【キッチュ】善光寺大本願別院観音寺ご開帳・日本歴史館
翌日、一般道を千曲市の方に向かって進んでいると、目の前の山の上に巨大な瓦葺きの建物が出現。なんだろ〜お寺かな?
近づいていくと、何とか温泉と書かれた看板があります。温泉旅館かしら? 泊まってみたいな〜。
などと言いながら走っていくと、車は温泉街に突入。「戸倉(とぐら)上山田温泉」というところらしい。こんなところに温泉地があるとは、温泉好きのぽん太ですが、まったく知りませんでした。
昭和感が漂う歓楽街もあります。どこか良さそうな宿がないかと調べてみましたが、高級旅館が多く、ぽん太の好みの古くて安い宿はなさそうですね。笹谷ホテルに登録有形文化財の建物があるようですが、それなりのお値段なので、GoToが始まったら考えてみようかな。
戸倉上山田温泉|Wikipediaによると、明治中期の開湯だそうで、けっこう新しいんですね。善光寺参りの精進落としとして賑わい、大正時代に現在の繁華街が成立。昭和後期には企業の団体客などで最盛期を迎えたそうです。
で、温泉街を走っていると、ご開帳と書かれた幟が立ち並んでいます。なんでも山の上にある善光寺大本願別院・観音寺で、善光寺のご開帳に合わせてご開帳が行われるとのこと。スマホで調べてみると、善光寺、善光寺大本願、善光寺大本願別院・観音寺の3カ所を参拝することを「三世詣り」というらしい。これは行ってみなくては! ひょっとしてさっき見えた建物でしょうか?
細い山道を登っていくと、ありました。善光寺大本願別院・観音寺です。わ〜、回向柱が立ってる!
建物もコンクリート製で、鉄骨も露出しています。なんだか静か。人っ子一人おらず、受付もシャッターが下されています。中には入れず、外から覗くと、はるか奥の方に善光寺式阿弥陀三尊像が見えます。どうやら朝の6時半から始まる「お朝事」に参加しないと、お寺の中に入って近くからお参りすることはできないようです。そしてこの時期お朝事があるせいで、それ以外は閉じてしまっているのかもしれません。
観音寺の裏手には廃墟のような建物というか、廃墟が。左には澳津神社があり、「男女和合の神」との看板があり、どのような御神体が祀られているかほぼ予測ができたので、見学は省略しました。
帰宅してから検索してみると、信濃毎日新聞の2015年3月7日の記事「縁に引かれて「三世詣り」へ 千曲の大本願別院・観音寺が初企画」に、「千曲市上山田の観音寺が、長野市の善光寺御開帳(4月5日〜5月31日)の期間に合わせ、同市の善光寺と善光寺大本願、千曲市の観音寺の3カ所を参拝する「三世詣(まい)り」を初めて企画した。観音寺は善光寺大本願の別院だがあまり知られておらず、これまでの御開帳の期間に参拝客が訪れることはほとんどなかったという。三世詣りの期間は、御開帳より長い今月30日から6月7日まで。別院にも足を運んでもらおうとの狙いだ。」と書いてあります。
なんだ、「三世詣り」は前回のご開帳の2015年に初めて作られたもので、伝統的なものではないのですね。町おこしの一種かしら?
「三世」の意味に関しても、同記事に「>三世詣りは、極楽往生を願う善光寺を「来世」、先祖供養をする善光寺大本願を「前世」、現世利益を願う観音寺を「現世」とし、三つを合わせて「三世」と観音寺が位置付けた。」と説明されております。仏教には三世仏という考え方があり、過去・現在・未来に例えば薬師如来・釈迦如来・阿弥陀如来など仏さまを割り振るものです。お寺のご利益で前世・現世・来世を割り振るというのは、ぽん太はちょっとしっくり来ません。
ところで、車から山の上に見えた建物は観音寺ではなく、観音寺の向かいにある「日本歴史館」のようです。間近で見るとちょっと廃墟っぽくて妖しい雰囲気だったので、入るのはやめました。公式サイトはこちら、facebookはこちらです。それらによると、地元の宮本光儀と、肖像画家・馬堀法眼喜孝によって1969年(昭和44年)に開館され、歴代124代の天皇の資料や馬堀法眼による肖像画が展示されていました。しかし時代の変化とともに来館者は減少し、この20年年間は休館状態となり、建物も廃墟同然となっておりました。2018年に経営を引き継いだ現経営者が再建を試みている、という状態のようです。
馬堀法眼喜孝って誰れ? Wikipediaに出てるじゃん。明治40年(1907) - 平成11年(1999)。横須賀生まれの肖像画家とのこと。え〜!昔の一万円札の聖徳太子、五百円札の岩倉具視、千円札の伊藤博文の原画を描いた人なんだって。知らんかった。さらに調べてみると、彼の描いた歴代天皇の肖像画、明治神宮宝物殿や、群馬県富岡市の一之宮貫前神社、新潟の彌彦神社などにも奉納されているみたい(参照元)。しかもこれらの奉納には佐川急便の創始者・佐川清氏がかかわっているという(参照元)。こ、これはみちくさを続けると遭難しそうなので、この辺で引き返しましょう。
宮本光儀氏は、戸倉上山田温泉の発展に努めた人で、戦前はグランドの建設や国立長野病院の誘致、そして戦後は観音寺の開山などを行って人のようです(参照元)。
さて、日本歴史館に話を戻すと、Youtubeもあります。経営者は西澤正太郎という人のようですね。
さらに検索を続けると、2021年10月5日の産経新聞の「歴代天皇の肖像ずらり 若者が再建に挑む 「日本歴史館」」という記事が見つかりました。それによると日本歴史館の一帯は昭和40年代に観光用に開発され、動植物園や遊園地、善光寺本願別院の観音寺、奥津神社などが作られ、日本歴史館は5階建てホテルの最上階でした。しかし平成に入ってホテルは閉館し、歴史館も希望者がいるときだけ開館する状態となりました。ところが、西澤正太郎氏の父親は温泉経営をしていましたが、大学で僧侶の過程を履修し、跡継ぎのいなかった観音寺の管理僧侶となり、奥津神社、日本歴史館も管理することになりました。大学でウェブデザインなどを学んだのち故郷に戻っていた西澤氏が、これを機に日本歴史館の再建に乗り出したようです。
いろいろわかってきたぞ。あとは、どういう経緯で観音寺が「善光寺大本願別院」となったかですが、そこら辺にありそうな人間の大人の事情には、狸のぽん太は立ち入らないことにいたしましょう。
珍寺大道場というサイトには、2006年時点の観音寺、日本歴史館の状況がリポートされています。ぜひご覧ください。
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