【歌舞伎】悪もまた美しい「絵本合法衢」2018年4月歌舞伎座夜の部
仁左衛門が一世一代と銘打っての「絵本合法衢」、観て参りました。いや〜素晴らしかったです。これで最後なんてもったいない!まだまだできそう……というのは客の身勝手な意見で、実はいろいろと大変なんでしょうね。
仁左衛門は、一時声が出にくそうな時もありましたが、こんかいはとてもよく出てました。特に冒頭で編み笠をかぶった大学之助の声は野太くて迫力があり、最初ほかの役者さんかと思うくらいでした。
こんかいの「絵本合法衢」は歌舞伎座初上演ですが、ぽん太はすでに国立劇場で2回見てます。ということで細かい感想は省略。
特に最初に観たのは2011年3月でした。そう、東日本大震災が起きたときです。3月公演としてこの狂言がかけられていたのですが、震災が起きて、途中で打ち切りになりました。ぽん太は震災が起こる前に見ることができたのですが、以来ぽん太のなかでは、仁左衛門演じる悪のイメージと、圧倒的な強さで破壊をもたらした震災のイメージが、重なりあっています。こんかいも、大学之助・太平次によって人々があっけなく次々と死んていくのを見て、じんわりと涙が出てきました。
「崇高さ」さえ感じる大学之助の巨悪、そしてちょっと可愛らしくさえあるちんぴらの立場の太平次、仁左衛門の演技はこんかいも完璧でした。
それから時蔵もいいですね。あのカマボコ小屋に住まわせたら、右に出る役者はいません。
錦之助、孝太郎の田代屋与兵衛・お亀夫婦は、育ちの良い町人らしさと正義感がありました。坂東亀蔵、梅丸の孫七・お米夫婦も若々しかったです。吉弥、彌十郎、團蔵などがしっかりした演技。
この狂言の題名の由来であり、大詰めの舞台となっているのが、大阪は天王寺の近くにある「合邦辻閻魔堂」であり、そこで実際にあった仇討ち事件がこの狂言の題材になっていることは、以前の記事で書きました(《【歌舞伎】仁左衛門の崇高な悪 国立劇場「絵本合法衢」》)。また実際に合邦辻閻魔堂を訪れた時の記事はこちら(《【大阪の歌舞伎ゆかりの地を訪ねて】合邦辻閻魔堂、四天王寺、野崎観音など》)。
合邦辻閻魔堂に関しては、こちらのサイト(続・竹林の愚人)に簡単な歴史が書かれております。下の方に、『摂津名所図会』に描かれた「合法辻」の画像がありますが、柱と屋根だけの東屋の下に、大きめ(座った状態で人間の身長より少し低いくらい)の閻魔様が祀られているようです。この閻魔様、今回の舞台の閻魔様と似てますね。参考にしたのかもしれません。『摂津名所図会』の刊行は1796年(寛政8年)~1798年(寛政10年)。鶴屋南北の「絵本合法衢」の初演が文化7年(1810年)ですから、南北のころの閻魔堂は、この画像とほぼ同じだったことでしょう。
四月大歌舞伎
歌舞伎座
平成30年4月25日
夜の部
四世鶴屋南北 作
奈河彰輔 補綴・演出
片岡仁左衛門 監修
通し狂言
絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)
立場の太平次
片岡仁左衛門一世一代にて相勤め申し候
序 幕 第一場 多賀家水門口の場
第二場 多賀領鷹野の場
第三場 多賀家陣屋の場
二幕目 第一場 四条河原の場
第二場 今出川道具屋の場
第三場 妙覚寺裏手の場
三幕目 第一場 和州倉狩峠の場
第二場 倉狩峠一つ家の場
第三場 倉狩峠古宮の場
第四場 元の一つ家の場
大 詰 第一場 合法庵室の場
第二場 閻魔堂の場
左枝大学之助/立場の太平次 仁左衛門
田代屋与兵衛 錦之助
田代屋娘お亀 孝太郎
孫七 坂東亀蔵
太平次女房お道 吉弥
お米 梅丸
番頭伝三 松之助
升法印 由次郎
関口多九郎 権十郎
田代屋後家おりよ 萬次郎
高橋瀬左衛門/高橋弥十郎 彌十郎
佐五右衛門 團蔵
うんざりお松/弥十郎妻皐月 時蔵
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