3月中旬のある日、ぽん太とにゃん子は、運動不足解消のために高尾山に出かけました。
【山域】奥多摩・高尾
【山名】高尾山(599.3m)
【登山日】2021年3月中旬
【天気】晴れ
【登山者】ぽん太、にゃん子
【コース】高尾山口駐車場11:57…(稲荷山コース)…13:34高尾山14:21…14:47高尾山薬王院15:01…15:14霞台園地…15:36琵琶滝…16:07高尾山口駐車場
さて、登山口に立ってどの登山道を使おうかと思案。4月中旬並みの暖かい日だったので、平日とはいえハイカーも多かろうと思い、道幅の広い稲荷山コースを選びました。
でも当日の暖かさとは裏腹に、花は全く咲いておらず、スミレの一輪もありませんでした。これまで寒い日が続いていたので、急に咲けといわれても、花の方も準備ができていなかったのかもしれません。
にゃん子が不思議なものを発見! ぽん太も初めてです。
木の枝についた、落花生ほどの大きさのカゴのようなものです。なんか気持ち悪る。昆虫系かしら、それとも蔓性植物の実か何か?
帰宅してから調べてみると、クスサンという蛾の繭で、スカシダワラという名前がついているそうです。「クスサン - Wikipedia」によれば、7月前半ごろに繭が作られ、9月〜10月に羽化するそうです。どこかに穴が開いていて羽化した後なのか、羽化する前に死んでしまったものなのか、よく見なかったので今となってはわかりません。
それにしても現代芸術のような見事な造形ですね。にゃん子えらい! よくぞ見つけた。
山頂は、高校生だか大学生だかの団体がいて、けっこう混んでました。晴れですが雲が多く、富士山は見えなくて、みんな残念がってました。適当な場所を見つけて昼食をとりました。
帰りは、これまで歩いたことがない道ということで、3号路と1号路の間あたりにある、薬王院に至る道を選択しました。道自体は山頂に至る資材運搬用の車道という感じで趣きはなかったのですが、思いがけない発見がありました。
それがこれ! この道は高尾山薬王院の裏手に降りてくるのですが、そこに「福徳弁財天洞」というものがありました。多摩地区に生息するぽん太とにゃん子は、これまで数えきれないほど高尾山に登っておりますが、こんなスポットがあるとは知りませんでした。
石段の向かって左に、新しそうな石像があります。琵琶を弾く女性、弁天様(=弁財天)ですね。隣にある案内板によると、この洞窟の中には弁財天が安置されていましたが、いつの時か無くなっていました。薬王院の27世範秀僧正が昭和天皇の即位を記念して、昭和元年に新たに弁財天像を造って安置したとのことです。
ということで、石段の上の洞窟に入ってみます。
入り口には一段下がってアーチがあります。お約束どおり、ぽん太は頭をぶつけました。アーチの上にはお地蔵様や仏具が置かれています。
洞窟は、十メートルほど進んだところに柵があって行き止まりになっており、そこになにやら仏像が置かれています。暗くて見えませんが、写真を撮って後からみると、このような石仏でした。これも弁財天ですね。上記の解説文に書いたあった昭和元年に造られた弁財天は、洞窟の外にあった弁財天ではなく、洞窟の中のこの弁財天だったのですね。
多くの人は弁財天というと、美しい女神様が琵琶を抱いて七福神の船に乗っている姿を思い浮かべるかと思いますが、元々はヒンズー教の女神サラスヴァティーが仏教に取り込まれたものです。像容は、2臂像(腕が2本)と8臂像(腕8本)に別れます。2臂像はよく見る琵琶を弾く女神の姿で、音楽や学芸の神です。弁財天はヒンズー教ではサラスヴァティー川の化身とされていたことから、川辺や湖のほとりに祀られます。一方、8臂像は手に弓・箭・刀・矟(さく)・斧・長杵・鉄輪・羅索などを持ち、戦いの神の性格を持っております。ひとつの神様に、性格がまったく異なるふたつのお姿があるというのは面白いですね。
上の写真を拡大してよく見ていただくと、頭の上にとぐろが巻いてあって、翁の顔があるのがわかります。これは蛇の体に翁の顔を持つ宇賀神(うがじん)と呼ばれる正体不明の神です。弁財天と宇賀神は日本で中世以降に習合し、宇賀弁財天と呼ばれます。頭上に宇賀神を戴き、持ち物にも宝珠や鍵が加わり、福徳神・財宝神としての性格が加わっております。高尾山の弁財天の洞窟は「福徳弁財天洞」と名付けられておりますので、宇賀弁財天でピッタリですね。
ただ現在の弁財天は、上に述べたように昭和元年に造られたものなので、元々の弁財天がどのようなお姿でいつ頃作られたものなのかはよくわかりません。
洞窟の中に弁財天が祀られる例は各地にあるようで、鎌倉の銭洗弁天が有名ですね。洞窟から湧き出る水でお金を清めると、金運が上昇するそうです。高尾山のこの洞窟からかつて水が湧き出ていたかどうか、ぽん太にはわかりません。
なんでこんな山の上に弁財天が?という疑問もあるかと思いますが、修験道の始祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が弁財天と出会ったという言い伝えがある六甲山周辺には弁財天を祀る寺が多くありあす。また大峰山の入り口にある奈良県天川村にも、天河大弁財天社があります。高尾山も山岳修験道が古くから行われていた山です。薬王院の本尊・飯綱大権現の起りである信州の飯綱山は役の行者によって開かれたとされており、神変堂(じんぺんどう)には神変大菩薩(=役行者)が祀られております(後述)。高尾山の弁財天は、役行者と関係があるのかもしれません。
もうひとつ思い浮かぶのは、高尾山が古くから滝行の場であったという事実です。滝といえば水です。しかも現在高尾山に残るふたつの水行道場の滝の名は、「琵琶」滝と「蛇」滝。う〜ん、な〜んか宇賀弁財天っぽいですね〜。でもこれはぽん太の推測。信じるも信じないもあなた次第です。
薬王院飯綱権現堂です。もちろん立派な神社です。でも高尾山薬王院はお寺ですね。日本伝統の神仏習合がしっかりと残っているところが嬉しいです。彫刻の飾りがとても見事です。案内板によると、写真の拝殿は1753年(宝暦3年)に建てられたそうです。
さて、こちらが先に触れた「神変堂」(じんぺんどう)です。薬王院から降って行った場合、浄心門の手前の右側にあります。神変大菩薩(=役の小角=役行者)を祀っております。
中には役行者が祀られておりますが、ガラスの反射でよく見えません。見える範囲で、修験道の姿で岩座に座り、頭に頭巾。典型的な像容と思われます。
お堂の前には、左右に善童鬼(ぜんどうき)・妙童鬼(みょうどうき)の石像があります。前鬼・後鬼(ぜんき・ごき)とも呼ばれ、役行者が従えていた夫婦の鬼です。一般的な像容は、善童鬼は赤鬼で、役行者の進む道を切り拓くための斧をもっています。妙童鬼は青鬼で、霊水を入れた水瓶を持っています。この二つの像も、それに従っておりますね。
さて帰路は、いつもの琵琶滝に抜ける道を下り、有喜堂の蒸し立てのまんじゅうを食べ、高尾山温泉・極楽湯で汗を流して帰りました。
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