【仏像】甲斐善光寺御開帳で御本尊善光寺如来を拝観
ぽん太とにゃん子の六善光寺ご開帳巡り、2ヶ所目は甲斐善光寺です。
甲斐善光寺は、2016に訪れたことがありますが、その時はもちろん秘仏御本尊を拝観することはできず、仏像は宝物館だけでした。7年に1度の御開帳ですが、着いたのが夕方4時ごろだったこともあり、閑散としておりました。
【寺院】甲斐善光寺 (常額山浄智院善光寺) 浄土宗
【住所】山梨県甲府市善光寺3-36-1
【拝観日】2022年4月下旬
【拝観】御開帳期間:2022年4月3日〜6月29日
御開帳参拝共通券:一般500円
【関連サイト】
・甲斐善光寺公式サイト:http://www.kai-zenkoji.or.jp/index.html
【仏像】◎重文 ◯県指定 □市指定
本堂
◎御本尊善光寺如来(銅像阿弥陀如来及両脇侍立像) 鎌倉時代 お姿
本堂裏側
笑い閻魔
宝物館
◎阿弥陀三尊像 藤原時代 お姿
光背の飛天2躯
◯源頼朝像 鎌倉時代 お姿
□源実朝像 鎌倉時代
□蓮生法師直実像 鎌倉時代
□玄和居士像 鎌倉時代
□本田善光像 室町時代
□本田弥生像 室町時代
江戸時代:重源上人像、鬼子母神像、大日如来坐像、地蔵菩薩像、阿弥陀三尊像、善導大師像、法然上人像、聖観音像、聖観音像、聖徳太子(孝養)像、聖徳太子(二歳)像、小野小町像、釈迦涅槃仏像
桃山時代:役行者像
さて、まず本堂の御本尊善光寺如来を拝観。やはりよっと離れたところからの拝観となりますが、信州善光寺と違って仏様が大きいです。中尊は等身大よりひと回り小さいくらい? 信州善光寺では仏様の細部がほとんどわからなかったですから、甲斐善光寺の方のこの大きさはありがたいです。
金銅ではなく銅像なので、チョコレート色に光ってます。信州の方は3体とも細身で棒のように立っている感じですが、甲斐の方はふっくらして、表情やプロポーションが写実的です。信州の脇侍は円筒形の冠をつけ、両手を胸の前の高いところで合わせていますが、甲斐の方はニット帽のようなかぶりもので、両手も自然にお腹のあたりで印を結んでいます。同じ鎌倉時代の作とはいえ、信州の方が恐らく本来のご本尊の姿を写したのだとすれば、甲斐の方は古めかしさを保ちながらも鎌倉時代らしい造形となっています。像の後側はフラットな銀色の背景となっており、模様や化仏はありませんでした。一光三尊式の光背があるのかどうか、よくわかりませんでした。
信州善光寺の記事にも書いたように、甲斐善光寺では次のように伝えられています。信州の御本尊とお前立は、川中島の合戦の後、武田信玄によって甲斐に移され、甲斐善光寺が建立されました。武田氏滅亡の後、こんどは織田家によって御本尊は岐阜に持ち去れれましたが、お前立は甲斐に残されました。それが現在の甲斐善光寺の御本尊善光寺如来であり、つまりこの像は元々は信州善光寺のお前立だったそうです。
左脇侍の足裏に建久6年(1195年)の銘があるそうです。この年は善光寺の僧定尊が夢のお告げによって等身大模造を造顕する年にあたるので、この像がそれであるとも言われています。
さて、御本尊を見た後は、鳴き龍体験をして、戒壇廻りへと移りますが、戒壇廻りの入口は、信州善光寺は内陣の袖にありましたが、甲斐善光寺は内陣の裏側から入ります。内陣の左側から裏へ回り込むのですが、読売新聞の記事にあるように、ここで絹製の仏具が燃える事件があり、火の気がないことから放火も疑われました。
本堂裏側にいろいろな仏像が置かれておりましたが、「笑い閻魔」に目が止まりました。文字通り笑っている閻魔で、栃木県益子町の西明寺は笑い閻魔で有名ですね。
続いて本堂の西側にある宝物館を見学。たくさんの仏像が安置されていますが、藤原時代の重文の阿弥陀三尊像が一押しです。いわゆる定朝様の仏さまですが、丸いお顔に圧迫感が感じられ、ちょっと傷んでいるせいもあるのか、優美さよりちょっと迫力を感じさせます。元々の光背にあったという飛天も2躯展示されています。
ちなみに甲斐善光寺には、少し時代が下って12世紀後半の重文阿弥陀三尊もありますが、こちらは非公開となってます。
ついで、山梨県指定文化財の源頼朝像。ぽん太にはなじみのない像ですが、いまでは学校の教科書に頼朝像として載ってるんですってね。ぽん太の頃は神護寺の像(画像)でした。文保3年(1319)の銘があり、製作年か修理年かわかりませんが、いずれにしても最古の頼朝像だそうです。あんまり大泉洋には似てません。元々は信州善光寺にあったもので、御本尊と一緒に甲斐善光寺に持って来られたと考えられています。信州善光寺と頼朝につながりがあるの?という疑問が生じますが、頼朝は当時荒廃していた信州善光寺の再建を行い、1191年に再建供養を行ったそうです。大河ドラマで出てくるかしら?
頼朝像とセットの実朝像もあります。
蓮生法師直実像も、信州善光寺から来た像。「蓮生法師直実」と聞いても一般には「誰それ?」という感じでしょうけど、歌舞伎ファンには「一谷嫩軍記」で有名です。熊谷直実は平安末期から鎌倉時代の武将で、頼朝方について源平合戦を戦いました。しかし戦に明け暮れる毎日のなか無情を悟り、出家して法然上人の弟子となりました。直実の肖像彫刻を見るのはぽん太は初めてです。この像も信州善光寺から移されたものですが、なぜ信州善光寺と熊谷直実が関係があるのかよくわかりませんが、直実が信州善光寺を参詣したという言い伝えもあるそうです。
玄和(げんな)居士像は、鎌倉時代の作で、やはり信州善光寺から移されたもの。僧形の像で、胎内に「甲斐国/玄和居士之像」という銘がありますが、どういう人物かもわからず、後付けだろうと考えられているそうです。
本田善光(ほんだ よしみつ)とその妻・弥生の像もありました。本田善光は、「善光寺」の名前の由来となった人物。難波に打ち捨てられていた阿弥陀如来像を持ち帰り、信濃の地で祀りました。のちにそこに寺院が建立され、善光(よしみつ)の名にちなんで「善光寺」(ぜんこうじ)と名付けられました。
その他、江戸時代を中心としたたくさんの仏像があり、上に挙げておきましたが、ぽん太のメモをもとに書いたので、細かいところが違っていたらご容赦を。
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