻想的な風景を見ることができました(クリックで拡大します)。

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 外観はロッジ風の建物ですが……

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 内部は重厚な雰囲気の和風旅館となっております。

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 ロビーには立派な陶磁器が飾ってあります。

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 和風の中庭もあります。

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 客室も落ち着いた和室です。


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 温泉も落ち着いた感じというか、ちょっと暗め。タイル張りで、あんまり広くありません。
 お湯は無色透明ですが、舐めるとしょっぱいです。泡がたたないということで、シャンプー類は置いてありません。入った後、お肌がしっとりします。
 女湯との境はガラスブロックになっております。実はこの壁、一番奥のところは途切れていて、男湯と女湯がつながっております。しかしそこには、冒頭の写真にある源泉の注ぎ口によって狭まっており、女湯側に入ることはできません。ただ、女性が窓際にいれば、男湯からは見えます。
 ぽん太の勝手な推測ですが、おそらく昔は男女混浴の一つの浴槽があり、この注ぎ口から源泉が注がれていたのでしょう。のちに男女の仕切りを作った時、この注ぎ口を残すために、このような作りになったんだと思います。

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 温泉分析表です。泉温は58.3度と高温。pHは7.7と弱アルカリで、泉質はナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩泉です。塩化ナトリウムが多いですね。でも、これでなんで石鹸が立たないのか、お肌がしっとりするのか、たぬきのぽん太には理解できません。
 加水・加温・循環なしの正真正銘の源泉掛け流しです。

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 さて、夕食ですが、山菜やキノコなど、地元の食材を使った小鉢がいっぱい。山菜好きのぽん太とにゃん子には嬉しいメニューです。時期的に昨年収穫したものだと思いますが、山菜の時期にまた来てみたいです。秋田といえばいぶりがっこもありますね。
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 そして秋田といえば、きりたんぽは欠かせません。

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 焼き魚はニジマスです。

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 この揚げ物が、なにげに凄いです。一番右が干し柿!、その左手前が栗、奥がムカゴ、緑色のそら豆、そして一番左が「ひろっこ」という秋田の春の伝統野菜。アサツキあるいはノビルなどのネギの芽だそうです。これは今年のものですね。美味しゅうございました。

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 すいません、ちょっと食べてしまいました。デザートは米粉で作った日本酒味のゼリー状のもの(?)。

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 朝食も美味しゅうございました。

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