« 2021年9月 | トップページ | 2021年12月 »

2021年11月の7件の記事

2021/11/25

【温泉】依ト昆垤里と歇私的里に効く! 中棚荘@長野県小諸市(★★★★)

Img_5644
 誰にもなぜだかわからないけどコロナが治まっているので、温泉に行ってきました。コロナ禍のなか安らぎと癒しを求めて、以前に泊まって良かった中棚荘を選びました。ぽん太とにゃん子は3回目の宿泊になります。

 小諸の千曲川を望む町中にある和風旅館。島崎藤村の「千曲川旅情の歌」に描かれていることで有名ですね。アメニティの整った平成館もありますが、ぽん太とにゃん子はいつでもレトロな風情がある大正館を選択。温泉はこの時期、甘酸っぱい香りが漂うりんご風呂。泉質もアルカリ性のお肌がすべすべになる美人の湯で、ほどよく硫黄の香りがし、肌に泡がついてきます。お料理も地元の食材を使いながら、一つひとつ手が込んでいます。とってもくつろげる素晴らしい宿で、ぽん太の評価は4点です。

【旅館名】中棚荘
【住所】長野県小諸市古城中棚
【公式サイト】・https://nakadanasou.com
【宿泊日】令和3年11月中旬
【プランと料金】大正館2F  2名1室 1人16,500円
【泉質】アルカリ性単純温泉 源泉掛け流し(循環加温あり)

★楽天トラベルからの予約は右のリンクをクリック!

 

Img_5659
 大正館へと続く小径。この宿に泊まるのは3回目ですが、古い建物が好きなぽん太とにゃん子は3回とも大正館です。

Img_5681-1
 お部屋は2階の「遊子」。旅人という意味ですが、もちろん「千曲川旅情の歌」の「雲白く遊子悲しむ」から取られています。
 ぽん太はこの宿に泊まるたびに、「千曲川旅情の歌」を暗誦しているのですが、所詮はタヌキなのですぐ忘れてしまいます。こんかいはいつまで覚えていることやら……。
 で、この部屋は「藤村の間」の隣です。「藤村の間」は、かつて島崎藤村が泊まった部屋を「再現」したものです。
 藤村が小諸義塾の英語教師として赴任したのが明治32年(1899)。その後6年間小諸で過ごしました。中棚荘の元になった中棚鉱泉が開湯したのが明治31年。藤村は中棚鉱泉に足繁く訪れました。藤村が明治38年(1905)に出版した「落梅集」の冒頭が『小諸なる古城のほとり』で、のちの自選藤村詩抄に『千曲川旅情の歌 一』として収められました。
 中棚荘の大正館がいつごろ建てられたのかちょっとわかりませんが、「大正館」というくらいですから大正時代たとすると、藤村が訪れた時期とはずれてますね。当館宿泊者のブログに「藤村が泊まった部屋」と書いてあるのを見かけますが、それは間違いで、「藤村が泊まった部屋を再現したもの」が正しいようです。

Img_5648
 温泉は、冒頭の写真の内湯と、上の写真の露天風呂があります。上の写真左奥の赤い橋があるところが千曲川です。露天風呂は温度がやや低く、いつまでも入っていられます。
 無色透明のお湯で、ちょっと硫黄の香りがします。だけどアルカリ性で、お肌がすべすべになる美人の湯です。また入っていると、お肌に泡がついてきます。
 藤村のもひとつ有名な詩が「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき」で始まる『初恋』。当館の林檎風呂はこの詩にちなんだものですね。

 その他の情報に関しては、ぽん太の過去の記事【温泉】歴史ある宿がワイナリーもオープン。中棚荘(長野県小諸市)(★★★★)(2019/12/26)を参照していただくことにして、今回は、温泉に続く渡り廊下の途中に掲げられた下の看板について論じましょう。

 

Img_5654-1
 いつ頃のものかわかりませんが、昔の効能書きです。精神科関係は「神經機亢盛ノ諸症或ハ各種神経ノ麻痺經久脳脊髄中風知覺過敏依ト昆垤里歇私的里依神経衰弱等ニ効アリ」というあたりですね。字体は見つけやすいものにちょっと変わってます。今回はこの解読を記事のメインとしてみましょう。
 「神經機 」というのは現代で言えば「神経機構」、「神経系」といったところでしょうか。ググってみても、中国語にもあんまり出てきません。植物性神經系統/解剖及 生理 - J-Stage
というサイトに、いつ頃のものかわからない医学書があって、「交感神經機 」という言葉がありますので、「神経系」の昔の日本の医学用語か?
 「亢盛」というのは亢盛:漢方・中医学用語説明というサイトには、中医学(中国の伝統医学)の用語のようで、「気持ちや病勢などが高ぶり、盛りあがること」と書いてあります。現代の用語でいうと「亢進」ですかね。ということは「神經機亢盛」というのは、「神経がたかぶっている」「交感神経緊張」みたいなもんでしょうか。
 「神経ノ麻痺」はそのままか。問題は次の「
經久脳脊髄中風」。經久」という言葉がわからないのですが、中国語の经久でググってみると、经久の意味 - 中国語辞書 - Weblio日中中日辞典がヒットして、「長時間にわたる、長持ちする」という意味だそうです。ということは現代医学用語では、「慢性」といった感じか。「中風」は日本でも俗語で使われる、「脳血管障害の後遺症による麻痺や震え、言語障害など」ですね。
 さて問題は「依ト昆垤里歇私的里」です。これはまったく見当がつきません。さまざまにぐぐってみたら、ようやく見つかりました。レファレンス協同データベース。依■毘■児(■は表記できない文字)がイポコンデル、喜■昆垤児がヒポコンデル,イポコンデル,ヒポコンデリー,ヒポコンデリ,ヒポコンドリーなどと書かれています。今でいうヒポコンデリーの当て字ですね。それが分かれば、歇私的里はヒステリーであると類推できます。
 さらにぐぐると、
“依卜昆垤児(ひぽこんでる)”の例文|ふりがな文庫に、依卜昆垤児はひぽこんでる、喜斯的里はひすてりーと書いてあります。ちょっと表記は違いますが、「依ト昆垤里」はヒポコンデリー、「歇私的里」はヒステリーの当て字で間違いなさそうです。
 ヒポコンデリーは現在の精神医学でも使われる言葉で、ドイツ語のHypochondrie、英語のhypochondria、日本語では心気症と訳されております。実際には身体的な病気がないのに、あれこれと症状を訴え、自分は重病にかかっているのではないかと不安になる病気ですね。ギリシャ語でhypoは下、chondrosは軟骨を意味し、肋骨の下に原因があると考えられていたため、このような名前になったそうです。体のことを心配するのに「心気症」という訳語は変な気がします。ちょっとぐぐってみましたが、いつ頃、どういう理由でこのような訳語が当てられたのか、よくわかりません。こういった領域は、文献や情報が少ないですね。「ホントはどこも悪くないのに気に病んでいる」という感じでしょうか?
 ヒステリーは日常会話でよく使いますね。というか、精神医学用語では逆に使われなくりました。というのもドイツ語Hysterie、英語のhysteriaという名前は、子宮を意味するギリシャ語から来ていて、女性特有の病気と考えられていました。19世紀後半にフロイトが男性のヒステリーを発表したとき、「なんで子宮がないのに男がヒステリーになるんだ」と批判されたという話を、ぽん太は聞いたことがあるような気がしますが、信じるも信じないもあなた次第です。日常用語でヒステリーというと女性が「キ〜〜〜!」となることで、「ヒステリー」という言葉は性差別というか、女性に対するレッテル、スティグマと捉えられるようになったのでしょう。現在は、解離性障害と転換性障害という二つの疾患に吸収されています。
 そういえば歴史的には、女性のヒステリーと男性のヒポコンデリーと対になって受け止められていたのですが、ヒポコンデリーの方は死語になってません。男性的な語源が含まれていないせいでしょうか。「睾丸病」とかいう名前だったら使用禁止になっていたかもしれません。
 「神経衰弱」は、トランプのゲーム名として知られていますが、アメリカの精神医学者ベアード(George Miller Beard)が1869年に発表したNeurastheniaの訳語ですね。不安、抑うつ、意欲低下などの精神症状や、倦怠感、頭痛、動悸、高血圧などの身体症状を示す病態で、主にエリートが都市化のストレスで発症する病気と考えられました。この病名も現在では死語ですね。ひとつの疾患概念としては使われなくなり、うつ病、適応障害、不安障害、身体化障害などに解体吸収されております。

 このへんの話は面白そうですね〜。医者引退したら調べてみますか。

2021/11/17

【仏像】東京国立博物館総合文化展(2021年11月11日)

 東京国立博物館で「最澄と天台宗のすべて」と「浅草寺のみほとけ」を観たあと、総合文化展(常設展)に足を運びました。常設展とはいえ、重文がいっぱいあり、展示替えも適宜行われますので、東国に行った際は必見です。
 ちなみに11室は、前回(【仏像】東京国立博物館総合文化展(2021年9月2日))と同じ展示内容でした。
【タイトル】東京国立博物館総合文化展(2021年11月11日)
【会場】東京国立博物館
【訪問日】2021年11月11日
【仏像】◎重要文化財 ◯重要美術品 ●学芸員さんおすすめ [ ]ぽん太の感想とメモです
11室
◎阿弥陀如来および両脇侍立像(善光寺式) 鎌倉時代・13世紀 福島・いわき市蔵 お姿
[いわゆる善光寺式阿弥陀三尊の逸品。重文です。善光寺式阿弥陀三尊の特徴はWikipediaをご覧ください。大元の善光寺の御本尊は絶対秘仏で公開されておらず、7年に1度ご開帳されるのは前立です(でもこれも重文)。]

◯不動明王立像 平安時代・12世紀 東京・大田区蔵 お姿
天地眼・牙上下出の不動明王。迫力はあるが、ちょっと腰を捻って柔らかさもある、12世紀平安時代の作。

 阿弥陀如来立像(善光寺式三尊像中尊) 鎌倉時代・文永2年(1265) C-1109 お姿
[善光寺式阿弥陀三尊の中尊。左手を下に下ろしてチョキのような刀印を結んでいることや、法衣が両肩にかかる通肩であることが特徴。]

●釈迦如来坐像 康乗作 江戸時代・寛文4年(1664) 東京・寛永寺蔵 お姿
[江戸時代の御用仏師・康乗の作。プロポーションは鎌倉的だが、これでもかという衣紋の表現と、現代的な表情が特徴か。]

 蔵王権現立像 鎌倉時代・12〜13世紀 C-564 お姿
[片足を上げた姿が特徴的な蔵王権現。よくこれで転ばないね。]

◎阿弥陀如来坐像 平安時代・12世紀 長野・光明寺蔵 お姿
[定朝様から鎌倉への移行期と思われる阿弥陀如来で、半定六の大きさは伊那谷で最も大きい木彫像のひとつだそうです。重文です。]

◎阿弥陀如来坐像および両脇侍立像 平安時代・安元2年(1176) 埼玉・西光院蔵 お姿
[定朝様のおっとりした阿弥陀三尊です。]

◎観音菩薩立像 平安時代・10世紀 滋賀・櫟野寺蔵
[櫟野寺には重文の観音様がいっぱいいるので、どなたかわかりません。]

◎●慈恵大師坐像 蓮妙作 鎌倉時代・弘安9年(1286) 滋賀・金剛輪寺蔵 お姿
[鎌倉時代の慈恵大師(例の元三大師ですね)の像。深大寺ほど怖くはないね。衣紋がちょっと様式的。]

◎●不動明王立像 平安時代・10世紀 京都・妙法院蔵 お姿
[両目を見開き、下唇を噛んだ、弘法大師様(?)の不動明王。手足もむっちりとして、迫力よりも生々しさを感じます。]

 弥勒仏坐像 秀弁・長弁作 南北朝時代。歴応3年(1340) 滋賀・櫟野寺蔵 お姿
[櫟野寺の素木の弥勒仏。室町です。]

 四方四仏坐像 旧寛永寺五重塔安置 江戸時代・寛永16年(1639) 東京都蔵 お姿
[江戸初期の京仏師の作。非常に美しいが……神秘性・超越性がない。]

1室
 如来坐像 飛鳥時代・7世紀 神奈川・松蔭寺蔵 お姿
[のびやかな飛鳥時代の金銅仏。ふっくらしたほっぺと、おちょぼ口が可愛らしい。]

 菩薩立像 飛鳥時代・7世紀 C-217 お姿
[珍しい飛鳥時代の「木造の」仏さま。お顔こそアルカイックな笑みを浮かべているが、お体はまるでプリミティブ・アート]

3室
◎蘭渓道隆(大覚禅師)坐像 鎌倉時代・13世紀 神奈川・建長寺蔵 お姿
[建長寺を開山した南宋の禅僧・蘭渓道隆の肖像彫刻。勢いのある衣紋は写実的で複雑。]
 

2021/11/16

【仏像】深大寺の鬼大師205年ぶり特別公開

20211115_111659

 深大寺の鬼大師を参拝してきました。

寺院名】深大寺 (天台宗別格本山 浮岳山)
【場所】東京都調布市深大寺元町5-15-1
【日付】2021年11月中旬 (会期:令和3年11月3日〜11月21日)
【拝観】拝観料500円。 深大寺釈迦堂
【公式サイト】深大寺ホームページ
【仏像】元三大師胎内仏 鬼大師 お姿1お姿2

 東京国立博物館で行われている特別展「最澄と天台宗のすべて」に、深大寺の秘仏・元三大師(がんざんだいし)さまが出品されております。その胎内仏といわれているのが、この鬼大師です。
 元三大師さまの出開帳は、文化13年(1816)に江戸両国の回向院で行われて以来、実に205年ぶりです。鬼大師もそのとき出開帳されたそうですが、こちらはその後秘仏としてまったく公開されたことがなく、なんと205年ぶりの公開だそうです。

 元三大師の法名(僧侶としての名前)は良源で、死後に送られた諡(おくりな)が慈恵大師(じえだいし)ですが、正月の三日に他界したことから元三大師という通称で親しまれております。平安時代の延喜12年(912)に生まれ、永観3年(985)に死去。比叡山中興の祖として知られております。疫病が流行った際、元三大師が鬼の姿になって疫病を退散させたという言い伝えがあり、その姿を表現したものが鬼大師、あるいは角大師と呼ばれております。

 秋晴れとはいえ、平日の朝。鬼大師に興味を持っている人も少ないだろうから、ガラガラだろうとぽん太は思っていたのですが、さにあらず。うっすらと色づき始めた紅葉目当てや、七五三のお参りなどもあって結構な人出で、鬼大師の御開帳も参拝者の列ができてました。
 参拝の会場は、国宝の釈迦如来様が元三大師と一緒に東京国立博物館に出開帳に出向いて留守になっている、釈迦堂が使われておりました。1mほどのかなりの至近距離で見ることができますが、混雑のため時間が数十秒と短いのがちと残念です。

 高さ15cmほどの黒い坐像で、瞳が金色に光っているのが目立ちます。材質的には塑像か、あるいはちょっと光っているので陶器にも見えます。ちょっと膝頭を開いて正座しており、顔をぐっと前に突き出しています。左手は手のひらを太ももの上に置き、右手は独鈷を上から掴んだ手を太ももに乗せています。頭上に宝珠のような冠をのせ、両側には角が2本生えております。顔は大きめで、口をぱっくりとあけて不敵な笑みをうかべ、正面を見据えた目は金色に輝いています。ちょっとデフォルメされてますが、なかなか迫力があるお姿です。いつの時代のものか、ぽん太にはちょっと推測できません。元三大師像は鎌倉時代の13〜14世紀とのことですが、プロポーションがよく躍動感があることから鎌倉以降と思われますが、室町のような装飾性はないので、鎌倉時代かもしれません。

 ちなみに東京博物館の「浅草寺のみほとけ」に展示されていた角大師(お姿)は、同じように右手に独鈷を持って正座し、頭上に宝珠を抱き、正面を見据えていますが、座った足の筋肉に表現などがかなり生々しく現代的です。プロポーションも写実に近いですが、顔の表情などは反対にかなり様式的にデフォルメされており、全体として深大寺の像のような迫力がありません。江戸末期か、ひょっとしたら明治以降のように見えます。
 あくまでもぽん太の印象なので、全然違ってたらごめんなさい。

2021/11/15

【仏像】なかなか拝む機会がない「浅草寺のみほとけ」&常設展@東京国立博物館

 東京国立博物館で行われている「特別展 最澄と天台宗のすべて」にリンクして、本館14室で「浅草寺のみほとけ」展が開かれております。浅草寺は現在は聖観音宗の本山ですが、そうなったのは昭和25年(1950)のことで、それ以前は天台宗だったそうです。 こんかい転じされているのは、浅草寺から東京国立博物館に寄託(預けて管理してもらうこと)されている17体です。いにしえより伝えれた仏像もあれば、空襲で焼かれた後に寄贈されたものもあるようです。
 そういわれてみれば、仏像好きのぽん太とにゃん子ですが、これまで浅草寺の仏像に注目したことがありませんでした。ご本尊の観音様は代々の住職さえ見ることができない絶対秘仏ですし、お参りした時に格子の間から内陣を見ても、暗くてよく見えませんでした。どうやら伝法院にいろいろおられるようですが、伝法院も通常非公開で、たまに庭園のみ公開されるだけのようで、今回の展覧会は貴重な機会といえるでしょう。

【タイトル】浅草のみほとけ
【場所】東京国立博物館 本館14室
【日付】2021年11月11日(会期2021年9月28日〜12月19日)
【公式サイト】浅草のみほとけ-東京国立博物
 ・出品目録pdf
 ・パンフレットpdf

【仏像】●学芸員さんおすすめ。[ ]内はぽん太のメモ・感想です。

●僧形坐像 中国 唐〜五代十国時代・9〜10世紀
[中国で作られたものだそうですが、子供のような頭部の肉付きが生々しいです。]

仏頭 平安時代・12世紀
[定朝様の仏頭。坐像だったとしたら、約90cmの像高。]

聖天坐像 江戸時代・17〜18世紀
[彩色が美しい聖天様の像。象の冠をかぶった童子の姿。]

慈恵大師坐像 江戸時代・18世紀
角大師坐像 江戸〜明治時代・19世紀
[慈恵大師は比叡山中興の祖とされる名僧ですが、疫病が流行った際に、自ら鬼の姿となって疫病の神を追い払ったそうです。ということで、慈恵大師の隣に角大師が祀られていたそうです。ところで、「最澄と天台宗のすべて」展では深大寺の慈恵大師の巨像が出開帳してますが、その胎内仏であった鬼大師が深大寺で公開されております。ぽん太も見に行く予定です。]

●不動明王立像 平安時代・12世紀
[平安時代後期の本格的な不動明王様です。天地眼で上下に牙を出す新しいスタイル。伝法院の護摩堂の本尊とのこと。]

●大威徳明王騎牛像 鎌倉時代・13世紀
[手足が6本ずつの大威徳明王の迫力ある鎌倉時代の像。ぽん太はこれまで気にしたことはなかったのですが、牛が立ってるのは珍しいそうな。また足が6本とも両側に垂れているのも珍しいそうです。]

●四天王立像 鎌倉時代・13世紀
[像高30cm程度の小さな四天王ですが、迫力があってプロポーションもよく、表情や衣服も深く細かく彫られています。美しい截金模様も残ってます。なかなかの名品。]

愛染明王坐像 鎌倉〜南北朝時代・14世紀
[バランス良く装飾的な美しい像。]

風神・雷神立像 鎌倉〜南北朝時代・13〜14世紀
[タラコ唇、足の指は3本で、テケテケと走るちょっと漫画チックな像。]

五髻文殊菩薩坐像 鎌倉時代・13〜14世紀
[頭上の五つの髻と、右膝を立てた姿勢が珍しい。なんか楽器を弾いてるみたいにも見えます。]

菩薩坐像 宗清作 南北朝時代・暦応2年(1339)
[涼やかな表情と、マニエリスティックな衣紋の流れ。]

阿弥陀如来坐像 室町時代・16世紀
[大きめのお顔、装飾的で執拗な衣紋。]

2021/11/14

【仏像】「最澄と天台宗のすべて」@東京国立博物館

 東京国立博物館で開かれている「特別展 最澄と天台宗のすべて」を観に行ってきました。

 ぽん太は最澄や天台宗のことはあまりよく知らないのですが、最澄と対立していた(?)空海に関する『空海の思想』(竹村牧男著、講談社現代新書)をたまたま読んでる途中だったので、多少理解できる部分もありました。現代のわれわれからすると、あらゆる人が仏性を持っているとか、南無阿弥陀仏と唱えると成仏できるとかいうのは当たり前に聞こえます。しかし最澄や空海の密教以前の宗教では、長い年月(時には人間の寿命を遥かに超えるような)の末にようやく仏になることができると考えられていました。密教の革新的な考え方は、あらゆる人が仏性を備え持っていて、密教の修行によってこの世で仏となることができる(即身成仏)ということなのです。ぽん太には即身仏というとお坊さんのミイラしか思い浮かびませんが。ぽん太が狸の頭で理解したことなので、違っていたらごめんなさい。
 浅草寺や深大寺が天台宗だったことも初めて知りました(付記:浅草寺は元は天台宗ですが、現在は聖観音宗の本山でした)。それから最澄や円仁、円珍が命懸けで唐に渡り、密教を学んで来たことにもちょっと感動しました。
 展示されている仏像のほとんどが国宝か重文で、しかも普段は公開されない秘仏や、秘仏御本尊も含まれ、見応えのある展覧会でした。

 

20211111_163141

 上の写真は、比叡山延暦寺の根本中堂にある「不滅の法灯」を再現したもので、写真撮影可となっております。手前側になる三つの法灯は、現在の根本中堂にあるものの前に使われていたものだそうです。後ろの扉の奥には、最澄手刻の薬師如来像が安置されていることになるのでしょうか。
 不滅の法灯は、最澄がかかげて以来1200年間消えずに輝き続けいてるそうです。比叡山が焼き討ちにあって灯りが消えた時は、山形県の立石寺に分灯してあった火を再び持ち帰り、灯されたそうです。

 

【タイトル】特別展 最澄と天台宗のすべて
【場所】東京国立博物館 平成館
【日付】2021年11月11日(会期2021年10月12日〜11月21日)
【公式サイト】
東京国立博物館のサイト
紡ぐプロジェクトのサイト
【出品目録】・作品リストpdf

【仏像】◉国宝 ◎重要文化財 [ ]内はぽん太の感想です。
7◎伝教大師(最澄)坐像 鎌倉時代 貞応3年(1224) 滋賀 鎌倉時代
[頭巾をかぶって瞑想している最澄の像。ぽん太には、頭巾姿の僧の像は珍しい気がしますが、展示されていた国宝の「聖徳太子及び天台高僧像」に描かれた最澄も頭巾を被っています。面白いことに、天台宗の開祖・智顗(ちぎ)も頭巾を被った姿で描かれています。これは最長が智顗のコスプレをした、というか、自分を智顗になぞらえた、あるいは自分が日本の智顗であることをアピールしたのかもしれません。本像に戻ると、パワーを感じさせるふくよかなお顔も印象に残ります。鎌倉時代の作と聞くと、最澄の時代から400年も経ってるから実物と全然違うんじゃないの?という気もしますが、存命当時から連綿と受け継がれてきたお姿なのでしょう。]

34◎薬師如来立像 平安時代 11世紀 京都 法界寺
[比叡山延暦寺の根本中堂には、最澄が自ら彫った薬師如来が祀られているそうで、この像はそのお姿を伝えるものだそうです。しかし鎌倉時代に火災後の後始末の時、慈円が最澄自国像を見ました。記録には「右手は肩まで挙げて親指と中指を結び、左手は曲げて掌を上にして全指を伸ばして前方に差し出した」と書かれているそうで、この像とはちょっと違いますね。]

38◎僧形坐像 伝慈覚大師(円仁) 平安時代 永承2年(1047) 岩手県 黒石寺
[裸祭りの蘇民祭のポスターで一時話題になった岩手県の黒石寺に、重文があったとは……。円仁と言われているこの像は、小鼻が大きくて唇が分厚く、ちょっと南方系のお顔です。]

60◉智証大師(円珍)坐像 御骨大師 平安時代 9世紀 滋賀 園城寺(三井寺)
[国宝の円珍の像。三井寺は行ったことあるけど、天台宗だったのか。というより、円珍によって再興されたお寺で、比叡山延暦寺の「山門」に対し、三井寺は「寺門」と呼ばれたそうな。そういえば昔習ったことがある気がします。ゆでたまごような形の頭が、円珍の特徴です。どっかでお会いしたと思ったら、大津市歴史博物館の「神仏のかたち ー湖都大津の仏像と神像ー」(平成30年11月)でした。]

83◎不動明王坐像 平安時代 10世紀 滋賀 伊崎寺
[秘仏本尊の不動明王。伊崎寺のホームページを見ても、いつ拝観できるのかが書いてありません。ところでこのお寺、足かけ9日間の断食・断水・断眠・断臥の行を含む千日回峰行を成し遂げた上原行照(ぎょうしょう)住職が有名ですね。]

85 護法童子立像及び像内納入品 鎌倉時代 13世紀 滋賀 延暦寺
[両手でついた杖の上に顎を乗せ、眇(すがめ)で睨んだ童子の像。こういうやつは、たいてい悪いやつですな。現代なら絶対鼻出しマスク姿です。ちかよったり目を合わせてはいけません。しかしこの童子は、仏法や修行者を守るいい人だそうで、頭部からは金銅の不動明王像や、水晶の仏舎利容器などが見つかったそうです。]

86◎千手観音菩薩及び両脇侍像 平安時代 12世紀 滋賀 明王院
[千手観音と不動明王、毘沙門天という三尊像はぽん太は初めて見る気がします……と思ったら、2018年11月に延暦寺国宝殿の「至宝展」であお会いしてました。延暦寺の横川中堂の様式だそうです。]

92◎薬師如来及び両脇侍立像 平安時代〔薬師如来〕9〜10世紀〔日光・月光菩薩〕11〜12世紀 東京 寛永寺
[誰でも知っている上野寛永寺の根本中堂に安置された、ほとんどの人が見たことがない秘仏御本尊です。元禄11年(1698)の根本中堂創建時に、薬師如来は滋賀県の石津寺(せきしんじ)から、両脇時は「山寺」として知られている山形県の立石寺(りっしゃくじ)から移されたものだそうです。現在立石寺には、秘仏御本尊の薬師如来さまがポツンと一人寂しくおられるそうで、この両脇侍とそっくりだそうです……。立石寺の薬師如来さまも拝観したいところですが、50年に1度しかご開帳されないとのこと。しかも前回がついこないだの2013年だったそうで、次は2063年。ぽん太はとっくに死んどるわい!
 本像にもどると、いずれも彩色をほどこさない素地仕上げで、薬師如来は面長で古風なお姿、両脇時はちょっと密教的な迫力と神秘性が感じられます。]

93◎梵天・帝釈天像 平安時代 10世紀 滋賀 善水寺
[滋賀県の善水寺は、ぽん太はまだ行ったことがありませんが、多くの仏像を有する古刹で、平安以降は琵琶湖の湖南地方を代表する天台寺院として栄えたそうな。善水寺のホームページをご覧ください。行ってみたくなります。本尊薬師如来像は秘仏で、しかもご開帳は不定期。つぎはいつだかわからないそうです。こんかいは、梵天・帝釈天さまと、次の94聖僧文殊菩薩坐像がお出ましになりました。また96十一面観音さまも銘文によると元は善水寺におられたそうで、さらに95地蔵菩薩も善水寺の仏さまと関係が深いと考えられているそうです。平安時代とはいっても定朝様いぜんの古風なお姿です。]

94◎聖僧文殊菩薩坐像 平安時代 10世紀 滋賀 善水寺
[この坊さんのどこが文殊菩薩やねん!と強くツッコみたくなる仏さま。初めて観ました。インドで始まり中国で発展した聖僧を祀る儀式がありましたが、最澄は聖僧=文殊菩薩という説を取り、延暦寺の各所に祀ったんだそうです。]

95◎地蔵菩薩立像 平安時代 10世紀 滋賀 永昌寺
96◎十一面観音菩薩立像 平安時代 10世紀 兵庫 能福寺
97◎薬師如来坐像 平安時代 12世紀 岐阜 願興寺(蟹薬師)
[定朝様の薬師如来さま。十二年に一度だけご開帳される秘仏本尊です。]

98 十二神将立像(2,4,6,9号像) 鎌倉時代 13世紀 愛知 瀧山寺
[これは笑うしかありません。ディズニーの七人の小人かよ! なんでこんなの作っちゃったのかしら……。]

100◎薬師如来坐像及び両脇侍立像 平安時代 12世紀 長野 瑠璃寺
[定朝様式の、おおらかでゆったりした仏さま。みんなお顔がぷっくりふくらんで童顔です。]

101◉釈迦如来倚像 飛鳥時代 7世紀 東京 深大寺
[ぽん太とにゃん子は、国宝に指定された時に会いに行きました(【仏像】もうすぐ国宝に指定される白鳳仏/深大寺(東京都調布市)2017.6.29)。膝をちょっとひろげて座り、右手をヨッと上げて、風呂上がりに縁側で涼んでいるおっさんのような、優雅な白鳳仏です。]

102 慈恵大師(良源)坐像 鎌倉時代 13〜14世紀 東京 深大寺
[東京は深大寺にある25年に1度しかご開帳されない秘仏。今年の3月に都の有形文化財にしていされたことかからご開帳が予定されておりましたが、コロナ禍で断念。そんなおり東京国立博物館でこの展覧会が開かれることを知り、絶好の機会と、205年ぶりの出開帳が決まったとのこと(朝日新聞の記事)。でっかくて、顔が生々しくて、なんか怖いです。でかい仏像はありがたいですが、でかい肖像彫刻は不気味ですな。夢に出てきそうです。子供なら泣くぞ。コロナも退散することでしょう。
 いま、思い出したけど、101釈迦如来を以前に見に行った時に、たしか志村けんのロケをしていたような……。これかな?(天才!志村どうぶつ園)。なんかコロナの縁がつながりそうな……。]

103◎金剛力士像 平安時代 12世紀 福島 法用寺
110◎聖観音菩薩立像 平安時代 9世紀 岡山 明王寺
[観音様の乳首をぽん太は初めて見ました。顔もそこらのおじさん風だし。下半身の衣もボリュームがありすぎて、なんかお相撲さんのマワシみたい。両足の間の衣の渦もすごいです。素朴な地方仏ですな。]

213◎慈恵大師(天海)坐像 康音作 江戸時代 寛永17年(1640) 栃木 輪王寺
[家康に深くかかわった天海の肖像。北野タケシに似てます。ちなみに延暦寺の像の方がもっと似てます。]

2021/11/12

【クラシック】ちっとも指揮しないのね。リッカルド・ムーティ/ウィーン・フィルハーモニー交響楽団(プログラムA)

 今回はぽん太とにゃん子のいつもの席、舞台の裏側のP席です。
 音のバランスはちと悪いですが、団員の様子がよく見えるのと、なんといっても指揮者を正面から観れるのが面白いです。

 さて、今日のムーティー。あまりに指揮をしないのにビックリ。Aプロではもっと動いてた気がするけど。う〜ん、体調悪そうには見えないが……。古典的なプログラムだったからかしら。

 指揮棒で拍子をとるなんてことはほとんどなし。指揮棒振るときは、音楽にブーストをかけるときくらい。フレーズの出だしてちょっと店舗をとると、あとはニュアンスを、表情や、腕の動きで示す感じ。繰り返しの部分では、特に動きが少なくなります。ソロパートなどは、演奏者に任せてたりしてました。
 ウィーンフィルという優秀なオーケストラだからこそなのか、ムーティとウィーンフィルが長年かけて培った信頼感からなのか、それとも今やどんなオケでもこのように振るのか、ぽん太にはよくわかりません。

 「ハフナー」は、モーツァルトがハフナー家のために作曲したセレナードを、交響曲に改作したものであることはよく知られてます。公演プログラムのオットー・ビーバの解説によると、ウィーンの演奏会で新曲を披露するというのが、改作した理由だったそうです。この曲は、1783年3月23日にウィーンのホーフブルク劇場で初演されました。ハフナーって、ウィーンとゆかりがある曲だったんですね。

 2曲目はシューベルトの「グレイト」。Youtubeあたりで聴くと、長くて延々と同じメロディが繰り返されて、なんか退屈な曲だとぽん太は思ってました。しかし今日聴いてみると、列車の窓から次々と新しい風景が現れては消えていく感じで、約一時間の長丁場、まったく飽きることがありませんでした。特に第2楽章が絶品で、いかにもシューベルトといった感じの美しい第2主題など、涙が出てきました。
 ぽん太のようなおっさんにとって、シューベルトというと昔の白黒映画「未完成交響楽」のイメージです。1959年じゃなくて、1933年の方ね(「未完成交響楽(1933)」映画.com)。シューベルトは才能はあるが、貧乏で素朴でちょっとコミュ障。そんな彼に、伯爵令嬢のピアノ教師という仕事が舞い込みます。お決まりのように二人は恋に落ちますが、結局伯爵令嬢は別の士官の男性と結婚してしまいます。シューベルトは書き上げた交響曲のスコアの最後を破り捨て、余白にこう書き込みます。「我が恋の終わらざるがごとく、この曲もまた終わらざるべし」。
 か〜っ。いいな〜。これが例の未完成交響曲が、未完成で終わった理由かどうか、信じるも信じないもあなた次第です。

 アンコールは「皇帝円舞曲」。そういえば最初から、「ハフナー」と「グレイト」では使わないハープが置いてあったもんね。プログラムBのアンコールはムーティの母国イタリアの曲でしたが、今日はウィーン。微妙なタメや間、強弱など、代々引き継がれてオケに染み込んでる感じで、素晴らしいフィナーレでした。コロナでブラボー禁止なので、聴衆全員によるスタンディングオベーション。ムーティも満足そうな表情でした。
 

 

リッカルド・ムーティ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

2021年11月11日
サントリーホール

プログラムA
 モーツァルト:交響曲第35番 ニ長調 K. 385「ハフナー」
 シューベルト:交響曲第8番 ハ長調 D. 944「グレイト」

 アンコール J. シュトラウスII世:『皇帝円舞曲』作品437

2021/11/11

【クラシック】1年ぶりのコンサートに感動。ムーティ/ウィーンフィル/プログラムB

 コロナがなぜかわからないけど激減しているので、久々にクラシック・コンサートへ。前回が去年のウィーンフィルだったので、ちょうど1年ぶりです。この1年間辛かったです。

 指揮はリッカルド・ムーティ。たしかぽん太が高校生の頃から振ってたと思うので、長いですね〜。昔はイケメンのイタリア人という感じでしたが、年とりましたね〜。すごく細かく指図する指揮だった記憶がありますが、さすがに指示が減りました。ウィキペディアを見ると、心臓ペースメーカーを入れてるとのこと。それでもけっこう飛び跳ねてました。
 サントリーホールではいつもはP席を取るぽん太とにゃん子ですが、本日は祝日のためP席が取れず、ちょっとお高いA席になってしまいました。さすがに音のバランスがいいですね〜。あれ?なんかホルンが弱い気がするけど。P席だとホルンの後ろ向きのラッパが直撃するからか〜。

 一曲目のシューベルトの交響曲第4番は、ほとんど聴いたことがない曲。「悲劇的」という副題がついていますが、なんでもこの曲が書かれた1816年は、前年のインドネシアのタンボラ火山の大噴火による噴煙の影響で、ヨーロッパでは日照不足による壊滅的な気候変動が生じ、凶作、飢饉、物価上昇などの社会不安が生じたのだそうな(プログラムによる)。コロナ禍に苦しむ現在に通じるものとして、の曲を選んだのでしょうか。曲は、シューベルト的な美しいメロディや転調の妙はあるものの、暗く重苦しく、地味でした。

 二曲目は、ストラヴィンスキーのディベルティメント。これは完全に初めて聴いた曲です(事前にyoutubeで予習はしておきましたが)。元々はバレエ音楽だそうで、ストラビンスキー独特の変拍子や和音進行が楽しいです。2楽章だったか、管楽器とホルンの掛け合いが美しかったな〜。ホルンは小さな音での精妙な合奏で、並のオケなら一ヶ所ぐらいは音が外れそうなところを、完璧な演奏。そしてクラリネットが素晴らしかった。あとで調べてみたら、ダニエル・オッテンザマーという超有名奏者か? 

 ラストはメンデルスゾーンの「イタリア」交響曲。コロナ禍の鬱憤を晴らすかのような、きらびやかで生き生きとした演奏。意表をつくピチカートで始まる序奏に続く、伸びやかな第一主題を聴くだけで、喜びが込み上げてきます。ややゆったりしたテンポでしたが、そのぶん様々なニュアンスが次々と浮かび上がってきました。メンデルスゾーンらしいサービス精神旺盛な曲ですね。ウィーンフィルで聴くこういう楽しい曲は素晴らしいです。

 アンコールはヴェルディの「運命の力」序曲。ムーティーはお手ものといった指揮ぶりで、とてもドラマチックでした。オペラ公演で聴いたら、序曲だけでお腹いっぱいになりそう。

 来週のAプロも楽しみです。

 

リッカルド・ムーティ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

2021年11月3日
サントリーホール

プログラムB
  シューベルト:交響曲第4番 ハ短調 D. 417「悲劇的」
  ストラヴィンスキー:ディヴェルティメント~バレエ音楽『妖精の接吻』による交響組曲~
  メンデルスゾーン:交響曲第4番 イ長調 作品90「イタリア」

  アンコール:ヴェルディ:「運命の力」序曲

« 2021年9月 | トップページ | 2021年12月 »

無料ブログはココログ
フォト
2024年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31