« 2022年1月 | トップページ | 2022年3月 »

2022年2月の16件の記事

2022/02/27

【仏像】清凉寺、霊宝館特別公開

20191104_102227

 オミクロン株の自粛生活の中、昔の書き残しのブログを書いております。こんかいは2019年11月の京都、清凉寺。

 清凉寺は以前に行ったことがありますが(【仏像・スイーツ】生きているお釈迦さま・清凉寺木造釈迦如来像(国宝)/高台寺 洛匠(らくじょう)の抹茶パフェ(2015/12/29))、ご本尊の釈迦如来さまが中心だったので、今回は霊宝館の感想を。

【寺院】五台山 清凉寺(嵯峨釈迦堂) (浄土宗)
【住所】京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
【拝観日】2019年11月上旬
【拝観】霊宝館は春と秋に特別公開。拝観料、霊宝館本堂共通700円
【公式サイト】・http://seiryoji.or.jp/precincts.html
【仏像】◉国宝 ◎重文
◉阿弥陀三尊坐像 平安前期896年 お姿
◎文殊菩薩騎獅像 平安後期10世紀末 お姿
◎普賢菩薩騎象像(木造帝釈天騎象像) 平安後期10世紀末 お姿
◎釈迦十大弟子像 平安後期11世紀初 お姿
◎四天王立像 平安後期10世紀後半
 清涼寺式釈迦如来模刻像 鎌倉時代
◎兜跋毘沙門天像 平安後期 お姿
◉釈迦如来立像体内納入品 レプリカ写真

20220224_190124

 国宝の阿弥陀三尊坐像は、平安時代前期(898年)の作。清凉寺の元になっている棲霞寺(せいかじ)の本尊でした。光源氏のモデルと言われている源融(みなもとのとおる)が発願したもので、中尊は彼の顔に似せて作られていると言われています。ぽん太が見て、なんだか現代の美男子とはちょっと違う感じがしますが、引き締まった若々しいお顔で伏し目がち、鼻筋が通って口元にちょっと笑みをたたえたあたりが特徴的です。体つきはたくましさと力強さが感じられます。両脇侍は密教の印を結んでいるのが珍しく、他には例がないそうです。宝冠をかぶられ、ウエストが細く、なんだか神秘的な印象があります。

 派手な色彩の獅子に乗った文殊菩薩様は、瞼が出っぱって丸々としたお顔が珍しく、宗の様式に倣ったとも言われているそうです。象に乗った普賢菩薩は、元は帝釈天だったものを転用したもので、童子のような張りのあるお顔です。パンフレットには、帝釈天騎象像は日本に4例しかないと書いてありますが、あと教王護国寺(東寺)のイケメン帝釈天と、京都の醍醐寺と、もひとつどこ? ぽん太にはわかりません。

 釈迦十大弟子像は、1m足らずの大きさで、なんだかみんな頭が大きく、ちょっと宇宙人っぽいです。

 兜跋毘沙門天は、東寺の像(お姿)を模したものだそうで、確かに似ておりますが、お顔が面長だったり、鎧のボコボコがなかったり、地天女・二鬼の造形がちと甘い気がします。当時はじっくり見ながら彫るなんてことはできなかったのでしょうから、模写と記憶を頼りに彫ったのかもしれません。

 釈迦如来立像体内納入品は、霊宝館の説明板にもパンフレットにも「レプリカ」と書かれていませんが、新しくてどうみてもレプリカです。これは医者の端くれのぽん太にとっては見逃すごとのできないもので、「世界」最古の内蔵模型と言われております。

2022/02/26

【仏像】瀧山寺(愛知県岡崎市)/これで運慶はコンプリートしました

Standing_shokannon_bosatsu
※写真は滝山寺 - Wikipediaからのパブリックドメインのものです。

 2年前の北陸旅行の帰り、ぽん太とにゃん子は愛知県の瀧山寺に寄りました。ここには3躯の運慶作の仏像がありますが、そのうち聖観音は以前に国立博物館でお会いしてます。残りの梵天・帝釈天像を拝観し、これで現存する運慶仏は残らずお目にかかったことになりました。

【寺院】吉祥陀羅尼山薬樹王院 瀧山寺(たきさんじ)  天台宗
【住所】愛知県岡崎市滝町字山籠107
【拝観日】2020年1月31日
【拝観】拝観料400円
【公式サイト】・http://takisanji.net
【仏像】◎重文 □市指定
◎木造観音菩薩立像 桧材 寄木造 像高174.4cm
◎木造梵天立像 桧材 寄木造 像高106.5cm
◎木造帝釈天立像 桧材 寄木造 像高104.9cm
 天台大師坐像
□慈恵大師坐像
 十一面観音菩薩立像(小)
 十一面観音菩薩立像(大)
 刀八毘沙門天坐像
※お姿はこちら

 あらかじめ電話で予約してお伺いしました。ぽん太とにゃん子二人だけでしたが、お坊さんが丁寧に説明をして下さいました。

 宝物殿のなかにはさまざまな仏さまやお宝がありますが、ぽん太とにゃん子のメインは運慶仏。

 聖観音菩薩さまは以前に国立博物館の運慶展でお目にかかっています。等身大の仏さまで、ヘンテコな極彩色がぼってりと塗られていますが、造形は見事です。

 梵天様は四面四臂で、それぞれのお顔には目が三つ。普通はおどろおどろしい密教的なお姿になりがちですが、この像は柔らかく自然なポーズで、静謐でありながらも緊張感がみなぎっています。見事な造形です。

 帝釈天様は、ボリュームあるどっしりとしたお姿。写真ではわかりにくいですが、なかなかの美仏で、にゃん子がすっかり気に入っておりました。

 これらの像が運慶作と認められたのは比較的新しく、重文の指定も昭和56年(1981)ですが、そこにはドラマが隠されているです。

 縁起によると、瀧山寺は天武天皇の時代に創建されたと伝えられる古刹で、保安年間(1120~1124)以降に復興されて隆盛を極めました。鎌倉時代になって、源頼朝の従弟にあたる寛伝上人が住職となり、源頼朝の三回忌にあたる正治3年(1201)、追善供養のために境内に惣持禅院を建立しました。本尊の制作を依頼された運慶とその息子湛慶は、聖観音を頼朝と等身大とし、像内に彼の遺髪の毛と歯を納めたそうです。

 そんなことを言われても「え〜?ホント〜?」という感じですが、近年X線撮影をしたところ(→こちら)、仏像の口のあたりに歯のような納入品が吊るされていることがわかり、「んにゃにゃ〜、伝説はホントだったのか〜」ということになったそうです。 

2022/02/25

【温泉】清津峡湯本温泉 清津館/渓流沿いの貸切露天風呂は源泉掛け流しで極楽極楽

Img_3976

 ダイヤモンドプリンセス号の集団感染が迫りつつあった2020年1月、何も知らぬぽん太とにゃん子はのんびりゆったり新潟県十日町市の清津館に泊まってきました。

 この宿に泊まるのはたぶん3回目で、前回の記事はこちらです(【温泉】塩沢石打にスキーに行ったら泊まるといいですよ・清津峡湯元温泉「清津館」(★★★★)(2009/03/02))。ただ、前回の記事は古い上に、かなり素っ気ないので、あらためてご報告いたしましょう。

 清津館は、スキー客で賑わう湯沢石打エリアからひと山越えた西側にあり、清津川に面しております。日本秘湯を守る会日本源泉湯宿を守る会の会員宿で、温泉の質は言うことなし。建物もコンクリー造ですが和風で落ち着いてますね。

【旅館名】清津館
【温泉名】清津峡湯元温泉
【住所】新潟県十日町市小出癸2126-1
【公式サイト】・https://kiyotsukan.com
【宿泊日】2020年1月中旬
【泉質】
 薬師の湯:単純硫黄泉
 小出温泉2号泉:含硫黄ーナトリウムー塩化物泉
  それぞれの温泉分析書は、宿のホームページにあります。
  源泉掛け流し 循環(浴槽による) 加水(-) 加温(浴槽による) 消毒(-)
【プラン】 日本秘湯を守る会冬のキャンペーン 10,450円程度

★楽天トラベルからのご予約は右のリンクをクリック!

Img_3939
 さて、この宿の売りはご覧の露天風呂。道を挟んで向かい側の渓流沿いにあり、二つの浴槽、二つの源泉を持ち、なんと無料の貸切です!!雪が少ないのが景色的に少し残念。

 お湯は透明でちょっと青みがかってますね。白いスポンジ状の湯ノ花が少量浮遊し、硫化水素臭がします。

Img_3941
 二種類の源泉が注がれておりますが、奥の小さい浴槽が「小出2号泉」の完全源泉掛け流しでややぬるめ。手前の大きな浴槽は「薬師の湯」で循環加温ありの源泉掛け流しです。

Img_3943
 源泉がどのように注がれ、どのように循環させているか、ちゃんと掲示されております。こういうところで、温泉をどれだけ大事にしているかがわかりますね。

Img_3969
 こちらが男女別の内湯です。「薬師の湯」の完全源泉掛け流しで、日本源泉湯宿を守る会の「認定浴槽」です。泉温48度、掘削自噴、単純硫黄泉。pH9.1のアルカリ性でぬるぬるし、お肌がすべすべになります。すばらしいお湯です。

Img_3951
 さて夕食です。ぽん太とにゃん子が大好きな山菜系。

Img_3953
 新潟県は酒どころ。三種飲み比べを注文。

Img_3955
 豚鍋です。

Img_3956
 川魚の塩焼きですね。

Img_3958
 おっとここで、カルパッチョ来た〜。この他にもいろいろ出てきますが、地物の新鮮な素材を使った美味しいお料理でした。ただ冬のキャンペーンのせいかちょっと量が少なめだったかな?

Img_3964
 夜中にだいぶ雪が降り続き、朝起きるとすっかり雪景色でした。

Img_3963
 朝食も美味しゅうございました。 

2022/02/24

【仏像】妙成寺(石川県羽咋市)重文の建築で有名だが、ジャンボ釈迦像もあり

Img_4019
 今を去ること2年前のぽん太とにゃん子の石川県羽咋市の仏像めぐり、最後は妙成寺です。

 実はこちらのお寺は仏像よりも建物が有名で、重要文化財の建物が10棟もあります。写真は五重塔です(もちろん重文)。北陸唯一の五重塔で、加賀藩3代藩主前田利常の母・寿福院(じゅふくいん) が願主となって、元和4年(1618)に建てられたそうです。

 妙成寺は永仁2年(1294)の創建と伝えられ、加賀藩前田家の厚い庇護を受けて栄えたそうです。

【寺院】金栄山 妙成寺 (日蓮宗)
【住所】石川県羽咋市滝谷町ヨ1
【拝観日】2020年1月下旬
【拝観】拝観料500円。
【公式サイト】・http://myojoji-noto.jp
【仏像】
丈六堂(釈迦堂)
 釈迦如来立像 お姿
 二天像
仁王門
 仁王像 江戸初期 お姿

Img_4022
 こちらは丈六堂(釈迦堂)におわします釈迦如来像。高さ約5mの丈六仏で、とても大きいです。お顔とデコルテが茶色に塗られており、白目と黒目もくっきりで、なんとなく遊園地の像のようです(わ〜、ごめんなさい)。公式サイトのアオリも「ジャンボ仏像」「妙成寺のパワースポット」になってるからいいかしら。右手は施無畏印をやや高めに掲げ、左手の与願印も肘を曲げて臍の高さぐらいで結んでおります。お寺の言い伝えによると、海岸に頭部だけが流れつき、それに合わせて胴体が造られたそうです。

Img_4023Img_4024
 両脇の二天像は体は迫力がありますが、ちょっとお顔が小さめ。

Img_4026
 こちらは本堂(重文)の須弥壇です。たくさんの像が安置されておりますが、よくわかりません。

 ほかには仁王門(重文)になかなか迫力のある仁王様がおられましたが、木の桟が太めでうまく写真は撮れませんでした。江戸初期の作だそうです。

2022/02/23

【仏像】豊財院(石川県羽咋市)/重文の三観音菩薩像。はんにゃの鐘(西村和泉守作)と血書大般若経には情念を感じます。

Img_4016

 今を去ること2年前、ぽん太とにゃん子は石川県羽咋市にある豊財院に、重要文化財の観音様を観に行ってきました。

【寺院】白石山 豊財院(ぶざいいん) (曹洞宗)
【住所】石川県羽咋市白瀬町ル8
【拝観日】2020年1月下旬
【拝観】拝観料400円。
【公式サイト】なし。曹洞宗石川県宗務所のサイトはこちら
【仏像】◎重文 □羽咋市指定
◎木造聖観音立像 平安中期
◎木造十一面観音立像 平安中期
◎木造馬頭観音立像 平安中期
  お姿や解説はこちら→石川の文化財
□木造増長天立像 像高107cm 鎌倉時代
□木造広目天立像 像高107cm 鎌倉時代

 駐車場に車を停め、山門をくぐって中に入ろうとすると、「あっ、あぶな〜。誰や、こんなとこに鐘ぶらさげたの。あたま打ちそうになったわ」。山門にいきなり鐘がぶら下がってます。

Img_4008
 この鐘は「はんにゃの鐘」と呼ばれております。側面にはこれを寄進した者として「白見比丘尼・真了比丘尼」という二人の比丘尼の名が書かれていますが、実はある人の本妻とお妾さんです。この鐘には次のような悲しくも恐ろしい物語が隠れています。

 江戸時代の宝暦13年(1763)、吉兵衛という大工が妻を残して江戸に働きに出たのですが、やがて消息が絶えてしまいます。そして吉兵衛には江戸で妾ができたという風の便りが。それを聞いた妻はある夜、嫉妬にかられて夫を殺すという夢を見ます。忌まわしい夢に不安になった妻は、江戸に向かって旅立つことにします。信州の善光寺近くまで来た時、反対側から骨壷を抱えた女性が歩いてくるのに出逢います。なんとそれは吉兵衛の骨壷を抱えたお妾さんで、妻に遺骨を渡しにくる道すがらでした。そして妾の話によると、妻があの夢を見た丁度その日に、吉兵衛は夢と全く同じように亡くなったのだそうです。二人は出家して尼となり、托鉢を続けてお金を貯め、江戸霊岸島で作られた鐘を豊財院に寄進したんだそうです。

 ちょっと差し障りがないように省略いたしました。詳しく知りたい方は、例えばこちらのサイト(→能登の民話伝説)をご覧ください。この鐘は参拝者が叩いていいことになってます。澄んだ音色ではなく、ちょっとふくざ〜つな音に聞こえました。

Img_4013-1
 江戸で作られた鐘という言い伝えどおり、「武州江戸住 西村和泉守作」という銘があります。この人って有名なのかな〜と思ってググってみたら、意外な事実に行き当たりました(鋳物師「西村和泉守」 )。

 このサイトによると、西村和泉守は神田鍛冶町で江戸時代より長く続いた鋳物師の銘だそうです。初代は宝暦年間(1673〜81)に始まり、大正時代の11代に至るまで、多くの梵鐘や坐像、祭りや仏事に使う道具などを作りました。特に宝暦11年(1761)、4代目西村和泉守は芝増上寺の9代将軍家重の霊廟の銅灯籠を制作し、名工ぶりが窺われるそうです。

 ん、まてよ。はんにゃの鐘が作られたのは明和3年(1766)とされてますから、ひょっとしたら増上寺の銅灯籠を作った4代目がこの鐘も作った可能性がありますね。もちろん大勢の職人をかかえた「工房」だったのでしょうから、製品にはピンからキリまであったのでしょうけれど。

 もひとつ疑問が湧きます。西村和泉守は神田鍛冶町に住んでいたようですが、上の伝説では鐘は「江戸霊岸島」で作られたと書いてあります。神田鍛冶町は現在でいえば神田駅の東側あたり。霊岸島は現在の中央区新川。東京駅の東の隅田川沿いですね。「霊岸島」と「西村和泉守」で検索しても何もヒットしません。ひょっとしたら西村和泉守の支店や工場があったのかもしれませんが、霊岸島は地理的に船問屋や船大工などの水運関係や酒問屋などがメインだったようで、その可能性も低そうです。江戸霊岸島で作られたというのは何かの間違いなのかもしれません。鐘そのものには「霊岸島」という言葉はなく、「武州江戸住 西村和泉守作」としか書いてないので、問題はありません。

 さらにもひとつ上のサイトを見て驚いたのは、先日みちくさしたばかりの横浜の弘明寺の鐘が西村和泉守作だと書いてあること。自分で撮った写真を見返してみると、鐘の案内板にたしかに西村和泉守作と書いてありました。弘明寺の梵鐘が作られたのは寛政10年(1798)ですから、これはだいぶ後になりますね。ついでに遡って弘明寺の記事(【仏像】弘明寺 十一面観音菩薩立像(重文)、付:カフェ&レストラン ドルフィン(2022/02/02))に、鐘の話を付け加えました。

Img_4012
 余分なみちくさが長くなりましたが、仏さまに会いに行きましょう。こちらは本堂です。

Img_4006
 本堂の向かって左にある収蔵庫に仏さまがいらっしゃいます。等身大の3躯の仏さまで、中央が聖観音、向かって右に馬頭観音、左に十一面観音ですが、どれもお顔や体つきがよく似てます。肉付き豊かなどっしりした仏さまで、翻波式の衣紋も見られ、平安中期の地方仏という感じですが、とても丁寧に作ってあります。三面六臂の馬頭観音さまの迫力が物凄く、静かに佇んでおりながら畏れ引き起こします。さっきの鐘の話とダブっているのかもしれません。馬頭観音像としては、太宰府観世音寺の像と並んで、日本最古のレベルだそうです。

 像の背面に書かれた銘によると、元々は羽咋郡志賀町矢駄の観音堂に安置されていたが元禄元年(1688)に豊財院に移されたものだそうです。

 両脇には少し小さめの二天像があります。鎌倉時代の一木彫で、悪くありません。

Img_4014
 境内にあった、ちょっと珍しいお姿のお地蔵様。

 豊財院には他に、中興の祖・月澗和尚(げっかんおしょう)が自らの指を刺して流れた血で書き写したという「血書大般若経」があります。その後を7人の弟子が引き継いで、61年間かけて全600巻が完成したそうです。血で書かれた実物を間近で見ることができますが、生々しい感じです。

 なんか血書大般若経といい、はんにゃの鐘といい、情念を感じるお寺ですね。

2022/02/18

【仏像】正覚院の重文阿弥陀如来坐像(石川県羽咋市)定朝様だか新たな息吹を感じさせます

Img_4031

 約2年前の2020年1月、ぽん太とにゃん子は石川県羽咋市の正覚院に、重要文化財の阿弥陀如来さまに会いに行きました。

 能登半島の西の付け根にある羽咋市(はくいし)ですが、変わった名前ですね。昔むかしこのあたりに出現していた怪鳥を、磐衝別命(いわつくわけのみこと)が3匹の犬とともに退治したとき、犬が怪鳥の「羽を喰った」という伝説から、「羽咋」という地名が生まれたそうです。

【寺院】亀鶴蓬莱山 正覚院 (高野山真言宗)
【住所】石川県羽咋市寺家町ト92
【拝観日】2020年1月下旬
【拝観】拝観料志納。要予約。
【公式サイト】なし。「ほっと石川旅ネット」はこちら
【仏像】◎重文
◎木造阿弥陀如来坐像 檜 寄木造 像高101cm 平安時代後期 お姿

Img_4028
 重文収蔵庫と思われる阿弥陀堂に、重文・阿弥陀如来様が安置されております。

 彫りが浅く全体に穏やかで腫れぼったいまぶたをしており、定朝様の整った仏さまで、京都・奈良の仏師の作と思われます。ただ目が吊り上がり鼻筋が通っていて、頬がほっそりとして口元が引き締まっているあたり、ちょっと精悍さが感じられ、新しい時代の息吹が感じられます。肉髻もやや高め。すばらしい仏さまです。

Img_4029
 正覚院は、越中国の一宮であった気多大社(けたたいしゃ)の隣に位置しますが、もともとは気多大社の神宮寺(神仏習合において、仏が神という姿をとって現れるという本地垂迹説が生じましたが、その仏を祀るお寺)として創建されました。阿弥陀如来さまは、そのご本尊でした。明治維新の神仏分離令によって正覚院と気多大社の関係は断たれ、現在に至っております。

2022/02/17

【仏像】伏見寺(金沢)の重文・銅造阿弥陀如来坐像 付:インドと日本とヨーロッパの「菩提樹」の違い

Img_5741

 だいぶ前の話で恐縮ですが、ダイヤモンドプリンセス号の新型コロナ集団感染が発生した頃の2020年1月下旬、ぽん太とにゃん子は石川県は金沢市の伏見寺に行ってきました。ホントに金沢の街中にある小さなお寺ですが、重文の阿弥陀如来様がおられます。

【寺院】行基山 伏見寺(ふしみじ) (高野山真言宗)
【住所】石川県金沢市寺町5-5-28
【拝観日】2020年1月下旬
【拝観】拝観料500円。要予約かも。
【公式サイト】なし。金沢市観光公式サイトはこちら
【仏像】◎重文 □市指定 
◎銅造阿弥陀如来坐像 銅造鍍金 像高22.1cm 平安初期
 日光・月光菩薩
 十二神将
 観世音菩薩
□不動明王坐像 平安時代 お姿
 二童子像
 愛染明王
 多聞天・持国天
 芋掘藤五郎夫婦の像

Img_5737
 こちらが本堂です。入口の軒下、下駄箱に隠れてなにやらありますが……

Img_5740
 二天像ですね。向かって左が多聞天さま。素朴な雰囲気の木造です。「おい、そのスコップどけろよ」と怒ってます。

Img_5739
 向かって右が持国天さま。「お前なんかまだいいよ。オレなんか下駄箱で半分隠れてるじゃん」。

 内部は撮影禁止です。優しそうなお坊さんが丁寧に説明して下さいます。

 まずはご本尊の阿弥陀如来坐像。像高22.1cmの小さな仏さまで、厨子に入れられガラス越しですが、間近でじっくり拝観することができます。金銅仏といっても、渡来系のデフォルメされた仏さまとは異なり、バランス良く威厳のあるお姿です。胸の前で説法印を結んでおられます。見るものを圧倒する迫力はありませんが、小さくて工芸品的な美しさが金沢に合っていて、有難い気持ちにさせてくれる仏さまです。

 また、小さくてお雛様のような十二神将、そして日光・月光菩薩もいらっしゃいます。ということは、昔は薬師如来様もいたのかしら。

 横の御堂には歓喜天がいらっしゃいますが、厨子の扉は固く閉ざされ、秘仏となっております。見せにくいお姿なのでしょうか。手前に前立ちのように愛染明王がいらっしゃった気がするのですが、護摩堂の方だったかしら。記憶が薄れてます。

 護摩堂には、金沢市指定文化財の不動明王がいらっしゃいます。平安時代の作ですが、顔などに後補があるそうで、そういえば表情は近代的でちょっとアニメっぽいですね。

 また、芋掘藤五郎夫婦の像があります。誰だそれ?という話ですが、金沢では知らない人はいないそうで、今から千年くらい前に、山芋掘りの藤五郎という、貧しいけど心が清い若者がおったそうじゃ。芋を掘るとツブツブが出てくるということで、沢で洗ってみたところキラキラ光だし、なんと砂金だったそうです。これが「金沢」という地名の由来で、この沢は兼六園内にある「金城霊沢」なのだそうです。藤五郎はその金で仏像を造り、寺を建てて祀りましたが、それがこの伏見寺とそのご本尊と言われております。

 Img_5744
 ということで境内にある芋掘藤五郎のお墓です。

Img_5745
 境内の菩提樹の実が、お守りとして「ご自由にお持ち帰り下さい」になっておりました。

 でも、菩提樹ってこんな木だっけ。インドやヨーロッパで見たのと違う気がします。もっと葉っぱが丸っこかったような。

 ということで調べてみると、お釈迦様が木の下で悟りを開いたという菩提樹はインドボダイジュ(Ficus religiosa)で、クワ科イチジク属。ところがこの木は耐寒性が弱いため、日本ではボダイジュ(Tilia miqueliana、別名コバノシナノキ)が「菩提樹」として寺院に植えられたそうです。アオイ科シナノキ属ですから、全然違う木ですね。中国原産で、12世紀に日本に伝わったそうです。

 え?インドの菩提樹が耐寒性が弱いのなら、ヨーロッパで見た「菩提樹」は何? 「♪泉に添いてし茂る菩提樹〜」というシューベルトの歌曲「菩提樹」(Lindenbaum)で知られているやつ。なんとこれはセイヨウシナノキ(Tilia x europaea)で、シナノキ科シナノキ属。むしろ日本のボダイジュと近いですね。インドの「菩提樹」とヨーロッパの「菩提樹」が違うとは、これまで気が付かなかった……。

732pxficus_religiosa_bo
 ブッダが悟りを開いたインドボダイジュ(Ficus religiosa)の葉です(Wikipediaからのライセンスフリーの写真です。以下2枚も同じ)

800pxtilia_miqueliana3
 日本で菩提樹の代わりとなったボダイジュ(Tilia miqueliana、別名コバノシナノキ)です。

800pxtilia_x_europea1
 ヨーロッパに生えているセイヨウシナノキ(Tilia x europaea)です。

 え〜最後にもう一度まとめると、お釈迦様が悟りを開いたのはFicus religiosa。これが中国では「菩提樹」と翻訳され、「菩提樹」という名前は仏教とともに日本にも伝わった。12世紀、中国原産のTilia miquelianaが日本に移入され、Ficus religiosaの代用として「菩提樹」と呼ばれた。それらとは別に、Tilia x europaeaという樹木ががヨーロッパに広く生えていた。この木の名前を明治時代だかなんだかに日本語に翻訳する時、近縁のTilia miquelianaが日本で「菩提樹」と呼ばれていることから、「菩提樹」という訳語をあてた。こんなとこでしょうか?

2022/02/15

【イタリアン】オステリア・エノテカ・ダ・サスィーノ(OSTERIA ENOTECA DA SASINO) 付:弘前の夜景

Img_4262
 コロナ第1波が迫り来る2020年3月下旬、青森県は弘前市のレトロな宿・石場旅館に泊まったぽん太とにゃん子は、全国的に有名なイタリアンレストラン・オステリア・エノテカ・ダ・サスィーノで夕食をいただきました。こちらが公式サイトです。

 石場旅館のご主人さん、車でレストランまで送っていただいて、ありがとうございました。

 このレストランは農地やぶどう畑を持ち、野菜を育て、収穫したブドウから自家製ワインを醸造し、自家製の生ハムやチーズを作るというやり方で、雑誌などにも取り上げられている有名なお店です。こんかい巡り合わせがよくて訪れることができ、とてもうれしかったです。

 メニューはおまかせのコース一択です。

Img_4263
 食前酒は自家製のシードル(背の高い方)をいただいてみました。シードルはリンゴの発泡酒ですが、弘前は「日本シードル発祥の地」だそうで、いくつもの醸造所がシードルを作っています。

 お料理に関しては、ぽん太は食レポする能力はないので、黙々と写真をアップいたしますのでどうぞご覧ください。

Img_4265

Img_4273

Img_4274

Img_4277

Img_4279

 とっても美味しゅうございました。

 

Img_4283
 帰りは、繁華街をぶらぶら歩きながら宿に戻りました。

Img_4284
 弘前の有名なジャズ喫茶SUGAです。今夜はもう宿に帰って寝たいのでパス。次はこの店にも入りたいです。

Img_4285
 レトロな街並みです。なんか外国みたい。

Img_4286
 ライトアップされた旧第五十九銀行本店本館。明治37年(1904年)築。ルネッサンス風の洋風木造建築。重要文化財に指定されております。設計は堀江佐吉。弘前に生まれ、洋風建築の専門教育は受けておりませんが、数々の洋風建築を手掛けました。五所川原市の旧津島家住宅(現・太宰治記念館 「斜陽館」)が有名ですネ。

2022/02/14

【宿】石場旅館(青森県弘前市)登録有形文化財のレトロな宿

Img_4291

 新型コロナ第1波が迫り来る2020年3月中旬の東北旅行、ぽん太とにゃん子は青森県は弘前市にある石場旅館に泊まりました。弘前はいろいろと古い建物が残っているのが魅力ですが、この宿も登録有形文化財に指定されており、レトロな佇まいが魅力です。

【旅館名】石場旅館
【住所】青森県弘前市元寺町55
【公式サイト】・https://ishibaryokan.com
【宿泊日】2020年3月中旬
【プラン】宿泊と朝食。お値段は忘れました……。

Img_4233
 青森県は弘前市の中心街、明治時代の洋風建築として有名な弘前教会の隣りにある、木の梁と白壁が美しい建物が、こんかいお世話になった石場旅館です。
 ホームページに料金の記載はなく、宿に直接電話をし、希望を言って予約する形になります。ご主人はとてもフレンドリーで、夕食は市内のレストランを予約していたのですが、そこまで車で送ってくれて、途中で街の案内までしてくれました。

Img_4237_fotor
 建物は登録有形文化財と(石場旅館 - 文化遺産オンライン)、景観重要建造物に指定されております。宿が創業された明治12年(1879)築の建物が元になっております。木造2階建。

Img_4238
 玄関です。でんと構えたストーブが、北国を思わせます。

Img_4239_fotor
 歴史を感じさせる柱時計。

Img_4256
 階段の横を利用したこのようなデザインは、ぽん太は初めて見ました。

Img_4255
 太鼓橋風の坂のある複雑な構成。天井の貼り方も珍しいです。

Img_4244
 幅広い老化。年季を経た床板。

Img_4242
 こんかい泊まったお部屋です。

Img_4248
 縁側の柵も細かく作り込まれています。

Img_4254
 江戸時代中期のお雛様が展示されていました。現代とは異なるいいお顔です。

Img_4260
 お風呂です。レトロな雰囲気のタイル張り。温泉ではありません。

 行きたい温泉は行き尽くした感があるぽん太とにゃん子ですが、「温泉」という枠を外すと、まだまだいい宿がありますね〜。

Img_4294
 今回は夕食は、弘前市内のイタリアン・レストランでいただきました。のちほど紹介します。

 宿の前にあるバーは、宿の土地を貸してるだか何だかで、ドリンク一杯サービスがつきます。地元の人と話をしながら、お酒を楽しみました。

Img_4296
 ザ・朝食と行った感じの朝ごはんです。夕食も食べてみたかったですネ。

Img_4297
 正面の2階が、ぽん太とにゃん子が泊まって部屋です。とても楽しかったです。ありがとう。

2022/02/13

【温泉】温泉ファンなら必ず入りたい不老ふ死温泉/付:轟木駅・千畳敷

Img_4203

 新型コロナが流行りはじめるなか、ぽん太とにゃん子は、温泉ファンなら(ファンでなくても)必ず入っておきたい不老ふ死温泉に、ついに行くことができました。

 青森は津軽の海辺にあり、茶色く濁った温泉に浸かりながら、遮るものなく日本海を眺めることができるという絶景温泉です。

 宿泊することもでき、温泉に入りながら日本海に沈む夕日を眺めるのも格別のようですが、ホテルとしては普通の感じだったので、ぽん太とにゃん子は日帰り入浴でお邪魔しました。

 近年は外国人で大混雑という噂もありましたが、新型コロナのおかげか空いていて、一時的には貸切状態でした。天気も青空。温泉と海を独り占め。なんと贅沢な。

【旅館名】不老ふ死温泉
【住所】青森県西津軽郡深浦町大字舮作字下清滝15
【公式サイト】・https://www.furofushi.com
【入浴日】2020年3月中旬
【泉質】含鉄-ナトリウム-塩化物強塩泉
  源泉掛け流し 循環(-)加水(+)加温(-)消毒(-)
【プラン】日帰り入浴 600円

Img_4201
 駐車場から眺めた温泉の様子。向かって左手にホテルがあり、そこから通路を歩いて温泉に向かいます。

1280pxfurofushispa
 上の写真は、黄金崎不老不死温泉 - Wikipediaからのライセンスフリーの写真です。不謹慎なやからがいるせいか、温泉内は撮影禁止になっております。

 写真は混浴の浴槽で、もうひとつ女性専用の浴槽もあり、そちらは周りから見えなくなっています。褐色に濁ったお湯はとても塩っぱいです。泉温が53.6度と高いため加水しておりますが、源泉掛け流しです。

 他にホテル内に、海側が一面ガラス張りになった内湯もあり、体を洗うこともできます。せっかくですから両方入りましょう。

 温泉を堪能した後は、岩木山の北側を時計回りに回って、今宵の宿泊地の弘前に向かいました。

Img_4209
 途中、絶景で有名な轟木駅を見学。不老ふ死温泉は、温泉と日本海しかありませんが、この駅は、駅舎と日本海しかありません。

Img_4213
 千畳敷海岸です。こちらは岩と日本海ですね〜。寛政4年(1792)の地震で隆起して出来たと伝えられているそうです。

Img_4221
 正確な場所は忘れましたが、鯵ヶ沢の風力発電所です。

Img_4227
 岩木山は残雪を頂き、崇高な雰囲気でした。

2022/02/12

【温泉】川渡温泉 藤島旅館(宮城県)/湯治の雰囲気と薄緑の湯の源泉掛け流し。

Img_4155
 ダイヤモンドプリンセスで新型コロナが集団発生し、国内でもじわじわと感染者が増え始めた2020年3月中旬、ぽん太とにゃん子は東北温泉旅行に出かけました。

 初日の宿泊は川渡温泉・藤島旅館。「川渡」は、「かわたび」と読みます。宮城県の有名な鳴子温泉郷の一番東に位置します。湯治の雰囲気を残しながらも格式を感じる旅館で、薄緑のお湯も珍しく、とっても良かったです。

【旅館名】藤島旅館
【温泉名】川渡温泉(かわたびおんせん)
【住所】宮城県大崎市鳴子温泉字川渡84
【公式サイト】・https://fujishima-ryokan.com
【宿泊日】2020年3月下旬
【泉質】含硫黄-ナトリウム-炭酸水素塩・硫酸塩泉 低張性弱アルカリ高温泉
  源泉掛け流し 循環(-) 加水(-) 加温(-) 消毒(-)
【プラン】 忘れたけどたぶんBプラン 2名1室1人約1万1千円。

Img_4197
 白壁に木製の梁が美しく、玄関周りはかなり古そうです。増築したと思われる2階部分は半切妻屋根になっていて、赤茶色の屋根瓦とあいまって、どこか洋風な雰囲気もします。

Img_4164
 コの字型の玄関が、昔風ですね。

Img_4163
 中に入って玄関を振り返った感じも素敵です。

Img_4162
 黒光する廊下です。

Img_4168
 長押を這う何本もの電線や、電力量計がいい味を出しています。

Img_4173
 売店は、湯治の雰囲気を漂わせます。

Img_4170
 お、おんすいぷ〜る!?

Img_4169
 あ、ありました。今は泳げませんが……。

Img_4190
 お部屋はこちら。綺麗で落ち着く和室ですね。

Img_4188
 温泉は、真癒の湯(まゆのゆ)と呼ばれています。本当に治癒するという意味でしょうか。昔から「脚気の川渡」と言われていたそうで、遊興ではなく、湯治目的の湯だったと考えられます。 

Img_4178
 男女別の内風呂です。

Img_4180
 こちらが注ぎ口。シンプルで機能的ですね。お湯は薄緑いろで濁りはなく、ちょっと硫化水素の香りがします。とっても温まるいいお湯です。

Img_4184
 温泉分析書です。ホームページには4つの源泉の混合泉と書いてありますが、分析書では3つの源泉ですね。泉質は「含硫黄-ナトリウム-炭酸水素塩・硫酸塩泉  低張性弱アルカリ高温泉」です。成分が濃いんですね。泉温は47.6度、pH: 7.5です。加水・加温・循環・消毒なしの正真正銘の源泉掛け流しです。

Img_4175
 夕食はお部屋に運ばれてきます。品数も多くて美味しいです。

Img_4187
 こちらが朝食ですね。

Img_4195
 敷地がとても広く、建物も大きくて、学校のような雰囲気もあります。湯治場として賑わったんでしょうね。

Img_4193
 立派な庭園もありますよ。二千坪もあるそうです。この旅館の当主は村の有力者だったのでしょう。

2022/02/11

【仏像】3度目に訪れたら外国人のお坊さんでした/国宝運慶仏のある願成就院

Img_4526
 コロナ第2波が治まりつつある2020年9月上旬、ぽん太とにゃん子は運慶の仏さまに会いに、静岡県伊豆国市の願成就院へ行ってきました。

 今回で3回目の訪問なのですが、作務衣を着た外国人が流暢な日本語で解説してくださったので、びっくりしました。なんでも住職の娘さんのお婿さんで、イギリス人とのこと。運慶が外国人に受け継がれていくことになるとは、不思議なご縁です。

 ぽん太とにゃん子が前回いつ願成就院を訪れたのか、ちょっとわからないのですが、最初の訪問は2013年11月下旬で、その時の記事がこちらです。

【登山】ロープウェイのお気軽散歩で富士山を見る!箱根山(駒ヶ岳、神山)、付:願成就院・国宝の運慶作仏像が5つもあり(2013/12/19)

 観仏初心者だった頃の記事なので、こんかいもう一度まとめておくことにしました。

【寺院】天守君山 願成就院(がんじょうじゅいん) (高野山真言宗)
【住所】静岡県伊豆の国市寺家83-1
【拝観日】2020年9月上旬
【拝観】拝観料700円。
【公式サイト】・https://ganjoujuin.jp/index.html
【駐車場】門前駐車場20台無料
【仏像】◉国宝 ●重要美術品 □県指定
◉阿弥陀如来坐像 運慶作 像高142.0cm
◉不動明王・矜羯羅童子・制吒迦童子三尊立像 運慶作 像高 不動明王137.2cm、矜羯羅童子74.4cm、制吒迦童子83.5cm
◉毘沙門天立像 運慶作 像高148.2cm
 ※すべて文治2年(1186)運慶作。お姿は全てこちらで見れます。
●□地蔵菩薩坐像 像高51.6cm 鎌倉前期
 北條時政公肖像

Img_4528
 大御堂のなかに運慶仏5躯が祀られております。中央に阿弥陀如来坐像、向かって左に不動明王と矜羯羅童子・制吒迦童子三尊立像、右に毘沙門天立像です。圧倒的な迫力です。

 最初に願成就院を訪れたときは、国宝に指定されたばかりだったので、仏さまの真前まで近づいて拝観することができたのですが、さすがにそこまで近寄れないようになっておりました。

 奈良仏師であった運慶が鎌倉に下って、武士のための仏像製作を始めた初期のもので、非常に意欲的な作品です。運慶35歳ごろの作と言われ、現存する東日本の運慶仏としては最古のものだそうです。

 中央にどっしりと構える阿弥陀如来さまは、戦火等を経て傷みが激しく、表面が剥がれたり指が欠損したりしています。それでも堂々たる重量感で、はち切れんばかりの気がみなぎっています。お顔はパンパンで、キリッと引き締まった表情。胸の前で説法印を結んでますが、ちょっと脇を開いた両腕の空間感覚が見事です。また衣紋の流れも写実的で勢いがあります。

 不動明王は、当時の定型だった天地眼(片目が天、片目が地を睨む)、牙上下出相(片方の牙が上を向き、反対側が下を向く)ではなく、正面を睨み、牙は両方とも下向きです。様式性よりも写実感を重視しているのでしょうか。羂索を持つ左手は、通常は下におろしていますが、この像では肘を曲げてます。左手の下にスペースを作り矜羯羅童子・制吒迦童子の収まりを良くするという空間構成への配慮と思われます。

 反対に毘沙門天は、通常は三叉戟(さんさげき)持つ右腕を高く上げておりますが、本像では肩の高さで戟を持っています。不動明王との対称性に配慮したように思われます。気迫を込めて威圧的にこちらを見据えます。

 ちなみに願成就院の諸像を作ってからわずか3年後、運慶は同じ組み合わせの横須賀の浄楽寺の諸像(中央は阿弥陀三尊像になってますが)を作りました。しかしこちらは、不動明王や毘沙門天は定型的な姿をしており、全体におとなしく、装飾性が優っています。願成寺でチャレンジしてみた運慶が、一歩下がってまとめてみた仏さまのように思われます。

 さて、大御堂の裏手には宝物館があり、そこに地蔵菩薩坐像と北條時政公肖像があります。

 実は願成就院は、北条時政が源頼朝の奥州平泉討伐の戦勝祈願のために建てたものだそうです。北条時政の像はちょっとコミカルですが、現存唯一の肖像彫刻だそうで、どことなく「鎌倉殿の13人」の坂東彌十郎に似ています。また、地蔵菩薩は慶派の手になると言われる立派な仏さまで、北条政子の七回忌に北条泰時が奉納したもので、北条政子の顔を写していると言われております。そういえば小池栄子にどことなく似ています。

 他に本堂に同じく慶派の阿弥陀如来坐像が祀られておりますが、こちらは非公開です。

Img_7191
 ちなみに願成就院には、北条時政公の墓があります。

 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地巡りのついでに、日本を代表する仏師・運慶の作品を見てみるのもいいかと思います。

2022/02/10

【温泉】塔ノ沢 一の湯本館@箱根/登録有形文化財の老舗旅館に格安で

Img_4362
 今を去る2020年7月(コロナ第1波と第2波の間)、ぽん太とにゃん子は箱根は塔ノ沢の一の湯本館に行ってきました。明治時代の骨組みが残る登録有形文化財の宿に、格安の料金で泊まれます。お食事はそれなりのところがありますが、館内探検をすると楽しく、大正ロマン溢れる貸切家族風呂も魅力です。

【旅館名】塔ノ沢 一の湯本館
【温泉名】箱根温泉
【住所】神奈川県足柄下郡箱根町塔ノ沢90
【公式サイト】・https://www.ichinoyu.co.jp/honkan/
【宿泊日】2020年7月上旬
【泉質】アルカリ性単純温泉(循環・加水・加温・消毒あり)
【プラン】スタンダードプラン(一般和室、バス・トイレなし)2人1室1泊約1万円。

★楽天トラベルからのご予約は右のリンクをクリック!

Img_4364
 箱根は塔ノ沢温泉、有名な還翠楼の真向かいにあります。建物は木造主体の地上4階、地下1階建て。増築や改修を重ねているものの、大元は明治になったばかりの1968年築で、登録有形文化財に指定されています(→文化財オンライン)。

Img_4371
 階段が絨毯張りになったり、床板が合板だったりと改修されてはいますが、見事な意匠ですね。

Img_4392
 客室の入り口です。温泉らしい楽しさと華やかさがあります。

Img_4399
 明りとりの装飾も面白いですね。

Img_4393
 曲線と直線が複雑に絡み合っています。

Img_4368
 増築を重ねてできた狭い空間に、金属製の屋根がぎりぎりに収まっています。突き出た煙突も魅力的。

Img_4374
 お部屋は一般和室ですが、きれいに改修されており、船底天井や床の間横の障子など、面白い空間です。

Img_4372
 お部屋は早川の渓流に面しておりますが、あいにくこの日は警報級の大雨。激流と化してました。

Img_4388
 さて温泉ですが、写真は男女別の内湯です。石造りですね。お湯は、無色透明でお肌スベスベの塔ノ沢の湯。ただ循環・加水・加温・消毒が行われているのがちと残念です。

Img_4389
 洗い場ですが、蛇口は水だけ。鏡の手前の部分に温泉が溜まっており、それを桶で汲んで使います。なんとここは源泉掛け流しにいるそうで、上がり湯には最適ですね。

Img_4380
 こちらは大正ロマンあふれる家族風呂。無料の貸切になっております。案内板によると、大正6年(1917)にイタリアから大理石を輸入して作られたものだそうです。地下に湯船が設置されているのは、ポンプの技術がなかったため、源泉を自然に注ぎ込むためだそうです。

Img_4396
 お食事はレストランでいただきます。大正時代に作られた大広間を改装したものだそうで、木製の格子天井が風格を感じます。

Img_4398
 シーリングメダリオンも見事ですね。昔は立派なシャンデリアがかかっていたのかも。

Img_4386
 こちらが夕食です。1泊約1万円というお値段を考えると立派ですね。これでは物足りないという方には、お刺身や、舟盛りなどの追加プランもあります。 

Img_4394
 こちらは朝食です。地元の干物が美味しいです。このほかにスープがつきます。

2022/02/09

【仏像】円覚寺・宝冠釈迦如来など(鎌倉) 付:レストラン・ラ・マーレ(葉山)

20220203_134016

 オミクロン株の流行のなか、ぽん太とにゃん子は鎌倉の円覚寺に行ってきました。もちろん小町通りに近づく気はありませんが、車からちらりと見たらすごい人出でした。

【寺院】臨済宗円覚寺派大本山 円覚寺 (瑞鹿山円覚興聖禅寺)
【住所】神奈川県鎌倉市山ノ内409
【拝観日】2022年2月上旬
【拝観】拝観料500円。
【公式サイト】・https://www.engakuji.or.jp
【駐車場】なし。近隣の有料駐車場を利用。
【仏像】△市指定
仏殿
△宝冠釈迦如来 頭部は鎌倉時代 体部は江戸時代
△梵天立像・帝釈天立像 南北朝時代
 無学祖元禅師坐像 
 達磨太子坐像 鎌倉末期

選仏場
 薬師如来 南北朝時代
 大慈大悲観世音菩薩

黄梅院
 夢窓国師
 千手観世音菩薩
 聖観世音菩薩
 聖観世音

大方丈
 百観音

20220203_133256
 総門をくぐって境内に入ります。

20220203_133548
 三門(山門)です。仁王様はいません。天明5年(1785)に再建されたもので、神奈川県指定重要文化財。楼上には、十一面観音、十二神将、十六羅漢が祀られているそうですが、残念ながら非公開です。

20220203_133713
 鎌倉らしい凛とした境内を進んでいくと、本尊が祀られた仏殿が見えてきます。関東大震災で倒壊したため、昭和39年(1964)の再建。

20220203_133957

 堂内に入ると、わ〜、いらっしゃいました。思ってたよりゼンゼン大きいです。丈六(座っている場合は約8尺(2.43m))くらいでしょうか。広々とした空間に、高々と祀られております。光背の金色、蓮華座の朱色が華やかです。

 如来でありながら髪を高く結い上げて宝冠を被り、衣を通肩にまとい、禅定印を結んでおられます。いわゆる宝冠釈迦如来で、中国の宋時代に作られるようになり、鎌倉時代以降の禅宗のお寺の本尊として祀られるようになりました。華厳経の毘盧遮那仏と同一視されるそうで、華厳の考え方は禅宗と深く関わっているのだそうですが、ちょっとググった程度ではぽん太の狸脳ではまったく理解できませんでした。機会があったら勉強してみたいです。

20220203_134707
 お写真で見ると、のっぺりした無表情のお顔に見えますが、目の当たりにすると表情があります。口元を引き締め、厳しく精悍なお顔で、キッと正面を見据えております。まるで武士のようで、超越性や荘厳さとは異なります。

 仏殿の案内板によると、この御本尊さまは、1282年(弘安5年)に仏殿開堂のおりに造られましたが、1563年(永禄6年)の大火で焼失し、お顔のみが救出されました。江戸時代なって1625年(寛永2年)に仏殿が再建された時にお体が補造され、両脇に梵天、帝釈天が安置されたそうです。

20220203_134102
 こちらが向かって右の梵天さま。ここに置かれたのは上記の通り江戸時代ですが、作られたのは南北朝時代と考えられているそうです。バランスが取れていて、憂いをおびた表情や執拗な衣紋の流れなど、悪くありません。木造だそうですが、なんで白いのかぽん太にはわかりません。また、釈迦如来さまに比べてちょっと小さすぎますよね。

20220203_134045
 こちらが帝釈天さまですね。なんで宝冠釈迦如来の脇侍が梵天・帝釈天なのかも、ぽん太にはわかりません。

20220203_134420
 ご本尊の向かって左奥には、無学祖元禅師坐像と、達磨大師坐像があります。こちらもなかなかいいですね。無学祖元は、円覚寺を開山した僧で、北条時宗が宋から招きました。

20220203_135643
 続いて選仏場です。建物は元禄12年(1699)に再建されたものだそうです。内部には薬師如来と大慈大悲観世音菩薩が安置されております。

20220203_135314
 こちらが薬師如来さま。南北朝時代の作だそうです。お目々ぱっちりです。悪くはないですけど、ちょっと特徴がないですね。

20220203_135302
 こちらが大慈大悲観世音菩薩。案内板に平成15年に安置されたと書かれておりますが、作られたのも平成か? 現代風な表情。立膝しているみたいですが、前の衣の膨らみは左足の膝でしょうか。また右の前腕が骨折しております。デフォルメなんでしょうか。ぽん太はあまり好きではありません。

20220203_140246
 円覚寺といえば、国宝の舎利殿ですが、普段は見学できないとは知りませんでした。残念です。

 また佛日庵には南北朝時代の地蔵菩薩坐像があるようですが、拝観料が100円かかるとのことで、「地蔵はいいや」というにゃん子の一言で、省略することにしました。

20220203_140948
 あ、かわいいリスちゃん!と思ったら、タイワンリスですね。特定外来生物で、特に鎌倉で繁殖しており、問題となっております。

20220203_141302
 黄梅院です。

20220203_141157
 中央に千手観世音菩薩、向かって右が夢想国師、左が聖観世音菩薩です。建物の外からの拝観ですが、遠くで暗くて肉眼ではまったく見えず、カメラがおぼろげに捉えてくれました。

20220203_141359
 黄梅院の庭にあるお堂です。

20220203_141333
 聖観音さまでしょうか。可愛らしいお顔ですね。新しそうです。

20220203_142352
 大方丈前の百観音。江戸時代に岩窟に安置された百体の石仏をもとに、明治時代に整備されたものとのこと。石仏と板碑が交互に配され、傾きかけた冬の日差しに照らされて、なかなかいい雰囲気でした。

20220203_143419
 国宝の洪鐘(おおがね)です。ぽん太には鐘の価値はよくわかりません。

 隣の弁天堂には弁財天が祀られていますが、60年(61年?)ごとのご開帳とのことで拝観できませんでした。次はいつでしょう?

 ググってみると円覚寺には、重要文化財の仏像(像)として、木造仏光国師坐像(開山堂安置)、銅像阿弥陀如来及両脇侍像(鎌倉国宝館寄託)があり、また伝宗院所有(鎌倉国宝館寄託)の木造地蔵菩薩坐像、白雲庵所有の木造東明禅師坐像、正伝庵所有(鎌倉国宝館寄託)の木造明巌正因坐像があるようです。

 しまった、伝宗院の木造地蔵菩薩坐像と正伝庵の木造明巌正因坐像は、ちょうど鎌倉国宝館で公開してたにゃん。見ればよかった。機会があったら拝観したいものです。

20220203_124959
 さて、先週に引き続き、にゃん子の青春シリーズ。葉山の海に臨むレストラン・ラ・マーレです。こちらが公式サイトです。

20220203_121623
 ぽん太はケーキセット(フルーツタルト)をいただきました。冬の葉山なんか空いてるだろうと思ったら、入店待ちが出るほどの混雑で、窓際の席はいっぱいでしたが、海が見える席を用意していただきました。ウインドサーフィンをしている人がいました。

2022/02/03

【仏像】鎌倉国宝館 - 養命寺の木造薬師如来や円応寺の木像群。建物も登録有形文化財

Img_4407
 今を去る2020年7月、ぽん太とにゃん子は、行ってるようで行ってない鎌倉国宝館に行ってきました。

【寺院】鎌倉国宝館 平常展示
【住所】神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-1[鶴岡八幡宮境内]
【拝観日】2020年7月上旬
【拝観】拝観料300円。
【公式サイト】・https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kokuhoukan/
【駐車場】なし。近隣の有料駐車場を利用。
【出品目録】・出品目録
【仏像】◎重文 ◯重要美術品 □県指定 △市指定
□木造薬師三尊及び十二神将立像 平安〜江戸時代 鎌倉国宝館所蔵 お姿
△木造宝冠釈迦如来坐像 南北朝時代 建長寺
□木造阿弥陀如来立像 鎌倉時代 浄妙寺
 木造聖観音菩薩坐像 永禄13年(1570)  寿福寺
△木造韋駄天立像 鎌倉時代 浄智寺 お姿
◎木造弁財天坐像 文永3年(1226) 鶴ヶ丘八幡宮 お姿
中尊◎両脇侍△ 木造薬師如来及び両脇侍像 中尊建久8年(1197)両脇侍13〜14世紀 養命寺 お姿
 木造迦葉尊者立像 南北朝時代 寿福寺
◎木造初江王坐像 建長3年(1251)  円応寺 お姿
◎木造倶生神坐像 鎌倉時代 円応寺 お姿
◎木造鬼卒立像 鎌倉時代 円応寺 お姿
◎木造檀拏幢(人頭杖) 鎌倉時代 円応寺 お姿
 木造 円真房栄真坐像 室町時代 極楽寺
□木造明庵栄西坐像 鎌倉時代 寿福寺 お姿
◎木造北条時頼坐像 鎌倉時代 建長寺 お姿
◎木造上杉重房坐像 鎌倉時代 明月院 お姿
 銅造十一面観音菩薩立像 南北朝時代 昌清院 お姿
◎木造地蔵菩薩立像 鎌倉時代 寿福寺 お姿

 訪れたのが1年半前。はっきり言って、昔すぎてほとんど覚えておりません。ちょっとだけ覚書を……。

 養命寺の木造薬師如来(重文)。このお目々パッチリの薬師如来様には、4ヶ月後にもう一度お会いしました(【仏像】特別展「相模川流域のみほとけ」@神奈川県立歴史博物館、2021/09/15)。どっしりとしていて、迫ってくる圧が強いです。

 円応寺の木像群(重文)は強く印象に残りました。地獄信仰に関わる像ですが、かなり誇張された表現でキャラが立っていて、現代のアニメの登場人物みたいです。それぞれどういう像かをWikipediaなどで調べてみると、初江王は十王信仰にかかわる王のようです。十王は、仏教が中国に伝わるなかで、もともとあった道教と習合して作られたそうで、日本では平安末期以降に広く信仰されるようになりました。亡くなった人間が、死後の決められた日数の日に、次々と十人の王に裁かれるという考え方です。日本では五七日(35日目)に裁く閻魔王だけが有名ですね。初江王(しょこうおう)は二七日(27日目)の裁判官です。

 倶生神(くしょうじん)は二人の神様で、人間が生まれた時から両肩に乗っていて、その人が生涯で行った善行と悪行をすべて記録し、死後に閻魔大王に報告する役だそうです。鬼卒(きそつ)は、地獄で亡者を責める鬼。檀拏幢(だんだとう)は閻魔様が持っている杖で、てっぺんに二つの頭部がついているのですが、それぞれ「見る目」「嗅ぐ鼻」を表しており、閻魔様が亡者を裁くとき、ピピピと反応して裁きを助けるのだそうです。

 北条時頼坐像(建長寺)と上杉重房坐像(明月院)は、まるで間違え探しのように良く似た像。上の「お姿」を見て違いを見つけてみよう! もうひとつよく似た像として東京国立博物館の伝源頼朝坐像(お姿)もあるそうです。狩衣のズボン(指貫:さしぬき)の膝がなんとも特徴的ですね。

Img_4404
 鎌倉国宝館の建物についても、ひとこと付け加えておきましょう。鉄筋コンクリートですが、外観は校倉造りを模しています。高床式になっている部分が塞がれ、倉庫のように使われているのが残念です。内部は寺院風になっています。登録有形文化財に指定されております(→文化財オンライン)。

 竣工は昭和3年(1928)、設計は岡田信一郎です。岡田信一郎は明治16年(1883)に生まれ、昭和7年(1932)に死去。大正〜昭和に活躍した建築家です。現在残っている建物は多くないですが、有名なところとしては、大阪市中央公会堂(1918)、ルーピーな孫で有名な鳩山一郎邸(現鳩山会館,1924)、明治生命館(1934)などがあります。歌舞伎ファンとしては、前の前の歌舞伎座(1924〜1945)の設計者として知られており、鉄筋コンクリートを利用した桃山様式の建物でした。前歌舞伎座 (1945〜2010)は、戦火を受けた前々歌舞伎座を改修したものですが、全体の外観としては隈研吾設計の現歌舞伎座が似ています(歌舞伎座の変遷|歌舞伎座)。

Img_4408
 玄関の扉には、小川三知(おがわさんち、1867〜1928)作のステンドグラスが嵌め込まれております。月と星の意匠は、トルコの国旗とは関係なく、鎌倉町(1894〜1939)の町章です。「星月夜」という言葉が「暗」(くら)と同音を含む「鎌倉」の修飾語として使われ、主に謡曲で枕詞のように使われました。また、「鎌倉」や「鎌倉将軍」(源頼朝)、「松ヶ丘」(東慶寺)などを暗示的に表す言葉として使われたそうです(星月夜|コトバンク)。

2022/02/02

【仏像】弘明寺 十一面観音菩薩立像(重文)、付:カフェ&レストラン ドルフィン

20220127_123158

 オミクロン株が猛威を振るうなか、ぽん太とにゃん子は感染防止に留意しつつ、ストレス発散のため、横浜は弘明寺の十一面観音さまに会いに行ってきました。

 実はこの仏さま、以前にお会いしたことがあります。昨年3月、横浜市歴史博物館で行われた展覧会です(そのときの記事は→「【仏像】「横浜の仏像 しられざる みほとけたち」@横浜市立歴史博物館」2021/09/14)。ほんとうに親しみあるお優しい仏さまで、コロナ禍ですさんだ気持ちをすっかりほぐしていただきました。

【寺院】瑞應山 蓮華院 弘明寺(ぐみょうじ)(高野山真言宗)
【住所】神奈川県横浜市南区弘明寺町267番地
【拝観日】2022年1月下旬
【拝観】拝観料500円。
【公式サイト】・http://www.gumyoji.jp
【駐車場】お寺の東側の弘明寺坂から入ったところに無料駐車場(約10台)あり。他に臨時駐車場もあり。
【仏像】◎重文
 ◎木造十一面観音立像(弘明寺観音) ケヤキ一木造 180.7cm 平安時代11世紀 お姿
  仁王像 13世紀後半

 狭い弘明寺坂を、車で歩行者に気をつけながら登っていき、お寺の無料駐車場に停車。境内にはいろいろと建物や見どころがあり、参拝客もこのご時世ながらちらほらいて、地元の信仰を集めて賑わっている様子です。ぽん太とにゃん子は、まずご本尊目指して本堂へ。受付で拝観料500円也を支払い、中に入ります。ご本尊さまは内陣の一番奥の厨子の中におられますが、ありがたいことに厨子のすぐ前まで行くことができます。

 やっぱり博物館で見るよりも、こちらの方がいいです。ご自宅(?)にいるとすっかりくつろいでいるように見えます。仏さまは「美術品」ではなくて「信仰の対象」ですからね。

 本像は、わざの飲みのノミの痕を残すいわゆる「鉈彫り」で、水平方向の丹念なノミ痕に覆われています。「鉈彫り」の理由はいろいろと説があるようですが、本像では素朴で暖かい感じが強まっている気がします。

 前回見た時と同じく(当たり前か)、少し右肩を引き、状態から首を右(向かって左)に傾けて、ちょっと上を仰ぎ見ているようなポーズです。大きなお顔は、崇高さや厳しさではなく、温かみが感じられます。どんな悪いことをしても、「いいよ、いいよ。だいじょぶ、だいじょぶ」と許してくれそうです。それからこんかい、腰がすごく細いことに気が付きました。

 内陣には、ほかに三十三観音や弘法大師、宇賀神などさまざまな仏様が祀られておりました。

20220127_125248
 仁王門です。

20220127_125120
 仁王様は、なかなか迫力がありますね。

20220127_125132
 ギロっとこちらを睨んでます。13世紀後期、鎌倉仏師の作だそうです。

20220127_124726
 聖天堂です。内部には、弘法大師が自ら彫った大聖歓喜天が祀られているはずですが、厨子の扉は固く閉じられておりました。

20220127_125838
 横浜市指定有形文化財の梵鐘は、寛政10年(1798)に作られたもので、作者は江戸神田の西村和泉守で、江戸元禄期から大正時代にいたるまで11代続いた鋳物師の名家です。以前に行った石川県羽咋市の豊財院の「はんにゃの鐘」も、、西村和泉守の作でした(【仏像】豊財院(石川県羽咋市)/重文の三観音菩薩像。はんにゃの鐘(西村和泉守作)と血書大般若経には情念を感じます。(2022/02/23))



20220127_132551
 参拝が終わった後、横浜のカフェ&レストラン ドルフィン(公式サイト)へ行きました。

 ユーミン(荒井由美時代ですね)の曲「海を見ていた午後」で歌われていて、ユーミンの聖地と呼ばれているそうですが、ぽん太はまったく知りません。にゃん子のリクエストです。

 にゃん子が若かりし頃、ユーミンに憧れてこの店に来たそうですが、入り口で大声で「栃木ナンバーのシビックのお客さまご案内〜」と言われて凹んだそうです。

20220127_133928
 ケーキセットをいただきました。残念ながら時の流れのなかで、前にはマンションが立ち並び、その向こうには工場の煙突が見えます。

« 2022年1月 | トップページ | 2022年3月 »

無料ブログはココログ
フォト
2024年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31