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2018/06/04

【温泉】鎌田宿の歴史について調べてみた。尾瀬鎌田宿温泉・梅田屋旅館(群馬県片品村)(★★★★)

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 今年の2月中旬、ぽん太とにゃん子は、群馬県は片品村にある梅田屋旅館に泊まってきました。何回目かの宿泊ですが、尾瀬方面のスキー場に行くときは重宝する宿です。

 上州の宿場の旅籠を思わせる建物、お肌がすべすべするアルカリ性の美人の湯、地元の新鮮な食材をふんだんい使ったお食事など、目を引くような派手さはありませんが、決して裏切られることのない安心して泊まれる宿なので、ぽん太はリピートしております。評価は堂々の4点です。

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 ご覧の通り、旅籠の雰囲気が漂う門構えです。明治44年(1911年)の創業だそうです。
 このあたりでは安心して泊まれる宿。あまりリピートしないぽん太ですが、ここには何回かお世話になっております。過去の記事もご参考にしてください。

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 とゆうことで、こんかいはこの旅館がある「鎌田宿」についてみちくさしてみたいと思います。

 だけど、ググってみても、鎌田宿がどのような街道のどのような宿場だったのか、情報がありません。梅田屋旅館のホームページには、宿の歴史は記載されておりません。他のサイトによると、どうやら明治44年(1911年)の創業のようです。
 同じく片品村鎌田にあるちぎら旅館の公式サイトには、ちぎらの歴史というページがあります。それによると、ちぎら旅館ができた大正13年(1924)年には「この辺り一面田んぼや緑に囲まれ民家も数軒ほどしかないのどか~な村だった」とのことです。ということは、やはり江戸時代から栄えた宿場ではなかったようですね。しかしそんな不便な場所に宿屋ができると、「大勢の旅人や開発に携わる人々で賑わいをみせていた」そうです。また昭和になっても状況はかわらず、さらに「時代とともに車が走れるほどの道ができると、当館の庭はバス停の停留所になり、運転手の下宿としても利用され、忙しくても楽しい時代だった」と書いてあります。
 つまり鎌田は江戸時代からの宿場ではなく、大正末期以降、「旅人や開発に携わる人々」が利用した宿場ということですね。

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 「宿」(しゅく)というからには「街道」があるはずです。最初に思いつくのは、金精峠を抜けて日光に至る現在の国道120号です。
 金精峠 - Wikipediaによると、金精峠は元々は日光山の修行僧が修行で使っていた路でしたが、1872年(明治5年)に峠越えの道が拓かれて「日光道」という交易路となりました。ここにトンネルが掘られたのはようやく1965年(昭和40年)になってからで、これが現在の金精トンネルです。
 これによって初めて片品村と日光が自動車道でつながれたわけです。しかしこの道も、冬季は閉鎖され、しばしば雪崩に襲われることで知られております。江戸時代にどの程度使われていたのか、峠越えの「日光道」がどれほど賑わったのか、ぐぐってみたけどちとわかりませんでした。
 でも、古くは金精峠を徒歩で越えた人々、そして新しくは金精トンネルを含む自動車道の建設に関わった人々が「鎌田宿」を利用した可能性は高いと思われます。

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 開発といえば、電源開発もあるのでは?
 調べて見ると、鎌田よりも上流にある発電所は6カ所で(群馬県の水力発電所マップ)、運用開始が古い順に、一之瀬発電所が昭和12年(1937年)、丸沼発電所が昭和14年(1939年)、栓ノ滝発電所が昭和16年(1941年)、白根発電所と鎌田発電所が昭和29年(1954年)、戸倉発電所が昭和37年(1962年)。そして、一之瀬発電所のための貯水池丸沼ダムは、1928年(昭和3年)着工、1931年(昭和6年)竣工だそうです。
 これらの電源開発に関わった人たちも、鎌田宿を利用していたかもしれません。

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 尾瀬のダム計画などを調べているうちに、驚くべき(ぽん太だけか?)事実に行き当たりました。
 なんと尾瀬を超えて沼田と会津若松を結ぶ街道が江戸時代にあったそうで、「会津沼田街道」と呼ばれていたそうです(国道401号 - Wikipedia)。これは盲点でした。現在は国立公園として自然が保護され、ハイカーがザックを背負って訪れる尾瀬が、昔は交易路だったとは思いませんでした。
 片品から三平峠を抜けて尾瀬沼に入ります。長蔵小屋から大江湿原を抜けて沼山峠に出、そこからさらに北に進んで七入を経て檜枝岐に至ったそうです。あら、昭文社の登山地図をみたら、ちゃんと「沼田街道」って書いてある。これはそのうち歩いてみたいですね。
 会津沼田街道は、福島県側が「沼田街道」、群馬県側が「会津街道」と呼ばれたそうです。パリにある、リヨンに向かう鉄道駅がリヨン駅なのと同じですね。
 戸倉には関所があったそうです。戊辰戦争の戦場にもなったそうで、大江湿原には会津軍が築いた土塁が残されているそうです。

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 さらにびっくり!尾瀬を横断する道路が計画されていたこともあるんですね(熟年夫婦の山日記)。戸倉から大清水、沼山峠から御池の部分は建設されて現在に至っていることは皆さんご存知の通り。大清水から先は、当初は沼田街道に沿うルートが計画されましたが、後にやや東側を通って小淵沢田代を通るルートに変更されたようです。現在どちらも一部林道が残っております。自然保護運動の高まりによって中止されましたが、最終的に工事がストップしたのは昭和46年(1971年)のことだったそうです。
 尾瀬の自然保護運動というと、尾瀬ダム計画のことは知っていたのですが、道路計画については初めて知りました。

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 ちょっと話が脱線しましたが、いろいろ勉強になりました。

 まとめると、鎌田は、江戸時代には会津沼田街道の旅人(そして金精峠を越えた人々?)が行き交ってましたが、その頃は宿場ではなく、旅人が素通りする農村でした。しかし明治末期に梅田屋旅館、大正末にはちぎら旅館ができるなどしてから、旅行者や、尾瀬の開発、発電所、国道401号などの建設に関わる人々などが泊まるようになり、賑わいを見せたのではないかな〜と、ぽん太は推測いたしました。

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