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2022/05/03

【仏像】善光寺がコロナで1年遅れの秘仏前立本尊の御開帳

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 善光寺のご開帳に行って参りました!

 ご開帳は数えで7年毎ですから、6年に1度ですね。本当は昨年行われる予定でしたが、コロナ禍で中止。今年は蜜を避けるために通常57日間の公開期間を88日間に伸ばすなど、感染対策に万全を期した上での開催となりました。

 ご開帳は信州の善光寺に留まらず、山梨、岐阜、愛知に位置する六善光寺でのご開帳となります。またそれにともなって他の様々なお寺でもご開帳が行われます。還暦を超えたぽん太もは6年後に見れると言い切れないので、この機会を逃すことはできません。

【寺院】善光寺 (常額山)
【住所】長野県長野市大字長野元善町491-イ
【拝観日】2022年4月上旬
【拝観】御開帳期間:2022年4月3日〜6月29日
    御開帳参拝共通券:一般1,200円、前立本尊・お戒壇巡り参拝券:一般500円
【関連サイト】
・善光寺公式サイト:https://www.zenkoji.jp
・善光寺公式サイト、ご開帳のページ:https://www.zenkoji.jp/gokaicho-info/
 ※ホームページで混雑状況などが公開されておりますので、蜜を避けてのご参拝を。
【仏像】◎重文
本堂
◎金銅阿弥陀如来及両脇侍立像(前立本尊)お姿

世尊院釈迦堂
◎銅像釈迦涅槃像 鎌倉末期

山門
 文殊菩薩起騎獅像
 四天王像
 菩薩立像? お姿
 弘法大師坐像? お姿
 四国四十八ヶ所仏像?

善光寺史料館 お姿
 阿弥陀三尊像 平安時代
 薬師如来坐像 平安時代
 阿弥陀如来像
 周防得像

経蔵
 傅大士と二子像

大勧進宝物館
 定朝作善光寺式阿弥陀如来

 

 こんかい善光寺で秘仏公開されるのは「前立本尊」。仏像ファンからすると、これはちょっとレアなケースです。

 ご本尊(そのお寺の信仰の中心となる仏像)が秘仏(通常は公開されない設定)の場合、多くは厨子(仏さまを安置する箱)の中に収められ、扉が閉められています。でも通常お参りするときに閉められた厨子に向かって拝んでもありがたみが少ないというか、イメージがわかないので、秘仏を模した仏像である「前立」(まえだち。お前立、前立仏とも言う)が厨子の前に置かれるわけです。つまり普段は前立を拝み、ご開帳の時は秘仏ご本尊を拝むわけですね。ところが善光寺では、前立もまた秘仏になっており、ご開帳されるのは前立です。ご本尊は「絶対秘仏」で決してご開帳されないどころか、住職や僧侶ですら見ることができません。

 善光寺の御本尊やお前立はいつ頃どのような理由で秘仏になったのでしょうか。

 紹介|善光寺公式サイトを見ると、『善光寺縁起』によれば、ご本尊は552年の仏教伝来のときに日本にもたらされたものであり、従って日本最古の仏像となるそうです。本田善光(よしみつ)が信濃にお連れし、642年に現在の地に遷座されました。664年に伽藍が造営され、善光の名前をとって善光寺と名付けられました。またご開帳とは|善光寺公式サイトには、ご本尊は654年に秘仏となり、お前立は鎌倉時代に作られたと書かれています。内々陣|善光寺公式サイトには、本堂の最も奥にある内々陣の向かって左側に瑠璃段があり、そこに御本尊が内厨子(うちずし)に収められて安置されているそうです。手前には龍が描かれた戸張(とちょう)が掛けられており、参拝者が内厨子を見ることはできません。上に書いたように、普通だとここにお前立が置かれるわけですが、善光寺のお前立は山内の寺院「大勧進」の御宝庫に収められており、ご開帳の時だけ善光寺本堂に移されるのです。

 善光寺公式サイトに書かれているとはいえ、言い伝えや、信仰上の解釈も混ざっているでしょうから、全部が事実とは限りません。でも、大まかな流れはわかりますね。それでも色々と疑問が残ります。

 ご本尊が作られたのは本当にそんなに古いのか?ーー善光寺式阿弥陀三尊 - Wikipediaによると、中国の南北朝時代(439年〜589年)に似たような仏像が作られていたそうで、特に上海博物館にある石造漆金仏坐像(546年)は善光寺如来の非常によく似たお姿だそうです。仏教伝来のときに伝わったかどうかは別にして、その頃の時代のものである可能性は高そうです。

 ご本尊が秘仏になった理由は?ーーネット上では、信州長野善光寺参りというサイトに、『善光寺縁起』に、如来の宣託を受け、つまり自身のお告げにより秘仏化したと書かれています。『善光寺縁起』はこちらのサイト(信州デジタルコモンズ)で見ることができ、巻第5の4章(7ページ)に秘仏となったいわれが書かれているようですが、ぽん太には読めません。現代語訳もあるようなので、手に入れて読んでみたいと思います。

 秘仏ご本尊を見た人はいないの?ーー善光寺式阿弥陀三尊 - Wikipediaに、「偽物出現により、1692年12月14日に柳沢吉保の仲介で、敬諶が秘仏の善光寺本尊を検分・報告している『善光寺由来記』。」と書かれています。『善光寺由来記』は善光寺由来記|国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができますが、63ページには、頼朝が拝観したことが『古今著聞集』に書かれてあるとし、また元禄年間にはご本尊がいつの間にかいなくなってしまったという噂が流れたため、元禄5年にご開帳して確かめたことが、善光寺の古記に記されていると書かれています(64ページ)。しかしWikipediaに書かれているような記載は、ぽん太は見つけられませんでした。『善光寺由来記』もいろいろあるのでしょうか? また、レファレンス協同データベースによれば、江戸以降秘仏御本尊を鑑定・修理した記述は見つけられなかったとしたうえで、『信州善光寺案内』(善光寺事務局監修、しなのき書房、2009)によれば、元禄5年(1962)に幕府が見仏使の敬湛(けいたん)を派遣して調査し、厨子を開けて御本尊を確認したと伝えられ、これが御本尊を見た最後といわれている、と書いています。Wikipediaはこれと間違えたのかな? ということで、秘仏御本尊を見た人がいるかどうかは、よくわかりませんね。

 お前立が鎌倉時代に作られたのは本当か?ーー国指定文化財等データベースには、鎌倉時代の作と書かれています。しかし重文指定年月日を見ると1906年(明治39年)となっており、1897年制定の古社寺保存法の時代に国宝指定されたものです。この当時、どこまで制作年代の特定を厳密に行なっていたかは疑問も残ります。

 現在の前立は、いつからお前立となり、いつから秘仏になったの?ーー甲府にある甲斐善光寺の言い伝えでは、川中島の合戦の後、武田信玄は善光寺のご本尊とお前立を甲斐に移し、甲斐善光寺を建立しました。武田氏の滅亡後、ご本尊は織田によって岐阜に持ち去れらましたが、その時お前立の方は甲斐に残され、後に甲斐善光寺のご本尊とされました。つまり、信濃善光寺の当初のお前立は、現在の甲斐善光寺の御本尊であると言います。しかしこれは、甲斐善光寺側の主張なので、本当かどうかわかりません。しかしながら、信州善光寺のお前立が、いつ頃からお前立になり、そしていつ秘仏になったかについては情報がないのも事実です。

 いろいろと講釈が長くなりましたが、前立御本尊のご開帳の感想。こんかい本堂の内陣にまで入って拝むことができます。連休前の雨の平日だったせいか空いていて、ほとんど待たずに見ることができました。し、しかし……。内々陣の奥の厨子のなかにある前立ご本尊は、遠いです。黄金色の輝きを放っていますが、仏さまのお姿は目を凝らしてなんとなく見えるくらい。双眼鏡を持って来ればよかった。ということで、「この目で見れた」という感動だけをいただき、細かいお姿は写真で見るしかないようです。

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 続いて山門の見学です。

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 急な階段を登っていくと、回廊から周囲の景色を眺めることができます。こちらは本堂側。

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 こちらは仲見世方面ですね。両側にお店や、宿坊が並んでいます。

 上層にはいくつかの仏像が置かれています。四天王を従えた文殊菩薩騎獅像、妙なプロポーションの菩薩像、四国四十八ヶ所の仏像などが安置されておりますが、確か江戸期のもので、あまり見応えはないです。

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 忠霊殿は、コンクリート造りの三重の塔。基壇の中に「善光寺史料館」があります。平安時代の阿弥陀三尊像と薬師如来像、快慶様式の阿弥陀如来像、周防得業像などがあったような気がしますが、あまり覚えていません。直径1m以上の懸仏がいくつかありましたが、それぞれがジオラマ風になっていて、なかなか迫力がありました。

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 経蔵は重要文化財の優美な建物。中に輪蔵(回転式の経蔵)があり、一周回すと全てのお経を読んだご利益が得られます。善光寺の輪蔵は、重要文化財でありながら、参拝者が実際に押して廻すことができます。入り口には、輪蔵を発明した中国の傅大士とその二子の像がありますが、これはお決まりですね。

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 大勧進の宝物館が無料公開されているので入ってみました。書や絵も多いですが、仏像もいくつかありました。室町や江戸の小さめで端正な仏像が多かった気がします。なかに「定朝作」というキャプションの善光寺式阿弥陀三尊がありましたが、ちょっと作風が違うかな〜という感じでした。

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 参拝の順序からご紹介が最後になりましたが、仲見世の真ん中あたりから東にちょっと入ったところにある世尊院釈迦堂の釈迦涅槃像を見逃す手はありません。国指定の重要文化財です。

 布団を何枚も敷いて横たわっています。正面から見るとちょっと遠く、右に回り込むと足が見えず、左に回り込むと頭が見えません。ちょっと細かいところまではわかりませんでした。右手で頭を支えており、鎌倉以降でよく見られるお姿。涅槃像としては、銅像で、等身大のものは珍しいそうです。

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