【奈良】東大寺二月堂のお水取りを初めて見る。
奈良の東大寺は二月堂で行われる有名な宗教行事、お水取りを見てきました。
とはいえ、それを目当てに行ったのではなく、たまたま奈良・京都を旅行していて、奈良の居酒屋に入ったら、店員さんからちょうどお水取りの最中であることを知らされ、急遽見に行くことにしたのです。
店員さんの口調は「なんでこの時期に奈良に来てお水取りを見に行かないんだ!?」みたいな感じで、奈良市民のお水取りに対する並並ならぬ思い入れを感じました。
まだ17時ごろだというのに、早くも場所取りの人たちがいます。
ところでお水取りってそもそもなに?二月堂に松明が掲げられる映像が頭に浮かびますが……。
Wikipediaや東大寺のホームページを見てみると、二月堂のお水取りは、修二会(しゅにえ)と呼ばれる宗教行事らしい。古来より、冬が終わって一年の初めに豊作を祈る祈年祭(としごいまつり)という儀式が重視されておりましたが、それに相当する仏教行事が修二会だそうです。ですから修二会は、日本各地のお寺で、さまざまなやり方で行われております。
東大寺の二月堂でもそうした修二会が行われてきたわけですが、ここにひとつの伝説が加わります。若狭神様が魚を採っていて、二月堂の参集に遅れてしまったため、二月堂のほとりに清水を涌き出させて観音様に捧げたんだそうです。
そういうわけで二月堂の修二会には、「水を汲む」という行事が組み込まれることになり、二月堂の修二会全体が「お水取り」と呼ばれることになったのです。
修二会は現在3月1日から2週間にわたって行われますが、12日深夜に狭義の「お水取り」の儀式が行われるそうです。二月堂の隣にある若狭井(わかさい)という井戸から水を組んできて、秘仏十一面観音さまの須弥壇の下の甕に「香水」として収めるのだそうです。これらの甕のうちの一つは、「根本香水」と呼ばれ、お水取りの儀式が始まって以来、減った分だけ継ぎ足されてきたものだそうです。「秘伝のタレ」みたいなものですね。
お水取り(=修二会)の有名な儀式に「お松明」があります。2月堂のテラス(?)に火が焚かれた映像は、誰でも見たことがあると思います。
木造建築で火を使って火事になったりしないのかと思いますが、心配した通り、寛文7年(1667年)の修二会の最中に失火して二月堂は消失。1669年に再建されたものが、現存の二月堂だそうです。
お松明は、もともとは儀式をする人たちが二月堂に入場するときの道灯りでした。それが「せっかくだから派手にしよう」ということで、現在のようなかたちに至ったわけですね。お松明は3月12日だけ行われていると思っている人が多いのですが、実は2週間の期間中毎日行われております。ただ12日は、ひときわ大きい松明(籠松明)が11本、一度に焚かれるそうです。
というわけで、14日間の修二会では、お松明やお水取り以外にもさまざまな儀式がおこなれているわけで、たとえばこちら(pdf)でその時刻表を見ることができます。
実はこれらの儀式は、勝手に二月堂の中に入って、無料で見ることができるのです。
二月堂の正面と両側面の板戸(壁のように見えます)がところどころ開くようになっていて、そこから中に入れます。扉をあけると、暗闇の中に多くの人が座っております。中はほとんど真っ暗で、行われている儀式は何も見えず、ただ物音を聞き、気配を感じるだけです。それでも、とても宗教的な気持ちになることができます。
さて、6時過ぎに二月堂に到着。すでに多くの観光客が詰め掛けてます。火の粉を浴びれる真下にはもう入れず、手前の広場からの見学です。灯篭と灯篭の間からテラスが見える位置をゲット。
向かって左手から松明が登ってきて、テラスから突き出され、振り回されます。
そして右側で再び振り回されます。飛び散る火の粉。真下で見てる人は、ダウンとかに穴があいちゃうんじゃないかな?お寺の人が箒で一生懸命建物から火の粉を払います。
これが次々と10本。12日のように、11本が勢ぞろいすることはなかったですが、素晴らしい光景でした。
奈良仏教は、こういう大掛かりな儀式を伝えてきたのですね。お松明だけでなく、12日間続く修二会のパワーは、「鎮護国家」の力がありそうです。
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