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2021年1月の2件の記事

2021/01/03

【鉄道模型】青梅電気鉄道1号形電気機関車・その2(1/80、16番)

 ということで、青梅電気鉄道1号形電気機関車(正確には2号形)の3番機、1929年(昭和4)5月から1940年代初めに1013に改番されるまでの間の姿を、模型化することにしました。しかし技術や気力の関係で断念したところや、よくわからずに推測で作ったところなどがあるのはご容赦を。

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 下廻りで一番悩んだのは、砂箱と、デッキの梯子。
 砂箱は逆おむすび形のものがついていたようですが、探してみてもそのようなパーツはなし。ダイカストの台車と一体に成形された砂箱を削り取り、新たな砂箱を真鍮ブロックから削り出して取り付けるのは、ちょっと気持ちが萎えてしまって、そのままにしました。砂撒管は、適当なパーツを取り付けました。
 キットにはデッキの梯子がついておりましたが、これは1955年の写真にはなく、1956年のED36の写真で初めて現れるもの。そこで写真を見ながら、真鍮アングルからステオップを自作し、デッキ側面、砂箱の上のところにとりつけました。これで少し古風な感じになりました。
 車体前部の下部にある小エアタンクは、まるで救助犬セントバーナードの首の樽みたいな、可愛らしいパーツ。本来は床板に固定されているもので、キットでもそうなっておりますが、急カーブ対策として取り外せるようになっております。しかし走らせるたびに取り外すのはめんどくさいので、思い切って台車に固定する構造にしました。邪道と言えば邪道ですが、そもそも1/80で16.5mmゲージというところに問題があるわけですから、どこかにしわ寄せが行くのは仕方ありません。
 カプラーはIMONカプラー(HO109)。側面のエアタンクにはパイピングを施しました。小さいけど付けると細密に見える空気溜ドレンコックは、形が似ているエコーモデル(1221)のパーツ。
 下廻りを組み立てて試運転したところ、ガタガタと引っ掛かってうまく走りません。調べてみると、パワートラックの車軸についているギアーが劣化して割れてました。キットを買ったのが30年くらい前なので仕方ないか。新たに購入しようと思ったのですが、この天賞堂製のパワートラックは、すでに新しい製品に更新されています。ネットで模型店の在庫を調べまくり、神戸市の鉄道模型店に在庫があるのをようやく見つけて、送ってもらいました。
 
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 上回りに行って、側板はほぼキット通り。

 妻板ですが、ドア横の小窓は国鉄のED36になってから開けられたもののようです。しかしそれに気づいたのは工作がかなりすすんでから。そこから真鍮板で塞ごうとすると、全てがバラバラになりそうだったので、後の祭りということで諦めました。

 下部左右にある吊りかけ式(?)のテールライト は、輸入当時の写真を見ると、埋め込み式のフラットなライトになっているようです。パーツをいろいろ探し、Nゲージ用の「湘南形ヘッドライト(100Wタイプ)P210」(BONA FIDE PRODUCT製)を利用。

 昔のワイパーはどうなっているのかと、写真を目を凝らして見つめたのですが、なんか写ってません。ひょっとして昔ってワイパーがなかったのかな。そういえば蒸気機関車はワイパーないし(雪国では旋回窓があるけど)。

 そこでワイパーの歴史を調べてみると(進化していないようで進化している?ワイパーの歴史https://car-me.jp › articles )、自動車の世界で1903年に初めて手動式ワイパーが発明されました。手動ワイパーが初めて標準装備されたのがキャデラックで、1922年のこと。同年にTri-Continental Corporationがエンジンの動力を利用した真空式ワイパーを開発しましたが、エンジンの回転数によって速度が変わり、エンジンが止まるとワイパーも止まってしまうという不便なものでした。電動式ワイパーは、1926年にBOSCHが初めて開発したそうです。

 とすると、1920年代末に作られた青梅電気鉄道1号形には、やはりワイパーはなかったかも。蒸気機関車と同じように、視界が悪い時は側面の窓から顔を出して前方を確認していたのでしょう。

 ということでワイパーはつけないことに決定。後年に加えられた手すりも取り付けず、取り付け用の穴をハンダで塞ぎました。

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 屋上に目を向けると、まず大きなパンタが目につきます。いろいろ探してみると、安達製作所のEE型パンタグラフ(No.016)(現在は品切れ)というのが見つかりました。横向きの碍子のかたちまでぴったりです。関節部の左右を結んでいる棒は切除しました。
 ED36やE41では、屋根上の片側に並んだベンチレーターや、ランボードが目を引きますが、輸入当初は無かったようです。代わり、高圧引き込み線を支える碍子がずらりと並んでいたようです。上から撮った写真がなく、側面からの解像度の悪い写真しかないので細部がわからりません。ここは想像でそられしく作ってみました。本当にこんなになってるかどうかわかりませんが。
 タイフォンも思わず目を引く可愛らしいアイテム。アルモデルのタイフォン(C3039)を加工して、大小2つが並んだ姿を再現しましたが、なかなかいい感じです。二つのタイフォンの音がハモって鳴るのが聞こえてきそうです。
 運転席と機械室を分ける壁を、真鍮板で作成。『青梅線玉手箱 眠りからさめた鉄道資料』(青梅市郷土博物館、2005年)に、なんと昭和2年(1927)の日付の2号機電気機関車の組立図があります。簡略な図ながら、内部の貫通路が左右非対称で中心からずれていることなどがわかり、壁のドアの位置も非対称にしました。
 運転台イス(エコーモデル、No.1693)、電車用運転台(旧型用)(エコーモデル、No.1685)を取り付け、片側に機関士人形(KATO, 6-511)を座らせました。
 

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 実は一番苦労したのが青梅電気鉄道のマーク。「青梅」ということで、梅の花の形をした可愛いマークです。もちろん模型用パーツがあるはずもなく、𝝓1.0mm の真鍮パイプを整形しながら6個組み合わせ、レンコン状にしたものを薄切りして作成しました。色は、白黒写真しかないのでわかりません。熟す前の「青梅」の色は、黄緑っぽい色です。また江戸時代に青梅で作られていた染物「青梅縞」の色は藍色で、現在の青梅市でも濃い青色をOme Blueと名付けて観光プロモーションしているようです(Ome Blue(青梅ブルー)公式ホームページhttps://omeblue.tokyo )。どこかに問い合わせればわかるのかもしれませんが、ここは自由に作ることにして、梅の花をイメージしたピンクにしてみました。

 塗装は、輸入当時の色はわかりませんが、ピンクで遊んだ分ここは常識的に、上回りがぶどう色1号、下廻りが黒としました。久々にエアブラシを使ったら、劣化したチューブから油滴のようなものが出てきて、塗装面が荒れてしまいました。シンナーのバケツにドボンして塗り直す気力もなく、「まあいいや」ですませました。

 例によって最後にタミヤのウエザリングマスターで、錆や埃を控えめにウエザリング。

 ナンバープレートは、本物はやや横に長い楕円形をしているようですが、円形のパーツしか見つからなかったので、それを利用しました(ナンバープレート セット2(C3005)アルモデル)。地の色は黒ではつまらないので、ピンクとの相性から青色にしてみました。ちょっとヨーロッパぽくなったかも。

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 車体下部の台枠に、それらしい検査表記のインレタ を貼りました。その横の「青梅電氣鐵道」の表記は、デカールを特注するほどの元気はなかったので、エーワンのデカールシール(品番81023)を初めて使ってみました。字体は古風な雰囲気を出すために教科書体を使用。社名表記がいつまで旧字体で、いつから新字体になったのか、これもググってみたけどよくわかりません。写真からも、解像度が悪くて読み取れず。古めかしさを出すために旧字体を採用しました。このデカールシールは、染料インクのプリンタ用に作られており、うちのプリンタは黒だけ顔料なのですが、なんとかなりました。白地のシールに、ブドウ色1号で白抜き文字を印刷して作ったので、よく見ると長方形にテカっておりますが、肉眼ではそんなに目立たず、いい感じの仕上がりです。

 台枠の反対側にはイングリッシュ・エレクトリック社の長方形の銘板が、そして車体側面には円形のDick Kerr社の銘板があります[a]。市販のパーツは、イギリスの模型屋さんもググってみたのですが見つからず。ならばとプリンタでそれらしいものを印刷して作ろうとしましたが、解像度が悪くて使い物にならず。エッチング特注までする気はないし。ちょっと似ている東芝の円形の銘板を貼ろうかとも思いましたが、これはこの機関車の表札というか、名刺というか、顔みたいなものなので、インチキするよりは、無しを選びました。そのうち手に入ったら貼り付けたいと思います。

 

 

[1] 「私鉄買収電機の系譜〈下〉 (RM library (4))」 ネコ・パブリッシング 1999年

[2] 「電気機関車展望 1」久保田敏、日高冬比古著、交友社、1976年

 ネット上では、

[a] 東武鉄道の電気機関車 - Gゲージ鉄道模型・風雅松本亭:ED36と同形な、東武博物館に保存された東武ED101型の写真。

2021/01/02

【鉄道模型】青梅電気鉄道1号形電気機関車・その1(1/80、16番)

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 コロナ禍の自粛生活を利用して、青梅電気鉄道1号形電気機関車が完成いたしました。

 と聞いても「なにそれ」と言う人が多いかと思いますが、国鉄のED36形、西武鉄道のE41形と言ったらわかるでしょうか。ぽん太も東京育ちなので、子供のころ見たピンク色のE41形をカッコイイと感じたのを覚えてます。デッキを備え、正面の扉が偏っていて、前後・左右で異なる窓配置、側面のベンチレーターなど、独特の風貌が魅力。それもそのはず、元々はイギリスから輸入された電気機関車なのです。

 いつ買ったのか覚えていない(おそらく30年くらい前)フクシマ模型のED36キットを作り始めたのは数年前。このキットはED36としてもE41としても組み立てられる仕様なたのですが、国鉄旧型電気機関車ファンのぽん太としては当然ED36として、しかも写真で見た大型パンタを中央に一基備えた姿でくみたてようと考えました。

 ところがいろいろ資料を集めている過程で、嘘かホントかパンタが一基なのは戦争の物資不足が関係しているなどという記述を見つけ、平和主義者のぽん太としてはちょっと迷いが出てきました。そしてさらに様々な写真を眺めているうちに、イギリスから輸入した直後の青梅鉄道時代の姿が、エキゾチックで古風でとっても魅力的に見えてきました。

 という次第で青梅鉄道1号形として組み立てることに決定! しかしながら、ぽん太の技術不足から作りきれなかったところや、資料が足りずに想像で作った部分もあるのはご勘弁を。正確には「青梅電気鉄道1号形スタイル」といったところでしょうか。

 

 青梅電気鉄道1号形は、イギリスのイングリッシュ・エレクトリック社から輸入されました。同社から輸入された電気機関車としては、側面にずらりと並んだベンチレーターが印象的なED17や、複数の孔があけられた台枠のEF50が有名ですね。これらはディック・カー(Dick Kerr)工場で製作されたため、日本ではディッカーという愛称で呼ばれました。

 実は日本の輸入電気機関車のうち、一番両数が多いのがEE社製でした。ただ当時のイギリスの電気機関車性能が良かったわけではなく、トラブルも多かったようです。このような問題のある電機を大量に輸入した背景には、当時の日英通称の政治的思惑が絡んでいたなどという噂もあるようです。

 青梅鉄道は4両を輸入しましたが、同形機が総武鉄道(現在の東武)、秩父鉄道、伊勢電気鉄道(現在の近鉄)などにも導入されたようです[1][a]。

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 さて、まず青梅鉄道1号機1-4の歴史と移り変わりをまとめましょう[a][f][g]。

青梅鉄道1号形1

青梅電気鉄道1号形1

青梅電気鉄道1号形1011

国鉄1011

西武鉄道41

西武鉄道E41

廃車解体

青梅鉄道2号形2

青梅電気鉄道2号形2

青梅電気鉄道2号形1012

国鉄1012

西武鉄道42

西武鉄道E42

廃車解体

  ?

青梅電気鉄道2号形3

青梅電気鉄道2号形1013

国鉄1013

国鉄ED361

西武鉄道43

西武鉄道E43

廃車、横瀬で保管


青梅電気鉄道2号形4

青梅電気鉄道2号形1014

国鉄1014

国鉄ED362

西武鉄道44

西武鉄道E44

廃車、横瀬で保管

JR新鶴見機関区で保存?

 青梅鉄道の立川 - 青梅間が開通したのが1894年(明治27)。青梅の石材や織物、木材、日向和田の石灰石の運搬が主な目的でした。

 1926年(大正15)、イギリスのイングリッシュ・エレクトリック社から電気機関車を1台輸入。1号形1となりました。ついで1927年(昭和2)と1929年(昭和4)10月の2回に分けて、3両が輸入されました(細かい内訳不明)。1号形とは自重や細部がことなるため2号形-2,3,4とされましたが、実質的には同一形式です。

 同時期の1929年(昭和4)5月に、青梅鉄道は「青梅電気鉄道」に社名変更しております。

 1931年(昭和6)、青梅電気鉄道西立川駅と、南武鉄道立川駅のあいだに貨物連絡線ができ、共同運行が行われるようになります。

 これに伴って、1 - 4番機が、順番に1011 - 1014に番号変更となります。その時期は不明ですが、1941年4月12日に撮られた1番機[2]、3番機[1]の写真があるので、それ以降と考えられます。

 1944年(昭和19)4月1日、青梅電気鉄道が鉄道省に戦時買収されます。当時の例に倣って、買収後も私鉄時代と同じ形式番号で運用されました。

 1948年(昭和23)5月に1012、11月に1011が廃車され、西武鉄道に譲渡され、41形(1011→41、1012→42)となります。

 1952年(昭和27)、1013,1014に国鉄形式番号が与えられ、ED36形1,2となりました。

 1960年(昭和35)、ED361、ED362が廃車となり、西武鉄道へ譲渡され、それぞれ41形43、44となりました。

 1961年(昭和36)、西武鉄道の41形がE41形に変更となり、41 - 44は、それぞれE41-E44となりました。

 1976年(昭和51)、E41は廃車・解体処分。

 1986年(昭和61)、E42も廃車・解体処分となりました。さらに翌1987年(昭和62)、E43、E44があいついで廃車となりますが、両者は解体されずに横瀬車両基地に保管。E44はさらに1990年(平成2)にJR貨物に譲渡され、新鶴見機関区で動態保存。2015年(平成27)に搬出されたという情報がありますが、詳細不明です。

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 さて、フクシマ模型のキットはED36-1(E43)を模型化したと書いてあるので、青梅の1号形 - 3ということになります。これが輸入されたのが、1927年(昭和2)か1929年(昭和4)10月のどちらか。そして1929年(昭和4)5月に青梅鉄道は青梅電気鉄道に改名されておりますから、3番機には短期間の青梅鉄道時代があったのかもれしませんし、なかったのかもしれません。それ以後1013に番号が変更となるまで(上記のように、1941年4月から1944年4月1日の間のどこか)が、今回のぽん太の模型の年代設定となります。(その2 に続く)



参考文献

[1] 「私鉄買収電機の系譜〈下〉 (RM library (4))」 ネコ・パブリッシング 1999年

[2] 「電気機関車展望 1」久保田敏、日高冬比古著、交友社、1976年

[3] 「青梅線玉手箱 眠りからさめた鉄道資料」青梅市郷土博物館、2005年(平成17年10月4日から18年1月15日まで青梅市郷土博物館で行われた同名の特別展の図録)参考サイト

[a] 青梅鉄道1号形電気機関車 - Wikipediahttps://ja.wikipedia.org › wiki › 青梅鉄道1号形電気機...:ご存知Wikipedia

[b] フクシマ 国鉄ED36形 - 岡山模型店DANhttp://www.lok.jp › ed36:フクシマ模型ED36の完成写真。

[c]  西武鉄道 横瀬車両基地の保存車 E43http://c5557.photoland-aris.com › yokoze › yokoze-E43:横瀬に保存されている西武鉄道E43の写真。

[d]  東武鉄道の電気機関車 - Gゲージ鉄道模型・風雅松本亭:ED36と同形な、東武博物館に保存された東武ED101型の写真。

[e] English Electric Traction for Japan – Railway Mattershttps://twsmedia.co.uk › english-electri...:英語のサイトですが、イングリッシュ・エレクトリック社から日本に輸出した電気機関車について書かれているページで、そこに秩父鉄道の同形機の写真?あり。

[f]  青梅線 - Wikipediahttps://ja.wikipedia.org › wiki › 青梅線

[g] JR東日本八王子支社|中央線まめ知識|青梅・五日市線の歴史https://www.jreast.co.jp › chuousen › history_oume

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